あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

蔵出し画像

2014年12月31日 01時08分01秒 | マンホールのふた
今年も最後の一日となりました。今年は体調を崩してしまい、ブログ記事の更新も途絶えがちになってしまいました。
思いの外嬉しかったのは、ブログ更新をさぼってたのに、アクセス数はさほど減らなかったことです。心優しい皆様が、私のブログを閲覧して下さってるのだなと。気付けた事も嬉しかったです。2014年最終日は、秋口に記事の中に入れにくくて、掲載を見送ってしまった画像を紹介します。
まずトップ画像は?
横須賀市観音崎公園から浦賀駅に向って歩いてたときに撮影した、カラーマンホールです。確かかもめ団地近くで見つけたような…。
引き続きましてもカラーマンホール

こちらはJR中央線国分寺駅近くで撮影しました。国分寺の市の花なのですかね?WIKIによりますと、国分寺市の市の花はサツキとありました。
続きましては、靖国神社の門前の店で今年採取した総理大臣シリーズの土産もの。



毎年靖国神社を訪問してる訳ではありませんが、訪れる度に違う総理大臣シリーズが出迎えてくれるのはいかがなものか?
何を呆れてるのか?というと、こちらの記事を参照し手下さい。
靖国神社と北の丸公園の銀杏(2012年12月17日)の記事こちらに帰って来た晋ちゃんまんじゅうの画像があります。
太郎ちゃんまんじゅう&純ちゃんまんじゅう(2008年12月7日)の記事こちらに麻生太郎総理・小泉純一郎総理の時の総理大臣シリーズの画像があります。
靖国神社のイチョウ並木(2011年12月18日)の記事こちらに野田総理の時の総理大臣シリーズの画像があります。
続きましては懐かしのスラムダンクカード!

よく本屋やおもちゃ屋の前に置いてあるカードです。それのビッグ板。何が凄いって、これ撮影したの今年なんだもの。スラムダンクが週間ジャンプに載ってたのって、今から20年以上前だよな。私スラムダンクのコミックス全巻持ってるわ。スラムダンクの隣に、ドラゴンボールが置いてあるのもなかなかのセンスです。おもちゃの世界の流行りってよくわからない…。
最後は面白いと思う人がどんだけいるのか??と思いつつ今まで放置し続けてた画像です。

これ、何~ンだ?
答え:木耳!

最近、スーパーとか伊勢丹デパートのきのこ売り場って、謎のきのこが並んでる事があります。栽培出来る食用きのこが増えてるのでしょうか?きくらげもこれ、生キノコの状態で販売されてました。キクラゲといえば、ラーメンのトッピングとか中華料理で使われてるコリコリする奴です。大概感想した状態で売られてます。私、中華のきくらげと豚肉と玉子を炒めたの大好きなんですよ。生きくらげも豚肉と炒めて食べちゃいました!でも需要はあんまりなさそう~。だって、きくらげの生のパック見たのこの時だけだったんだもの。

最後はヤギです。
これ、最近流行りのヤギに雑草を食べさせるプロジェクトです。伊勢原市日向薬師へ彼岸花を見物に行ったときに撮影しました。これって役立つのと手間なのとどっちがお得なんだろう?どうなんだろうな~?
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吉田松陰・佐久間象山所縁の宿跡

2014年12月30日 01時36分25秒 | 歴史散歩
東叶神社を出発したのが既に15時20分過ぎ。大分夕日テイストになってきた太陽を横目に浦賀駅を目指します。途中で、小さな桟橋から、小さな船が出て行きました。
あれは何だ??
説明板発見:渡船場
渡船の歴史は古く、享保18年(1733)の「東浦和明細帳」には、渡船を修復する際、周辺の村も東西浦賀村と応分の協力をすることとあり、操業が確認されています。
当時の船頭の生活は、東西浦賀村の一軒あたり米6合で支えられていました。
平成10年8月に就航した現在の「愛宕丸」は御座船風のデザインとなっています。
この航路は「浦賀海道」と名付けられ、横須賀市道2073号となっており、東西浦賀を結ぶ渡船は、浦賀のシンボルの一つです。
ちなみに渡し賃は大人150円。小中学生50円。自転車・ベビーカー50円です。
つーか、水上の市道なんてものがあるとはっ!!びっくりですわ。
でも渡し船はいま出たばかり。え~と、今何時だ?
15時25分です。…明るいうちに電車に乗りたいのでパスじゃ!
渡し船の乗り場前に、何から石柱があります。何かしら~~??

おおっ!!まさかここで、吉田松陰と佐久間象山の名前を見る事になるとはっ!!
あ。説明板がある!:徳田屋跡
徳田屋は江戸時代から明治・大正期まで続いた浦賀を代表する旅館です。
創業は明らかではありませんが、寛政の改革を行った松平定信が相模・伊豆の沿岸を視察した折りに宿泊したという記録からすると、1700年代の終わり頃には存在したことがわかります。
しかし、正式に旅宿(御用御宿)となったのは文化8年(1811)3月のことであり、これが浦賀の旅館の始まりです。
ペリーが来航した嘉永6年(1853)6月には黒船を見聞するために吉田松蔭が二度目の宿泊をして、ここで佐久間象山と会っています。松蔭も象山もこれより二年前の嘉永4年(1851)に、松蔭は熊本藩士・宮部県蔵とともに江戸湾沿岸の防備状況視察のために、象山は門弟の小林寅三郎をともなって思索の旅で徳田屋を訪れています。
この他、浮世絵師び安藤広重が安政5年(1858)に、これより先の安政2年(1855)には木戸孝允(桂小五郎)が浦賀奉行所・与力中島三郎助に造船技術の教授を得るために来訪した折りに泊っています。
幕末から明治維新の激動のなかで浦賀を訪れた数多くの武士や文化人が徳田屋に宿泊し、ここから日本を見、世界を見て時の移り変わりを認識して、近代日本が誕生したわけですから、その意味からも徳田屋の果たした役割の大きさは大変なものがあります。
その徳田屋も大正12年(1923)の関東大震災の際倒壊して姿を消してしまいました。
現座上原家の所有地であるこの場所が徳田屋の跡地であります。
歴史上のビックネームがゾロゾロと…。
そういえば、鎌倉の瑞泉寺を訪問した折りにも吉田松陰が宿泊した石碑を見かけたような…。え~と?
鎌倉瑞泉寺の紅葉(2012年1月21日)の記事この記事に吉田松陰先生留跡の石碑の画像があります。
吉田松陰と桂太郎(2010年10月2日)の記事こちらの記事に吉田松陰のお墓の画像があります。ちなみに、山口県萩市に残る松下村塾を再現した建物もあります。実は神社の敷地内にあります。普通お墓があるのはお寺であって、神社にお墓はないのですが、この神社はその名も松蔭神社!ご祭神が吉田松陰です。ちなみにちなみに、松陰神社から徒歩10数分の場所に、安政の大獄を起こした井伊直弼の菩提寺、豪徳寺さんもあるので歴史散歩の折りには2つをハシゴするのもいいかも?なぜにこないに吉田松陰押し!かというと、まもなく放送が始まる2015年度のNHK大河ドラマは吉田松陰の妹が主人公の「花燃ゆ」だからです。どうすんだろ?1年も放送出来るネタが吉田松陰の妹に残存してるとは思えない。またねつ造、あ。違う違う。創作部分増量でいくのかしら?キャスト次第で見ると初回から数話は思うけど。
さて出発です。徳田屋の前の道はとても狭い。かつてとそう変わらない道の模様です。バス道はもっと山側を走っています。
小径に区分けされた家々もこじんまり。

家の壁のツタが紅葉して綺麗です。

細い路の先でバス道と合流。湾沿いに進んでいます。左側は高い塀!!
うわ~~~。海まで数メートルのハズなのに、海が見えないとは…。
理由は、左側が造船所だから!
かつて浦賀ドックがありました。今も造船所なのかな?どうだろう??高い塀に阻まれて全く見えません!
やがてようやく浦賀駅が見えて来ました。あと、信号を渡るともう目的地~~。





駅前の信号の高い塀に貼ってあった観光の看板です。時刻は既に午後16時前。つ・疲れた…。時間の目測を誤ってしまいました~。浦賀の歴史散歩は亦今度です。
浦賀駅は京急電鉄の始発駅。電車を待ってると、聞こえて来たのは…。
ドシラドシラドシラソラシドシラ~
ゴジラのテーマ曲でした~~~~。最後の最後でゴジラ!!何か元気出た!
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東叶神社

2014年12月29日 01時42分49秒 | 神社・仏閣
観音崎公園の展望園地を出発したのが午後2時頃。海を眺めつつ徒歩で移動して約1時間、本日最後のど~しても訪問したかった場所、東叶神社に到着です。
鳥居は海に向って立ってます。というか、道1本挟んで目の前は海です。

距離感からするとこんなです。
説明板発見:東叶神社
祭神は京都の石清水八幡宮と同じ応神天皇(第15代天皇)です。
この神社は、養和元年(1181)8月15日、高雄山神護寺の僧文覚が、源氏の再興を願って岩清水八幡宮の霊を迎えたことに始まるといわれ、その後、源頼朝によってその願いが叶ったことから叶大明神の名前で呼ばれるようになったと伝えています。また、このほか新編相模国風土記稿や皇国地誌残稿などには、この神社に関する記事が載っています。
神社の裏山を明神山と呼び。標高は約50メートル。
後北条氏の頃、しばしば房総半島の里見水軍が、三浦半島に攻撃をかけてきましたので、それを防ぐために、この明神山に水軍を配置しました。山頂には、この神社の奥宮があり、その左手に「勝海舟断食の場」の標注が立っています。
明神山の素晴らしさは、よく保全された自然林で、木々の種類も豊富なことです。特にウバメガシの自生は、県内でもこの明神山と城ヶ島だけで、ここが分類の北限とされています。

なるほど!拝殿下の石段の脇に簡単な境内地図がありました。地図から近いのがこれ。

水かめ?あ。説明板発見:この流水は、右奥にある「勝海舟断食修行の折、使用の井戸」からくみ上げている水です。
比叡山延暦寺の高僧よりご託宣が伝えられ、この流水を硬貨に掛け流し常に身につけることにより、弁天様のお力も相まって、開運と金運のご利益が得られるとされております。
注意:この水は飲まないで下さい。
ン!いつものご利益だね。でも勝海舟が断食修行をどうしてここでしたのかな??気になるう~~~。
調べた!つーか、横須賀市観光協会の人から送られてきた資料の中に答えがあった!
勝海舟と断食修行:安政6年(1859)11月、幕府は日米修好通商条約批准交換のため使節派遣を決定し、アメリカ軍艦ポーハタンに便乗せしめ、ワシントンに向わせることにした。随行艦として幕府軍艦咸臨丸の派遣も決まった。
勝海舟は、随行艦咸臨丸の船将の職を受託するにあたり、東浦和叶神社別当耀真山氷神寺に詣り、境内にある井戸水を汲んで潔斎・水垢離を済ませ、修行用の法衣に心身を整えた後、苔むした山道を山頂に上り、千古鬱蒼とした樹林に囲まれた奥の院の片隅、幽厳の地を選んで座禅を組み、断食修行に入ったものである。(中略)叶明神の祭神である八幡神は、もともと海神で航海・渡航の守護神であることを聞いていた海舟は、今回の太平洋横断航海の一路平安について、叶神社の加護を祈念し、併せて自己の精神的並びに肉体的荷重圧迫の克服を謀るために、断食修行を思い立ったのであろう。
う~む。深いですね。では早速石段を…。

石段の途中には立派なソテツがありました。え~と?何か書いてあるな「この蘇鉄は、源頼朝公が源氏再興の折り伊豆より移植奉納されたものである」
いくらなんでもそれは…。800年ものの蘇鉄が現存するハズはない。でもその子孫の可能性はあり!なのか??まあ史実の象徴として植えてあるんでしょうが…。盛り過ぎじゃないのか??

む・無理!もう足が上がらない~~~~~~。

拝殿の背後に見えてるのが標高50メートルの明神山ですが、拝殿の左脇から続く急階段が目に入ったらもう心が折れてしまいました~~~。て、撤収~~~っ!!!
ちなみに、東叶神社ではm「勝海舟所縁の勝守が売られています。ご利益は、あらゆる試験・スポーツ・くじ・またおのれに勝つ!おのれに、そして人生に勝つ!だそうです。つまり海上安全・旅行安全ですね。買ってくれば良かった…海の上の船釣りが趣味の父親にぴったりだったのに~。もう疲れ果ててたんだよ…。
ちなみに…。世の中の女性達に人気のパワースポットでもあります。これは、東叶神社でお守り袋を購入し、浦賀湾を挟んで立つ西叶神社で勾玉を購入し、守り袋に勾玉を入れて持つと願いが叶うというアイテムを求めて集うのですよ。パワースポットとして有名です。でも今日はもう無理!動けない…。辛い。と。重くなる足を騙し騙しで浦賀駅を目指します。
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ゴジラ上陸の地

2014年12月28日 01時45分43秒 | 歴史散歩
観音崎公園・展望園地で28サンインチ榴弾砲のレプリカを見学。ここは観音崎自然博物館の駐車場の側でもあります。駐車場の公衆トイレを利用したらば、道のガードレールが灯台デザインでしたっ!何コレ!面白いっ!!

あ・ついでに駐車場のおじさんに聞いてみよう!
「すみませ~~ん。この近くに第二次世界大戦時のトーチカがあるハズなのですが、どこにありますか??」
「え~~??そんなのあったっけ??」
ええ~~~ッ!!!????何で観音崎の駐車場のおぢさんが知らないのォ??
まさか?の返答にまごまごしていると、駐車場の案内のおじさん2が登場です。
おじさん2「どうしたの?」
私「や。この近くにこんな(絵地図のおさんぽマップを見せる)のがあるハズなんですが…」
おじさん2「何か駐車場の端に、コンクリートの小さい建物があるけど、それかな?」
私「行ってみます~」
と。心配しつつも行ってみると、こんなんありました!

道路側からだと、この構造物の構造が分かりません。でもたぶんコレ、合ってるわ。トーチカって攻めて来る敵に対する防御施設です。攻める敵に見つけられ易いのはイカンのです。トーチカの中から銃で射撃出来るように、しかも榴弾砲の直撃にも耐えられるように頑丈に作ってあるのです。でもまさか観音崎にトーチカが残ってるとは思わなかったけどな~。コレ、本物?それともレプリカ??や。復原したの~??何も解説がないから分かりません。つーか、ここの駐車場のおじさんすら知らなかった程、認知度が低い模様。どうなのかな~??
駐車場の向いに、何かあったので行ってみた!
まさかの!!ゴジラの足跡10分の1サイズだった!(トップ画像です)
説明板発見:「皆さんはご存知ですか?覚えていますか?」
~昭和33年から昭和48年まで~ ここ、たたら浜に「ゴジラのすべり台」があったことを…
当時、ゴジラ映画の第一作でこの地にゴジラが初出現したことを記念して、地元有志と協賛企業が協力してゴジラの滑り台を造りました。
当時は、幼稚園や小学校の遠足など東京・横浜からも沢山の人達が訪れ、皆に愛され親しまれ人気の観光スポットでしたが、潮風なおの影響から風化が進み危険防止のため、惜しまれながら取り壊されました。
(以降の文章は説明板が破損してて読み取れません)
たたら浜
たたら浜は綺麗です。つーか、今いるのって殆ど海抜0メートル。もっぺん観音崎公園に戻ると、また高低差がァ~~~!!既に午後2時超えていてですね。10時過ぎから殆ど休まずに歩き続けてましてね。もっぺん急坂を上がる元気が…。
さあっ!次行ってみようっ!!
観音崎公園歴史巡りを諦めて、浦賀歴史散歩へ変更だっ!!
道なりに進んだ観音崎大橋は、画像がないのですが渡ってるときは殆ど普通の道路ですが、歩道から横を見ると、海の上なんですよ。大橋といいつつも橋脚が低い。しかも海の水が澄んでいて、海中を泳ぐ魚の姿も見える!!とっても素敵です。やがて鴨居港が見えて来た。さあ、右へ進めば浦賀駅への近道。でも東叶神社を見たいんだ…。と、左へ進む事に。歩いて大丈夫かなあ~??体力的に。
やがてかもめ団地という大きな団地が見えてきました。なんか…ここだけ浮いてる…。なんか、かもめ団地限定かくれんぼとか鬼ごっことか開催してみたい程だ。「鉄腕ダッシュ」でやってくれないだろうか?

かもめ団地を過ぎると、釣り船が多く集まってました。でもさ、角度的なものだけど、海・釣り船・奥に団地のビジュアルはどことなく辺だよな。なんというか、実は存在しない風景に見えるのね。つ、疲れてるんだ~~。もう頭がまともに動いてないわぁ~…。
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観音崎の28サンチ榴弾砲

2014年12月27日 01時05分36秒 | 歴史散歩
観音崎公園第三砲台に貼ってあったポスターに大いに興味を持ち、展望園地へ移動しましたらば、見えて来ました~~~
おおっ!!本当ににあった~~~ぁ!!
あれ??
ンでも何かヘンっ!?

これって、もしかしてハリボテじゃね??
え~と??これって、竹で砲作ってあるよね??
うわ~~~。何か、嬉しいけど??嬉しいんだよ?んでもコレジャナイ感が凄いんですけどォ~~??
あ。説明板発見!28サンチ榴弾砲
これは今から約120年前に作られた大砲の模型です。
当時、日本ではよその国の軍団の襲撃から守るため主要な海岸にこのような大砲を備えておりました。
砲弾の直径は28センチメートル。長さは75センチmで、飛ぶ距離は最大7800メートルです。
(およその目安は対岸の富津岬までの距離です)
観音崎には当時東京湾を守るために、これら大砲を備えた砲台がいくつもありました。海の見晴らし台にある第三砲台にこの大砲が据え付けられていました。
今は戦争のない平和な世の中になりましたが、昔はこのような時代があったことを思い起こしてもらうために、観音崎公園のボランティアが作って、展示したものです。
皆さんに長く見てもらうために大切にしてください。
へえ~へえ~へえ~~。有志が作ったレプリカだったのかぁ~~。
あ。ちなみに、本日の記事のトップ画像に使用したのは中国。遼寧省旅順にある203高地にある28サンチ榴弾砲です。
203高地、28サンチ榴弾砲(2010年8月7日)の記事 こちらの記事は、2010年7月の旅順・大連旅行記の旅の記事です。一連の記事は、左のバーの中のカテゴリーに「旅順・大連旅行記」として独立して作成してあります。興味がありましたら閲覧下さい。
レプリカの横にベンチ発見。おやつ休憩じゃ!
目の前には、東京湾を出入りする船が右へ左へ。

まったりしつつお茶とあられを食べてたらば、背後からイヤな気配がっ!!
反射的にダンナに差し出していたあられの袋を引き寄せたらば、ダンナと私の間をトンビが飛び抜けて行きました!!
しかもっ!!くそっ!とばかりに帽子の上から蹴っていきやがった~~~!!このクソトンビがっ!!
でももう~~~失敗しないっ!私は稲村ガ崎で学んだんだよっ!!
トビに襲われた(2012年3月28日)の記事 こちらの記事に稲村ケ崎でトビにあんパン持っていかれた経緯が書いてあります。

レプリカを置いてあるのは、上の地図の現在地とある展望園地です。

無事にあられをトンビから守り切り移動です。つーか、トイレへ行っておこう。
ちなみに園地にはこんなんも展示してありました。

ペリーが浦賀に来航した時に、測量したのは観音崎だったのですね。幕府は伊能忠敬の全国皇輿図を見せて対抗したという歴史的な地図です。
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戦没船員の碑

2014年12月26日 01時25分01秒 | 歴史散歩
観音崎公園・第三砲台を見学した後移動。高低差が殆どない。第三砲台から近いからと選択です。こうね、観音崎公園に残る海軍の遺跡を効率よく周るまわり方ってないのかな?公園内に高低差があるから効率はとても大事だと思う。
さて、到着したのは戦没船員の碑です。

海が見えます。

地面には世界地図。

戦没船員の碑 第二次世界大戦で海難事故で亡くなった6万余人の船員の霊を慰め、永遠の平和への願いを込めて建てられました。
海難事故と書いてありますが、そのうちどれくらいが戦争で標的になって鎮められたのか?飛散な出来事よのう…。
海を眺める。

海に明度を合わせたら、手前の文が黒くなってしまったので、明度を上げました。
どこの海で亡くなられたのかな?安らかに眠られてるといい。

同じ広場に進徳丸の錨を展示してあります。
でもそもそもここへ来た目的の大浦堡塁砲台がないっ!え~??大分探しましたが発見出来ませんでした。もちろん富士山も見つけられず…。
大分探したので、今一番気になってる所へ行こう!!
目指すのは、展望園地=南門砲台です。さっき第三砲台に、28サンチ榴弾砲のレプリカ展示してあるって貼ってあったんだよね。

気になるう~~~~。だって私、NHKドラマ『坂の上の雲』を見て。203高地の舞台、旅順の旅をしてしまった程ですから。28サンチ榴弾砲って、あれで旅順戦の勝敗の決め手になった奴だもの~~~。
い・行くぜっ!!
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観音崎灯台と砲台!?

2014年12月25日 01時45分04秒 | 歴史散歩
観音崎公園を散策中。ほとんど海面と同じ標高の外周から階段で一気に登りますと、観音崎灯台に到着です。
説明板発見:観音崎灯台
明治維新を2年後にひかえた慶応2年(1866)5月、幕府はイギリス・フランス・アメリカ・オランダとの間に改税約定を結びました。その第11条に、灯明台を備えなければならないことがうたってあります。また、各国が提出した灯明台箇所書には、相模国三浦郡三崎及び観音崎が示されてありました。
幕府が倒れ、明治元年(1868)となりましたが、9月17日に灯台の建設が始められました。横須賀製鉄所首長であったフランス人技師、フランソワ・レオンス・ヴェルニーが建設を担当することになりました。横須賀製鉄所で作られた煉瓦と石灰を使い四角形白塗装の建物とフランス製レンズを備えた灯台が12月29日に完成しました。そして、翌明治2年1月1日に我が国最初の洋式灯台が光を発しました。
大正12年(1923)6月26日に光源として白熱電燈が用いられるまでは、菜種や落花生の油、パラフィン、石油などが燃料に用いられてきました。その初代灯台は、大正11年(1922)4月26日の地震により大亀裂を生じました。翌年が津5日に二代目の灯台が改築されましたが、5ヶ月を経た9月1日の関東大震災で崩壊してしまいました。現在の灯台は、大正14年6月1日に完成した3代目のものです。
構内の左手に並ぶ句碑が、灯台守の厳しい生活と出船に対する情愛の深さを味わせてくれます。
 ●霧いかに深くとも嵐強くとも  高浜虚子
 ●汽笛吹けば霧笛答ふる別れかな 初代海上保安庁長官 大久保武雄  だそうで。
入場料200円をケチってしまいました~。アホか~。ブログのカテゴリーにレトロ建築があるのに、チェックし忘れるとは…。その時階段登りでヘバっていたとしてもあおの時の自分を殴ってやりたいっ!
さて。次はどっちへ?径ないんですけど~~??

見つけたのは、岩を削って作った細い径でした。こういうの、鎌倉の切り通しにもあったよ。昔の日本人って本当に無茶するよな。
やがて見えてきたのは、私が観音崎公園を訪問する時に一番見たかった場所です。

問:これ、何~だ?
答:第一砲台

説明板発見:観音崎の砲台
明治時代に旧陸軍が、敵艦船の東京湾への侵入を阻止する目的で建設。
日本で最初の西洋式砲台で、現在も国内のあちこちに砲座弾薬庫などの遺構が残っています。
思ったより大きいわ~~。大き過ぎてイメージがわかないという事態にっ!!
イ・イカンわ~~~。砲台が備えられていた場所に上がってみた。トンネルの中はこんな感じです。

これ、天井部。煉瓦の上から漆喰を塗っていた模様。

トンネルの壁。この煉瓦の組み方はフランス積み(明治10年代の構築)って奴ですかね?探せばイギリス積み(明治20年以降の構築)というのも見つかるとか?
第一砲台が思った以上に大きくて、全景を写し込むのが難しい。

この角度からだと大きさが分かる~??
日本が大きく変化した時代の遺物です。ここは第一砲台ですが、観音崎には他にも砲台が残存しています。第一砲台から一番近いのは…。
ウォーキングマップに従い第4砲台を目指します。
……不吉な下り坂。せっかく灯台まで登ったのに、今度は下るのか~~~っ!!
凹みつつ進むと、なんとっ!!第4砲台は海上自衛隊観音崎警備所の敷地内にあり、立ち入り禁止の場所でしたっ!!
は・入れない~~~~っ!!
目の前にあるのにっ。坂を下ったのにっ。
さ。気を取り直し、第4砲台から近い第3砲台を目指します。
今降りて来た坂道を上り、更に別の坂を上り上り~~~っ!!
やって来ました。第3砲台の設置してある場所。そこへ行くにはこのレトロなトンネルを抜けねば成りません、

古い煉瓦のようですが、破損がないっ!凄いな~この煉瓦。

これが第3砲台です。
あれ?何かポスターが…??

こ・これはっ!?28サンチ榴弾砲っ!!
28サンチ榴弾砲と言えば、中国・遼寧省大連市旅順区を旅した時、203高地に展示されてた大砲じゃん!!
あ。何言ってるのか分からない方は、まず左のバーのカテゴリー旅順・大連旅行記をごらん下さい。これね、NHKのドラマ『坂の上の雲』を視聴して盛上がってミーハー訪問しちゃったのです。なんつーか、日露戦争で203高地を攻めた時、なかなか落ちなくて乃木希典が攻めあぐねました。そこへ児島源三郎が28サンチ榴弾砲を日本から持って来て打ち込んで攻め落としたのです。あのドラマすっごくお金かかってたよ。
え?観音崎に28サンチ榴弾砲のレプリカがあるの??そりゃあ~見に行かなくっちゃでしょう~~~~~。
こっから明治の砲台や遺構巡りを取りやめていそいそレプリカを探しに行ってしまいました!明日に続きます。
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走水から観音崎へ

2014年12月24日 01時29分06秒 | 歴史散歩
走水神社を後に、更に西へ向かいます。
まず目に入ったのはトップ画像の防衛大学校走水海上訓練校のボートです。
う~ん??何やらNHKのドラマ『坂の上の雲』で秋山真之くんがこんなボートに乗ってた場面を思い出したゾ。正しいような間違ってるような…。
更に西へ。この辺りにボードウォークの入口があるハズなのですが…。

あった!解説板です。え~と?
この施設は、横須賀市のシンボルプロジェクトである。JR横須賀駅から三笠公園・平成町・馬堀海岸を通り観音崎に至る「海と緑の10000メートルプトムナード計画」の一環として整備した遊歩道です。平成4年3月に完成しました。(抜粋)
施設内容
遊歩道:階段式護岸 580メートル。 ボードウォーク 580メートル だそうで。
楽しそうです。張り切って行ってみよう~っ!!

木道の隣はもう海です。た・楽しい…。予想以上に歩くのが楽しい道です。
あ。ベンチ発見。
私「ここで問題です。お昼は観音崎で食べようと思ってたんだけどね。このベンチで食べるのとどっちがいい?」
ダンナ「ーーーここがいい」
ということで、パン&ヴァームでお昼です。

このベンチが置いてあるのは、ボードウォークの中間地点。上の画像でいうと、画像左に写っているのが観音崎京急ホテルです。画像中央が御所ケ崎となっています。
訪問日は11月23日。最高気温が18度ありまして、歩いてると暑い位です。ダンナが「岬は寒いぞ~」と脅すので、薄手のコートを着て来たのですが、暑過ぎて咽が乾くほど。
ここは海の側。ベンチの右側では釣り竿を海へ出してる人もいる。でも海の底まで見えてるのよ。魚だってこっちが見えてると思うんだが…。よっぽど間抜けな魚以外針に掛かる訳ないじゃん!と思うのは私だけ?
さて、ウォーキング再開。右手に横須賀美術館を横目に西へ向かいますと、遂に観音崎が見えて来ました。
にしても…。あの白いの、灯台にしては何か形がへんだな。

ウォーキングマップによりますと、アレは観音崎燈台ではなく、東京海上交通センターなるもの。それって、東京湾の海上交通を守ってるって事かな?
ボードウォークに沿って観音崎へ。途中にちょっと変わった形の横須賀美術館がありました。でも今日はパスです。だって計画ではお昼ごはんが観音崎公園のどこかで食べるハズが、既に食べてしまってますからね。計画の遅れは少しでも取り戻さないと~。

そんなこんなで観音崎公園に到着です。
公園内には日本が外敵に備えたあれこれの施設の跡が残ってるのですよ。出来れば全部見たいのですが…。
う~む??おさんぽマップにはおススメ早周りコースとなかいんだわ。どう見て行けばいいのか??なんか観音崎の岬が丸ごと要塞みたいに作ってあるからさ。やっぱコレかつては敵に攻められないいように迷路っぽく造ったのかな?それとも単に岬に砲台を設置する時に、海から見つけにくく海を見やすい場所に造ったためか??
や。ぼやいてないでともかく行ってみよう~!!
まずは、海辺の道を進みます。

最初に見つけたのは権現洞。天平13年、行基は諸国修行の途中この洞窟に住んでいる大蛇を退治して、その霊を鵜羽山権現として祀りました。
……なんか、ツッコミ所満載の解説なんだけど、立ち止まってる場合じゃないから先へ進むわ。

ところで観音崎は歴史ポイントですが、船が好きな人にもおススメです。上の画像奥には、自衛隊かアメリカ海軍の船が横須賀港へ向かって進んでゆきます。これを狙って凄い長玉カメラを構えてるおじさんがいました。たぶんお気に入りの撮影ポイントなのでしょう。撮影に戸惑いがないっ!
私も横須賀の自衛隊の一般公開や米軍横須賀基地の公開で、艦船見学した事があります。でも動いてる艦船が見たければ、ここで待ち構えるのは正解だと思う。もっとも訪問日は日曜だったので、艦船の航行は1隻のみ。でも様々な働く船が西へ東へとやってきます。




西脇順三郎文学碑

観測所
第二次世界大戦時に造られた潜水艦の音を調べる施設でした。

ン!?ウォーキングマップの絵と違うけど、海にずれ落ちそうなのが関東大震災により崩壊した2代目の灯台の残骸です。なんか酷いなぁ。
さて。階段です。
観音崎灯台を近くで見たいなら、階段は避けられません。

水平が保たれてない階段は登りにくい~~~。ここの階段結構こわいわ~~~~っ。雨降ったら登れないでしょう~~。
明日に続きます。
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パワースポット走水神社

2014年12月23日 01時00分36秒 | 神社・仏閣
更新を中断していた馬堀海岸~観音崎公園~浦賀駅散歩の連載を再開します。紅葉散歩を優先して掲載していたら、ここまでずれ込むとは…。すみません。段取り悪くて。でも年内には観音崎散歩の連載が終わる様に頑張りましたっ!楽しんで下さい。
ちなみに、中断前の記事は11月に掲載してあったのですが、流れが悪いのでこの記事の直前に移動しました。散歩開始時から読みたい!と思われた方は、下へスクロールして下さい。

足柄峠を越えて相模国に入った古代東海道は、鎌倉を経て走水に至り、ここから海路をたどって上総の国へ通じていた。
主祭神:日本武尊・弟橘媛命
景行天皇の御代、東征中の日本武尊は、古代東海道をたどって来たり走水から船で上総へ渡ろうとしたが、暴風雨に阻まれ立ち往生した。この時同行してきた弟橘媛がみずから入水して海神の怒りを鎮め、航海の安全を図ったという伝説にちなみ創建された古社。
日本武尊が航海に先立ち「水走る」と称えたことから走水の地名が起こったという。
明治18年(1885)に旗山崎が軍用地になり、弟橘媛の櫛が流れ着いた旗山崎(御所ケ崎)に立てられた社を走水神社境内へ移し、めいじ42年(1909)に合祀した。

航海の安全を願って奉納された舵の碑。
絵馬も弟橘媛。


上の画像は社殿から走水海岸に向けて撮影しましたが、一番パワーが強いとされるのは社殿の左に続く道の奥。三の宮の奥から走水海岸を望む場所さそうです。そこまで行かなかった~。アホか~~っ!!

んでも三の鳥居までは行ったの。そこにあった石碑です。
「さねさしさがむのおぬにもゆるひの ほなかにたちてとひしきみはも」竹田宮晶子内親王御染筆 
私は鈍感な方ですが、トップ画像の石段辺りから上はなんか空気が違ってる気がしました。気のせいかもしれんが…。
説明板発見:弟橘媛命の記念碑
日本武尊 弟橘媛命の御遺蹟を偲奉りて(弟橘媛命の記念碑裏面 東郷平八郎閣下の草案に成ると曰ふ)

嗚呼此れは 弟橘媛命いまはの御歌なり
命夫君 日本武尊の東征し給う伴われ
駿河にては危き野火の禍いを免れ 此の走水の海を渡り給う
時無く暴風に遭い 御身を犠牲として尊の御命を全からしめ
奉りし其のいまはの御歌なり
御歌に溢るる心情はすべて夫君の御上に注ぎ露ばかりも他に及ばず
其の負烈忠誠まことに女子亀鑑たるのみならず
亦以て男子の模範たるべし
廃八郎等七人相議り 同感者を得 記念を不朽ならしめむと 
御歌の御書を竹田宮昌子内親王殿下に乞い奉り
彫りてこの石を建つ」
7人とは私が知ってる人は、東郷平八郎と乃木希典のみですが、詳しい人はご存知かもしれないので、残りの5人は伊東祐亨 井上良馨 高崎正風 上村彦之丞 藤井茂太とありました。海軍・陸軍人々です。

説明板には:露国機械水雷
横須賀鎮守府司令長官 男爵 上村彦之丞 明治43年6月5日 とありました。日露戦争の時に手に入れたのでしょうか?ちなみに、水雷を置いてある拝殿右手から、防衛大学へ続く道がありました。観音崎周辺には日本の防衛を担うものが色々残ってる模様です。

ご神木。ご神木の左奥に、包丁塚がある。これは走水の住人であった大伴黒主が日本武尊に料理を献上した故事に由来して建てられたもの。
当日は神社の祭事がありまして、ゆっくり撮影出来なかったのだ。

時刻は既に11時45分になっています。いけません。なんと!馬堀海岸駅から既に80分かかってます。う~む。そんなに寄り道してないのに、時間がかかり過ぎです。当初計画ではここまで半分位だったハズ…。こ~れ~は~、今日は浦賀の歴史散歩は諦めるしかないかも?
さ、先を急ごう。観音崎で時間短縮出来るかもしれんし。続きます。
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馬堀海岸を西へ

2014年12月23日 00時52分16秒 | 歴史散歩
2014年11月23日、観音崎散歩へ出かけました。
実はこれ、6月にあじさい散歩を兼ねて訪れる予定で、切符を購入済だったのですよ。でも体調不良で動けず取りやめてしまったのですが、有効期限が11月30日に迫ってきてしまいまして、紅葉のベスト行楽日を観音崎散歩にあててしまいました。
まあ、紅葉は全然でしたが、歴史散歩としてはなかなかだったので楽しかったよ。では今日は京急馬堀海岸駅から走水神社到着まで紹介します。
トップ画像は、京急馬堀海岸駅から南へ続く道の街路樹が貝塚でした。時刻は午前10時25分。
まさか日本にも貝塚の街路樹が残っているなんて~。
あ。私が覚えてるのは、中国の旅順の旧市街です。そもそも旅順に貝塚を植えたのは日本人です。でもまだ現存してました。
旧関東軍司令本部(2010年8月16日)の記事こちらの記事に旅順に植えられた貝塚の画像があります。旅順のあちこちで貝塚を見かけましたが、普通にあったので、街路樹の貝塚画像は撮影し忘れたようです。何やってんでしょうね~。
やがて視界の奥に見えて来たのは…。ン?何かやってるな。

フェニックス並木が海岸沿いに続きます。道路の向こう側を走ってる人々がいます。見えますか?

これね、よこすかシーサイドマラソンが開催されてました。
最高の眺めで海辺を走るのは気持ち良さそうです。
フェニックス並木の車道を歩きにくいので、海側の散歩道を行く事に。

ん??あれは…。もしや~~。
ああっ!!ふ・富士山だ~~~っ!!分かります?既に富士山が雪をかぶってるので、裸眼でなんとか判別つくけど、携帯電話で撮影したらどうだろうか?

だいたいこの辺に富士山が見えてるんだけど…。この角度から富士山が海越しに見えるとは思わず、びっくりしました。

フェニックス並木が途切れてすぐ、緩やかな上り坂になります。と。見えて来たのは今年の4月の桜の時期に併せて一般公開された走水水源地です。
海と桜(2014年4月12日)の記事こちらに春の桜の一般公開時の画像があります。
走水水源地・煉瓦造りの貯水池です。
明治35年軍港水道用として造られました。横須賀の国登録有形文化財第一号の貴重な建物です。桜の奥の桜を見ようとここを選んだのですが、道の反対側にあったこの煉瓦造貯水池の画像を撮影し忘れたので、こん回めでたくコンプリートです。

走水水源地から更に緩い上り坂が続きます。もう富士山の輪郭は空と判別つかなくなりましたが、東京湾唯一の自然島・猿島や、第一第二海堡、遠く房総半島などが見えます。夕日の富士山撮影ポイントでもあるようで、展望台にはダイヤモンド富士の説明板が立ってました。
展望台を過ぎると、すぐ見えてきた道ですが…。何かヘン。
これね、歩道が直線方向に続いてるのですが、歩道のみ急な下り坂なのですよ。なぜにこんな不思議な造りになってるのか?頭を捻りつつ進んでますと、左側から子ども等の声が聞こえてきました。声は走水小学校から聞こえてきます。って、なぜにあんな場所に小学校を造ったのだろうか?

広域避難場所に指定されてるようですが、避難の原因が地震だった時、怖くて避難出来ない気がする…。や。小学校の敷地から釣り出来そうですが。
さて、上の画像を撮影したのは、御所ケ崎公園でして、これがなかなかの歴史ポイントでした。

実は、ヤマトタケルの命が東征の際、ここに臨時の御所を設け、軍旗を立てた伝説に由来。旗山崎とも呼ばれる場所。
説明板発見:日本武尊 弟橘媛命 伝説の地 御所ケ崎
古事記・日本書紀によれば日本武尊が東国征伐のおり、走水から上総(千葉)へ船で渡ろうとした時、海が荒れて進めず、弟橘媛は海神の怒りを鎮める為に身を投じ荒れ狂う海をしずめました。
地元伝承によれば武尊がこの地に臨時の御所を設け軍旗を立てたことから御所ケ崎、旗山崎と呼び弟橘踏めは御所ケ崎先端の「むぐりの鼻」に侍女たちと共に身を投じたと伝わります。港には尊が海を渡るときに乗船したといわれる寺島(御座島)の名があります。 だそうで。
ちなみに説明板がもう一枚ありまして。
走水番所・旗山崎台場跡
天正18年(1590)徳川家康が関東に入封しました。
その後、船手衆である向井一族に命じ走水に御船番を置き、向井政良は御船番、走水奉行を務め、後に三崎奉行・向井忠勝が兼任しました。
三崎では上がり船を、走水では江戸に下る船を検査しました。
今も同心町海岸の名前があります。
天保14年(1843)川越藩が江戸湾海防のため台場を築いた所で、六梃の大砲を配備し異国船の侵入に備えました。
明治19年(1886)旧陸軍によって築かれた半円形の低砲台が前方の松の木の下に現在も残されています。
だとか。
ん~??もしかして、上の画像の海面と岬の境い目がカーブを描いてるのってもしてして、砲台跡だったりするかも~??
説明板についていた絵です。

公園から西へ歩いてすぐある歩道橋。地味にチェックポイントでして、ユーミンの『よそゆき顔で』で歌われる観音崎歩道橋らしい。ってか、ユーミンのその曲を聞いた事ないんで特定出来ないんですが、手持ちのウォーキングマップにそう書いてある。
歩道橋の上からの眺めは最高です。

最高だけど、電線が邪魔ですね~。
歩道橋を降りると目の前にあったのがこれ。

こういう絶景もアリなのね。私ならここには住めない…。怖い。
旧道を行きます。右手に覚栄寺(覚栄寺<浄土宗> 墓地には向井一族・政勝系統の墓があり、奉行・向井政良の長墓様といわれる逆修塔の政直・正道・半十郎の宝篋印塔や五輪塔、石浮彫りの碑・石燈籠などがあります。)寺院からは走水の海が見えます。
覚栄寺・円照寺・大泉寺が3つ並んでいて、4つ目が走水神社です。
最近パワースポットとしても有名ですね。 明日に続きます。
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不思議な街・町田

2014年12月22日 01時59分26秒 | 猫にゃん
12月3日は1月3日分の指定席の発売日でした。予約票をJR町田駅に出した後、横浜三渓園&山下町公園通り・日本大通りのイチョウを楽しんだ後、発券された切符を手に入れるため町田駅に戻りましたらば…。いや~、並んだ並んだ。一人一人切符の購入内容が違うから、進みが悪い。暇そうに待ってるダンナに先に帰宅してもらいました。無事に新幹線の指定席券をゲットした後、本屋に向うと?
見慣れた町田が不思議な町になってました。

東急百貨店の裏で、ブオーブオーと空気のサンタが踊り狂ってました!
画像では分かりませんが、くた~っとなったり片手上げ両手上げと変化するサンタです。でかいです。

JR町田駅からアニメイトへ向う細い路にあったコーヒーショップ。
ふと、店前のテーブル席で、よく出来たネコの人形だなあ~?と。始め横から見た時、ネコはうつむいてました。ネコの人形に絵本を両手で支えたりさせて、サンタコスで凝ってるなあ~と足を止めたのです。
あまりの出来の良さに、マジマジと見ていたその時…。ネコの人形の右足がピクリと動いた~~~~っ!!
ーーーーえ?
ま・さ・か~~ッ!!本物のネコなのかぁ~~っ!!
仰天したその時、ネコの首がくるりと私を見た!何見てんだよっとおっさんネコの声が聞こえた気がする。
ええ~~~~ッ?????
混乱しつつもネコから視線を剥がせない。
チッ!!とネコは忌々しそうにそっぽを向いたのです。(お・落ち着こう私っ!)
ハッとああ~~っ!!画像~~っ画像を押えておかねばっ!
と。慌てて携帯電話を取り出したのですが、ネコは人形の振りを止めて猫に戻ってしまいました。(混乱中)貼付けた画像は猫になった後に撮影です。間違いなくサンタコスだったハズなのに、帰宅後興奮してダンナに見せた画像はダンナ曰く「普通の猫!」だって!!そ・そうとしか見えないんだけど~?アレ~~??
猫がネコの人形の擬態を解いて後は、路ゆく女子が気付いて「わあ~猫~か~わ~いい!!」とたちまち人気になってしまったので早々に立ち去った私。ま。な。今、町田は不思議マジックタイムだから、な~~??
もう自分でも何言ってるのか訳分からん…。
そんなこんなでアニメイトに向ったらば、アニメイトの入ってるビルの前にあるBOOK-OFFではなんかキャラが手を振ってます。

フラフラと携帯電話を構えたらば、よむよむ君はポーズを決めてくれました。
な・なんか嬉しい…。
そんでアニメイトは8階なので、エレベーター待ちをしていたらば…。

うん!見なかった!!
これはスルーせんと、不思議パワーにやられてしまう!
目当ての本をゲットしたらば、即町田から立ち去るのだっ!!
…………。駅前のマクドナルドでじばにゃんが手品をやってる…。どうなってるんだぁ~~~~~????
おまけその1。

同日朝、JR横浜駅からバスターミナルへ移動途中見かけたルミネのウィンドウ。です。まだ開店前だったので、中には入らなかったけど、アナ雪のキャラだよね?
おまけその2。

小田急線相模大野駅
なんかよく知らないけど、ファンとタレントさんの撮影会をやってました。タレントさんは偉いよな~。絶対笑顔対応なんだよ~。私、無理!
あ。この画像をアップしたのは、もちろんでっかいクリスマスツリーを見ていただきたかったからです。だって、緑なんだもの~。珍しいでしょ??
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麻溝公園の紅葉

2014年12月21日 01時16分55秒 | 相模原公園と麻溝公園
相模原公園のメタセコイアの紅葉を堪能し、さて帰宅と自転車を預けた隣接の麻溝公園の駐輪場へ向う。
と?通りのイチョウが黄色く色づいてます。11月の下旬に来た時はまだまだだったのに、色づくの早いなあ~。
上の画像の奥が相模原公園。白い建物は相模原公園の温室です。本当に道1本で公園が並んでるので、はしごし易いです。なぜに相模原公園の駐輪場に自転車を預けてないか?といえば、高低差の為。

街路樹のイチョウの奥に、いつもの斜面花壇がありますね。自転車はこの上の駐輪場に停めてあるのだ。

斜面花壇は、花壇のデザインがよく分かるので訪問時は見学するのを忘れません!

駐輪場の停車中のハデなバスは、幼稚園のバス。ふれあい動物園やアスレチック場やでっかい芝生公園があるので、子ども達は遊び放題です。思いっきりからだも動かせてしかも無料なので土日は家族連れに人気です。

ススキの上も駐車場。麻溝公園は駐車場が多いからいいよな。公園は女子美大とも隣接し、美大の裏に競技場がある。試合の観戦も近くに駐車場が一杯あるから便利です。
せっかくなので、アスレチック場へ行ってみた!

すると素敵に紅葉してた。思わず撮影を楽しんでると、賑やかな子ども達の声が聞こえてくる。

子ども等は地面に落ちたどんぐり探し競争に熱中してます。

「ねえねえ、何撮ってるの~?」
気付けば目をキラキラ輝かせる園児の姿が!
君が想像してるものはないよ?
「樹が綺麗でしょ?色んな色があるのは今だけだから写してるのよ」
男の子はたちまち興味をなくし、どんぐり探しに戻っちゃいました。
だかさら~、君の見たい不思議なものはないのだ。妖怪じばにゃんもUFOも幽霊も写してないの~~~。
アスレチックを楽しんでる若いお父さんと息子の姿も。
お父さん、そのアスレチック、体重制限は大丈夫なの?ターザンごっこを堪能するには体重が軽くないと無理だと思う…。
最後にタワーから撮影した12月9日現在の公園の紅葉具合を紹介です。
相模原公園方面。

麻溝公園。奥は女子美大・更にS.C相模原のホーム競技場。

麻溝公園のアスレチック場。奥に米軍座間キャンプ。


自転車回収で駐輪場へ移動してたら、モミジとタワーのコラボポイントを見つけました。

撮影時点で午前11時24分。思わず長居してしまった…。
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メタセコイアこんな写し方が!

2014年12月20日 01時19分48秒 | 相模原公園と麻溝公園
撮影日は12月9日。相模原公園の噴水広場のメタセコイア並木右手(東側)こもれびの径と散策して、反対側の斜面を上がる。ここにもメタセコイア径があるのです。実は普段散策した事ない径だったから、あまり期待してなかったんですが、間違いだったとすぐに分かりました。

斜面分の高低差がメタセコイアを形よくのっぽの三角に並んで見えたのです。わ・分かりにくい。豊かな文章力が欲しいっ。
あ。見れば分かるわ~。では早速画像を。





ここらで気付いた!メタセコイア並木が上下(実は手前と奥)2列で並んでるっ!これは高低差が徐々に変わってるからだと思われます。
ンな事はどうだっていいっ!まるで美術のスタンプのように並ぶパターンのようでもあり。壁紙のようでもあり。とっても不思議です。これを今まで知らずにいたとは…。つーか、この径を歩いてるのは私だけだったので、相模原公園のメタセコイアの紅葉を楽しみにしてる人にもぜひとも教えてあげたいっ!!
メタセコイア並木が名所の公園はあちこちにあるけど、こういう構図で見えるのは相模原公園が一番じゃないかな~?じ・自慢の風景ですねっ。(発見者は私っとか、自慢していい?)

ならばと歩きながら更に撮影してみた。

た・楽しいっ!とてともなく~~
並木が途切れたので、メタセコイアの並木径を振り返って撮影してみた。

絵心のある人におススメしたい程の素晴らしさっ!つーか、自分で描けって事かも?

再び斜面を降りて、噴水広場へ戻ってきました。

普段は相模原公園に来るのは午前11時-13時がほとんどです。(なぜなら散歩がてらお昼ご飯を食べるから)ですので午前9時という早い時間に相模原公園へ来てみると、いつもと違う景色が見えました。私は毎朝常服してるお薬のせいで、飲んで数時間は毎日気分が悪いから、朝の内に動けないだけども人には教えて上げたいわ~~。
あ!今回撮影時間が一番大事だと知ったので、今日の記事の撮影時刻は2014年12月9日の午前10時23分から午前10時40分です。これは今日掲載分のみの撮影時刻です。噴水広場のメタセコイア並木の両側が輝くのは更に1時間早めに訪問して下さい。

こちらが同日、午前9時23分に撮影したもの。太陽の光の角度でメタセコイア並木の印象がとても変化します。
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童話みたいな相模原公園の木もれ日の径

2014年12月19日 01時29分21秒 | 相模原公園と麻溝公園
訪問日は2014年12月9日。相模原公園のメタセコイア並木を楽しんだ後、並木の右手の斜面の上、木もれ日の径へ行ってみた!
何コレ~~~っ!!いつもの散歩路が、紅葉の季節が来ただけでこんなにメルヒェンになるなんて~~~~~っ!!

散歩道は適度に葉っぱが落ちた後で、適度に明るいっ!

左側が斜面になってるので、見通しが良い。更にメタセコイア並木の裏側なので、メタセコイアのレンガ色が視界に色を指してます。

頭の上だって雑木林。

少しづつ違う雑木林の紅葉です。

こもれびの径を抜けると、黄色が目に飛び込んできた。

相模原公園の進入口の一つ、サルスベリゲートです。

上の画像右下に、道路が見えてます。このゲートを利用する人は少ないから、相模原公園をしょっちゅう散歩してる人でもここにイチョウが何本もあるのを知らないかも?
せっかくなので撮影を楽しんでみた。







斜面を下り、メタセコイア並木の噴水広場へ戻ります。

パーコラの裏を抜け、今度は反対側のメタセコイア並木の裏へ。反対側にも雑木林があるんだよな。さっきとは違っておしゃれな感じの。どこがおしゃれなのか?というと、並木に現代彫刻が並んでるんだ。
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相模原公園のメタセコイアが輝く

2014年12月18日 01時27分51秒 | 相模原公園と麻溝公園
撮影日は2014年12月9日です。
相模原公園のメタセコイア並木の紅葉はれんが色。毎年のように紹介してますが、メタセコイアは成長が早く、気付けば日陰の時が多いよな?この並木の左右が輝く時ってあったっけ??過去記事を遡ってみたらありました!
相模原公園のメタセコイア紅葉(2011年12月14日)の記事この記事によりますと、午前中の訪問だった模様。ならば!と9時到着を目指し出かけました。けれど、朝一で飲んでるお薬は自転車漕ぎにはアカンかったようで、途中で胃から酸っぱいものがこみ上げてきちゃいました!ここで粗相する訳には~~~と。頑張ったのですが、何度か経験ある症状です。本人的にはかつてない程頑張ったのですが頑張りきれず…。
という訳で!!相模原公園到着は予定より遅れてしまいました。いつものように隣接の麻溝公園に自転車を停めてメタセコイア並木を目指します。
やがて煉瓦色に色づいたメタセコイアが見えてきました。

撮影時刻は午前9時23分です。
期待通り、並木の両方が輝いてます。
大切なのは太陽の位置なのね。ってな事で、何はともあれ画像を増量で紹介します。







太陽を背に撮影していると、噴水に虹が見えましたっ!わかります?

並木の下の散歩道を歩いてみると?

並木の両側が輝いてるので、手前の木も影ではない!色がついてる~~~。










撮影時刻午前9時47分
なんか、綺麗過ぎて現実感が全然ないわ~。この後、並木の右側の斜面を散策します。
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