あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

巨木探訪・東京国立博物館のユリの木

2019年07月05日 05時25分18秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2019/5/18訪問。上野の国立博物館の巨木。あるのは知ってたけど、博物館に入館する時に見よう!と思ってた木です。
5月18日は、国際博物館の日です。wikiによりますと、国際博物館の日とは、博物館が社会に果たす役割を広く普及啓発するため、ICOM(国際博物館会議)が1977年に制定した記念日で、毎年5月18日と決まってます。ここでいう博物館とは、博物館のほか美術館・科学館・動植物園・水族館なども含みます。日本は2002年から参加。毎年同日には、無料開館や講演会、記念品贈呈などの記念事業が行われています。ってなことで、今年の5月18日は休日に当たったので、上野の国立博物館ことトーハクを訪問。忘れないように最初にユリの木を鑑賞しました。
説明板発見:ユリノキ:モクレン科。 半纏木(はんてんぼく)Tulip Tree 
北米原産の蜜源樹 春、チューリップによく似た花が咲く。
樹齢:140年 幹周り:約5、9メートル 樹高:約24メートル
訪問時、花が咲いてました。
ユリノキの由来:明治8、9年頃渡来した30粒の種子から育った1本の苗木が明治14年に現在地に植えられたといわれ、以来博物館の歴史を見守り続けている。東京国立博物館は、時に「ユリノキの博物館」「ゆりの館」などといわれる。
へえ〜。
周囲を囲ってるので、いつものハイライトになるダンナな撮影ができません。
木の大きさがわかるかな〜?
帰りに木の下のベンチにたくさん人が休憩してたので、木の大きさが分かるていで撮影した。
さて、本館内へ。国際博物館の日は、一般展が無料見学出来ます。久々に訪問したら、あれこれ変更されてて興味深々。まずは1階からだ!楽しみ〜。
おまけ:ユリの木の紅葉画像
2017年11月7日撮影。 ユリの木は紅葉しても赤くならない。
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巨木探訪・広徳寺のカヤとタラヨウ

2019年05月21日 05時21分27秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽

2019.4.13秋川渓谷の春・広徳寺さんの巨木を見に坂を上る。

説明板発見:広徳寺境域 東京都指定史跡 昭和53年3月6日指定

臨済宗龍角山広徳寺は、応安6年(1373)正応長者の開基で、またその妻、龍智智雲尼が鎌倉の建長寺70世である心源希徹禅師を請うて開山したと伝えられています。その後、天文年間(1532-55)に北条氏康によって堂舎が再建され、江戸時代には幕府から40石の朱印地が与えられ、約12000坪(39600㎡)の境内地を有しました。寺は五日市盆地西縁の秋川右岸の山麓に立地しています。

境内は地形状の制約から、東向きに総門・山門・本堂が東西の中心軸上に配置され、山門と本堂の間の参道を挟んで北側の鐘楼と南側の経蔵とが対置する禅宗伽藍で構成されています。
現在は、18〜19世紀代再興の伽藍と、総門の前面と北側の土塁や貯水池などの遺構が残っています。 平成22年3月設置 東京都教育委員会」
トップ画像は、寺社標のすぐ奥にあった総門から奥に山門を配置して撮影してみた。
説明板発見:広徳寺総門 市指定文化財
切妻造の一間一戸四脚門・桁行は3、64メートル。梁行は3、01メートルある。
中央の2本の柱は円柱、前後の柱は四角柱で、いずれもケヤキ材を使用し、腰貫がしつかり通っており、全体の作りは簡素にして堅固である。
カエル股等も素朴で、室町期の面影を残し、当町内の建築物としては最も古式をとどめている。
正面に掲げられた「龝留禅窟(あきるぜんくつ)」の大額は「前雲国主松平不昧治郷書(さきの国主松平ふまいはるさと)」とあり江戸後期の文化人として高名な出雲の殿様松平不昧公の筆になる。
昭和59年秋より解体修復がされ、さきの扁額が裏面の墨書により文政2年(1819)に作られたことが明らかになった。不昧没後1年を経ている。 昭和44年7月10日指定 あきる野市教育委員会」

散策直後、まだ桜が残ってるうちにと4月15日に散策をダイジェストして記事を投稿してます。
説明板には広徳寺の配置図がありました。

総門から山門の間は参道で結ばれており、広徳寺さんは桜の名所でもあるので、しだれ桜越しに山門を撮影したいところですが、残念ながら参道の桜の見頃が過ぎてました。
なんとなく雰囲気を感じられるように撮影してみた。
説明板発見:広徳寺山門 市指定文化財
茅葺、寄せ棟造の三間一戸二重門である。桁行は6、36メートル、梁行は3・64メートルあり、礎石は自然石。下層より上層の方が大きく、ときょうは綺麗に組まれ、垂木の線も美しい。前面は通路をふくめ3つに区切られているが太い柱と腰貫が安定感を保っている。足の礎盤は木製である。
階上は回廊がめぐり、中央が四扉にあけられ、左右に花灯窓が一つづつある典型的な禅宗(唐様)の山門である。
楼上に「正眼閣」の横額が掲げられており、その額、ならびに建物全体の状況から江戸中期をさかのぼらない建造物と推測される。簡素で調和のとれた建物で、境内に落ち着いた雰囲気をあたえている。
平成3年秋より永く保存し、公開することができるように全解体修復工事がされた。
昭和44年7月10日指定 あきる野市教育委員会」
山門に感激し、満足して振り向いてびっくり!

迫力のイチョウが2本並んでいた。大きさを感じれるように左のイチョウの真下にダンナに立ってもらう。樹齢100年越えは間違いなさそうですが、調べてもこのイチョウの樹齢・樹高・目通り幹囲の資料が見つかりませんでした〜。
大きな茅葺屋根の本堂に参拝。広徳寺さんに立ち寄ったのは巨木のため。本堂の裏手へ向かいます。
画像左にあるのが目的の都内最大のタラヨウです。本堂が大きいので、タラヨウの大きさを感じにくいのが残念。
4月15日の記事に紹介しましたが、タラヨウは葉に字を書くと黒く浮き出る特徴があります。もう一度同じ画像を貼り付けてみる。



説明板発見:広徳寺のタラヨウ 東京都指定天然記念物 昭和27年11月8日 指定
龍角山広徳寺は、五日市の古刹として著名な寺院であり、その本堂の裏手にこの都内最大のタラヨウがそびえています。
タラヨウはモチノキ科の樹木で、主に東海地方から近畿地方以西の日本と、中国大陸の暖帯に分布する高木の常緑樹です。
本樹はほぼ自然形を保っており、主幹は直立し、幹周り2・5メートル、樹高は19・1メートルに達します。その枝張りは東西約14・2メートル、南北15・5メートルの威容を保っています。 平成22年3月設置 東京都教育委員会」
広徳寺には巨木がもう1本ある。

説明板発見:広徳寺のカヤ 東京都指定天然記念物 指定:昭和27年11月8日
広徳寺の北側にそびえるこのカヤは、目通り幹囲5・35メートル、樹高24・45メートルを測る多摩地域で最大のカヤです。このカヤの枝張りは東西13メートル、南北約19・4メートルですが、樹冠下方の大枝は南方向に伸び、北側には大枝がありません。
カヤはイチイ科に属し、暖地の森林中に散在する常緑の高木です。東北地方中部から屋久島までと、韓国の済州島にその分布が見られます。
材は、建築、器具、土木用に利用されるほか、種子から採られる油は、食用油、整髪油、薬用駆虫剤として利用されます。 平成22年3月設置 東京都教育委員会」
巨木の周囲には囲いがあり、木に触れない。残念だ。
見上げて満足する。さて時刻は14時46分、出発だ。
その時強めの風が吹いた。

一斉に桜の花びらが舞う。画像に移る白い点は全て桜の花びらです。
来た時とは別の坂を下りる。
坂道の途中にベンチを見つけあられでおやつ休憩。
再び坂を下りる。画像左手の緑の壁。そこにも桜が植わってて、上に道がある。そこを通ってきたのだ。
ガードレールの向こうに枝をバッサリ切り詰めた木があった。

よく見れば、細い枝に若葉が出てた。なんとか生きてるようで安心した。

長い坂を下りたら庚申塚があった。
これが武蔵五日市駅から歩いてくると広徳寺さんへの道の目印になる。
秋川に向かう途中で振り返る。

降りてきた坂道に沿って桜が並んでいた。
15時5分、小和田橋に到着。武蔵五日市駅側の観光案内所でいただいた観光マップには、小和田橋に秋のビューポイントマークがついている。
たぶん川岸の落葉樹の紅葉が綺麗なんだろうなあ〜。
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巨木探訪・都内三大巨大桜の光厳寺のヤマザクラ

2019年05月19日 06時03分33秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽

2019/4/13秋川渓谷の春連載その4。乙津地区から移動。戸倉バス停に12時50分到着。バス停からすぐに上り坂です。さあ、登るぞ〜!!

お昼直後の上りは辛いわ〜。武蔵五日市駅の観光案内所でいただいた五日市・戸倉散策マップ片手に、まずは目印の戸倉しろやまテラスを見つけた。まさかのかつての小学校の校舎がしろやまテラスです。私は揚げパンに心惹かれるものがあったけど、さっき食べたばっかりなのでスルーする。けど、記事を書くにあたり調べたら、学校給食メニューが売りで、せめて画像を抑えるくらいはしとけばよかったと後悔。
トップ画像は光厳寺への道の戸倉給水所側の坂道です。
既に足元はアスファルトから急坂仕様に変わりました。
車で訪問したら画像奥右手の駐車場に停めるのですが、徒歩参拝客は坂道を突き当たりに進んでください。そこにヤマザクラはこちらの案内板があるので、指示に従い左手へ向かってください。
間も無く急斜面に目的のヤマザクラが見えます。
到着時刻は13時。斜面が急過ぎて、ベストポジションから撮影の選択余地があまりない。
巨木の根元あたりは斜面のしたに隠れている。
この角度からが一番青空に見え、花色が分かるかも?
説明板発見:光厳寺(こうごんじ)のヤマザクラ 東京都指定天然記念物 指定:平成5年3月22日
ヤマザクラは、昔から日本人に親しまれてきたサクラで、ソメイヨシノが出現しなかった明治以前は、観桜といえばヤマザクラが主役でした。
分布域は、ホ本州宮城以西から九州、韓国の済州島でも見られます。春には赤茶色を帯びた葉を広げると同時に淡紅白色の花を咲かせます。
天然記念物に指定されている光厳寺のヤマザクラは、光厳寺の門前の東に向いた斜面地にある四株のヤマザクラです。
畑の先にある一番南の株は、日当たりのよい場所にあって、幹周5、33メートル、枝張りは東西25メートル、南北18メートルを測り、樹齢400年は下らないという都内のヤマザクラとして一番な老巨樹です。地元では「光厳寺の大桜」と呼ばれ親しまれています。
他の3株は、招魂碑近くのスギの林に隣接して生育し、幹周2、45メートル。2、75メートル。2、27メートルとどれも十分な巨木です。 平成23年3月設置 東京都教育委員会」
他の3株を探す。
おそらくこれ。でも斜面の向こうにあって近づけない。
満足したのでお寺に参拝していこうと移動する。
上の画像手前右手が登ってきた坂道で、左にヤマザクラの老巨木のある斜面があります。城山に向かい光厳寺の山門があります。
境内も春爛漫です。見所はこれ。
説明板発見:光厳寺扁額 市指定文化財
縦54センチ 横84センチ
「光厳寺」という寺名をしたためた横額で、寺伝によれば、北朝第4代後光厳院より賜った勅額を写したものである。裏面に「元亀元年10月5日英和和尚代造掛之者也」(1570)の銘がある。典雅な書体で、光厳寺の由緒と戦国期の扁額の作例を示す資料(掲示額は複製) 昭和44年7月10日指定 あきる野市教育委員会」
境内には別の説明板もある。
戸倉城跡 東京都指定史跡 指定:平成5年3月22日
戸倉城は、あきる野市戸倉の五日市盆地を眼下に望む山頂に、室町時代から戦国時代にかけて築かれた山城です。
15世紀頃に武州南一揆(秋川谷から南多摩地域にかけての武士集団)の一員であった土豪小宮氏が築城したとの伝承もありますが、詳細は不明です。その後、天文15年(1546)頃、北条氏康の次男氏照が大石氏の名跡を継いで滝山城主となると、大石定久は戸倉に蟄居したと伝えられています。このことから戸倉城は、大石定久隠居城とも呼ばれています。
北条氏照が滝山城を拠点にして、甲斐の武田氏と対峙するようになると、檜原城が甲州口の押さえとなり、戸倉城は網代城や高月城を経て、滝山城や八王子城へ入ってくる情報を中継する機能をもつ城になっていったと考えられています。天正18年(1590)、八王子城の落城とともに廃城となりました。
枡形・虎口・竪堀等の跡が、現状からでも確認することができます。 平成23年3月建設 東京都教育委員会」
ついでなので、巨木の本によりますと「光厳寺とは?
光厳寺(こうごんじ):宗派は臨済宗。足利尊氏が建武年間(1334-1336)に創建したと伝えられている。南北朝時代に、のちに北朝第4代後光厳帝になる弥仁親王が5年間も隠れ澄んだことがあり、後光厳帝から光厳寺の名を賜った。
東京都三大巨木桜とは?
伊豆大島の「桜株」宮女島の「神着きの大桜」に次ぐのが光厳寺のヤマザクラ。花色が白っぽいので、「光厳寺の白山桜」とも呼ばれている」
時刻は13時18分、出発。あまりの急坂に、自然足元に視線が落ちる。
小さめのマンホールにも秋川を泳ぐ鮎の絵があった。次はどこへ行こうか?迷ったものの、五日市・戸倉散策マップのウォーキングルート通りにしようと思い、戸倉しろやまテラス(旧小学校)沿いに移動。
坂が急なのを利用して、こんな構図で撮影してみた。ちなみに、右手の石垣は、小学校のもの。
見晴らし最高!盆掘川と、大日影通りを望む。この後急坂を降りると、沢戸橋に出る。散策マップに沢戸橋にビュースポットマークがあるので、橋から秋川を見下ろしてみた。
ビュースポットは、秋の紅葉の方が更に輝くだろう。訪問したのは4月13日で、若葉はまだ出始めたばかりです。
さて?ウォーキングコースの降り口はどこだろ?
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巨木探訪・東京で一番でかい杉

2019年05月17日 05時30分55秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽

2019.4.13あきる野市、秋川渓谷の春乙津・養沢さんぽです。

徳雲院の住職に五柱神社さんの詳しい道順を聞いててよかった!
トップ画像は、養沢川にかかる新橋を西へ左折し、しばらく歩くと見つけた五柱神社さんの場所を教える手書きの案内です。まずはこれを道端で見つけてください。
更にトップ画像奥に、二股の道が見えてますね。そこにももう一つ、手書きの道案内があります。ここで、右に見えてる坂を上ります。で、すぐ先の右手の民家の側に細い道がありますので、そこを入ってください。細い道というか、田圃の畦道みたいな道です。
この道です。左奥ににょっきり突き出てるのが目的の巨木です。
上の画像奥、社号標の奥の石段の左に、大きな杉の幹が見えてますが、わかりますか?
絶対ピンボケしてはいけない画像を撮影失敗しました。なんてこったぁ〜。息切れしてたんだよ〜。手ぶれしちゃったんだよ〜。ごめんなざい。
あ。説明板発見:五柱神社のスギ あきる野市指定文化財(天然記念物)
このスギは樹高が約52メートル。地面から1、2メートルの高さでの幹周り(目通り幹囲)が約8メートルと非常に見事な姿を誇り、樹齢は400年前後と推定されています。
周りの集落や山々からも、その姿ははっきりと認められ、地域のシンボルともいえる存在です。 平成14年9月1日設置 あきる野市教育委員会」
するっと読み飛ばしそうになりますが、樹高52メートルは凄すぎです。ビルにして何階建てに相当するのだろうか?見上げる。
けども残念ながら、周囲に木があって、てっぺんは見通せない。ならばせめて全景の見えるポイントはないものか?と、探しましたが、どのポイントからも周りの木が邪魔してます。
ダンナにいつものハイライト代わりになって木の下に立ってもらう。
この杉の大木は、直接触れるので、参拝後私も幹に両手を当てて触ってみた。
すう〜〜っと!
体の中を優しい風が吹き抜けていった。体の悪ものが押し流された気がする。
あちこちで巨木を見て、触れる木には触りまくってますが、こんなにわかりやすく何かを感じたのは初めてです。しかも気持ちいいんだ。そういえば、触れた木肌が暖かかったな。杉には珍しいことです。まさしくパワーツリーってこういうのをいうんだろうなあ〜。ドキドキする。頑張って五柱神社さんに来てよかったよ。この木を知ったのは巨木の本を見初めて最初の方でしたが、大変な場所にありそうで体力に乏しい私には無理だと思ってた木です。まさか来れるとはっ!もう感動ものでした。
五柱神社さんはお社はありますが、社務所はありません。地域の集会所らしき小さな建物はありましたが。人は常駐してません。
木にお礼を述べて10:42に後にする。
説明板に「地域のシンボル〜」とあったので、歩きながら時折大杉を眺める。
さすが樹高52メートルです。
見守ってくれてる感ある素晴らしい大木です。
道は更に上り、この先で杉林になりました。
道端の石垣が面白い。画像ではわからないと思いますが、結構な高さがあります。
大沢にかかる小さな橋がウォーキングコース最高地点でした。
この先は杉林に視界が遮られ緩やかに下る道をしばらく歩く。
一気に視界が開けると、突然大勢の人の気配が先から届く。
乙津花の里と名付けられた龍珠院さんに11:01到着です。武蔵五日市駅から臨時バスも出た大勢の乗客の目的地はここですね。
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ヤマザクラの巨木と国立天文台

2019年05月05日 05時34分40秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2019年4月6日の青梅〜武蔵小金井桜さんぽの連載も最終回。
さて、調布飛行場側の公園で終戦近くに造られた飛燕の格納庫(掩体壕)を見学後、野川を渡り急坂を登った。

坂の上から調布飛行場を遠望する。左奥に白く長く横たわるのは現在使われている格納庫か?掩体壕の公園にあったこの地図。先ほどいた掩体壕の公園が地図中央下の赤い三角矢印の現在地でした。で、地図をよく見れば、四角い左下に東洋天文台とありますね。今からここへ行く。

さて、この先右か左か、どっちへ行こうか?と手元の地図に目を落とす。ふと、道の側の散歩案内板に気づく。トップ画像です。これによると、国立天文台は案外近い。最短コースを探し向かう。
ところがところが!!なんてこったぁ〜〜!!
最短コースもなにも、国立天文台の敷地はぐるりと鉄柵が張り巡らしてあり、道は続いていても入れない!もうね。がっかりだよ。疲れ切ってる足を引きずるように無言で鉄柵に沿って進むのみ。柵に沿って歩けば、いつか正門にたどりつく。柵の向こうに咲き誇る桜が恨めしい。
あれ?あれあれあれ〜??
なんか、まさかの!巨木発見!!撮影画像で大きさが分かるかな?ってなことで、ダンナにいつものハイライトをお願いする。
どうでしょうか?見比べれば、ヤマザクラの大きさが分かるよね。おそらく背後にある大きなお家の人がかつて、おそらく江戸時代に家先に植えた桜が今ではこんなに大きく育ちました!と推察する。だって、ソメイヨシノが作出されたのって幕末頃だもの。それ以前は日本人が愛でる桜といえば、このヤマザクラだったのだ。
遠目には1本の巨大なヤマザクラに見えた。でも中央になんか立ってるんだ。おそらく石柱。ということは、2本じゃないかな?
角度を変えて。道路標識がミニチュアのよう。思いがけず素晴らしい木に出会え大満足。ちょっと元気出た。
桜とお別れ。既に15時過ぎてしまったので先を急ぐ。
ようやく国立天文台に着いた。素敵な散歩道がそこにあるが入れない。
あれあれ?受付がない!なぜだ??
歩いて見つけ崩れ落ちる。
案内板の右下をごらんください。現在地が黄色く示してありますね。で、赤色ゾーンが見学コースです。私は裏門から入っちゃったのだ。そこに見学者用駐車場があるので、簡単に入れたんだけどね。受付まで行かねばならん。ああ〜、もう足が足がぁ〜〜!!
キャンパス案内図発見。赤色が見学コースと見学可能施設です。んでもって、右と左どちらに行こうか?思案した場所は、てっぺんあたりに見える。案内板の敷地のぎざぎざしたのを見て欲しい。これに沿って歩いてきたのだ。もう構内にある道路が憎そいっ!柵向こうに見えてた道だ。
ちなみに、国立天文台は国内のみならず海外にも研究施設があるみたい。最近「我が国立天文台は世界で初めてブラックホールを撮影しました」とニュースになってましたね。んで、さっさと国立天文台を見せろや!という読者さんのぼやきが聞こえそうですが、ここまで来たのに私天文台の見学をしてないんだよ。実は中学の部活は科学部で、校舎の屋上にある望遠鏡を使い惑星直列の写真を撮影し発表したりしてました。だから国立天文台に来たら大興奮してしかるべきなのだ。しかし私の心が動かない。もう足が疲れ切ってて、頭にエネルギーを送る余裕がなかった。こんな状態で見ても更に疲れるだけ。諦めて天文台前のバス停に向かう。いつかまた元気な時に来るからねっ。うう。
正門前の撮影時刻は15時15分。ちなみに、画像右奥に見えるのが守衛所で受付になります。
バス停はすぐそこにあった。境91小田急バスの時刻は15時29分発です。ところが、臨時バスがどんどん目の前を通り過ぎていく。たぶんこれ、国際基督教大学行きの直行バスだ。あれ?続いて境91もやってきた。もしかして15時14分発が遅れてたのだろうか?ラッキー。いそいそ乗り込んで席を確保。実はですね、この小田急バス、小田急狛江駅とJR中央線武蔵境駅を結んでまして、運賃は固定の216円ぽっきりなんです。あ〜、知らなかった〜。知ってたら途中の京王線調布駅バス停とか今までだって使ってたよ。ちなみに、国立天文台前から小田急狛江駅は乗車時間40分です。結構かかるけども、普通に天文台前→京王線調布駅→京王永山・小田急永山駅→小田急相模原駅を使っても、乗換と待ち時間を考えると大して違いないと思うんだよね。そっちの方が京王線分余分に運賃かかるしさ。
んで、16時ごろ狛江駅に到着です。電車待ちホームにこんなの見つけた。
もうすぐラグビーワールドカップが開催されますね。味の素スタジアムでも数試合あります。狛江から行けるのか〜。数年前まだJFCだった頃、我が相模原のチームSC相模原VS町田ゼルビアのサッカーのシーズン最終試合が味の素スタジアムだったんだよね。確かゼルビアの野津田競技場の改修工事で調布で試合になったんだ。あの時このコースを知ってればなあ。
さて、16時過ぎ、やってきた本厚木行きに乗り込んだ。
ところが!!すぐに電車はストップ。何ごとか?と思えば車内放送「16時5分ごろ、小田急相模原駅で人身事故が発生しました。」
な、なななな何だってえ〜〜〜!!
ここから長い帰路のお話があるのですが、聞きたい?ならちょっとだけ。
最寄駅で人身事故が起きた→しかも代替バスは走らない→その上再開目処の時間がどんどん遅れていくんだ→歩くしかなかったよ→帰宅したら18時過ぎてた。途中の商店街で買い物してぼやいたりしたので18時半くらい。→翌日寝込む。おまけがついた。当たり前。この日、相模大野前ですでに2万歩超えだったから本当に寝込んで当たり前。
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巨木探訪・野川公園のエノキ

2019年05月01日 05時57分27秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽

2019年4月6日、青梅で桜巡りをしてから武蔵小金井駅へ移動。野川を追いかけて武蔵野公園。西武多摩川線を超えると野川公園。13時11分到着。

野川公園の見取図はあるものの、目指す巨木はどこにあるのだろう?頼りは巨木の本に掲載の写真。背景が違うんだよな〜?と木の周りを巡って気づく。この木で正解だったわ!ってなことでいつものハイライトになるダンナ。

巨木の本によりますと、樹高17メートル、幹の直径約1、5メートル。枝張りは半径約10メートル。幹の表面は何本もの柱を並べたようになり、その下は根に繋がっています。

地上2メートルで、枝は10本以上の大枝に分かれ、幹本体ははっきりしません。それぞれの大枝は放射状に広がって、二股・三股に枝分かれを繰り返して長く伸びて、先端だけが密生する小枝になっています。」とあります。

桜は公園内に点在。巨木のすぐ近くに陸橋がある。

陸橋から見ると、公園ではなくゴルフ場に見える。そうかつてのゴルフ場が後に公園になったという訳。

陸橋は公園を2つに分ける東八道路を跨ぐ。

着いたのもまた野川公園。

思い思いにお花見中。

ホールを区切る林の中で草花を観察。

しかしええ加減歩いてるので、しゃがむのが辛い。

空きベンチを見つけておやつ休憩。

音に誘われて空を見上げてるとセスナが横切った。すぐ先の調布飛行場に降りるのだろう。

また大きな木が見えてきた。あれはモミジバスズカケノキかな?

でだ!

道を間違う。あ〜、ついつい素敵な巨木につられてしまい、手元の地図から目を離したら現在地がわからなくなってしまった。この先で公園から出れたら正解なんだけども?

しかし、なぜ目の前に野川があるのだろうか?南にある野川公園正門横の近藤勇のお墓と生家を目指してたハズなのに。野川は公園の東側を流れてるのだ。ま、間違えた〜〜〜!!

で、ここに来て1キロメートルほど徒歩距離が増える。しかもこの後の散策コースを変更しなくっちゃ〜!やっちまった〜。

 

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巨木探訪・常福寺のしばの木

2019年04月24日 05時29分40秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2019年4月5日、相模原南区の桜巡り。相模原公園せせらぎ地区の桜→天應院の桜→八景の棚で桜と丹沢を遠望→JR相模線沿いの桜並木→新磯小学校の大楠→常福寺さん(今ここです)
11時25分、市立新磯ふれあいセンターに自転車を預け、向かいのJR相模線のガード下をくぐると、目の前にかながわの名木百選に選出の常福寺しばの木が見える。
名木百選の石板発見:常福寺のしばの木
古くから新戸と磯部の水田耕地の境の目印とされてきた古木である。
地元では「しばの木」と呼ばれ親しまれている。
樹高:20メートル 胸高周囲:4、7メートル 樹齢:約400年(推定)
タブノキは、本州から沖縄に分布する常緑高木で、照葉樹林の代表的な木である。
昭和59年12月選定」
木は石段の側にあるものの、高台にある墓域の斜面。
見上げながら撮影してみた。


幹は空洞になってる模様。
石段を上がり振り返ると、山門の向こうにしばの木のてっぺんが見えた。
本堂で参拝。建物全体をお見せしたいけども、清掃中でとっちらかってたので上部だけ撮影してみた。と、頭の上いっぱいに桜の枝が写りこれはこれでいい写真になったと思う。ちなみに、ミツウロコがお堂の屋根についていたよ。
時刻は11時33分、自転車を預けてるふれあいセンターについでに寄ってみたらすごかった!
相模川の河川敷で毎年5月に大凧まつりが行われてるのだけど知ってます?関連資料を展示中。
ちなみに、以前訪問した時の様子はこちら。

今、座間桜百華の道を再訪問してきた。びしょ濡れになった。天気予報〜〜!!雨が降り出すのは夜からじゃなかったんかい!
座間桜百華に道は1600メートルの遊歩道に220本64品種が植栽されていて、今八重桜が最後の盛りを迎えています。
んで、4月22日に撮影して、さあブログを書こう!と思ったら、撮影画像では八重桜の名前がわからん!という事態。こりゃいかん!と確かめてきました。これは別記事で投稿します。
外出してる間に「国分太一のおさんぽジャパン」の放送がありました。
昨日の記事に夜に追加したアレです。で、旧細川邸のシイの木も放送されてた。私と太一くん、同じ時刻に同じ木を見たのに、鑑賞ポイントが違ってて面白かったです。
太一くんが赤穂浪士のアレコレを全てスルーしたのも面白かったよ。

今日もしつこくリンク貼りました。やっぱ、巨木は見る人に感動を与えてくれるのだ!
2019.4.24 12:16文章とリンクを追加しました。
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巨木探訪・上輩寺さんの乳イチョウ

2019年04月16日 06時00分57秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2019年3月31日訪問。この日は小田原周辺で巨木と桜を巡りました。
入生田・長興寺のしだれ桜→小田原城の桜→真鶴町・荒井城址公園のしだれ桜→鴨宮・国立印刷局の桜(3月30日&31日のみ公開)→上輩寺の乳イチョウ
今ここです。時刻は15時7分。
敷地の外からドカン!と見え一驚き!イチョウの老木の特徴の垂乳根がいっぱいだ〜。
まずはともあれ、塀の向こうへ回らねばっ。
このお寺さんは、堂宇の手前にお墓が並んでました。失礼して木を目指す。
着いた。ここは木に触れる。ってな事で、いつものハイライトになるダンナを撮影。
かながわの名木百選の石板がありました。
かながわの名木百選:上輩寺の乳イチョウ
樹高:28メートル 胸高周囲:5メートル 樹齢:約600年(推定)
乳柱が100本を超えるほど多く、長さ1メートル以上のものが、20本近くもある。
小田原市の天然記念物に指定されている。」とあった。ということは〜。
木の特徴である1メートル以上の乳頭を分かりやすくダンナに手を伸ばしてもらった。
乳頭は木を取り巻くように1周満遍なくありました。でも主幹は途中で切れてるように思う。石板には樹高28メートルとあるが、現在ではそこまでなさそう〜。乳イチョウのそばに大きな石塔が並ぶ。
説明板発見:上輩寺の五輪塔群 小田原市指定文化財(平成31年2月22日指定)
正面向かって右から1号 総高161センチ 最大幅68センチ。 2号 総高176センチ 最大幅70センチ。 3号 総高164センチ 最大幅69センチ
3基とも、関東における五輪塔の中でも比較的大型であり、市内に所在する中世五輪塔の中では群を抜く大きさです。
箱根火山を起源とする安山岩製で、形態の特徴から、3基の五輪塔の造塔された時期は南北朝時代と考えられます。
なお、江戸時代に編纂された「新編相模国風土記稿」では寺の開基、酒匂右馬頭の墓と伝わっています。
小田原市内の中世石造物ではほかに、「小嶋家の宝篋印塔・宝塔」(市内酒匂・大見寺)などが小田原市指定重要文化財となっています。 小田原市教育委員会」
今年の2月に指定されたのか〜。
参拝。目を上げたらガラス戸に満開の桜が写り込んでいた。綺麗だったので、桜の下の石のベンチで一服。上輩寺さんはほとんど海岸沿いの国道1号線に近い。そこから昔道で鴨宮駅へ。途中、選挙活動中の候補者や、大祭の近い酒匂神社さんの社叢を眺めつつ駅に向かう。
鴨宮駅に着いたのは午後15時52分。
駅から富士山が見えた。本当はここから400メートルほど北にある光照寺さんの名木百選の木を見に行きたいと思ってたけども。さすがにもう足が限界。時間も限界。ここからだと小田原駅経由で小田急相模原駅へ向かうことになる。(当初予定では、途中で飯泉観音のかながわの名木百選も見て徒歩で小田急足柄駅へ向かう計画でした)計画を詰め込み過ぎました。
ということで、3月31日に紹介しそびったあれこれはこれでおしまい。明日から4月2日の相模原市南区周辺の桜散歩を連載します。桜はもう散ったけども、来年からの資料になりますかね?

昨日、先週土曜日4月13日の秋川渓谷桜と巨木さんぽの記事を3本投稿しました。
毎日私のブログを閲覧してくださってる方、ありがとうございます。未読でしたらぜひ確認してください。秋川渓谷に始めて行ったので、だいぶん興奮した文書になってます。
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巨木探訪・入生田のしだれ桜近くの樹叢

2019年04月13日 05時21分17秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2019年3月31日、小田原周辺の桜と巨木探訪を楽しみました。桜は入生田のしだれ桜・小田原城の桜・荒井城址公園のしだれ桜で先出しで記事投稿済み。なので今日の記事は入生田のしだれ桜近辺の巨木探訪です。
しだれ桜を楽しんだ後、登りのアスファルト道でなく階段と石畳道を選択。しだれ桜の背後の細道を入るとすぐ説明板を見つけた。
長興山鉄牛和尚寿塔付近の樹叢 小田原市指定天然記念物
長興山紹太寺は幕末の火災で堂塔が焼失しましたが、この付近の樹林は火災からまぬがれたため、聖域としてそのまま残され小田原市内はもとより神奈川県下でも数少ない残存自然林として貴重なものです。
この樹木を構成している代表的な樹木は、かってこの地域一帯を覆っていたと思われるスダジイとイヌマキで、共に20本余りを数え、これらの樹木は、いずれも小田原市内で最大級のものです。
このほか、クスノキ、ヤブニッケイ、シラカシ、ウラジロガシ、ヤブツバキなどの照葉樹が混生しています。
なお、この樹叢の指定面積は、6,706平方メートルです。 小田原市教育委員会」
え〜と?いわゆる東京ドーム144個分です。
この辺りは山のせせらぎがあって水分が多い。木の幹に蔦や苔が貼り付いている。
迫力満点。短い斜面のすぐ上まで、杉林が迫ってるのは残念だなあ。
かつては一帯は紹太寺の寺域でした。散策路の左右に、かつての名残があります。ほとんど名前のついた石です。紹太寺さんは幕末、安政年間の火災で焼失しました。
お寺の由来などは別記事立てします。この記事は巨木優先です。
凄い巨木を見つけた!なぜどこの巨木サイトにも載ってないのか不思議な位です。思わず環境庁の巨木サイトに報告したくなるレベル。
場所は稲葉一族のお墓の石段を一つ下がったところにある御霊屋跡のそば。御霊屋にはかつて稲葉氏歴代の位牌と開基稲葉正則の坐像が安置されていました。
在りし日の紹太寺の配置図。弘化5年(1848)頃のもの。配置図の一番上に御霊屋がありました。かつての伽藍は現在は畑。
急な石段を降ります。上の画像左手前に見える巨木。この辺りにはかつて石地蔵がありました。像の高さ2.5メートルの大きな石造りの地蔵菩薩像が祀られていました。石地蔵は小田原城主稲葉正則の父正勝の家臣塚田杢助正家を供養したものでした。正家は、主君正勝の一周忌にあたる寛永12年(1635)1月25日、切腹して殉死した人です。
石地蔵は箱根湯本の正眼寺に移され、現在も境内に祀られています。
上の画像をよく見ると、画像奥に石段がありますが、手前は石畳です。参道は、急な石段と石畳が繰り返し連続しています。この辺りの石段には巨木が点在してて見所いっぱいです。


最近巡ってる巨木は、公園や寺院仏閣でご神木になってる樹がほとんど。まあここもかつては紹太寺さんの参道だったのですが。おそらくすでに100年以上手入れなどしてないのでは?と感じます。こうね。自然のままに。しかし隣り合う木と太陽の光を奪い合い空に手を〜〜違った!腕を伸ばした。闘ってる木です。荒々しい姿をしてます。


ちなみに、石畳は昔のもののようで、枯葉や苔が貼り付いてる場所もあるので、足元は登山靴着用がオススメ。
石畳の様子。

石段の一番下に到着。
坂道を道なりに降りると現在の紹太寺さんに到着する。
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巨木探訪・山田家のカゴノキ

2019年04月12日 06時03分40秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
今日から2019年3月31日の桜と巨木探訪から巨木を紹介します。桜めぐり部分は先出しで入生田のしだれ桜・小田原城の桜・荒井城址公園のしだれ桜を3本に記事立てして紹介済み。
箱根登山鉄道入生田駅に8時40分到着。トップ画像左に写ってるのが駅のホームです。小さな駅ですが、この時期はしだれ桜見物で客が増えます。目的の巨木は駅のホームからも見えます。駅を出たらまず道なりに右へ。すぐある線路下をくぐる。目の前に国道1号線。そこを左折。駐車場の奥に目的の樹がある。
やられた〜。ちょうど剪定した直後のようだ。んで、枝を切り詰めた中央の樹が目的のかながわの名木百選に選出された樹です。
プレート発見:かながわの名木百選 山田家のカゴノキ
樹形の整った巨木で、幹に裂け目が生じているが樹勢は旺盛である。
「入生田のカゴノキ」として、小田原市の天然記念物に指定されている。
樹高:17メートル 胸高周囲:3、7メートル 樹齢:約300年(推定)
カゴノキは、関東から沖縄に分布する常緑高木で、樹皮が小さな円い薄片になってはげ、そのあとが白く鹿の子模様になるのが特徴である。」
あれ?常緑高木と書かれてますが、訪問した2019年3月31日現在、樹に葉っぱが全くない。か、枯れてないよな?
目立つ木肌をしてるなあ。
見上げると、幹から小さな腐朽菌のサルノコシカケの小さいのを見つけた。うわ〜!!取りてえ〜。
こちらが投稿済みのこの日の桜記事(入生田のしだれ桜)です。
こちらが投稿済みのこの日の桜記事(小田原城の桜)です。
こちらが投稿済みのこの日の桜記事(荒井城址公園の桜)です。
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巨木探訪・南大沢のオオツクバネガシ

2019年04月11日 05時43分42秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2019年3月24日の京王電鉄1日券(900円)を使ってしだれ桜と巨木探訪を楽しみました。この日最後の訪問は南大沢駅。実は初めて利用する駅で、行ってびっくり!改札抜けるといい匂い。キッチンカーが並び、大道芸人が何人も!!あれ?私巨木探訪に来たんだよね?大道芸見てる場合じゃなかった!
地図では分からなかった。南大沢駅から出ると高低差がある。目的の巨木は南大沢八幡神社さんにあるので、まずは八幡様を目指さねば。って??動線はどうなってるんだぁ〜〜!!
迷いました!最短コースだと思ったのに、東に抜けられないビルだった。引き返しキッチンカーの並ぶ橋を渡り、上の画像のアウトレットパークへ。が!最短コースだと思ったら駐車場だった!引き返し道なりに前進すると、首都大学東京へ続く階段があった。これ、登ったらダメじゃん!地図は持ってるのに行けないという困った事態。
あ!なんか地図がある。でもこれ、アウトレットパークが書いてない。いつのだ?でも、目的の八幡神社さんは書いてある。神社は動いてないハズので使えるハズ。
もうヘトヘトです。無駄に歩くのは大嫌いなんだっ!
予定ではこの後もう一箇所、多摩センターで巨木探訪したかったんだけどな〜。足がもう無理と訴えてる。私もそう思う。ということで、この日はここを最終地点にした。
八幡神社さんの鳥居の向こうに見える階段が憎そいっ!アウトレットパークから道なりに坂道を降りてきたのに、また上がらねばならん!
上がりました。目的の巨木はすぐ見つけた。けども〜〜!!
巨木の本に載ってたのと同じ構図で撮影が出来ない。なぜならそこにプレハブ小屋があったのだ!
それでもなんとか木の全景を写せるポイントを探す。
説明板発見:南大沢のオオツクバネガシ市指定天然記念物 昭和46年4月21日指定
この木は、明治13年正月の八幡神社の火災により災禍をうけて枯死してしまったと思われたが、しばらくして再生したので、地元では「不死身のアカガシ」として大切にされていた。樹幹はすっかり空洞化しているが、今なお生気が盛んである。
当初はアカガシと思われていたが、実際は高尾山中のものを標識樹としたオオツクバネガシで、アカガシとツクバネガシとの間種である。
⚫︎ツクバネガシ 「衝羽根樫」は、正月遊戯の「追い羽根」に使用する羽根に似て、葉が小枝の先に4枚出ていることから名付けられたといわれている。 八王子市教育委員会」
普通に巨木に見えるけども?『樹幹はすっかり空洞化』だと?
探す!
足元まで視線を落とすと、確かに樹の根元で向こう側が見えた。
実はですね、画像を見れば幹が空洞化してるのが一目瞭然ですが、実際その場に立つと気づきません。なぜって、この樹は境内と階段下の傾斜の途中にあるのです。なんとか樹が巨木らしく見えるポイントはないか?と一旦階段を降りる。
樹が一番素敵に見えるのは、巨木の本と同じ構図でした。しかし巨木の本に載ってる画像は、左下にプレハブBOXでなく本殿が見える。しかも撮影時刻が2019年3月24日午後3時過ぎとあって、太陽が左側から当たり逆光気味。樹の幹肌が黒くなってしまいよくわからない!ブログ掲載にあたり、画像加工をして明るくしたのですが限界があった。残念だ。
しかもですね。樹の立地からダンナが樹の側に立てってのハイライトのダンナ構図で写せない。となると、画像からでは樹のサイズが分かり辛い〜。サイズといえば、前出の巨木の本によりますと、樹高:約25メートル、幹の直径:1、8メートル、推定樹齢:600年の巨木です。
先に書きましたが、根元からすぐに幹が空洞化してるのに、樹高は本に記載されてるように25メートルくらいあって、葉っぱは青々と茂ってます。この樹の生命力に圧倒されました。この日の巨木探訪は痛んでる樹が多めでがっかりでしたが、最後の樹も痛んでるけども頑張ってる樹が見れたのでよかったよ。

昨日は冷たい雨が降った。今朝接骨院に向かってると、丹沢が白かったので、施術を受けた後、麻溝公園のグリーンタワーから丹沢を眺めたら、冠雪してました。公園のパステルカラーに染まる色合いとのコントラストが綺麗だったので、トリミングしてみました。
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巨木崩壊済(泣)

2019年04月10日 05時27分50秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2019年3月24日訪問。大國魂神社さんの参道のケヤキ並木から徒歩数分のところで矢島稲荷の大ケヤキを発見した。そもそも探してるのが巨木なだけに、行けば見つかるだろうと思ってたのに、ムズかった!理由は画像をみていただければ納得いただけるかと思う。そもそもこの木は巨木の本に載ってて、掲載画像は狛狐と鳥居の背後に画面一杯に見える幹が凄くて見たい!と思ったのだ。けども、場所が判然としない。理由は行ってみたわかった。稲荷と名前はついてるものの、これ、個人の屋敷稲荷じゃないかな?んで、現状既に稲荷神社の程をなしていない。赤い鳥居はあるけども、その奥のお社に神様はもういない。そんな感じです。稲荷に敷地はコンクリート塀で囲まれており、コンクリート塀の中はケヤキの大きな切り株と枝と枯葉が積み上がってる。まるでこみ捨て場か薪置き場かといった風情です。あ!違った!風情などと高尚な表現ももったいないや。ま、なんとか目的地にはついたので画像を貼り付けます。
ハイ。最近の巨木巡りでよくある奴。木が皮だけ残し中身がない!
視線を落とすと巨木の気配だけは十分残ってるんだけども。これを見て右側はこれ。
酷い〜。残骸になった巨木も結構見たけどな。フォローするにもましなコメントも出来ん。
あ。少し下がって撮影してみた。現状がわかる?実はコンクリート塀の中で精一杯下がって撮影してる。なんとか木の全景を撮影できないか頑張ってみる。
コンクリート塀の上に携帯を掲げて撮影中。ちなみに画像右側に写る構造物は駐車場の屋根です。
角度的に、根元で3本に分岐した木で、手前の大株が最近枯れたかどうかして、コンクリート塀の中に積み上がってる切り株の下の部分と思われ。
で、奥の真ん中のが皮だけになり中身がなかった部分。
上の画像では分かりにくけど奥の白く写ってる細めの枝がまだ生きてるかもしれない。もしかしたら大ケヤキがまだ生きてるかもしれん部分。どうなんだろか?訪問は3月24日なので、まだ若葉もなかったんだ。
んでもって3枚目の府中の名木百選のプレート発見。
樹高17メートル 幹周り10メートル 1988年8月選定 とありました。
なんと!1988年には幹回り10メートルもあった!!その頃の大ケヤキを見たかった〜〜!!
あ。それでも説明板あるんだ〜!!
矢島稲荷の大ケヤキ 府中市指定文化財市天然記念物 昭和61年5月23日指定
このケヤキは周囲9、55メートル 樹高17メートルあり、東京都では練馬白山神社(練馬区練馬)の大ケヤキに次ぐケヤキの巨樹です。
樹齢800年と推定され、天保6年(1835)、安政6年(1859)そして昭和28年(1953)の三度も火災にあい、腐朽度もかなり進んでいるが、外科手術のため老大樹のわりには健康度は悪くなく、樹勢も旺盛である。 昭和62年1月府中市教育委員会」
ん〜と?昭和62年ということは、西暦1987年でWIKIによりますとNHKの大河が『独眼竜政宗』でアニメ『ビックリマン」の放送が始まり、マッチの『愚か者』がヒットし『中島みゆきのオールナイトニッポン』の放送が終わった年です。
その時代ならば、この大ケヤキの雄姿が見えたのか〜。時の流れに身を任せ私らは次行ってみよう!ってか、市の天然記念物を個人で維持するのは過酷です。予算つけてやれよ。府中市。ま。素人が趣味で巨木巡りしてるだけなので、好き勝手ほざけるんだけどね。あまりにあまりな状況にあれこれいいたくなったんだ〜。あ〜う〜。

さて、gooブログには簡単なアクセス解析というページがありまして、昨日から突然アスセスが増えたページがある。なぜだろ?と思ったら今朝のニュースで渋沢栄一が次の一万円札になる。とやっていた。
私からすると、今ごろ?遅すぎるわ!福沢諭吉よりよっぽどすごい人だったのに。とまず思ったよ。
で、せっかくなので既出の渋沢栄一関連の記事をリンク貼ってみる。
上の記事は東京メトロ南北線王子駅そばの飛鳥山にある施設です。ここはかつて渋沢栄一の住まいがあり、現在は3つの建物で資料館などが公開されてます。辺りは8代将軍吉宗が植えた桜の名所でもあるので、今の時期散策のついでに立ち寄り、渋沢栄一の人となりを知るのもいいかもね。
続きましては、同じく王子の飛鳥山にある渋沢栄一の迎賓館だった建物で、ここも公開されてます。ポイントは、渋沢栄一の銅像がある!ので、渋沢栄一と記念撮影出来ることですね。
確か在りし日の渋沢栄一宅はすごかったけども、東京大空襲で屋敷の大半が焼失。ここは焼け残りです。

そして私の一押しはこの記事。渋沢栄一のお墓がなぜに寛永寺の旧墓域にあるのか?といいますと、渋沢栄一は若い頃徳川15代慶喜の家臣だったのです。日本が幕末で動乱だった頃にはヨーロッパ(パリ万博使節団)に行っており、帰国命令を受けて日本に戻ったらすでに時代は明治。そこで渋沢栄一は主君に会いに静岡へ。そこで慶喜に言われたのです。「自分の道をゆけ」と。ああ、この時渋沢栄一には(私はもう何もできないし、やってはならないのだ)という殿の心の声が届いたのかもしれん。
その後渋沢栄一はヨーロッパで学んだ知識を実践にかかり、やがて明治政府にスカウトされ明治初期に数々の会社を立ち上げまくり日本の基礎を作るのだ。くう〜〜!!歴史好きならぐっときますよね。そんな彼のお墓は、寛永寺の脇から北へ続く桜並木を抜けてすぐあります。
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巨木探訪・大國魂神社境内の樹木

2019年04月09日 06時24分51秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
大國魂神社さんの本殿裏には巨木が多い。トップ画像はガツンとくるのを選んでみた。本殿の裏手の道沿いにある巨木を紹介します。
残念ながら手前に柵があるので、近寄れるけどもどれも木を1周できません。あと、離れて撮影できるだけの空間もとれません。でも大きさは実感できると思うんだ。
上の画像と一つ上の画像は同じ木です。
更に進むと次の巨木がすぐあります。
石垣を乗り越えるように根っこが。
脇に回って撮影するとこんな感じ。ということは、石垣を覆うように広がってる部分は幹でなく根っこかもしれん。
次の巨木は触れた。でもって府中市のプレートがあった。
府中の名木百選:大國魂神社のムクノキ 樹高28メートル 幹周り:5メートル 1988年8月選定
このムクノキがトップ画像の右手前の木です。で、背後に見えるのがこちら。
大國魂神社さんのご神木。ご覧のように幹が折れてます。
初めて大國魂神社さんを参拝した時、まだ巨木には興味がなかった。その時は上の折れた幹は現存してたんだ〜。どうしてちゃんとみておかなかったのか!あとからするから後悔なのね。
ちなみにほぼ90度左へ移動した別角度から撮影。
あ。説明板発見:府中市指定文化財 市天然記念物大國魂神社境内樹木の一部 昭和36年3月15日指定
大國魂神社境内の樹木群の⚪︎⚪︎には、特に大木や巨木が多く、その長い歴史の中にあって、ここを訪れる人々を見守り続けている。
中でも本殿の裏手にある大銀杏は幹の周囲(目通り)8、6メートル、樹高20、3メートルの巨木で、大國魂神社の七不思議の一つに数えられている。また東照宮西裏のケヤキの1本は、幹の周囲5メートル、樹高34、6メートルもあり、境内のケヤキの中でも群を抜く巨木である。」
撮影したら手ぶれした。一部判読不能の場所がある。ごめんなさい。
さて、次だ。ものは矢島稲荷の大ケヤキというのだけども、どこにあるんだろうか?いや、すぐ近くまではいけるんだよ?入り口が事前調べでは探しきれなかったんだ〜。行ってみるしかない!
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大國魂神社の鳥居脇の大ケヤキ

2019年04月08日 05時41分49秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
昨日に続き唯一の国指定天然記念物のケヤキ並木を紹介します。今日紹介するのは起点にある二の鳥居脇にある2本です。
こちらが鳥居に向かって右側
こちらが左側。どちらも大分傷んでいます。
いつものハイライトになるダンナ。これで大きさを察せられますね。
上の画像右奥に、ケヤキ並木が見えてます。並木が続いてないのは、手前に街道が走ってるから。かつては土道だったろうから問題なかったのでしょうが。今は結構ヤバいです。だって上のケヤキの道路側の根元はこんなんですよ?
大ピンチです!道路ぎりぎりにあるので、どないもできず。でもこんな状態では根っこは大丈夫なのかなあ?素人ながら心配〜。
ん?根元の手前にプレートがあった。
府中の名木百選:大國魂神社のケヤキ
私たちに語りかける木と緑。後世に伝えらいふるさとの名木
樹高:7メートル 幹周り:6、8メートル 1988年8月選定
角度を変えて。もう危ない感じ。頑張ってるなあ。
大國魂神社さんにまずは参拝。
訪問は3月24日です。ちょうどしだれサクラが見頃でした。でも目的は本殿裏にある巨木なのだ!ってことで明日は大國魂神社さんの巨木です。
本殿右手にお守りの授かり所があって、そこから本殿裏に行けます。んが!なんか変なポスター見つけた。これ、「相棒」で鑑識だった人だと思うんだけども?インパクトの強いポスターだね。
昨日の神奈川県知事選・県議・相模原市長・市議選の投票結果を確認する。
私が投票した4人は全て当選してた。
わ〜いっ!
しかしですね。投票率は50%を割り込んでました。
なぜだ〜〜!!なぜに投票しない!
考え方を変えてみる。
若い人ってゲーム好きだよね?ならば、選挙をリアルゲームと考えてみる。とすると、投票権はゲーム参加券です。これを持ってないとゲーム参加できません。
で、各々の考えで投票したら、選挙結果はリアルゲームの結果です。と考えると、参加することに意義があるとかいうものよりよっぽど投票しがいがあると思うんだ。なにしろ選挙結果によっては、自分の生活のリアルが変わるかも?です。
まあそんなの不謹慎な考え方だ。と思う人も多いと思うけどね。せっかくの投票権を行使しない人が半分もいて、「民意を問う」だの「国民の総意」だの言っていいのかな?そもそも投票率を上げるべく取り組むのってどこ?誰?とっても気になりましたよ。
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日本で唯一の天然記念物のケヤキ並木

2019年04月07日 05時57分49秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2019年3月24日に京王電鉄1日券で行くしだれ桜と巨木探訪をしました。gooブログのバージョン変更が3月25日にあり、しだれ桜の画像を使いテストをしたので、巨木探訪の画像がまだ掲載出来てない!需要はないかも?ですが、この日の巨木探訪の連載開始です。
うちの最寄駅は小田急線なのでまずは小田急永山駅で京王線に乗り換え。ここで1日券900円を購入。私は日々お薬を飲んでるので、朝一でがっつり歩きたくないので、まずは多磨霊園駅下車で、東郷寺のしだれ桜見物。
9時36分からしばらくしだれ桜を楽しんで、京王高尾駅に移動。
京王線のホームから大光寺さんのしだれ桜と樹齢200年の桜大光寺さんに10時42分→金南寺さんに11時20分→高楽寺さんに11時52分。
京王高尾駅から京王府中駅へ移動。12時39分、ケヤキ並木をそぞろ歩く。
このケヤキ並木が只者ではないのだ。
こんな看板を見つけました!
なんと国指定の天然記念物なのですよ。並木がですよ。
巨樹巡りをしてるとよく出会う源頼義・義家ゆかりのケヤキです。並木のどこかに源義家の像もあります。
さすがに当時のケヤキは残ってない模様ですが、ここに植え続けてるのがすごいよね。時代を感じさせる大きな木もあります。それをピックアップして画像を貼り付けてみる。

 
 
ケヤキ並木は終点に到着。
道路の向こうにあるのは、大國魂神社さんです。明日は上の画像に写ってる2本のケヤキをピックアップして紹介。手前のみちは府中街道です。道路のギリギリのケヤキは頑張ってました!
ちなみに、以前紅葉したこのケヤキ並木を歩いたことがある。記事を検索したら、大國魂神社さんで記事立てしてた。
葉っぱがあると大分印象が違いますね。
ケヤキ並木の説明板がまたあった!
大國魂神社と馬場大門ケヤキ並木:馬場大門ケヤキ並木は大國魂神社の参道であり、江戸時代には並木北端(都立農業高校付近、ケヤキ並木南端から550メートル余り北)に大國魂神社の木製の一の鳥居が建立されていました。現在では昭和26年に寄進された大鳥居(二の鳥居)が境内に建立されています。
ケヤキ並木の起源は源頼義・頼家父子が欧州・安部氏反乱(「前九年の役」と呼ばれ、永承6年(1051年)から康平5年(1062)までの乱)の平定の途中、大國魂神社に戦勝を祈願し、平定後も参拝してケヤキの苗千本を奉植したのが始まりと伝えられています。
現在のケヤキ並木は天正8年(1590)に徳川家康が江戸に入り、慶長年中(1596〜1615)に二筋の馬場を寄進し、両側に土手を築いてその上にケヤキの苗を植えたのが始まりです。その後、寛文7年(1667)に老中久世大和守が府中宿の大火(1646)で焼失した六所宮(大國魂神社)の再興とともにケヤキ並木の補植を行っています。
なお、徳川家康によるけやき並木馬場の寄進は、府中で伝統ある馬市が開かれていたことにもよります。とくに、府中の馬市は戦国時代から江戸時代初期にかけて、関東でも有数の軍馬の供給地であり、馬市は5月3日の「駒くらべ」の日から始まり、9月晦日まで5ヶ月にわたって開催されました。
ケヤキ並木は大正13年、国の2番目の天然記念物に指定されています。。毎年5月の例大祭(くらやみ祭り)では、3日にケヤキ並木で夕方から囃子の競演、競馬式(駒くらべ)が執り行われています。」
また出た!八幡太郎源義家!
WIKIによりますと、諸説あるものの源の義家は1039年生まれとなっています。とすると、前九年の役は1051〜1062年なので、当時義家は12歳から23歳となります!そりゃあ神様仏様にすがりたくもなるよな〜。奥州へ向かう途上、あちこちで神社仏閣に神頼みしたくもなるわ。んで、子供だからお金もないので、気持ちだけでもと木を奉納しまくった!と。時は流れ、現在は日本のあちこちに源義家お手植えの巨木とか挿し木した後代所縁の木が存在してるということか〜。
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