あられの日記

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インドでの両替はギャンブルです

2016年02月29日 19時09分30秒 | インド旅行記
本日3本目のブログ記事です。
外国を旅行する時にはその国の通貨への両替が必要です。
インドの通貨はインドルピーです。しかし成田の銀行でインドルピーに両替は出来ません。なので世界どこでも使えるアメリカドルを100ドル分両替しました。2月13日現在で、100ドルは11460円でした。
事前にインドルピも調べておいた。2月11日現在で、1円は0.56インドルピでした。

さて、旅の間日本円をインドルピに両替したのは3回でした。この時のあれこれをこの記事では書きます。
両替1回目)
2月13日、インドに到着し、空港を出たのは夜7時。翌日の観光はデリーだったのですが、渋滞を警戒して空港近くにあtらしく出来たビジネスの街、グルカオンのビジネスホテルに宿泊。
添乗員さんに「両替はホテルのレセプションでお願いします」と案内されました。旅のメンバーは19名。夫婦参加が4組あるとはいえ、明日朝に11回も両替希望が殺到すると時間がかかってしょうがないと思った私は、夜のうちに両替を頼みました。私とダンナの分を考えて取りあえず6000円分を両替することに。
と?出て来たのは2900インドルピ(内訳は500インドルピが5枚と100インドルピが4枚でした。
あれ~~??
レート悪過ぎじゃないかな?
日本出発直前のレートだと、6000円は0.56ルピだから、6000円×0.56ルピ=3360ルピになるハズです。
英語は苦手だけどそうも言ってられません。
私「本日のレートはいくらですか?」
ホテルの人「1円=0.5ルピです」
ぬわんだってぇ~~~!!
レートが悪過ぎる…。それにしてもレートが0.5ならば、6000円×0.5=3000インドルピになる訳で、100ルピの差はどっから来たのか??
私「あと100ルピ足らないわ」
ホテルの人「両替のサービス税が1回31ルピかかります。本来貴女に渡すインドルピは2969インドルピだけど、今小銭がないので2900ルピになりました」
小銭がないから2900ルピとな…。
なんか詐欺にあった気分です。しかし手持ちのインドのお金は全くないので、仕方なく妥協する。この時の両替レートだと、100ルピが207円になりますね。ええ。

2回目)
2月15日ジャイプールのヒルトンホテルにて。
デリーで両替したインドルピーは、1100ルピをダンナが。残りの1800ルピを私が持ってました。1800ルピのうち、40ルピで絵はがきを4枚購入し、10ルピでトイレ代にし、残り1750インドルピ。更にジャイプール名産のインド更紗の購入に使い果たしてしまいました。
インド更紗3枚(私の分・母へのお土産・義母へのお土産)と、妹と義姉へのお土産を爆買しちゃいまして…。合計金額が日本円で12100円の請求です。
もちろん手持ちのインドルピでは全く足りずに、その時財布に入れてあった50ドルと1500ルピと5000円での支払いという…。変則的な支払いをしてしまった~。ちなみに合計すると、13835円分支払ってますね。(払い過ぎですっ!。つーか、差額は…。もう面倒くさいんじゃ!!)
この辺りで吹っ切れた!買物は楽しかったらええのんや~~!!細かい事いうたらアカン~って。だいぶんダメダメな私。
しかしですね。手持ちはすっからかんです。幸い泊ってるのは世界のヒルトンホテルなんだし、両替のレートもちゃんとしてるだろう。
と。またまた両替しようとホテルのレセプションに向ったのですが…。
ホテルの人「今日は既に金庫を閉めてしまいました。両替出来ません」
ぬわんだってぇ~~??
あれ?まさかの私、英語を聞き間違えた??
私「なら次に両替出来るのはいつなのか?」
ホテルの人「明日のアフタヌーンです」
あれれ??また聞き間違えたかな?まさかの明日の朝も両替出来ないって言ってるなんて?
私「もう一度聞くよ?アフタヌーンって何時かな?」
ホテルの人「明日の12時です」
ええ~~~~~~っ!!まさかの聞き間違いではあるまいな!?と思いまして、添乗員さんに「両替出来ない。次に出来るの明日の12時って言われたんですけど?」と再度確認していただいた所、私のヒヤリングは正しく、翌朝8時半に出発する私は手持ちのインドルピがほとんどない状態での旅になってしまいました。

3回目)
2月16日アグラのホテルに到着です。
取りあえず5000円分両替したのですよ。
と?
2710ルピになりました。
明らかにレートがいいです。なので。
私「レートを知りたい」と言いましたらば、1円=0.5436インドルピでした。
ホテルの人「5000円×0.5436=2718インドルピになります。でもちょうど両替出来る小銭がないので2710ルピの両替になります」
おお!両替のサービス税もとらないのか?素晴らしい。8ルピ程度なら問題ないね。
私「ありがとう」とお礼を言ってインドルピーをゲットです。
ところで…ダンナにあとどれくらいインドルピが必要か?尋ねた所、「取りあえず1500ルピは欲しい」と。なんつーの?食事の時に注文するインドのビールがね、とても高いのね。ビール1本の相場は瓶ビールが450ルピ~500ルピ。缶ビールが300ルピ(缶ビールはあまりない)とまあ日本円に換算するとビール1本1000円ですよ!
あ~り~え~な~い~~っ!!
ちなみにうちは注文しませんでしたが、ワインがグラス1杯で700ルピくらいでした。インドのアルコールはとても高いです。他の旅仲間がよく注文していたマンゴー味やバナナ味のスイートラッシーは1杯500円位でした。
そしてダンナのネット代金が、場所によってバラバラでした!
あるホテルでは、ロビーでネットを使う分には無料。しかしあるホテルではインターネット使用代金が530ルピでした。ホテルにより必要なお金がマチマチであとどれくらいインドルピに両替すればいいか予想がつかない。となると、この先手持ちのルピが足りない可能性がある訳で。でもダンナは日々インターネットをやってます。何してるんだろ?Facebookは確実なんだけど~。
とかやってるからダンナはアグラのホテルで会社の後輩から”緊急連絡”が入りましてね。ええ、添乗員さんの持ってる優れものな携帯電話を借りて会社に電話した所…「Hさんの休暇が日曜までなのは分かってるのですが、月曜に内の科が発表会をやらなきゃいけなくなりました」私にはさっぱりポンなのですが、この電話でダンナは日曜の朝成田に着くんだったら、その足で会社に出社しろ!と。つまり…。帰国日=休日出勤となってしまいました…。
だから猫の鈴は置いておけといったのに…。
はい。成田から可能な限り早く帰宅する方法で我が家へ戻りまして、電子機器を持ってかないと仕事にならないから!と一旦家には戻ったものの、12時前には会社に向けて飛び出して行き、帰宅したのはその日の深夜12時過ぎてました。こいつ、夜の9時には「今から帰る」とカエルコールを入れて来たのにに、なぜに会社から我が家まで3時間以上かかりますか!!…小田急で寝落ちしたな~?新宿と小田原を数往復してたな~~。とかやってるからさ。翌朝は二人揃って寝坊しちゃいましてね。当然ダンナは遅刻ですわ。そんでもって帰宅したらば「遅刻したから減給です」って言いやがった!な・納得いか~~~んっ!……完全に話が両替から逸れちまったぜ。

4回目)
2月17日同じくアグラのホテルにて。更に6000円を追加で両替しました。この辺りになると、日本円のまま使える場合もあるし、アメリカドルも使えるのが分かってきたから、無理にインドルピへの両替にこだわらない。というか、インドルピを残さないようにしないといけません。インドルピを残しても、日本円に再両替するのが難しいのですよ。
さて、最後の両替は3270ルピになりました。
3270ルピ÷6000円=0.545なので、1円=0,545ルピのレートですね。
はい、気付きましたね。その1)では同じ6000円が2900ルピでした。その4)では6000円が3270ルピです。差が370ルピもあるのですよ。日本円に換算すると、約750円です。同じ6000円を両替してるのに…。
もうね。インドで両替するのはギャンブルだ!と思って楽しんだ方がストレスが少なくていいやね。とでも思わないとダメだわ。
ちなみに、出国前にドル円レートが大きく動いていたので、2月21日(日曜日)帰国して、翌々日の円ルピレートを調べたら、2月23日のレートは1円=0、61ルピでした!もうね。その1)のレートがどんだけ酷かったのか…。だって0.61のレートだったら、6000円を両替すると3660ルピなんだわ。その差が760ルピ!1500円もあるんだよ?あまりの差に笑いが~~~~っ!!

トップ画像は2016年2月15日のジャイプールにあるジャンタル・マンタル(天文台)にあったお土産屋さんの店先に置いてあったレート表です。JPYというのが日本円のレートですね。この日の1円=0・57インドルピですね。
(2016.3.16にトップ画像を追加しました)
コメント (2)
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インドの学校制度

2016年02月29日 17時26分05秒 | インド旅行記
本日2本目のブログ記事投稿です。

2月18日、アグラの街を早朝5時半に出発しました。まだ夜が開けてない時間に出発するのは、デリーの渋滞を警戒してのこと。
6時過ぎに空が明るくなって、車窓から田園風景が見えてきました。となると、寝ていた乗客も目覚め、お弁当の朝ご飯を食べ始めます。添乗員お手製のおにぎりの差し入れもありそこそこ幸せで頭もしゃきっとなった所でガイドさんが暇つぶしにインドの教育制度について話してくれました。バスの中でメモしてましたが、速記をマスターしていないので書き漏らしもあるやもしれませんが、分かる範囲で書いて行きます。

インドの就学率は、全国平均は63%(学校に行ってない子供が37%)です。わざわざ全国平均と書いたのは、南部のケララ州の就学率は93%と高いからです。
インドの学制は、小学校が5年間。中学校は3年。高校は4年。大学校は3年です。5才になると小学校に入ります(2年前までは6才からでした)。最近政府は5キロに一つの大学を作ろうとしています。
学校には国立と私立があって、私立の学校が最近増えている。
国立の学校は基本学費は無料。制服・昼食・授業料も無料です。基本、ヒンドゥー語で授業される。カーストにかかわらず、同じ教室で学ぶ。
しかし、国立の学校では英語は学べない。英語が話せないといい所に就職出来ない。
就職問題はカースト制度とも深いかかわりがあるので、具体的にどのカーストの人がどんな仕事をしているか?別記事を建てて詳しく書きます。
カーストがあるので仕事につけない人も多い。仕事のない家庭は学校に行かない子供も多い。
私立の授業料は1000円/月程の所が多いけど、一月20万円の授業料がかかるGPSという学校を出ると、すぐに仕事があるし会社も選び放題になる。
制服の色は青色・白色が多い。
制服は小学校・中学校・高校まで。大学にはない。
学校は男女共学制。しかし大学に行く女性はまだ少ない。
夏の授業時間は朝8時から午後2時まで。
冬の授業時間は朝9時から午後3時まで。(給食は11時半から12時までの30分間にとる)
5月は熱いので学校は休みになる。(5月は停電も多い)
12月25日から12月31日が冬休み。1月1日から学校が始まる。
毎週日曜日は学校は休み。ガンジーの亡くなった日も学校は休み。
先生が子供をしかる時、昔は棒で叩いていたが、今やると先生がクビになる。
先生の給料について。
国立の男の先生は、小学校の先生で毎月11万円。大学校で20万円。
私立の女性の先生は、毎月1万円程度。地方の学校の給料は安い。
*この辺りは書くのが間に合わなかったので間違いがあるかもしれません。
最近は国が発展していて、村の小学校でもみんな勉強するそうです。
あと強く印象に残ってるのは、ランチを食べる時は、カーストが同じ人が集まって食事する。って事ですね。
メモがあるのはここまで。
カースト制度のあるインドでは、レストランの料理人。サーブ係。ホテルで働く人も大概カーストの高い人が仕事についています。カーストが高いお客さんはカーストが下の人が触ったものは触らないし、作ったものは口に入れません。
だからレストランやホテルで働いている人はみんな英語が話せます。
なんとか自力で英語を学んでるトゥクトゥクの運転手さんとか、観光地で英語や日本語で声をかけてくる売り子がいます。が、自分のしゃべってる言葉を理解せずに話してる人も多くいて、ハチャメチャな事を口にしてる事もあります。値段が激安の場合は要注意ですね。なんだかとりとめもなくなって来たのでこの記事はここまで。
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デリーの大気汚染は北京より酷い

2016年02月29日 09時36分12秒 | インド旅行記
1月下旬、旅先を絞り込んだのは北インドとカンボジアでした。
そして見つけてしまった!デリーの大気汚染は北京より酷い!なんだって~??
デリーのPM2.5の濃度は、あの北京より高い!のです。
それは…。タージマハル愛なダンナに「それでもインドへ行きたいか?」と確認したら「タージマハルは死ぬまでにど~しても見たいんじゃ!」と譲らない。
そんな事前情報があったので、花粉マスク持参です。ええ、メガネが曇らないタイプの優れものマスクですわ。

さて、成田を飛び立ったエア・インディアは、所要時間9時間半。(日本との時差はマイナス3時間半)。午後7時50分にインドラ・ガンデイ空港に到着です。デリーの日没は午後6時過ぎ。スーツケースを受取り空港の外へ出たのは既に夜の7時20分でした。既に辺りは暗く、大気汚染が噂通りの酷さかどうか分かりません。何はともあれ到着日はバスで移動し、デリー郊外のグルカオンの街のホテルで一泊。開けて2日目、いよいよインドの観光が始まりました。ホテル出発は朝の7時半。グルカオンの街はデリーからあまり離れてません。しかし早く出る訳はグルカオンからニューデリーへの道の渋滞を懸念しての事でした。幸い旅の2日目の2月14日は日曜日でして、添乗員とガイドさんが懸念したような大渋滞になる事もなく、バスは30分程で目的地のニューデリーぼ南郊外15キロにあるクトゥブ・ミナールに到着しました。
「皆さんは運がいいです。平日だと宿泊ホテルからここまで2時間かかった事もありますから」
添乗員さんは嬉しそうに力説されてましたが、実際のデリーの渋滞にまだ会ってない観光客は暢気なものです。懸念した程視界が悪い訳でもなく、世界遺産クトゥブ・ミナールの観光を楽しめました。遺跡の敷地には多くの鳥も鳴き合っていて、2月だというのに花を咲かしてる植物もありテンションが上がります。
この後、デリー市内へバスは進み、ムガール帝国2代皇帝のお墓のフマユーン廟を見学。バスの車窓からインド門を眺めつつランチのレストランへ。ここまで極めて順調でした。ええ、ランチの途中で停電が起きるまでは…。停電の話は『インドは停電が多い』の記事に書いてあるので省略して、ランチ後はデリー名物の渋滞の洗礼を受ける事に。
それでもデリー在住のガイドさんは「今日は日曜だからこの程度の渋滞は大したことない」と言いますがね。日本と違って、間断なく鳴らされるクラクションが静かな道が普通の日本人にはダメージが大きいのですよ。
特にランチの途中で発生した停電は、車のスムーズな運行をさばいている信号機も止めてしまい、警官が手信号で車をさばいてるものだから…。
さて、インド政府もデリー&ニューデリー(公共施設や公務員の住む街で家賃が高いので高級取りが住む場所)の渋滞解消にあの手この手を繰り出してます。
国で3番目に大きい都市・デリーの渋滞解消の為に
その1)車のガソリン代を高く設定している。デリーのガソリン代は2016年2月現在、1リットル辺り140円ちなみに、大都市ムンバイのガソリン代は1リットル160-180円なんだって。
車を持てるのは金持ちだけという状況になってるとか。
では庶民は?となると、公共のバスを利用するのは普通とか。赤いバスと緑のバスがあって、赤いバスは冷房つき。運賃が少し高い。
あとは、トゥクトゥク。
デリーのオートリキシャ
オートリキシャという黄色と緑色の3輪自動車のタクシーが走ってます。しかしオートリキシャも数が増えると渋滞の原因になるので、所有するにはお金を高く設定してあって、デリーのオートリキシャは1台80万円もするとか。(ちなみにヴァラナシのオートリキシャの所有代金はデリーの半額の40万円程です)
デリーのオートリキシャ。
その2)野良牛の取締り。
これも既出ですが、インドはヒンドゥー教徒が多い国。彼らは牛を大切にします。とはいえ、渋滞の多いデリーで野良牛が徘徊すると更に渋滞を助長する。なので、野良牛をしかるべき場所に届けると、報奨金が日本円で1頭につき2000円程支払われるのだとか。これでデリーから野良牛が激減してるとか。
その3)トラックは日中デリーに入ってはいけません。
物流を担う各種トラックは日没を待ち、競うそうに街に入って来ます。2月14日(日曜)はランチの後、デリーの南西260キルメートルにあるジャイプールまで高速道路を走りました。日本でなら高速道を260キロなら3時間程度で着くと思うけどさ。ジャイプールの街に入る頃にはちょうど日暮れ時。ホテルに入る頃には真っ暗でした。
そして高速道路で2・3個料金所を抜けたのですがね。最後の料金所は反対側のデリーに向う道はトラックが数珠つなぎに並んでました。ドライバーは夜の間にぶっ飛ばす算段なのでしょね。あ!既出の記事に書きましたが、電気不足の為か、インドの高速道路に街灯はありません。でもインドの高速道路に牛はいます。インドでは牛を事故死させると高額の賠償金の支払いが発生するので、牛を見たらドライバーは急速減速ですね。これでも渋滞になるんだよな~。
その4)仕事の開始・終了時刻を変え通勤通学渋滞の緩和を期待している。
確か、公共のビジネスタイムは午前10時から午後6時まで。
プライベートの会社のビジネスタイムは午前9時から午後5時まで。(ランチ午後1時から2時まで)
一時間の差が通勤渋滞の緩和を期待してるのでしょうが。
ちなみに、小学校の通学は、スクールバスを使っている学校が多いようで、黄色いバスが連なって走るのをよく見ました。

小学校は朝8時半始まりの午前11時半まで。(給食は12時までの30分間)というスケジュールです。

さて、噂に聞くデリーの渋滞ですが、実はアグラの街からデリーに移動した旅の6日目にハマってしまいました。その日は渋滞に少しでも会わないようにとアグラの街を早朝5時半に出発しました。夜明けは6時15分頃、ぼんやりと明るくなってきてこの日は空に雲がたれ込めてるのに気付きました。間もなく雨も降り始め、乾季の北インドでは珍しいなあとぼんやり車窓を眺めてました。その時進んでいたのは、アグラーデリー間に新しく出来た高速道路で、この高速道路は他の高速道路とはひと味違いまして、いわゆる日本の高速道路と同じく道が独立してます。道路沿いに牛もヤギも歩いてません。市場も交差する一般道路もありませんし、歩行者も歩いてません。この高速道路の使用料は、他の高速道路の3倍も高いそうで快適でした。ええ。その特別な高速道路の出口までは…。

高速の出口の料金所から全くバスが進まなくなってしまいまして…。道路は複数レーンがあり、慣れてる一般の車は縫う様にスルスルと進んでいきます。しかしバスは動けない。聞けばバスは一番左のレーンしか走ってはならないそうで、そのレーンは途中で合流した道から入って来た二輪車も同じく進むようでね。もう全く~~~動かないの。
さすがに旅の予定はこの後、デリー発の飛行機に乗らないとどないもならないんで客は気をもんでましたが、添乗員とガイドさんは渋滞が織り込み済みでの早朝5時半出発だったのです。午前10時半、バスは無事に飛行場に到着しました。
搭乗前に滑走路に並ぶ飛行機を撮影しようとして気付く。
「隣の飛行機は見えるけど。その奥の飛行機も見えるけど…」
そうなのです!視界がねっ。もうね。霧の中かという有様でした。これが今日の記事のトップ画像です。
始めは季節外れの朝の雨でもやってるのかな?と思ってたのですが、大気汚染によるスモッグでもやっていたのですよ。滑走路の向こうにある建物なんか見えません。
そういえば、高速道路で雨が降って来ると同時に、せっかくみがいたばかりのバスの窓ガラスが、茶色い雨で一瞬で台無しになりましたし…。デリーの道路沿いに植えられた街路樹もぱっぱかね、泥色してるのだ!やっぱり大気汚染が酷いというのは本当だったのかも?まあ今回の旅は日中にデリーの市内を見る機会は2日目の日曜の観光だけだったので、本格的な大気汚染には行き合わなかったのかもしれないね。でもこれからインドに行く方は、防塵マスクの用意を忘れないようにね。インドに日本のような安くて質のいい使い捨てマスクは売ってない模様です。
ある日の新聞より。
(2016年3月21日に画像を追加しました)
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