あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

曽我の里史跡めぐり

2017年02月15日 13時21分56秒 | 小田原周辺
2.12の梅散歩の続きです。昼食を二宮尊徳遺髪塚で済ませお散歩再開。

道々石仏や道祖神が点在してる。上の画像は唯念行者の名号碑ほか石造物群
唯念(1789−1880)は相模・伊豆・駿河にかけて各地に念仏講を組織し、阿弥陀如来の名号を唱える事の功徳を説いて、多数の信者を指導しました。上の画像には唯念行者の特徴ある筆で、「南無阿弥陀仏」と大書し、このように阿弥陀如来の名号を彫るので、名号碑または念仏塔といいます。(ふるさと探訪『曽我の郷めぐり』より)
県道72号線を松田方面へ。
道々梅干し屋さんが点在してた。梅を使って作る商品が並んでいたので、小型瓶の梅酒を購入。これでお土産は大丈夫。

梅干屋さんのそばに東光院さんがあった。入口にいわれありそうな木札があったのでよって見た。
見所は石幢(せきとう)型六地蔵と徳本(とくほん)の名号碑なのですが、画像を撮りそびりました。上の画像の左手前に並ぶのが肝心の六地蔵なのですが。
石幢型六地蔵は、笠付き六角柱の各面に地蔵立像を浮き彫りにし、文化2年(1805)の銘があります。もとは大山道沿いに祀られていました。
また、山門を入って左手には木造の小祠があり、中に延命地蔵と呼ばれる石造地蔵菩薩立像が祀られています。(ふるさと探訪『曽我の郷めぐり』より)
県道72号線から曽我丘陵の細道へ。なんとなく緩い上り坂を上ってると、空き地に出た。

一見どうという事のない荒れ地ですが、脇にはこんなものが出てた。

太宰治『斜陽』ゆかりの地雄山荘跡。
雄山荘は、太宰治の小説『斜陽』の舞台となった所で、その中には、この建物の内部や周辺の環境が詳しくかかれています。太宰は当時、太田静子の住むこの家に滞在し、静子から自分との関係を書いた日記を借りて「斜陽」を完成させました。(ふるさと探訪『曽我の郷めぐり』より)
数年前火災で焼失。今は空っぽの荒れ地があるのみ。しかし雄山荘のあった場所から数メートルゆくと、富士山と遠く小田原まで見える見晴らしのいい場所でした。そこから更に少し進むと、城前寺さんがあります。

城前寺さんは曽我氏ゆかりの寺です。稲荷山祐信院城前寺と称し、浄土宗芝増上寺の末寺でありました。寺には曽我兄弟及び虎御前の木造の他、兄弟ゆかりといわれる品があります。

本堂裏手の曽我兄弟(左の二基)父母の祐信・満江(右の二基)の供養塔(五輪塔)は、昭和5年(1930)にこの地に新たに作られたものです。江戸時代以降、江戸歌舞伎を中心に曽我ものが隆盛をきわめるとともに、「曽我氏ゆかりの寺」として城前寺がクローズアップされ、以来曽我兄弟にまつわる事柄の多くが、この寺に結びつけられてきたようです。(ふるさと探訪『曽我の郷めぐり』より)
併せて説明板発見:城前寺(浄土宗稲荷山祐信院)
「曽我兄弟の菩提寺で兄弟の育った曽我城の大手前にあるのでこの名がある。
建久4年(1193)富士の裾野で兄弟が父の仇、工藤祐経を討った後、叔父の宇佐見禅師は、その遺骨を携えこの地に来て庵を結び、兄弟の菩提を弔ったのがこの寺の始まりと伝えられる。
なを、この討ち入りの時、兄弟は暗夜であったため傘を燃やして松明としたので、仇討ちの日に当たる5月28日には、この古寺にならい境内で傘を焼いて兄弟の霊を慰める傘焼きまつりが行われるが類例の少ない祭りであるので有名である。
境内には、十郎・五郎・父祐信・母満江戸御前の供養墓や十郎が大磯の虎御前をしのび腰を掛け、笛を鳴らした忍石、坪内逍遥筆で歌舞伎俳優連中寄付の兄弟の記念碑のほか各種るかりの品がある。
なを、4人の墓の建つ墳丘は、曽我城の土塁跡である。」
曽我の郷めぐりの途中には、別所梅林近くの法蓮寺さんで満江御前の墓を。曽我丘陵の高い所に父祐信の宝篋印塔があります。
城前寺さんの近くの道端で見つけたのは沓石でした。

胸の高さくらいの場所にあり、気付きにくいので注意。
曽我五郎時致(ときむね)が病が癒えた後、自分の力を試そうとして踏んだ時に出来た足跡と言われています。(ふるさと探訪『曽我の郷めぐり』より)
併せて説明板発見:五郎の沓石
「この石は、「五郎の沓石」と呼ばれ、あるとき曽我五郎(曽我物語で有名な曽我兄弟の弟)が足を患ったが、治癒した際、自分の体力が衰えてないかと心配になり、試しにこの石の上で踏ん張ったところ、石が足形に窪んでしまったといわれ、その足形が石の真ん中辺りに残っています。
この沓石には、以前は、足を病んだ人達が祈願して治ったお礼にm草履や草鞋などのお供え物が耐えなかったと言われています」
沓石のそばにはこんな道路標識がありました。あんまり見かけない標識だよね。

大光院さんは、諸法山実相寺と称し、文明18年(1486)の起立と伝えています。本尊は木彫り不動尊。堂前には明治32年(1899)の「神変大菩薩」に石塔があります。神変大菩薩とは役行者のことで、本来は山岳修験の系譜につらなる寺でしたが、明治初頭に天台宗園城寺派に変わりました。(ふるさと探訪『曽我のさとめぐり」より)
細い道を進んでると、青島みかん取扱い業者さんがあった!近所の八百屋でよくみる青島みかんってこの辺りの名産か〜。
徒歩数分。宗我神社さんに到着。

宗我神社は辺り六村の総鎮守です。江戸時代には小沢明神の名で尊崇され、明治に入って六ケ村それぞれの鎮守をこの社に合祀し、新たに宗我神社となりました。現在の社殿は関東大震災後に復興したものです。(ふるさと探訪『曽我の郷めぐり』より)

大鳥居の横の大木の寄生木を見上げる。実はこの下に尾崎一雄文学碑があったんだけど時計を見てて見そびった。
ボチボチ下曽我駅発の時刻が気になるんです。なにしろJR御殿場線は1時間に1本程度しか運行がない。今が12時58分だから1時13分はもう無理。14時8分発を目指そう!

宗我神社さんを過ぎたら急な下り坂が出現した。あれ?こんな所にこんな急坂があったっけ?実は私はこれで4回目の曽我の郷めぐりなのですが、今回は富士山見ながら散歩したくて逆回りなので、かつて歩いた道とはいえ所々忘れてます。でもまあ白梅畑を眺めつつだらだら歩くのは楽しいから問題なし!

曽我岸の地蔵尊
旧曽我岸村には古くから村持ちの地蔵堂(もと背後の公民館の位置)があり、その本尊は石地蔵であったことからが延宝元年(1673)の村鑑に記されています。
旧来の例祭は1月23日と8月23日、これに春秋の彼岸を加えて年4回の供養が催された。毎年二戸一組の「お地蔵さんの番」が村内の米を集め、紅白のにぎり飯と煮しめを用意し、午後には堂内で村人が念仏をあげたという。明治25年の回向帳には松田町神山、中村藤沢、古怒田、風祭等40ケ村あまりの記名があり、信者は足柄平野一帯に及んでいた。
村の中心にあった地蔵堂は、村のあらゆる行事の無体であり、集会場でもあった。戦時中は一時、横浜元町国民学校の疎開児童の宿舎にもなった。昭和44年(1969)4月、曽我岸公民館として建替えられ、旧地蔵堂の地蔵菩薩・閻魔王像ほか諸仏は館内に安置されています。(ふるさと探訪『曽我の郷めぐり』&説明板より)
おっしゃ!後は瑞雲寺さんと中河原梅林だけだ!…時間あまるかも?
ここから瑞雲寺さんはちと離れてるんだけども?午後に入り雲が出て来て、富士山に雲がかかってきてて不吉だ。中河原の梅林で白梅と青空と富士山の画像がゲット出来るかどうか微妙になってきた。

ぼやいてたら瑞雲寺さんが見えてきた。瑞雲寺さんには石仏がたくさんあるのでお好きな人は要チェックです。

龍球山瑞雲寺は曹洞宗の寺で、寺伝では明応元年(1492)の創立ということです。寺号は小田原北条氏家臣の本多豊前守信親(法名瑞雲院龍球宗洞)に由るので、この頃中興したものでしょう。山内には石造物が多くあります。(ふるさと探訪『曽我の郷めぐり』より)
境内では売店が出てます。本堂では展示があったような?

いや、梅林メインで散策したので見てない!

上の画像では分かりにくいのですが、画像中央にある石碑は曽我自修発祥の地です。明治時代、小学校の制度は全国的に普及したものの、それより上級の進学は不可能に近い状況でした。瑞雲寺21代和尚は、この不備を救うための寺の本堂でこの地域の成年を教導し、明治43年(1910)ここで校舎の建設に着工しました。自修学校と称し、落成は、大正2年(1913)2月でした。
一応歴史ポイントを抑えたら、楽しみにしてたしだれ梅チェック!!

見頃!いや〜〜、2012年の訪問では見頃過ぎてて残念だったので、今回こそ!と気合いいれて来てよかった〜〜。
説明板発見:瑞雲寺
曽我梅林の中にある寺として知られるこの寺は、龍珠山瑞雲寺と号し、曹洞宗で津久井の太井山功雲寺の末寺であり、相州黒岩城主本多豊前守が、日頃帰依していた功雲寺の5世仁忠継儀和尚を招請して、明応元年(1492)に建立した名刹である。
創建当初は、現在地より東方200メートルの丘上に建立されたと伝えるが、江戸時代の後期に現在地に移されたと言う。
寺には18世紀観源大器和尚の「へえずり石」や、縁結びと子宝を授かると伝える「洗心池とめん玉弁天」があり、また曽我兄弟が父の仇を討つために願文を納めて、「十人力」を授けられたという「力不動尊」が安置されている。
この不動尊は大山不動尊の前不動で、曽我剣沢の地にあったものを江戸時代後期に当寺家に移されたものである。
なお寺内入口左側の梅林は、21世住職によって開設された当時足柄平野唯一の私学「自修学校校舎」の跡地である。
同校は明治43年7月に開設され、大正15年8月、校舎拡張のため東方丘上に移転。のち湘北中学校、湘北高校、向上高校と校名を変更した。」
瑞雲寺さんから県道72号線へ向う。道を渡ると中河原梅林に到着です。
あれ??白梅が咲いてない!新松田からバスで来た時は、中河原梅林バス停のここで下車したんだよね。あの時あった祭り会場がなくなってる??あれ?

ここから富士山方向に少し下ってるから構図はバッチリなのですが、肝心の咲き具合が今一。いや、今二つ〜〜。

ここで撮影時間15分と見積もっていたのに、早々と撤収することに。もうね。こっから先は駅に戻るしかないので、県道72号線を国府津方面にとぼとぼと…。

んでもってここが最後の撮影ポイント!しばらく富士山のてっぺんの雲が取れないか?粘ったけど諦めた!撤収〜。ってな訳で、13時45分には下曽我駅に到着しちゃった!帰りの切符を券売機で〜〜〜〜〜っ!!!
券売機が100円玉を受け付けない!窓口にカーテンがかかってて、駅員さんがいない!マジで!!梅まつり開催中なんですけど〜!!
券売機の前でうろたえてたら、私の後ろに続々切符を求める乗客が並び出した!ピンチです。
辺りを見回して「55分から取扱い再開」という張り紙を発見しました!
さすが1時間に1本のJR御殿場線です。ダンナいわく「四国の田舎の昭和の頃の駅みたいだね」だって。あの頃はのんびりしてたよな〜。今じゃ田舎の最寄駅は味気ない無人駅になっちゃったけどさ。
13時55分、ようやく券売機の硬貨投入口に100円玉が通るようになりました!こういう仕掛けがあったのね。そして14時8分発下曽我駅発に無事乗車。ちなみに、下曽我駅〜国府津経由〜小田原行き片道200円。下曽我駅〜松田駅片道200円なので、1時間に1本のJR御殿場線ですが、上り下りどっちでも乗車出来ます。最悪下曽我駅から路線バスに乗るという手もあるんで、公共交通は不便だけど車で来て駐車場探すより気楽だと思いました。

ちなみに、こちらが自分土産の梅ジャムとダンナ土産の清酒で作った曽我梅林の梅を使った梅酒です。
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二宮町吾妻山で菜の花と富士山のコラボ

2017年02月05日 19時02分04秒 | 小田原周辺
訪問は2017年2月2日。連れとJR海老名駅ホームに9時半待ち合わせ。9時31分発でJR相模線終点の茅ヶ崎到着が9時57分。JR東海道線に乗換て10時7分発で二宮到着が10時19分。二宮町観光協会ではJR二宮町北口から徒歩25分で菜の花のある公園に到着出来るとありますが、朝5つもお薬を飲んでる私は、午前中はど〜しても脈が早くなるので無茶は出来ません。役場口からはしょっぱなに300段の急階段が待ってます。
先月の受診時「午前中に無茶したら吐くんですけど、なんとかなりませんか?」と先生に相談したら吐き気を抑えるドンペリドン錠10mgというお薬を処方してもらいまして、これを服用しての挑戦です。効果はありました!今回は吐かずに済んだ!(前回訪問時は途中のトイレで吐いた)でも動悸・息切れ・頻脈の改善はないので、階段途中に設置してあるベンチや椅子で休み休み上がりました。

300段の急階段を登り切ると、いい香りが漂ってます。今年も水仙が既に咲いてました。

階段が終わっても上り坂。でも傾斜角度は緩い。道なりにゆるゆる上がって行くと…。お子様の声が聞こえてきた。何でやねん!

いつの間にやら頂上付近に遊具が設置されていて、近所の幼稚園児の遠足かな?お子様が一杯いました。
ヘロヘロでようやく到着です。トップ画像を見て!期待通りの富士山と菜の花のコラボが目の前に広がってました。
あ!そうだ。トップ画像の菜の花と富士山の間にある枝ばかりの木がありますが、おそらく桜だと思う。春、青空が見えた時にここに登れば、富士山と桜のコラボが見えるのではなかろうか?まあ、桜の時期は春霞の季節だからよっぽどのタイミングでないと難しい素材かな?

え〜と??
私が30分以上かけて登った吾妻山に、なぜに柴わんこがいるのだろふ…?
そう言えばミケにゃんこもいましたね。



吾妻山公園は、斜面にあります。たぶんてっぺん近いと思うんだけども。どうだろ?
写真を撮る場合、トップ画像みたいに、画面の間に街並みが挟まってしまう場所や、一眼レフで菜の花を前ボケにして青空と富士山と菜の花でバチっと納まる場所があるので、菜の花畑を右から左へじっくり移動して自分好みの撮影ポイントを見つけましょう。浮かれて後からしまった〜やっちまった〜となって、またまた300段の急階段を登りたくないと思う。今回撮影してるのはまたまたガラパゴス的な二つ折り携帯です。技は使えんのじゃ!

菜の花と相模湾と伊豆半島のコラボ画像です。画像左端の水平線に、島も写ってますね。本当に視界がクリアーなのね。

頂上にはベンチが多く配置してあって、ゆっくり座って菜の花と富士山のコラボが楽しめます。

息が整って、写真撮影が終わったらお昼ご飯です。今日もホットケーキ。でも今日はサンふじをホットケーキに埋め込んだバージョン。何気にお気に入りでリピートして焼いてます。バナナを埋め込んだら、美味しいけどお散歩の時に持ち歩くにはバナナが柔過ぎてダメでした。

菜の花は満開。ってか満開を過ぎてるよね?綺麗だけども。
ところで、今何時なん?11時45分?え〜と??二宮発のJRは…。11時39分。その次が12時12分だ。
………。あれ?今すぐ下山すれば間に合うんじゃね?
ってな事で、連れに「熱海へ行こう!晴天の時にお出かけ出来て、更に花の満開が重なるのってとっても運がいいと思うんだ!」と宣言して荷物をまとめ一目散に下山開始!

あ。菜の花の反対側で、おじさんが地面に落書き…、ってこれ、芝生じゃないよね?単なる土だよね?突っ込みませんよ〜〜。先を急ぐんじゃ!
ってな事で、太ももが笑ってますが、無視して必死こいて山を降りまして、12時5分過ぎ、JR二宮駅のホームに到着出来た!つ。疲れたわ〜〜。もう若くないんだからさ〜。自重せえよ、自分。こういうのも道連れっていうんですかね?連れには大迷惑な私。昇る時にはさんざん待たせて、降りる時は急がせるとかそれって人としてどうなのよ?
12時12分、やってきた熱海行きに無事乗車。

根府川駅手前で、素晴らしい太平洋を見て思わず車窓から撮影。2月2日はどの天気予報でも最高気温9度風速9メートルとか言ってたので、思いっきり防寒仕様のお出かけルックなのですが、暑いわっ!天気予報に比べ風が強くなかったからかな?と。浮かれてたからではあるまい〜。
12時54分熱海駅到着。目的地の来宮駅は隣駅なのですが、東海道線でなく伊東線なのですよ。13時6分発に乗換ねばなりません。13時8分。来宮駅到着。

駅前のあたみ桜はなんと!既に見頃を過ぎてました…。まだ散ってないけどな。アップ撮影には耐えられない…。マジか〜。
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松田山の河津桜2017.2.2現在

2017年02月03日 22時15分47秒 | 小田原周辺
昨日、2017年2月2日に二宮町吾妻山の菜の花と富士山梅の見頃の熱海梅園本州一の巨木がある来宮神社というコースで花見散歩をしました。
帰り道、小田原から小田急線に乗車して、新松田駅に近づいた頃、ふと、松田山ハーブガーデンの河津桜はもう咲いてるか?と車窓に貼り付いてびっくり!
既に桜色なんですけど〜??
今年のまつだ桜まつりは2月11日からと、チラシには描いてありますが、こういう状況なので、明日2月4日より、JR御殿場線松田駅北口より、松田山直行シャトルバスの運行が開始!になると、松田町のホームページに記載されてます!そういえば、JR御殿場線の下曽我駅が最寄駅の曽我梅林の25000本の梅も早咲きは既に8分咲きとか小田原市のホームページの開花情報に出てたわ〜。みなさん、今年の春は展開が早いよ!?
ってな訳で、ブログ記事に1枚ポッキリの画像はどうよ?と思いまして、昨日の花見散歩の様子をダイジェスト版で紹介します。
9時半、JR相模線海老名駅で待ち合わせ、茅ヶ崎経由東海道線に乗換て、二宮町10時19分到着。
駅から数分で吾妻山登山口到着。急階段を300段上がると、水仙のいい香りのする斜面をゆっくり上がり、展望台へ。
午前11時18分撮影
期待通り、菜の花と富士山のコラボを無事に見えました!昨日は最高気温10度北風9メートルと強い予報でしたが、幸い風は強くなく、富士山と菜の花を眺めつつお昼ご飯〜。

ちなみに、菜の花と富士山のコラボが見たい場合、北風の日がいいようです。南風だともやってしまう気がする。私は我が家から見える丹沢のくっきり具合で判断してます。

ふと?時計を確認すると、11時50分前でした。
私「今下山したら12時12分発の熱海行きに間に合う!」
上りに30分かけ、下りは15分の猛ダッシュ!
もうね。若くないんだからさ〜。無理はイカンのじゃ!
でも二宮駅に12時5分には到着出来た!煩悩は偉大だっ!
12時12分発ー12時54分熱海駅着。ここで伊東線に乗換て13時6分発ー13時8分来宮駅到着です。
こっから上りです!がんばるぞ〜。(もう足が笑ってるけど!)

そんなこんなで熱海梅園到着です。観光バスが大勢の観梅客を運んでました!来宮駅から歩く客は少数派です。なぜにこないに観梅客が多いのか?というと、熱海梅園の梅は既に満開の見頃です。

熱海梅園は元々早咲きの種類が多いんだけども、既に早咲きは満開!になってます。しかも!気の早い種類は既に散り初めです!!

あ!私は13時半に熱海梅園に到着しましたが、その時は梅園の全体に太陽が当たってましたが、上の画像の上部が既に陰ってますよね?

梅園は山の東側の斜面に位置してるようで、梅園を奥まで上がり、梅園の中にある美術館を見物して出たら、梅園に影が届いてました!
熱海梅園の訪問は2度目なのですが、前回は朝一。開園直後に訪問したので気付かなかったのですが、2月だと午後2時半には梅園に影が届き、15時過ぎると殆ど陰るので、午前中の訪問がいいですよ?

連れが熱海が初めてなので樹齢2000年の大楠のある来宮神社さんに案内。JR来宮駅からすぐなので、ぜひとも生きてる木とは思えないでっかい楠は必見ですよ?樹があまりに大きくて分かりにくのですが、上の画像に写ってる鳥居はミニじゃないのよ?鳥居の下に人間が立ってお祈り出来るようになってるの。撮影画像を選んでて、なぜにお参りする人を入れて撮影しなかったのか?と反省しました。大きさを表現したい時はタバコのハイライト的なものを画面に取り入れるのが基本じゃないか!反省〜。でも来宮神社さんい熱海梅園に観梅に訪れたならば、ぜひとも立ち寄って下さい。上の画像では分かりませんが、大楠の周りは1周出来るようになっていて、絶対1周するといいですよ?大楠の大きさが実感出来ますし、裏手に一部直接大楠に触れる場所があるんです。ついつい「今年1年、健康維持出来ますように!」とお祈りしちゃいましたよ。だって2000年だもの〜。脳梗塞患者としてはご利益にあやかりたいじゃないか〜。
ちなみにパワースポットでもあります。社務所のお守りを見たらなぜか「酒断ち」のお守りがありました。来宮さんはアルコール断ちたい人におススメらしい。
本当ならばこの後に糸川まで足を伸ばし熱海桜見物するつもりだったのですが、なんと!今年の熱海桜は既に満開の盛りを過ぎ、散り始めに入ってる!そうで。日頃運動不足な私はパスしちゃいまして、
にしても去年は例年より2週間早い熱海桜だったのに、今年は更に早く、なんと!1月末には熱海桜の見頃が過ぎてしまうとか!!さすがにお正月終わってすぐに桜の花見は早過ぎじゃ!!帰ろう〜。
15時42分発来宮駅。熱海乗換で小田原駅下車。小田急線に乗換てーー。ここで冒頭の松田山ハーブガーデンの斜面が既にピンク色になってるのに驚愕!!したのですよ。

17時過ぎ、小田急線海老名駅で急行から普通電車に乗換。乗換時間。ホームの向こうにロマンスカーが止まってるのに気付きました。2月2日だと、17時過ぎに夕暮れになるのね。12月に比べたら日が長くなったな〜。12月は4時台に既に暗かったもの〜。
ってな訳でダイジェストです。明日、二宮町。熱海へお出かけを考えてる方、参考にして下さい。太ももの前側とふくらはぎの筋肉痛がマシになったら、明日曽我梅林と河津桜を見に行きたい〜。

追加:ブログタイトル詐欺してごめんなさい。あんまりなので2017年2月7日午前の松田山ハーブガーデンの河津桜の画像を掲載します。
松田山ハーブガーデンの河津桜と富士山2017.2.7午前現在(2017.2.7)の記事 こちら急いで記事作成して帰宅してすぐ投稿したから許して欲しい。我が家から丹沢山系がくっきり見える日を待って撮影に行ったら、まさかの満開でした!
松田山の河津桜2017.2.7現在(2017.2.9)の記事
思いの外この記事の閲覧が多いようなので、2月7日午前に松田山の河津桜の花見に行った記事をリンクします。当日は青空と満開の河津桜と白雪の富士山の3重コラボ画像が見えた絶好の機会でした。ぜひとも一度ごらんいただきたい絶景です。
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旧黒田長成別邸

2014年01月07日 05時20分41秒 | 小田原周辺
小田原文学館・白秋童謡館をゆっくり見てまわると、凡そ小一時間でした。と言う事は、小田原宿観光回遊バスの発車時刻がすぐです!って事で、バス停に向かいましたら、既にグループ客が待ってました!
ーーーーバスが来ない…。
発車時刻は既に過ぎている。
5分…10分…未だ来ない!
ようやくやってきたバスは朝一に乗車した小型バスでした。
ヤバい…。
そうなの。
観光回遊バスの乗車定員は、法律で定められています。満席の場合には、次のバスにご乗車ください。の一文が書き添えられていたのです。
案の定…。
バスガイドさん「満席なのでご利用出来ません」
私の前に並んでいたグループには杖の必要な年配客もいて「一人だけでも乗せて下さい」などと食い下がっています。でもバスガイドさんも「無理です。小田原漁港でお積み残ししたんです」と交渉は平行線。
そっちも気になるが…。既に時刻は15時20分!
これはイカンのですよっ。
なぜなら本日の最終目的地の旧黒田長成別邸(清閑邸)の入館時間は16時までなのです!
時間短縮の為にバスを待ったのに、これでは…。
ダンナの様子は…?
ハイ!諦めなそうにないっ!!
ダッシュするよっ!!」
まだもめてるバスガイドとグループ客は気になるが。今は先を急がねばならないっ!
「ハイ、ここっ!!鈍翁in西海子」
目は止めても足は止めない。
「ハイ、ここっ!かつての旧東海道!」

こんなんあった~~~~~っ!!
国道1号線を渡って細道を抜けると。
「ハイ、ここっ!『坂の上の雲』の主人公、秋山真之氏終焉の地にして、山下汽船の創始者・山下亀三郎氏の邸宅跡」
ちなみに、今はトップ画像の石碑しか現存してません。ちょっと詳しい記事はこちら。
「坂の上の雲」秋山真之終焉の地(2011年11月10日)の記事
と~ま~ら~な~い~~っ!!
時刻は既に15時25分を回りました。マジに時間がないのよ~~っ!!
やがて見えてきた山角天神社&瓜生外吉海軍大将の別邸跡。今は胸像しか残ってません。胸像の画像はこちらの記事
瓜生外吉の胸像(2011年11月11日)の記事
ここからが辛いっ!!激坂ですっ!!
足を止めるな~~っ!!Facebookするな~~~っ!!
そんなこんなで到着した清閑邸は。

工事中でしたっ!!
ンでも内部は見えるから~~
清閑邸では小田原ビエンナーレ2013の開催中でした!(11月13日ー25日、午前11時から午後4時まで)
うう…。時間がギリギリなのがもったいない~~。

でもアレ。窓の外がこれじゃあ~明治の歴史に浸れない~。
ちなみに、清閑邸ではお茶も出来ます。



メニューには侯爵の紅茶(700円)というのがあります。窓際の席を確保すると、かつての小田原城の土塁の上から見下ろす小田原の青い海。
頭を上げると、目の前にあるのは豪華な杉板です。





説明板発見:
黒田長成侯爵(慶応4年<1867>から昭和14年<1939>は、旧福岡藩主です。清閑邸は明治39年(1906年)につくられました。
現在、数寄屋風書院造りの母屋と海への眺望に優れた庭園が残されています。
建物は木造平屋建て(一部2階)入母屋造りの和風建築で、母屋は数寄屋書院造りとなっており、大正初期頃の様式を備え、かつての邸園(邸宅・庭園)の趣きを伝えています。明治40年(1907)には隣に閑院宮別邸が設けられ、宮家と飼田家とは交流を深めていました。その後、昭和21年(1946)から昭和38年(1963)には東京国立博物館館長などを歴任した浅野長長武が住まい、東洋学者ルネ・グルッセ、松永安左エ門ら著名人も数多く訪れました。
母屋は平成17(2005)7月に国の登録有形文化財となり、平成22年(2010)6月から小田原邸園文化の交流拠点として公開されています。




こちらの屋敷にも蔵があります。現在の内部は棚などなにもない広い空間で、訪れた時は現代美術家の作品がぐるりと壁にかかってました。
さて時刻はそろそろ16時。清閑邸の閉館時刻です。小田原城は今回はパスですねえ。
となると、最短コースは、報国二宮神社の境内を突っ切って…。
 訪問は11月23日でしたが、既にイチョウが黄色く色づいてます。
とりあえず参拝して…。
ン?

なんか、右手に伸びている回廊を、巫女さんが歩いてます。
撮影したけど失敗した!iPhotoで明るさ調整してますが、ピンボケが…。残念だ~。
この回廊の下に小田原城ほ天守に向かう道がある。ここは小田原城の空堀の側に出る。天守に上らず遊園地の脇を駅の方面へ抜ける。

上の画像はちょっと前まで小田原城の駐車場でした。
現在発掘中です。

やっぱさあ~。小田原城の城内だから、掘れば遺跡が出てくるの。ンでも時代が重なって見つかるから、判別とか大変そうだね。
小田原城天守閣では、現在「よみがえる小田原城・史跡整備30年の歩み」特別展は12月23日まで開催中。小田原宿観光回遊バスの小冊子には、割引の特典チケットもついてましたが、今回は時間切れです。
やっぱさあ~、スタートが朝10時だったのがもうダメでしたね。や。小田原城天守閣は入場16時半。閉館は17時なので、無理すれば観光出来ないでもなかったんだけど。私ってば太陽がないと動けないんです。つまり、今までこんなに沢山の記事を書いてるのに、イルミネーションの紹介がない訳も同じくなのだ!
ツー事で、小田原駅に戻ります。小田原始発の小田急線に。間もなく、車窓に富士山が見えた!

「富士山だよ~」ってダンナに教えたらば。「ああ」って生返事を返すだけで、顔を上げもしないんでやんの~。
ムっ!
もっぺん声を少し大きくして「富士山だよっ!」って言ったら、座席の向かいの客が一斉に振り返った!!
ほら~。これが正しい日本人の反応だよっ。でもやっぱりダンナは見もしない~~~。
キィイイイイ~~ッ!!

席を立ち、富士山の写真を撮影した。なんでポッチな気分やねんっ!つーか、観光に来てるのに何度もFacebookすな~~っ

(ダンナが小田原文学館で綺麗なモミジをまるっと無視でFacebookやってる所)
これが彼と彼女のデートなら、別れる原因になってもおかしくないわぁ~。
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北原白秋童謡館

2014年01月06日 05時55分12秒 | 小田原周辺
北原白秋(1885-1942)と言われて今どきの人は「それ誰?」かもしれん。
彼は福岡県柳川市に生まれ、大正7年から15年までの8年間を小田原で過ごし、この間に全童謡作品の半分近くを創作しました。

洋館の鎌倉文学館から和館の北原白秋童謡館に移動しました。
童謡館の2階に、白秋を紹介する映像と、彼が作詞した童謡の映像が見られます。トップ画像は童謡を聞いているところ。
白秋の作詞した童謡のうち、今でも残ってる有名な曲を書き連ねると。
からたちの花・トンボのめだま・雨降り・ゆりかごのうた・砂山・この道・ペチカ・あわて床屋・待ちぼうけ・ちゃっきり節など。そういえば、以前三浦半島の先っぽの城ヶ島を訪問した時、あそこにも北原白秋記念館があったなあ。あれは白秋が小田原に暮らす前の出来事ですね。
さて、小田原に移り住んだ白秋は、小田原の伝肇寺(でんじょうじ)の境内に「みみずくの家」と名付けた家を建てます。


白秋童謡館の入場料は、小田原文学館との共通券となっています。半券を見せればOKです。中の展示資料は撮影禁止です。だから作品が写らない様に工夫しつつの内部画像を撮影しました。


 
2階の部屋の装飾。欄間は鳳凰と鳳凰が唯一とまる事が出来る桐の花がモチーフです。
2階の窓の外にもちょっとした細工がなされています。

1階の座敷からお庭を撮影。

1階部屋の外の廊下です。



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ご飯を食べて小田原文学館

2014年01月05日 06時09分53秒 | 小田原周辺
小田原宿観光回遊バスの石垣山一夜城歴史公園バス停を12時50分過ぎに出発。
小田原漁港に13時過ぎに到着。すると、周辺は車と観光客で大にぎわいでした。
でもここでひるんでてても仕方ない。
小田原宿観光回遊バスの切符代わりの小冊子には、特典チケットがついてます。小田原漁港で使えるチケットは、三太郎鮨と魚市場食堂の二つ。
目指したのは魚市場食堂です。

魚市場の2階にあります。言ってみると、行列が…。
待った!
30分待って中に入った!自販機のチケットを購入して…。
「あの~、小田原宿観光回遊バスの特典チケットがあるんですが…」
特典はあじつみれ団子もしくは磯味一品サービスでした、
「今日はみなさんにあら汁をお出ししています」ってな事で更に待つ!んでもって15分が経過した。
私「ここでお知らせがあります。次のバスの発射時刻は14時ちょうどです。これを逃すと2時台のバスはなくて、15時発になるから、徒歩で城下に戻るしかありません
ごはんが来たのは13時50分だった!ならば5分で食べるしかあるまい~~

ちなみにこれで1000円です。客が多いからってこれで1000円。新鮮な魚が食べたかったのに、地魚は刺身の一部のみ。はっきりいってメニューの選択ミスでした!その上猫舌の私はせっかくの特典あら汁は熱過ぎて食べられないという…。ふんだりけったり…。
ンでもって、バスには間に合った!予定時刻より遅れ気味でバスが来たからね。

次のバス停は小田原文学館です。
かつては武家屋敷が集っていましたが、今は閑静な住宅街です。

小田原文学館の建物は、かつて田中光顕伯爵の別邸として建てられたものです。

田中光顕は土佐藩の郷士。幕末に陸援隊に参加し、明治維新後は、警視総監・宮内大臣などを歴任しました。
本館はスペイン風建築(昭和12)、別館は純和風建築(大正13)で、ともに国の登録有形文化財に指定されています。
和洋折衷の回遊式庭園は、四季折々の風情が楽しめます。
ここで小田原宿観光回遊バスの切符代わりの小冊子登場!
小冊子に載っている特典チケットを利用すると、入場料250円のところ、団体割引の180円で入れました。
訪れた時、【アルプスに挑んだ小田原の登山家 辻村伊助】展が開催されてました。彼はイギリスのスコットランドやアルプスの山を踏破しました。帰国後、兄と共に小田原の辻村農園を経営。高山植物などの研究も。しかし大正12年の関東大震災の時、山崩れに巻き込まれ亡くなりました。
私もスコットランドを旅した事あるのでつい読み込んでしまった~。
文学館の展示物は撮影禁止です。でも小田原ゆかりの文士って結構いるのね。
サンルームから庭を撮影。
2階に上がって庭を見下ろすと…。

更に3階に上がってみると。
 
鮮やかな彩色瓦。とても昭和12年の建築とは思えず…。おしゃれ~。
外へ出た。さっき上から見た赤いモミジを見に行く。

すごいいい感じ。
洋館の鎌倉文学館から和館へ向かうと、途中に尾崎一雄邸書斎がある。

梅で有名な下曽我に尾崎一雄の自宅がありました。その書斎部分を移築し、内部も当時使われていたままに展示されています。

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箱根板橋散歩

2013年12月11日 06時30分40秒 | 小田原周辺
松永記念館&老欅荘を見物した後、北条氏綱夫人が開基となる香林寺へ。香林寺前の小径は素敵な散策路でした。
これで坂道でさえなければ100点満点なのに…。でも頭の上を見上げると、竹垣に紅葉したつたが沿っているのもいい感じ。

終点にあるのはかつて実業家・大倉喜八郎が、大正9年(1920)に建てた別荘「共壽亭」で、関東大震災でも倒壊しなかった貴重な建物です。各部屋の天井を始めとし、欄間・建具等造作の凝った造りです。近年まで割烹旅館として使用されてました。
でも現在は非公開。いつか見える日が来るといいのに~。

入口にロープが貼ってある。つーか、これでちゃんと立ち入り禁止を守る日本人って素直というか、真面目というか。
旧共壽亭の周囲はつたが綺麗でした。
 


上り坂を旧共壽亭に沿って上がると、道の反対側にも雰囲気のあるお宅がある。
 
こちらはかつての皆春荘です。当初は元首相・清浦氏が明治の末に建てたものですが、その後、山縣有朋が古稀庵の別庵として使用したという数寄屋風の建物です。かつては庭越に見える相模湾の風景が大変素晴らしいものであったといわれています。
こちらも現在非公開。小田原は明治の有名人が数多く邸宅を構えた場所。観光と歴史資源は多い場所。いつかこれらのお庭や建物も観光資源として活用してくれないかな~?乞うご期待!といきたい所。楽しみにして待ってま~す!!
さて。皆春荘から今度は坂道を下る。とすぐに見えてきたのが雰囲気ある門でした。

政治家・軍人として知られる山縣有朋が、明治40年(1907)この地に別荘「古稀庵」を建てて転居し、以後大正11年(1922)、83歳で没するまで過ごした所です。庵の名前は山縣公が70歳(古稀)の年に建てられた事によります。庭は敷地の高低差が巧みに生かされ、流れを配した滝久美など見所の多い庭園です。
現在は保険会社の研修所となっていますが、毎週日曜日には庭園が一般開放されています。確か庭園鑑賞の入園料は100円。以前9月に訪問しました。でも訪問日は土曜日。見るのは入口の門のみです。
以前訪問した時の記事はこちら。小田原古稀庵の庭園(2011年11月16日)の記事
時刻は11時30分。小田原宿観光回遊バスの板橋交差点(大久保支所前)の停車時刻が11時42分。後12分!!
…いけるかも?
急いで坂を下ります。
途中レトロな洋風建築の朝倉邸の外観と、小田原街かど博物館・とうふ工房さんの外観を眺める。(とうふ工房は関東大震災後の建てられた出桁造りの建物です。でも11月23日は祝日につき定休日でした~。残念っ!

小田原宿観光回遊バスのバス停に到着しました。時刻は11時36分!次のバスの発車時刻が11時42分!余裕で間に合いました。
これなら大窪支所も見学出来る!と思ったのに…。
公開されてなかった~。マジか~。
大窪支所は昭和3年(1928)大窪村の村役場として建てられたもの。外観は洋風で、当時流行の行政庁舎の特徴がでている建築物です。
でもこの色はないわぁ~…。
やってきたバスは満員でした。救いは朝一のバスとは違い大型バスだった事!大型ならば座席がなくとも立って乗れる…。だからといって、次の石垣山一夜城歴史公園への上り坂は大変だったけど。この区間は高齢者がバスに立って登るのは無理だわ…。
バスは朝とは違う方のガイド付き。突然「みかんの花の咲く丘」を歌い出し、どうしたんだ!?と驚いていたら、車窓の外がみかん畑でした!

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え~、ここで本来なら小田原散歩の続き、石垣山一夜城歴史公園の記事が続くのですが、その記事も完成済みなのですが、気付けばもう12月!小田原散歩に続くのはクリスマスの記事でして、これが…。横浜山手の西洋館・世界のクリスマス2013の記事を書いてましたら、画像も豊富だったのがマズかったのでしょうか?大晦日になってもクリスマス記事が終わらないんです…。も。笑うしかないわぁ~。
しか~し!年をまたいでお正月になってもクリスマスの記事はいくらなんでもマズい気がする…。ってな事で、小田原散歩の記事はすっ飛ばし、明日からクリスマスの記事を連載します。横浜山手西洋館・世界のクリスマス2013のイベントは12月25日まで開催中ですので。これから行こう!と思ってる方にもおススメですわ。
ってな事で、連載中の小田原散歩の記事はクリスマス記事が終わるまで延期します。すんません。先を読んで記事を書けっ!って事ですね。
ちなみに横浜山手の西洋館の世界のクリスマス2013の様子は、先出で東京・神奈川紅葉散歩2013のフォトチャンネルに画像を少し掲載してます。
東京・神奈川の紅葉2013

クリスマスを目当てに行ったら、紅葉も楽しめました。
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松永記念館・老欅荘

2013年12月10日 05時26分20秒 | 小田原周辺
訪問は2度目。前回は9月でした。なので老欅荘の紅葉を楽しみに訪れたのですが、まだ早かったようです。

紅葉の見頃にはこんな感じになるハズだったのに~~っ!
せっかくなので同じ角度から撮影。それがトップ画像です。
そして目的はもう一つ。前回訪問日は老欅荘と松永記念館のお庭にある茶室を使う大きなお茶会が開かれていて、老欅荘の中は見る事が出来ませんでした。庭ですら、歩いてると茶室の中から嫌な視線が飛んで来ましたからね。
訪問は2013年11月23日。ラッキーにもこの日はお茶会がありません。まずは庭から~。
あ。これトップ画像とは反対側から。頭上を覆うモミジがいい感じ。
そしていよいよ建物の中へ。


入ってみて驚いた!老欅荘は電力王と呼ばれた松永安左エ門が晩年を過ごした場所です。だから生活する空間だと予想してたのですが、どの部屋も凝った作りの茶室でした。どれだけ凝ってるか?というと、天井の高さが一部屋一部屋違うんです。更には畳の大きさも違う。

この画像では分かりにくいかもしれませんが、上の画像は建物の中心となる十畳広間の客室です。10枚敷かれている畳は全て特注で寸法が違う7種類の大きさの畳となっています。これは十畳間の外にある畳敷きの縁座敷との整合を測り、畳の縁を合わせて直線に見えるように作っているからす。
この部屋から見た庭。
更に上がり口の石の上に更に細工を施した石。

この石が置いてあると、入れない印だそうで。茶道の決まり事のようです。



天井の低い部屋の天井部。こんな風。
別の部屋から外を見ると。こちら夫人の部屋みたい。
老欅荘を後に。松永記念館へ移動します。こちらで何か展覧会が開催中でした。
これってもしや明治に流行った金唐革紙とガラス容器のコラボかしら?誰もいなかったのでこれ一枚だけ撮影して外へ。バスの時間があるからのんびりしてられないんです。
出た所でこちらの職員さんとばったり。せっかくなので気になっていた事を聞いてみた。
私「老欅荘」のお庭の門の側の土壁ってアレ変ですよね?前はああじゃなかったような…」
職員さん「実は…10月の大雨で崩壊してしまったんです」
ええ!?
私「元通りになりますよね?」
職員さん「元通りにするには、カエデの樹を切ると、議会で決まりまして…」
って事は、あの風景は今年限り!?マジ~~ッ?あんまり驚いたので、別建て記事にしてしまいました。
今年限りの光景です!(2013年11月24日)の記事

名残りに松永記念館を駐車場から振り返る。
さて。松永記念館に隣接するのは北条氏綱夫人の開基といわれる香林寺へ。

ンでもめぼしい木がなさそうなのでバスの時間に追われてる今はパスじゃ!
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箱根板橋秋葉山量覚院

2013年12月09日 05時25分05秒 | 小田原周辺
旧内野家住宅を見た後、小田原用水路に沿って進むと、視線の先に紅葉が見えて来た。
あれは…。地図によりますと、秋葉山量覚院とあります。
私は目的地の松永記念館へ向かおうとしたのだけど、ダンナが道の分岐から動かない。どうやら行ってみたいらしい…。
時間ロスは痛いけど、仕方ないねえ~。

秋葉山量覚院は慶長元年(1596)に、小田原城主大久保忠世が信仰していた遠州の秋葉山大権現を勧請したものです。
下調べもしてないんで、境内とか分からないんだけど…。
まず美しく色づいたモミジが目に飛び込んできた。

あっ!天狗発見!
うっ!
携帯電話は強制発光出来ない。つーかフラッシュ自体ないっ!ので真っ黒になってしまいましたが、上の画像の建物の暗くなってる部分を拡大撮影してみると、トップ画像です。
もう一枚、モミジを中心に撮影してみる。

訪問日は2013年11月23日。今年の紅葉は早いな…。もしかしたら歴史巡りしてる場合ではなかったかもしれん!とちらりと頭をよぎったものの、小田原宿観光回遊バスの運行は11月24日(日曜)までなのです。
気を取り直し境内を奥へと進みます。仕方ないねえ~。
と。なぜか学校の校庭に出た!
ん?なぜかしら~??
ま。ともかく写真をば。抑えておかないと!

校庭をそのまま直進すると石段があった。

上がってみたらお宮があった。でもめぼしい建物も紅葉した木もないので引き返す。
向かったのは松永記念館
 
土と瓦で出来た土塀が素敵です。
こちらの庭が素敵なので、まずは池の外周を回ります。

この角度から見ると、山も既に綺麗に色づいてるのが分かります。ハイキングには最適なお天気ね~。

池の周囲の木々も紅葉中。
お庭にはいい感じの茶室が2つありました。
さて。記念館の裏手の斜面を上がると。
欅の大木がありました。
欅の大木の上にあるのが老欅荘です。

老欅荘は昭和の電力王松永安左エ門(耳庵)晩年を過ごした場所で平成12年に国登録有形文化財となり保存整備されています。
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内野家住宅。文庫蔵・穀蔵。及び醤油工場

2013年12月08日 05時08分46秒 | 小田原周辺
2階の来客部屋を見た後、1階へ戻りました。母屋の奥にある内蔵へ。

内蔵の入口は大理石?でした!
蔵は工夫が一杯!
床に換気の為に造られたもの。
2階・3階にも空気が抜ける。
内蔵もあちこちで拝見しました。一番大きかったのは、小金井市のたてもの園で見た三井家の蔵かな?
内野家の内蔵には、あれこれ詰まってました!昔の民芸品も混ざってて楽しい~。
 
母屋見学の後は、穀物蔵へ移動です。
移動する前に、内野家の外観を撮影しておくべきだった~と反省。移動しながら撮影したのがこれ。袖蔵(店蔵)です。大きな観音扉がありました!


穀蔵は醤油の原料を貯蔵する所。
天井部。壁。
木製です。画像掲載にあたり、iPhotoで明るさ調整してあります。
外から見た右手の文庫蔵と左手は母屋2階の来客部屋の様子。
最後に案内されたのは、醤油桶のある倉庫。

なんじゃろか?「澪つくし」とか撮影出来そ~。
傍らに醤油を絞る装置もあった!

「これこそなんかドラマの撮影出来そうです」
でもここ、既に醤油を造ってないんだよね。
なぜかしら~?
私「何で醤油屋さんを止めちゃったんですか?」
ガイドさん「昔ながらの方式で醤油を造ったら、一リットル300円以上しちゃうんです。今どきの安い醤油に太刀打ち出来なくてね」
そうなんだ…。
最近、街中のお豆腐屋さんが次々と廃業に追い込まれてるのと同じ理由です。うちの近所の商店街のお豆腐屋さんも豆腐1丁150円・揚げ1枚70円まで値上げした所で価格据え置きして頑張ってたけれど、ちょっと前に廃業してしまいました。揚げが美味しくて、ここの揚げで造ったいなり寿司は至高の逸品だったのに…。
とはいえ、醤油が一リットル300円超だと私が買うか?と聞かれると躊躇してしまう。
ガイドさん「醤油屋を止めてしばらくこの樽で漬け物を造ってた事もあったのですが…」
時代に淘汰されちゃったのね。日本人は和食がないなら、洋食・中華にイタリアン。何でも食卓に上げちゃうからな~。
ガイドさん「この倉庫は関東大震災で屋根が落ちて再建しました」
さもあらん。倉庫の柱の数が少な過ぎる…。
と。ガイドさんは倉庫の奥の扉を開く。扉の先にあったのは小田原用水の流れ。倉庫に沿って用水路がありました。小田原用水は芦ノ湖を水源とする早川の水を板橋に取り入れ、旧東海道に沿って城下内へ流した上水道で、後北条時代に造られました。形態を変え、現在は用水路として残っています。
実はここでうっかり用水路側の出口から出てしまった!この後の目的地松永記念館への近道だったのです。だから内野家住宅の旧東海道側の外観画像がないのね。
時刻は既に10時半を回っています。小田原宿観光回遊バスは30分に1本で走っているのです。11時…はムリだな。11時半のバスには乗りたい…。ここで時間をかけ過ぎると、お昼が遅くなってしまいます。
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12月5日に横浜在住のあっこさんと山手の西洋館で開催中の「世界のクリスマス」展を見て回りました。クリスマスの飾り付けとレトロ西洋館のコラボを楽しみに出かけましたら、ラッキーな事に紅葉も楽しめちゃいました!特にイタリア山庭園はメタセコイアとイチョウが綺麗に色づいてます。
なので、昨日東京・神奈川の紅葉2013のフォトチャンネルに画像を10枚程追加しました。
よかったら見てやって下さい。
東京・神奈川の紅葉2013
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内野家住宅の来客部屋。

2013年12月07日 05時53分29秒 | 小田原周辺
来客用の階段の撮影しそびったのが痛恨!
階段が暗かったのと、上りは来客用を使ったけど、降りるのは普段使いの階段を使ったのが敗因です。
階段を上がると、まず振り返るように言われ、そこに便所があるのに気付きます。

これが遊び心のあるいい空間です。
画像の便器は後に据え変えたものですが、トイレのタイルは内野家を造った当時のものが残ってます。素敵です!
2階の部屋は3つ。一部周囲に廊下を巡らせてあります。

そちら側から内庭が見下ろせます。

上の画像は2階廊下の窓から撮影。画像奥にお蔵があるのが分かります。(こちらは明日紹介しますね)
さて来客用の部屋。
こちらは壁も凄い!左官さんの腕も凄い。画像で分かるかどうか…。
画像の白く見える斑点は、実は金粉なのだっ!この手法は10月に訪問した目黒区の重要文化財旧前田家本邸和館の壁にもありました。(前田家和館の現存する金粉の壁は一部のみだとか)旧前田家本邸和館1階(2013年11月10日)の記事
金粉を使ってて豪華なのに、下品でないのも技かしら?

アップで撮影した画像を引くとこんな感じ。床の間です。
ンでトップ画像。床の間の右手、廊下側です。デザインは漁網。またしても職人の技です。素晴らしい~。

2部屋を分ける襖。その上部の欄間は、鳳凰と桐のデザイン。

2部屋ある手前の部屋は、旧東海道に面してまして道行く人々を見下ろせるようになっています。上の画像左が東海道。法被を着てる方がガイドさん。

2部屋は豪華。隣り合わせに3畳間。ここに普段使いの階段があります。上の画像が階段。

降りるとすぐにここ。1階の母屋の廊下に続いています。上の画像は廊下から土蔵方面を見た所。「なんだかNHKの朝の連ドラの撮影とか出来そうですね」って言ったら、ガイドさんが「使ってもらえると嬉しいです」だって。
廊下のガラス窓。明治の住宅って窓が広いんだよね。やっぱ部屋が明るいってのが目新しかったんだろうな。江戸時代の建物なんか、窓がナイもんな。
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「第64回NHK紅白歌合戦」抽選の結果
今年もドキドキワクワクの抽選結果が判明しました!
お察しの通り…落選しましたっ。
あ~あっ!!
って!!
今年の応募総数は142万7153通でした。
なぜに毎年ガンガン応募総数が増えていくんだろうか?
受信料を払っている世帯がそんなにガンガン増えてないよな~?
盛ってる?もしかして盛ってるだろ!!でなきゃ、一世帯当たりの応募数が複数あるとしか…。
ちなみに2012年の応募総数は117万2420通。
2010年の応募総数は75万9480通。
2009年の応募総数は59万1274通。
2008年の応募総数は43万5956通。
な。応募総数が激増してるやろ?
NHKホールの座席は増えない~。
ここはNHKは受信料を支払ってる世帯1つにつき応募は一つに限る必要があるんじゃないかな~?
だって、応募の時にわざわざわざわざNHKのお客様番号をかかせるんだよ?
つーか、NHKはお客様番号のチェックしてないよな!
けっ!とかやさぐれてますけど、どうせ来年もまた応募しちゃうんだろうな…。私ってばっ!!
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箱根板橋 内野家住宅特別公開

2013年12月06日 06時03分38秒 | 小田原周辺
訪問日は2013年11月23日。
WEBで小田原宿観光回遊バス<1日何回乗っても200円>という観光バスが10月5日から11月24日までの毎週土日・祝日に限り運行されているのを知りました。これ、いいっ!!
小田原へはあじさいの花見。小田原散策開始(2012年6月29日)の記事 小田原城東堀の紫陽花(2012年6月30日)の記事
明治の邸宅巡り。小田原清閑亭(2011年11月13日)の記事 「坂の上の雲」秋山真之終焉の地(2011年11月10日)の記事 北原白秋童謡館(2011年11月9日)の記事 龍馬暗殺現場に駆けつけた?(2011年11月8日)の記事 伊藤博文別邸跡(2011年11月7日)の記事
小田原城総構え残存跡 小田原城幸田門口跡(2010年5月1日)の記事 小田原城総構えを歩こう(2010年5月7日)の記事 早川口遺構と大久保一族の墓(2011年11月14日)の記事 小田原城東曲輪(2010年7月13日)の記事など既に何度か訪問していますが、未だに行けてない所があったのです。
それは豊臣秀吉の一夜城跡
パスしてる訳は、一夜城が低くはあるものの山の上にあるからです。でも小田原宿観光回遊バスの運行コースのバス停に石垣山一夜城歴史公園が入ってるのだ!これはもう行くしかあるまい~と。ワクワクして出かけました。
ただ、観光回遊バスの始発が、小田原駅東口発午前10時ってどないよ?秋の夕暮れをなめてるのか?キ~~~っ!と半分やさぐれてバス乗り場に到着したらば、既にバス待ちの行列が出来てました。
あれ~~?だ・大丈夫か??
何を心配してるか?というと、『観光回遊バスの乗車定員は、法律で定められています。満席の場合は、次のバスにご乗車ください』の一文がありまして、どういう事かというと、立って乗車出来ません!って事ですね。ン~~??
なんとなく何でや!と不思議に思ってたんだけど、やって来た回遊バスは小型バスだった!だ、大丈夫かな~?
心配したものの、なんとか席も無事確保出来ました。バスは定時に出発。
観光回遊バスにはバスガイドさんがつきます。小田原宿の歴史や見所をガイドしてくれます。

小田原駅東口の次のバス停は「学び橋」。バスガイドさんは「学び橋の奥に小田原城の天守が見えます」でした。
う…。これは…。木が大き過ぎるかも?木が高過ぎるな。
10時3分。学び橋を通過。バスは旧東海道に出ます。次のバス停は「中宿町」。お正月の箱根駅伝の中継ポイント近くです。そしてバスは箱根方面へ。
板橋見附でかつての東海道の名残を残す細い道へ。すぐに次のバス停「松永記念館入口」へ。10時8分ここで下車します。
と。バス停の向かいにレトロ建築がありました。ここが内野家住宅です。
箱根板橋 内野家住宅(旧内野醤油店)特別公開公開時間:午前10時ー午後3時半。 入館料150円。
内野家は明治36年に建築され、醤油醸造業を経営していました。
明治の頃、川越で大火事があったけれども、土蔵造りの家だけは火事に合わなかった事から、当時土蔵造り風の町家が流行しました。内野家の当主も、土蔵造りを取り入れました。トップ画像は旧東海道に面していた側の建物です。土蔵によくあるなまこ壁が見えます。
石造りアーチなど、和洋折衷風の特徴がある意匠が取り入れられた建造物となっています。


まずは受付で入館料を支払いますと、受付の方が屋内に向けて声をかけました。「お客さん~。ご案内して~」
ん?
と。室内から法被を着た人が登場~。
んん~?もしかしてガイド付き??
ハイ。予想通り!内野家の公開は板橋まちなみファクトリーさん主催の公開イベントでした。
写真右手の男性が、内野種三郎氏。
内野家は酒の醸造業を営んでいた本家から内野種三郎氏(万延元年・1860生まれ)が分家して、箱根板橋で醤油醸造業を始めました。この種三郎氏が、内野家の建物を明治36年(1903)2月に着工、同年11月に竣工しました。
当時、川越の大火事で蔵造りの建物は被害を受けなかった事から、種三郎氏の意向で防火重視の蔵造りで建設。道路に面して袖蔵・店蔵が並んでいます。石のアーチの入口を入ると右手に小さな座敷があり、そこで客と対応してたそうです(画像取り忘れ)。
客と対応した小部屋の奥が母屋の住居部分。


レトロ建築は最近マイブームであれこれ見て回ってますが、入れ物だけ公開されてもどう使ってるか?想像が働かないのが残念でした。この内野家は内部もかつてのあれこれが展示されてて嬉しいです。

先ほどの部屋の奥にあるのがここ(上の画像は奥が旧東海道に面する表部分)。座敷ですね。欄間が女性の櫛にデザインしてあるのは、この部屋が女性用だから。なんか家の行事する時に使用したそうです。
この部屋で間に合わない時は、ふすまを払って一部屋にして使用したとか。尚、内野家では、襖と障子は夏用・冬用があるそうで、訪問した11月23日には既に冬用に取り変え済みでした。
床の間の脇の指物の細工がピカ一です。これは~、箱根だからかも?
さて、家の左側へ移動。
こちらはかつての隠居部屋。


 
後から増築した部屋だそうです。炉が切ってあって、趣味の部屋ですね。

趣味の部屋の廊下は窓の外のデザインも素敵です。
さて、内野家には階段が2つあります。来客用と普段用。まずは来客用の階段を上がります。
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鎌倉の化粧坂切り通しの通行止めが12月5日より解除されました。
10月11日午後に発生した倒木と土砂崩れで源氏山公園内の化粧坂切り通し。通れるようになりました。源氏山公園はお弁当を食べれる貴重な場所。寿福寺や浄智寺、銭洗弁天からも上れるけど、海蔵寺と組み合わせて観光すると化粧坂が使えないのは辛い。早く通れるようになってよかったです。鎌倉市にしては早い対応ですね。この早さを釈迦堂の切り通しでも発揮してくれよ。もう何年通行止めが続くんだ…。
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今年限りの風景です

2013年11月24日 17時39分53秒 | 小田原周辺
今日の更新はあんまり疲れてて無理!とは思ったんだけど、なけなしの根性をかき集めて記事書いてます。
なぜに疲れてるかというと、昨日の小田原観光がハード過ぎてて、筋肉痛なんです。特に太ももと腰がギギギ…って軋んでる感じです。
しか~し!!
トップ画像は箱根板橋にある松永記念館の老欅荘です。
ンで、記事タイトルの訳は…。
画像を見ても分かりにくいのですが、画像の右側にあるハズの塀が10月後半の集中豪雨で崩壊してしましたっ!
この角度から撮影された晩秋の画像は、秋の小田原宿観光回遊バスのポスターになってます。
なのに~~~っ!!
大変ですっ!!
老欅荘は、かつて「電力王」といわれた松永安左ェ門が自宅の敷地に建設したもので、意匠を凝らした茶室は国の登録有形文化財です。近代数寄屋造りの建築は、一見の価値あり!!
訪問した11月23日は、紅葉がようやく見頃に入った所でして、「ちょっと早かった!」のですが…。帰りがけにたまたま記念館の係の人が声をかけて下さったので、思い切って尋ねた所、10月の雨で崩壊したと知りました。
私「直せるんですよね?」と聞いた所、
係の人「それが…。小田原市の方で、カエデの木を切る事が決定されてしまいました…」
ぬゎんやて!!あのカエデを切るってかっ!!
木は国の登録有形文化財には入らないの~~??あそこにあるカエデの木が込みでの老欅荘の風景だと思うんだが…。
小田原市民は何を考えているのか…。塀が崩壊したのは自然災害だけども。だからと言って木を切って解決になるのか??

あのカエデとは、上の画像の門の上を覆い被さっている左側のカエデです。本来なら、上の画像の左下には崩落した塀があったのです。いい風情でしょ?これが今年限りの風景なの…。ちなみに、訪問したのは、11月23日の午前11時前です。ポスターの撮影は、反対側。老欅荘の庭から門の外に向かって撮影したものですから、同じ角度から撮影するには午前の光がふさわしい。
と言う事で、ともあれ、この景色は今年一杯の眺めです。小田原方面へ今から行こうか?と考えてる方、紅葉散歩の訪問地にぜひとも加えて下さい。
ちなみに、松永記念館に隣接する、秋葉山量覚寺は、小さいお寺ですが、中々に綺麗なイチョウとモミジがありました。

こんな感じで。
この後、板橋の明治の歴史散歩をしたのち、石垣山一夜城歴史公園へ、観光回遊バスを使って訪問。

小田原宿観光回遊バスを利用したら、一夜城歴史公園でボランティアさんのガイド付きでした。
一夜城は秀吉が作ったお城です。もう石垣しか残ってませんが、曲輪とか平地整備されています。上の画像は一夜城から眺めた小田原城です。
少し拡大してみました。矢印の先に、小田原城の天守閣があります。秀吉の一夜城と小田原城は直線でおよそ3キロ離れてます。
ちなみに、一夜城歴史公園への上り坂には、みかん畑があります。
バスの車窓からパチリ。みかんの黄色が目に鮮やかです。
露地物のみかんはちょうど収穫時期で、みかん狩りを楽しんでいる観光客の姿も。
この後、またまた観光回遊バスを利用して、小田原漁港へ。行列の出来る魚市場食堂で遅めのお昼ご飯。まさかの30分待ちでした。注文したから出て来るまで20分。5分で食べてまたまた観光回遊バスのバス停へ。その後、鎌倉文学館へ。

こんなに綺麗なのに、ダンナは赤いモミジではなくFacebookに熱中してます。もね。立ち止まってはFacebook。いいんだけど、バスは30分に1本しかないからして、ムダな期間はかけられん!!
何が筋肉痛って、箱根板橋の坂の上り下り。一夜城の上り下り。鎌倉文学館から清閑邸へ急ぎ足で移動して上り下り。しかも途中一切の休憩なし!も。若くないのに…。
無理した理由は30分に一度のバスの時刻表のせい。
そんでもって、最後の最後、15時3分発鎌倉文学館の回遊バスが15分遅れで来た挙げ句、満席で乗れなかった!から。しかも!!そこで諦めたらいいのに、鎌倉文学館から16時までの開館時間でもなんとか間に合おうと!無理クソ急いで移動して清閑邸訪問もしたから!!や…止めとけばよかった~~

秋の日暮れはつるべ落とし。帰りの小田急線途中で日が落ちてしまいました。つ・疲れた…。小田急の車窓から暮れ行く富士山をのぞみつつダンナに「万歩計持ってる?」と尋ねたらば「11000歩超え」だって!
え??たった11000歩??こ・こんなに疲れてるのに????
今日の敗因は、上り下りの多い行程に加えて休憩無しでしょうか?

明けて翌日。今日はSC相模原VSFC町田ゼルビアのシーズン最終戦にてこの戦いで3位4位が決まる決定戦が調布の味の素スタジアム西競技場であるので、今朝起きるまで行く気マンマンでした。ンでも、起きた瞬間む無理だと判明しちゃいましたよ…。もうヘロヘロでございます。明日も記事書けるかどうか…。腰がっ厳しいんだ…。も。若くないんだから…。

小田原宿観光回遊バスは、春と秋の期間営業です。今年2013年は、10月5日から11月24日までの毎週土日。祝日に運行されています。料金は200円ポッキリ!!最初に乗車する時に、200円支払えば、冊子がもらえます。この冊子が乗車券代わりで、何度利用しようが、運賃は最初に払った200円ポッキリ~~っ。小田原の観光ポイントにバス停が計14カ所設定されてて、14時を除く、30分毎に10時から16時までの運行です。
早足で観光して、調度いい時間にバスがやって来るのですが、どうやら2台ぽっきりのバスで回してるようでして、しかもうち1台は小型バス。どんなに利用客がバス停で待っていても、小型バスはシートに数しか客を乗せてくれません。私は小田原文学館で並んでいたバス待ち客は全て積み残しにされてしまいました~。しかもっ!バスガイドさんが言うには、「一つ前の小田原漁港でも積み残し客が出てしまったんですっ!!」と。言い訳になってない~~。つーか、そういう状況ならば、先に連絡があってもいいんじゃないのか??と。ええ。もうあと一カ所寄ったら帰宅するタイミングの15時3分小田原文学館発で積み残されてしまいまして。さあ大変っ!16時までの清閑邸の開館時間に間に合わない~~っ!!と。小田原文学館から猛ダッシュしちゃいました。しかも、乗れなかったバスは、定刻に10分以上到着が遅れたという…。ナニソレ~~~ッ!!!みたいな?や。価格は極めて利用し易い設定だし、上り下りが大変な一夜城もコースに入っていて、更には一夜城歴史公園と小田原城の2カ所ではNPO法人のガイドさんが待っててくれるという…歴史好きには至れり尽くせりの素晴らしき催しだったんだけどね。そういう観光客は年配者も多くてですね。杖を着いた年配の観光客が、私らと同じく小田原文学館のバス停で積み残しに合われてたのを見た時、せめて大型バスだったら、シートが埋まってても、乗せてくれたのに…。と。私は積み残しを告げられて即移動したので、あの人がどうしたのかは確認してませんが…。来年は改善の余地有りでしょう。
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小田原明治の歴史散歩

2012年07月02日 05時40分28秒 | 小田原周辺
清閑亭前の坂を上って、少し下った所に山角天神社があります。
でもここを訪問した目的は、瓜生外吉の胸像があるからです。
以前記事にしたことがあるので今回はサラリと。瓜生外吉の胸像(2011年11月11日)の記事こちらの記事に、瓜生外吉の像の画像があります。
瓜生外吉は、日露戦争の開戦を告げる号砲を鳴らした人です。
山角天神社は、小田原城下に散らばる散策のポイントの分かれ道にあります。

目印の場所です。
山角天神社の北西側に続く道には瓜生外吉の名前がつけられています。

上の画像の左にのびる坂がそう。
天神社の階段の下に細い道を南東へ向かうと、山下亀三郎の旧邸跡があります。それがトップ画像。
山下亀三郎は、山下汽船の創業者で、『坂の上の雲』の主人公、秋山真之と同郷だった縁から、盲腸を患った秋山真之はここで静養し、亡くなりました。今ならば、盲腸で亡くなる人はいないけど、あの時代は死に至る病だったのですね。

こちらも以前記事にしてるので今回は割愛。「坂の上の雲」秋山真之終焉の地(2011年11月10日)の記事 こちらの記事で、生前の秋山真之の写真も確認出来ます。とってもイケメンでした。
トップ画像は、山下亀三郎の旧邸だった『対潮閣』の正門部分でした。面影があるのはここだけかと…。
対潮閣跡から更に道なりに約200メートル弱、ここでかつての小田原城の箱根口門跡に到着します。が、その前に…。
国道1号線へ向かい、ういろうを買いに立ち寄ります。

並ぶういろうは白・茶・小豆・黒などなど。う~む?悩む…。
「すみませ~ん。どれが一番伝統的なの?」
「こちらの黒糖のういろうは、室町時代からある伝統のういろうです」
なぬっ??室町時代ですと~?
「ください」
「ありがとうございます。1棹600円になります」
画像は帰宅後撮影しました。色々説明の紙もいただいたので少し紹介しますと…。
「お菓子のういろうのいわれをご存じですか?
「ういろう」とは、もともと外郎家の姓なのです。約600年前、外郎家二代目外郎宗奇が自らつくって客の接待に供したのがはじまりで、外郎氏の菓子というところからいつしか略して、この菓子を「ういろう」と呼ぶようになったのです。
したがって、お菓子のういろうの歴史は、外郎家の歴史と切り離して語ることが出来ません。
外郎家の先祖は、陳延祐と言い支那台州(浙江省)の人です。元の順宗皇帝の時、大医院並びに礼部員外郎という役でしたが、元が明に滅ばされたとき、日本に帰化したのです。1368年筑前博多に来て、陳外郎と名乗りました。その子大年宗奇が京都に招かれて、朝廷に仕え、客の接待に自ら作って、供したのがこの菓子のはじまりです。
外郎家五代目藤右衛門定治が北条早雲に招かれて、小田原に移るとき、弟に典医の職と「お菓子の製法」を京都の家と共に遺して来ましたが、京都の外郎家はその後、室町幕府と共に兵火にかかり世継ぎもなく断絶してしまいました。ちなみに、全国に「ういろう」という名に似たようなお菓子があるのは、京都の外郎家に仕えていた職人が、お菓子の製法を全国に広めたからだそうです。
「お菓子のういろう」は米粉・餅粉・砂糖等で造られていますが、砂糖は元禄時代白砂糖が使用されるようになるまでは、あめ、みつ、黒砂糖が使用されておりました。
ちなみに、「ういろう」を「お菓子のういろう:と呼ぶのは「薬のういろう」と分けるため。
「薬のういろう」は…。
初代陳延祐が医術と占いに優れており、将軍足利義満から京都に招かれる程の人でした。
外郎家の薬「霊宝丹」は朝廷に珍重され、後に天皇から「透頂香」の名前をいただきました。
豊臣秀吉が北条家を滅ぼした時、北条一族家臣は城下に残さない方針でしたが、外郎家だけは特例で残されました。以後外郎家は薬を一般に売り出し、医薬に専心することになりました。
享保年間、歌舞伎役者の市川団十郎は持病の咳と痰のため台詞が言えず、舞台に立てず困っていました。その時、「薬のういろう」のことを知り全快。団十郎がお礼に創作したのが歌舞伎十八番の「外郎売」でした。
なので、「ういろう」にはお菓子と薬の二つがあるのですね。
ちなみに、外郎家は、朝廷から十六の菊の紋と、五七の桐の紋を与えられています。
そして、お店の建物がまるでお城のような訳も、壊れたら八つ棟を立て直すのが遺言となっているからで、立て直した回数で、小田原の地震の回数が分かる程なのだそうですよ。
へえ~へえ~へえ~っ!!!
思いがけない程の歴史ポイントであった…。
何もおかしなものが混ぜられていない「お菓子のういろう」は、賞味日数が短かったです。んでも、昔なつかしい味でした。思わぬこってり系の羊羹でございました。
ちなみに、外観の画像はこちらの記事で紹介してます。何コレ!ういろう博物館(2010年7月8日)の記事

さて、次の目的地は「開成あじさい祭」です。なので、小田原駅へ戻ります。
最短距離を行くべく小田原城を突っ切ることに。
箱根口門跡
門の両側にかつての小田原城の総構えの一部、土塁が残っています。が、見るには小学校の校庭に入らないとムリだと思う。小学校の柵から覗くのが精一杯だな。

時節柄、こんなんがありました。
そういや、鎌倉でも「ここは海抜●●mです」っていうのあちこちで見たよな。
小峰橋(お茶壺橋
お茶壺橋~??何ソレっ!
説明板発見:江戸時代に小田原城三の丸への出入り口としては、大手口と幸田口、箱根口があり、それぞれ大手門、幸田口門、箱根口門を設けていました。
南方の箱根口門から入城すると、この小峰橋を渡り、次に住吉橋を渡って内部に入ることができます。
この橋の正式名称は小峰橋ですが、現在ではお茶壺橋という名称で親しまれています。
江戸時代、宇治から将軍家に茶を献上する際に、瀑布はお茶壷道中と呼ばれる行列を仕立てて運搬しましたが、小田原城内にはお茶壺を保管するためのお茶壺蔵が設置されていました。その際、お茶壺がこの橋を往復したことにちなんで、お茶壺橋と呼ばれるようになったといわれています。
だそうで。お茶壺道中かぁ~。なんか「水戸黄門」のドラマで見たような~。そういや、茶坊主ってのもあったような…。

さて、あじさいと菖蒲が咲く東堀へ戻って来ました。ここから小田原城へ行くには、常盤木門から天守閣の広場を突っ切ってお城通りへ抜ける道と、東堀から弓道場の側を通り東へ抜け、弁財天通りからお城通りの2方法がある。でもせっかくの小田原城なので、あっこさんに「天守を見てく?」と誘ったら、「うん」と。そんで天守閣を見ながら北口へ向かいました。
ん~?確かここ、駐車場だったハズ…。

なんか、調査中でした。ここはかつての御用米曲輪があった場所。現在、史跡整備の為の発掘調査を実施しているそうです。
ここにかつては米蔵が立ち並んでいたのですかねえ?ロマンじゃ。
さて小田原駅に到着。既に時刻は12時を大きく過ぎております。こっから小田急線で新松田駅へ向かうのじゃっ!!つーか、うっかり今日は詰め込みすぎて長くなった!ブログ書くのに疲れてどうする。反省してもう少し記事を短くしよう~…。
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本日、アジサイ散策のフォトアルバムに相模原市麻溝にある麻溝公園のアジサイの画像を追加しました。
お寺・水田・お城とアジサイのコラボに続き、公園におけるアジサイ。全てアジサイの名所として有名な場所ですが、見せ方は様々なのですね。
2012アジサイ散策
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小田原歴史散歩

2012年07月01日 05時41分35秒 | 小田原周辺
小田原城に隣接して報徳二宮神社があります。
二宮神社の主祭神は二宮尊徳。この名前に聞き覚えがない方でも、二宮金次郎の名前なら知ってるかも?同じ人物です。
彼は江戸時代後期に数々の業績を残した人で、小田原出身なのでした。
ちなみに過去記事で既出なので、今回は割愛。
二宮尊徳って知ってる?(2010年7月10日)の記事こちらの記事で、二宮金次郎のあの銅像の画像を確認出来ます。
参拝して次に向かうは清閑亭です。
ってあれ?
報徳博物館前にいらした二宮金次郎の像
報徳博物館は、二宮尊徳(金次郎)が若い頃、中間奉公していた小田原藩家老の服部家のあった場所から200メートルの位置にあります。当時は近藤某という書物好きな藩士の屋敷があったそうですよ。そして尊徳はここで書物を借りて読んでいたんだって。やっぱり二宮金次郎といえば、本だよな~。
さて、清閑亭へは、報徳博物館の先の道を左折した所にあります。結構な上り坂。
清閑亭
清閑亭は、旧福岡藩主黒田侯爵家の別邸でした。この建物は小田原城の三の丸土塁の一角を占めています。この辺りは急坂を上った所にあり、箱根からのびてきた尾根の先っぽに位置しています。
清閑亭はかつては山下亀三郎の別邸と隣接。また閑院宮家の別荘も立ち並ぶ、実業家・軍人・政治家が別邸や別荘を構える時代が小田原にはあったのです。
では内部を紹介。
  


二階は遊び心いっぱいでした。竹が多く使われていて、あちこちに今も残る黒田侯爵のこだわりを探しつつ見学するのも面白い。

司馬遼太郎著『坂の上の雲』の主人公、秋山真之は、清閑亭に隣接する山下亀三郎氏の別荘だった対潮閣の二階で、海を眺めつつ亡くなったそうです。上の画像とおそらく同じような感じだったのかな?と。想いをはせたりして。

と。さらりと紹介しましたが、実は訪問した6月18日は、清閑亭でArt Now in 清閑亭(6/17-7/8)が開催されておりました。そして旧食堂のあった部屋では、どちらかのお寺の住職の法話講義があり、他の部屋では写経をされてる方がちらほら。清閑亭は国の登録有形文化財なのですが、こんなに利用されてる建物も珍しいんじゃないかな?以前訪問した折りは、ゾウの花子の油絵展が開かれておりました。
小田原清閑亭(2011年11月13日)の記事 清閑亭(2011年11年12日)の記事
今ではもう手に入らない超高級な木材を贅沢にふんだんに使用しています。や。屋久杉の天井とか、北山杉の一本使いの梁とかとか。
このまま明治の小田原を一挙紹介の記事にしようかと思っていたのですが、長くなりそうなんで2つに分けます。

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