あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

ラグビーワールドカップ2019応援

2019年09月13日 05時51分57秒 | 展覧会&観光施設&能楽
2019/9/8訪問。この日は楽しみにしてた吉村作治先生のエジプト調査最前線の講演会が12時半開場でした。中途半端な時間に始まるので、その前に東京駅そばのJPタワー内の東京大学の博物館を見学しようと、東京地下鉄千代田線二重橋前駅からJPタワーに向かって歩いてたら、丸ビル前になんかあった!
何これ〜??
何はともあれ、チコちゃんもラグビーボールを持ってたので記念撮影だ!
ラグビーワールドカップ大会2019応援みたいです。9月20日スタートですね。
日本らしくラグビー神社ラグビー絵馬です。
一体どなたが御祭神なんだろうか?などと!神社仏閣めぐりをカテゴリー立てしてる私はついつい気になってしまいます。
そういや、皆さんは観覧申し込みしましたか?私はWEBのチケット販売画面で観覧料を確認しようとしたら、登録とかマスターガードとか面倒くさそうだったのでパスしちゃいました。これがアメフトの試合だったら申し込んだけども。ラグビーはよくわからん!
でもテレビで応援はするよ?
あ、ダメだ!時間がない!
JPタワーの前で信号待ち。
あれ?ここはもしや??
丸の内アップルです。オープンしたばかりのハズ。ダンナが入りたい!というので見ることに。小綺麗な展示場だった。なんか、WEB申し込みして指定された時間にユーザーが訪問するスタイル。私はパソコンってアップルしか使ったことないんだけど、勘で使い続けてるのでよくわからん〜。撮影画像の保存方法がわからず、撮影しては消去しまくってるので、そこだけ知りたいんだけども、こんなおしゃれな場所で、アホなこと聞けないわ〜。
ダンナを急かしてJPタワー2階へ。ちなみに、東京大学の博物館インターメディアテク入館無料・11時開場館内撮影禁止です。12時半には東銀座駅そばの銀座ブロッサム会場にいたいので、ここを11時45分に出発したい!
窓の外から東京駅の駅舎が見えるので一度は眺めて欲しい!ちなみに、東京大学の先生が世界中で集めた動物の骨や、剥製。鉱物、巨大な植物標本などが並んでます。先生の思考が分かるラインナップです。一度見たことあるわ!という方も、時折展示物入れ替えをしてるので複数回訪問するのがいい。時間つぶしに最適よ?
ちなみに、3階出口付近に、幕末維新の古い写真が飾ってあります。有名どころは明治天皇・昭憲皇后・徳川慶喜・渋沢栄一の写真がありました。
お昼ご飯を早めにとるべく、6階のテラスへ移動。ここで東京駅を眺めつつお昼ご飯をとるつもりだったのですが、テラスに出たら雨だった!
早っ!
この日は夜には台風が関東に直撃するので、早め行動するつもりでした。朝愚図るダンナを「吉村先生の講演会だけだから〜」と説得して出かけてきたのに、もう雨??嘘〜〜!!ご機嫌急降下なダンナを宥めすかし1階の吹き抜けホールへ。ここにテーブルと椅子があるので、そこでお昼ご飯をとるつもり。
結構観光客が多く、空いてるのは外国人のおじさんが使うテーブルに椅子2つのみ。
もうそこしかないので。「イクスキューズミ〜?シェアOK?」と突っ込んでいく。時間がないので謙虚な日本人をしてられない!パパッと食べてすぐに移動です。既に12時を回ってるので急がなならん〜。
千代田線二重橋前駅→日比谷駅・徒歩で有楽町線有楽町駅→東銀座駅。
地上に出たら青空が広がっていた!さっきの雨はなんだったんだろ??
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町田ダリア園開花情報2)2019/7/29

2019年08月17日 05時53分38秒 | 展覧会&観光施設&能楽
昨日に引き続き町田市にある町田ダリア園の開花情報です。
町田ダリア園には500品種・4000株のダリアがあります。
開園期間:2019年7月1日〜11月3日まで
開園時間:9時半〜16時半(入園は16時まで)
料金:大人500円、中学生まで無料
基本情報を踏まえ、今日も画像増量で紹介します。何しろ500品種もあるので、画像を見ていただくのが感動が伝わると思うのです。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
当日は2019年の梅雨明けと重なりました。今年の梅雨は連日の雨と低温で、野菜の育ち具合が連日ニュースになっていたのに、梅雨が明けたと同時に毎日が猛暑日という有様。園内を手入れしてるおじさんに「暑いのによくいらっしゃいました」と言われ「ここまで暑いとは〜」としか答えられなかった私。せめて綺麗な花ですねとか言えなかったのか!とブログを書きながら思う。けど、あの時はもう撮影するだけでいっぱいいっぱいでした。クラクラでベンチで休みつつ撮影を再開。せっかく塗ってる日焼け止めクリームでしたが、汗で全部流れていく。もう腕が赤いんですけど〜。
しかしだ。先は長そう〜。まだ下の段だから半分も見てないもの〜。がんばれ自分!

今goo blogで連続投稿7日間達成すると#7日間チャレンジ成功というイベントをやっていて、私も参加してみた。まあタグに「#7日間チャレンジ」というのをつけるだけです。今日で無事に7日間達成したので、7日間チャレンジ成功となりました。どうせなら今月いっぱい投稿を続けて#7日間チャレンジのタグもつけたい。達成できるかどうかはお天気次第です。さすがに35度超えとなると体力が足りてない私は出歩けない。

昨日YouTube見ながらブログ記事を書いてて、うっかり東海大相模の甲子園を見逃した。やっちまった〜。と思いつつ、スーパーに買い物に出かけた。東海大相模高校の前まで来た時に、台風が来てもそのままだった、敷地周囲に立つ朝日新聞の赤いのぼり旗を数人の男性が撤去してました。
あ。負けたんだ。
ひょんなことから勝敗を知ってしまいました。いつもは賑やかなグランドがシーンとなってたよ。まあ、応援に行ってるので静かなのは当たり前だけどもな。皆さんお疲れ様でした。
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徳蔵寺の板碑保存館

2019年07月20日 06時07分43秒 | 展覧会&観光施設&能楽
2019.6.16訪問。東村山市にある徳蔵寺に保管されていた板碑・石器・土器などを保存するため、昭和43年(1968)9月に鉄筋、校倉造り、2回建ての保存館が完成した。
また、保存館に屋根を乗せ、内外装の工事が行われ、平成15年(2003)1月に改装再会館しました。
1階〜石器・土器・国分寺瓦・古銭等を展示
2階〜元弘の碑を中心に、板碑約170基、宝篋印塔、五輪塔、道標などを展示。
ということで2階へ上がる。
板碑の隣に表面に書いてあるものを解説してある。
一対の比翼碑の右側。
アップにするとこう。おとといの記事で、正福寺さんにある貞和の板碑の解説を、東村山市ふるさと歴史館に解説展示してありました。わかりやすいので再掲載。板碑の表面にはこんなことが刻んであるんですね。
板碑のほか、五輪塔も展示。
解説あり。

宝篋印塔。
解説あり。
けど見逃してはいけないのはこっち。
元弘の板碑(国指定重要文化財・大正3年8月指定)
大切にしまってあるので、表面に何が書いてあるかわからんのです。
でも右側に全文が書き出してありました。
分かります?ガラパゴス携帯だったので、念のため2枚撮影したのですが、どっちもピンボケしてました〜。仕方ないので、3段組の表面を上段から書き出してみる。
1段目:光明真言
2段目・右から:飽間斎藤三郎藤原盛貞生年廿六
   2行目:於武州府中五月十五日令討死
   中央3行目:元弘三年発酉五月十五日 敬白
   4行目:同孫七家行廿三同死飽間孫三郎
   5行目:宗長冊五於相州村岡十八討死
3段目・右から:勧進玖阿弥陀仏
   ・左端:執筆遍阿弥陀仏
元弘の板碑の手前に置かれてるのは位牌です。板碑に書いてある3名を弔うものです。
説明文発見:元弘の碑について
「元弘の碑」は、新田義貞が鎌倉の北条高時を攻めたとき、共に戦い、府中の分倍で討死した飽間斎藤三郎藤原盛貞・同じく孫七家行・村岡で討死した飽間孫三郎宗長の3戦士の供養塔で、元弘3年(1333)5月15日の日付で建立された。
当初は、八国山の麓を通る鎌倉街道(脇道)が「小高くなった所」の山裾で、東に久米川古戦場を望み、街道を通る人にも参拝できる位置に建立されたと思われる。
ときが過ぎ、江戸時代初期、八国山にあった徳蔵寺の土地に永春庵が建立され、元弘の碑は境内に移され、3戦士に戒名をつけ、手厚く供養されるようになった。
然し、元弘の碑を守っていた永春庵の遷化(宝暦11年・1761)後衰微し、その後取り壊され、徳蔵寺境内に再建され元弘の碑も徳蔵寺の境内に移された。
『江戸名所図会』天保5年(1834)〜7年(1836)には、門を入って左側に永春庵があり更に進むと本堂があり、本堂左手の奥に塚があり元弘の碑が描かれている。
このように、「元弘の碑」と「徳蔵寺」と「永春庵」は、昔から深い繋がりを持ちながら、現在に至っていることがよくわかる。
「元弘の碑」は『太平記』に書かれている新田義貞の鎌倉攻めという歴史上の出来事を実証する貴重な資料としてその存在価値は大きい。」とあります。
ということで、地図です。
地名が読めるように大きく貼り付けてみました。中央に黄色になってるのが徳蔵寺さん新田軍の陣地だったのね。黄色の右手にあるのが狭山丘陵で、先ほど北山公園から見上げた小高い山がこれにあたります。あれはトトロに出てきた山だけじゃなかったのね。
そういや、新田義貞の進撃はあっちゅー間で、鎌倉北条方はあっちゅー間に駆逐されちゃいましたね。
守るに固く攻めるに難しい鎌倉を、新田義貞は稲村ヶ崎から干潮を利用して海岸沿いに進み、九品寺に陣を張り、北条高時の館があった現宝戒寺さんまで一気に攻め落とし北条一族を滅亡させ鎌倉幕府を終了させた(1333年5月下旬)けども。
各地で転戦。箱根や湊川で敗北し、最後は南朝の後醍醐天皇の息子恒良親王・尊良親王を奉じて北陸の越前藤島で戦死(1338年8月17日)しちゃました。37〜8歳没。
徳蔵寺板碑保存館
拝観時間:9:00−17:00
拝観料:高校生以上200円
休館日:毎週月曜日
時刻は早くも12時35分。お腹が空いた〜。たべれるとこ〜。
地図を眺めて近くの熊野神社さんの隣に公園を見つけたので移動。
熊野神社さんの12時47分到着。まずは参拝です。
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博物館の動物

2019年07月14日 06時00分53秒 | 展覧会&観光施設&能楽
博物館の動物は生きてない〜。中には生き生きしてるものもあるけど、それは作品の中のこと。東洋館で動物が描かれたり形どってある作品を撮影してみた。
トップ画像を目を凝らす。
最上段右端で餅つきをしてるのはうさぎか?
猟犬に追われてるのは、鹿だと思う。(ピンボケしたので、別の似た画像に差し替えました)
え〜と?これはイノシシ?饕餮?分から〜ん。
山羊のツノがデザイン科され表面に描かれてます。比べると鹿は写実。気になるのは器自体の形だよ。何かのツノ?何をかたどってるのかなあ?
鬼瓦。wikiによりますと、鬼瓦は和式建築物の棟の端などに設置される板状の瓦の総称。略して「鬼」とも呼ばれる。厄除けと装飾を目的とした役瓦の一つ。とある。
東洋館に収まってたので、日本のものじゃないと思うので、wikiで鬼瓦について調べたら「ルーツはパルミラで入り口の上のメドゥーサを厄除けとして設置していたが、シルクロード経由で中国に伝来。日本では奈良時代に唐文化を積極的に取り入れだしたおろ、急速に全国へ普及した」とありました。ちなみに、最近建てられる建築物にはあんまり鬼瓦をつけることないんだって。面白いのに。
亀というよりは瑞獣の霊亀っぽい。玄武の方がメジャーかも?壺の表面に描かれてるので、裏側には別の瑞獣がいるかも?
魚。何の魚かなあ?お腹ぷっくりですね。メスなのは間違いないと思うけど。旨そう〜。
分かりづらいけども器の内側に魚が彫ってある。見切れてますが、右手の器の表面にも魚。器の色からたぶんベトナム辺りのかな?説明板を撮影してないから分からん〜。なぜに撮影しなかったのか、あの時の自分を説教してやりたい。
中にいるのは龍かな?足があるタイプ?
亀!ってかガメラ!これに牙があれば「かつてガメラを崇めていた幻の民がいた」などと、ガメラ映画の中で使われそうな作品。何気にお気に入り作品。
ど〜みても象がモチーフ。なのに鼻を作品に生かしきれてないのがなあ〜。減点!
皿に描かれた魚。
皿に描かれた鹿。再生したら鹿の顔部分に照明が辺り白トビしててがが〜ん!!
皿に描かれた魚。右手にも皿に描かれた動物がいるんだけど、これ、何の生き物かわからん。体つきは牛なんだけど、尻尾が牛というよりは馬!
狛犬?違うな。ライオンだわ。頭の周りにあるのは鬣だろうし。
wikiによりますと「狛犬とは?獅子や犬に似た日本の獣で、想像上の生物とされる。」とある。「飛鳥時代に日本の伝わった当初は獅子で、左右の姿に差異はなかったが、平安時代になってそれぞれ異なる外見を持つ獅子と狛犬の象が対で置かれるようになり、狭義には後者にもを「狛犬」と称すが、現在ではどっちも狛犬と呼ぶのが一般的。
起源は古代インド。日本には、中国・唐代の獅子が、仏教とともに伝わった。(諸説あり)」だそうです。
最後は象。ヒンドゥの神さま、ガネーシャ像。富の神さまなので現地インドでも大人気。日本でも密教系のお寺でたまに見かけます。
時刻は14時40分を回ったところ。もうヘロヘロ。ちょっとだけ1階入り口にあるお土産屋を覗く。けど心に響く品物がなかったので、本館の土産屋へ移動する。
てっきり地下にあると思ったわ。前はそうだった!けど、いつの間にやら土産コーナーは1階に移動し、コンパクトになってた。オシャレなラインナップ!けど高い〜。ひと昔前の土産コーナーが好きだったんだけどなあ。響くものがなかったので何も買わなかったよ〜。あ!一瞬購入しようかどうか迷ったのが、日本刀をプリントしてるマスキングテープ。かっこいいけど誰に出せば喜んでもらえるんだろうか?と考えて自重した。
さて、疲れたので予定してた書道博物館鑑賞を見送る。でもこのまままっすぐ帰るのはもったいないなあ。この日は5月18日、国際博物館の日で、あちこち無料入館デーなんです。どうすっかなあ?

*トップ画像を貼り付け間違いしてたので、訂正しました(2019.7.14)

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動物がモチーフの作品

2019年07月13日 05時57分00秒 | 展覧会&観光施設&能楽
午後です。朝から上野の東京国立博物館の収蔵物を見学し続けもうヘロヘロ。特に脳みそが疲れた〜。もう1個1個をじっくり眺めて考える気力がないので、東洋館に並ぶ作品から動物がモチーフのものをピックアップして紹介。
エジプトの神像。たぶん猫の女神バステト・初期は雌ライオンの頭部をかたどった姿で崇拝されていた。
説明板は設置してあるけど、撮影し忘れたので、雰囲気を楽しんでください。

たぶん饕餮(とうてつ)。中国神話の怪物。体は牛か羊で、曲がったツノ、虎の牙、人の爪、人の顔などを持つ。なんでも食べる猛獣から転じ、悪を喰らうという考え方から魔除けの意味を持つようになる。
同じく饕餮。こっちは文様化が進んでる感じ。殷から周代にかけて饕餮文は青銅器や玉器に修飾的に用いられた。上の画像だと下部がわかりやすい。
玉器。中にあるのは亀とナマズのフィギュア。何に使ってたんでしょうねえ?占いだと思うけど、もしかして地震予想だったりして?や。それはないか。
牛。牛車は平安時代の貴族の乗り物でしたが、東洋では一般的だったのかな?ずいぶん太った牛だなあ。
で、唐三彩の人形。唐代の鉛釉を施した陶器。主に副葬品で製作。
80年代、中国がまだ人民服を着てた時代、中国旅行をしまして、洛陽を訪問。唐三彩の工房へ行きました。焼く前には灰色の人形が、仕上がるとクリーム・緑・赤褐色の三彩になってました。
私が購入したのは2頭の馬が遊んでる場面でしたが、色あいは展示物と変わらん。今はかつての作品の焼き直しでなく、新たな三彩のものが生まれてるかも?
ちなみに、三彩は唐、中国だけでなく東洋のあちこちで製作されてます。もちろん日本でも奈良時代には作られてた。

分かりづらっ。ツボの表面に動物が彫ってあるんだけど、分かる?
これさ〜。おたまじゃくしとカエルだよね?
何だろか?猫?謎のブツブツが胴体にデザインされてるからグリフォンかもしれん。
貼り付け画像は同じサイズに揃えてありますが、実物は大きさに差が大きい。ガラパゴス携帯で撮影してるので、ピンボケ画像を量産しちゃいました。綺麗に写せたもののみ紹介しようと思ったんだけどね。
これ!分かります?田の形に鳳凰が並んでます。上に2羽。左下に鳳凰と鳥。隣に説明板があって、左下は鳳凰が歩いてるところとありますが、私にはクジャクに見えた。特に尾っぽが。右下だけなぜか上下逆さまの陰刻の鳳凰です。もしかしてこれ彫りかけなんじゃあ?
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東洋館で世界の仏像見物

2019年07月12日 05時45分30秒 | 展覧会&観光施設&能楽
トーハクの庭園見学後、出口に一番近いのが東洋館です。
wikiによりますと「東洋とは、西洋の対立願念であり、指し示す範囲は使われる国や地域によって異なる」とある。
ならばwikiで「日本における東洋とは?、世界を東洋・西洋と呼ぶ方法は、19世紀後半におこり、中等教育での歴史教育で促進された。1894年には文部省から「東洋史」として新設教科の教授要領が発表され、翌年にはそれに沿った教科書が発表されている。実際には東洋史として講義されたのは東アジア史であることが多かった。
ふまえて、東洋館に展示&撮影可能&ピンボケしてない画像という縛りのもと、仏像画像を貼り付けていきますね。








上の画像中央部を拡大撮影。
象の彫刻。



地域性?それとも民族性?時代による違いもあるなあ。
ちなみにwikiによりますと「仏像とは:仏教の信仰対象である仏の姿を表現した像のこと。
初期仏教において「仏」とは仏教の開祖ゴータマ・シッダールタ(釈迦如来)を指したが、大乗仏教の発達とともに、弥勒仏。阿弥陀如来などの様々な「仏」の像が作られるようになった。」と書いてある。
紹介した仏像は時代も国も様々。
おまけ:なんかキャラが立ってる漫画ちっくな絵皿だなあと思い撮影しましたが、これもお釈迦様と6弟子っぽいなあ?ついでに紹介しておくかな?
東洋館には仏像だけでない。平成館の親と子のギャラリーで「ツノのある動物」展を見たので、動物がテーマな作品を撮影してみた。トーハクの展示品は多い。朝からずっとすごいものばかり見てるので、疲れが酷い。もうこの辺りでチョイスするよ〜。
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トーハクの庭園紹介

2019年07月11日 05時34分53秒 | 展覧会&観光施設&能楽
トーハクこと上野にある東京国立博物館の裏に、庭園がありまして、普段は一般立入禁止です。でも春と秋に期間を限り公開してまして、訪問の2019年5月18日は春の庭園公開期間でした。昨日に続き、庭園内にあるあれこれを紹介。
転合庵:配ってたチラシによりますと
小堀遠州(1579-1647)にが桂宮から茶入「於大名」を賜った折、その披露のために京都伏見の六地蔵に建てた茶室です。その後大原の寂光院に移築され、昭和38年(1963)当館に茶入とともに寄贈されて現在の位置に移されました。
木造平屋建て、切妻屋根、瓦葺、二畳台目向切院、遠州好み、四畳半座敷、水屋などがあります。
*転合庵の脇の四角い土壇は、重要文化財の旧十輪院宝蔵(校倉)が建てられていた跡です。現在は法隆寺宝物館の脇に移され、一般公開されています。
あれ?
それ見てない〜〜!!
実はこの日、5月18日は国際博物館の日でトーハクの総合文化展(一般展示)が無料公開の日でして、久々にトーハクを見学してまして、あまりの量にぶっちゃけ疲れきっちゃったんです。で!法隆寺宝物館までたどり着けなかったんだぁ〜〜!!
やっちまったぜ。

竹の皮の扉。凄いようです。見方が分からない〜。
十輪院校倉跡
転合庵の解説の最後に出てきた「跡」石の基壇のみ残ってる。上モノは法隆寺宝物館の脇に展示してます。
あれ?配布してるチラシをガン見してたのに、有馬家の墓石が撮影出来てない?
なぜだ!?
有馬家の墓石はトーハクの裏の庭園がかつて寛永寺の本坊の庭だった頃の数少ない名残なんです。でないと、トーハクの庭に墓石があること自体がおかしいでしょ?
ってなことで見える場所を探した。
探してわかったことは、有馬家の墓石に続く道がない!「緑地内に入らないでください」とチラシに書いてあるので、散策路から撮影した画像を切り出して貼り付けました。チラシによりますと、
有馬家の墓石:
寛永寺の面影を今に伝える越前藩主有馬家の墓石。記録には明治15年(1882)から19年(1886)にかけて、公園として整備するために博物館敷地内の墓所が整理されたとあります。なぜならこれらの墓だけがここに残されたのかわかってません。」とある。
何故残したんでしょうねえ?墓石の小ささから、藩主筋の人物の墓石じゃなさそうだけどなあ?せめて石に刻んである文字が読めたら手がかりになりそうだけど、近づけないから謎のまま。
移動。ってか、ダンナとはぐれた〜。有馬家の墓石探しに夢中になってしまい、ダンナの現在地を見失ってしまいました。やっちまったものは仕方ない。見つけてくれるのを待とう。
町田久成の碑:平成館の前の銅像の初代館長が町田久成です。いただいたチラシによりますと「初代博物局長(館長)町田久成(1838-1897)の顕彰碑です。町田久成は天保9年 (1838)薩摩(現在の鹿児島県)に生まれました。19歳で江戸に出て学び、慶応元年(1865)に渡英。大英博物館などを訪れ日本での博物館創設を志、帰国後初代博物局長として日本の博物館の基礎を築きました。文化財調査や保護を提唱し、自らの財産を投げ打って古美術品を買い求め文化財の散逸を防ぐことにも尽力しました。明治15年(1882)に退職、仏門に入り、明治30年(1897)9月15日上野で没しました。寛永寺津梁院に墓があります。
春草盧:チラシによりますと
「江戸時代、河村瑞賢(1618-1699)が淀川改修工事の歳に建てた休憩所で、その後大阪へ、さらに横浜の三渓園へ移築され、昭和12年(1937)に埼玉所沢にある松永安左エ門(耳庵1875-1971)の柳瀬荘内に移築されました。昭和23年(1948)に柳瀬荘が当館に寄贈されて、昭和34年(1959)春草盧は現在の位置に移されました。入母屋の妻に掲げられた「春草盧」の扁額は、能書家として知らされる曼殊院良尚法親王(1622-1693)の筆で、原三渓(1863-1939)が耳庵に贈ったものです。
木造平屋建て、入母屋造、茅葺き、座敷は5畳と3畳からなります。」
!!つまりかつてはこの建物は横浜の三渓園にあった!んですね。ご存知のように三渓園は日本全国から原三溪が集めてきた建物のテーマパーク状態。けど関東大震災で被災して、往時に比べ建物が随分減ってしまったとか。原三渓は1939年に死去、その2年前に電力王と呼ばれた松永安左エ門にこの建物を贈った流れが興味ふかいなあ。わざわざ扁額を作った上で耳庵に贈った建物だから、思入れもあったと思うんだ。
第二回内国勧業博覧会の碑:チラシによりますと
「明治政府は勧業政策の一環として博覧会を開催、その後第1回から第3回の会場が上野公園でした。明治10年(1877)の第1回博覧会では、本館北側のバルコニーあたりに、日本で初めて美術館という名のレンガ造の建物が建てられました。この美術館の前面にジョサイア・コンドル(イギリス1852-1920)設計の博物館旧本館が建てられ、明治14年の第二回内国勧業博覧会でで使用されました。第1回は会期102日、入場者数は45万人を超え、第二回は会期122日、入場者数は82万人に上りました。博覧館は産業の振興におおいに役立っただけでなく、美術作品の出品も多く美術の振興にも寄与しました。ちなみに、博覧会への出品物は特別に購入予算が計上されて博物館に買い上げられており、現在も明治期の工芸コレクションの重要な一部になっています。当館に碑が残っているのは、この第二回のみです。」だとか。
石碑ってさ大事。あちこちに残ってる。読めば歴史が分かるものも多いんですが、石碑を読んだこと実はない!大事なんだけども。(大切なことなので2回書く)なんとか、石碑の隣に説明板を設置してほしい。後世のために。
五重塔:チラシによりますと
「高さ5、7メートルの銅製の塔。最上部の相輪には龍が絡みつき、垂木・斗拱の組み物の細部まで入念に作られています。基壇に第5代将軍徳川綱吉(1646-1709)が法隆寺に奉納した旨の銘文「大和国法隆寺元禄元年十二月日常憲院徳川綱吉」が線刻されています。綱吉の存命中に、院号と俗名を併記することは一般的にないため、没後奉納時の年号と施主の銘文が書き加えられたのでしょう」だとか。
五重塔の歴史もなかなかですが、設置してあるのが、数少ない旧寛永寺の本坊の庭の名残の築山です。お庭を見物してた時はその事実に気づきませんでした。
さて?ダンナな?歩いてたらダンナから電話があって、この先の鉄燈籠で待ち合わせなのですよ。
いた!ってか、まさかのこれが鉄燈籠だったとは!だって燈籠じゃないじゃん〜?
鉄燈籠:チラシによりますと
「石の台に据えられた鉄製の燈籠。火袋は松皮菱を透かし、竿には雲龍文を鋳出しています。しかし、鉄製のためサビが著しくつき、昭和57年(1982)1月の台風で、竿から上が倒壊し、現在各部は別に保管しています。今は基壇だけが、そのままの状態でおかれています。
銘文はありませんが、作者は茶の湯釜師として有名な江戸名越家の6代目、名越建福(1819没)と伝えています」だとか。
む〜ん?材料の鉄に混ざり物が多すぎたのかな?インドで見たオーパーツの鉄柱は見事に残ってたけどな〜。
ちなみに、この周辺には石の燈籠もありましたが、チラシにも由来が書かれてなくわかりません。
ダンナと無事合流。しばらく池を眺めて移動。時刻は早くも13時11分です。予想外に時間が足りない!とりあえず東洋館を見てからどうするか考えよう。
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馬は渡来動物だよね?それっていつ??

2019年07月09日 05時28分23秒 | 展覧会&観光施設&能楽
何年か前、多摩モノレール主催の10キロウォーキング大会に参加。ゴールが、多摩センター駅近くの東京都埋蔵文化財センターでした。ゴールの後、館内を見学。そこで馬具を展示してあったんです。
あれ?
馬??
東京都埋蔵文化財センターは、多摩ニュータウン(多摩丘陵)を造成したら、1000個近い遺跡が発見され、それを展示するために作られたもの。遺跡は旧石器時代から縄文時代を中心に、弥生・古墳・奈良・平安・中世・近世まで3万年に至ります。
で、そこに馬具が展示されてて驚いたんですよ。で、職員さんに「どうしてここに馬具を展示してるのか?」と質問したら、多摩丘陵にはかつて一大馬牧場だった時代があったのだと教えてもらった。で、育てた馬を税金代わりに中央へ送ってたんだって!
そこでひと驚き。
遠い学生時代の記憶では、「日本にはそもそも馬はいなかった。外国から渡来した生き物です」とあったんだ。
で、今更ながら馬が渡来生き物は理解してた。でもそれっていつ?なんで多摩丘陵に一大馬牧場があるの?と。
大学時代、東洋史学を専攻していたものとしては、歴史における騎馬民族の機動力は別格なんです。
騎馬民族とは?WIKIによりますと、騎馬民族とは、馬を移動手段とし、非定住生活を送る遊牧民である。と書かれてます。具体的には匈奴・突厥・フン族・モンゴル・鮮卑・契丹などなど。聞き覚えがある民族名がありますか?騎馬の軍事能力が高く、馬術に優れていたため、歴史に名が残ってますね。
で、確か「鐙(あぶみ)」やら「轡(くつわ)」など馬具が騎馬民族の機動力のキモだったんだよな。確か。
それらを踏まえて。
目の前にある埴輪の馬を見つめて考える。ええ、既にトーハクで作品見物始めて2時間を経過し、まともな思考力が残ってない状態で考えてもロクに思考がまとまらない。

トップ画像の馬の埴輪は、古墳時代・6世紀 群馬県の出土品です。
鐙(あぶみ)も馬銜(はみ)も轡(くつわ)もはっきり分かる出来。他にも馬具がいっぱい。
群馬県から馬の埴輪が発掘されたということは、そこに馬がいたということです。
こっちの馬には鞍もある。む〜ン??
wikiによりますと、日本の馬具は古墳時代の4世紀後半から5世紀にかけて家畜化された馬が伝来し、馬具も日本列島へもたらされた。となってます。やってきた最初の馬を繁殖させて増やして群馬まで広がったということだよなあ。

埴輪だけでなく、馬具も展示してあった。古墳時代のコーナーなので、その頃既に馬具を作る技術もあったんだ。そういや、東京都埋蔵文化財センターの職員さんが、多摩丘陵には、馬具職人も集まってて、後に鎌倉時代になると甲冑とかも作ってたとかなんとか言ってたような〜?
ばふっ!
疲れてる時に頭を使っちゃダメだぁ〜。
でもさ。wikiによりますと、日本書紀にはアマテラスが岩戸に隠れたのはスサノオが斑駒の皮を剥いでアマテラスの機織り小屋に投げ込み、機織り女が驚いて死んだためである。古事記では、スサノオの息子であるオオクニヌシが出雲の国からでかける際に鞍と鐙を装着した馬に乗っていたとある。
ンン?スサノオっていつ頃の人なんだろう?その頃に普通に馬がいたってことだし??
などと。またグルグルし始めたのでもう考えるのを止めた。(オイ)あ。空耳が聞こえた〜。
見回せば、埴輪人形がいっぱい。
顔に残る赤い線は、刺青か?それとも化粧かな?
これはたぶん服の模様。でも顔に赤い線がある。赤い染料しかなかったからか?それとも本当に赤い色だったのか?
あ!楽器持ってる〜。
三角帽子。耳から垂れてるのは髪か?飾りか?

剣を持ってますね。そういや、あれは渋谷の国学院大学の博物館で刀剣展を見た時に、この時代のを展示してあったなあ。
ロングスカートはいてる?なら女性戦士?
赤いズボン。何気に埴輪で古墳時代の衣服も分かるんだねえ。

靴はいてるかどうかはわからないなあ。ちなみに、訪問時はこの埴輪が一番背が高かったよ。
この後、平成館1階へ。ほとんどの人は特別展を観覧すべくエスカレーターを上がっていきますが、私の目的は1階奥の広場。ここで持参したパンとお茶でお昼ご飯〜。
トーハクでは飲食できるのは平成館1階と本館地下と東洋館1階ピロティーです。平成館はクーラー効いてるし、ソファがふかふかなのでオススメ。最奥に飲み物自販機もあるよ。
外に出た。初代館長の町田久成の胸像があった。彼は明治時代の官僚。旧薩摩藩士。イギリス留学後、トーハク初代館長に。後に出家して僧侶となる。
これまた思考が必要かも?だってトーハクはかつての寛永寺の敷地に建ってるし、裏庭はそのまま寛永寺の庭だったし。ここで旧幕府軍呼称する上野彰義隊VS薩摩藩指揮の官軍の戦いがあった訳で。その地に博物館があってそこの初代館長か〜。しかも、彼は療養先の寛永寺明王院で亡くなってた。ツッコミどころ満載だよな〜。
多摩丘陵の縄文遺跡と馬についての記事です。専門家に聞けば妄想でなく知識になるのが嬉しいところ。おすすめ記事です。
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企画展示・ツノのある動物

2019年07月08日 06時07分20秒 | 展覧会&観光施設&能楽
トーハクこと東京国立博物館では家族で楽しめるように、「親と子のギャラリー」という特集を組んでます。訪問時はツノのある動物がテーマでした。
トップ画像は能面・野干 江戸時代・17世紀の作品。お能ではこの面を「殺生石」で狐の役になります。
お能からもう一つ。能面 一角仙人江戸時代・17世紀の作品。
お能の一角仙人はどんな話かというと、鹿の胎内より生まれ、一本の角を持つ仙人は、一角仙人と呼ばれた。勢力争いの末、龍神を岩屋へ閉じ込める。それにより雨が降らなくなり、困った帝は仙人の神通力を奪おうと、美女を仙人の元へやり、美女はまんまと仙人に酒を飲ませて酔い潰し神通力を奪う。と?封じられた龍神が飛び出した。目を覚ました一角仙人は龍神を制しようとしたが叶わず倒れる。」
お能によくある理不尽なお話だよなあ。
銅臥牛香炉 江戸時代・17世紀の作品。銅製鋳造品。
集古十種 肖像人物服章9 江戸時代・19世紀 描かれた鹿島神宮の神様
山羊頭形リュトン イラン・ギーラーン地方 土製 アケメネス朝時代・前6〜前5世紀
ツノをテーマの展示物は37点ありました。
平成館は観覧料の高い特別展の展示だけでなく、テーマを変えて親と子のギャラリーの他、考古展示室もありました。既に時刻は11時半となり、大概疲れてます。特に情報を詰め込んでる頭が疲れちゃったよ。もう記憶も適当になってしまい、撮影画像は琴線に触れたものしかない。
あの時、私が何に萌えたのか?分かるラインナップです。
古代になるのかな?各地に国分寺が置かれた頃の瓦です。
おそらく数ヶ月前に海老名の国分寺前にあった考古館で、職員さんに詳しく説明してもらったからだろうなあ。確か、国分寺の瓦が、逗子の釜で作られたのが、発掘された軒丸瓦から最近判明したとかなんとか。
同じく、海老名の考古館で説明を受けた板碑。それが頭にあったから〜。
骨壷 香川県観音寺市 琴弾神社境内出土 南北朝時代・応安2年
ゴールデンウィークに行きました!ここ。一応地元なので説明しますと、「琴弾神社」は明治の神仏分離令で神社になる前は、四国八十八ケ所札所の神恵院でした。だから骨壷が境内から出ても不思議じゃないけどさ。なんでこれがトーハクで展示してあるのかはわからんなあ?

重要文化財 突線鈕5式銅鐸
三角縁神獣鏡 古墳時代・3〜4世紀
あれだ。「鹿男あおによし」というテレビドラマがあってね。三角縁神獣鏡が物語のキモで、登場人物達が連呼してたので、脳みそに焼き付いてた模様です。
古墳時代の甲冑ですね。これもなんで撮影したかなんとなく分かる。アニメ「キングダム」は古代中国、前3世紀の秦が舞台です。キャラが甲冑つけてたんだよね。で、似たような甲冑が日本の古墳時代(3世紀中〜7世紀頃)にもあったんだなあ〜。と思っただけ。重そうだよなあ。
何これ?ついになぜに撮影したかわからんものが出はじめたよ〜。
何これ〜〜!?
あ!説明板も撮影してあった!何だこれ?
江田船山古墳ー九州地方豪族の先進性ー
江田船山古墳は有明海に注ぐ熊本県菊池川流域に所在する。5世紀後半から6世紀初頭の前方後円墳(全長約77メートル)です。教科書でも必ず取り上げられている銀象嵌銘のある太刀をはじめ、金・銀・金銅製の装身具、大陸から輸入された舶載鏡を中心とした銅鏡、馬具や武器など多数の出土品は、わが国を代表する古墳出土物として、昭和40年5月に一括して国宝に指定されました。
そうだ!上の画像だけでなく、壁面に展示してある出土品全てが国宝指定されてたのに驚いて撮影したんだった。
あ〜、更に思い出しちゃった!この辺りで私の記憶容量を超えた気がしたので、1個1個じっくり見るのを止めたんだ。確か。ということは、この先は一般的に重要な作品を撮影してないんだろうなあ。画像を再生するのが怖いなあ。ということで明日に続く。
海老名の巨木散歩の最後に国分寺跡まえにある郷土資料館を訪問しました。記事リンク貼り付けておきます。
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密教彫刻の世界

2019年07月07日 05時15分28秒 | 展覧会&観光施設&能楽
トーハクでは高い観覧料が必要な特別展と、620円で観覧できる一般展(総合文化展)がある。もっとも私が訪問した5月18日は、620円の観覧料が無料になる国際博物館の日でしたが。一般展(総合文化展)の中に特集展示が展示期間を限り企画されていて、訪問した時は平成館で開催されていた特別展『国宝 東寺ー空海と仏像曼荼羅』と連動する密教彫刻を紹介してました。
今時は、お寺を参拝しても仏像を見れない場所も多くなり、庶民は益々神社仏閣へ足を運ぶ人が減ってる。これも仏像が信仰の対象でなく、美術品に変化してるということ?若い人は仏像拝むより、御朱印集めや恋愛成就守りパワースポットに興味がある模様。そんな中、間近に仏像を鑑賞できたのは嬉しかった。
撮影可能な仏像をいくつか紹介。
「如意輪観音菩薩坐像 鎌倉時代・13世紀
あらゆる願いを叶える如意宝珠の功徳を表した仏で、物思いに耽る王者がモデルになった。6本腕で表すのは、曼荼羅に描かれる姿と同じ。」
重要美術品 不動明王立像 平安時代・12世紀 東京・大田区蔵
左目を細め、閉じた口の両端から互い違いに牙を出す容貌は不動明王の一定型、「不動十九観様」と呼ばれ、平安後期(12世紀)以降、各地に普及した。上品に怒った顔や、浅い衣の襞など12世紀の特色を示す。日本画家川端龍子氏の収蔵品で、没後は大田区に寄贈された。」
重要文化財 愛染明王坐像 鎌倉時代・13世紀
愛染明王は、愛欲などの煩悩を昇華して悟りに至らせる仏だが、様々な願いにも応えるという。弓矢などの持ち物はこれにふさわしい。儀礼が秘されることも多いためか、華麗な彩色をはじめ、光背・台座・装飾具まで制作東寺のまま残る。かつて奈良にあった内山永久寺に伝来した。」
重要文化財 大日如来坐像 平安時代・11~12世紀
密教において、森羅万象の根源であり、あらゆる仏は大日如来の化身であるという。仏の王とされるため、如来としては珍しく王族の姿で表される。胸前で両手を組むのは、『金剛頂経』という経典に説かれる姿。細身の体つきや、なだらかな衣文に平安時代後期の特色を示す」
千手観音菩薩坐像 南北朝時代・14世紀
11の頭上面をいただき、42本の脇手を表す千手観音。本来は千本を備えるとされるが、実際には省略した形で造像されることが多かった。角ばった顔などは中国・明時代ごろの特徴を取り入れたもので、院派仏師の作。台座・光背に至るまで制作当初のものが残る」
他には小さな仏像の展示。派手にピンボケした。
隣の収蔵室へ。
これもピンボケしてるんですか、伊能忠敬の日本地図です。ンで?どこの地図だと思いますか?180度回転すればわかりやすいかと?これさ、鹿児島なんだよね〜。ちなみに、地図の下に説明版があるので、この形で展示してます。そういえば、伊能忠敬の地図は、お隣の科学博物館にも展示してあったなあ。
このあたりが本館1階の裏手です。次の部屋に移動しようとしたら、バルコニーがあったので出てみた。バルコニーの向こう側に休憩してる人が。そういえば、春の庭園公開中だったなあ。後で行ってみよう。
バルコニーから館内に戻る。小さなフロアに凝った照明。そういえば、本館はレトロ建築物だった。
調べた。現在の本館は関東大震災後に建てられたもので、昭和12年(1937)11月に竣工。
さて、観覧再開。次の収蔵室は?
アイヌ文化のあれこれだった。
明治時代の北海道が舞台のアニメ『ゴールデンカムイ』の放映を毎週楽しく見てた私。興味ふかく見ちゃいました。え〜と?11時20分?あれ?時計壊れてない??時間が足りない〜。5月18日は国際博物館の日ということで、あちこちで無料観覧できる。予定では近くの書道博物館へ行くつもりだったんだけど?ムリじゃね??
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トーハク無料観覧日

2019年07月06日 05時48分15秒 | 展覧会&観光施設&能楽
5月18日は国際博物館の日です。日本は2002年から参加していて、博物館・美術館・科学館・動植物園・水族館などが5月18日に無料開館になります。ってなことで、上野の国立博物館へ行きました。ちなみに、トーハクで無料で観覧できるのは、一般展(総合文化展)のみです。
久々にトーハクを訪問してみれば、あれこれが変化してた。始めて来た博物館みたいでウキウキワクワクです。まずは本館1階から。
はじめに入る部屋は、大きな仏像などが並んでます。ここで注意。展示物には説明のプレートがあり、そこに撮影不可マークがあれば、撮影出来ません。逆に考えると、撮影不可マークがなければ、撮影できるのだ。嬉しいではありませんか。
次の部屋は、漆塗り製品。貼り付けたのは角盥(ツノダライ)です。角盥とは漆塗りの洗面道具で、宮中などの女性が用いていた道具です。源氏物語なんかに出てくる固有名詞ですが、実際大きさとか形とか見たことなかったんで、トーハクに並んでて嬉しくなり撮影。
隣の部屋は鍛冶職人の作品が並んでます。これは自在置物。自在置物は日本の金属工芸品で、鉄や銅・銀。赤銅などの金属を素材として、動物の模型を写実的に作ったフィギュアです。戦乱が終わり仕事の減った甲冑師が作ったそうで。
さ、触りたい〜。実寸大の作品もあります。
で、同じ部屋に日本が世界に誇る日本刀が並んでます。
え〜と?説明板を確認。「国宝 太刀 福岡一文字吉房 銘:吉房 鎌倉時代・13世紀
備前国福岡庄に住した一文字派のなかで、吉房は最も華やかな丁子刃の作風を示すと刀工として知られている。吉房の太刀における、身幅が広豪壮な太刀姿や、華やかな丁子刃を焼いた刃文は、備前刀のもっとも成熟した表現として定評があり、本作品はまさにその典型作といえる」
うげっ!国宝なんだねっ。しかも鎌倉時代ということは、13世紀の作品だから、今から700年以上まえに作られた刀。にしてこの輝き。なんで錆びないんだろうか?お手入れの賜物ですね。
もう一つ。
国宝  刀 相州貞宗(名物 亀甲貞宗) 鎌倉〜南北朝時代
相州鍛冶、彦四郎貞宗は五郎入道正宗の実子とも養子とも伝えられる。鎌倉様式の太刀を磨上(すりあげ)を施したもので、その名は茎(なかご)の指裏(さしうら)に亀甲紋が彫られていることによる。よくつんだ地鉄(じがね)に、小のたれを基調とした乱れ刃の波紋を焼き、師の正宗と見紛うほどの作風を示している。」
ん??????
説明板を読んだけども、これ日本語??知らない名詞が並ぶ。全く意味が分からん〜??
あ。説明板があるう〜〜。
ムズい。「なかご」がないから、それは中身の刃のどの部分かの名詞なんだね。
刃文の種類まで解説してありましたが、それを見ても日本刃のよさがさっぱり〜。
私に日本刃の美しさを感じ取る能力はない模様。今年の2月に渋谷の国学院大学の博物館で刀剣展を見た。あの時萌えれたのは、その刀剣、薄緑が誰が(源義経)が持って、どんな戦いに使われたか?そこに私の萌えがあったけど、これはな〜??国宝だけど、誰の刀剣なんだろうね?
鍔も展示してあった。これは蝶々、アゲハですかね?
ちなみに、刀剣の展示室には刀剣女子もいた。彼女達が萌えてたのはどんな刀剣だったのかな?
次行ってみよう。
尾形乾山の十体和歌短冊皿 尾形乾山81歳の作品。
え〜、すごい作品だらけ。どれを撮影しようか?迷う。
んで、撮影したのは私でも聞いたことある作者です。
尾形乾山は江戸時代の陶工・絵師。尾形光琳の弟。
同じ理由で、青木木米作色絵草花浮文煎茶碗&急須。 青木木米は江戸時代明和4年(1767)-天保4年(1833)の京焼の陶工。
なんか、『開運!なんでも鑑定団』で中島先生が鑑定してる骨董で出てきた名前だったから有名な人なんだろうなあと思って撮影した。
仁阿弥道八作品。これも中島先生が誉め倒してた骨董品の作者だったので撮影した。
やっぱり私には美術品の審美眼はないね。道八は江戸後期の京焼の名工。
説明板には「19世紀の作品。道八の代表作の一つ。鉢の内外に白泥と赤佐彩で満開の桜樹を表し、巧みに配された透かしとで、桜の空間を作り出す。そこ裏にサビ絵で「道八」の銘を記し、道八の共箱がついている」とある。綺麗だよね。でもこれ、何に使ってたんだろうなあ?
あ!ツボのてっぺんにニワトリが!!この作品の表面には鳥も描かれてますね。お察しのように、撮影チョイスはニワトリですが。時刻は早くも10時43分。ええ!?入館したのが9時55分だったから、既に小一時間経ってるなんて!嘘でしょ??博物館は時間が経つの早すぎるう〜〜!!
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ちょうさ会館

2019年05月30日 05時36分02秒 | 展覧会&観光施設&能楽
2019.5.3讃岐、大野原・豊浜巨木さんぽ。
豊浜八幡神社は23台のちょうさが乱舞する「ちょうさ祭」が、毎年10月の第2日曜日を最終日とする金・土・日曜の3日間開催されます。

ところで、ちょうさってご存知ですか?
WIKIで「ちょうさ」と入力すると、「太鼓台」に転送されます。
太鼓台とは、1)太鼓を載せる台。2)神社の祭礼において練り出される山車の一種。内部に太鼓が積まれており、太鼓に合わせて音頭をとって担ぐ。
とあります。香川県の西部を地元では「西讃(せいさん)」と言いまして、一体では秋祭りでは各町内で持つちょうさを引き回します。で、豊浜八幡神社の巨木を見学後、周辺で一番有名なちょうさ祭がここで行われるのだと気づく。この日の巨木さんぽは、私・旦那・私の母・従姉妹・妹・妹の娘の計6名で回ってまして、妹の娘は、大阪生まれの千葉県松戸育ちの奈良県在住。となると、もしやちょうさを知らないかもしれん。それはダメ!と思い、豊浜八幡神社から車で数分のちょうさ会館に立ち寄りました。

入館料300円。学生250円。65歳以上の方150円。はっきりいってボッタクリ料金ですが、田舎では普通かもな?
実物のちょうさです。大きさを実感してください。これをご町内の男性がかつぎます。
迫力のちょうさ祭のビデオ上映がありまして、私も知らなかったのですが、豊浜ではお神輿を船に載せて海を渡るのですね。お神輿が乗った船の前は、決して遮ってはいけない!とか。そんなビデオや、田んぼの中を悠々と進むちょうさは迫力満点です。
館内は少し暗めで、肝心のちょうさがピンボケ画像に。凹む。

 

 

23台のちょうさは、それぞれの町内で持ってるので、法被もご町内ごとに分かれてて、クールなデザインです。これさ、ハンカチや日本てぬぐいにプリントして売店に並べればいいのに。売店の商品は馬鹿高いものとダサいのしかなかったよ。要改善を求む!
ああ!これならちょうさの感じが伝わるかも〜?
人形ですが、大体このようにしてちょうさは運行します。
これって、ご町内で持ってるので、各町内で豪華さなんか競うんだろうなあ。知らんけど。
館内にはもう使ってないちょうさの飾りも展示してあります。これは掛け布団。
豪華でしょう?2匹の龍は締(しめ)。
その下は幕。太鼓台の周囲に4枚に分けて飾ります。元は魔除けです。

ちょうさの一番上の四隅の蝶結びのリボンをとんぼと呼びまして、祭のかき比べの時はここに立って、担ぎ手を囃したてます。
さてと?と売店を覗いたけどめぼしいものがなくてがっかり。だったけど?
アニメ「結城友奈は勇者である」の番宣ポスターを展示してあった。今時の子供ならこっちの方が楽しいかも?背景は、観音寺市の観光名所です。いわゆる聖地巡礼で訪問するべき場所なんだろうね。
隣にはもう少し大きなお友だち向けな、大林宣彦監督作品「青春デンデケデケデケ」のポスターとサイン色紙の展示でした。
一通り見て満足したけども、ここの人なら豊浜町東公民館の場所を知ってるかも?巨木探訪でここのイブキ(樹高:17メートル・目通り幹囲:4、9メートル)が見たいけど、場所の特定ができてないんだよね。
で。受付の女性に聞いてみた。
無理だった。彼女いわく「大野原町の出身でして〜」とのこと。
あう〜。終わったぁ〜。
となると、今回の巨木探訪はここがラストの予定だったんだよね〜。でも最後に見た巨木が、半分以上枯死してる宗林寺さんのクロガネモチというのは納得いかん!納得いかんのじゃぁ〜〜!!
実は巨木探訪コースを作ってる時に、所在地が特定できず諦めた巨木があり、野都合神社のクスノキという。けどもどう探しても野都合神社さんが見つからないんだ!けどもヒントはある「花稲工業団地の北・広庄池の南」です。讃岐人ならば、ため池が目印にならないことを知ってますね。ため池が多すぎて、名前なんかよほどの地元民でないと知らんのじゃ!となると、「花稲工業団地」が手がかりです。幸い、母と従姉妹が知ってるというので、まずは花稲工業団地を目指すことにする。近くにいけばなんとかなると思うんだ。何しろ探し物は高さ25メートルもあるんだしさ。
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相模大凧センター

2019年04月25日 05時57分43秒 | 展覧会&観光施設&能楽
2019年4月5日近所の桜巡り。相模原公園せせらぎ地区→天應院→八景の棚→新磯の相模線の桜並木→新磯小学校の大楠→かながわ名木百選の常福寺のしばの木→相模大凧センター(イマここです)到着時刻は11時35分。
再訪で、前回は2010年に訪問してた。その時の記事はこちら。
日本中さらに世界から凧が集まっています。こちらの記事はカオナシの凧
たくさんの凧から自分のお気に入りの凧を探すのも楽しい。
数年ぶりに大凧センターを訪問したら、以前みたカオナシの凧がなくなってた。
2階に上がってびっくり!

「令和」凧と東京オリンピックのマスコット凧を展示してた。素早い対応です。
2階に上がると、目の前で凧を鑑賞できるので、訪問の際はぜひ2階へ上がってみてください。
ちなみに今年の大凧上げは5月4日&5日です。
時刻は既に11時39分。外に出てびっくり!強風が吹き荒れていた。
マジか〜!!そのうちおさまるだろうと自転車を頑張って漕ぎ、11時54分、いつもの相模川の堤に到着した。
シバザクラがしょぼい。今年は寒い日も多いから、イマイチ成長が遅れてる模様です。
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国立印刷局一般公開

2019年04月15日 05時17分29秒 | 展覧会&観光施設&能楽
2019年3月31日に小田原周辺で巨木と桜見物をしました。
入生田・長興山のしだれ桜→小田原城の桜→真鶴町・荒井城址公園のしだれ桜→鴨宮・国立印刷局の桜が30.31日限定の一般公開→上輩寺さんのかながわの名木百選に選出されたイチョウという盛りだくさんな散策でした。
桜は先にお見せせねばっ!と記事を先出し投稿済み。現在巨木記事を投稿中。この日回った桜のうち、国立印刷局は期間限定公開だからと後回しにしてたので記事を書きます。

小田原市の桜開花情報には国立印刷局には約500本のソメイヨシノがあるそうで、しかも紹介されてる画像は桜の向こうに富士山が写ってるのです。
みたい〜〜!!
3月30日&31日には、各地で桜まつりが開催され、限定の特別公開もあちこちであったのですよ。迷った挙句、小田原に行こうと決めた!なぜって国立印刷局に入れるのって1年でこの2日だけだもの。
印刷局の敷地は広い!入り口が分からず迷う。信号待ちで地図を広げていたら若い兄ちゃんが「印刷局の入り口はあっち」と教えてくれた。とうてい印刷局に興味なさそうな若い衆。不思議に思うのが表情に出てたのか「朝一で買い物してきたんで」と。
ん?若い兄ちゃんが、朝一で買いにいくものを売ってるだと?気になる〜。ありがとうの挨拶を交わし印刷局へ。

残念ながら、今年のソメイヨシノは咲くのが遅い。見頃前だった。
ちえ〜。となると、兄ちゃんが言ってた売店を探さねばっ!桜道を進み見えてきたのは真新しい建物です。
画像右に見える白いテントではハガキの手すき体験をやってました。
気になるけども、行列に並びたくないのでパス。他のテントを探す。
あったのは郵便局の切手販売でした。花を追いかけて祭りに参加すると、郵便局のブースが出てるよな〜。これもそれかな〜。と思った私はアホでした。後ほど理由は判明します。
次のテントはタオルとハンドタオル。これだっ!兄ちゃんはこれを買いに朝一で来たのだ!なぜって、一番人気の一万円札のデザインタオルは既に完売済みだったので。
あ〜、どうせなら一万円が良かった〜。残りは5千円と千円。しかし表の樋口一葉と夏目漱石の顔がイマイチ似てない。あれだよな〜。風景や建物ならば、少々ゆがんで見えても許せるのに、人物はちょっとでもゆがんだら別人になる。
ってなことで購入したのは2000円札デザインのタオル。しかも裏柄の源氏物語っぽいのです。
 
ええ。そうなんですよ。先にもうすぐお札のデザインが変更になるとわかってたら、全柄ゲットしてたのに。桜を追いかけて交通費が嵩んでる今の時期、お財布のひもを締め付けすぎました。ちなみにお札タオル500円。お札ハンドタオル400円です。ちなみに、これが欲しい人は日本橋の貨幣博物館か日本銀行本館見学を申し込みましょう。売店か自動販売機で買えます。
とりあえず売店チェックしたので、建物に移動。桜まつりイベントがあるのだ。
まずは記念撮影。ちなみに、私も平成を持ちました。新しい元号が発表になったのは訪問の翌朝です。たぶんこれが来年の年賀状の写真ですね〜。福沢諭吉の一万円札と平成の2つも話題になる記念撮影写真をゲットしたんだし。今年国立印刷局へ行っといてよかったわ!
もひとつお楽しみがある。
1億円分のお札を持ってみよう!です。ダンナが珍しく大ノリで、行列に並んでます。ちっ!私もやればよかったかも?先にお札のデザインが(後略)
さて、建物の中にはお札のスタンプ3つをゲットして資料を見て回る。
もちろん国立印刷局で何を印刷してるか?の解説パネルもあります。
国立印刷局では、日本銀行券(お札)・官報・旅券(パスポート)・郵便切手・証券類を印刷してます。そう郵便切手です。だから外のテントで切手を売ってたのね。

印刷機械のミニチュア模型があった。他に、日本が世界に誇るお札の透かし模様。技術を使い大きな紙に複雑な透かし模様を展示してあった。
なぜに売店で透かし模様を印刷した紙を売ってないのだろうか?ハンドタオルやお札タオルに900円払うなら、複雑な透かし模様を印刷した紙を1種1枚500円で購入するのに。紙好きの気持ちがわかってない!ぶ〜たれて建物をでる。

外には見頃の三椏が綺麗に咲いている。しかしここで社会の授業を思い出して欲しい。紙の材料はこうぞ・ミツマタなんである。銀行券の紙(いわゆるお札のこと)の原料として、古くからミツマタも使用されてたのだ。なにしろミツマタは耐久性が高く偽造防止の観点からも優れているらしい。へえ〜へえ〜へえ〜!!桜散歩の今時、あちこちで黄色とオレンジのミツマタの花を見かけるけども、ミツマタの紙がお札の偽造防止になるんだ〜。
あ!忘れてた!ここへ来た目的は、桜と富士山のコラボを見たいからだった!富士山はどこだ〜〜!!
あったっちゃ〜あった。なんとか富士山が見えるように、画像編集で限界まで調整したけど、上の画像のどこに富士山があるかわかりますか?
撮影時刻は14時44分なんですよ。朝一に富士山が見えてても、午後に入るとぼや〜となるのがこの時期なんですね。
あ。一応正解を書かねば。右下がりに山の尾根線が見えますね。その右横に建物があって、屋根に乗ってます。そこ。その間に富士山があるのだ。あ〜これはもう運ですね。ってか、朝一で来てれば一万円タオルも買えたし、富士山と桜のコラボ画像もゲットできたかもしれんのに〜。残念無念。
とりあえず、見頃前のソメイヨシノは諦めて、敷地の済みで見頃だったしだれ桜を撮影。上の画像をピックアップしたのは、印刷局の工場が写ってるから。敷地は広く、観桜客が立ち入らないようにフェンスを設置中。
近くにかつて活躍してた印刷機械。
説明板発見:本機の由来
このこう解機は、明治35年1月15日、アメリカ・マサチューセッツ州・ホルコーク機械会社から印刷局が購入したもので、当局に現存する製紙機械としては最も古い歴史を持ってます。本機は当初、王子工場(当時、抄紙部)に設置されていて。主として郵券用紙や諸証券用紙の製造に使用されていました。その間、関東大震災や第二次世界大戦の戦火にも焼失をまぬがれ、昭和21年5月に王子工場から当工場に移設されました。当工場では、調製第一掛に設置され、主として銀行券用紙の故紙処理機として活躍し、鉄ビーターの名で親しまれましたが、昭和38年4月の設置更新(パルパーに切り替え)を機にして、購入以来60有余年を経て、紙料調製機としての生命に終止符がうたれました。その後、昭和39年にこの位置に移設が行われて、印刷局で最古の製紙機械として末長く保存することとなりました。」とある。
も一つなにかあった。
説明板発見:「内閣印刷局」時代の抄紙機
印刷局は、明治4年7月27日に大蔵省紙幣司として創設され、以降、紙幣寮、紙幣局、印刷局と改称されて、明治31年11月1日に大蔵省を離れて内閣の所管(大正13年12月20日に内閣印刷局となる)となった。「内閣印刷局」の時代は、昭和18年までの45年間と長きに渡ったが、臨戦体制強化方針により、行政機構改革の一環として、同年11月1日に印刷局は再び大蔵省の所管となった。
当小田原工場(旧酒匂工場)は、内閣印刷局時代に製紙・印刷一貫工場として、昭和16年5月24日に創立され、昭和17年初頭の操業を一部開始した。「内閣印刷局」のアート型フレームは、小田原工場に最初に設置され、約40年の間、銀行用用紙、官報用紙及び郵券用紙などの製造に活躍してきた「抄紙機」のワイヤーの一部であり、歴史の一端を表すものとして永く保存することとしました」
どちらの機械も長い期間使ってたのね。
14時53分、国立印刷局を後に。国道1号線に向かい南下する。そこにかながわの名木百選に選ばれた木がある上輩寺さんがあるのだ。
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巨牛展示中

2019年03月24日 05時32分37秒 | 展覧会&観光施設&能楽
2019年3月9日東京メトロで行く巨木探訪。東京大学では工学部前の大イチョウ・安田講堂前の南北のクス2本・スダジイです。スダジイといって思い出したのは、赤門前の木です。
赤門に到着したものの、巨木という程大きくない!あれ〜??

門の左右に木があるので、大きい方を撮影してみた。



でもコレじゃない感半端ない。
帰宅後、先達の巨木ブログを閲覧して再確認すると、目的のスダジイは農学部の!ハチ公と上野博士再会の像のすぐ側だった!マジか〜。もう一度引き返したくない〜〜!!勘違いした自分が悪いのだけど、東大は広いのよ。そうそう後戻りできないの。今回は諦める!ま。現地ではハチ公像の側にスダジイの巨木があるとは知らなかったんだけども。

ちなみに、赤門前のスダジイはこんな感じ。絵にはなるんだよな〜。ところで、赤門とは?
説明板発見:赤門
文政10年(1827)加賀藩主前田齋泰に嫁いだ11台将軍徳川家斉の息女溶姫のために建てらてた朱塗の御守殿門であり、重要文化材に指定されています。」
さてと、せっかく久々に東大に来たのだから総合研究博物舘に寄っていこう。
ここ、オススメですよ。小さいけど特別展示が毎回面白いんだよな。今回はどんな展示があるのかな?

骨だった!
特別展示のタイトルは愛で、育て、屠る 家畜 遠藤秀紀展示監督作品です。
家畜とは何か?を考える。 
どこまでも小さな馬を」ということで、掲載した画像は天皇の馬、愛称ファルーチョ・ガルーチョです。聞いてみた。
「この馬、もしかしてこどもの国にいましたか?」「はい。そうです。生きてたとこ見ましたか?』と聞かれたけども、「私が訪問した時には展示されてなくて、もう一度訪問したらもう死亡した後でした」見たかったんだけどね。残念でした。
愛を独り占めにした鳥」200億、地球上に生きる鶏の数だそうで。何十にも分岐したニワトリの剥製がパレード状に展示してあります。日本の尾長鶏とか闘鶏の軍鶏や小学校で飼ってたチャボ なんかも剥製になってました。
巨牛をかたどる」日本人の知らない巨獣を連れてきた。体重1200キログラムの世界最大の巨体。
大きさに魂消た!運良く特別展示を監督した遠藤先生のトーキングタイムだったので質問してみた。
「質問いいですか?」「ハイ、どうぞ」「この牛、何歳くらいですか?」「6歳です」
6歳で体高が2メートル以上あるんですけど!?
「この牛は種馬だったので、こんなに大きいですが、普通はここまで育てません。エサ代かかりますから」そうか、肉牛なんだからお肉になるんだね。
「イタリアではこれが田舎にいないとダメなんだとか」ということは?「少し高めですが、現地では普通に食べられてます」などと、興味ふかい話を次々に披露して下さる。
最大なら3メートルくらいにはなります。(調べた! 牛の体高とは前足から背中までです。展示中の剥製の横に立つと、牛のお腹が見えますが、牛の背中は頭の上にあります。)大きくなる時期にガンガン食べさせると大きくなりますが、今ではコントロールしてるのでそこまで大きくしません」そりゃあ大きくするには相応のエサを食べさせないとだよな。
でも私が想像したのはンなことではない!
RPGとか、狩りするゲームあるよね?それに出てきそうな大きさなんですよ。それが目の前に佇んでるのだ。剥製ですが。本物なの!異世界で狩りするお話を漫画や小説でかく人は絶対見るべきだ。自分の小説に出すモンスターのサイズ感を実感できるってそうそうないよ?この特別展示は6月30日までやってるのでぜひとも見物してください。ちなみに、遠藤先生とのトーキングは3月16日から5月4日までと、6月8日から29日の毎週土曜日11時から開催されてる模様です。専門家ともっと突っ込んだお話が出来るチャンスです。そうそうないチャンスです。
さてと、ついつい熱中してしまい、時刻は既に13時50分!ヤバい〜。急いで東京メトロ本郷三丁目駅へ向かう。今度は丸ノ内線で茗荷谷駅へ向かいます。
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