本日3本目の記事です。毎日私のブログをチェックして下さってる心優しい方、ありがとうございます。そして注意して下さい。
まだ業者が来ないので記事書き続けます。3時までには終わるハズなんですがね。
さて、インド旅行記と銘打ちながら、まるでインドレポートの様相になってきたブログ記事ですが、ネタがホットなうちに忘れないように取りあえず覚えてる限りはこのまま続けます。画像がなくてすみません。後回しにさせて下さい。記憶の減退との勝負なんです。
さて、インド経済について問題になってる物乞いについてです。
いいですか?観光客の皆さん、物乞いをやってる人に憐れみをかけてはいけません。観光客がよかれと思って物乞いに施す事はインド経済を衰退させます。具体的に例を上げて説明します。
まずは真面目に働くバスのアシスタントくんの場合。
私達のツアーがインドのデリーに到着したのは2月13日(土曜日)の夜でした。夜7時20分にバスは出発その日は空港近郊のグルガオンのビジネスホテル泊。
翌2月14日(日曜)はバスはデリー観光後ランチを終えて西のジャイプールまでロングドライブ。この辺りでバスの窓や車内が綺麗に掃除されてるのに気付きまして、聞けばバスのアシスタント君が朝4時起きで2時間かけてバスと清掃してる。つまり日曜日も働いてる訳だね。
あ、ちなみにアシスタント君は17才。運転手さんが先生でやがてよいバスの運転手になるべく修行中です。バスの運転手とアシスタント君は二人セットで先生と生徒の関係で仕事を教えられ覚えていくのです。
2月15日(月曜)ジャイプール滞在。しかし観光地へバスは観光客を運びます。今回の旅はジャイプールの旧市街にある風の宮殿・シティパレス・ジャンダル=マンダルの3つの名所は500平方メートル圏内に集中してましたが、移動はバスでした。観光客の観光は午後も続きます。
ところでインドは停電が毎日のように発生します。停電すると信号も消えるので警察官が手信号で車をさばきます。となると渋滞発生です。アシスタントくんは状況に応じてバスから飛び出していきます。時には渋滞にはまって動かなかったバスが突然走り出したら、全力で追いかけたりしてました。大変です。この日は山の上の城砦から街に落ちる夕暮れを眺めるというのもありました。
あ!書き忘れてましたが、インドの高速道路には街灯がありません。街中にもありません。基本夜は真っ暗です。そして法律により日中は街の中にトラックが入るのを禁止してるので、夜の高速道路は荷物を満載するトラックが主役です。でも牛が高速道路にもいるのがインドです。
そして観光客がホテルに戻った後。ってか早朝にバスのアシスタントくんは2時間かけてバスを洗うのです。
2月16日(火曜日)この日は朝8時半バスは出発。ジャイプールからアグラげロングドライブです。午後ファーテクシプリというアグラから南へ30キロの遺跡を観光。その後アグラの街へ向います。途中、いつ来るか謎の汽車を待ち遮断機が降りたり。アグラの街のホコリと汚さに驚くのは観光客くらいで、これがインドの普通のようで。そして今夜もアシスタント君はバスを洗います。夜のうちにやらねばならんのです。なぜって客が
関東電気保安教会が来た!あっちゅー間に終わったけど、時は既に午後2時を過ぎてる。もう今日はこのままブログ書きしますわ。
続けます。
2月17日(水曜日)朝6時半ロビー集合、観光客がタージマハルと朝日の鑑賞に出かけるのだ!1日観光客はタージマハルとアグラ城観光をして、夕刻小さなレストランの屋上で街中からタージマハルを眺めつつティータイム。日が落ちてのホテル到着です。そしてアシスタント君のバス磨きはこれから始まる…。なぜって翌朝は出発が早いのだ。
2月18日(木曜日)朝5時半真っ暗な中アグラのホテル出発です。アグラからデリーへはインドで一番の高速道路は通っていて(高速道路の通行料が、他の高速道路の3倍する)途中までは順調でした。夜明けが朝の6時15分頃。明るくなって雨が降っているのに気付きます。
せっかく2時間かけてみがいたバスが、汚れていきます。実はデリーは現在北京より大気汚染が酷い都市で名をはせてましてね。汚れた空気中のあれこれも、街路樹や街にこびりついてる汚れも雨と共に落ちてくるんですよ。
そして、デリー名物の大渋滞にハマル…。快適な高速道路を抜けた途端、ビタっと止まってしまいました。
デリーの街の車窓。汚れた街の埃が雨と共にバスの窓を汚す。
道路の少し先で、別の道から合流してまして、どっちも渋滞してるから殆ど動けません。更に法律でバスは左端のレーンしか走ってはいけない決まりがあり、でもって左端なので二輪車も同じレーンな訳。運転手さんのイライラは募ります。なぜって、観光客をこの後13時30分発の飛行機に乗せねばなりません。時間はあるようでないのがインドのチェックイン作業です。これが…。時間がかかるかかる。
そして10時30分、バスは無事に空港に到着です。ここでデリーから6日間乗り続けたバスとはお別れです。アシスタント君のバス洗いも一先ず終了です。
アシスタントくんは旅の添乗員の無茶ぶりで、インド国歌を心よく歌ってくれました。「17才の若者の間で今流行ってるものは?」との質問には答えようがなかったようで沈黙してました。
さて、このバスの真面目なアシスタント君の一月の給料はいくらでしょうか?
聞いちゃいました!
実はね、今ここで写真撮っておかないと、後々旅の漫画を描く時に困るだろうと思い、アグラからデリーへの移動の途中に立ち寄ったドライブインで写真を撮らせてもらったのね。その時にバスの運転手とアシスタントくんと私達の旅のガイドさんがチャイ休憩してました。そこへ私がふらふらと近寄っていった訳。んで、やらかしてしまった~。アシスタント君のぶんだったチャイを私が横取りしてしまったのだ。もちろんすすめられても一旦は断ったんだよ?でおまあなりゆきでチャイをもらっちゃったのだ。しかし、さすがに気がひけて何か持ってないか?とさぐったらキシリトールの飴とキャンディーが出てきた。それをアシスタント君に渡したら、すかさずバスの運転手から指導が入り「お客さんに何かいただいたらお礼をいいなさい」と云われ、アシスタントくんに丁寧なお礼を言われてしまい恐縮しちゃいました。
しかし…。キシリトール飴。しかもジンジャー&シトラス味。ないわ~。バスが走り出し、他に何かないか?さぐったら、小分けのキットカットが2袋でてきた。後はお別れの時にバスの運転手とアシスタント君に「ありがとう」と「さようなら」をヒンディー語で言えたら完璧ね。
ま、始めて使うヒンディー語はかんでしまったのですが、おおむね心は伝わったと思っておきましょう。
さて、アシスタントくんと運転手さんはバス会社に雇われていて、毎月の給料が出てます。
教導役のバスの運転手の一月の給料が凡そ1万円。
勉強中の生徒役のアシスタントくんの一月の給料はなんと驚きの安さの凡そ2000円ぽっちでした。
こんなに真面目に一生懸命なのに、2000円ですよ。2000円。今回の旅では日曜日も働いた彼らですが、まあ一週間に1日は休みがあると仮定して、2000÷25日=1日あたりの給料は80円ぽっち。インドルピーに換算すると40ルピーです。
な、ないわぁ~~。
参考までに、大統領の給料30万円/月 首相の給料22万円/月 だそうですよ。
さて、ここでこのブログ記事のお題「物乞い問題」についてです。インドには数多くの世界遺産があり、それこそ世界中から観光客がやってきます。観光客が集まる観光地には物乞い達が待ち構えてるのです。そんな彼らは職業物乞い。つまりプロな訳です。例えば女性の場合、汚いサリーを来て見た目も垢染みて汚した上でその辺のうちから赤ん坊を調達します。片手には空っぽの哺乳瓶を持つのも忘れません。レンタル赤ん坊(もちろん有料で物乞いの稼ぎが増えるように有料で赤ん坊を借りている)または本当に自分の子がいる場合、赤ん坊にもお金をくれというポースを仕込む。この場合、赤ん坊はヴァラナシ語をしやべるより先に『マニ』と覚えさせられるのです。
最初にレンタル赤ん坊の話を聞いた時はさすがに嘘だろうと思いましたが、見ました!ヴァラナシの朝、ガンジス川の夜明けを見に行く途中で何人も聞いてた通りの赤ん坊連れの女性が何人も待っていたのです。恐ろしい事に涙を流す演技つきで。
うわ~~~。たまらんなぁ~。
それでも観光客は彼らに何も上げては行けません。
例えば観光客が持つインドのお金の最小単位はおそらく10ルピー札(およそ20円)です。一人が彼女に施しをしたらば、それだけでバスのアシスタント君の一日の給料の1/4になるんですよ。
いいですか?もっぺん書きますよ。職業物乞いの女はプロなのです。汚いサリーは物乞いの衣装です。哀れな表情も演技です。観光客からいくら金をむしるかしか考えてない最低人間なんですよ。ちょっとの時間哀れさをアピールするだけでぼろ儲け出来るなら、真面目に仕事を続けようと思うでしょうか?そしてインドには物乞いが蔓延してるのです。この状況を作り出している犯人は物乞いに施しを与えていい気分になってる観光客のアナタです。
女性がとる手段も姑息で気がめいりますが、男性の物乞いも大概です。
私が目撃したショボい10本パックのボールペンの土産物売りの男性は、レストランの前の駐車場で入る時に「10本で1000円(凡そ500ルピー)」という暴利をいいながら、哀れをよそおい松葉杖をついてました。でも食事を終えてバスに戻る時には同じく「10本で1000円」といつつも普通に歩いてました。松葉杖どこへやった?もしかして松葉杖は時間決めでレンタルしていたのか?もうなんでもアリじゃん1こういう物乞いと紙一重の土産物売りも相手にしてはいけません。
更にエスカレートすると、その足ど~みても物乞いする為にわざと切断したよね?そこまでやる??と呆れるばかりです。もしかしたら断肢したのは物乞い親方かもしれませんが、どっちにしても酷いものです。それを見せつけられる観光客は勘弁してくれ!となりますが、発展途上の国にはままあることです。私達観光客が彼らに出来る事は物乞いにお金を与えないことです。金にならないならちゃんとした職業につくほかないですからね。赤ちゃんの頃から物乞いさせられてたら、大きくなっても物乞いになるものな。まず国から物乞いを駆逐すること。国としても物乞い撲滅を目指してます。観光客は旅の始めにまずバスの中で物乞いを無視するようにレクチャーを受けます。
ちなみに、旅のガイドさんが日本を旅した時のお話も聞きました。ええ。聞いちゃいました。だって、インド人から見た始めての日本旅行って興味あったんだもの。
彼は旅したのは4年前の5月23日に一人で日本を旅しました。
私「どこへ行きましたか?」
ガイドさん「奈良・京都・大阪・姫路・埼玉の大宮・東京・蕨市・五反田(五反田にはガイドさんの会社の社長が住んでるから)へ行きました」
私「日本の印象は?」
ガイドさん「東京はビルが大きい。街がきれい。電車の中もきれい。でも静かです。物価が高い」
私「他には?」
ガイドさん「ごはんが美味しかった!でもうっかり牛を食べてしまいました。牛美味しかったです。帰国してからガンガーに入ってお祈りしました。牛を食べた事はインドでは内緒にしてます」
私「他には?」
ガイドさん「日本の乞食が綺麗で驚きました。綺麗な服を着てたね」
私「日本で乞食?え??どこで見ましたか?」
ガイドさん「大阪の塔の駅で」
私「通天閣ですね。あそこは西成のドヤ街が近いから…」
そういえば、ガイドさんのお友達が日本で刑務所に入った話も興味深かったな。
ガイドさんのお友達は、日本で交通事故を起こして収監されたそうです。
ガイドさん「日本の牢屋は冷暖房完備。美味しいご飯もでる。服も綺麗。とても快適だった!話を聞いて私はとても驚きました」
う~む。2月なのに30度超えてるインド人からしたら、冷暖房完備は信じられないでしょうね。
インドの5月は50度超えの日々。そして電気の使い過ぎで連日の停電。なので5月は学校が休みになるんだってさ。
次はそうだね。停電の話をいってみよーか?
今日のトップ画像は私達の旅の観光バスです。画面中央右手で頭に黒いターバンを巻いている男性がバスの運転手さん。バスの側、左手にいる少年がアシスタントくん。
まだ業者が来ないので記事書き続けます。3時までには終わるハズなんですがね。
さて、インド旅行記と銘打ちながら、まるでインドレポートの様相になってきたブログ記事ですが、ネタがホットなうちに忘れないように取りあえず覚えてる限りはこのまま続けます。画像がなくてすみません。後回しにさせて下さい。記憶の減退との勝負なんです。
さて、インド経済について問題になってる物乞いについてです。
いいですか?観光客の皆さん、物乞いをやってる人に憐れみをかけてはいけません。観光客がよかれと思って物乞いに施す事はインド経済を衰退させます。具体的に例を上げて説明します。
まずは真面目に働くバスのアシスタントくんの場合。
私達のツアーがインドのデリーに到着したのは2月13日(土曜日)の夜でした。夜7時20分にバスは出発その日は空港近郊のグルガオンのビジネスホテル泊。
翌2月14日(日曜)はバスはデリー観光後ランチを終えて西のジャイプールまでロングドライブ。この辺りでバスの窓や車内が綺麗に掃除されてるのに気付きまして、聞けばバスのアシスタント君が朝4時起きで2時間かけてバスと清掃してる。つまり日曜日も働いてる訳だね。
あ、ちなみにアシスタント君は17才。運転手さんが先生でやがてよいバスの運転手になるべく修行中です。バスの運転手とアシスタント君は二人セットで先生と生徒の関係で仕事を教えられ覚えていくのです。
2月15日(月曜)ジャイプール滞在。しかし観光地へバスは観光客を運びます。今回の旅はジャイプールの旧市街にある風の宮殿・シティパレス・ジャンダル=マンダルの3つの名所は500平方メートル圏内に集中してましたが、移動はバスでした。観光客の観光は午後も続きます。
ところでインドは停電が毎日のように発生します。停電すると信号も消えるので警察官が手信号で車をさばきます。となると渋滞発生です。アシスタントくんは状況に応じてバスから飛び出していきます。時には渋滞にはまって動かなかったバスが突然走り出したら、全力で追いかけたりしてました。大変です。この日は山の上の城砦から街に落ちる夕暮れを眺めるというのもありました。
あ!書き忘れてましたが、インドの高速道路には街灯がありません。街中にもありません。基本夜は真っ暗です。そして法律により日中は街の中にトラックが入るのを禁止してるので、夜の高速道路は荷物を満載するトラックが主役です。でも牛が高速道路にもいるのがインドです。
そして観光客がホテルに戻った後。ってか早朝にバスのアシスタントくんは2時間かけてバスを洗うのです。
2月16日(火曜日)この日は朝8時半バスは出発。ジャイプールからアグラげロングドライブです。午後ファーテクシプリというアグラから南へ30キロの遺跡を観光。その後アグラの街へ向います。途中、いつ来るか謎の汽車を待ち遮断機が降りたり。アグラの街のホコリと汚さに驚くのは観光客くらいで、これがインドの普通のようで。そして今夜もアシスタント君はバスを洗います。夜のうちにやらねばならんのです。なぜって客が
関東電気保安教会が来た!あっちゅー間に終わったけど、時は既に午後2時を過ぎてる。もう今日はこのままブログ書きしますわ。
続けます。
2月17日(水曜日)朝6時半ロビー集合、観光客がタージマハルと朝日の鑑賞に出かけるのだ!1日観光客はタージマハルとアグラ城観光をして、夕刻小さなレストランの屋上で街中からタージマハルを眺めつつティータイム。日が落ちてのホテル到着です。そしてアシスタント君のバス磨きはこれから始まる…。なぜって翌朝は出発が早いのだ。
2月18日(木曜日)朝5時半真っ暗な中アグラのホテル出発です。アグラからデリーへはインドで一番の高速道路は通っていて(高速道路の通行料が、他の高速道路の3倍する)途中までは順調でした。夜明けが朝の6時15分頃。明るくなって雨が降っているのに気付きます。
せっかく2時間かけてみがいたバスが、汚れていきます。実はデリーは現在北京より大気汚染が酷い都市で名をはせてましてね。汚れた空気中のあれこれも、街路樹や街にこびりついてる汚れも雨と共に落ちてくるんですよ。
そして、デリー名物の大渋滞にハマル…。快適な高速道路を抜けた途端、ビタっと止まってしまいました。
デリーの街の車窓。汚れた街の埃が雨と共にバスの窓を汚す。
道路の少し先で、別の道から合流してまして、どっちも渋滞してるから殆ど動けません。更に法律でバスは左端のレーンしか走ってはいけない決まりがあり、でもって左端なので二輪車も同じレーンな訳。運転手さんのイライラは募ります。なぜって、観光客をこの後13時30分発の飛行機に乗せねばなりません。時間はあるようでないのがインドのチェックイン作業です。これが…。時間がかかるかかる。
そして10時30分、バスは無事に空港に到着です。ここでデリーから6日間乗り続けたバスとはお別れです。アシスタント君のバス洗いも一先ず終了です。
アシスタントくんは旅の添乗員の無茶ぶりで、インド国歌を心よく歌ってくれました。「17才の若者の間で今流行ってるものは?」との質問には答えようがなかったようで沈黙してました。
さて、このバスの真面目なアシスタント君の一月の給料はいくらでしょうか?
聞いちゃいました!
実はね、今ここで写真撮っておかないと、後々旅の漫画を描く時に困るだろうと思い、アグラからデリーへの移動の途中に立ち寄ったドライブインで写真を撮らせてもらったのね。その時にバスの運転手とアシスタントくんと私達の旅のガイドさんがチャイ休憩してました。そこへ私がふらふらと近寄っていった訳。んで、やらかしてしまった~。アシスタント君のぶんだったチャイを私が横取りしてしまったのだ。もちろんすすめられても一旦は断ったんだよ?でおまあなりゆきでチャイをもらっちゃったのだ。しかし、さすがに気がひけて何か持ってないか?とさぐったらキシリトールの飴とキャンディーが出てきた。それをアシスタント君に渡したら、すかさずバスの運転手から指導が入り「お客さんに何かいただいたらお礼をいいなさい」と云われ、アシスタントくんに丁寧なお礼を言われてしまい恐縮しちゃいました。
しかし…。キシリトール飴。しかもジンジャー&シトラス味。ないわ~。バスが走り出し、他に何かないか?さぐったら、小分けのキットカットが2袋でてきた。後はお別れの時にバスの運転手とアシスタント君に「ありがとう」と「さようなら」をヒンディー語で言えたら完璧ね。
ま、始めて使うヒンディー語はかんでしまったのですが、おおむね心は伝わったと思っておきましょう。
さて、アシスタントくんと運転手さんはバス会社に雇われていて、毎月の給料が出てます。
教導役のバスの運転手の一月の給料が凡そ1万円。
勉強中の生徒役のアシスタントくんの一月の給料はなんと驚きの安さの凡そ2000円ぽっちでした。
こんなに真面目に一生懸命なのに、2000円ですよ。2000円。今回の旅では日曜日も働いた彼らですが、まあ一週間に1日は休みがあると仮定して、2000÷25日=1日あたりの給料は80円ぽっち。インドルピーに換算すると40ルピーです。
な、ないわぁ~~。
参考までに、大統領の給料30万円/月 首相の給料22万円/月 だそうですよ。
さて、ここでこのブログ記事のお題「物乞い問題」についてです。インドには数多くの世界遺産があり、それこそ世界中から観光客がやってきます。観光客が集まる観光地には物乞い達が待ち構えてるのです。そんな彼らは職業物乞い。つまりプロな訳です。例えば女性の場合、汚いサリーを来て見た目も垢染みて汚した上でその辺のうちから赤ん坊を調達します。片手には空っぽの哺乳瓶を持つのも忘れません。レンタル赤ん坊(もちろん有料で物乞いの稼ぎが増えるように有料で赤ん坊を借りている)または本当に自分の子がいる場合、赤ん坊にもお金をくれというポースを仕込む。この場合、赤ん坊はヴァラナシ語をしやべるより先に『マニ』と覚えさせられるのです。
最初にレンタル赤ん坊の話を聞いた時はさすがに嘘だろうと思いましたが、見ました!ヴァラナシの朝、ガンジス川の夜明けを見に行く途中で何人も聞いてた通りの赤ん坊連れの女性が何人も待っていたのです。恐ろしい事に涙を流す演技つきで。
うわ~~~。たまらんなぁ~。
それでも観光客は彼らに何も上げては行けません。
例えば観光客が持つインドのお金の最小単位はおそらく10ルピー札(およそ20円)です。一人が彼女に施しをしたらば、それだけでバスのアシスタント君の一日の給料の1/4になるんですよ。
いいですか?もっぺん書きますよ。職業物乞いの女はプロなのです。汚いサリーは物乞いの衣装です。哀れな表情も演技です。観光客からいくら金をむしるかしか考えてない最低人間なんですよ。ちょっとの時間哀れさをアピールするだけでぼろ儲け出来るなら、真面目に仕事を続けようと思うでしょうか?そしてインドには物乞いが蔓延してるのです。この状況を作り出している犯人は物乞いに施しを与えていい気分になってる観光客のアナタです。
女性がとる手段も姑息で気がめいりますが、男性の物乞いも大概です。
私が目撃したショボい10本パックのボールペンの土産物売りの男性は、レストランの前の駐車場で入る時に「10本で1000円(凡そ500ルピー)」という暴利をいいながら、哀れをよそおい松葉杖をついてました。でも食事を終えてバスに戻る時には同じく「10本で1000円」といつつも普通に歩いてました。松葉杖どこへやった?もしかして松葉杖は時間決めでレンタルしていたのか?もうなんでもアリじゃん1こういう物乞いと紙一重の土産物売りも相手にしてはいけません。
更にエスカレートすると、その足ど~みても物乞いする為にわざと切断したよね?そこまでやる??と呆れるばかりです。もしかしたら断肢したのは物乞い親方かもしれませんが、どっちにしても酷いものです。それを見せつけられる観光客は勘弁してくれ!となりますが、発展途上の国にはままあることです。私達観光客が彼らに出来る事は物乞いにお金を与えないことです。金にならないならちゃんとした職業につくほかないですからね。赤ちゃんの頃から物乞いさせられてたら、大きくなっても物乞いになるものな。まず国から物乞いを駆逐すること。国としても物乞い撲滅を目指してます。観光客は旅の始めにまずバスの中で物乞いを無視するようにレクチャーを受けます。
ちなみに、旅のガイドさんが日本を旅した時のお話も聞きました。ええ。聞いちゃいました。だって、インド人から見た始めての日本旅行って興味あったんだもの。
彼は旅したのは4年前の5月23日に一人で日本を旅しました。
私「どこへ行きましたか?」
ガイドさん「奈良・京都・大阪・姫路・埼玉の大宮・東京・蕨市・五反田(五反田にはガイドさんの会社の社長が住んでるから)へ行きました」
私「日本の印象は?」
ガイドさん「東京はビルが大きい。街がきれい。電車の中もきれい。でも静かです。物価が高い」
私「他には?」
ガイドさん「ごはんが美味しかった!でもうっかり牛を食べてしまいました。牛美味しかったです。帰国してからガンガーに入ってお祈りしました。牛を食べた事はインドでは内緒にしてます」
私「他には?」
ガイドさん「日本の乞食が綺麗で驚きました。綺麗な服を着てたね」
私「日本で乞食?え??どこで見ましたか?」
ガイドさん「大阪の塔の駅で」
私「通天閣ですね。あそこは西成のドヤ街が近いから…」
そういえば、ガイドさんのお友達が日本で刑務所に入った話も興味深かったな。
ガイドさんのお友達は、日本で交通事故を起こして収監されたそうです。
ガイドさん「日本の牢屋は冷暖房完備。美味しいご飯もでる。服も綺麗。とても快適だった!話を聞いて私はとても驚きました」
う~む。2月なのに30度超えてるインド人からしたら、冷暖房完備は信じられないでしょうね。
インドの5月は50度超えの日々。そして電気の使い過ぎで連日の停電。なので5月は学校が休みになるんだってさ。
次はそうだね。停電の話をいってみよーか?
今日のトップ画像は私達の旅の観光バスです。画面中央右手で頭に黒いターバンを巻いている男性がバスの運転手さん。バスの側、左手にいる少年がアシスタントくん。
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