あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

南足柄のユートピア農園のひまわり畑。

2020年11月23日 06時05分07秒 | 箱根・小田原周辺
2020/11/8訪問。
上の画像左奥に、緑の畑が写ってますね。成長中のひまわり畑です。訪問時(11/8)は手前のひまわり畑が満開でしたが、次のひまわりがスタンバイしてます。今頃はこちらが綺麗に咲いてるかも?


咲く時期をずらしてひまわりは植えられてて、隣の畑ではこれから咲くひまわりが育ってました。夏りん蔵という背の低い品種です。画像に人影は入ってるので想像してください。
この後、大雄山線塚原駅を目指したのですが、ずっと下り坂でした。
これは途中、道沿いのみかん畑の様子。なぜにこんなに長い下り坂なんだろうか?と考えて、小田原フラワーセンターへ大雄山線飯田岡駅から徒歩で向かった時、ずっと上り坂だったのを思い出す。そうだ!今回は小田原駅からバスを使ったのでそもそも丘の上だったのだ〜。足の指先が痛い〜〜。ウォーキングシューズは坂道には勝てん!休憩!
結局ひまわり農園から塚原駅までほぼ100%下り坂だった。
大雄山線に乗車。
小田原駅到着。
んで、予定ではこの後小田原城の菊花展を見物にいくつもりでしたが、私がだいぶん疲れた顔をしてたらしくダンナに「無理しちゃいけない」とストップがかかりました。まともにダンナとお出かけしたのって、3月下旬の連休でしだれ桜とか早咲き桜して以来だものな。その後ステイホームになって、足折って、酷暑になって、ようやくお出かけしようかな?と昭和記念公園のコスモス見物をしたんだった。ええ。運動不足です。近所でちまちま公園散歩してたぐらいで体力維持は出来てなかった模様です。ってなことで、去年ならば楽々歩けてた距離なのに、今は無理な模様です。ってなことでおとなしく帰ることにした。小田急相模原駅が最寄りの我が家に到着したのはまだ3時でした。無理はいかんな。
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秋の里山ハイキング

2020年11月22日 05時15分18秒 | 箱根・小田原周辺
2020/11/8。11時37分、御嶽神社さんを出発。杉林が消えた。視界が開けた場所から大山が見えた。え〜と?と、とりあえず道なりに進む。これっていわゆる里山ハイキングです。
突き当たったところで地図と睨めっこ。ダンナが右でも左でも目的地まで40分!とスマフォの道案内を見せてくれる。そうなの?いや、グーグルの地図ってさ、道との明度差がほぼなくてさ。地図を眺めてもよくわからなかったんだよね〜。
ちなみに、突き当たったところにあったのはこれ。
三竹不動尊。向かい側にこれ。
苔むした石碑をよくみたら、明治の年号が刻まれてます。んで、不動尊の前は少しだけ広場になってましてね。
バス停となってました。あれ??御嶽神社さんへのアクセスを探したとき、バスはない!となってたんだけども〜?
あ!
時刻表をご覧ください。
バスは1日3本のみ。しかも全ては学校休校日は運休するのですよ。つまりスクールバスとほぼ同じ。そりゃあ、アクセスは徒歩のみになる訳ですね。さよか〜。
そしてこの時私は大きな間違いを犯した。不動尊の右手の坂道を上がったのですが、正解はおそらく反対側だったと思われ。気づいたのはずいぶん経ってから。
見晴らしは最高。さすがは里山ハイキングです。太平洋が見えるぜ。
実ができてます。おそらく桐の木だと思う。
みかんです。食べごろになってます。
お茶畑。里山には小さなお茶畑が結構ある。ともあれ、いい見晴らしなのでここでお昼ご飯にする。
あの山ってどこが見えてるんだろうな?
あ、あれ?もしやせんでも目的地が見えている。
長泉院のサンベルセコイアの大木(樹高41メートル・幹回り5、4メートル・樹齢100年)。たぶん奥の左のやつ。んで?なぜに目の前に谷があるんだろう?あれ〜〜〜??ヤナ予感。そこへダンナが「この先の交差点を左へ。今の場所から目的地は40分とスマフォが言ってます〜」とか。
な、ななななな何だってェ〜〜〜〜!!
「さっき不動尊で目的地まで40分だったよね?何で?」
「道はたくさんある」的なことを言われたけども、ダンナは高低差を考えてない。いいですか?私はそもそも高低差が嫌いだ。できる限り坂道を登りたくないんだ。一旦降りてまた登る道を歩くくらいならば、間違えた不動尊のところまで引き返して稜線に沿って歩きたい」
つまりですね。心が折れた!もうポッキリと。
「で、現在地はどこ?」とダンナのスマフォを見せてもらったら、なんと、本日4箇所目の訪問地に予定していたユートピア農園まで約300メートルだった。
そうだ!長泉院さんは諦めよう!んで、ユートピア農園でひまわりを見たら大雄山線を目指して小田原城の菊花展を見物に行こうではないか!ってなことで目的地変更です。
お昼ご飯を食べ終えた。道端の藪でバッタ発見。これってツチイナゴ?
あ。大きな紅葉の木だ。もうすぐ見頃だね。
あ!自転車の集団が坂道を登ってきた。いや〜、箱根学園じゃないけども。弱虫ペダルの影響かな?けど目的地はどこなんだろか?この先目ぼしい観光地はないよ?
そんなこんなで12時32分ユートピア農園到着です。満開のひまわり畑です。サプライズ〜。
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いきなり山登りに!

2020年11月20日 05時58分43秒 | 箱根・小田原周辺
2020/11/8小田原の丘陵へざる菊見物に出かけた。地図では鈴木さんちのざる菊・総世寺さんのざる菊から2キロ少し離れた場所に御嶽神社さんが所在している。御嶽神社さんには鳥居杉という2本の巨木があるのだ。幸い丘陵にはバスで上がってるのだから、ちょっと足を伸ばして寄ってみよう!などと思ったのですが。すぐに様子がおかしいことに気づく。どんどん登りなのだ。ちなみにトップ画像ですが、奥の白い空にしか見えない部分の下半分は海です。太平洋です。
気軽な里山のぼりかな?と思った道は両側が杉林になった!!
あれっ!?

この道であってる?
疑ってるとダンナがスマフォで検索してくれた。
「合ってる。道なりに進めば着く」
そ、そうか。あってるのか??一安心して山道を登る。
つ、辛い。気分が悪くなる。日々飲んでるお薬のせいで、午前中に無理をするとゲロッパ!ええ、吐いてしまいました。やや、ヤバそうと思ってすぐ吐きどめ防止でドンベリドン錠を飲みましたが。ドンベリドン錠でも山道には敗退するのね。
吐いてすっきりしたので、こんなこともあろうかと!用心してウエストポーチにはドンペリドン錠のおかわりを入れてある。全部吐いて出たのでおかわりでまた飲む。ドンペリドン錠は速攻で効く。飲んで30分後に最大に効果が出るお薬なのだ。
逃避がてら登りの山道に咲く野草を撮影。

途中で尾根道。両側の杉林が斜面となる。
あ。前からトレイルランの人が走り降りてきた。ええ〜〜!!!この坂道を走り降りれるの?膝大丈夫なのか!?若いって素敵だね。
やがて二股道。ダンナが直進という。
進むと?日があたる、杉を一部切り出した場所だ。山道に日が辺り、山野草がたくさん咲いていた。その隙間から見える里山が視線のずいぶん下なのは見えないふり。

見たことない!後で検索しよう。
検索しました。(2020/11/28追加)
キバナアキギリ(黄花秋桐):シソ科アキギリ属に分類される多年生。別名コトジソウ。花期は8−10月。本州から九州の山の木陰に生える。
ちなみに普通のアキギリは赤紫色の花となる。
おおっ!野生のサラシナショウマだっ!
サラシナショウマ(更科升麻):キンポウゲ科サラシナショウマ属の多年草。山地に生えており、夏から秋にかけて白い小花を穂のようにつける。
和名のサラシナショウマは、若芽を茹でて、水にさらして山菜として食したことに由来する。
紫??な、何かしら〜??
一応調べたけど確証がない。2020/11/28
ツルフジバカマ:マメ科。山野の草原や道端などに生えるつる性の草。夏から秋(花期:8−10月)にかけて咲く。
で、何に引っかかってるかというと、「花は濃い紅紫色」。というところです。だって紫色なんだもの。

機嫌よく撮影してると。
「ストップ!ちょっと待って!!」
ダンナの不吉なつぶやきが。
道が違う。どんどん離れてる」
な、ななななな何だってえ〜〜!!!
はい、原因は二股の道です。和留沢林道という道を進んでたのです。直線って一体。
戻った!体感で500メートルは戻った。で。二股から先の正しい道は下りだった。
少し降りたところで、さっき間違えた和留沢林道が見えた。すんごい降ってる!
やがてまた二股道が現れる。どっちの道が正しいか?と思案してたら、前方より二人乗りのバイクがやってきた。マジで??彼氏、彼女をここに連れてきて大丈夫なのか?夜には振られてるんじゃないの?
その間にダンナがスマフォ検索して正しい道を教えてくれた。まさかの足元がコケだらけの人なんかしばらく通ってなさそうな道の方だった。
石を抱えた木を見つけた。
滑るので視線が足元に向きがち。そこへ視線の隅にひらっとかすめる姿。
何?と見回したらまさかのアサギマダラ様でした。この時期、山道を散策してると出会う。え〜と?アサギマダラに前回出会ったのは、湯河原の山道ハイキングしてたとき。その前は高尾の多摩森林科学園のサクラ保存林でした。食草のキジョランが座間市の谷戸山公園にもあったので、そのうちあそこでも出会えるかもしれないね。や!今は目の前のアサギマダラ様です。ヒラヒラと飛びます。携帯で追いかけたけど、山道は薄暗く、ピンボケ画像になってしまった〜。アサギマダラ様の撮影にはまだ成功していない。
そういや、今人気の「鬼滅の刃」のアニメのオープニングにもアサギマダラが描かれてたね。アニメに描かれるのってアゲハが多いのに。アサギマダラチョイス?と思って、あ。アサギマダラには毒があるからな。と思ったのを思い出した。
大きな切り株が並んでる。実は画像には写ってないけど、切り株の向こうの斜面にも切り株が並んでる。使わないのかな?問題があった木なの?大きいよ?目測で直径50センチ以上80センチ未満ほど。そして道はずっと降ってる。
杉林が途切れたら紅葉があった。
大きな木もあった。説明板発見
カゴノキ:南足柄の古木・名木・ゆかりの木<クスノキ科>
上の画像、道の右側の大きな木がカゴノキです。そして上の画像に写ってる道が今降りてきた道。ずっと下り坂だったんだよね。で、私の背後にあるのがこの木。
ようやく目的地の御嶽神社さんの鳥居杉に着いた。時刻はまさかの11時19分です。マジで!!確か登る前にブドウみたいなツチゴボウを撮影したのは9時54分だったのに!?まさかの2キロ少しの道を途中間違えてしまったとはいえ90分近くもかかってました。近いハズだったのに〜〜〜!!(魂の叫び)地図だけでは高低差がわからない。

え〜皆さん、パソコンは壊れてませんか?
この夏の猛暑、クーラーの効いた室内で使ってたのにもかかわらず私のパソコンは調子がとても悪い。サクサクいかない。夏の終わりになると作成中のブログ記事が凍りつき消えてしまうなどというのはしょっちゅうでした。そんな状態なので、大船フラワーセンターや小田原里山散歩の記事は文章を簡単にせざるを得ず。もうね。gooブログを閲覧して「いいね」ボタンを押そうとしても反応しないという〜〜〜。
そんな状態でもダンナの週一日のリモートワークは続いてます。パソコンに向き合う仕事。ダンナは使い勝手のいいように、家中のあれこれを触って設定を変更してます。それは現在進行形で続いてまして。んで。どうも私のパソコンのあれこれの状態をダンナが意図せずに変更しちゃってました!ある日、遂に「ネットに繋がれません」のメッセージが出まして、ダンナに何かした?とたずねてチェックしてもらったらば、どうにもダメなことをしてしまったのが発覚。
「リモートやるといろいろあるなあ」と言いつつも再度あれこれ設定を変更したらずいぶん改善しました。今日の長い文章を入力しても動くようになりました。ってな事で、すでに投稿済みの記事のうち、そっけない文章のがあればそれはパコソンが動かなった時期に作成したものです。ご了承ください。投稿後にあまりにひどい箇所は訂正や修正しますので。
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総世寺さんのざる菊

2020年11月19日 06時21分54秒 | 箱根・小田原周辺
2020/11/8参拝。鈴木さんちのざる菊を見物後、隣接すり総世寺さんに寄る。ここには神奈川の名木100選に選ばれたカヤの木があるのだ。
と?思いがけず境内にはざる菊がたくさん並んでいた。

ざる菊の鉢の間に落ちてる実。拾ってみた。
前回訪問は梅見の季節。その時の記事をリンク貼り付けします。
神奈川の名木100選の碑:総世寺のカヤ
樹高:23メートル。 胸高周囲:5、3メートル。樹齢:約250年(推定)小田原市の天然記念物に指定。
検索検索:カヤの実は食用となる。そのままではヤニ臭くアクが強いので数日間アク抜きしたのちに煎るか、クルミのように土に埋め、果肉を腐らせて取り除いてから蒸して食べる。

ちなみに、総世寺さんの前にもバス停あります。この辺りは坂道になっていて、鈴木さんちのざる菊の方が坂上になります。
眺めつつ坂道を登る。
実は、地図を眺めてたら、すぐ近くに巨木のある御嶽神社さんがあったのだ。大雄山線から長い坂を登って小田原フワラーセンターと総世寺さんを訪問した。今、坂上にいるのだからこの際御嶽神社さんを参拝して巨木が見たいっ!
ところが、地図では全くわからなかったのですが、そこにはすんごい高低差が待ってたのですよ。(続く)
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鈴木さんちのざる菊

2020年11月18日 05時41分11秒 | 箱根・小田原周辺
2020/11/8訪問。ここは春梅見物に行った小田原フラワーセンターの近くにある。ということは、大雄山線の飯田岡駅からまた坂を登るコース?それは嫌だ〜。ってな事で、小田原駅東口発のバスを利用することにした。
小田原駅東口2番バス停発 諏訪の公園行き9時→ざる菊前9時25分着。(運賃370円)
そう目的地の鈴木さん宅前がバス停なのです。

入園料は200円也。
上の画像をよく見ると、11月8日頃には満開です。とある。その日に訪問出来てとても嬉しい。


これ見たかった!
実は初訪問です。鈴木さんのお庭とおそらくかつては畑だったと推察される場所をきく畑にしています。





訪問はバス利用を推奨されてますが、バスは1時間に1本しかありません。となると車ですよね?隣接の総世寺さんに臨時駐車場が設置されてます。家の前の道が狭いので、路上駐車はしないように。との注意書きがありました。
コメント (2)
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勝福寺と仁王門

2020年03月02日 05時15分13秒 | 箱根・小田原周辺
2020年2月15日訪問。
バス停は目的地の勝福寺の仁王門側だった。訪問目的はトップ画像中央奥に写ってるイチョウの巨木ですが、門前の仁王門が素敵です。
説明板発見:勝福寺の仁王門 小田原市指定重要文化財(昭和63年11月1日指定)
飯泉山勝福寺は、真言宗東寺派に属し、通称飯泉観音と呼ばれ、坂東三十三観音の第5番札所として有名です。本堂や本尊の十一面観音は、県の重要文化財に指定されるなど、由緒ある寺院です。
仁王門は、『飯泉誌』によると宝暦8年(1758)に造営されたもので、全体に木割が太く、二重虹梁蟇股式の妻架構が堂々とした外観を構成しています。また、八脚門としては県下でも最大級で、格調の高い門です。
この仁王門も老朽化のため、昭和34年から38年までにかけ解体修理され、屋根も、茅葺から銅板葺に改変されましたが、それ以外は貫などに新材で補修した箇所があるものの、原形をよく留めています。 小田原市教育委員会」

仁王門に色がよく残ってる。もしかしたら色も昭和30年代の補修の時のものかもしれませんが、雰囲気が伝わるわあ。

 
門の左右に収まる仁王像。
あれ?あの像は??
弘法大師像だった。真言宗のお寺さんだから弘法大師像があるのは当たり前だけど、小田原市のお寺にあるのは珍しいかも?と。
ではいよいよ境内へ。ど〜んと飛び込んでくる巨木。
説明板発見:飯泉山勝福寺(通称 飯泉観音)
飯泉山勝福寺は、真言宗東寺派に属し、十一面観音を本尊とする。
創立は奈良時代の頃で、弓削道鏡が流されて下野に赴くとき、千代の里に寺を建立し、孝謙天皇より賜った唐国殿ランの観音さまを安置したのに始まると伝えられている(千葉山弓削寺)
後に寺が焼けて当地に移され、飯泉山勝福寺と称した。阪東33観音の5番札所としても有名で、国府津の親木橋から当寺までの道路は巡礼街道と呼ばれている。
棟札によれば、現在の本堂は宝永3年(1706)に再建されたもので、江戸初期頃の古式をとどめた地方色豊かな建物である。
本寺にまつわる伝承として、曽我兄弟が仇討ち祈願のために日参し、五郎が百人力、十郎が十人力を授かり富士の裾野で仇討ちに成功したことや、講談で有名な雷電為右衛門が田舎相撲の大岩大五郎を倒したことがある。また、二宮尊徳が少年時代の頃、旅僧から観音経を開き、一念発起した地であると言われています。
飯山観音の縁日は、1月18日が初観音。8月9日・10日が四万八千日。12月17日・18日がだるま市で、いずれも市が立ち、多くの人で賑わう。
説明板発見:勝福寺の青銅水鉢 小田原市指定重要文化財 昭和39年5月27日指定
この水鉢は、青銅製で竜頭船の形をしています。船尾に十一面観音菩薩の坐像が一体あり、水鉢の全体に多数の銘文が刻まれています。
銘文によれが、作者は江戸神田の鋳物師小沼播磨守藤原正永とあり江戸時代の宝永元年(1704)7月と記してあります。
この水鉢は、水鉢として形などが珍しく、その造りも優れています。
全長:270センチ 幅:55センチ 高さ:82センチ 小田原市教育委員会」
説明板発見:勝福寺の銅鐘 小田原市指定重要文化財 昭和39年5月27日指定
この銅鐘は、青銅製の和鐘で銘文により、江戸時代初期の寛永6年(1629)に地元小田原の鋳物師である青木源右衛門が作ったことがわかります。
また、この銅鐘の奉納者
は、江戸の侍である佐須弥左衛門尉政重と記されています。
小田原の鋳物業は、戦国時代に北条氏から庇護を受け、関東鋳物業の中心でありました。
江戸時代になってからも鋳物は栄え、山田、長谷川、青木の諸家から名工が生まれ小田原の梵鐘として広く知られてきました。
この鐘もその一つであり、市内に残る数少ない銅鐘の内でも、優れたものであります。
総高:139センチ 鐘身高:100センチ 口径:74センチ 竜頭高:28センチ 小田原市教育委員会」

祈願かな?二宮尊徳像がありました。二宮尊徳の生家は、飯泉観音のすぐ近くにあります。
参拝。お賽銭は正面階段下の賽銭箱に投入したのですが、本殿上がったところでも参拝できそうだったので上がってみた。けどご覧のように戸があって、奥の観音さまは見えなかったんだ。だいぶん残念だ。
さて、せっかくお寺さんと八幡さまが境目なしに同じ境内にあるという古い形が残る場所なので見物しよう。
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恩賜箱根公園後編2019/8/3現在

2019年08月25日 05時38分44秒 | 箱根・小田原周辺
元箱根にある恩賜箱根公園の続きです。湖畔展望館でお昼ご飯を食べて散策再開。弁天の鼻展望台へ。トップ画像は休憩所前の園路のそばのギボウシを撮影してみた。天候が良ければ背後の駒ケ岳がくっきり見えてたハズ。
ちなみに、ここから見た芦ノ湖。本当ならば中央にドーンと富士山が見えてたハズ。またこれが5月ならば、手前はピンクのつつじが咲いてました。なぜわかるか?といえば、パンフレットの表紙がつつじの季節にここから富士山を撮影したものなのだ。来年にでも上の右奥の白い建物の山のホテルのつつじとここ、恩賜公園のつつじをセットで見物にきたいなあ。
恩賜公園は半島状になっていて、湖畔展望館が頂上辺り。園路には高低差があります。樹齢のある木の幹はびっしりコケ類が張り付いてます。
木の根元もコケに覆われています。さすがパンフレットに147種のコケがあると書かれてるだけはある。素敵です。箱根には大勢外国人観光客が訪れてるとか。日本のコケも見て欲しいなあ。こんなに立派なコケがある公園ってそうそうないし。なにしろ箱根恩賜公園は入園料無料なんですよ。
弁天の鼻展望台から湖畔展望館を遠望。芦ノ湖側は湖越しの富士山を楽しめるのですが、訪問日は外輪山には低い雲がかかってて、富士山が見えない。あ〜〜!!残念すぎる〜。
さて次は私が楽しみにしてたヒメシャラ林です。足元にいい感じでコケの絨毯が広がってます。コケは損傷したら回復にとても長い時間がかかるので、なるべく傷めないように石畳の散策路を選んで歩きます。とはいえ、石畳にもコケが張り付いてるのですが。
あ!あれはまさか!!
キノコ〜〜!!梅雨明け以来雨が全く降ってないので、もうキノコは残ってないと思ってたのですが、さすがに雨や霧の多い箱根です。まだキノコが残ってました。
え〜と?図鑑によりますと、ベニヤマタケヌメリガサ科。食べられるきのこ。
⚫︎生態:春〜秋、広葉樹林内、高原の草地、笹原などに群生。⚫︎形態:傘は2〜5センチ、円錐型で表面に粘性はなく、血紅色のちに黄赤色となる。肉は黄赤色か淡赤色。ひだはあらく黄橙色で柄に直生〜上生。縁に近い部分は黄色をおびる。柄は3〜5×0、2〜0.5センチ。中空。上方はかさと同色。下方は淡色。」
見た時はもっと濃いオレンジでしたが、傘に太陽が辺り反射して白っぽくなってしまった〜。良く画像を見ると、奥にもぽつぽつ同じキノコが出てるのがわかるかと。
あ。日陰にはまだ額あじさいが残ってる。
ここは公園内のほとんど芦ノ湖が望める場所で、おそらく霧にもよく晒される場所なのでしょう。木の表面には様々なコケやシダが張り付いてます。面白かったので接写したのですが、私のガラパゴス携帯では無理でした〜。ピンボケに。
ちなみに、園路の柵もこの有様。木にびっしりコケやシダが張り付いてて手すりの機能はすでにない。
園内には8月の野花も楽しめる。シモツケ。
ヤマユリ。丁度見ごろの季節のようで、園内のあちこちにヤマユリが咲いてます。
さて時刻は12時50分を回りました。次へ行かないと!
ああ!追いかけろ〜〜!!またまたです。金属っぽい尻尾が素敵〜。箱根にはこいつが多いのか、恩賜公園の駐車場の側溝で1回。杉並木で1回。箱根神社の参道で1回。3度も見かけてしまいました。これさ、ヤモリ?イモリ?トカゲ?正体を調べないと〜!(わくわくらく)
調べたら、ニホントカゲというメジャーなトカゲの幼体だった。金属質のしっぽなのが幼体の印なんだって。
ちなみに、撮影してないけど、駐車場脇のトイレのそばには、先日藤沢のえびねやまゆり園で見たウバユリの群落がありました。場所が悪くてど〜撮影しても絵にならなかったのは残念だ。
さてと?杉並木の入り口はどこだろか?
ちなみに、箱根観光の移動目安はこんな感じです。観光計画の参考にしてください。
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神奈川県立恩賜箱根公園前編2019/8/3現在

2019年08月24日 06時04分07秒 | 箱根・小田原周辺
大磯のアオバト→箱根関所→恩賜公園11時42分到着。予定よりほぼ1時間遅れ。ヤバい。
さて、パンフレットによりますと、「恩賜箱根公園は、明治時代に築造された「箱根離宮」の跡地を1945年(昭和20)に神奈川県へ下賜され、公園として一般公開されたものです。箱根離宮当時の地形、施設の痕地を生かした公園整備が評価され、近代造園文化の発展に寄与した名勝地として、2013年(平成25)に国登録記念物に登録されました」とある。立地は周囲を芦ノ湖に囲まれた小さな半島みたいです。国道1号線の東側だけ陸地とつながってます。つまり、まずは登らねばならん。がんばりましょう。
ちなみに、トップ画像は駐車場脇にあった唱歌箱根八里の歌詞が書かれた石碑です。誰もが小学校の時に習ってるハズなので知ってるこの歌。まさかの滝廉太郎作だったのですね。へえ〜。
先週Eテレの『らららクラシック』が滝廉太郎回でした。荒城の月とか春のうららの〜とか、今でも歌われる作曲家ですが、まさかの23歳で結核で死去してました。そこからwikiで調べたら、残ってた作品も、結核患者のものだからとほぼ焼却されてしまったとか。残念です。
見取り図です。地図のオレンジのルートのみスロープになってます。他のルートには階段があります。
せっかくなので中央門を行きましょう。登り途中、園路の脇にヤマユリが咲いていて、爽やかな芳香が漂ってました。嬉しい。クソ暑いのでご褒美があると頑張れるわ〜。
ふおっ!!なんか、すごい木がある。え〜と?1884年に宮内庁が造営開始したので、既に135年経ってます。その頃から園路の両脇にあったとしたら、それなりの樹齢ってことですね。巨樹・巨木探訪がマイブームな今、楽しめそう〜。だって園路の脇に並んでるんだもの。
ほらあ。来園者も構図に取り込んで撮影したので、両脇の木の大きさもお察しできるかと?
何の木だろう?説明板を探すがなかった。少ない説明板は全部コケの紹介でした。
いただいたパンフレットによりますと「美しいコケたち:雨や霧の多い箱根はコケも魅力の一つ。園内には147種に及ぶコケが確認されており、石積みや園路わき、木立の中など様々な場所に美しいコケの世界が広がっています」
へえ〜そうなんだ。いつだったかテレビで英国ガーデニングショーをやっていて、「モスマン(苔男)」と呼ばれる日本人のガーデナーが、自在にコケを操り庭を作ってて、英国人が絶賛してました。どうもコケって東洋的みたいです。それが箱根公園には147種も観察出来るのか?びっくり〜。
湖畔展望館に到着。パンフレットによりますと、「箱根離宮の西洋館をモチーフとした、白御影石張りの二階建ての洋館です。館内には休憩室や、箱根離宮の資料を集めた展示室があります。二階のバルコニーぁらじゃ、かつての箱根離宮さながらの眺めが楽しめます。」
ということは、この建物は宮内庁が作った離宮じゃない?なんで??
ともかく入ってみるか。
ヤマユリがあった。入館すると右手に資料館。
かつて、宮内庁が建てた離宮の地図があった。なるほど、今の建物より随分大きいし数も違う。
写真もあった。奥の洋館は今の建物に近いけど、手前はどちらかといえば和風。
wikiによりますと、1923年の関東大震災・1930年の北伊豆地震により箱根離宮倒壊。とある。この時に離宮だった建物は失われたのですね。残念だなあ。
ちなみに、1階左側は観光パンフレットが並べてあり、スタンプも2個置いてありました。ブログカテゴリーに『スタンプ』を設置してある通り、スタンプを見つけたら必ず押印してます。そのためにスタンプ帳も常にウエストポーチに入れてある。もちろん押印したのですが〜、お願いだからインクは補充しておいてくれよ〜。か〜な〜し〜い〜。真のスタンプ愛好家ならば、こういう時のためにスタンプ台を持ち歩いているとか?荷物を極力減らしたい軟弱な私には無理だけどな。
2階へ。二階は休憩所と茶店がある。ここでお昼ごはんです。
2階よりの眺望。残念ながら天気がイマイチで芦ノ湖越しの富士山は見えなかったよ。
ダンナがトイレに行ったので、戻ってくるのを待つ。茶店には外国人たちがお茶する姿があった。
階段の踊り場のステンドグラス。モチーフになっているのは何の花だろうか?ひめしゃらかな?
1階正面芝生広場。そこに不自然な石が点々とある。これさ、もしかしたらかつての離宮の建物の礎石なのかも?想像ですが。
園路を北へ。弁天の鼻展望台に向かう。途中で素敵なコケ達も見かけたけども、それは明日紹介するとして、展望台から湖畔展望館を遠望する。
手前に見える木は、しだれサクラとかつつじとか。四季折々楽しめるようです。どれも木が大きいからね。離宮時代からの木も多くある模様。(続く)
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曽我の里史跡めぐり

2017年02月15日 13時21分56秒 | 箱根・小田原周辺
2.12の梅散歩の続きです。昼食を二宮尊徳遺髪塚で済ませお散歩再開。

道々石仏や道祖神が点在してる。上の画像は唯念行者の名号碑ほか石造物群
唯念(1789−1880)は相模・伊豆・駿河にかけて各地に念仏講を組織し、阿弥陀如来の名号を唱える事の功徳を説いて、多数の信者を指導しました。上の画像には唯念行者の特徴ある筆で、「南無阿弥陀仏」と大書し、このように阿弥陀如来の名号を彫るので、名号碑または念仏塔といいます。(ふるさと探訪『曽我の郷めぐり』より)
県道72号線を松田方面へ。
道々梅干し屋さんが点在してた。梅を使って作る商品が並んでいたので、小型瓶の梅酒を購入。これでお土産は大丈夫。

梅干屋さんのそばに東光院さんがあった。入口にいわれありそうな木札があったのでよって見た。
見所は石幢(せきとう)型六地蔵と徳本(とくほん)の名号碑なのですが、画像を撮りそびりました。上の画像の左手前に並ぶのが肝心の六地蔵なのですが。
石幢型六地蔵は、笠付き六角柱の各面に地蔵立像を浮き彫りにし、文化2年(1805)の銘があります。もとは大山道沿いに祀られていました。
また、山門を入って左手には木造の小祠があり、中に延命地蔵と呼ばれる石造地蔵菩薩立像が祀られています。(ふるさと探訪『曽我の郷めぐり』より)
県道72号線から曽我丘陵の細道へ。なんとなく緩い上り坂を上ってると、空き地に出た。

一見どうという事のない荒れ地ですが、脇にはこんなものが出てた。

太宰治『斜陽』ゆかりの地雄山荘跡。
雄山荘は、太宰治の小説『斜陽』の舞台となった所で、その中には、この建物の内部や周辺の環境が詳しくかかれています。太宰は当時、太田静子の住むこの家に滞在し、静子から自分との関係を書いた日記を借りて「斜陽」を完成させました。(ふるさと探訪『曽我の郷めぐり』より)
数年前火災で焼失。今は空っぽの荒れ地があるのみ。しかし雄山荘のあった場所から数メートルゆくと、富士山と遠く小田原まで見える見晴らしのいい場所でした。そこから更に少し進むと、城前寺さんがあります。

城前寺さんは曽我氏ゆかりの寺です。稲荷山祐信院城前寺と称し、浄土宗芝増上寺の末寺でありました。寺には曽我兄弟及び虎御前の木造の他、兄弟ゆかりといわれる品があります。

本堂裏手の曽我兄弟(左の二基)父母の祐信・満江(右の二基)の供養塔(五輪塔)は、昭和5年(1930)にこの地に新たに作られたものです。江戸時代以降、江戸歌舞伎を中心に曽我ものが隆盛をきわめるとともに、「曽我氏ゆかりの寺」として城前寺がクローズアップされ、以来曽我兄弟にまつわる事柄の多くが、この寺に結びつけられてきたようです。(ふるさと探訪『曽我の郷めぐり』より)
併せて説明板発見:城前寺(浄土宗稲荷山祐信院)
「曽我兄弟の菩提寺で兄弟の育った曽我城の大手前にあるのでこの名がある。
建久4年(1193)富士の裾野で兄弟が父の仇、工藤祐経を討った後、叔父の宇佐見禅師は、その遺骨を携えこの地に来て庵を結び、兄弟の菩提を弔ったのがこの寺の始まりと伝えられる。
なを、この討ち入りの時、兄弟は暗夜であったため傘を燃やして松明としたので、仇討ちの日に当たる5月28日には、この古寺にならい境内で傘を焼いて兄弟の霊を慰める傘焼きまつりが行われるが類例の少ない祭りであるので有名である。
境内には、十郎・五郎・父祐信・母満江戸御前の供養墓や十郎が大磯の虎御前をしのび腰を掛け、笛を鳴らした忍石、坪内逍遥筆で歌舞伎俳優連中寄付の兄弟の記念碑のほか各種るかりの品がある。
なを、4人の墓の建つ墳丘は、曽我城の土塁跡である。」
曽我の郷めぐりの途中には、別所梅林近くの法蓮寺さんで満江御前の墓を。曽我丘陵の高い所に父祐信の宝篋印塔があります。
城前寺さんの近くの道端で見つけたのは沓石でした。

胸の高さくらいの場所にあり、気付きにくいので注意。
曽我五郎時致(ときむね)が病が癒えた後、自分の力を試そうとして踏んだ時に出来た足跡と言われています。(ふるさと探訪『曽我の郷めぐり』より)
併せて説明板発見:五郎の沓石
「この石は、「五郎の沓石」と呼ばれ、あるとき曽我五郎(曽我物語で有名な曽我兄弟の弟)が足を患ったが、治癒した際、自分の体力が衰えてないかと心配になり、試しにこの石の上で踏ん張ったところ、石が足形に窪んでしまったといわれ、その足形が石の真ん中辺りに残っています。
この沓石には、以前は、足を病んだ人達が祈願して治ったお礼にm草履や草鞋などのお供え物が耐えなかったと言われています」
沓石のそばにはこんな道路標識がありました。あんまり見かけない標識だよね。

大光院さんは、諸法山実相寺と称し、文明18年(1486)の起立と伝えています。本尊は木彫り不動尊。堂前には明治32年(1899)の「神変大菩薩」に石塔があります。神変大菩薩とは役行者のことで、本来は山岳修験の系譜につらなる寺でしたが、明治初頭に天台宗園城寺派に変わりました。(ふるさと探訪『曽我のさとめぐり」より)
細い道を進んでると、青島みかん取扱い業者さんがあった!近所の八百屋でよくみる青島みかんってこの辺りの名産か〜。
徒歩数分。宗我神社さんに到着。

宗我神社は辺り六村の総鎮守です。江戸時代には小沢明神の名で尊崇され、明治に入って六ケ村それぞれの鎮守をこの社に合祀し、新たに宗我神社となりました。現在の社殿は関東大震災後に復興したものです。(ふるさと探訪『曽我の郷めぐり』より)

大鳥居の横の大木の寄生木を見上げる。実はこの下に尾崎一雄文学碑があったんだけど時計を見てて見そびった。
ボチボチ下曽我駅発の時刻が気になるんです。なにしろJR御殿場線は1時間に1本程度しか運行がない。今が12時58分だから1時13分はもう無理。14時8分発を目指そう!

宗我神社さんを過ぎたら急な下り坂が出現した。あれ?こんな所にこんな急坂があったっけ?実は私はこれで4回目の曽我の郷めぐりなのですが、今回は富士山見ながら散歩したくて逆回りなので、かつて歩いた道とはいえ所々忘れてます。でもまあ白梅畑を眺めつつだらだら歩くのは楽しいから問題なし!

曽我岸の地蔵尊
旧曽我岸村には古くから村持ちの地蔵堂(もと背後の公民館の位置)があり、その本尊は石地蔵であったことからが延宝元年(1673)の村鑑に記されています。
旧来の例祭は1月23日と8月23日、これに春秋の彼岸を加えて年4回の供養が催された。毎年二戸一組の「お地蔵さんの番」が村内の米を集め、紅白のにぎり飯と煮しめを用意し、午後には堂内で村人が念仏をあげたという。明治25年の回向帳には松田町神山、中村藤沢、古怒田、風祭等40ケ村あまりの記名があり、信者は足柄平野一帯に及んでいた。
村の中心にあった地蔵堂は、村のあらゆる行事の無体であり、集会場でもあった。戦時中は一時、横浜元町国民学校の疎開児童の宿舎にもなった。昭和44年(1969)4月、曽我岸公民館として建替えられ、旧地蔵堂の地蔵菩薩・閻魔王像ほか諸仏は館内に安置されています。(ふるさと探訪『曽我の郷めぐり』&説明板より)
おっしゃ!後は瑞雲寺さんと中河原梅林だけだ!…時間あまるかも?
ここから瑞雲寺さんはちと離れてるんだけども?午後に入り雲が出て来て、富士山に雲がかかってきてて不吉だ。中河原の梅林で白梅と青空と富士山の画像がゲット出来るかどうか微妙になってきた。

ぼやいてたら瑞雲寺さんが見えてきた。瑞雲寺さんには石仏がたくさんあるのでお好きな人は要チェックです。

龍球山瑞雲寺は曹洞宗の寺で、寺伝では明応元年(1492)の創立ということです。寺号は小田原北条氏家臣の本多豊前守信親(法名瑞雲院龍球宗洞)に由るので、この頃中興したものでしょう。山内には石造物が多くあります。(ふるさと探訪『曽我の郷めぐり』より)
境内では売店が出てます。本堂では展示があったような?

いや、梅林メインで散策したので見てない!

上の画像では分かりにくいのですが、画像中央にある石碑は曽我自修発祥の地です。明治時代、小学校の制度は全国的に普及したものの、それより上級の進学は不可能に近い状況でした。瑞雲寺21代和尚は、この不備を救うための寺の本堂でこの地域の成年を教導し、明治43年(1910)ここで校舎の建設に着工しました。自修学校と称し、落成は、大正2年(1913)2月でした。
一応歴史ポイントを抑えたら、楽しみにしてたしだれ梅チェック!!

見頃!いや〜〜、2012年の訪問では見頃過ぎてて残念だったので、今回こそ!と気合いいれて来てよかった〜〜。
説明板発見:瑞雲寺
曽我梅林の中にある寺として知られるこの寺は、龍珠山瑞雲寺と号し、曹洞宗で津久井の太井山功雲寺の末寺であり、相州黒岩城主本多豊前守が、日頃帰依していた功雲寺の5世仁忠継儀和尚を招請して、明応元年(1492)に建立した名刹である。
創建当初は、現在地より東方200メートルの丘上に建立されたと伝えるが、江戸時代の後期に現在地に移されたと言う。
寺には18世紀観源大器和尚の「へえずり石」や、縁結びと子宝を授かると伝える「洗心池とめん玉弁天」があり、また曽我兄弟が父の仇を討つために願文を納めて、「十人力」を授けられたという「力不動尊」が安置されている。
この不動尊は大山不動尊の前不動で、曽我剣沢の地にあったものを江戸時代後期に当寺家に移されたものである。
なお寺内入口左側の梅林は、21世住職によって開設された当時足柄平野唯一の私学「自修学校校舎」の跡地である。
同校は明治43年7月に開設され、大正15年8月、校舎拡張のため東方丘上に移転。のち湘北中学校、湘北高校、向上高校と校名を変更した。」
瑞雲寺さんから県道72号線へ向う。道を渡ると中河原梅林に到着です。
あれ??白梅が咲いてない!新松田からバスで来た時は、中河原梅林バス停のここで下車したんだよね。あの時あった祭り会場がなくなってる??あれ?

ここから富士山方向に少し下ってるから構図はバッチリなのですが、肝心の咲き具合が今一。いや、今二つ〜〜。

ここで撮影時間15分と見積もっていたのに、早々と撤収することに。もうね。こっから先は駅に戻るしかないので、県道72号線を国府津方面にとぼとぼと…。

んでもってここが最後の撮影ポイント!しばらく富士山のてっぺんの雲が取れないか?粘ったけど諦めた!撤収〜。ってな訳で、13時45分には下曽我駅に到着しちゃった!帰りの切符を券売機で〜〜〜〜〜っ!!!
券売機が100円玉を受け付けない!窓口にカーテンがかかってて、駅員さんがいない!マジで!!梅まつり開催中なんですけど〜!!
券売機の前でうろたえてたら、私の後ろに続々切符を求める乗客が並び出した!ピンチです。
辺りを見回して「55分から取扱い再開」という張り紙を発見しました!
さすが1時間に1本のJR御殿場線です。ダンナいわく「四国の田舎の昭和の頃の駅みたいだね」だって。あの頃はのんびりしてたよな〜。今じゃ田舎の最寄駅は味気ない無人駅になっちゃったけどさ。
13時55分、ようやく券売機の硬貨投入口に100円玉が通るようになりました!こういう仕掛けがあったのね。そして14時8分発下曽我駅発に無事乗車。ちなみに、下曽我駅〜国府津経由〜小田原行き片道200円。下曽我駅〜松田駅片道200円なので、1時間に1本のJR御殿場線ですが、上り下りどっちでも乗車出来ます。最悪下曽我駅から路線バスに乗るという手もあるんで、公共交通は不便だけど車で来て駐車場探すより気楽だと思いました。

ちなみに、こちらが自分土産の梅ジャムとダンナ土産の清酒で作った曽我梅林の梅を使った梅酒です。
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二宮町吾妻山で菜の花と富士山のコラボ

2017年02月05日 19時02分04秒 | 箱根・小田原周辺
訪問は2017年2月2日。連れとJR海老名駅ホームに9時半待ち合わせ。9時31分発でJR相模線終点の茅ヶ崎到着が9時57分。JR東海道線に乗換て10時7分発で二宮到着が10時19分。二宮町観光協会ではJR二宮町北口から徒歩25分で菜の花のある公園に到着出来るとありますが、朝5つもお薬を飲んでる私は、午前中はど〜しても脈が早くなるので無茶は出来ません。役場口からはしょっぱなに300段の急階段が待ってます。
先月の受診時「午前中に無茶したら吐くんですけど、なんとかなりませんか?」と先生に相談したら吐き気を抑えるドンペリドン錠10mgというお薬を処方してもらいまして、これを服用しての挑戦です。効果はありました!今回は吐かずに済んだ!(前回訪問時は途中のトイレで吐いた)でも動悸・息切れ・頻脈の改善はないので、階段途中に設置してあるベンチや椅子で休み休み上がりました。

300段の急階段を登り切ると、いい香りが漂ってます。今年も水仙が既に咲いてました。

階段が終わっても上り坂。でも傾斜角度は緩い。道なりにゆるゆる上がって行くと…。お子様の声が聞こえてきた。何でやねん!

いつの間にやら頂上付近に遊具が設置されていて、近所の幼稚園児の遠足かな?お子様が一杯いました。
ヘロヘロでようやく到着です。トップ画像を見て!期待通りの富士山と菜の花のコラボが目の前に広がってました。
あ!そうだ。トップ画像の菜の花と富士山の間にある枝ばかりの木がありますが、おそらく桜だと思う。春、青空が見えた時にここに登れば、富士山と桜のコラボが見えるのではなかろうか?まあ、桜の時期は春霞の季節だからよっぽどのタイミングでないと難しい素材かな?

え〜と??
私が30分以上かけて登った吾妻山に、なぜに柴わんこがいるのだろふ…?
そう言えばミケにゃんこもいましたね。



吾妻山公園は、斜面にあります。たぶんてっぺん近いと思うんだけども。どうだろ?
写真を撮る場合、トップ画像みたいに、画面の間に街並みが挟まってしまう場所や、一眼レフで菜の花を前ボケにして青空と富士山と菜の花でバチっと納まる場所があるので、菜の花畑を右から左へじっくり移動して自分好みの撮影ポイントを見つけましょう。浮かれて後からしまった〜やっちまった〜となって、またまた300段の急階段を登りたくないと思う。今回撮影してるのはまたまたガラパゴス的な二つ折り携帯です。技は使えんのじゃ!

菜の花と相模湾と伊豆半島のコラボ画像です。画像左端の水平線に、島も写ってますね。本当に視界がクリアーなのね。

頂上にはベンチが多く配置してあって、ゆっくり座って菜の花と富士山のコラボが楽しめます。

息が整って、写真撮影が終わったらお昼ご飯です。今日もホットケーキ。でも今日はサンふじをホットケーキに埋め込んだバージョン。何気にお気に入りでリピートして焼いてます。バナナを埋め込んだら、美味しいけどお散歩の時に持ち歩くにはバナナが柔過ぎてダメでした。

菜の花は満開。ってか満開を過ぎてるよね?綺麗だけども。
ところで、今何時なん?11時45分?え〜と??二宮発のJRは…。11時39分。その次が12時12分だ。
………。あれ?今すぐ下山すれば間に合うんじゃね?
ってな事で、連れに「熱海へ行こう!晴天の時にお出かけ出来て、更に花の満開が重なるのってとっても運がいいと思うんだ!」と宣言して荷物をまとめ一目散に下山開始!

あ。菜の花の反対側で、おじさんが地面に落書き…、ってこれ、芝生じゃないよね?単なる土だよね?突っ込みませんよ〜〜。先を急ぐんじゃ!
ってな事で、太ももが笑ってますが、無視して必死こいて山を降りまして、12時5分過ぎ、JR二宮駅のホームに到着出来た!つ。疲れたわ〜〜。もう若くないんだからさ〜。自重せえよ、自分。こういうのも道連れっていうんですかね?連れには大迷惑な私。昇る時にはさんざん待たせて、降りる時は急がせるとかそれって人としてどうなのよ?
12時12分、やってきた熱海行きに無事乗車。

根府川駅手前で、素晴らしい太平洋を見て思わず車窓から撮影。2月2日はどの天気予報でも最高気温9度風速9メートルとか言ってたので、思いっきり防寒仕様のお出かけルックなのですが、暑いわっ!天気予報に比べ風が強くなかったからかな?と。浮かれてたからではあるまい〜。
12時54分熱海駅到着。目的地の来宮駅は隣駅なのですが、東海道線でなく伊東線なのですよ。13時6分発に乗換ねばなりません。13時8分。来宮駅到着。

駅前のあたみ桜はなんと!既に見頃を過ぎてました…。まだ散ってないけどな。アップ撮影には耐えられない…。マジか〜。
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松田山の河津桜2017.2.2現在

2017年02月03日 22時15分47秒 | 箱根・小田原周辺
昨日、2017年2月2日に二宮町吾妻山の菜の花と富士山梅の見頃の熱海梅園本州一の巨木がある来宮神社というコースで花見散歩をしました。
帰り道、小田原から小田急線に乗車して、新松田駅に近づいた頃、ふと、松田山ハーブガーデンの河津桜はもう咲いてるか?と車窓に貼り付いてびっくり!
既に桜色なんですけど〜??
今年のまつだ桜まつりは2月11日からと、チラシには描いてありますが、こういう状況なので、明日2月4日より、JR御殿場線松田駅北口より、松田山直行シャトルバスの運行が開始!になると、松田町のホームページに記載されてます!そういえば、JR御殿場線の下曽我駅が最寄駅の曽我梅林の25000本の梅も早咲きは既に8分咲きとか小田原市のホームページの開花情報に出てたわ〜。みなさん、今年の春は展開が早いよ!?
ってな訳で、ブログ記事に1枚ポッキリの画像はどうよ?と思いまして、昨日の花見散歩の様子をダイジェスト版で紹介します。
9時半、JR相模線海老名駅で待ち合わせ、茅ヶ崎経由東海道線に乗換て、二宮町10時19分到着。
駅から数分で吾妻山登山口到着。急階段を300段上がると、水仙のいい香りのする斜面をゆっくり上がり、展望台へ。
午前11時18分撮影
期待通り、菜の花と富士山のコラボを無事に見えました!昨日は最高気温10度北風9メートルと強い予報でしたが、幸い風は強くなく、富士山と菜の花を眺めつつお昼ご飯〜。

ちなみに、菜の花と富士山のコラボが見たい場合、北風の日がいいようです。南風だともやってしまう気がする。私は我が家から見える丹沢のくっきり具合で判断してます。

ふと?時計を確認すると、11時50分前でした。
私「今下山したら12時12分発の熱海行きに間に合う!」
上りに30分かけ、下りは15分の猛ダッシュ!
もうね。若くないんだからさ〜。無理はイカンのじゃ!
でも二宮駅に12時5分には到着出来た!煩悩は偉大だっ!
12時12分発ー12時54分熱海駅着。ここで伊東線に乗換て13時6分発ー13時8分来宮駅到着です。
こっから上りです!がんばるぞ〜。(もう足が笑ってるけど!)

そんなこんなで熱海梅園到着です。観光バスが大勢の観梅客を運んでました!来宮駅から歩く客は少数派です。なぜにこないに観梅客が多いのか?というと、熱海梅園の梅は既に満開の見頃です。

熱海梅園は元々早咲きの種類が多いんだけども、既に早咲きは満開!になってます。しかも!気の早い種類は既に散り初めです!!

あ!私は13時半に熱海梅園に到着しましたが、その時は梅園の全体に太陽が当たってましたが、上の画像の上部が既に陰ってますよね?

梅園は山の東側の斜面に位置してるようで、梅園を奥まで上がり、梅園の中にある美術館を見物して出たら、梅園に影が届いてました!
熱海梅園の訪問は2度目なのですが、前回は朝一。開園直後に訪問したので気付かなかったのですが、2月だと午後2時半には梅園に影が届き、15時過ぎると殆ど陰るので、午前中の訪問がいいですよ?

連れが熱海が初めてなので樹齢2000年の大楠のある来宮神社さんに案内。JR来宮駅からすぐなので、ぜひとも生きてる木とは思えないでっかい楠は必見ですよ?樹があまりに大きくて分かりにくのですが、上の画像に写ってる鳥居はミニじゃないのよ?鳥居の下に人間が立ってお祈り出来るようになってるの。撮影画像を選んでて、なぜにお参りする人を入れて撮影しなかったのか?と反省しました。大きさを表現したい時はタバコのハイライト的なものを画面に取り入れるのが基本じゃないか!反省〜。でも来宮神社さんい熱海梅園に観梅に訪れたならば、ぜひとも立ち寄って下さい。上の画像では分かりませんが、大楠の周りは1周出来るようになっていて、絶対1周するといいですよ?大楠の大きさが実感出来ますし、裏手に一部直接大楠に触れる場所があるんです。ついつい「今年1年、健康維持出来ますように!」とお祈りしちゃいましたよ。だって2000年だもの〜。脳梗塞患者としてはご利益にあやかりたいじゃないか〜。
ちなみにパワースポットでもあります。社務所のお守りを見たらなぜか「酒断ち」のお守りがありました。来宮さんはアルコール断ちたい人におススメらしい。
本当ならばこの後に糸川まで足を伸ばし熱海桜見物するつもりだったのですが、なんと!今年の熱海桜は既に満開の盛りを過ぎ、散り始めに入ってる!そうで。日頃運動不足な私はパスしちゃいまして、
にしても去年は例年より2週間早い熱海桜だったのに、今年は更に早く、なんと!1月末には熱海桜の見頃が過ぎてしまうとか!!さすがにお正月終わってすぐに桜の花見は早過ぎじゃ!!帰ろう〜。
15時42分発来宮駅。熱海乗換で小田原駅下車。小田急線に乗換てーー。ここで冒頭の松田山ハーブガーデンの斜面が既にピンク色になってるのに驚愕!!したのですよ。

17時過ぎ、小田急線海老名駅で急行から普通電車に乗換。乗換時間。ホームの向こうにロマンスカーが止まってるのに気付きました。2月2日だと、17時過ぎに夕暮れになるのね。12月に比べたら日が長くなったな〜。12月は4時台に既に暗かったもの〜。
ってな訳でダイジェストです。明日、二宮町。熱海へお出かけを考えてる方、参考にして下さい。太ももの前側とふくらはぎの筋肉痛がマシになったら、明日曽我梅林と河津桜を見に行きたい〜。

追加:ブログタイトル詐欺してごめんなさい。あんまりなので2017年2月7日午前の松田山ハーブガーデンの河津桜の画像を掲載します。
松田山ハーブガーデンの河津桜と富士山2017.2.7午前現在(2017.2.7)の記事 こちら急いで記事作成して帰宅してすぐ投稿したから許して欲しい。我が家から丹沢山系がくっきり見える日を待って撮影に行ったら、まさかの満開でした!
松田山の河津桜2017.2.7現在(2017.2.9)の記事
思いの外この記事の閲覧が多いようなので、2月7日午前に松田山の河津桜の花見に行った記事をリンクします。当日は青空と満開の河津桜と白雪の富士山の3重コラボ画像が見えた絶好の機会でした。ぜひとも一度ごらんいただきたい絶景です。
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旧黒田長成別邸

2014年01月07日 05時20分41秒 | 箱根・小田原周辺
小田原文学館・白秋童謡館をゆっくり見てまわると、凡そ小一時間でした。と言う事は、小田原宿観光回遊バスの発車時刻がすぐです!って事で、バス停に向かいましたら、既にグループ客が待ってました!
ーーーーバスが来ない…。
発車時刻は既に過ぎている。
5分…10分…未だ来ない!
ようやくやってきたバスは朝一に乗車した小型バスでした。
ヤバい…。
そうなの。
観光回遊バスの乗車定員は、法律で定められています。満席の場合には、次のバスにご乗車ください。の一文が書き添えられていたのです。
案の定…。
バスガイドさん「満席なのでご利用出来ません」
私の前に並んでいたグループには杖の必要な年配客もいて「一人だけでも乗せて下さい」などと食い下がっています。でもバスガイドさんも「無理です。小田原漁港でお積み残ししたんです」と交渉は平行線。
そっちも気になるが…。既に時刻は15時20分!
これはイカンのですよっ。
なぜなら本日の最終目的地の旧黒田長成別邸(清閑邸)の入館時間は16時までなのです!
時間短縮の為にバスを待ったのに、これでは…。
ダンナの様子は…?
ハイ!諦めなそうにないっ!!
ダッシュするよっ!!」
まだもめてるバスガイドとグループ客は気になるが。今は先を急がねばならないっ!
「ハイ、ここっ!!鈍翁in西海子」
目は止めても足は止めない。
「ハイ、ここっ!かつての旧東海道!」

こんなんあった~~~~~っ!!
国道1号線を渡って細道を抜けると。
「ハイ、ここっ!『坂の上の雲』の主人公、秋山真之氏終焉の地にして、山下汽船の創始者・山下亀三郎氏の邸宅跡」
ちなみに、今はトップ画像の石碑しか現存してません。ちょっと詳しい記事はこちら。
「坂の上の雲」秋山真之終焉の地(2011年11月10日)の記事
と~ま~ら~な~い~~っ!!
時刻は既に15時25分を回りました。マジに時間がないのよ~~っ!!
やがて見えてきた山角天神社&瓜生外吉海軍大将の別邸跡。今は胸像しか残ってません。胸像の画像はこちらの記事
瓜生外吉の胸像(2011年11月11日)の記事
ここからが辛いっ!!激坂ですっ!!
足を止めるな~~っ!!Facebookするな~~~っ!!
そんなこんなで到着した清閑邸は。

工事中でしたっ!!
ンでも内部は見えるから~~
清閑邸では小田原ビエンナーレ2013の開催中でした!(11月13日ー25日、午前11時から午後4時まで)
うう…。時間がギリギリなのがもったいない~~。

でもアレ。窓の外がこれじゃあ~明治の歴史に浸れない~。
ちなみに、清閑邸ではお茶も出来ます。



メニューには侯爵の紅茶(700円)というのがあります。窓際の席を確保すると、かつての小田原城の土塁の上から見下ろす小田原の青い海。
頭を上げると、目の前にあるのは豪華な杉板です。





説明板発見:
黒田長成侯爵(慶応4年<1867>から昭和14年<1939>は、旧福岡藩主です。清閑邸は明治39年(1906年)につくられました。
現在、数寄屋風書院造りの母屋と海への眺望に優れた庭園が残されています。
建物は木造平屋建て(一部2階)入母屋造りの和風建築で、母屋は数寄屋書院造りとなっており、大正初期頃の様式を備え、かつての邸園(邸宅・庭園)の趣きを伝えています。明治40年(1907)には隣に閑院宮別邸が設けられ、宮家と飼田家とは交流を深めていました。その後、昭和21年(1946)から昭和38年(1963)には東京国立博物館館長などを歴任した浅野長長武が住まい、東洋学者ルネ・グルッセ、松永安左エ門ら著名人も数多く訪れました。
母屋は平成17(2005)7月に国の登録有形文化財となり、平成22年(2010)6月から小田原邸園文化の交流拠点として公開されています。




こちらの屋敷にも蔵があります。現在の内部は棚などなにもない広い空間で、訪れた時は現代美術家の作品がぐるりと壁にかかってました。
さて時刻はそろそろ16時。清閑邸の閉館時刻です。小田原城は今回はパスですねえ。
となると、最短コースは、報国二宮神社の境内を突っ切って…。
 訪問は11月23日でしたが、既にイチョウが黄色く色づいてます。
とりあえず参拝して…。
ン?

なんか、右手に伸びている回廊を、巫女さんが歩いてます。
撮影したけど失敗した!iPhotoで明るさ調整してますが、ピンボケが…。残念だ~。
この回廊の下に小田原城ほ天守に向かう道がある。ここは小田原城の空堀の側に出る。天守に上らず遊園地の脇を駅の方面へ抜ける。

上の画像はちょっと前まで小田原城の駐車場でした。
現在発掘中です。

やっぱさあ~。小田原城の城内だから、掘れば遺跡が出てくるの。ンでも時代が重なって見つかるから、判別とか大変そうだね。
小田原城天守閣では、現在「よみがえる小田原城・史跡整備30年の歩み」特別展は12月23日まで開催中。小田原宿観光回遊バスの小冊子には、割引の特典チケットもついてましたが、今回は時間切れです。
やっぱさあ~、スタートが朝10時だったのがもうダメでしたね。や。小田原城天守閣は入場16時半。閉館は17時なので、無理すれば観光出来ないでもなかったんだけど。私ってば太陽がないと動けないんです。つまり、今までこんなに沢山の記事を書いてるのに、イルミネーションの紹介がない訳も同じくなのだ!
ツー事で、小田原駅に戻ります。小田原始発の小田急線に。間もなく、車窓に富士山が見えた!

「富士山だよ~」ってダンナに教えたらば。「ああ」って生返事を返すだけで、顔を上げもしないんでやんの~。
ムっ!
もっぺん声を少し大きくして「富士山だよっ!」って言ったら、座席の向かいの客が一斉に振り返った!!
ほら~。これが正しい日本人の反応だよっ。でもやっぱりダンナは見もしない~~~。
キィイイイイ~~ッ!!

席を立ち、富士山の写真を撮影した。なんでポッチな気分やねんっ!つーか、観光に来てるのに何度もFacebookすな~~っ

(ダンナが小田原文学館で綺麗なモミジをまるっと無視でFacebookやってる所)
これが彼と彼女のデートなら、別れる原因になってもおかしくないわぁ~。
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北原白秋童謡館

2014年01月06日 05時55分12秒 | 箱根・小田原周辺
北原白秋(1885-1942)と言われて今どきの人は「それ誰?」かもしれん。
彼は福岡県柳川市に生まれ、大正7年から15年までの8年間を小田原で過ごし、この間に全童謡作品の半分近くを創作しました。

洋館の鎌倉文学館から和館の北原白秋童謡館に移動しました。
童謡館の2階に、白秋を紹介する映像と、彼が作詞した童謡の映像が見られます。トップ画像は童謡を聞いているところ。
白秋の作詞した童謡のうち、今でも残ってる有名な曲を書き連ねると。
からたちの花・トンボのめだま・雨降り・ゆりかごのうた・砂山・この道・ペチカ・あわて床屋・待ちぼうけ・ちゃっきり節など。そういえば、以前三浦半島の先っぽの城ヶ島を訪問した時、あそこにも北原白秋記念館があったなあ。あれは白秋が小田原に暮らす前の出来事ですね。
さて、小田原に移り住んだ白秋は、小田原の伝肇寺(でんじょうじ)の境内に「みみずくの家」と名付けた家を建てます。


白秋童謡館の入場料は、小田原文学館との共通券となっています。半券を見せればOKです。中の展示資料は撮影禁止です。だから作品が写らない様に工夫しつつの内部画像を撮影しました。


 
2階の部屋の装飾。欄間は鳳凰と鳳凰が唯一とまる事が出来る桐の花がモチーフです。
2階の窓の外にもちょっとした細工がなされています。

1階の座敷からお庭を撮影。

1階部屋の外の廊下です。



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ご飯を食べて小田原文学館

2014年01月05日 06時09分53秒 | 箱根・小田原周辺
小田原宿観光回遊バスの石垣山一夜城歴史公園バス停を12時50分過ぎに出発。
小田原漁港に13時過ぎに到着。すると、周辺は車と観光客で大にぎわいでした。
でもここでひるんでてても仕方ない。
小田原宿観光回遊バスの切符代わりの小冊子には、特典チケットがついてます。小田原漁港で使えるチケットは、三太郎鮨と魚市場食堂の二つ。
目指したのは魚市場食堂です。

魚市場の2階にあります。言ってみると、行列が…。
待った!
30分待って中に入った!自販機のチケットを購入して…。
「あの~、小田原宿観光回遊バスの特典チケットがあるんですが…」
特典はあじつみれ団子もしくは磯味一品サービスでした、
「今日はみなさんにあら汁をお出ししています」ってな事で更に待つ!んでもって15分が経過した。
私「ここでお知らせがあります。次のバスの発射時刻は14時ちょうどです。これを逃すと2時台のバスはなくて、15時発になるから、徒歩で城下に戻るしかありません
ごはんが来たのは13時50分だった!ならば5分で食べるしかあるまい~~

ちなみにこれで1000円です。客が多いからってこれで1000円。新鮮な魚が食べたかったのに、地魚は刺身の一部のみ。はっきりいってメニューの選択ミスでした!その上猫舌の私はせっかくの特典あら汁は熱過ぎて食べられないという…。ふんだりけったり…。
ンでもって、バスには間に合った!予定時刻より遅れ気味でバスが来たからね。

次のバス停は小田原文学館です。
かつては武家屋敷が集っていましたが、今は閑静な住宅街です。

小田原文学館の建物は、かつて田中光顕伯爵の別邸として建てられたものです。

田中光顕は土佐藩の郷士。幕末に陸援隊に参加し、明治維新後は、警視総監・宮内大臣などを歴任しました。
本館はスペイン風建築(昭和12)、別館は純和風建築(大正13)で、ともに国の登録有形文化財に指定されています。
和洋折衷の回遊式庭園は、四季折々の風情が楽しめます。
ここで小田原宿観光回遊バスの切符代わりの小冊子登場!
小冊子に載っている特典チケットを利用すると、入場料250円のところ、団体割引の180円で入れました。
訪れた時、【アルプスに挑んだ小田原の登山家 辻村伊助】展が開催されてました。彼はイギリスのスコットランドやアルプスの山を踏破しました。帰国後、兄と共に小田原の辻村農園を経営。高山植物などの研究も。しかし大正12年の関東大震災の時、山崩れに巻き込まれ亡くなりました。
私もスコットランドを旅した事あるのでつい読み込んでしまった~。
文学館の展示物は撮影禁止です。でも小田原ゆかりの文士って結構いるのね。
サンルームから庭を撮影。
2階に上がって庭を見下ろすと…。

更に3階に上がってみると。
 
鮮やかな彩色瓦。とても昭和12年の建築とは思えず…。おしゃれ~。
外へ出た。さっき上から見た赤いモミジを見に行く。

すごいいい感じ。
洋館の鎌倉文学館から和館へ向かうと、途中に尾崎一雄邸書斎がある。

梅で有名な下曽我に尾崎一雄の自宅がありました。その書斎部分を移築し、内部も当時使われていたままに展示されています。

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箱根板橋散歩

2013年12月11日 06時30分40秒 | 箱根・小田原周辺
松永記念館&老欅荘を見物した後、北条氏綱夫人が開基となる香林寺へ。香林寺前の小径は素敵な散策路でした。
これで坂道でさえなければ100点満点なのに…。でも頭の上を見上げると、竹垣に紅葉したつたが沿っているのもいい感じ。

終点にあるのはかつて実業家・大倉喜八郎が、大正9年(1920)に建てた別荘「共壽亭」で、関東大震災でも倒壊しなかった貴重な建物です。各部屋の天井を始めとし、欄間・建具等造作の凝った造りです。近年まで割烹旅館として使用されてました。
でも現在は非公開。いつか見える日が来るといいのに~。

入口にロープが貼ってある。つーか、これでちゃんと立ち入り禁止を守る日本人って素直というか、真面目というか。
旧共壽亭の周囲はつたが綺麗でした。
 


上り坂を旧共壽亭に沿って上がると、道の反対側にも雰囲気のあるお宅がある。
 
こちらはかつての皆春荘です。当初は元首相・清浦氏が明治の末に建てたものですが、その後、山縣有朋が古稀庵の別庵として使用したという数寄屋風の建物です。かつては庭越に見える相模湾の風景が大変素晴らしいものであったといわれています。
こちらも現在非公開。小田原は明治の有名人が数多く邸宅を構えた場所。観光と歴史資源は多い場所。いつかこれらのお庭や建物も観光資源として活用してくれないかな~?乞うご期待!といきたい所。楽しみにして待ってま~す!!
さて。皆春荘から今度は坂道を下る。とすぐに見えてきたのが雰囲気ある門でした。

政治家・軍人として知られる山縣有朋が、明治40年(1907)この地に別荘「古稀庵」を建てて転居し、以後大正11年(1922)、83歳で没するまで過ごした所です。庵の名前は山縣公が70歳(古稀)の年に建てられた事によります。庭は敷地の高低差が巧みに生かされ、流れを配した滝久美など見所の多い庭園です。
現在は保険会社の研修所となっていますが、毎週日曜日には庭園が一般開放されています。確か庭園鑑賞の入園料は100円。以前9月に訪問しました。でも訪問日は土曜日。見るのは入口の門のみです。
以前訪問した時の記事はこちら。小田原古稀庵の庭園(2011年11月16日)の記事
時刻は11時30分。小田原宿観光回遊バスの板橋交差点(大久保支所前)の停車時刻が11時42分。後12分!!
…いけるかも?
急いで坂を下ります。
途中レトロな洋風建築の朝倉邸の外観と、小田原街かど博物館・とうふ工房さんの外観を眺める。(とうふ工房は関東大震災後の建てられた出桁造りの建物です。でも11月23日は祝日につき定休日でした~。残念っ!

小田原宿観光回遊バスのバス停に到着しました。時刻は11時36分!次のバスの発車時刻が11時42分!余裕で間に合いました。
これなら大窪支所も見学出来る!と思ったのに…。
公開されてなかった~。マジか~。
大窪支所は昭和3年(1928)大窪村の村役場として建てられたもの。外観は洋風で、当時流行の行政庁舎の特徴がでている建築物です。
でもこの色はないわぁ~…。
やってきたバスは満員でした。救いは朝一のバスとは違い大型バスだった事!大型ならば座席がなくとも立って乗れる…。だからといって、次の石垣山一夜城歴史公園への上り坂は大変だったけど。この区間は高齢者がバスに立って登るのは無理だわ…。
バスは朝とは違う方のガイド付き。突然「みかんの花の咲く丘」を歌い出し、どうしたんだ!?と驚いていたら、車窓の外がみかん畑でした!

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え~、ここで本来なら小田原散歩の続き、石垣山一夜城歴史公園の記事が続くのですが、その記事も完成済みなのですが、気付けばもう12月!小田原散歩に続くのはクリスマスの記事でして、これが…。横浜山手の西洋館・世界のクリスマス2013の記事を書いてましたら、画像も豊富だったのがマズかったのでしょうか?大晦日になってもクリスマス記事が終わらないんです…。も。笑うしかないわぁ~。
しか~し!年をまたいでお正月になってもクリスマスの記事はいくらなんでもマズい気がする…。ってな事で、小田原散歩の記事はすっ飛ばし、明日からクリスマスの記事を連載します。横浜山手西洋館・世界のクリスマス2013のイベントは12月25日まで開催中ですので。これから行こう!と思ってる方にもおススメですわ。
ってな事で、連載中の小田原散歩の記事はクリスマス記事が終わるまで延期します。すんません。先を読んで記事を書けっ!って事ですね。
ちなみに横浜山手の西洋館の世界のクリスマス2013の様子は、先出で東京・神奈川紅葉散歩2013のフォトチャンネルに画像を少し掲載してます。
東京・神奈川の紅葉2013

クリスマスを目当てに行ったら、紅葉も楽しめました。
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