あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

ドラマ「仁-JIN-」撮影現場

2011年06月30日 04時45分32秒 | お城&御所
川越本丸御殿。楽しみに修復が終るのを随分待ってました!
た~の~し~い~~!!
あ、あれっ!!
あれはっ!!
もしやして、TBSの人気ドラマ「仁-JIN-」のポスターでは?
はうっ!!
もしやもしや、第4話(5月8日放送分)はここで撮影したんかっ!?
そうなのか~~~~っ!!!(大興奮)
普通ですね。ドラマを撮影しても、撮影現場がそのままドラマの中の登場場所ってことはないんですよ。別の場所で撮影して、いかにもそれっぽく見せかけるのが普通です。
さすがリアルにこだわる「仁ーJINー」です。
ス~バ~ラ~シ~イっ!!

ポスターの隣に貼紙が。
おおっ!1つ上の画像の廊下がそのまま載ってます。

これって仁先生が歩いた所なんでは?

もしやもしや、手術室?ここで奥方様の撮影をしたのか??

もしかして、一族が輸血待ちしたところでは!?
もう妄想入ってます。落ち着け自分。ちっ、この話の放送回の録画消しちまった~~!確認出来ん。無念じゃ。ううっ。
でもですね。肝心の仁先生と咲さんが川越藩の奥方様と対面した大広間は撮影禁止だったのでご覧いただけません。





なのでドラマの方を携帯電話で撮影してみた。再放送万歳。(6月21日放送第4回)より。
ドラマと違って、掛け軸などはなかったですが、杉板に絵とか襖の取手とかが豪華でさすが本丸御殿の大広間って風格でした。

大広間は本丸御殿の見取図の右下の広間がソレです。

昨日の午後、私の住んでいる相模原市の市広報の一斉アナウンスで「光化学スモッグ」が発生しました。とありました。
光化学スモッグ?それって日本が高度成長時代だった頃に問題になってた公害の1つだよね?
まだ、あったのか~!?
夕方頃、またまたアナウンスで「光化学スモッグ注意報が解除」とあったのね。数時間出続けたたのね。
ん~で??
光化学スモッグって何をどう注意すればいいんじゃろか??
ちなみに、関東では既に灼熱地獄となっております。とてもじゃないが、窓は閉められない。
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川越城本丸御殿

2011年06月29日 04時08分52秒 | 記念スタンプ
富士見櫓跡の次に目指すは川越城本丸御殿です。
あれ?この細い道で合ってたっけ??すると、こんなんが見えて来ました。

鎌倉にも似たような道しるべが街のあちこちにあります。地図なんかなくても歩けルンです(2008年12月12日)の記事こちらに鎌倉の行き先案内標識の画像があります。
川越は観光の街なのです。観光客に優しい街です。今年は川越まつりは中止になったけど、訪問した5月14日にはもう観光客で一杯でした。やっぱり自粛は長く続かない。や。街に活気のあるのはいい事だ。
さて川越城本丸御殿に到着です。時刻は既に11時44分。
本丸御殿は3月末まで改修工事をやってて、久々に一般公開が再開されました。ええ。私はこれを待ってたのですよ。
まずは入場券を購入せねば。
って、アレ?共通入館(観覧)券があるじゃん。
これがいいや。
購入したのは、市立博物館&市立美術館&蔵造り資料館&川越本丸御殿の4館共通券450円です。ちなみに、本丸御殿だけの入館料は100円也。
あ。
忘れるとこだった。
「すみませ~ん。100名城のスタンプありますか?」
そう。川越城本丸御殿は100名城に選ばれてるのですよ。
受付のおじさんがスタンプを取り出してくれました。いつものマイスタンプ帳を取り出して100名城のスタンプを押してましたらば…。
おじさんが一言。
「あれ?君、それ100名城のスタンプ帳じゃないね」
そうよ。これは私のスタンプ帳だけど、何か?
「ダメだよ。そのスタンプは100名城のスタンプ帳専用なんだからさあ」困るなあ。迷惑だと言わんばかりの嫌な顔をされてしまいました!
え!?そうなの??
だって、皇居の100名城のスタンプ台なんか、休憩所に放置してあって、皆さん自由に押して下さいって感じだったのに??
他の城でのスタンプを思い出す。
確か、小田原城では受付に言ってスタンプ出してもらったんだった…。
んでもって、丸亀城でも同じだった…。でも怒られたのは始めてだ。
………。
残念ですが、100名城のスタンプ集めはこれにて終了となりました。過去の100名城のスタンプは以下の記事でご覧下さい。
丸亀城天守閣(2010年11月23日)の記事丸亀城の100名城スタンプを見ることが出来ます。
小田原城は100名城(2010年7月12日)の記事
記念スタンプ名所旧跡(2010年2月21日)の記事皇居の100名城のスタンプを見ることが出来ます。
んでもねえ。
私が川越城のスタンプを押してると、年配のおじさんが後から、「私は100名城のスタンプ帳を持ってます。でも今日は持って来るの忘れたんだよ。だからいいよね」ってな感じで、受付のおじさんを黙らせてスタンプを押してゆきました。
………。受付の人、相手によって対応が違うのはマズいんじゃないの??
つーか、100名城スタンプって管理元はどこなんだろう?昨今、城ブームでお城巡りしてる人増えてると思うんだが…。城によって対応が違うってどうなのよ?
ま。愚痴るのはこのへんで。
川越城の話に戻ります。
/川越城図。
上の地図は慶応3(1867)年ごろに作成されたもの。もう幕末も幕末。明治が始まるのは1868年1月25日からです。
川越城の歴史を紹介しますね。
「川越城は、扇谷上杉持朝が長禄元年(1457)に太田道真(資清)・道灌(資長)父子ら家臣たちに命じて築城させたものである。当時、持朝は山内上杉房顕と連合し、古河公方足利成氏と北武蔵の覇権をめぐって攻防を繰り返しており、築城は扇谷上杉領の北端の拠点とするためであった。築城当初の縄張りは後の本丸と二の丸を合わせた程度の規模と推定されている。
小田原を拠点に武蔵への進出を図る後北条氏は、天文6年(1537)に川越城を攻め落とした。天文15年(1546)、扇谷上杉氏はそれまで対立していた山内上杉氏・古河公方と手を結び、川越城奪還を図るが、後北条軍の奇襲にあって大敗し、扇谷上杉氏は滅亡した(川越合戦)。その後、後北条氏は川越城を足がかりとして北武蔵への支配を固めていった。
天正18年(1590)、豊臣秀吉の関東攻略に際し、川越城は前田利家らに攻められて降伏した。同年8月、後北条氏の遺領を得た徳川家康が江戸城に入ると、江戸に近い川越城には重臣酒井重忠を置き、その後も幕府の有力な大名たちが川越領を持つことになった。
寛永16年(1639)、川越城主となった松平信綱は川越城の拡張整備を行う。その結果、本丸・二の丸・三の丸・追手曲輪・新曲輪などの各曲輪、3つの櫓(幕末の絵図にはもう1つ隅櫓状の建物が描かれている)、13の門からなる、総面積約9万9千坪(約32万6千平方メートル)余りの規模をもつ巨大な城郭となった。
慶応3年(1867)、大政奉還により武家政治が終焉を迎えると、川越城は早々に解体が始まり、一部は学校や役所などの公共用地となったが、城地の大部分は払い下げられ、宅地化されていった。現在ではわずかに往時の姿を止めている。 以上「川越城跡」配布ちらしからの抜粋。


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鎌倉の観光標識のリンク先の入力をミスってました。6.30の7:30頃修正しました。ごめんなさい。


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川越の日枝神社

2011年06月28日 04時06分10秒 | 神社・仏閣
川越の日枝神社は喜多院の山門の近くにあります。そもそもは喜多院の草創時代から境内に祀られ、近江日枝神社を勧請したものといわれます。
トップ画像の右の石柱には<国宝>ってあるんだけどね。奥に見える建物そんなに古くないよね??
でも帰宅後調べたら「本殿は三間社流れ造り、銅板葺き、朱漆塗り。室町末期から江戸初期の朱塗りの華やかな様式をよく残しています。』だそうで…。どこが~??
尚、『現在の赤坂日枝神社は、文明10年(1478)に太田道灌が江戸の地に城を築くに当ってここから江戸城内紅葉山に分祀したことにはじまります。』ん?
突っ込み所満載のような…。江戸城の紅葉山って、ソレ、さっき喜多院で見た徳川家光が産まれた客殿・書院・庫裡の建物があった場所じゃん!それに太田道灌!
太田道灌と言えば、城造りで有名な室町時代の人です。彼が造った城は、岩槻城・川越城・江戸城。ここ川越から江戸に道灌が神社を勧請したのはこのせいか?
WIKIで大田道灌を検索。「岩槻城と川越城(河越城)を築いたのは1457年(異説あり)。んでもって江戸城が完成したのは同じく1457年5月1日だそうです。日枝神社は江戸城の守護として勧請した」って書いてあった。
赤坂の日枝神社。あれですね。訪問したよ~ソレ。あれって、ここから勧請されたものだったのか…。
山王日枝神社の茅の輪設置中(2008年12月21日)の記事そういえば、茅の輪って夏越しの祭で設置する神社が多い。丁度今頃も日枝神社には茅の輪が設置されていることと思います。今年は震災とか原発とか色々悪いことあったから、厄払いに茅の輪をくぐりたいなあ…。話を川越に戻します。
川越の日枝神社はトップ画像の如くしょぼいけど、由来はなかなかなのですね。
次行ってみよう!

成田山川越別院さん。え~と…。マズいような…。何がって、私神田明神さんに参拝してるんですよ。成田山を参拝した人は神田明神を参拝しちゃいけないし、神田明神を参拝する人は成田山を参拝しちゃいけない。というのは常識のハズ。掟を知らない人の為に理由を書くと平将門に由来。
なので、ここは門の外から撮影のみして次行ってみよう!
地図を片手に北上すると、ン?時代を帯びた建物が道路の向こうに見えてきた。
もひとつ。


川越、あなどれん…。なにげに私好みの古建築がそこかしこにあるとはっ!!
うっとりと甘納豆屋さんに入る直前で踏みとどまる。
次っ!次行ってみよう~!!今日の観光はまだまだ先が長いのよ~~~~っ!!

甘い誘惑を振り切って到着したのはかつての川越城の田曲輪門跡地です。画像左奥に見えるのは富士見櫓の跡地。看板発見。
「御嶽神社が祀られているこの高台は、かつては川越城の富士見櫓が建てられていたところである。
櫓は矢倉とも書いて、合戦の際に物見として、あるいは防戦の足場として、城壁や城門の高い場所に設けられた建物を意味するが、天守閣のなかった川越城には東北の隅に二重の虎櫓、本丸の北に菱櫓、西南の隅に三層の富士見櫓があって、城の中で一番高い所にあった富士見櫓が天守閣の代わりとなっていたと思われる。
今日では木々や建物のため、すっかり眺望も失われてしまったが、その昔はこの高台に立てば、富士見櫓の名の通り遠く富士山までも望めたことであろう。
元来、城の構造及び建造物は戦略上の都合もあって、その大部分が明らかにされることはなく、正確な規模は分からないが、江戸末期の慶応2年(1866)に川越城を測量した時の記録によれば、この富士見櫓は長さ8間3尺(約15メートル)、横8間(約14メートル)あったと記されている。 昭和57年3月」とありました。
周囲にはかつて城の守りだった濠の後が地形にうっすら残ってます。


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川越の喜多院

2011年06月27日 04時47分31秒 | 歴史散歩
喜多院の五百羅漢を観覧した後、境内の建物の見学を。
トップ画像は慈恵堂(本堂)です。
お寺が最高に綺麗にお化粧されるのはお正月。建物は大概1月半ばまで綺麗な布を纏ってたり、普段寺院仏閣の奥にしまわれている寺宝が公開されてるのでこの時期はぜひ寺院仏閣へお参りに行く事をお薦めします。
んで。
喜多院さんは、年間通じでドレスアップしてるのですね。観光客はとっても嬉しいです。萌えエネルギーがいや増します。



ね。布を巻いてあるだけでフォトジェニック!色数が増えると嬉しいなあ。へっぽこカメラ好きの画像でも雰囲気出て嬉しいです。

仙波東照宮から徒歩で喜多院を目指すとまずこの鐘楼門が目に入る。画像が鐘楼の正面からの画像。

こちらが裏側。正面は龍の彫刻ですが、裏は鷹なんですね。

そして慈眼堂。…慈眼堂の画像を撮りそびりました。あ~れ~?
慈眼堂は天海僧正を祀る御堂です。
んで、画像は慈眼堂の裏にあった天海僧正の墓碑とかです。この辺り色々あるのですが、敷地の中へ入れませんでした。残念です。

多宝塔。喜多院の中で新しい建造物。そもそもは寛永16年(1639)に建立されましたが、後に移築や復元された。

最後にビートたけし似の像は、天海僧正です。
…天海さんってさ~、ミステリー時代小説とかだと、大概妖術使いの怪僧って感じに出てくるんだよな…。なんかラスボスって感じでさ。だから名前だけは随分前から知ってたんだよね。…川越で会えるとは思いませんでした!嬉しい驚きでした。
さて、このビートたけし似の天海僧正の像が立ってるのは、喜多院で一番古くから現存してる山門の手前です。江戸の寛永15年(1638)の大火で山門だけ焼け残ったのね。なのですが、画像を撮り漏らしてしまいました…。喜多院さんは見所盛沢山で、帰宅後見漏らした所をいくつか発見して落ち込みましたよ。例えば川越藩主松平大和守家廟所とかどろぼうばしとか大黒天とかとかとか。あ~あ、やれやれ。
ちなみに、川越藩主松平家のお墓って、平林寺にもあります。平林寺の史跡(2009年11月25日)の記事
でもねっ。喜多院さんにはお隣の仙波東照宮に到着したのが9時54分だったから、つまり天海僧正の画像を撮った11時21分まで1時間半も滞在してたんだよ~~。
喜多院さんは川越観光のメインの1つです。訪問される際は観光時間に余裕を持って行かれる事をお薦めします。
さて、次はどこだっけ?小田急で配ってる地図を出してみる。
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喜多院の五百羅漢2

2011年06月26日 04時45分35秒 | 歴史散歩
ってなことで、昨日に引き続き喜多院の五百羅漢さんの画像を紹介します。
今日も私の好みで538体の石像からピックアップしてみました!

骨董店の店先で、店主が客に「お宅のご本尊にどうだい?」って勧めてるようだ。

演奏会なのか?僧侶のお勤め中なのか?

やっぱりモデルは飼い猫?でもモチーフは龍玉をパチッた凡夫に龍神様が取り返しに来た現場だね。

木鯉を叩いて寺院の僧侶達に時刻を知らせるの図。

悲しいことでもあったのか?それとも顔を洗ってるのか?

謎の生き物…。

謎の生き物2。たぶん貘だと思う。

印を結んで修行中。奥に子牛がっ。

てな事で、大量の画像をご覧いただきましてお疲れさまでした。
喜多院の五百羅漢さんは喜多院の書院・庫裡・客殿の観覧券を持ってると見ることが出来ます。半券を五百羅漢前にある売店の売り子さんに提示して下さい。最近はこちらの羅漢さんがガイドブックやチラシなどに紹介されて有名になってるんだって。旅の訪問地としては最適だと思う。
明日は忘れてたけど、喜多院には他にも建築物があるのね。それをいってみよう!

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喜多院の五百羅漢

2011年06月25日 04時17分15秒 | 歴史散歩
喜多院には五百羅漢がある。
天明2年(1782)から文政8年(1825)まで約50年をかけて造られたもの。全部で538体ある。モデルは近在の一般庶民かな?石工は何人かいたみたい。羅漢さんに石工の個性が反映されてますね。
ってなことで、538体もある石像から、私の独断と偏見。更に好みも反影させて、羅漢さん画像を二日に渡ってお届けします!ええ。ご想像通り、私って結構石像好き。
ではスタート!

相談事は詰め将棋の次の一手か!?



先生のようだ…。

釈迦如来、脇侍の文殊の両普賢菩薩だと思う。

菩薩をアップで撮影してみる。

今年は兎年ですから。

ひょうたんの用途は?

獅子と龍のモデルはご隠居の飼い猫かもね?

明日も羅漢さん
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喜多院の紅葉山庭園

2011年06月24日 04時34分09秒 | 歴史散歩
家光誕生の間は元々江戸城の紅葉山にあった別殿を、喜多院に移築したものです。
喜多院には紅葉山庭園という名前の庭園があるのね。ということは…。江戸城から庭園は持ってこれなかっただろうから、同じ感じに再現したのでしょうか?これは私の想像です。
訪れたのは5月14日なので、紅葉が盛沢山の庭かもしれませんが、今見えるのは新緑。

画像は庫裡・客殿・書院と喜多院の本殿の慈恵堂を結ぶ回廊です。
回廊はこんな感じ。
こちらから紅葉山庭園が見えます。そこに3つの大岩があります。

3つの岩には名前がありまして、徳川・豊臣・織田と言うのですって!どれがどれだかは謎なのですが…。
いつ頃誰がこじつけたんですかね?

慈恵堂も撮影禁止。

こちらの本堂の天井にも絵が。でも絵柄は家紋です。意図が気になるなあ…。
でも豪華で金ぴかの天蓋の真下に座ってお参りが出来る機会はなかなかありませんので、400円支払って観覧した方は、ぜひ慈恵堂も忘れずに立寄って下さい。ちなみに、庫裡で観覧券を手に入れないと、慈恵堂の建物内に入れません。

回廊から慈恵堂(本堂)を撮影しました。
私、うっかり撮影しそびれてしまったのですが、上の画像から90度首を左に振った所に、天海僧正お手植えの槙があったんですよ。後で気づいた…。
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徳川家光が産まれた場所

2011年06月23日 04時47分02秒 | 歴史散歩
仙波東照宮に隣接して喜多院がある。
そこになぜか<江ゆかりの地>の旗が翻っていた。
なぜに…??
江とは今年のNHK大河ドラマの女主人公です。彼女は浅井長政と織田信長の妹のお市の方との間に産まれた娘であり、豊臣秀吉の側室茶々、淀君の妹です。そして政略結婚の末徳川第二代将軍の徳川秀忠に嫁ぎ、三代将軍となる徳川家光の母となるのです。
まずは観光客が少ないうちに喜多院の庫裡で観覧料400円を支払い客殿と書院の観光開始。

建物内は撮影禁止だそうで。…無念です。なので、肝心のものは写せなかったので、トップ画像は観光ガイドマップからの転写です。上の画像の見取図の中央上部を注目して下さい。
こちらで江は徳川家光を出産しました。
って、何で江戸城で産まれたハズの家光の誕生の間が喜多院にあるかと言いますと、喜多院の歴史を知らねばなりません。
『慶長4(1599)年、喜多院の第27世住職となった天海は、徳川家康に深い学識が認められ、以後、秀忠・家光と三代の将軍に仕えました。
慶長17(1612)年ごろ、家康は天海に喜多院の再興を命じ、数多くの堂塔伽藍が建造されました。そして、喜多院は東の比叡山である「東叡山」の山号に改められました。
寛永15(1638)年、1月28日におこった大火により、山門を残して他はすべて焼失してしまいました。そこで、同年、江戸城紅葉山にあった別殿を移築して再建されたのが、現在でも喜多院に残る客院、書院、庫裡です。』ですって!!
へえ~へえ~へえ~へえ~~っ!!
建物を丸ごと移築したのですね。だから川越の喜多院に家光が産まれた場所が残っているのですね。
撮影は禁じられていて、家光誕生の間に入ることも出来ませんが、手前の畳の間に正座して誕生の間を見上げますと、格子天井に狩野派の植物画が見えます。家光公誕生の間は12畳半。上段の間をなし、床と違い棚が設けられ、襖と張り壁は金地に墨絵の山水が描かれています。なかなかに歴史の現場で楽しいです。

見取図の建物左上角に上向きの矢印を書き込みました。それが上の画像。庭もなかなか楽しい。そしてコレ。

画像奥にある立て札が見えますか?そこには『しだれ桜 家光公お手植え』と書かれています。
家光公お手植え…。三代将軍様もこちらを訪問したことがあるってことなのね。さすが、天海僧正が住職となったお寺です。
家光公と言えば、天皇在位20周年の記念行事で東御苑で開催された盆栽展で、家光公が名付けた五葉松を拝見したことがあるのですが、
東御苑の盆栽特別展(2009年12月20日)の記事家光が愛でてた盆栽「三代将軍」の画像を掲載してあります。
植物って長生きなのですね。としみじみ葉桜となったしだれ桜を鑑賞しました。
さて、家光といえば、対のように語られるおふくさん。いや、春日局。彼女の生活していた部屋も喜多院には残っているのですよ。見取図の右手奥がそれです。こちらも撮影禁止。しかもガイドブックに画像がないので残念ながらお見せ出来ません。
家光誕生の間からごく近い場所に彼女の部屋があったのがわかり少し感動しました。
春日の局の間から庭が見えます。

小堀遠州テイストのお庭です。本人が造ったものかどうかは確認してませんが。
中庭もあります。中庭越しに、客殿、つまり家光誕生の間がある建物の屋根を撮影しました。

瓦葺きじゃないんですね。
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仙波東照宮の狛犬

2011年06月22日 04時36分26秒 | 犬&狛犬シリーズ
仙波東照宮到着です。こちらは重要文化財&建造物です。
立て看板には『徳川家康をまつる東照宮は、家康の没後その遺骨を久能山から日光に移葬した元和3年(1617)3月、喜多院に4日間逗留して供養したので、天海僧正が寛永10年(1633)1月この地に創建した。その後寛永15年(1638)正月の川越大火で延焼したが、堀田加賀守正盛を造営奉行とし、同年6月起工、同17年完成した。当初から独立した社格をもたず、喜多院の一角に造営されたもので、日光・久能山とともに三大東照宮といわれている。社の規模は表門(隋神門)・鳥居・拝幣殿・中門(平唐門)・瑞垣・本殿からなっている。本殿の前には歴代城主奉献の石灯籠がある。なお拝殿には岩佐又兵衛勝以筆の三十六歌仙額と幣殿には岩槻城主阿部対馬守重次が奉納した12聡の鷹絵額がある』とありました。

由来も歴史も一級です。が。なぜに今日の記事のカテゴリーが<犬&狛犬シリーズ>なのかと言うと、こちらの狛犬が珍しかったからです。
トップ画像をよ~く見て下さい。
わかりませんか?ならばこれ。

更にアップ!ど~んっ!!

ね。狛犬が地面にじか置きなんですよ。
なぜに~…。コレって有りなんですかね?こちら久能山と日光とこの仙波東照宮の三大東照宮の1つなんですよ。
東照宮…。ってアレ???
久能山にも日光にも行ったことないけど、東照宮って他にもあるよね?
上野にも東照宮。上野東照宮の参道(2009年4月6日)の記事この記事を読んでたら、東照宮がかつて全国に500寺もあったことがわかりました。
府中の大国魂神社にも東照宮って。大国魂神社(2011年4月19日)の記事大国魂神社の境内配置図を掲載してます。
なぜじゃろか??
や。話がソレた。
仙波東照宮さんは、毎週日曜・祝日の午前10時から午後4時に観覧出来るんですが、なぜにか私が訪問した時には入口が閉まってました。時刻は9時58分…って!!もしやっ!あと2分待てば、中に入れたんか?そうなんか~~っ!?
今、記事を書いてて気づいた…。アホだ。私…。…ダンナには内緒で。知らない方が幸せだもの…。

東照宮の手前には鳥居がありました。この手前に隋身門がありますが、門の両側に普通は隋身の像が安置してあるものなんですが、こちらの門は隋身は不在でした。…三大東照宮なのに、大事にされてないなあ…。それともどっかの博物館に納まってるのか?
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1200年の歴史ある中院

2011年06月21日 04時56分03秒 | 神社・仏閣
川越巡回バスを「中院」の停留所で降りて到着したのは中院さん。9時42分。
こちらは約1200年前、比叡山で最澄の教えを受けた慈覚大師円仁が開基のお寺です。
日本史で習う最澄。あれって比叡山にいた人でしたっけ?んでもって天台宗ですよね。でもなぜか目の前には日蓮さん…。なんでや?
あ。トップページの画像は中院の入口。そこに天台宗と日蓮宗とかかれた石柱がそれぞれにあるのです。
『日蓮さんは、比叡山で10年余り勉強してました。で1253年に太陽を拝し「南無妙法蓮華経」と題目を唱え、日蓮と名前を改め日蓮宗を開宗しました。』ってお寺のホームページに書いてありました。日蓮さんはこの中院にも訪れてるのですね。
時代がぐっと下って昭和51年、天台宗務庁より「天台宗別格本山特別寺」の称号をもらってます。
こちらはしだれ桜の見所なのですが、訪れたのは5月14日。既に葉桜になってます。
境内に何かの花が散ってました。なかなかの風情。
でもそもそもこちらにお邪魔したのは、歴史蘊蓄ではなく、バスの運転手さんおすすめの『つつじのトンネルの下を歩く』です。
つつじ~!!どこ~~!!
…ない。
つーか、残骸を発見した…。
つつじの季節は終ってたのです。
コラ~~っ!!観光ガイドっ!!情報が古いぞ~~っ!!
気を取り直し、境内を散策。

最初に発見したのは、歴代住職のお墓です。
鎌倉のお寺はよく訪問してるのですが、墓石の形が全然違うのね。へえ~。
由比ケ浜から若宮大路(2010年4月15日)の記事有名人のお墓の画像ではありませんが、鎌倉のお墓の基本形の解説があります。

つつじのトンネルの残骸を抜けると、鐘付き堂がありました。
なんかここ雰囲気あるなあ。時代劇とか江戸時代を舞台にした漫画に出てきそう~。

鐘つき堂の真下から鐘を見上げる。
あんな所に千社札がっ!!どうやって貼ったのだろうか??

ひと驚きして中院さんを後に。観光地図片手に北上します。
と。多聞院の南院跡がありました。
住宅地にこれだけがあるのだ!なんか不思議…。でも歴史の街、川越なら有りなのか!?
調べてみた。
南院は明治の初めの神仏分離令による廃仏毀釈運動で廃院となってました。現存してるのは、かつての南院一角。そこに石碑と石仏が置いてあるんだって!
なんか、夢の跡といった雰囲気でうら寂しい。
さて、次は…。近いゾっ!!
行け行け、go!go!!
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川越散歩開始

2011年06月20日 04時47分36秒 | ぶらぶら散歩
ゴールデンウィーク!みなさん、どこへ行かれましたか?
私はイベントへ出かけた以外、どっこへも行けなかったのね。原因はぎっくり腰!あ~あってな感じ。
んで、ぎっくり腰が治るのを待って、5月14日におでかけしました!
YAHOO!の路線で検索。ルートは小田急線で新宿。そこから西武新宿線で川越行き。

このフリープーポンを利用しました。でもなあ…。首都圏の鉄道は、節電対策で時刻表通りに運行してるかどうか…。なので、前日にダンナに「明日、うちを6時45分に出発するから」と宣言しました。
んで、川越に到着したのは、9時12分。予定通り!
実は川越は前から興味ある観光地でした!でも、私が一番訪問したかった、川越城本丸御殿の改修工事が始まってしまい終るのを待つことにしました。
そして本丸御殿の公開が再開したのは今年の3月下旬でした。なので!ゴールデンウィークに行くつもりで調べてたんですよ。

さてこちらの観光順路。実は毎年、小田急電鉄の駅においてあるちらしです。今年はお祭りが中止になったので実施されなかった。なのでこのちらしは去年のもの。川越訪問は始めてなので、この地図にそって回るつもりです。
まずは駅近くの小江戸蔵里さん。 
こちらは120年余りにわたって酒造を行っていた酒蔵を活用した土産物屋さんなのです。でも帰路には大概疲れ切ってて、絶対パスするだろうから、先に訪問することにした。すると、
お店の前にある「山車」の倉庫が点検中なのですが、開かれてたのです。ラッキー。うちの田舎の祭りの山車と、形が全く違います。…アレに似てるような…。
以前、飛騨高山で見た山車に似てます。違うかな?
さて、小江戸蔵里さんの近くのバス停へ。
え?なんで??って思いました?
実は購入した小江戸川越フリークーポンには、『小江戸巡回バス』乗り放題もくっついていたのです。
これね。
どうせなら、1回位利用してみた~い!!
ということで、小江戸蔵里発9時36分のバスを待ちます。

やって来たのは、小型の観光バスでした。私は車内の最後尾に座って撮影してるので、小ささがわかるかな?
んでもって、最初のバス停は『中院』
車内観光アナウンスが「こちらにはつつじのトンネルをくぐることが出来ます」だって!
…乗ったばっかりだけど、降りる?
ダンナに問うと、「うん!」だって。
観光が本格的にスタートします。

『へうげもの』って知ってます?
NHKのBSプレミアムで深夜に放送されてる戦国アニメなのですが、これ面白いですよ。人間のエゴや本音が出まくりなのに面白いんだなあ。
おっさんしか出てきませんが…。深夜アニメにつきもののお色気は一切ありませんが。
お話は現在、上様つまり織田信長が明智光秀に本能寺で討たれ、明智と秀吉のどっちにつくか右往左往中です。
主人公が古田織部。戦国の数寄者。つーか、作陶家?だから毎回美術蘊蓄がつきます。蘊蓄を語るのが「なんでも鑑定団」の中島さんなのもノリがいい。今シーズンで1押しのアニメ。お薦めです。
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ダノンヨーグルト

2011年06月19日 04時14分11秒 | 雑記
3月のはじめ、ダノンヨーグルトで「100タイトルから選んで応募!親子で楽しむDVDプレゼント」キャンペーンに応募しました。ダノンヨーグルトの蓋の裏にあたりが出れば、あたり券2枚を集めて応募するというルール。
確か…。3月10日だったか??その近辺にキャンペーンはがきを投函してたのです。
目当てはもちろん「シャーロック・ホームズ」のDVDです。これ、1点狙いっ!!
が。キャンペーンはがき投函直後にあの東北関東大震災が発生したのでした。
んで、スーパーの売り場からは私の大好きなダノンが消えてしまいました。
ダノン知ってる?これね。
ダノンヨーグルトって、ヨーロッパを旅すると大概の国で見かけるんですよ。そう言えば…。エジプトやモロッコでもダノンヨーグルトを見かけた気がする。ただし、日本で見かけるダノンヨーグルトと比べると、サイズは倍サイズ。でかかったような~。
だからって訳じゃないけど、ダノンヨーグルトが好きです。見かけたら冷蔵庫にストックイン。ですが…。震災後、私の愛する青いダノンがっ!!スーパーから消えてしまった~。なんでや…。
おそらく、ヨーグルトは原料の牛乳から完成させるまで時間が必要なのね。んで、それは節電出来るもんじゃないんじゃないかな~。ダノンビオの緑のカップはあるのですが、私の愛する青いダノンがない。はっきり言って、震災後、青いダノンを買ったことがない。…早く前のようにいつでもダノンの生活に戻りたい。
や。仕方ないから、ヨーグルトが食べたくなったら、別の会社のヨーグルトを購入してますけど。ダノンと味が違うんだよな。
あ。忘れてた。
すっかり、キャンペーンに応募してたのを忘れてたのですが、5月25日に佐川急便でDVDが到着しました。しかも、第一希望のシャーロック・ホームズのDVDが。
う、嬉しい~。
ありがとう!ダノンっ!!
つきましては、青いダノンを安定供給して下さい。がんばってね~。よろしくっ。


記事を書いてしばらく、スーパーにダノンヨーグルトが戻ってきた。
普段なら4パック168円は高いから買わないんだけど、久々のダノンなのでつい買ってしまった~。
そして6月10日に購入したKIDS使用のダノンです。

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図書カードがっ

2011年06月18日 05時01分49秒 | 雑記
図書カード使ってますか?私はヘビーユーザーかも。
600円の本を買う場合、税込み630円となって、1000円札で支払うと、おつりが硬貨で370円分戻って来るんです。この場合お釣りは全部硬貨なので、硬貨が6枚も増える訳だ。それって、重いよね。嫌だよね。ってな理由で図書カードを使用し始めたのですが、これ案外便利です。
本代をいくら使ってるか?あんまり意識したことなかったのですが、今年から本代は1ヶ月3000円までって決めてみた。これを管理するのに図書カードは便利なんだよ~。一月に3000円の図書カードを1枚利用すれば、本代の管理も残金も一目瞭然!!
便利だ…。と。5月までやって来ました所…。先日、いつものように購入した本を図書カードで支払おうとしましたら、エラーが発生しました!

な、なんでやねんっ!!
本屋さんから上の封筒をもらってきた。
本屋のおやじいわく「これに図書カードを入れておくって下さい。後日、残金分のカードを送られてきます」ですって。
あ~あ…。こんな所に落とし穴が…。
封筒は5月26日に投函。さ~て、図書カードが送られてくるのはいつの日か?
早いご帰還を待ってま~す…。しくしくしく。

リターン!!
図書カードは速達でやってきた!
6月1日の午後だった。間に週末を挟んだけど、思ったより早く戻ってきた。しかも私の好きなピーターラビット柄だったところが好ポイント
カードエラー悲しいからもう起ってほしくないけど、時間ロスがこのくらいなら許せるか…。
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これって鮒焼き?

2011年06月17日 04時29分47秒 | おいしい&スイーツ
根津神社のつつじ園を堪能し、上から見下ろした時いいアクセントを演出してくれた赤い鳥居。

人通りの途切れた合間を縫ってパチリ。でも画像の構図は最低。精進が必要です。
根津神社の本殿でお参りを…。と思ったら、ここでも行列の姿が。…パスさせて下さい。

境内ではちまきが禰宜さんの手で売られてました。
「ちまきたべたべ兄さんが~」って童謡の背比べの中に出てきますが、ちまきって食べた事あります?
四国って柏餅は売られてますが、ちまきってあんまりなかったような…。
大学時代に京都で下宿していた時に、大家の奥さんが手作りのちまきをいただいたことがあって、すんごく珍しくって美味しくいただいた記憶があります。でも形が…。
見れば、ここのちまきは食べるんじゃなくて、家の軒先に吊るすみたいです。
なぜに??言われが気になるなあ…。

下から唐門越しにつつじを見上げる。逆光なのが残念。
…そういや、以前にここで根津のたいやきをいただいたことが…。
「鯛焼き買って、また公園で食べない?」とお誘いしたならば。
「いいよ」と快諾もらったので、いそいそと根津のたいやき屋さんへ向かったのですが…。
『売切れ』との札が…。
マ、マジか…。まだ14時半を回った所なのに~
根津のたいやき屋さんの鯛焼きは本当に美味しくて、私の一押し鯛焼きなのですが、人気もある。だから売切れというのはあるんでした。
ああ。「新参者」の加賀さんの気持ちがよくわかる…。
でも私は諦めが悪いんだよ。
「この先にもう一軒、たいやき屋さんがあった気がする」友人に食べたいっ!と目で訴えて、ねだりまして先へ進む。
と、ありました!もうほとんど千駄木駅に近い場所でした。
「あんこ1個下さい~
「120円です」
ベンチ発見!
「こちらでいただいていいですか?」
「どうぞ~」
千駄木駅の近くの坂を上れば、公園がある。それはわかってる。でも坂を上るのもうしんどい~~。ってなことで、友人に「食べよう。鯛焼きは熱いうちが一番だよっ」と強引に誘っていただきました。
ふと冷静にたいやきをみつめる。
…なにやらいつも買ってるたいやきと形が違うような…?
ん?
これってもしや韓国の鮒焼きじゃないの??
韓国の鯛焼きは確か…。プンオパンとか言うんじゃなかったっけ??以前、うちの近所の韓国料理屋さんで、冬になったら3個100円で売ってたんだよね。アレに形が似てる。
こちらの鯛焼きはあんこに特徴がありました。
甘さ控えめで水分の多いコシアン。そして皮は焼きたてのパリパリ。よくある鯛焼きに比べて小さめです。でもおやつにはぴったりかも~。また皮にも特徴が。なんか、焼く時に引く油が多めかな?少し油っこく感じました。たまたまやもしれんが…。でも美味しいから問題なし!
なので今日のカテゴリーは「おいしい&スイーツ」です。

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愛子さまのお印のつつじ

2011年06月16日 04時07分34秒 | つつじ散歩
トップ画像は敬宮愛子内親王様のお印に作用されている五葉つつじ『白ヤシオ』です。
根津神社にはいろんな種類のつつじが植わってます。

珍しい黄色のつつじ。

こちらの赤は街路によく使用されてるタイプ。

白のつつじに所々赤が。これって、たんに見頃を過ぎてしまったのか?それともさつき風味な種類?どっちかなあ?

つつじの見頃は最盛期かな?でも思ったよりつつじ園は人が多くなかったよ。
これは入園料をケチッて外から見るだけにしてる人が多いのか?それともつつじ祭りが中止になったあおりで客が少ないのか?園内でつつじを見てまわる身としては、人が少ないのは嬉しいが…。なんだかなあ…。

つつじ園から丘の上に素敵な洋館が見える。
「弥生正緑館(文化庁登録有形文化財)
向かいに見える洋館は明治30年頃、輸入生地商いを営む初代当主渋谷正吉氏によって建てられたもので、当時大倉喜八郎、澁澤栄一等の実業家がしばしば訪れています。内部は一階が高い格天井を持つ30畳ほどの風格のある洋間、二階は床の間を設えた純和風の造りで、当時流行した和洋折衷の洋館です。
なお名称は平成10年文化財に登録された記念に、現当主渋谷じょう吉氏が初代の雅号に因んで命名したものです。ー館内非公開ー」
つつじ見物に訪れた人が洋館を見上げて尋ねる人が多いのか、説明する立て看板が設置してあります。
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