あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

美麗な稲荷山光明院

2017年07月31日 05時19分00秒 | 蓮と睡蓮
府中市郷土の森公園の修景池の蓮大國魂神社のすもも祭こて絵のある登戸神社稲荷山光明院今ここ)です。

光明院の縁起:光明院は源空(永禄9年)1566年が開山。
河野三左衛門通良(元禄2年)1689年が中興、開基したと言われています。
元は王禅寺(麻生区)の末寺で大日如来を本尊とする真言宗豊山(ぶざん)派の寺院です。
光明院の木造不動明王及び二童子像は、市の重要記念物に指定されている。

先に登戸神社さんに立ちより、道なりに大きな瓦屋根の建物を目指し歩いてきたので、お寺の正面に回りびっくりしました!
極彩色の御門と、奥にある本堂も極彩色っ!!まずは御門を鑑賞する。

内側から。

蓮の甕が並んでいます。



一部ですが御門を撮影しました。

蓮があるお寺はあちこちにあり、平塚の要法寺さんに今年平塚の七夕かざりを見物に行くついでに立ち寄りました。でも、まさかここで蓮が見れるとは思わず!!知ってれば、もっと早い時間に来るんだった〜!!現在時刻は12時31分です。早朝に開く蓮の花は、この時間になるともう閉じちゃってるし。さらに訪れた7月20日はもう咲いてる蓮の種類も少なくなってて、ああ〜〜!!もっと早く来れてたら〜!!
でもまだ十分綺麗です。

名残の蓮の花を楽しみながら、本堂へ。

蓮の花と極彩色の建物のコラボ画像を楽しむのもいいけれど、こんなに綺麗なのだから、極彩色の彫刻もじっくり眺めよう!













ちなみに、撮影を始める前にちゃんと参拝しました。

ちなみに、本堂左手に墓地があります。墓地にも蓮の甕が置いてあり、綺麗でしたが、さすがに墓地の立ち入りは自重して遠慮しました。

上の画像奥が御門です。右手にあるのは、これ。

太子堂ということは、聖徳太子のお堂かな?
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登戸神社

2017年07月30日 06時40分54秒 | 神社・仏閣
説明文はどこ〜??登戸神社さん訪問の目的は、こて絵でした。でも初訪問の神社なので、御由緒とか御祭神とか知りたいと説明板を探しましたが、古っるい木札が1枚だけ見つけたけども?古すぎで、表面に書いてある文章が読めないという事態。なので、現場で説明板を探すのを諦めて、帰宅後WEBで検索したところ。
登戸神社
御祭神:宇賀魂大神(うかのみたま大神) 牛頭天王・天照皇大神・大山咋神・金山毘古神・金山毘賣神・第六天
何か、いろいろぶっ込み過ぎてるなあ〜??
明治の頃の神仏分離令とか、近くの信仰のあれこれを合祀があるから、お祭りしてる神様が多いのはありがちなのですが。
御由緒:登戸稲荷社の創建時代については不詳ながら、武田家の家臣吉沢兵庫が当地で帰農の際に邸内鎮守として草建。登戸村小名東耕地の鎮守だった。
まずは参拝。

大きな2本のイチョウが素敵です。見応えあるなあ〜。
トップ画像の石の鳥居の向こうに、一対の狐の狛狐がいます。1匹は子狐を、もう1匹は球を持っています。もともとは。現状大分欠けがあり、耳は欠落しています。

御本殿。素敵は木彫りが建物の周囲に施されています。



まずは本殿左側へ。

訪問の目的のこて絵を見つけました。保存のため、表面をガラスで覆ってあります。



こて絵の先にある木彫。これ、裏表です。デザインが違うのね。
そのままぐるっと本殿を回り、右手へ。

う〜ん??もしかして、かつては左側と同じく全面にこて絵が施されていたのかも?華頂窓と右下の漆喰の色味が違うからね。こて絵がある部分には左側と同じくガラスの覆いがあります。
せっかくなのでしたから見上げるだけでなく、本殿の廊下正面から撮影してみる。

こて絵を奉納した左官の名前があります。
川崎歴史ガイドがありました。「稲荷社と左官職人登戸には左官職人が多かった。腕前は東京、埼玉にまで評判が伝わっていたほど。登戸の鎮守、稲荷社は外壁が漆喰で飾られ、当時の左官たちの意気込みを伝えている。」
これだけ??え??作成年代は??
ちなみに、川崎歴史ガイドは、川崎市内の名所・旧跡を調査選定し、散策コースを設定。全部で9つ。登戸神社さんと昨日見かけた北向地蔵と馬頭観音も同じ説明文がありました。ここは4番目の津久井道と枡形城址コースの途中です。いつか歩いてみるのもいいかも?



こちら側にも裏表でデザインの違う木彫がありました。
当初計画では、ここでお昼ご飯にするつもりでした。石のベンチもあるし。
しか〜し!!訪問時はおじさんが一つの石のベンチで寝てたり、もう一つのベンチも別のおじさんが休憩中だったので諦める。

境内には目立つあれこれはあまりなかったけど、立派なのは明治の日露戦争で亡くなった人を祀る石碑と生きて戻った人を讃える石碑です。日露戦争の石碑はどこも立派だなあ〜。あちこちで見かけるんですよね〜。
さてと?時刻はすでに12時25分。このまま登戸駅に戻ってもいいのですが、登戸神社さんの所在地は?とWEBの地図を見たら、すぐ近所にさらに2つ、神社と宗教施設があったんだよね。宗教施設と書いたのは、「丸山教」って何かしら〜??これを知らないからさ。行ってみよう!

登戸神社さんの前は昭和の気配が残る昔道です。歩くのが楽しい道ですね〜。
あれかな?左手に大きな屋根が見えてきたわ。昔道は曲がりくねっていて、目的地までの行き方を記憶してなかったけど、楽勝だったわ〜。

素敵な華頂窓ですね。行ってみよう!
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エスパー魔美号

2017年07月29日 05時05分59秒 | 自動車・特種車両
JR南武線登戸駅下車。次の目的地登戸神社は小田急線の向こう側、北側にある。どうやって、高架を越えればいいの?と。連結通路の側のエスカレーターを地上へ降りたらば。登戸駅と藤子・F・不二雄ミュージアム線の市バスが停まってました。直行で約9分所用で10分に1本程度運行しています。停まっていたのは、エスパー魔美号でした。

もしかして初見かも?ドラえもん号は見たことあるけども?
調べたら、全部で4種ありました。他には、パーマン号とキテレツ大百科号があります。

ぜひ正面から見た画像も欲しい!とバス停を目指したのですが、タッチの差で出発してしまいました〜。残念〜。一回位乗車してみたいと思うけども?毎回バス運賃がもったいなくてケチってしまう貧乏性な私。どうも車内にもキャラクターのデザシンがいっぱいらしい。興味あります。
高架下を目指し引き返す。と?も一つ興味深いバスが停まってました。

長尾台アジサイ寺行きのアジサイ号。ああっ!!これって、もしやせんでも藤子不二雄ミュージアムのさらに先の丘途中にあるアジサイ寺の妙楽寺さんに行くバスですよね?
調べた!
登戸ーアジサイ寺は大人運賃260円。平日11往復(土曜7往復)。
今年こそ!と見学準備はすでにしてあったのですが、5月末から6月中旬までひどい腰痛で動けず、今年も行けなかったんだよねええ。このバスに乗れば便利かも〜?ら、来年こそ!
小田急線の高架をくぐると?なんか、道が曲がりくねっている。これは、昔道か??
昔道の証人的なものを見つけました。

説明板発見:北向地蔵と馬頭観音
「特別のご利益があると信じられ、子育て地蔵として親しまれている北向地蔵。
また馬の保護神として、登戸を中心に広い地域の人々によってつくられた馬頭観音。
共に江戸時代のもの。」
昔道って曲がりくねってるから、「北向」とか方角がわかりやすいのが必要なのかも?
あ!目印の玉川ハイツ発見!ここを右折してまっすぐ行くと、登戸神社さんがあるハズ。

着いた〜!登戸神社さんには美麗な漆喰が残ってるのだ!見たい〜〜っ!!
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大國魂神社さんのすもも祭

2017年07月28日 05時56分05秒 | 神社・仏閣
すもも祭とは
夏の風物詩として親しまれている「すもも祭」は、毎年7月20日に行われます。その起源は平安時代の「前九年の役」にあります。源頼義・義家父子が、奥羽地方討伐の折に、大國魂神社に戦勝祈願をし、そのお礼詣りの神饌の一つがすももと会ったことによります。すももは古来より悪鬼を払う果物とされてきました。これにより境内にすもも市が立つようになったのが、この祭の名前の由来です。現在でも参道にはすももを売る店が軒を連ね、たくさんの人が訪れます。

当日神社では五穀豊穣・悪疫防除・厄除けの信仰を持つ「カラス団扇」「カラス扇子」を頒布しています。この扇を持ってあおぐと、農作物の害虫が駆除され、病人はすぐよくなると言われています。また玄関先に飾ると魔を払いその家に幸福が訪れると言われています」
ってなことで、すもも祭りを見に出かけました。JR南武線府中本町駅からまずは府中市郷土の森公園の修景池の蓮を見物後、大國魂神社さんに11時8分到着。
参道の途中に着いたので、まずは参道の左右に並ぶ屋台を眺めがてら、府中街道側の鳥居まで戻る。

なぜって、その方がお祭り気分が盛り上がると思うんだ〜。や、主観ですが。
ってなことで、すもも祭りに出てた屋台を気分で撮影してみる。

のしいか。
鮎の炭火焼。



ジャンボソーセージ。





お焼き。
参道を終点まで進むと、山門が。その先にはもう屋台はない。けどお参りの人々の行列がある。
並ぶ。
ふと?賽銭箱の隣にある花束に違和感が??

観察してみると?

花束は氷に閉じ込められていた。造花と予想する。でもこれが生花ならばすごい技術だよね?本当のところどうなのだろうか?もう溶けそうに暑いから目に涼しいのは嬉しいけども。
お参りが済んだら、私の一番の目的の売り場は〜?と??

あそこの列ですね。

ゲットです〜。購入する時に、「よくお参り下さいました」とお声をかけていただいた。やや。正確な言い回しは違ってたかも?

からす団扇・からす扇の起源
五穀豊穣・悪疫防除・厄除けの信仰を持つといわれる「からす扇・からす団扇」。そのいわれは今から約1200年前の歴史書「古語拾遺」という神話によるもので、内容は次のようなものです。
神代の昔、大地主神が田植えなさる時に、早乙女や田夫らをねぎらうために牛肉をご馳走した。ところが御祭神は、これをお聞きになり非常にご立腹なされて、田にイナゴを放ち、苗の葉をことごとく喰い枯らせてしまった。大地主神は大変驚かれて、何か神の祟りであろうといって卜者を呼んで占わせてみたところが「これは御祭神の祟りであるから白い猪・白い馬・白い鴉を献じてお詫びするがよろしい、されば怒りも解けるであろう」とお告げがあったので、その通りにしたところお怒りが解けたばかりでなく、イナゴの害を駆除する方法もいろいろ教えて下された。その方法の中に「鴉扇を持ってあおぐべし」と教えなさったとのことです。」

境内で見つけたすもも祭りのポスターです。
あと、境内で氏子さんがすもものかき氷を売ってました。名物のようで、行列ができてた。
せっかくなので、本社の周囲に配置してある摂社とご神木などの大木を見回り撤収。

最後に絵馬を見つけ大國魂神社さんの絵馬の絵柄を確認に。「大國魂神社」の「大國」は、大国主命からきてるのだね?というのがわかる絵柄でした。
時刻は11時36分。暑いので駅へ。このまま帰宅しても良かったんだけども、前から一度見てみたいと思っていた「登戸神社」さんへ。
前九年の役(1051-1062)とは?
源頼義・義家父子が朝廷より派遣され、奥羽地方の豪族安倍頼時と其の子貞任宗任らを討伐した戦役。平定した1062年まで実際には12年間断続した。後三年の役と共に源氏が東国に勢力を築く契機と成る。
今日の記事の解説文は、神社で府中市観光協会が配布していたチラシより全文転載させていただきました。
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府中市修景池の蓮2017/7/20現在

2017年07月27日 05時50分04秒 | 蓮と睡蓮
2017.7.20訪問。7月20日は府中市の大國魂神社さんですもも祭があると知りました。
ついでに、府中市郷土の森公園の修景池の蓮を見に行きました。多分今年の見納めの蓮かも〜??
9時半すぎにJR南武線府中本町駅到着。線路沿いの遊歩道を約1.5キロ。
すでに暑い。ようやく修景池に到着したら10時10分すぎ。いや〜〜、遊歩道に影がほとんどなかったのがきついねえ。

実は修景池を訪問したのは2度目です。
府中市郷土の森、修景池の蓮(2012年7月28日)の記事 2012.7.3訪問。この時、蓮は見頃でした。
今年は開花の進行が遅めだからちょっとは期待してたけど、さすがに7月20日は遅すぎました〜。蓮の花托がいっぱいです。
ピンクの蓮は「知里の曙」という品種。

こちらは大賀ハス。修景池には30品種ほどの蓮が栽培されています。



ほとんどの蓮が見頃を過ぎています。

こんな感じで見れますが、品種によると枯れてしまっています。



あちこちにカルガモがいました。

噴水の水が綺麗で、撮影を楽しんでる方がちらほら。

修景池の辺に大賀博士の銅像があります。

府中はハスのメッカなり(大賀一郎博士の足跡)
明治16年(1883)4月28日岡山県吉備町で生まれた大賀一郎博士は、岡山一中、第一高等学校を経て、東京帝国大楽(現東京大学)に入り明治42年(1908)理科大学植物学科を卒業されました。
昭和20年(1945)5月に中野の自宅を戦災で失い、同年6月から府中に住まわれ、昭和40(1965年)6月15日東大病院において病死するまで、蓮、曼荼羅、布目かわら(武蔵国分寺瓦)などの研究を行いました。
昭和26年(1951)に千葉県検見川で古代の丸木舟が発見された泥炭地を発掘し、青泥層から出土した2000年以上前の種子を府中で発芽させ、翌年7月に開花させました。このことは、報道各社が取り上げ、国外では11月17日付米国ライフ誌に掲載され、「二千年蓮」「大賀蓮」として世界に知られることになりました。
大賀博士はこのほか、孫文蓮、ネール蓮、妙蓮など20数種の花蓮を自宅、市立第一小学校内及び中央公園(現寿中央公園)などで育成し、各地に分根されました。
昭和三十四年(1959)8月9日には、妙蓮の開花を記念して、中央公園ハス池前で第一観蓮会が行われました。
妙蓮は、大賀博士が昭和33年(1958)5月に国の天然記念物である金沢市の持明院の非常に珍しい蓮を移植したもので、ピンクの蕾は普通の蓮に似てますが、中からいくつかの花が並んで現れる事から「多頭蓮」の名があります。この花の花弁数は、合計3000枚から6000枚になりますが、花のまま枯れてしまいます。
府中市では、昭和48年(1973)3月に中央公園から市民健康センター修景池に大賀蓮、妙蓮など各種の蓮を移植しました。
現在、郷土の森公園修景池には、大賀蓮を始め30種類の花蓮が植えられています。
開花は6月下旬から8月下旬ですが、見頃は7月中旬から8月中旬の朝8時ごろまでです。
撮影を楽しんだ後、10時半修景池を後に。またまた府中本町駅まで散策路を戻ります。

途中、サントリーのビール工場を横目に。

見頃のサルスベリを眺め。

駅前の日陰の石のベンチに腰掛けて、府中市のカラーマンホールを眺めつつ休憩。
すもも祭開催中の大國魂神社さんに到着したら11時を過ぎてました〜。つ、疲れた〜。
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白旗神社さんに着いたら祭りをやってた

2017年07月26日 05時55分42秒 | 神社・仏閣
2017.7.16参拝。早朝に出発お昼に帰宅の予定の藤沢散策(鵠沼で蓮見遊行寺と小栗判官のお墓旧住友家俣野別邸庭園白旗神社と義経の首洗い井戸です。ようやくゴールまで来た!思いがけずブログ記事を連載してしまいましたが、今日で最終回です。
家を出発した時は、藤沢本町駅から藤沢バイパスを徒歩移動して俣野別邸を訪問するつもりでした。時間調整で藤沢駅から先に遊行寺へ向かえば、旧東海道の遊行寺坂は予想以上に長い上り坂で、最高気温予想35度の当日、体力削られまくりでヘロヘロです。そして、藤沢バイパスはほとんど高速道路で歩けません!!急遽、道に迷い迷いようやく白旗神社さんに到着したら、まさかのお祭り当日でした!!
あれ?これは現実なの??炎天下歩いてきたからお散歩の神様からのごほうび??
熱中症にかかる一歩手前のようです。
ンなことより、とりあえず参拝せねば。階段を上がると?

お祭りの飾り付けが!!
うわ〜。ラッキーですわ。あれ?ここにアッコさんを案内したことあったっけ?彼女が横浜にいたの1年くらいだったっけな?鎌倉って源氏のあれこれほとんど残ってないんだよね。でも白旗神社さんのご祭神は源義経公なんだよね。お社の屋根に源氏の笹竜胆があるでしょ?これだけでも気分が上がるよねっ。
お祭りなので、お社は飾り付けがいっぱい。あれ??

提灯に笹竜胆はわかるんだけども。この模様は何だろか??
頭を悩ませつつ階段を降りると?階段下にお神輿が2つ並んでました。

両方主役のような設置の仕方です。
ああっ!!

分かります?左のお神輿の中央に「弁慶」と書いてある!そしてさっき見た模様が描かれている!ということは、もしや、武蔵坊弁慶の家紋なの?ってか、あれ??弁慶って名字あったっけ??ってか、武士だっけ??
混乱してたら、お神輿の隣大きな絵馬が飾ってある。

これさ、牛若丸だよね?
そこへ、ふっと。視界の隅を移動するものが!!

あれ??もしかして白昼夢見てる??
暑いんじゃ〜。到着したの12時15分だったから、もう体感40度近いんじゃ〜〜!!

振り返ったら、源平のコスプレしてる人が次々やってきた。

そして勢ぞろい。
いやぁ〜、事前にダンナにアンケートしたら、白旗神社さんを参拝したことないというので立ち寄ろうとお散歩コースに組み入れたけども、まさかお祭りとかち合うとは思わなかったので、祭りの手順も下調べもしてない。進行がよくわからず、とりあえず押さえています。

気づけば、コスプレはこれで終わりじゃなかった!
烏帽子と狩衣姿のおじさんたちがいっぱい。
あれ?もしかしてお祭り始まってるの??
見てるはっぴ姿の人も増えてるし。

さっき参拝するために登った階段もはっぴの人が増えてる!
あ。説明板発見:

白旗神社
ご祭神:寒川比古命 源義経公
配神:天照大神・大国主命・大山祇命・国狭槌命
由緒:古くは相模一ノ宮の寒川比古命の御分霊を祀って、寒川神社と呼ばれていた。しかし、創立年代は詳しくはわからない。
鎌倉幕府によって記録された「吾妻鏡」のよると、源義経は兄頼朝の勘気を受け、文治5年(1189)閏4月30日欧州(岩手県)平泉の衣川館匂いて自害されたその首は奥州より新田冠者高平を使いとして鎌倉に送られた。高平は、腰越の宿に着き、そこで和田義盛・梶原景時によって首実検が行われたという。伝承では、弁慶の首も同時に送られ、首実検がなされ、夜の間に2つの首は、この神社に飛んできたという。このことを鎌倉(頼朝)に伝えると、白旗明神としてこの神社に祀るようにとのことで、義経公をご祭神とし、のちの白旗神社と呼ばれるようになった。弁慶の首は八王子社と
(説明文は続いてるのですが、説明文の手前になんか置いてあって、続きが読めませんので以下略)
にしても、お祭りのタイムテーブルがわからない。暑さに負けました!もう変えルゥ〜〜。
藤沢本町駅へ向かう。

途中でお祭りのポスターを見つけました!歩いてると、ぱっぴ姿の人とどんどんすれ違う。ポスターによると、祭りは13時スタートの模様。現在時刻は12時半を回ったところ。あと30分もすると始まる模様ですが、もうね。倒れそう〜〜。熱中症がすぐそこなんや〜。
あ。その前にもう一つだけ。

旧東海道沿いのお蔵のような交番の右手奥を進むと?
義経の首洗い井戸があります。
説明板発見:伝 義経首洗い井戸
源義経(鎌倉幕府の将軍源頼朝の弟)は、頼朝に追われ奥州(東北地方)に逃げていましたが、1189年に衣川(岩手県奥州市)で自害しました。腰越(鎌倉市)で首実検の後に浜に捨てられた義経の首は、潮に乗って川をさかのぼり、里人に拾われてこの井戸で清められたと伝えられています。
ここから200メートルほど北の白旗神社は祭神として義経を祀っており、境内には、藤沢の御首と宮城県栗駒市の判官森に葬られた御骸の霊を合わせ祀った源義経公鎮霊碑などがあります。
また、定光寺南側の公園には、弁慶塚と記された石碑が祀られています。」
結構な歴史ポイントです。白旗神社さんに参拝の際は、セットで立ち寄るとしみじみと感慨深いです。
もう倒れそう〜。え、駅は後少し。最後の力を振り絞り歩く。
と?こんなのを見つけた〜。

旧東海道の道端に、山車が置いてある。道を渡った先にはお祭りのテント。町のあちこちの山車があるのかも?しかし限界も限界。山車の左脇の坂道を降りたらゴールの小田急線藤沢本町駅がある。時刻はすでに12時50分!つ、疲れきった〜。
帰宅後、お昼ご飯を作りシャワーを浴びた後夜まで寝込みました。熱中症一歩手前じゃなく、すでに熱中症になってたのかも??皆様も夏の太陽とアスファルトからの照り返しにはお気をつけください。
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俣野別邸庭園散策

2017年07月25日 05時33分40秒 | 横浜
旧住友家俣野別邸は、横浜市と藤沢市の市境の戸塚区東俣野町にあります。敷地は河岸段丘を利用して、高低差があります。俣野別邸は昭和14年に建築された旧住友家の和洋折衷住宅です。建物内の見学は有料(400円)ですが、庭園見学のみなら無料です。河岸段丘の上に建物と内苑が、段丘下に外苑があります。これを踏まえて散策開始です。

河岸段丘上の俣野別邸と芝庭からスタート。
河岸段丘の高低差がある庭園ですが、園内はバリアフリールートがありまして、車椅子でも散策可能です。トップ画像で道にオレンジの色がついてる部分がバリアフリーの道です。
こちらはバリアフリールート。高低差が嫌いなので、なだらかさそうなバリアフリールートで降りることに。

バリアフリールートです。狭いけども。両側から紅葉がせり出していて、もみじ谷と名付けられてます。

もみじ谷を抜けると?南門がありました。現在は管理者用の門です。出入りできません。

緩やかにもみじ坂を下ります。
もみじ坂を下りきると、視界が開けます。
芝生広場と休憩棟休憩棟は図書コーナーも併設した休憩所です。

芝生広場の縁に山野草が植えてあり、まるでイングリッシュガーデンのよう。

バラ苑もあります。

芝生広場のあちら側にはベンチが幾つか置いてあり、見学者が談笑してました。
ダンナに呼ばれて寄ってくと?
 
バラにこんな虫がいました。ハナムグリかな?

憩いの小径です。外苑は河岸段丘の下にあると言いましたが、実際は一段下がった場所に平かな場所があり、その先は更に高低差があります。憩いの小径や四季の花苑、林の小径、シャクナゲ園とマップには書いてありますけど、少しだけ憩いの小径を見物して引き返しました。

訪問した7月16日は、すでにアジサイも見頃過ぎ。

地味なワレモコウがあったくらいで無理して高低差に挑戦して見なくともいいかも?ってことで、河岸段丘の上に戻ることにしました。

長い階段の途中で気づいたけど、上の画像はほとんどがツツジですね。斜面にいっぱいのツツジも見たかったなあ〜。腰痛〜〜!!とかなかったらば、5月にここを訪問してたかも?勿体無いことしたなあ〜。

さて、段丘の上に戻ってきました。時刻は11時30分。次は国道1号線の藤沢バイパスを西へなんだけども…。さっき見た道は、とても路肩を歩けるような道ではなかった!!ってか、歩道があるんだろうか??
とりあえず、俣野別邸庭園の外側に沿ってある道を西へ。しばらくして道が突き当たりになった。突き当たりにくだり坂。
降りたけども!!この道ほとんど高速道路じゃん!路肩なんかないよっ!歩道もないっ!!幸い、戸塚方面で藤沢バイパス(国道1号線)と県道30号線(旧東海道)が交わる交差点があるようで、渋滞してます。だから歩道のないまるで高速道路も歩けましたが。そして危険な道は100メートルほどでしたが。その先には歩道があったのです。あ〜〜!!危険だった〜〜。しかし、ホッとしたのもつかの間。

これ、どないせえって言う!?左側がほとんど高速道路に見える国道1号線です。もう降りるしかない!んだけども、降りた先に道はあるのか?まさか国道1号線がこんな危険な道だとは、WEBの地図上で確認しただけは全くわからんかったわ〜。
降りた!
通行禁止の道だった!!
ええ〜〜〜!!!
もうこれしか道がないんである。今更戻れないんである。あの危険な道を逆走できるかっ!!
よくよく観察すると、通行禁止の道の端っこに、自転車が抜けれる程度の隙間がある。もう突っ込んでいくしかない!
そこは水の浄化場みたいな??なぜに通行禁止なのか?公道っぽいけどな〜??炎天下の気温35度予報の日曜日です。人影もありません。アスファルトの道だと体感40度近いよ??もう休まず抜けるだけ。
しばらくすると、通行禁止の反対側に出た。こっち側も端っこに自転車が通れる程度の隙間がある。不思議だけども、先を急ぎます。足を止めていいことありません。朝、鵠沼の蓮池を見に行く計画を建てたときは、早朝に出かけ昼には帰宅の散策コースでした。でももう正午まであとちょっとになっちゃいましたよ。こんな筈では〜~っ!!
旦那が「通行禁止にしてたのって、放射能を含んだ土を預かってる場所だから」と教えてくれましたけども。それ、どこに書いてあったの??もしかして、警告文とか貼り出してたの?見てないわ〜。もう今歩いてる道がどう続いてるかもわからん。国道1号線の反対側に行きたいんじゃ!
うっかり、高速道路みたいなバイパスの下に通したトンネルを見つけくぐったら、無事に反対側に出れた。わ〜〜いっ!!と。喜んだのもつかの間。川に行く手を阻まれる。橋はね、国道1号線のバイパスの反対側にあった。トンネルまで引き返さねばならん…。
川は境川だった。遊行寺さんの前にもありましたね。あ!橋を学生が大勢歩いていく。部活動があったのかな?
よし!後をつけよう!!
コラ〜〜!!
だって、仕方ないんじゃ!元々は国道1号線を移動するつもりだったから、道がわからんのじゃ!あれをつけたら、最寄駅に行くと思うんだよね〜!!予想では、私の今日のゴールの小田急線藤沢本町駅のハズなんじゃ!!
しかし、学生の歩く速度についてけるハズもなく、早々に学生を見失った!
あ!国道1号線の向こう側に病院。となると、白旗神社さんはすぐ近いハズ。多分あのこんもりした木がいっぱい有る所じゃないかな〜??
となると、どうあっても1号線をあっち側に渡らねばならん。学生が先行してる道だから可能性は高いと思うんだけども。

あ!こんなん見つけてしまいました〜〜!!
多分調整池だと思うけども。睡蓮が咲いてます。ガラパゴス携帯の望遠をmaxにしてと。

よく見ると、ピンクだけじゃないね。

クリーム色の睡蓮も咲いています。あ〜、心に栄養〜。
ああっ!!自動販売機発見!もうね。熱中症一歩手前なんじゃ!
貪るように水分補給です。あ〜、休憩したいっ!おおっ!!視線の奥に道があるっ!あれ、国道1号線の向こう側にぬけれるんじゃないかな〜??
予想は正解だった!国道1号線を頭の上に。下をくぐって向こう側に抜けるともう白旗神社さんだった。
ん??
何か変だ!
いつも静かな神社さんなのに。やけに人が多い。しかも、なぜみんなハッピを着込んでるのか??

どうも祭りの当日だったみたいです。マジかぁ〜〜!!散策の計画を立てた時は、鵠沼で蓮池を見たら、本鵠沼駅から小田急で藤沢本町駅に移動して白旗神社さん。その後国道1号線を移動して俣野別邸庭園。旧東海道の遊行寺坂を下って遊行寺。というコースだったんだよね。時間調整で逆回りで先に遊行寺さんに行こうと思わなかったらば、お祭りをやってる時間に白旗神社さんに来てなかったな。何が幸いするかわからんわ〜。もしかせんでも今日はラッキーデーだったのか??
白旗神社さんに到着したのは、12時15分でした。もうね。頭湯立ってるかも?正常な判断も出来ないほどにひどいかも〜。明日に続きます。
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旧住友家俣野別邸その3 主屋と玄関

2017年07月24日 05時34分35秒 | レトロ建築
昭和14年に建てられたオリジナルの住友家俣野別邸は、昭和前期のモダニズム影響下におけるハーフティンバースタイルを一部に取り入れた和洋折衷住宅建築として評価され、2004年7月に国の重要文化財に指定されました。現在の建物は、2009年にオリジナルを焼失。再建され今年2月に横浜市認定歴史的建造物に指定。3月より一般公開中です。
と、入館料400円を支払うといただけるパンフレットに書かれています。今日は俣野別邸の1階主屋の食堂と玄関を紹介します。

主屋棟2階→南棟→事務棟→主屋棟1階(今ココです)
食堂です。ここは喫茶室として使われています。コーヒーを注文してゆったりと芝庭を眺めるのも優雅です。

食堂のテーブルと椅子は、オリジナルを写真から再現してるそうです。

テーブルの天井。まずは元々は彩色彫刻の施された天井板は焼失前のもの。2000年に相続税として元の持ち主が建物を物納した時、天井の彫刻は剥がして持って行ったそうです。よく見ると、木肌に白い彩色があり、その上に花鳥が描かれています。再建にあたり、使って欲しいと申し出があり、オリジナルの天井が復原されました。
そして注目していただきたいのは変わった照明。

籐で編んだ照明はオリジナルの部材を再現したもの。これさ、今でもおしゃれなカフェの照明でも十分通用する。昭和14年の作品なんですよ。(しつこい?)よく見ると食堂と玄関には共通するデザインがあちこちにあります。

食堂の隣室の居間。実は間に間仕切りも壁もない。一つ続きの空間です。

この画像だとひと続きの空間だとわかるかな?
こちらも喫茶室に利用されていて、お客さんが芝庭を眺めて談笑していました。上の画像右手に朱色の丸い柱があります。見てきた中に2階の畳のしいたベット?の黒漆の丸い柱。南棟の防音室の黒漆の丸い柱。そして太い赤い柱。これは資料を基に部材を復元したものだそうで。この赤いろは、実は玄関の扉の赤と連動した色になってると、係員さんが教えてくれました。
画像奥にグランドピアノがありますね。時折演奏会が催されてるようです。その時に来れば、素晴らしい建物でコーヒー飲みつつ生演奏を楽しめる趣向。ホームページに演奏会のスケジュールが掲載されているので、訪問前にチェックしてみてください。
居間の小物の北欧風なデザインも素敵だったので紹介。

記号みたいなの。これがモチーフであちこちに散見できます。
 
上の2枚はよく見ると同じではない。係員さんがすりガラスの引き戸を引き出してくださいました。冬とか防寒になるのかな?

照明2点。奥の天井から下がってる照明も同じモチーフと素材が使ってあります。

居間の暖炉です。左右非対称なデザインが日本の床の間の違い棚に通じるデザインで、馴染みます。でもそれは日本人の感性かも?西洋は対称が普通だものね。

居間に隣接してサンルームがあります。
一つ上のサンルーム全体の画像に石のでっぱりが写ってますね。これはオリジナルの建物にも付いてました。何のために付けてあるのか?よくわからないそうですが、左の画像のように植木鉢を飾ってないと、頭をぶつけて危険だとか。

サンルームの画像の左にある、これは〜??花壇なのか?オリジナルの建物にもありました。
係員さん「植木鉢に水やりすると、溢れた水は下から屋外へ排出される設計になっているとか?でも怖いので今は溢れさせたりしません」

サンルーム奥の窓の外の様子。いい感じ。サンルームの窓の外の眺めは、今は木が伸び過ぎですが、本来はこのサンルームからも丹沢山系と富士山が見えたのかも?あ。書き忘れてましたが、サンルームの上が2階の丸い部屋(展示室1)です。
サンルームから居間を振り返ってみた。こんな感じで、ひと続きの空間です。窮屈じゃないね。
サンルームを出ると、2階へ続く階段のホールに出ます。

一昨日紹介した場所ですね。
階段の左側に扉が見えてますね。上に非常口の緑色が見えてます。
ここに3つ扉が並んでいて、中央が玄関ホールの扉です。オリジナルは3つの扉ともラワン材が使われていましたが、今は中央の玄関に通じる扉だけラワン材が使用されています。理由は「ラワン材は虫がつきやすいから!」耐久性に問題があるなら仕方ないですね。

玄関扉を屋内から見たデザイン。

これが玄関ホールから撮影したところ。普段はこの扉は閉じてあります。係員さんが開けてくださいました。屋外から建物に入って一番最初に目にする場所です。

こんな感じです。
玄関は狭いですが、デザインが駆使してあります。
北欧のモチーフ。
画像をよく見てもわかりづらいのですが、見ていただきたいのは壁。これ、白い漆喰で引っ掻いたように塗り上げてから、壁をキャンパスに全体を色づけしてあるんですよ。ちなみに、事務棟や南棟の壁は、漆喰に色を混ぜてクリーム色に調整してあります。
見ていただきたいのは金色と赤っぽい電球色が、階段ホールなどに連続する照明のデザインです。ちなみに、上の画像左下の非常口の緑の扉が、実は俣野別邸の屋外と屋内を分ける玄関扉です。豪邸にしてはとても小さい。今の普通の家と変わりません。
そして一昨日も紹介しましたが、上の扉の内側の床が、栗の木のブロックになってます。

これですね。不思議でしょ?

上の画像は玄関扉を撮影してみた。赤いでしょ?居間の赤い丸い柱とデザインを合わせてるとか。係員さんに説明されないと気づきませんでした!縦長の窓は実は黄色と曇りガラスのステンドガラス。上の画像では分かりにくいので別角度から。

上の画像の右手の非対称の扉の先が控え室。入場料を支払い、靴をスリッパに履き替える場所です。玄関、見るところいっぱいですが、狭いよ〜。素通りしそうです。
さて、係員さんにお礼を言ってお別れ。時刻は10時40分!つまり1時間近く説明してもらっちゃいました!説明料はおいくら万円??とビクビクしてたのですが、なんと無料!!でした〜〜〜!!素晴らしい〜~っ!!ってか、私の記憶力が残念過ぎる。1時間たっぷり説明してもらったのに、記憶がボロボロとこぼれてしまいました〜。この後、もう一度2階に上がりゆっくりしても良かったのですが、実はお腹が空いてどないもこないも〜〜!!
そもそもの計画では、鵠沼で蓮見をして、遊行寺の大銀杏の下にあるベンチで朝ごはんを食べるつもりだったんだよね〜。ところが、旦那が先に先に一人で行っちゃったから、そこで食べれなかったんだよねっ。だから、俣野別邸のお庭で朝ごはんを食べてから建物見学するつもりだったのに、急坂に庭に、先に建物見学する事にしたのでした。さっき、2階から芝庭を見下ろした時にベンチを見つけたので、あそこだ!

ちなみに、上の画像右奥が事務棟の奥にあった書庫。中央奥の竹の囲いが、事務棟和室から見えた和の庭。画像左の木造の建物が、付属屋(非公開)です。ここは焼失を免れた模様。

この画像のがわかりやすいかな?
そしてトップ画像が俣野別邸の外観(南西側より)。ベンチが3つほどあるので、日陰のところでようやくの朝ごはんです〜。

ご飯休憩の後、お庭見学。河岸段丘上の内苑→段丘下の外苑へと見て回ります。長くなったので明日へ続きます。
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旧住友家俣野別邸その2 1階

2017年07月23日 05時27分11秒 | レトロ建築
旧住友家俣野別邸庭園見学(2017.7.16)。昨日は建物の2階部分を紹介しました。展開図では俣野別邸はY字型をしています。今日は二股の南棟と事務棟の紹介をします。
南棟の2部屋(洋室・和室)は、現在貸し集会室です。



係員さん「集会室として使うために、再建時に天井に照明を足しました。あと、会議ができるようにテーブルも入れました」

実質横浜市が維持管理してるのでしょうが、2部屋貸し出しに使ったところで維持費は賄えないと思います。雑な使い方されて痛んだり、修理代の方がかさむんじゃないかな?と少々心配です。オリジナルに火をつけた放火犯も確か捕まってないよね?
例えばこれ。

貸し出しに使う集会所の洋室の奥に障子です。
係員さん「吾妻障子の桟に面取りしてあります。実は、ここの障子紙を張り替えるのはすごく大変で、さんに縦ひごを渡し、新しい障子紙が乾いたらひごを外すという手間暇のかかる作りになっています。だから『絶対に破かないでね』と言われています」
そういう障子、どこかのレトロ建築でも見たわぁ〜。どこで見たんだっけ?昔のお金持ちはわからないところにお金をかけていたのね。
貸し出しの集会所の洋室の床部分。オリジナルの建物と同じように再建したので、床も手間暇かかる床材の貼り合わせの市松張り。

貸し出し用の集会所の2部屋の前の廊下はワイド設計。広縁です。

窓の外はこんな感じ。
係員さん「左手の藤の木は、火災で焼け残ったオリジナルの植物です。手前の睡蓮の池もオリジナルです」
和と洋が馴染む植物を使ってるのですね。だって、芝庭に松がないもの。
広い廊下な広縁の先に、サンルームがあります。

館内は冷房完備なので、座って休憩しても暑くないよ?屋外は35度の真夏日だけどな。
ちなみに、サンルームと広縁の廊下の角にこんな内装があります。
建物の壁はレンガ造り。その上に白に少し黄味がかった色を足した漆喰塗りです。でもこの一角だけ漆喰を施してません。構造が分かるようにしてあるんだって。
サンルームの先に大きな部屋があります。現在の名前は「展示室5」ここは変わった造りになってます。
まず入ってすぐ黒漆の丸い柱。2階の船底天井があった畳のベットみたいなのがあった部屋の柱とほぼ同じ大きさ。
別角度から。
結構驚くけど、ここは更に建物が屋外に面してる壁がとても変わってます。

分かります?防音加工の分厚い窓。

この画像だと窓ガラスの厚みがよく分かるかと?後窓ははめ殺し。開きません。
更にこう!
外の空気を取り入れる上げ下げのできる窓が別にあります。窓の外に、鉄製の扉があるんですよ。ちなみに、鉄扉がある窓はオリジナル。焼け残ったのかな?
中は普通に部屋なので、お蔵じゃありません。おそらくですが、ここは増築部分だとのことなので、戦争中の避難場所だったのかと推察。俣野別邸は河岸段丘に立地してるので、防空壕を掘るのも可能だったと思うけどな。住友家当主が空襲を恐れて防空壕に隠れるよりは、スマートな避難部屋ですね。今でいうパニックルームかな?
入室当時、展示室5の奥に続く扉は開けてありましたが、係員さんが扉を閉めるとあらびっくり〜!!

布張りでした。2階の丸い部屋(展示室1)の出入り口も、オリジナルが建築当初は布張りの引き戸だったそうなので、こんな感じだったのかな?ともかく、黒塗りの柱と布張りの扉のおかげで、窓の外の鉄扉は気になりません。圧迫感が軽減されています。空襲時の避難部屋というより、防音室。映画やロックを大音量で聞いても大丈夫!な部屋かも?まあ、住友家のご当主のお屋敷ですから、中で大きな音云々出そうが、誰も非難しないと思うけども。
ところで、布張りの扉の奥に何があるか?というと、結構意外。や、あって不思議じゃないけども。

焼失前のオリジナル。

同じく、作り付けの棚。オリジナル。かつては棚の手前に洗面所があったのかも?係員さんに説明してもらったのに思い出せない。もうヘロヘロだったんや〜。覚えること多すぎる〜。
あ!後この部屋にはこれもありました。
ピンボケですみません。昔の暖房器具です。これ、何て名前だっけ?オイルヒーターだっけ?レトロ建築見学をしてると、あちこちで見かけるやつ。俣野別邸には煙突が一つありまして、暖炉もありますが、ほとんどの部屋ではこれを使ってたそう。
あと、展示室5の防音部屋の隅に小さなレトロ家具が置いてあります。
今一、この部屋には合ってないよな〜??
係員さん「以前の持ち主が、寄贈してくださいました。この建物内で使われていたオリジナルの家具です。どこの部屋で使ってたかわからないんですが」
火災になったのは、2000年に相続税で建物を物納。公開に向けて修復工事中に火災になったので、オリジナルの家具や建具は運び出してあったのが幸い。

そういえば、これが展示室5に入ってすぐの足元収納。使い方によれば、この上に掛け軸とか飾れそうだけど、そういう使い方はしてなかったんだろうな〜。この部屋をどう使ってたのか聞いてみたいけども。
Y 字のジョイント部分に戻ってきました。ジョイント部分は再建時にトイレやエレベーターを造りました。

こちらは事務棟です。かつては使用人が使っていた部分。調理室もあります。現在俣野別邸の主屋1階のかつての食堂は、喫茶室としてコーヒーなどを楽しめます。調理室でやってます。ちなみに、喫茶室のみ利用する場合は、入館料の400円は無料です。いいかも〜。
さて、事務棟は現在も事務棟として使用されていて、公開してるのは和室と書庫の3部屋のみ。

かつて使用人が使っていた部分と伺いましたが、廊下が広くて驚きました。何てゆーの?この建物ってほとんどバリアフリーなんだよね。段差とかあんまりなかったような?車椅子とか使うのもほとんどストレス感じないんじゃないのかな?オリジナルの建築当初からこうだったとしたら、ご家族にどなたか体の不自由な方がいらしてたのかも?と思いましたが、係員さんに聞けません。大人の事情で建物のかつての歴史や住人については話せないのです。話せないことを聞けません。
こちらは使用人の出入り口のお勝手口。
なぜにこの画像を撮影したか?というと、扉の先は現在非公開の地下室の入り口だから。
係員さん「中は暗くて怖いんですよ〜。入る時は大変です。俣野別邸には2つの地下室があります。ここは機械室でした」
たぶん、ボイラー室とかかな?横浜の山手のベーリックホールの地下にあるみたいなの??



公開されてる続きの和室2つ。よく見ると、部屋の天井の高さに違いがありまして、当然天井の高い方が格上の部屋。
和室なので、ここから見えるお庭は和っぽい。

後で屋外を回り芝庭へ行きましたが、垣根が高く作ってあるので、和の庭は外から全く見えないようになっています。
和室と庭の間の廊下はここも広かったけども、見所は梁とかです。

古い木材は焼失時に焼け残った部分の再利用。あ。そういえば、説明し忘れてましたげど、係員さんが見学途中に時折窓をわざわざ開けてくださったのですが、窓に全部昔式のカギがありまして、ネジを回して開け閉めするのね。私が小さい頃にはまだあちこちのお宅に残ってましたが、アルミサッシが普及してからとんと見なくなりました。再建なので!アルミサッシはありません。使えるものは使う!と。焼け残った建具や金属部分を再利用して再現してる場所もちらほら。
奥に書庫が。


わかりますね。ここも焼け残った部分です。床材・梁の建具部材、作り付けの棚も焼け残ったオリジナル。でもさあ、使用人棟のさらに奥にあった場所なので、実用優先。装飾はない。オリジナルとはいえ見てあんまり楽しいものじゃないなあ〜。でも確か、照明は再建時につけたと言ってたような??もう記憶がおぼろげ。覚えることが多すぎたんや〜。疲れたので続きは明日。
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俣野別邸その1 2階

2017年07月22日 05時54分46秒 | レトロ建築
今年4月中旬にNHKBSプレミアムで「財閥解体ものがたり〜日本占領はこうして行われた〜」という番組を見ました。財閥の栄華を物語る豪邸とその後の運命から戦後の一断面を描く。というコンセプトな番組でした。日本の財閥、戦前の四大財閥は、三井・三菱・住友・安田。番組内では住友の豪邸として、旧住友家俣野別邸が紹介されてて、実は番組内で紹介された豪邸のうちい見たことない!知らない!豪邸だったんだよね。
検索しました!すると、藤沢市にあるじゃないですか!しかも地図を見たら小田急線藤沢本町駅から歩ける距離!是非見たい〜~っ!と。ところがゴールデンウィーク明けに激痛な腰痛ですよ!しかも痛みを感じなくなるまで長引いてしまいまして。ようやく見に行ったのが、2017年7月16日でした。ええ、鵠沼で蓮見遊行寺と小栗判官のお墓旧俣野別邸庭園(←今ここ)です。

トップ画像は俣野別邸庭園の正門ですると緩やかに坂。やがて見えてきたのがお目当ての古建築です。
ん?「古」建築??新築じゃね??と思った方、いますよね?私もそう思う。戦前に建てらた家じゃない!!
実はですね。本来の旧住友家俣野別邸は、1939年に住友財閥の創業者一族である住友家が建築させた和洋折衷の住宅でした。しかし、国の重要文化財に指定されたオリジナルの建物は、2009年3月15日に焼失しちゃったのです。あの頃に、俣野別邸のすぐ近くのモーガン邸や、大磯の吉田茂邸が相次いで焼失したのを覚えてますか?あの一連の事件の中にこの建物もあったんですよ。
そして、数多く残っている建物の写真と、オリジナルを設計施工した会社が再建したので、ほぼ当時の姿を再現できました。
へえ〜へえ〜へえ〜〜!!不幸中の幸いってことな?
そうだったのかぁ〜!そういえば、大磯の吉田茂邸もこの春に再建して公開になりましたね。実は俣野別邸も今年の3月よりの公開です。公開されてると認知度が低いのかも?ちなみに、入館料:一般400円 休園日:毎月第3木曜日と年末年始です。

特徴的でこの建物の象徴でもある2階の丸い部屋。外から見るとこんな感じ。本当ならば、上の画像の右側から撮影したいのですが、建物の右側は急な坂になってます。

こんな感じ。敷地は河岸段丘を利用した、高低差のある地形に立地してまして、内苑部(建物)が段丘の上部、段丘の下に外苑部があります。今日は、建物の2階部分を中心に紹介します。
カテゴリーが「レトロ建築」にしてあるのも、可能な限りオリジナルの再現にこだわったから!あえて「レトロ建築」に入れました。

まずは外観を見上げてから入館。

車寄せはありますが、玄関はこじんまりとしてます。住友財閥の迎賓館というコンセプトならば、もっと玄関は派手に大きく造るハズ。上の画像は、玄関の入口にある石板。入るとこんな感じ。

ピ、ピンボケ…。玄関が狭くて暗いんじゃ〜〜!!

ちなみに、これは玄関の床です。外から入ると栗の木の床です。あちこちの豪邸見てますが、玄関入ってすぐが木製の床って初めてですわ。ちなみに、ここまで土足です。

ここで入館料を支払い、靴を預けてスリッパに履き替えます。ちなみに、この部屋(控え室)は建物の中でデザインが浮いてて変わってるので、立ち寄った際は是非ともよく見てください。特に、床が玄関から連続して木材の栗をまるで煉瓦ブロックのように加工してあるの。あと天井の梁がイギリスのハーフティンバーみたい。わざわざ木肌をなぐり加工してでこぼこを出してる。最初から面白いです。
開館時間:9時半で、現在時刻は9時47分です。スリッパを履き替えたら、係員さんと目が合いました。
係員さん「ご説明しましょうか?」
私「いいんですか?ぜひっ!お願いします!!」
ラッキーですっ!!まさかまさかの出来事です。こんなことなら「財閥解体ものがたり」を見直してくるんだった〜。そうすれば突っ込んだ質問できたのに〜〜。と。ひとしきり後悔していたらですね。まさかの事前ご注意が!!
係員さん「実は前の持ち主の意向で、歴史的なお話はしない条件での公開になっています」
私「え?そうなの!!じゃあ、この部屋がかつて誰の部屋だったとか?」
係員さん「NGです」
私「住友家が…」
係員さん「NGです。建物についてできる範囲でご紹介します」(説明したい気持ちはあっても大人の事情です)
というがっくり、肩透かしなスタートになりました。でもさ、そうは言っても「レトロ建築」カテゴリーなので、歴史部分はwikiに書かれてる部分を抜粋しますね。
旧住友家俣野別邸は、1939年(昭和14)に当時の住友家当主であった16代住友吉左衛門が発注した住宅で、住友家の東京本宅の別邸として現在の神奈川県横浜市戸塚区東俣野町の丘陵地に建築された。
設計は佐藤秀三であった。
基本的には当時の代財閥一家が生活するために、使用人の居住区も備えた大規模な西洋風建築であるが、設計に際し北欧の伝統的な建築様式である柱や梁を露出させる様式を基本としながらも、屋根に日本瓦をのせるなどの伝統的な和風様式も取り入れている。建物はY字形で、昭和時代初期に流行したモダニズムの影響を受けており、和洋と現代建築が融合し、折衷した建築物があった。
1998年ごろまでは住友家に所縁の者が生活していたが、2000年に相続税として国に物納され、政府に所有権が映った。2004年7月に国の重要文化財に指定され、保存と一般公開に向けて2008年1月から修復工事が進められていたが、2009年3月15日に焼失した」
では見学開始。

入館料を支払い、スリッパに履き替えてすぐの場所。2階への階段。
係員さん「再建する時に安全上階段の手すりをオリジナルに手を加えています。元より手すりを高く、頑丈にするために縦木を足しました」

上の画像の手すりの上の段と、下の段だけにある縦木の部分が足した部分。

壁はオリジナルと同じ刷毛目です。
2つ上の画像の階段の上にある踊り場部分ですが。ええ、これ2階じゃない。
係員さん「なぜにここに踊り場を作ったのか?わかりません」とのこと。だって、2畳くらいの広さの踊り場をわざわざ作ってるんですよ?

ちなみに、上の画像は踊り場から階段を見下ろしたところ。
そして、2階部分へ。まずはあの外から見上げた丸い部屋へ。

ここが何のために作った部屋か?窓の外に答えがあります。

空が澄んだ日には、正面左に富士山が、右に丹沢山系が見えるそうな。
訪問した7月16日は、真夏の空らしく山は全く見えませんでした!

ここから芝庭が見下ろせます。

再建する時に、床もオリジナルと同じデザインで再現したそうな。

ちなみに、丸い部屋の入り口の扉を係員さんが占めてくださいまして。
係員さん「戦後、俣野別邸は米軍に接収された時期があります。元は襖のように厚い壁の間に収納した引き戸には布が貼ってありましたが、接収中にペンキが塗られてしまいました。接収が終わって返却されても、一旦塗られたペンキは取れなかったそうです。これも建物の歴史ですから、ペンキを塗った姿で再現しました」
これは〜。説明聞かないと分からんわ〜。

係員さん「こちらをご覧ください。窓の段差の部分にかつてはソファが据え付けてあったそうです」
建物のあちこちに椅子やテーブルが配置してあって、休憩できるようになっています。公開してあるレトロ建築で見学者が座れる場所ってそうそいありません。結構レアな体験ができますよ?

ちなみに、上の画像は丸い部屋のすぐ外にある展示室。オリジナルに再現してあるそうです。見ていただきたいのは、ソファ部分。

丸い部屋のソファもこんな感じだったのかな?

ちなみに、本棚は、ソファの反対側です。一旦廊下に出て隣へ。

分かります?ここで見ていただきたいのは、パネルの裏側にある障子窓。部屋の反対側の窓の上には空気を逃がす横長の換気窓がありまして、涼しく暮らせる工夫があります。

バルコニーには出られませんが、部屋の中から見上げるとおしゃれなデザインがなされています。画像右下には瓦屋根が写り込んでます。主屋の南棟部分です。再建にあたり、焼け残った瓦を型取りして、新しく焼き直したそうです。

隣の部屋です。畳がありますね。黒い柱はこれ、黒漆です。実は1階にも同じ太さの黒漆の柱と、もっと太い赤漆の柱がありまして、連続性のあるデザインになっています。

畳と黒漆の柱のある部屋の天井です。船底天井がモチーフ。間接照明になっています。オリジナルと同じです。これ、昭和14年に建てられた建物ですよ。古さが感じられません。設計した佐藤秀三ってどんな人?
係員さん「日光のプリンスホテルを設計しました」

多分ご主人の寝室として作られた、建物で一番いい部屋だと思うけども、質問しても係員さんが答えられない質問だろうからさ。想像です。ちなみに、上の画像は、この部屋から芝庭を見下ろしたところです。

畳の部屋の隣にバスルームがあります。
実は接収時代にアメリカの将校が改築しちゃいました。バスタブを広く。

洗面台を高く。背が高いアメリカ人が使い勝手がいいように。
ちなみに、バスルームに残る青い古い蛍光灯。
係員さん「パナソニックの前身・松下電気産業時代の蛍光灯です。焼け残ったので、再利用しました」

俣野別邸の見取り図です。
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座間市栗原のひまわり開花情報2017/7/19現在

2017年07月20日 05時35分19秒 | 相模原・座間・大和市
2017.7.19午前10時半頃到着。
昨日の大雨のおかげか気温が少し下がったので、座間市のひまわりまつり会場へ開花状況を見に行きました。
開花状況はよくわからん。家を出る前に座間市観光協会のホームページの開花状況をチェックしたものの、最新は7月16日現在の画像だったんだよね〜。でも18日に大雨降ったじゃない?状況が激変してるかも???ひまわり倒れてないといいどなあ〜。などと、我が家から自転車を漕いでる間中案じてました。
栗原会場が見えると、杞憂だったか??大分咲いてるし〜!!

早速撮影開始です。到着したのは午前10時20分でしたが、ひまわりにミツバチが集まっています。

いや〜、ミツバチ久々に見た気がする。

ついつい久々のミツバチが嬉しくて、ひまわりとミツバチの画像ばかり撮影してました。



ちなみに座間市ひまわりまつりは栗原会場:7/21(金曜)~26(水曜) 10万本 座間会場:8/10(木曜 )~15(火曜) 45万本となっています。
開催期間に差があるのは、ひまわりの種を時間差で撒いてるから。

まだ祭り前ですが、気温が低めの今日はチャンスだ!と見に来る人もちらほら。

祭りに合わせ、準備も着々と進んでいます。
ところでですね。座間市観光協会のホームページに「先日の台風で一部ひまわりが倒れてしまいました」とありまして、どれくらい倒れたのかな?とドキドキしていたのですが。

こんな感じです。結構倒れてます。
でもさ。気づいたんだけどさ。

これはこれで面白い構図になるよね?何つーの?こう言う派手にでっかい作品作る生け花の流派あるじゃない?それのさらに巨大版のようです。作品を作ったのは自然ですがね。
ちなみに、栗原会場は10万本なので、見所はまだありますが、運悪く、訪問時にNHKの撮影が入ってまして、会場設営のおじさんが「私らも撮影してる辺りに近づけないの。まつりが始まったらまた来てね」ってな訳で、追い払われてしまいました〜。ちえ~っ!!
栗原会場に入った事ある方は知ってると思うけど、会場を分けるように真ん中に畑があります。そこで珍しいもの見つけちゃいました!

分かります?多分ラズベリーだと思うんだけど。

ベリーのアップ画像はこちら。これさ、9月にイギリスを旅した時、スコットランドや湖水地方で道路の脇になってたのに似てる。黒いのが美味しいんだよね〜。祭りの会場で収穫したの売ってくれないかな〜??
ともあれ、祭りの期間中は無事に満開になりそうです。毎年ひまわりまつりをやってるけど、ひまわりの花が祭りの主役なだけに、ひまわりまつりの実行委員会の人は大変そう〜。

自転車を回収に戻る。ちょうど頑張って撮影してる人がいたのでモデルになっていただきました。栗平会場は今はここが一番の見頃です。

ちなみに、トップ画像の撮影は、上の画像の左側の一段高くなってる場所から撮影してます。左の一段高い方は、1部咲きくらい。ひまわりまつり一杯満開のひまわりが見えるように工夫してるのかな?

今日は7月16日の藤沢散歩連載を中断して、ひまわりの開花状況の記事になりました。やっぱりさ、お花の開花情報はタイムリーでないと使えませんからね。毎日私のブログを楽しみに閲覧して下さってる方、ごめんなさい。ご了承ください。


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遊行寺と小栗判官&照手姫のお墓

2017年07月19日 06時25分26秒 | 墓所巡り
2017.7.16.8:38到着。
遊行寺さんの入り口は他にもありますが、歴史情緒あるこの入り口がオススメです。

参道もこんなに素敵でしょ?画像では分かりにくいかもですが、緩やかに奥に向かって傾斜が高くなってます。

石垣ファンには参道の左右にある石垣もオススメです。丁寧に格調高く石を加工してあります。
トップ画像の入り口の左右に青銅の大きな灯篭がありまして、これも鑑賞ポイントです。

説明板発見:青銅製燈籠
浅草・芝などの江戸講中や戸塚宿など遠近の篤志者が一体となって建立、寄進した燈籠です。高さ約2、8メートル、石製台座を含めて3、9メートルの大きさで、台座に500名弱の寄進者の名が刻まれています。銘文には天保13年(1842)8月の建立とありますが、左側燈籠に「遊行57世 他阿上人一念書」の銘があるので、一念上人が遊行相続した嘉永元年(1848)以降に一対である現在の形に仕上がったと考えられます・
鋳造師は江戸神田の西村和泉守藤原政時で、8代目となります。他に東京都千代田区の平河天満宮鳥居などを手がけています。」
なるほど〜。幕末に500人の寄付金で作ったのね。
あれ?
ダンナがいない…。多分先に行った模様です。
チッ!参道の左側に浅割板太郎のお墓があるから紹介しようかと思ったのに。
仕方ないので追いかけてみたら。

この大銀杏も紹介しようと思ったのに。ダンナがいない。

訪れた2017年7月16日(日曜)の早朝は、境内で骨董市が開催されてる模様。覗いてみたかったけど、ダンナがいない。探さないと〜??遊行寺さんは大きいのう。

手水舎です。まだアジサイが綺麗です。
手を清めます。

あ。ダンナ発見!先に参拝してたのね。一声かけてよ。

私「そこで止まって〜。階段を降りないで〜」
一応振り返り、大イチョウと一遍上人の立像の説明をする。
この後、一旦降りて境内とか骨董市散策もありなのですが、もうすでに体感で30度超えてるのね。今日の最高気温は35度予想だし、大分疲れてしまったので、今更降りたくない!
私「ここから右手の坂を登ります!先に参拝してくるからちょっと待ってて」と。急いでお参りを済ませダンナを案内する。遊行寺さんはかつての旧東海道に南側を隣接してまして、お正月の箱根駅伝でも難所の遊行寺坂になってます。つまりですね、境内を奥に進むと上り坂なんだよね。

到着したのは小栗堂。
この裏に小栗判官と毒殺された家来10人のお墓と名馬と照手姫のお墓があるんだよね。

小栗判官と毒殺された家来10人のお墓
小栗判官が目を洗った泉跡。


名馬のお墓。

照手姫のお墓。
今の子らは小栗判官の復讐成就のお話なんか知らないよね〜?80歳位の人には馴染み深いお話かもしれんけどさ。
説明板発見:(伝)小栗14代城主・小栗孫五郎平満重と火神の墳墓由来について
桓武天皇の曾孫・平上総介高望から7代の子孫と伝えられる平重家(平上総介重幹の4子)は、平安時代の久寿2年(1155)に、伊勢皇太神宮小栗御厨(神領)の保司(長官)となって要害の地で会った小栗山(協和町宮本)に築城し、地名の小栗を称して小栗氏となり、その子孫は15代に至るまでの300年余の間、領主として常陸の国(茨城県)の小栗地方を統括され、盛衰の歴史の中に小栗部名の威光を見るに至りました。
その小栗14代城主であった小栗孫五郎平満重は、室町時代の応永30年(1423)8月2日、関東公方足利持氏との激戦に奮戦拙く破れ小栗城は落城しました。
この落城により満重はその子助重と十勇家臣共に、一族の小栗貞重等(愛知県)を頼って落ち延びる途中、相州藤沢近辺の悪党横山大膳の館(横浜市戸塚区東俣野)で、歓待宴酒に毒を盛られ、家臣十名は毒殺されて哀れにも上野ケ原に捨てられたが、幸いにして時宗総本山・無量光院清浄光寺(藤沢市)八世・(遊行寺14代)他阿太空上人のご光配によって藤沢山境内に手厚く埋葬されました。
幸運にも照手姫の助けによってこの大難を逃れ、九死に一生を得た小栗助重は、熊野本宮湯ノ峰温泉(和歌山県牟妻郡本宮町)に浴して快復し、父道重の死(応永33年3月16日)後、10余年を経た嘉吉元年(1441)の結城合戦(結城市)に、幕府軍の将として活躍し、その論功により再び小栗領に復しました。
なお助重は、毒殺という非業の死を遂げた十勇家臣の菩提を弔う追善に、藤沢山に入り、追孝謝恩の歩様を持って父満重と家臣の墓石を、八徳池のほとりに営んだと伝えられています。
またこの施主助重が、世上有名な小栗判官とされた室町時代の武将で、小栗15代城主・小栗彦次郎平助重であります。(御戒名:天照院殿前金井太陽宗源大禅定門)。
ここに、無念にも相州の野辺に露と消えた小栗十勇家臣の悲惨な死を哀悼し、さらにその追善への意向を表敬して、小栗主従墳墓の概略由来などを顕彰するものです」 
さて時刻は午前9時になりました。こっから旧東海道を東京方面に信号を4つ越えると、次の目的地の入り口になります。しかし、旧東海道と言っても、遊行寺坂を登るのですよ。もうヘロヘロ。しかも暑い〜。影ない〜。坂の両側は切り立ってて、休めない〜。辛抱たまらず、「遊行寺坂上」バス停手前の歩道橋の階段に影を見つけ休憩しちゃいました〜。
休憩後、しばらくはまた上り坂。旧東海道の道の両側に、かつての松並木が再生されてる場所に出た。

よ、ようやくの日陰です〜。もう干からびる〜〜。上の画像の撮影時刻はまだ9時22分ですよ?でも体感は35度!です!!影がないと、アスファルトは照り返しがですねっ。辛いデスゥ〜〜!!
遊行寺(小栗堂)から旧東海道の遊行寺坂を登って信号を4つ超えて、ようやく目的地の入り口を見つけました〜。

お越しの際は、徒歩での訪問でなく藤沢駅から戸81系統の戸塚バスセンター行きに乗って「鉄砲宿」バス停下車がおススメです。バス停から徒歩5分で行けますよ!
*7月21日に画像と文章を追加しました。
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やってきた江ノ電はカールだった

2017年07月18日 05時34分29秒 | 鉄道のりもの
2017.7.16、朝一に小田急で本鵠沼駅へ。徒歩でしばらく、かつて湿地に7つの蓮池があり、今2つのはす池が残る桜小路公園へ。(目印は鵠沼高校)7時54分出発。近くにあるはずの江ノ電の駅を探す。視線の奥に江ノ電の車両が横切った!あそこだ〜。
線路に近づいたらば、もうギリギリに道があった。辿っていくと、柳小路駅が見えてきた。
無人駅です。どうやればいいんだろか?ふと?「券売機は反対側入り口に設置してあります」という文章を見つけたので行ってみたら?

ちんまりとした建物に券売機が収まってました。
あ!電車が近づいてきた。

惜しい!これは鎌倉行きです。藤沢に戻らねばなのでこの電車は見送り…。
ん??
あれ?
あ!この車両って!!
 
カールだっ!
旦那に「カールって販売終了じゃん?江ノ電のカール車両も消えるのかな?」とたずねたら。
ダンナ「ええっ!カールなくなるの?」と。
知らんかったんかいっ!!
私「そうだよ。どうもべたつくところが敬遠されたみたい。食べながらスマフォに触れないからかも?」
ダンナ「そりゃあ、ダメだわ〜」
しばらくダンナが静かだなあ?と思ったら、スマフォでカールを検索してました。「カールは明治か…」とかつぶやいていたので。
あ!切符買わなきゃ!柳小路駅から藤沢駅は二駅の初乗り運賃なのですがね。まさかの!!江ノ電の初乗り運賃は190円でした!!
た、高い〜〜。坂にひるまずに、小田急本鵠沼駅へ戻るんだった〜。しかしもう江ノ電に着いちゃったのです。
次の目的地の旧俣野別邸庭園は小田急線の藤沢本町駅が近いんです。しかし開園時間は9時なので、藤沢本町駅ー白旗神社ー旧俣野別邸庭園ー遊行寺ー藤沢駅の散策予定を、時間調整で逆回りにする。

藤沢駅に到着。

久々に江ノ電藤沢駅を利用しましたが、今回もアニメのポスターが貼ってあります。湘南・江の島・鎌倉は、物語の舞台にぴったりなのか、前回訪問時は「つり球」の立て看板がありました。
台湾のお客さんには嬉しい提携です。好評につき、現在も延長で共同利用できるみたい。台湾のお客さん向けの切符なので、ポスターは全て台湾語で書かれています。
ちなみに、pasumoを使わずに券売機で切符を買った理由は、前回江ノ電に乗った時は、PASUMOが使えなかったから。でも藤沢駅は自動改札機が設置されてたし、いつの間にか進歩してた。まあ、江ノ電は観光電車だしね。使い勝手は良くしないとね。海外のお客さんも増えてるだろうし。
こちらは江ノ電藤沢駅の改札を抜けたところにあった。最初はアンパンマンのジャムおじさんかアンパンマンかと思ったら、全然違ってました。なぜに間違ったのか?

これは江ノ電からJR藤沢駅へ移動途中に見つけた。つるの剛士くんが観光大使なのね。
遊行寺を目指し歩いてると?道路に不思議なプリントがある。

おそらく自転車の走っていい場所を示してると思う。うちも(相模原市)ねえ、こういう便利なの作って欲しいなあ。
遊行寺までの道々、旧藤沢宿の歴史が写真や浮世絵で舞台になっているポスターがプリントされたあれこれがあって面白い。ついつい歩く速度が遅くなる。
「あ!小栗判官だ。お話知ってる?」と聞いてみたら、「知らない」というので軽く説明したのち、そういえば。
「小栗判官と照手姫のお墓が遊行寺にあるから案内するね」と訪問場所を急遽追加しました。
境川が見えてきた。どうせなら、歴史情緒が盛り上がる道をお勧めしたい。

江の島弁財天道標です。
「この石柱は、江の島への道筋に建てられた道標の一つです。
江の島弁財天道標は、管を用いて鍼を刺す管鍼術(かんしんじゅつ)を、江の島で考案したという杉山検校(1610-1694)が寄進したと伝えられています。現在、市内外に十数基が確認され、市内所在の中で12基が藤沢市の重要文化財に指定されています。いずれも頂部の尖った角柱型で、その多くが、正面の弁財天を表す梵字の下に(ゑのしま道)、右側柱に(一切習生)、左側柱に(二世安楽)と彫られています。この文言には。江の島弁財天への道をたどる全ての人の現世・来世での安穏・極楽への願いが込められています。(後略)」

情緒ある赤い橋を渡る。すぎてしばらく!あれ?前にこんな建物あったっけ??

ふじさわ宿交流館です。利用は午前9時から!え〜と?現在時刻は?8時38分です。残念っ!!
建物手前に木札が並んでます。これはかつてのふじさわ宿の高札場を再現したもの。
え〜と?何が書かれてるのかな??
東海道藤沢宿について
藤沢宿は、慶長6年(1601年)に東海道の宿場として設置され、後に戸塚宿、川崎祝賀追加されて、江戸から数えて東海道53次の第6番目の宿場となりました。古くから清浄光寺(遊行寺)の門前の街として人が行き交う「藤沢」は東国、西国や北相、三浦半島などをつなぐ交通の要衝でした。
清浄光寺の東側に江戸側の見附と小田急江ノ島線を越えた西側あたりに京都側の見附があって、江戸時代、この範囲内が藤沢宿でした」
他にも木札は面白いことを書いてあります。
「宿泊のさいの木賃銭(素泊まりの宿で煮炊き用の薪代として宿に支払う金)
主人 一人 三十五文
召使 一人 十七文
馬 一匹 三十五文
正徳元年(1711)5月 奉」という風にあれこれ書いてあるのですが、字が小さ過ぎ。でも面白いので訪問した際は頑張って読んでみてね。

8時38分、遊行寺さんに到着です。
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鵠沼の蓮池開花情報2017/7/16現在

2017年07月17日 16時16分04秒 | 蓮と睡蓮
2017.7.16早朝訪問。
あまりにも暑すぎて散歩に不向きな天候が続いてますので、早朝に出発し、昼で帰宅な計画を立てました。自宅を朝6時15分に出発。最寄りの小田急相模原駅発6:38。相模大野で乗り換えて藤沢駅へ。片瀬江ノ島駅行きに乗り換えて一駅。本鵠沼駅へ。到着した街は住宅街でしたが、曲がりくねった細い道の両側に、おしゃれな家や店が並んでました。駅から道なりに、ゆるい下り坂をしばらく。目的の蓮池が見えてきました。到着時刻が7時26分です。

トップ画像に池の淵に並ぶカメラの砲列。カメラマンの待ってるのはカワセミです。
見つけたので一応撮影してみた!

わかります?止まり木にカワセミがいるんですけど?
画像をトリミングして切り出してみた。
止まり木の中央にカワセミが停まっています。
周りはでっかいカメラを構えてる方ばっかりで、どうにも私は場違いです。カワセミは水面にだいぶを繰り返し、そのたびにシャッター音が止まりません。

さて?蓮池を回ります。

これは開いたばっかりの花の模様。蓮は1日目に早朝に花開き9時ごろ閉じる。翌日も同じ。3日目には開いた花が閉じないまま散る花です。見分け方は簡単で、蓮の中央の花托の周囲にある花粉がこじんまりしてるのが1日目。上のね。ここが伸びてると2日目。3日目には、花托が豚の鼻か?というくらい目立つようになります。

蓮池の周囲は散策路がありまして、1周回ってみました。すでに花数は少なめになってますが、まだまだ蕾も多いのでまだしばらくは楽しめそう〜。

蓮池は桜小路公園と名付けられてます。
あ。説明板発見:
鵠沼のはす池と蓮について
昔、境川が蛇行して流れていた際、洪水で川の流れが変わり、鵠沼の低地にいくつもの池や沼が残りました。それらの池には冬になると鵠(くぐい)=白鳥が飛来していたことから鵠沼という地名の由来になったとされています。
それらの名残の蓮池は7つあったとされていますが、周辺開発とともに埋め立てられ、現在は第一はす池と第二はす池の2つとなりました。
第二はす池周辺は昭和62年に桜小路公園として整備され、小田原城や鶴岡八幡宮より蓮を株分けしてもらい移植しましたが根付かず、平成4年に京都より誠蓮(まことばす)を移植し、植え付けに成功しました。
第一はす池には昭和30年代前半まで白っぽい花の咲く蓮があったそうですが、ゴミの不法投棄や冬場の渇水で、いつの間にか枯れてなくなってしまいました。
その後、鵠沼女子校(現鵠沼高校)が第一はす池一帯をグランド化する計画を発表しましたが、地域住民が池の存続を求めた結果、高校は池を残し、藤沢市に貸し出し管理を委ねる事となりました。
その際、第一はす池は造園しなおされ、ヨシやガマなどが水辺に植えられました。
平成20年、第一はす池と第二はす池に、特定外来種アゾラ・クリスタータ(水生シダ植物)が大繁殖し、赤い浮草は水面を覆い尽くし、池の生き物の生態系を脅かす事となり、地域のボランティアが6年かかりで駆除活動を行いました。浮草を全て取り除くには、障害となりガマやヨシ、枯れ蓮や雑草を刈り取る必要があり、第二はす池については、作業により池の中央部のヨシが枯れ、誠蓮の領域が広がり、毎年多くの紅色の蓮の花が咲くようになりました。
一方で、第一はす池にも蓮を復活させようと、赤い浮草がなくなった平成26年春に舞妃蓮(まいひれん)という品種を6ケ所に植え付けましたが、ほとんどの蓮根は腐ってしまい、唯一タライの中に植え付けた2つの蓮根から3輪の花を咲かせることができました。翌年の春、タライの中でとぐろ状になった舞妃蓮の地下茎を第一蓮池の泥に直植えすると、半年で91輪の花が咲き、念願の植え付けに成功しました。開花数は毎年30倍づつ増え、昨年は3ヶ月に2700輪が開花し、ピーク時(6月20日ごろ)は、数百輪の大輪が一斉に開き、名実ともに「蓮池」となりました。
へえ〜。地域ボランティアの力で綺麗な蓮池を見れるんですね。
ちなみに、ピンクの蓮の誠蓮が第二はす池ですので、第一はす池を見るべく移動します。

終わってました。先ほどの説明板にも舞妃蓮は6月20日に一斉に花開きとあったので、早めに見頃を迎える品種のようなので当たり前ですねえ。

説明板発見:舞妃蓮(まいひれん)誕生の秘話
舞妃蓮は、昭和41年に和歌山県御坊市の高校教師であった坂本裕二先生が、王子蓮(黄色系)を父親に、大賀ハス(紅系)を母親にして交配させた鑑賞蓮です。
父親である王子蓮は、昭和34年にご成婚された皇太子(現天皇陛下)ご夫妻が、翌年に訪米された際、コロラド州デンバー在住の小川一郎氏より贈呈された蓮の実を、大賀ハス(古代蓮)を発芽させた大賀一郎白紙に託して開花させた所黄色い花が咲く蓮であったため、皇太子にちなんで「王子蓮」と命名されました。
一方で、母親である「大賀蓮」は、大賀博士が昭和29年に千葉県検見川底の2000年前の泥炭層から発掘した蓮の実を開花させた貴重な品種です。
大賀博士の弟子にあたる坂本先生は、父親の王子蓮と母親の大賀ハスの間に産まれたはすを当時の皇太子妃にちなんで、当初はクラウン・プリンセスと命名していましたが、観察すると花弁が舞っているようい開いたり閉じたりすることから、ダンシング・プリンセス(和名:舞妃蓮)と命名し直しました。
その後、昭和43年に当時の皇太子妃美智子様に献上され、現在では皇居の噴水越しょ北側にある花陰亭前の池や宮殿芳菊の間の前庭などで栽培されているそうです。
舞妃蓮は真皮に満ちた古代種と皇太子ご夫妻が持ち帰られた外来種の交配種で、この上品な花を鵠沼のはす池に咲かせたいと言う思いで、宇都宮城の埋め立てられたお堀から400年前のはすの実を発見し、開花させた宇都宮城跡蓮池再生検討
委員会の印刷事務局さんより舞妃蓮の蓮根を譲り受け、第一はす池の泥の底に植え付けました。」
もともとは自分で交配して作り、ダンシング・プリンセスと名付けたの蓮を和訳して「舞妃蓮」と称す。坂本先生は、ロマンチストだと思います。

花の咲いてない蓮池を見てたらダンナが「鳥が面白い」とポツリ。
ん??
それって、スターカワセミVSすぐそばまで寄ってくるのに、カメラマンがいないぼっちなカルガモという事か?
でもしょうがないんじゃないかな?カワセミ様はスターなんである。カワセミ様だと賞を狙える大スターだもの。
対して、かるがもはな〜。子連れならば、ひょっとして??というくらい、地味な鳥だしな〜。

さてと?ダンナのモヤモヤはぶった切りますよ。
当初の予定では小田急線の本鵠沼駅から藤沢本町駅へ移動するつもりあったんだけども?まだ8時前なんだよね〜。それにダラダラと続いてた坂道をもっペン登りたくない。
ってなことで、江ノ電「柳小路駅」を探します。江ノ電で藤沢へ移動して、そっから遊行寺を目指すんだ!これが後々結構大きなポイントになってると、この時の私は全く気づかす。しかも「柳小路駅から藤沢駅まで二駅で、初乗り運賃なのに190円もするなんてぇ〜〜!!」と愚痴ってました!後々これが正解だった!とわかるんだけどもさ。
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平塚八幡宮の茅の輪飾り

2017年07月13日 05時25分05秒 | 神社・仏閣
2017.7.9参拝。平塚の七夕飾りを見物し、最後にやってきたのが平塚八幡宮です。今年の茅の輪がまだ残ってると嬉しいんだけども。私の田舎は四国の香川県。田舎では茅の輪くぐりなんかなかったので、関東に来た時とっても驚いたのを覚えてます。
平塚八幡宮の前の道は国道1号線。交通量が多く、渡るには歩道橋を利用せねばなりません。ううっ。歩道橋は嫌いじゃ〜。

ぼやきつつも平塚八幡宮到着です。実は何度目かの参拝になります。最近だと平塚バラ散歩で、花菜ガーデン旧横浜ゴム平塚製造所記念館ホテルサンライフガーデンのバラ馬入光と風の花づつみのポピーと回った時に立ち寄りました。平塚ってバラ回りにはもってこいの場所なんですよね。
さてと?茅の輪は〜?

鳥居をくぐると参道の左右に池がある。あれは??鶏?ではないな。白鳥?でもない!変な鳥がいます。結構でかい。
見つけるとつい撮影してしまう狛犬。ツノのあるタイプですね。

そして!!茅の輪〜〜!!残ってました!

茅の輪があるからにはくぐります。回ります。回り方の説明板が設置してありますが、左回りに8の字を描くように回ればいいのです。

ついでにお参り。もうね。健康の現状維持を願うばかり。贅沢は言いません。今年は桜の後、5月末から6月中旬の腰痛と例年以上に体調が優れず。後半は現状維持したいです。

お参りが終わったら、お守りを確認。今だけ限定のお守りがありますね。

昔はあちこちで購入していたのですが、お守りって買ったら返さなきゃならない。近所の神社仏閣に返納してもいいんですが、できたら購入した場所にお返しするのがいいらしい。しかし、散歩先で購入したものだと結構大変なので、最近は買わなくなりました。
では朝ごはん〜。池の周りにベンチが配置してあるので朝ごはん代わりのパンをぱくつきました。ふと?七夕まつり限定の臨時駐車場が出来てまして、地面に白いチョークで区画割りしてあるんですが。あの建物ってまさか??

ええ。まさか!!幼稚園の園舎でしたわ。社務所かと思った。

昔はこういう神社やお寺に隣接する幼稚園がよくあったよなあ。

でもここの園児がうらやましすぎるっ。遊べる庭が広いのなんなのって!!

先生は大変でしょうが。足腰鍛えられて、ストレスフリーな子供に育ちそう〜。

さあ、帰るか!前に来た時にあったはずの横綱を祀る建物がなくなってたので、不思議に思いそのあたりを歩いてみた。ダンナはそんなのなかった!というんだけども。私手を合わせた記憶があるんだけどな???おかしいな〜??
でもなかった!
ので、八幡山から境内の池に戻ると?弁天様と目があう。

この池には弁財天を祀ってあるようです。

国道1号線の歩道橋回避で、横断歩道を探してると?園児募集の看板が出てた。「つるみね幼稚園」ていうのね。名前の由来はもちろん平塚八幡宮の家紋からなんだろうなあ。
平塚八幡宮(2013年8月15日)の記事 この記事を見ると、八幡宮の縁起がわかります。
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