太閤、つまり豊臣秀吉の天下統一の関東攻めのキモとなったのが小田原北条氏の本拠小田原城攻めです。
天正18年(1590)4月、関白豊臣秀吉は率いる諸大名水陸合わせて22万で包囲します。
って、以前から疑問だったんだよね。石垣山一夜城は、中々ギブアップしない小田原方をして「もうダメだ!」と心を折る決め手になった戦略の要だった訳です。小田原を散策していて、一夜城ってどこにあるの?見えないじゃん!と。
今回一夜城を初訪問。本丸の物見台から小田原城が見えました。それがトップ画像です。
今では大きなビル等に埋もれるように小田原城天守閣が見えます。
トップ画像の矢印の先に天守があるのですが分かりますか?
これでも携帯電話で目一杯拡大して撮影した後、IPhotoでトリミングしてます。
小田原城と一夜城は直線距離で3キロあります。
3キロ離れてたって、一目見てギブアップするものなの~?とはなはだ疑問だったのですが…。ガイドさんが見せてくれた往時の一夜城の姿を見て納得しました。
これが一夜城の姿です。
対する小田原城は今の天守閣や漆喰と瓦屋根の乗った櫓で出来た姿ではなく…。しいていうのなら『隠し砦の三悪人』にでも出てきそうな木製。平屋の室町の屋敷でしかありませんでした。
こんにちの私たちが想像するお城が一夜にして現れたら、そりゃあ魂消るよな。つまり当時の北条一族からすると、トップ画像の小田原城が敵方の本陣がある視線の先の山の上に突然出現したに等しい。
ギブアップもするわ~~~。
戦いを劇的に展開する素晴らしい演出家でもあった秀吉は、豊富な財力・兵力をつぎ込んで城を作りました。ンでも完成するまで建築現場を悟らせなかった。小田原城側は目隠しの木があったのです。さあ!という時になり夜の暗さを利用して目隠しの木を一斉に切り倒し…。翌朝バーンっ!と最新式の城を出現させる。
それに攻め手の豊臣方の軍勢には、兵糧もふんだんに用意されて、小田原方を包囲してる…。
しかも包囲してる面々は、
徳川家康らが東海道を豊臣秀吉と共に進み、
前田利家・上杉景勝率いる北国勢が上野国(群馬県)から北条の領地に侵入。
長宗我部元親・九鬼嘉隆らの率いる水軍が兵員・物資を搬送し、海上を封鎖。これがゲームなら、「詰み」ですわ。
それでも北条方は6万人が中世最大規模を誇る小田原城に籠もり、3ケ月に渡り攻防戦を繰り広げました。
本丸(本城曲輪)から太平洋を望む。
画像はかつての本丸跡。奥に見えるのがかつての天守台。今はなにもない。
さて、巻き巻きでガイドさんは歴史ロマンに浸る私たちを先をせかします。何しろ小田原宿観光周遊バスは30分に一度しかやってきません。1時間で一夜城を案内しないといけないんです。
本丸の跡は下り坂。またまた酷い道を降りて行くと、
西曲輪が現れました。かつて
淀君を始めとした武将達の側室が一時暮らした場所です。
ガイドさん「秀吉は筆まめな男でした。秀吉は奥方・北政所に手紙を送っています。曰く「配下の大名達に一夜城の側室を連れて来るように言った。ついては自分も淀君をよこしてくれ」と。確かに位置からしても安全に守られた場所ですね。
さて、もう少し下ると
南曲輪がありました。
ガイドさん「この石に落書きが残っています」
ガイドさん「加藤ーーと刻まれています。
加藤清盛は小田原攻めには参戦してませんが、一門の誰かが刻んだらしいですね」
アップで撮影してみた。判読出来なかった…。
さて、一夜城巡りもそろそろおしまい。にしてもガイドさんはさっさか降りて行きます。とてもじゃないがあのスピードではついてかれない。
私「ガイドさん、何歳なんですか?元気過ぎですっ!」(青息吐息)
ガイドさん「70歳を超えました。定年してから歴史を勉強し始めました」
と。すぐさままたさっさかさかと。
70歳っ!!
我が身の体たらく…。ま・待って~。
そして説明板の立っていた場所に戻りました!説明を聞いた時、まさかこれをあのスピードで降りるとは思いもよらず…。
ガイドさん「もう少し頑張って。最後にバス停横に置いてある大石を紹介します」
大石?
ガイドさん「一夜城を築くにあたり切り出した石です。大きな石にたがねを打ち込み、夜水を掛けて放置。すると石が収縮して翌日には割れているという仕組みです。どこで石を切り出したか分からなかったのですが、発掘場所が見つかり、そこから移動させてここに設置しました」
へえ~へえ~へえ~。
鎌倉を散策していると、古い時代には細工し易い鎌倉石が使われているのですが、時代が下がると石が不足するようになります。だから、日本初の築港の施設ともいわれる和賀江島の石は関東大震災で崩れたのを契機に再利用されて、ずいぶん破壊されてしまったとか。山道を上りながらガイドさんに「石垣山の石はどこから持って来たのか?」と質問しましたら、「周りにいくらでも石はあるから」との回答。
あ。そうだった…。江戸に入ると伊豆は石の一大採掘地になったんだった。忘れてた~~。
12時50分、小田原宿観光回遊バスがやってきました。
ラッキーにも座席確保出来ました。
石垣山から小田原城下へ戻ります。途中車窓にみかん畑が広がっています。
ガイドさん「調度露地ものの収穫期です。みかん狩りの出来る所もありますよ~」
さて既に午後1時。お腹がすいたので、
小田原漁港バス停で下車します。
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田舎から戻って来ました!
ええ。昨日…。
お察しの通り、新幹線がもう大変っっ。
なんつーか、かんつーか。もう岡山出発時点で1時間遅れだったのですが。
駅と駅の間に新幹線が数珠つなぎになってまして、新横浜到着するまでなんと!3時間遅れになってしまった~~。
ま。
3時間遅れなんで、どうやら特急料金が戻ってくるらしいんだけどね。
「1年以内にみどりの窓口で手続きして下さい」とか。
ンでも町田駅に到着したら、既にみどりの窓口はシャッター降りてた…。
疲れた。
ま。帰りの小田急OXの総菜売り場は50%オフだったしな。小市民は3時間遅れで得したからそれなりに幸せよ~~。
なんつーか、狂想曲的な実況記事をそのうち書きますわ。
母の愛でパンやらお茶やらもたせてくれてたので、飢えずに済みました!
時間つぶしに持ち込んだ「中国歴史人物史」の本も片道9時間もかかったらば、そりゃあ完読出来ますわ…。3冊持ち込んでてよかったぜ。夜の分の降圧剤のお薬もなぜか余分に盛ってたからねっ。備えあれば憂いなし!って本当だよな。幸いあの大混雑の岡山駅の新幹線待合で椅子をゲットして読書にふける事が出来たし、今年はなんかついてるかも~~。