あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

相模原公園の早咲き桜の開花情報2017.2.28現在

2017年02月28日 18時17分57秒 | 相模原公園と麻溝公園
gooブログでは無料アクセス解析サービスが今日まで実施中です。最終日なので、私のブログのどんな記事が閲覧して下さってるのか?気になってチェックしました。
早咲き桜が満開の相模原公園2015.3.18の記事を閲覧して下さってる方が思いの外多くて驚きました。それってどんな記事だったっけ?と確認したら、記事では2015年3月17日の訪問でした。おかめ桜が満開で見るからに素敵な様子。ならば!!今年の展開が早い春なら今の相模原公園の桜をチェックして来ないとね!と、自転車飛ばして見て来ました。
相模原公園で現在見頃の花は他にもあったのですが、今日の記事は桜のみピックアップします。
私の見た感じで、本日午後の開花状況はおかめ桜は5分咲き・寒緋桜は見頃・河津桜はギリギリ見頃。もうすぐ散り始める感じ・玉縄桜は8分咲き・春めき桜はもうすぐ開花です。まずはそれぞれの桜を画像で咲き具合を確認下さい。
トップバッターはおかめ桜です。トップ画像もおかめ桜。



まさかの!!5分咲き!場所は中央駐車場。

駐車場の端へ移動していたら、メジロの群れが襲来!20〜30羽の群れは、メジロにしては大きな群れじゃなかろうか?
慌てて携帯電話を最大望遠にして撮影開始!



群れが南から北へおかめ桜の木を移動していく。ので追いかける。

デジカメを持参してないのを後悔〜〜。なんで携帯しか持ってないんだ私。全く逃げる気配のないメジロ達。そこへ大きめの鳥が襲来して、逃げながらも吸蜜を止めないメジロ達。願っても得られないシャッターチャンスなのに〜〜。もう脳裏に焼き付ける他あるまい…。
ん?何か飛んで来たわ〜。鳥じゃないわ〜。

2ローターのヘリコプターです。朝霞から座間キャンプへ来たやつかな?
ちなみに、ここまでの撮影画像は中央駐車場で撮影したものですが、他にもおかめ桜があります。

ここ。2015年3月18日の記事のトップ画像を撮影した場所です。ここのおかめ桜は3分咲きくらいかな?

あ〜、念のため相模原公園のマップも掲載しておきますね。何しろ相模原公園の面積は、約26ヘクタールもありますから。おまけに公園内に高低差もあるので、桜の咲いてる場所が分かってないと、せっかく公園に桜を見に行ったのに、桜がどこで咲いてるのか分からない!という残念な事態になりかねません。

つづきまして見頃の寒緋桜

ある場所はイベント広場に隣接する芝生広場です。イベント広場は円形で、外周が小高くなってます。寒緋桜はうつむき加減に花がつくので、下から見上げるように撮影したいもの。

地形のお陰で見上げる構図が簡単に撮影出来てありがたい。

確か3本植わってました。

見頃です。
続きましてはギリギリ見頃の河津桜です。

場所はユリノキゲート近くの遊具広場です。

確か6本の河津桜がありました。

一番大きな河津桜の木の咲き具合はこんな感じ。
最後は8分咲きの玉縄桜

場所はイベント広場に隣接する芝生広場。

相模原公園滞在時間は、2017年2月28日午後13時54分に到着して、午後15時7分に出発しました。玉縄桜の撮影は15時前です。到着時、数本咲いてる玉縄桜の西側の樹は、隣接する常緑樹の影になってました。この撮影ポイントは午前中の撮影の方がおススメですね。

という訳で、この記事は早咲き桜の開花状況の特化して紹介したので、相模原公園のおススメの花のチェックポイントは明日、別だて記事で紹介します。画像も厳選出来てないし〜。特にメジロの群れの画像は撮影枚数が多過ぎて、画像の読み込みも今日のは適当ですし…。
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座間市の桜散歩道

2017年02月27日 08時36分46秒 | 相模原・座間・大和市
昨日は月末必着のカラー原稿があって、湯河原梅林を諦めて家で作業しました。お昼前に無事に出来上がり、原稿を投函した後せっかくなので座間市の桜百花の道を自転車でぶらり。
桜百華の道は、1.6キロ続く散歩道です。64品種。220本の桜です。桜百華なので、小径には早咲き・4月上旬・4月下旬・遅咲きと一月位長く桜が楽しめるようになっています。
松田山のハーブガーデンの河津桜が咲いたということは、ここの早咲きの桜も咲いてるかも〜?と期待しての訪問です。
自転車でそぞろ歩きながら咲いてる桜を撮影しました。









今、見頃の桜です。トップ画像と上の画像は椿寒桜という品種です。
説明板発見:椿寒桜
「花は中輪、一重咲きで淡紅色。開花期は3月中旬。愛媛県松山市(伊予豆比古命神社)に原木があり、支那実桜と寒桜、もしくは寒緋桜の雑種と考えあれています」
桜百華の道の終点あたりが早咲きの桜が並んでます。椿寒桜も数本植えられていました。
早咲きの桜として知られる河津桜は見頃を過ぎて、葉桜に近い状況でした。
桜の名前が名札のように掲げてあって、桜の由来の立札も出てます。
覚えてる限りは、修善寺寒桜・大漁桜・大寒桜・寒緋桜・椿寒桜などが咲いてました。
こちらは以前訪問した時の記事です。
座間・桜百華の道に変身しました(2015年3月9日)の記事
この小径は座間市から相模原市南区に続いていて、地元民の散歩道になっています。数年前までソメイヨシノの古木が連なって、毎年のように桜まつりが開催されていました。しかし関東のソメイヨシノの名所と同じ問題が起きて、古木は倒木の恐れが出て伐採され、跡に桜百華の道として再生されました。小径の幅が狭いので、桜を育てる環境としては難しいかも?でも今は若木ばかりなのでそぞろ歩くにはいい感じです。おススメです。ちなみに、桜百花の道の終点の50号線の先に、数年後に大きなイオンモールが出来るとか。なら最寄駅小田急相模原駅から桜百華の道をそぞろ歩いてイオンモールまで散歩!というコースもいいかもね。楽しみ〜。

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百草八幡神社

2017年02月26日 05時55分20秒 | 神社・仏閣
京王百草園から直接八幡宮の境内に抜ける細道がありました。

百草園利用者は門を出ても入園券提示で再入園可能です。
まず目に飛び込んで来た大木に吸い寄せられて見物に。

説明板発見:百草のシイノキ群 市指定天然記念物 昭和36年(1961)10月1日指定
「百草のシイノキ群は、百草園裏山から百草八幡神社境内や百草観音堂にかけて群生している。幹の周囲1メートル以上のものが約60株繁茂し、シラカシやアラカシももじって、多摩丘陵中他に類をみない常緑樹林を形成している。特に百草八幡神社には樹齢300年から400年と推定される巨木も含め成木が数十株茂って、遠くから目に付くまとまった林相を呈している。これらのシイノキはすべてスダジイで、実は食べることが出来る。」平成27年3月31日 日野市教育委員会
上の画像は八幡様の境内にあって注連縄が巻いてあるからたぶんご神木だと思うけども、あっち見てもこっち見ても立派な木が一杯です。

結構あちこちで巨木を鑑賞しては感動してますが、八幡様周辺の巨木は自然のままって感じで素敵です。もっとも、画像に写ってない所で最近伐採されたと思われる木が輪切りにして積み上げてあるのはいかがなものか?と思うけどな。この八幡様のご神体って何じゃろか?樹がご神体だったらバチ当たる気配がするもの。

百草園と八幡様を繋ぐ道に大きなパネルが置いてあり、そこに百草八幡神社の説明板を発見:
「百草八幡神社の社殿は東に向けて建てられており、ここから関戸・府中方面が遠くまで見渡せます。神仏習合の時代には八幡宮と呼ばれていました。八幡宮がいつからあったのかは定かではありませんが、伝承によると康平年5年81062)に源頼義が奥州下向の際に戦勝祈願をし、帰途に再度立ち寄ってお礼に八幡宮を再建。源家代々の守り本尊である千手観音像を奉納し、その息子源頼家もまた八幡大菩薩、津戸明神、武内大臣、神宮随身、王仁像を奉納したと伝えられています。
隣地の京王百草園内には平安時代の末から鎌倉時代にかけて真慈悲寺が、江戸時代には桝井山松連寺と慈岳山松連寺という二つの寺院がありました。八幡神社はこうした寺院と一体となって長く崇敬を集めてきました(神仏習合)。

神社境内にある宝形の朱色の建物には、国指定重要文化財である「阿弥陀如来坐像」が安置されています。(建長2年1250)、この像は元来真慈悲寺に奉納されたものですが、江戸時代には松連寺に、明治以降は八幡神社に伝えられ、現在では神社の本地仏として大切に守り伝えられています。毎年9月の祭礼で一般公開されています。
神社境内には2つの大きな石碑があります。どちらも慈岳山松連寺の8代住職によって建立されました。平場にある「松連禅師之碑」には松連寺の由来や魯庵の事について書かれてあります。神社裏の山上に建てられた碑は、大きな自然石を用いたもので、そこからの眺めの良さをうたっています。江戸時代には江戸市中から大勢の文人墨客がこの地を訪れ、多くの紀行文を遺しています。」

おそらく上の画像右下の朱色の建物の中に阿弥陀如来坐像が安置してある模様です。
八幡神社なのに仏像。幕末維新の混乱っぷりの名残りですかね?

本殿の正面に鳥居があって、鳥居込みで撮影したかったけれど、鳥居の向こうは急な石段となってて画面構成を諦めた。


追記:2017.3.2に毎月飲んでるお薬をいただきに受診。薬局で薬剤師さんに3/2の血液検査の結果を見せる。2月のお散歩ウォーキングしまくった結果、数値は改善。おまけに1か月前に比べ体重が1キロ減ってました!いや〜、ウォーキングってダイエットになるんですね。
それはともかく、雑談の中で「百草園の坂上りで吐きそうになったよ」と訴えた所、「もしかしたら低血糖状態だったのかも?」血糖が下がり過ぎたら吐き気が出る場合があるんですよ」「その時はどうすればいいの?」と尋ねたら「飴を嘗めて下さい」と教えていただく。
そうか〜、低血糖になったら飴を嘗めろというのは知ってたけれど、低血糖になった時の自覚状況というのは知らなかった!次に吐き気を感じたら飴を嘗めてみようと思う。そういえば、この日の散歩では飴を嘗めなかったわ〜。ぬかったわ〜。もちろん飴はすぐ取り出せる場所に用意してあったから尚更悔しいわ〜。
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京王百草園でつるし雛まつり

2017年02月25日 06時16分43秒 | 展覧会&観光施設&能楽
京王百草園の茅葺き屋根の古民家・松連庵(しょうれんあん)では2/18-3/5(10:00-16:00)の日程でつるし雛まつりが開催されています。この時期梅散歩をしていると、あちこちでつるし雛を見かけますが、田舎の香川にいた頃にはつるし雛を見た事ありませんでした。案外特定の地域のみに存在する雛かざりのようです。

説明板がありました。撮影もしたのですが、文章を書こうとしたら画像に写り込んだ外光が反射して読み取り出来ない箇所が複数。なので、つるし雛がある地方の記載個所のみ抜き書きします。
●静岡県・伊豆稲取の「雛のつるし飾り」
110個あまりある人形の形にしたつるし雛飾りには、それぞれいわれや言い伝えがあり、いずれも子どもの成長を願う深い愛情がうかがえます。この文化は今も独自の和裁細工として受け継がれています。
例)這い子人形・巾着・草履・三番雙(さんばそう)・唐辛子・ねずみ・羽子板・亀・だるまなど
●福岡県・柳川「さげもん」
竹の輪に赤い布を巻き7個7列、中央に柳川まりを2個、合計51個下がるのが基本です。
●山形県・酒田「傘福」
傘の先に幕をめぐらし飾りをつるすのが特徴です。傘の色、大小、坂の段飾り等、工夫が随所にあり、大変見応えのある傘飾りです。
吊るし飾りの謂れ解説




踏まえて画像増量で紹介します。

























松連庵の屋内だけでなく、庭の生木に細工が飾り付けありました。

みのむし?

干し柿?
どこを切り取っても絵になる〜。つるし飾りってフォトジェニックです。
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京王百草園で観梅

2017年02月24日 05時21分12秒 | 梅散歩
2017.2.19、府中市郷土の森博物館の観梅を楽しんだ後、府中市のコミュニティバスちゅうバス(¥100)で最寄の芝間稲荷神社前バス停12:15発に乗車。京王中河原駅下車。京王線で百草園駅へ。
京王百草園のホームページには徒歩10分とあったのですが…。
激坂でしたっ!!幹線道路から細道に入った時坂道が見えた。
突き当たりまで上ったら、坂道は右折してもっと斜度がキツい坂道が続いてた。
坂道の奥に突き当たったら、もっともっと急坂が待っていた
〜〜〜一端休憩。
「徒歩10分」って、どこのアスリートがたたき出した数字なのでしょうか?不動産屋の「徒歩10分」より信用出来ない!!
愚痴って息が整ったら激坂上り開始!
もうね。道の右側に手すりがついてる所からしてお察しです。道々、梅の写真パネルが並んでいて、諦めようとする来訪者の心を折らないように誘うのね。
青息吐息でなんとか【京王百草園入口】の看板が見つけた。

激坂が終わって正門入口に視線をやると、来訪者の心を折る石階段があった…。そんで入園料支払い所の奥に更なる石階段も見える…
もうね。吐きそう〜〜。辺りを見回すが吐ける場所がない。道路の向いに小さな公園はあるけどトイレはない。ダンナに「無理〜吐く〜」と訴えて公園のベンチでしばらく休憩をとる…。体感でいくと、富士山と菜の花のコラボを撮影した二宮町の吾妻山上りと同じ位辛かった!
今朝、吐き気防止のお薬を服用しての観梅散歩なのですが、即効力はあるけど持続力が足りてないのか?それとも激坂っぷりが薬の効力を超えたか?久々に謎の液体が大量にこみ上げて来て耐える。吐く場所がないから耐える。私は何と闘っているのか??空しい…。
そしてようやく闘いに勝利し(=吐き気が治まり)入園の行列へ向う。時刻を確認したら13時6分!うそ〜んまさかの府中市郷土の森博物館から移動に1時間もかかってるやないの〜〜
入園料300円。(ただし京王カードだと割引あり)更に京王タクシーで来園すると梅干しプレゼントあり。おおう和の庭園なのに商業的ね〜。
石段を上る。石段の左右に見頃の梅が植わってるけども、とても観る余裕がない。石段が〜急なんだ〜。ちなみに石段が苦手な人用に大きく迂回する上り坂もあります。
園内で一番の見所松連庵前の広場に出た。

素敵〜眺め最高〜
ちょっと待て!!
さっきまで私はあそこにいたんだよね?
ああ…激坂〜崩れ落ちそう〜。
気を取り直し散策再開。

松連庵の広場には屋台が出てました。かつては松連庵にそば処がありましたが、既に閉店し来園者は屋台を利用してね?というスタイルのようです。

松連庵の前に立派な梅の古木がありました。
説明板発見:寿昌梅
「小田原上書大久保候室寿昌院慈岳元長尼が徳川家康長男・岡崎三郎信康追討のため植樹したと伝えられています」
な・なんだってぇ〜〜!!まさかの岡崎信康くんのお名前をここで目にするとは!!いや、追悼ならば、後の時代の植樹の可能性もある訳ですが、仮に信康君追善供養なんかだと死後1年後くらいです。んで、歴史をひもとくと、岡崎信康くんは天正7年(1579)9月15日に、父家康に命じられ21歳の若さで切腹させられてます。確か、信康くんの奥さんがあの織田信長の娘で彼女と家康の妻(今川方)との折り合いが悪かった。ひいては夫の信康くんと妻の折り合いも悪くなったのが敗因。時節柄信長が最強権力の天正年間だからして、後の天下取りの家康を持ってしても長男を犠牲にして家を守らずを得なかったのです。信康くんが優秀だっただけに家康も無念だったことかと。長男の名前が信長から1字。家康から1字。で「信康」だったから間違いなく総領息子だったのにねえ。
ちなみに岡崎信康くんのお墓は服部半蔵の屋敷跡の新宿区西念寺さんにあります。
ちなみにこちらの記事に岡崎信康くんのお墓の画像があります。
服部半蔵と西念寺)2012年4月19日)の記事 家康に仕えるべき若殿の切腹の介錯を命じられた半蔵は、若の首を落とす事が出来ず、自宅の麹町清水谷の庵に信康くんの遺髪を埋めます。後に江戸城の外濠の造成の隊に服部家の家も移転。現在の西念寺さんにあるのは墓というより半蔵が造った供養塔になるのかな?でも歴史ロマンですよね。そもそも服部半蔵の墓を見物したたら、背後に時代を帯びたお墓を見つけて見に行ったら岡崎信康くんのお墓を見つけて感動したのですよ。半蔵くんからしたら、生きて若に仕える事が出来なかったならば、死して後若の側に参ります?とか〜〜っ!と妄想しちゃいました。ええ。
あ。それた。寿昌梅だった!ってか、岡崎信康くんが死んだのが1579年だから、近い時期に植栽されたとしたら、樹齢400年超えにもなってるんですね。ってか、京王百草園ってそんなに古くからあるのか??
折よく説明板発見:百草園(もぐさえん)(松連寺跡) 日野市指定名勝・史跡
「百草園のある百草地区一帯には、平安時代末期から鎌倉時代にかけて、鎌倉幕府の御願寺であった真慈悲寺があったと推定されている。
その後この地には松連寺という寺院が建立だれた。この寺は江戸時代中期に、小田原藩主大久保加賀守忠増の夫人であった寿昌院慈岳元長尼が再興したことで知られている。江戸近郊の名所として「江戸名所図絵」などにも紹介され、大田南畝ら多くの文人墨客が訪れたが、明治になって廃寺となった。
明治20年(1887)に百草出身の貿易商青木角蔵が、庭園百草園として一般に公開し、北村透谷や若山牧水ら多くの著名人が訪れた。
現在は京王電鉄の所有となり、梅の名所として広く知られている」
あ。梅の樹齢を推定出来る一文発見。
江戸中期に生きた小田原藩主大久保忠増の生没年は、wikiによりますと明暦2年(1656)ー正徳3年(1713)です。小田原藩2代藩主。大久保家4代。寿昌院慈岳元長尼は、彼の正室で松平忠弘(陸奥大和藩→姫路藩→宇都宮藩→白川藩→山形藩藩主)の娘でした。
彼の治世、宝永4年(1707)に富士山が大噴火。小田原藩も大打撃を受けてます。その4年前の元禄の大地震の余波もあり小田原藩の財政は逼迫してます。そんな中、寿昌梅は植栽され、今私の目の前で花を咲かせていると思うと感慨深いです〜。歴史好きにはこの梅の萌えポイントは高いですねっ。
京王百草園の名所は寿昌梅の正面にある松連庵です。上の画像奥の茅葺き屋根の建物がそれ。訪れた時につるし雛まつり(2/18-3/5)が開催されていました。

つるし雛かざりはどれもかわいくて、たくさんの画像を撮影しましたので、明日別だて記事にして紹介します。お楽しみに〜。

松連寺さんと梅のコラボはフォトジェニックです。

残念ながら屋内で営業していたそば処が閉店した影響か、茅葺きの一部を最近吹き替えた模様。それはそれで味のある期間限定の屋根色ですが。風雅さは減じてます。

松連庵のそばに心字池がありまして、周囲に梅がありました。



松の雪吊りなんかもあって和の庭園を楽しめます。

さて、ここまでに園内にちらほらと文人達の歌碑が点在してましたので、いくつか紹介。
松尾芭蕉句碑
説明板発見:芭蕉碑「華見塚」の由来
「心字池を見下ろすように、山の斜面に「華見塚」の碑があります。
この碑の表には「しばらくは 花の上なる 月夜かな」の芭蕉の句が刻まれています。
高竹山隷の額、菫山素水の書、横溝豊の刻によるものです。裏面にはこの碑を建立した由来が刻まれています。それには、青木角蔵は、明治始めの廃仏毀釈で荒れ果てていた旧松連寺の跡地を、江戸時代に多くの文人墨客が訪れた風光明媚な姿に戻すべく整備しえ百草園と名付けたと刻まれています。この地にはもともと芭蕉の「月見塚」の句碑があったと言われていましたが、当時すでに無く、新たにこの碑を建てたとあります。この碑は、青木角蔵による百草園開園を顕彰して明治20年3月(1887)に三堀武蔵によって建てられました」
若山牧水生誕百周年記念碑
説明板発見:若山牧水生誕百周年建立歌碑
「百草園の歴史は府来る享保年間(1715年頃)松連寺の庭園として造られ、文化・文政の頃より歌会句会などでにぎわっておりました。
明治に入り代表的歌人の若山牧水(明治18年8月24日に宮崎県に生まれる)も早稲田大学在住中武蔵のの自然を愛し、度々百草園を訪れております。明治41年春、恋人の園田小枝子と共に百草園で楽しいひと時を過ごし「小鳥より さらに身かろく うつくしく かなしく春の 木の間ゆく君」
恋人に対する親しみと憧れの心を詠み翌年夏この歌を加えた歌集「独り歌える」を編集し歌人として名声を得ることになりました。ここに生誕百周年を迎えるにあたり歌人若山旅人(牧水の長男)選歌揮毫による歌碑を建立し記念するものであります。 昭和60年11月吉日」
若山牧水歌碑
説明板発見:百草園と若山牧水
「旅に生きた憂愁の歌人として有名な若山牧水は、まだ学生であった明治40年前後に、百草園の自然を愛して、しばしば訪れていました。
41年春には、小枝子という美しい名の恋人を連れて泊り、熱烈な恋の歌をよんでいます。
しかしこの恋は悲恋に終わり。1年後にふたたび百草園を訪れた牧水はひとり静かに思いにふけり歌集「独り歌へる」を作りました。そして、この時期に歌人として立つことを決心したのです。
この牧水と百草園の深いゆかりを伝えるために昭和46年秋に建設された歌碑は、牧水の長男和歌山旅人氏が設計しています」
心字池の奥に逍遥しながら石段と土段を上がると見晴らし台があり、園内を見下してみた。

んん〜??人々が遠くを眺めて指さしている。会話を拾ってみると「スカイツリー」とか言ってます。ん〜??

何か見えた気がする…。
あれだ。関東の人は更にいうと観光してると富士山とスカイツリーは探したくなるんだよね〜。ちなみに、画像右手奥には筑波山も見えるらしい。へえ〜へえ〜へえ〜。
お気づきかと思いますが、百草園に到着する前の激坂に加え、園内に入ってからもここまで上りっ放しです。〜〜〜疲れた〜。二度目は勘弁〜〜!!ヘタレな私は若山牧水にはなれない模様。時刻はぼちぼち14時。

園内左手の里山の影が随分伸びて来て、園内に影が落ちてしまい撮影すると梅の色も不明になってきたので撤収しよう。青空にシルエットの梅の樹というのもそれなりにフォトジェニックだけどね。
ってな事で松連庵まで降りて来ました。
ふと?左手の竹林の向こうに大きなパネルが並んでるのに気付く。何かしら〜?

出口…。
出口の先に百草八幡宮があるんだって!設置してある大きなパネルも含めて面白かったので、これも別だて記事にします。つるし雛まつりの記事の後に紹介します。
ちなみに、百草園の入場券があれば再入園可。ついでに拝観がおススメ。ここさ、百草園を出て改めて参拝しようとしたら、長い石段上りがあるんだよね〜。体力が平均より大分足りてない私は、正式な神社仏閣の参拝法にこだわってられません。
松連庵から正門に戻る時は緩やかな坂道の迂回路じゃなく、石段で。

せっかくなので撮影してみた。上りの時は辛過ぎて心に余裕なかったからね。
正門を出て京王百草園駅に戻る坂道も、降りる時は心に余裕があったので撮影してみた。
 
いかがです?激坂でしょう?取りあえず満足出来たのでこれにて撤収〜!たぶん再訪はナイ。激坂が辛過ぎる…。自分の体力が「不安な方は無理せずタクシーを使う事をおススメします。

例え百草園のホームページやパンフレットに「徒歩10分」と紹介していてもタクシー推奨です。百草園の坂を回避してくれるバスはありません。
参考までに、園内マップです。マップでは分かりにくいのですが、マップ下から上に向って上りになってます。あ。迂回路を使えば、園内の見所の松連庵までなら車椅子でも上がれるよ。まあ介助の人に押してもらうの絶対だけども。
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府中市郷土の森博物館の復元建物達

2017年02月23日 06時14分01秒 | レトロ建築
2017.2.19に府中市郷土の森博物館に観梅散歩に行きました。目的は1100本の見頃の梅!満喫して時刻は11時を過ぎた所。次は博物館の復元建物の見学開始!です。
最初は旧府中郵便取扱所です。

梅まつり開催(2/4-3/12)期間中の一環なのか、ひな飾りが展示してあります。
玄関入ったら説明板発見:矢島家と旧府中郵便取扱所
矢島氏は天正18年(1590)、府中に移り住んだといわれ、府中三町のひとつ馬場宿の形成に尽くしました。「この矢島家は屋号を信州屋といい宿内有数の旅籠(はたご)でした。当主は代々九兵衛と称し馬場宿の年寄役を世襲し、宿駅の運営にあたり、江戸時代を通じ宿内で大きな役割を果たしました。
明治になり、矢島九兵衛は同5年(1872)3月、府中で最初の郵便取扱役に任命され、矢島家は郵便取扱所にあてられました。府中最初の郵便局としての矢島家による廟務は、明治後期に神戸(ごうど)現宮西町の中島家に引き継がれるまで続きました。」

上の画像手前角の2つ開いてる窓が郵便を出す窓口の模様。本来は正面から撮影した画像を載せたい所なのですが、完全逆光になるので諦めた!
ちなみにこちらは以前訪問した時の記事
旧府中郵便取扱所(旧矢島家住宅)(2012年8月1日)の記事 こちらに建物の正面撮影画像があります。

続きましては、旧府中郵便取扱所に隣り会う旧府中町役場庁舎です。

説明板発見:旧府中町役場庁舎
「大正10年(1921)に完成した洋風の町役場の庁舎です。地方自治をうたう大正デモクラシーの風潮のなか、財政難にもかかわらず、町民の熱意によって3か年かけて建てられました。屋根の飾り天窓(ドーマー・ウインンドウ)、正面玄関の屋根の車寄せ意匠、背後に接続する和風の付属舎などが大きな特徴です。こうした洋風と和風が組み合わされた様式の建築は、当時の地方の庁舎には多く見られました。昭和29年(1954)の府中町・多摩村・西府村の合併による府中市誕生後も市役所・図書館・教育研究所などに使われてきましたが、昭和59年(1984)に解体、昭和61年に郷土の森博物館に復元されました。」
大事に使われて来た建物なのですね。これを保存した人の労力に尊敬しますね。いくつか画像を紹介します。

建物入口です。

建物内に説明パネルがあり、当時使われてた見取図などを撮影したのですが、光量不足でピンぼけ気味に。すみません。これしかない〜。

ガラパゴス携帯で技は使えない。本来ならば、窓の外の梅園で採光して、内部は強制発光で撮影するとよく分かるんですがね。役場の裏に続く宿直室の向いにあった台所ってか調理場。役場なのに大きな台所でびっくり〜。働く職員さんに食事も作ってたのかな?
2階に上がってみた。がら〜んとした空間に、説明板が数枚あるのみ。めぼしいものは〜??と探したら一つだけ窓が開けてあったのでそこから撮影。

旧町役場横の梅園がよく見えました!
ちなみにこちらはあじさいの季節に訪れた時の旧府中町役場の記事です。
旧府中町役場(2012年7月31日)の記事 役場横のアジサイが、レトロ建物を素敵に彩り綺麗です。
役場の東には旧島田家住宅があります。

うん。正面から撮影するとやっぱり逆光になってしまいますね。
説明板発見:旧島田家住宅(店蔵)
「明治21年(1888)感性の蔵造りの商家です。講習会度府中宿の新宿にある島田家は、寛政9年(1797)から金物、天保5年(1834)からは薬種問屋も営んできました。店舗の築造には明治19年から足掛け3年をかけています。1階が店舗、2階と屋根裏(3階部分)が倉庫になっています。屋根の下も含めてすべてが厚い土壁で覆われている置屋根構造をとり、厳重な防火建築であることが特徴です。近くで火事が発生すると、正面に土戸をはめ込み、隙間を土で塗込めることになっていました。昭和57年(1982)に解体されましたが、昭和60年から3年の計画で、伝統的な工法を再現しながら忠実に復元しました。」

本来は薬種問屋に相応しい2階へ続く階段が引き出し状になってる所とか見えるのですが、ちょうどひな飾りが名並ぶ華やかな店舗部分になってます。
ちなみにアジサイの季節だとこんな感じ。
旧島田家住宅(2012年8月5日)の記事 今回撮影に失敗した建物外観が分かります。この時は建物の周りをぐるりとしたので、側面の板塀の感じも分かります。
向いにあるのが一番大きな復元建物で、旧田中家住宅です。

こちらが正面で、これでも充分大きな家ですが、奥行きが凄いのよ〜。
説明板発見:旧田中家住宅(府中宿の大店)
「江戸時代中期から明治期にかけて、甲州街道府中宿の新宿にあった大店(代表的な大きな商家)の全体を復元したものです。
田中家は柏屋の屋号で呉服や酒類などを商い、百姓代や駅用掛を勤め、幕末には府中宿で最大の土地所有者でした。街道沿いの町屋特有の、間口が狭く奥行きが長い屋敷割りを持ち、表蔵を含む5棟の土蔵を備える風格ある建物になっています。府中近辺に明治天皇が来訪した際に、休憩所・宿所(行在所)として使われ、本瓦葺きの表門(御成門)、式台付の玄関、奥座敷(御座所)などが造られました。
平成元年(1989)、保存されていた奥座敷部分を中心に、屋敷全体が復元されました。」
上の画像左の白い建物が表蔵。真ん中に本瓦葺きの表門(御成門)。続きの左の建物は、現在休憩所兼喫茶店になってます。コーヒーやカレーとかあるのだよ。

表門をくぐり抜けお掃除してる方の後ろが式台付きの玄関です。

建物内には上がれません。あ!衝立が梅模様ですね。今の時期にぴったり〜。
ちなみに、式台付きの玄関の右手から撮影した画像がこちら。

これさ、宿場の本陣とか現存してる建物で手前から1の間・二の間・三の間って続いて最奥に大名の部屋とかあるでしょ?あれと同じ造りにしてる模様です。
だって最奥にあったのが御座所なんですもの。

土蔵にかつての大店の見取図があって撮影もしたのですが、ピンぼけが酷くて判別も出来ず…。

土蔵の一つ。あの桶は何に使っていたのか?酒屋もしてたそうなので、酒を入れてたか?味噌蔵もあったかも??

私的には立派な太い柱の天井に萌えてました!
奥に細い建物を進むと?

道側に土蔵が。上の画像の右手ですね。そして左側の竹塀の裏に明治天皇が府中で兎狩りを複数回楽しんでその旅に利用した御座所があります。身分高い方の姿をうかつに見ないように竹塀が目隠しになってます。調度見頃の白梅が、時代ロマンの雰囲気をかもし出して素敵でした。
ちなみにこちらは以前訪問した時の記事。
旧田中家住宅(府中宿の大店)(2012年7月30日)の記事今回より画像増量で楽しめます。

旧田中家住宅の裏手に茶室(梅欅庵)があります。

普段は生上菓子付きの呈茶(500円)でいただけるのですが、訪問した2月19日は野点茶会が催されていて閉まってました。風流な建物から見頃の紅梅を眺めるのもオツだと思うけどね。

画像奥に奥行きの長い旧田中家住宅が写ってますね。撮影の主眼は並ぶ梅の盆栽だったのですが。盆栽は名前を控えなかったのですが、故人がたんせいした梅の盆栽を寄贈を受け梅まつりに併せて展示してあるようです。
これさ〜、せっかくなんだから盆栽のプロかセミプロに手入れしてもらば〜?大分鑑賞に耐えない鉢が混じってるよ?募れば手を挙げてくれる趣味人か盆栽クラブあるんじゃないかな〜?盆栽って気が遠くなる程年月描けないとダメなんだよね。梅花は咲いてるけども枝ぶりが…。府中市頑張れ!

さてと、府中市のコミュニティーバスの時間を確認。30分に1本なのでまだ余裕がある!ならばと、博物館本館で開催中の多摩川冬鳥の陣(観覧無料)を見学。
画像はありませんが、多摩川や府中市郷土の森博物館で見られる冬鳥の剥製が展示してありました。
ちなみに「陣」の意味は鳥達を合戦に向う兵隊に見立ててあります。総大将はオオワシでした。
オオワシ??多摩川にいるのか??展示コーナーを最後まで見物してたらば、園内でカラスに追い立てられ墜落したオオワシの幼鳥の剥製【超稀少】があって、目がテンになったわ〜。ツッコミ所満載でしよ?だって総大将のオオワシの若大将がカラスに負けたって…。展示の切り口失敗してないか?
バスの出発時刻までの調整に本館前の職人芸を見物。

分かります〜?今どきのあめ細工はトトロやピカチュウやキティなのだ。
後はべっこう飴と針金細工の屋台が出てました。昔お祭にはつきもののセレクトですが、針金細工につけられた値段がやたら高かったのが印象的。

さてと?府中市のコミュニティバスの停留所に到着、時刻は12時8分だから15分発まであと少し。ついでなのでここでお昼ごはん〜。

バス停の側に芝間稲荷神社さんがあります。そこに道祖神を発見。

ちなみに、府中市郷土の森博物館の復元建物は現在上の画像のオレンジ部分、旧越智家住宅・旧河内家住宅・旧光岡家長屋門・旧府中尋常小学校が工事中につき観覧不可となっています。
ちなみに以前訪問した時の旧府中尋常小学校の様子がわかる記事がこちら。
府中市郷土の森博物館82012年7月29日)の記事 尋常小学校は2階建てで、内部も見学可能でした。素晴らしいのは教室に当時のままに子ども等の机が並んでて、当時の子ども達が使っていた教科書やお習字が展示されてること。特に戦争の時代を繁栄するお習字は一見の価値あり!工事が終わったら館内見学も再開していただきたい。

続いて旧越智家住宅(ハケ下の農家)の記事がこちら、
旧越智家住宅(ハケ下の農家)(2012年8月2日)の記事 旧越智家の所在する場所の前は、素敵なアジサイ道になっています。昔の農家の家屋とアジサイのコラボ画像も撮影出来ます。
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府中市郷土の森博物館で1100本の梅が見頃です

2017年02月22日 06時17分48秒 | 梅散歩
昨日に引き続き2017.2.19の観梅散歩を紹介します。最初に訪問したのが府中市郷土の森博物館。ここに1100本(早咲き1割・中咲き7割・遅咲き2割)の梅があるのですよ。2.19の開花状況は、早咲きが散り始め・中咲きが8割開花・遅咲きが3割開花という観梅には調度いいタイミングでした。
休憩の後、散策再開。こっからサクサク画像を貼付けて行きますよ!





抜ける様な青空に、一筋の飛行機雲がゆっくり動いています。分かります?成田からかな?どこに行く飛行機だろうか?しばらく航跡を辿って後散策再開。

梅でフォトジェニックはのは紅・白・桃と色は違えどしだれ梅だと思いますが、府中市郷土の森博物館にあるしだれ梅は遅咲きの種類が多いようで、咲き始めの樹が殆どでした。だから画面構成に失敗しちゃった〜。上の画像なら手前のしだれ桜に花のボリュームがあればもっと素敵になったのに〜〜。ちっ!同じ梅園に数回行く程熱心なカメラファンじゃない私。何しろ今回も2つ折りもガラパゴス携帯電話で撮影してますから。だからね。梅の写真でよくある梅花のアップ画像がないのよね。ガラパゴス携帯にマクロ機能がついてない〜。
さて、南の一番大きな梅園を後に。平右衛門広場の梅林に移動しました。

こちらの梅林は、梅の数を競うように植栽されてません。1本1本を大切に観梅するスタイル。

こちらは福岡の太宰府の梅。平成27年2月に、太宰府天満宮から府中市制施行60周年を記念して寄贈された梅の若木2本のうちの1本です。広場の周りに売店が出てて、梅まつりを盛り上げています。

これは〜。満月枝垂れ梅だったかな?やや、隣の実生枝垂れだったかもしれん。まだ枝垂れ梅は咲き始めといった感じがよくわかるかと?ピックアップしました。
さてと、観梅はこれぐらいにして、府中市郷土の森博物館の売りでもある復元建物を見物に行きましょう。

途中に見頃の梅が咲きそろう一画を発見。さすが園内に1100本の梅のある場所です!あちこちにいい感じの画面になる梅が点在してますね〜。

到着したのは旧三岡家長屋門です。
説明板発見:旧三岡家長屋門
江戸時代後期の1829年(文政12)の建築と考えられる農家の長屋門です。江戸時代に旧是政(これまさ)村(府中市是政)の名主を勤めていた三岡家の分家の門として建てられました、長い建物の中央に門が開く形式が長屋門ですが、両側の部屋は屋根の下も含めて全てが厚い土壁で覆われる置屋根構造の蔵造りとなっているのがこの長屋門の特徴です。こうした古いタイプのものは都内では他に現存していません。平成3年(1991)の解体調査で門柱上部のほぞから「文政12年丑正月吉日)の墨書が発見されました。翌年には郷土の森博物館に移築、トタン葺きの屋根が茅葺き屋根に戻されるなど当初の姿に復元されました。東京都指定文化財。
長屋門の前の紅梅。門の奥にふるさと体験館があり、訪問時は丸太を組み合わせて作る遊具や椅子の実演と販売をしていました。

ハケ上の道を東へ移動していると、ちょっと変わった梅がありました。上の画像の右手の背の低い白梅です。朝鮮ウメ(臥竜梅)というこの梅は、伊達政宗が挑戦から持ち帰り、こよなく愛した臥竜梅で、幹が地を這うように伸びる姿が竜を想像させます。(梅まつり散策マップ)より。

旧町役場横の梅園に戻ってきました。園路が交わる角に庚申塚がありました。

辻の向かい合わせに2つの庚申塔。上の画像では分かりにくいのですが、庚申塔の背後にあるのが旧町役場横の梅園です。

梅園では野点茶会が催されていました。少し遠目ですが、雰囲気ありますよね。

茶券は当日券で600円也。2/12 2/19 2/26 3/5の11:00~15:00の日程で野点開催中です。次の土日に訪問を考えてる方、参考にして下さい。

旧役場横梅園から府中市郷土の森博物館の復元建物が見えます。こっからは、別建ての記事で明日レトロ建物を紹介します。

こちら、府中市郷土の森博物館正門で配布されている梅まつりマップです。ピンクの場所が梅園です。正門が左下です。マップ上が南にある多摩川です。採光位置が気になる方は参考にして下さい。
ちなみに、以前あじさい散歩で2012年7月に訪問した時の記事がこちら
水車小屋(2012年8月3日)の記事 あじさいの季節もいいですね。梅の季節とは咲いてる場所が違うのね。

旧光岡家長屋門(2012年8月4日)の記事 南の梅園が、アジサイの季節だとこんな感じになります。
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府中市郷土の森博物館の梅2017.2.19現在

2017年02月21日 08時07分10秒 | 梅散歩
トップ画像は2017.2.19現在の府中市郷土の森博物館の開花状況です。
梅は種類によって「早咲き」「中咲き」「遅咲き」があり、長期開花を楽しむ事が出来ます。
園内の梅は約60種1100本です。
梅の種類の比率は、早咲き<約1割>・中咲き<約7割>・遅咲き<約2割>観梅目的には重要な情報ですね。訪れた時は早咲きが散り始め!・中咲きが8割開花・遅咲きが3割開花という観梅のベストタイミングでした。なにしろ郷土の森博物館の梅は7割が中咲き種。1100本の7割ならば、770本が8割開花してるのですよ!
見頃でしょ?これが見たいんだ!先週の小田原市曽我梅林は35000本!という大ボリュームの梅林だったけれど、あれは梅干し用の梅だから殆どが早咲きの十郎という白梅です。見て楽しむというよりは、主に曽我丘陵歴史散歩を楽しんだ!という感想です。既に見頃過ぎてたし…。イカンイカン今日は府中市郷土の森博物館で観梅!なのである!
ってな事でJR分倍河原駅に8時57分到着。
分倍河原の戦いの新田義貞公の像
が出迎えてくれました。像の向いがバス乗り場です。
だがしかし、人がいない!!あれ〜〜??府中市郷土の森博物館は9時開園なのですよ。てっきり公共交通機関利用客が行列してると思ったんだけども…。まさかの1番乗り!やや、バス停に9時5分発の郷土の森博物館正門行きの臨時バスが停まってるんだけど、そっちは使わない。なぜなら9時9分発の府中市のコミュニティーバス「ちゅうバス」なら100円で博物館近くの【南町2丁目】下車6分でいけるのです。そんな訳で、まさかの余裕で座って分倍河原駅を出発!

府中市郷土の森博物館に到着です。こちらもまさかの正門に人がいない。すぐに入園料200園を支払い入園。
私「いろんな復元建物があるけど、まずは人が少ないうちに梅園へ行きます!」(きっぱり)
正門の所で梅まつり散策マップをゲット!効率よく回ろうとまずは東の小さな梅園へ。

期待通り!既に見頃で美しい!土曜の空は今一雲が多かったので、青空の下で白梅を見上げたい!と1日待って日曜に訪れたのも正解だった!!
数枚撮影して一番ボリュームの南の梅園へ向う。

美しい〜〜。梅園には遊歩道が整備されてます。でも細い道もあります。そこは左右から見頃の梅が降って来るように咲き誇り、臨時のベンチも梅園のあちこちに配置してあってのんびり梅を眺めるのに持ってこい!

ほらね。咲き具合も申し分なしでしょ?張り切って観て廻りましょう〜!





梅園の南端の向こうはもう多摩川。その一番南端にロウバイの小径が整備してありますが、訪れた2月19日はロウバイの盛りは過ぎていました。多分今年は1月中が見頃だったんじゃないかな〜?ロウバイのいい香りはまだするんですが。
一番南まで来たので、梅園の外周路を散策していると、早咲きの梅なのでしょうか?まさかの散り初めでした。

分かります?路面に梅の花びらが散ってるのですが…。
早いわ〜。園内に一番多いのはおそらく白梅の白加賀だと思うけど、それが見頃なんだよね。梅は桜に比べ1ヶ月位楽しめるそうですが、暖かい日が続くとそうもいかないのかもしれませんねえ。







ベンチに誘われてちょっと休憩。

観梅客の少ない時間帯に梅園をじっくり見て回りたい所ですが、休憩挟まないと〜。毎朝服用してる降圧剤の影響で、午前中は無理出来ない身体になっちまったぜ〜。しょうがないね〜。
休憩のお供は私の実家で作ってるひなあられです。もうすぐ3月だからぴったりね〜。
(画像が増えたので明日に続きます)
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曽我の里史跡めぐり

2017年02月15日 13時21分56秒 | 小田原周辺
2.12の梅散歩の続きです。昼食を二宮尊徳遺髪塚で済ませお散歩再開。

道々石仏や道祖神が点在してる。上の画像は唯念行者の名号碑ほか石造物群
唯念(1789−1880)は相模・伊豆・駿河にかけて各地に念仏講を組織し、阿弥陀如来の名号を唱える事の功徳を説いて、多数の信者を指導しました。上の画像には唯念行者の特徴ある筆で、「南無阿弥陀仏」と大書し、このように阿弥陀如来の名号を彫るので、名号碑または念仏塔といいます。(ふるさと探訪『曽我の郷めぐり』より)
県道72号線を松田方面へ。
道々梅干し屋さんが点在してた。梅を使って作る商品が並んでいたので、小型瓶の梅酒を購入。これでお土産は大丈夫。

梅干屋さんのそばに東光院さんがあった。入口にいわれありそうな木札があったのでよって見た。
見所は石幢(せきとう)型六地蔵と徳本(とくほん)の名号碑なのですが、画像を撮りそびりました。上の画像の左手前に並ぶのが肝心の六地蔵なのですが。
石幢型六地蔵は、笠付き六角柱の各面に地蔵立像を浮き彫りにし、文化2年(1805)の銘があります。もとは大山道沿いに祀られていました。
また、山門を入って左手には木造の小祠があり、中に延命地蔵と呼ばれる石造地蔵菩薩立像が祀られています。(ふるさと探訪『曽我の郷めぐり』より)
県道72号線から曽我丘陵の細道へ。なんとなく緩い上り坂を上ってると、空き地に出た。

一見どうという事のない荒れ地ですが、脇にはこんなものが出てた。

太宰治『斜陽』ゆかりの地雄山荘跡。
雄山荘は、太宰治の小説『斜陽』の舞台となった所で、その中には、この建物の内部や周辺の環境が詳しくかかれています。太宰は当時、太田静子の住むこの家に滞在し、静子から自分との関係を書いた日記を借りて「斜陽」を完成させました。(ふるさと探訪『曽我の郷めぐり』より)
数年前火災で焼失。今は空っぽの荒れ地があるのみ。しかし雄山荘のあった場所から数メートルゆくと、富士山と遠く小田原まで見える見晴らしのいい場所でした。そこから更に少し進むと、城前寺さんがあります。

城前寺さんは曽我氏ゆかりの寺です。稲荷山祐信院城前寺と称し、浄土宗芝増上寺の末寺でありました。寺には曽我兄弟及び虎御前の木造の他、兄弟ゆかりといわれる品があります。

本堂裏手の曽我兄弟(左の二基)父母の祐信・満江(右の二基)の供養塔(五輪塔)は、昭和5年(1930)にこの地に新たに作られたものです。江戸時代以降、江戸歌舞伎を中心に曽我ものが隆盛をきわめるとともに、「曽我氏ゆかりの寺」として城前寺がクローズアップされ、以来曽我兄弟にまつわる事柄の多くが、この寺に結びつけられてきたようです。(ふるさと探訪『曽我の郷めぐり』より)
併せて説明板発見:城前寺(浄土宗稲荷山祐信院)
「曽我兄弟の菩提寺で兄弟の育った曽我城の大手前にあるのでこの名がある。
建久4年(1193)富士の裾野で兄弟が父の仇、工藤祐経を討った後、叔父の宇佐見禅師は、その遺骨を携えこの地に来て庵を結び、兄弟の菩提を弔ったのがこの寺の始まりと伝えられる。
なを、この討ち入りの時、兄弟は暗夜であったため傘を燃やして松明としたので、仇討ちの日に当たる5月28日には、この古寺にならい境内で傘を焼いて兄弟の霊を慰める傘焼きまつりが行われるが類例の少ない祭りであるので有名である。
境内には、十郎・五郎・父祐信・母満江戸御前の供養墓や十郎が大磯の虎御前をしのび腰を掛け、笛を鳴らした忍石、坪内逍遥筆で歌舞伎俳優連中寄付の兄弟の記念碑のほか各種るかりの品がある。
なを、4人の墓の建つ墳丘は、曽我城の土塁跡である。」
曽我の郷めぐりの途中には、別所梅林近くの法蓮寺さんで満江御前の墓を。曽我丘陵の高い所に父祐信の宝篋印塔があります。
城前寺さんの近くの道端で見つけたのは沓石でした。

胸の高さくらいの場所にあり、気付きにくいので注意。
曽我五郎時致(ときむね)が病が癒えた後、自分の力を試そうとして踏んだ時に出来た足跡と言われています。(ふるさと探訪『曽我の郷めぐり』より)
併せて説明板発見:五郎の沓石
「この石は、「五郎の沓石」と呼ばれ、あるとき曽我五郎(曽我物語で有名な曽我兄弟の弟)が足を患ったが、治癒した際、自分の体力が衰えてないかと心配になり、試しにこの石の上で踏ん張ったところ、石が足形に窪んでしまったといわれ、その足形が石の真ん中辺りに残っています。
この沓石には、以前は、足を病んだ人達が祈願して治ったお礼にm草履や草鞋などのお供え物が耐えなかったと言われています」
沓石のそばにはこんな道路標識がありました。あんまり見かけない標識だよね。

大光院さんは、諸法山実相寺と称し、文明18年(1486)の起立と伝えています。本尊は木彫り不動尊。堂前には明治32年(1899)の「神変大菩薩」に石塔があります。神変大菩薩とは役行者のことで、本来は山岳修験の系譜につらなる寺でしたが、明治初頭に天台宗園城寺派に変わりました。(ふるさと探訪『曽我のさとめぐり」より)
細い道を進んでると、青島みかん取扱い業者さんがあった!近所の八百屋でよくみる青島みかんってこの辺りの名産か〜。
徒歩数分。宗我神社さんに到着。

宗我神社は辺り六村の総鎮守です。江戸時代には小沢明神の名で尊崇され、明治に入って六ケ村それぞれの鎮守をこの社に合祀し、新たに宗我神社となりました。現在の社殿は関東大震災後に復興したものです。(ふるさと探訪『曽我の郷めぐり』より)

大鳥居の横の大木の寄生木を見上げる。実はこの下に尾崎一雄文学碑があったんだけど時計を見てて見そびった。
ボチボチ下曽我駅発の時刻が気になるんです。なにしろJR御殿場線は1時間に1本程度しか運行がない。今が12時58分だから1時13分はもう無理。14時8分発を目指そう!

宗我神社さんを過ぎたら急な下り坂が出現した。あれ?こんな所にこんな急坂があったっけ?実は私はこれで4回目の曽我の郷めぐりなのですが、今回は富士山見ながら散歩したくて逆回りなので、かつて歩いた道とはいえ所々忘れてます。でもまあ白梅畑を眺めつつだらだら歩くのは楽しいから問題なし!

曽我岸の地蔵尊
旧曽我岸村には古くから村持ちの地蔵堂(もと背後の公民館の位置)があり、その本尊は石地蔵であったことからが延宝元年(1673)の村鑑に記されています。
旧来の例祭は1月23日と8月23日、これに春秋の彼岸を加えて年4回の供養が催された。毎年二戸一組の「お地蔵さんの番」が村内の米を集め、紅白のにぎり飯と煮しめを用意し、午後には堂内で村人が念仏をあげたという。明治25年の回向帳には松田町神山、中村藤沢、古怒田、風祭等40ケ村あまりの記名があり、信者は足柄平野一帯に及んでいた。
村の中心にあった地蔵堂は、村のあらゆる行事の無体であり、集会場でもあった。戦時中は一時、横浜元町国民学校の疎開児童の宿舎にもなった。昭和44年(1969)4月、曽我岸公民館として建替えられ、旧地蔵堂の地蔵菩薩・閻魔王像ほか諸仏は館内に安置されています。(ふるさと探訪『曽我の郷めぐり』&説明板より)
おっしゃ!後は瑞雲寺さんと中河原梅林だけだ!…時間あまるかも?
ここから瑞雲寺さんはちと離れてるんだけども?午後に入り雲が出て来て、富士山に雲がかかってきてて不吉だ。中河原の梅林で白梅と青空と富士山の画像がゲット出来るかどうか微妙になってきた。

ぼやいてたら瑞雲寺さんが見えてきた。瑞雲寺さんには石仏がたくさんあるのでお好きな人は要チェックです。

龍球山瑞雲寺は曹洞宗の寺で、寺伝では明応元年(1492)の創立ということです。寺号は小田原北条氏家臣の本多豊前守信親(法名瑞雲院龍球宗洞)に由るので、この頃中興したものでしょう。山内には石造物が多くあります。(ふるさと探訪『曽我の郷めぐり』より)
境内では売店が出てます。本堂では展示があったような?

いや、梅林メインで散策したので見てない!

上の画像では分かりにくいのですが、画像中央にある石碑は曽我自修発祥の地です。明治時代、小学校の制度は全国的に普及したものの、それより上級の進学は不可能に近い状況でした。瑞雲寺21代和尚は、この不備を救うための寺の本堂でこの地域の成年を教導し、明治43年(1910)ここで校舎の建設に着工しました。自修学校と称し、落成は、大正2年(1913)2月でした。
一応歴史ポイントを抑えたら、楽しみにしてたしだれ梅チェック!!

見頃!いや〜〜、2012年の訪問では見頃過ぎてて残念だったので、今回こそ!と気合いいれて来てよかった〜〜。
説明板発見:瑞雲寺
曽我梅林の中にある寺として知られるこの寺は、龍珠山瑞雲寺と号し、曹洞宗で津久井の太井山功雲寺の末寺であり、相州黒岩城主本多豊前守が、日頃帰依していた功雲寺の5世仁忠継儀和尚を招請して、明応元年(1492)に建立した名刹である。
創建当初は、現在地より東方200メートルの丘上に建立されたと伝えるが、江戸時代の後期に現在地に移されたと言う。
寺には18世紀観源大器和尚の「へえずり石」や、縁結びと子宝を授かると伝える「洗心池とめん玉弁天」があり、また曽我兄弟が父の仇を討つために願文を納めて、「十人力」を授けられたという「力不動尊」が安置されている。
この不動尊は大山不動尊の前不動で、曽我剣沢の地にあったものを江戸時代後期に当寺家に移されたものである。
なお寺内入口左側の梅林は、21世住職によって開設された当時足柄平野唯一の私学「自修学校校舎」の跡地である。
同校は明治43年7月に開設され、大正15年8月、校舎拡張のため東方丘上に移転。のち湘北中学校、湘北高校、向上高校と校名を変更した。」
瑞雲寺さんから県道72号線へ向う。道を渡ると中河原梅林に到着です。
あれ??白梅が咲いてない!新松田からバスで来た時は、中河原梅林バス停のここで下車したんだよね。あの時あった祭り会場がなくなってる??あれ?

ここから富士山方向に少し下ってるから構図はバッチリなのですが、肝心の咲き具合が今一。いや、今二つ〜〜。

ここで撮影時間15分と見積もっていたのに、早々と撤収することに。もうね。こっから先は駅に戻るしかないので、県道72号線を国府津方面にとぼとぼと…。

んでもってここが最後の撮影ポイント!しばらく富士山のてっぺんの雲が取れないか?粘ったけど諦めた!撤収〜。ってな訳で、13時45分には下曽我駅に到着しちゃった!帰りの切符を券売機で〜〜〜〜〜っ!!!
券売機が100円玉を受け付けない!窓口にカーテンがかかってて、駅員さんがいない!マジで!!梅まつり開催中なんですけど〜!!
券売機の前でうろたえてたら、私の後ろに続々切符を求める乗客が並び出した!ピンチです。
辺りを見回して「55分から取扱い再開」という張り紙を発見しました!
さすが1時間に1本のJR御殿場線です。ダンナいわく「四国の田舎の昭和の頃の駅みたいだね」だって。あの頃はのんびりしてたよな〜。今じゃ田舎の最寄駅は味気ない無人駅になっちゃったけどさ。
13時55分、ようやく券売機の硬貨投入口に100円玉が通るようになりました!こういう仕掛けがあったのね。そして14時8分発下曽我駅発に無事乗車。ちなみに、下曽我駅〜国府津経由〜小田原行き片道200円。下曽我駅〜松田駅片道200円なので、1時間に1本のJR御殿場線ですが、上り下りどっちでも乗車出来ます。最悪下曽我駅から路線バスに乗るという手もあるんで、公共交通は不便だけど車で来て駐車場探すより気楽だと思いました。

ちなみに、こちらが自分土産の梅ジャムとダンナ土産の清酒で作った曽我梅林の梅を使った梅酒です。
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曽我梅林で一番おススメの撮影場所です

2017年02月14日 11時22分24秒 | 梅散歩
昨日に引き続き、2017.2.12の曽我梅林梅散歩を紹介します。
ダンナと無事に合流出来たので、まずは撮影タイムです。総合案内所(梅まつり本部)の東の紅白のしだれ桜を見に行こう!

どや!とダンナを連れてったら「いいね〜。曽我の里史跡と物語巡りでは梅がほとんど見えなかったんだよね〜」だってさ。
それは当たり前なんである。別所梅林は里山の中腹が日当りがいいから先に咲く。梅がたくさんある別所梅林は盆地みたいになってるから、見頃が幾分遅くなるのだ。まあ、早咲きの十郎はどっちにしても今年はほとんど過ぎてしまってるんだが。
何はともあれ、しだれ桜の撮影開始!




時刻は既に11時を周り、別所梅林の観梅客も増えて来ました。梅林は梅干しを採る梅畑なので、観梅客用に駐車場などはなく、農業道路が駐車場になります。梅まつり実行委員会の人があっちでもこっちでも交通整理してますが、そもそもは農業道路です。道の半分を駐車場にして、道路を一方通行に変え車を通しても車の数が多過ぎてそうそう進まない。あっちでもこっちでも車が立ち往生しちゃってるのです。どんなに使い勝手が悪くとも、公共のバスや鉄道の利用をおススメします。

これ、いい感じで撮影出来てますが、私背後では駐車場の空き待ちの自動車が連なってます。歩行者が歩くスペースはどこだ?みたいな状態。
さて、本日の記事のタイトル曽我梅林で一番おススメの撮影場所を紹介します。
県道72号線沿いにあるアイス工房の駐車場です。
上の画像では駐車場にゆとりがあるように見えますが、実は直前まで観光バスが画像奥左手に停まってました。バス観光の客がいる間はさすがに一番おススメの撮影場所は順番待ちの行列が出来てましたが、観光バスはすぐに行ってしまいました。知る人ゾ知るポイントからの画像がこちらです。

今がまさに見頃でしょ?

見頃のピンクのしだれ梅を額縁に見立ててみました。

2012年だったっけ?あの時は3月上旬に訪問したんだったわ。あの時は既に見頃を過ぎてたんだけども目をつけてた撮影ポイントです。別所梅林は広い。県道72号線からJR御殿場線に向って緩い傾斜で下ってます。富士山と梅をからめて撮影するならば、少しでも高い所がいい。だからここ。ちなみに、アイス工房のソフトクリームは美味しいです。(今回は寒かったのでパスりましたが)
アイス工房を県道72号線を横断した所に穂坂さん宅の大枝垂れ梅があります。

見頃になってます。これまた知る人ゾ知るのようで、観梅客は先着の1組のみ。うっとり見上げちゃったわ〜。
さて、こっからは曽我物語と史跡巡りです。別所梅林の東側の曽我丘陵には鎌倉時代からの伝承の残る石仏や石塔などの石造建造物があります。併せて曽我物語の史跡が点在しています。小田原市が推奨してる曽我の郷めぐりのコースなど、3〜4時間で回れる初心者向けのハイキングコースもある。ダンナが下曽我駅から参加した小田原ガイド協会さんが主催してる曽我の郷散策マップでは、スタートが下曽我駅なので、今から逆周りコースで曽我丘陵の散策開始!
実はこれ、結構おススメです。なぜならば、体力のある一番最初に別所梅林という一番の観梅ポイントを訪問。逆回りコースは太陽を背に富士山を眺めながら歩くので、青空の白雪を冠する富士山が目に楽しい。というのが理由です。

ますは、穂坂さん宅大枝垂れ梅から徒歩数分で法蓮寺さんに到着。

「法蓮寺。山号は千葉山(ちようさん)。この地方の古寺の通例として、もとは天台宗であったと言われるが、寺伝によると慶長19年(1614年)に改修したとのことです。」(ふるさと探訪『曽我の郷めぐり』より)
上の画像は法蓮寺さんにあった鬼子母神像。両側の梅が風情を増してくれてました。これで鬼子母神像が古びた感じになればいい感じの撮影スポットになるかも?

法蓮寺さんの墓域に曽我兄弟の母、満江(まんこう)御前の墓があります。墓石は卵型の自然石で、曽我兄弟の母・満江御前の墓と伝えられえおり、武藤家の子孫が、この墓の供養を現在も続けています。(ふるさと探訪『曽我の郷めぐり』より)
なるほどお墓に水仙が捧げられています。

満江御前のお墓の前から富士山が見えた。ここで考えどころです。見頃の白梅の梅林が、曽我丘陵を上るように連なってるんだよね。そっちの小径を登って行くハイキング客がそこそこ。こんだけ素晴らしいお散歩日和なんだ。ついてくのも一案だけども。私は自分の体力が少ない自覚がある。無理してはイカン。前回見そびった瑞雲寺さんの枝垂れ桜が見たいんじゃ!だからして〜、登らない。松田方面に左折しよう。

数分で戦国時代の兵火で背中が焦げた薬師像がある焼薬師さんに到着。
説明板発見:別所薬師堂
本尊は、瑠璃光薬師如来(脇侍十二神将)で行基の作といわれ、長さ4尺八寸の立像です。
里人の伝承によれば、この薬師如来像は、山彦山薬師沢の奥の仏体ケ窪という所に、奈良時代から平安時代にかけて安置されていましたが、戦国時代兵火をこうむって、その背が焦げてしまったことから、別名「やけ薬師」と呼んでいました。
北条氏没落後、小田原唐人町の中国人・○七官の配下の者が来て、ここに草庵を結び礼拝していましたが、その後谷津法輪寺の末寺となり中華応福寺と称しました。明治に廃寺となり薬師堂だけが昔の面影をとどめています。」
訪問時は小田原ガイド協会さんの散策イベントが開催されていて、お薬師さんの建物が開けてありました。

道なりに進むと、急坂になった。曽我丘陵の起伏に沿って道があるので、ハイキングコースは登ったり下ったり忙しい。坂を降りた所で、ガイド協会さんのガイドさんに連れられて回るツアー参加者と出会った。道々単独で回っても道に迷わないようにポイントに矢印が設置してある。まあ、私は逆回りしてるので、勘を頼りに進んでるんだが。

この梅林は早咲きの十郎でなく遅咲きの白加賀の梅畑かな?中咲きの梅なら今が見頃だったかも?無念じゃ。

到着したのは曽我兄弟の母、満江御前の屋敷跡です。地元では満江御前が居住していた曽我氏の下屋敷であったと伝えています。屋敷地の東南に隣接する武藤、安池両家の祖先は、伊豆から満江御前に随行してきた家臣であったと伝えられています。(ふるさと探訪『曽我の郷めぐり』より)
謡曲や幸若舞の曽我物語の『小袖曽我』の舞台です。
「小袖曽我」工藤祐経(くどうすけつね)の仇討ちを胸に秘め、曽我兄弟は今生の別れに母の満江御前から小袖を乞い受けました。
説明板発見:謡曲「小袖曽我」と屋敷跡
謡曲「小袖曽我」は建久4年5月中旬に源頼朝が富士の裾野で巻狩りを催すと聞き、この機会に父の仇工藤祐経を討とうと志した曽我兄弟は、暇乞いのためにそろって母のいるこの曽我の里を訪れた。しかし「母の命に背いて出家しなかった者であるから」と、かねてから勘当していう弟五郎に対して母は戸を閉じて対面を許さない。「なお重ねての勘当」という母に兄十郎は「親子の愛を疑う」と言ってさまざまにとりなし懇願したので、母の心は解け五郎の勘当は許された。兄弟は喜びのあまり舞をまい最後の別れをsて勇んで富士へと出立したという兄弟愛を主軸にした物語で、めでたい曲とされている。
この公民館は曽我屋敷跡に建てられたもので「小袖曽我」の舞台跡である。 謡曲史跡保存会
確か、お能にも曽我物語を題材にした話があったんじゃないかな?んで、曽我物語を題材に複数お話があったハズ。まあ仇討ち話だしね。庶民にも楽しめたのかな?今どき曽我物語って言われてもどんな話かあらすじも知らない人も多いと思うけどな。私はこの話が実話が題材だったのか〜と、曽我の地に来て初めて知ったんでした。

お散歩再開。この辺りの梅林は今が見頃でした。ついつい歩く速度が遅くなる〜・

到着したのは二宮尊徳遺髪塚です。
尊徳(二宮金次郎)の母よしの実家は、旧曽我別所村の川久保太兵衛宅でした。太兵衛の次男、民次郎は下野の国の桜町(栃木県二宮町)仕法時代から尊徳に仕え、尊徳の死後、その遺髪を得て、曽我へ帰りました。
この遺髪塚は、民次郎の遺言により孫の與三郎が、昭和13年(1938)に建てたものです。(ふるさと探訪『曽我の郷めぐり』より)

ってな事で、尊徳さんの遺髪塚で富士山ながめながらお昼ごはん〜。ハイキング客には嬉しい事にベンチが置いてあるのだ。(画像が増えたので明日に続く)
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小田原市曽我梅林2017.2.12現在

2017年02月13日 21時00分30秒 | 梅散歩
2月11日、朝6時過ぎ。我が家から丹沢山系の見え具合を確認する。
くっきり見える!これなら曽我梅林から富士山が見える!はず。
しか〜し、前日予想外に降った雪がまだ融けてない。!お散歩するには寒過ぎる!血管がきゅっとなるわ〜〜。
ってな事で、11日に開催される流鏑馬を諦めた。
翌2017.2.12(昨日です)、似たように丹沢がくっきり見えたので、今日こそは!と7時45分に出発です。(でもさ、天気予報が午後から雲が出るって言うからさ、出発予定を1時間繰り上げちゃった〜)。
そしてやって来ました!下曽我駅9時16分到着

いや〜〜、JR御殿場線って1時間に1本しか運行してないのがね〜。不便だよね。ンで、松田駅から乗車したんだけども、JR御殿場線はPASMOもSuicaも使えません。切符を購入しなきゃです。乗車駅でSuicaやPASMOで入っちゃった!場合は、一つしかない改札ていちいち清算する必要があるので無駄な時間がかかるから気をつけようね。
さて、ますはトイレを済まそう。と?駅側のトイレに長い列!
もうね。曽我梅林にこの時期観光客が押し寄せるんだが、曽我梅林はそもそも梅干しの梅を生産する為の梅畑なんですよ。観光地ではないからね。観光地にある大規模トイレはないんだ…。
行列に並んでたらば、梅まつり実行委員会の人が「このトイレは1個しかありません。隣接する梅の里センターのトイレが多いのでそちらを使って下さい。」と声を張り上げている。だから列は大移動。無事トイレを済ませて気付く。ダンナがいない!
ほんの数分目を離しただけなのに〜〜
でもさ、トイレにきたんだから待てばいいんだわ〜。
しかし、5分過ぎてもダンナが出て来ない!
これは仕方がない!紳士用トイレの外から「ダンナ〜います〜?」と声をかけても返事がない。中にはいないようだ!
ってな事で、観光が始まる前にまさかのぼっち梅散歩開始です!
けっ!!
時刻は既に9時半、何はともあれ曽我梅林梅まつりメイン会場の別所梅林へ向います。

見えて来た。梅畑!
ついでに昨日開催された流鏑馬の会場も見えて来た。

道に砂が入っているのは、流鏑馬の馬の為です。ん?白い幕が残ってるわ〜。
てけてけと奥に向って歩いてて気付く。幕に梅の影が〜!!素敵〜〜!!

どや!!
別所梅林は広い。梅畑の側に農業道路が編み目状に走ってて売店も出てます。

無料梅緑茶のサービスをいただいた。美味しかったけども、塩分制限がある私の舌にはちと味がキツ過ぎてパスです。

ってな事で、本日の目的、青空と梅花と白雪を冠る富士山の画像をゲットする事!開始!
この辺りは梅まつりの本部近くでして、梅畑を南北に流れる細い川がありまして、川の周辺は少し土手になっていて、梅畑を画面の下に置き、その奥に白い富士山が見えるという〜、絵になるポイントなのです。



でも画像写るように、別所梅林の早咲きの十郎は既に見頃を過ぎてます。うそ〜ん!!まだ2月12日なんだよ〜。なんでもう梅が散ってるんだぁ〜〜。

うっ!これで白い梅の花が咲き乱れてれば完璧の画像なのに〜〜。
それでも何とか絵になる場所を探して土手の上をウロウロ。

どないもならんわ〜。

そんな中、梅と富士山と柴ワンコのコラボゲットです〜。柴ワンコ、富士山にベストマッチです!

曽我梅林は梅干しの梅の畑ですから、梅の種類は早咲きの十郎と遅咲きの白加賀がほとんど。そしてこの梅は白梅のなのです。だからピンクの花色のしだれ桜は、庭用の花木を植木として育ててる?もしくは梅を見に来る観梅客の為にわざわざ植えてると思われます。


  
ンな事はいいんだ。綺麗だったらば。
うん、青空に映える梅は綺麗だ!
突然、梅まつり本部から「ただ今本部前に、小田原市のキャラクター梅丸くんが登場しました。一緒に記念撮影はいかがですか?」
ン〜?見た事ないゆるキャラかも〜?と。急いで移動したら、ゆるキャラはこんなんでした!

ゆるキャラが一人で歩いてた!小さな男の子が突進してった!
危ないな〜。せめて一人はフォローの人つけようよ。事故が起きたら監督不樹分になるのは梅まつりの実行委員会の人か、小田原市だよ〜。ゆるキャラってたぶん視界が悪いハズ。小さな子なんかたぶん見えてないよ。ひやっとしちゃいましたよ。
ん??携帯が鳴ってるわ。
私「ハイ?」
ダンナ「今、駅なんだけど〜?どこにいるの?」
私「梅まつりの本部にいるけど?」
ダンナ「歴史ボランティアの説明ツアーで君にどこかで会うと思ったんだけど、いなくてさ〜。説明ツアーの終点の駅まで戻って来ちゃった!」
来ちゃった!でないわ!!

私「梅まつりのチラシその辺で配ってる人いるから、祭り本部で待ってるからおいでよ。目印はでっかい3本の木。急げばそこから10分かからんし!」ってな事で待ち時間が出来ました!
暇つぶしに周辺を見て回る。

写真展示では素晴らしい曽我梅林の写真を参考に、どこでどういう風に撮影したかじっくり観察する。
まだ来ない!
なら売店で、リピート買いの梅ジャムゲット!確か380円だっけ?これで3度目のリピート買いです。
まだ来ない!15分経ったし…。

私が背にしてるでっかい木ってもしかして、これがお社ならば、ここは境内?あれ??でもこれ、八幡神社って書いてる…。
八幡神社か〜。地蔵堂かと思ったし。不思議な形で残ってるのね。八幡さんの敷地がなくなったのか?そもそもこういう作りなのか?
あ!!ダンナ発見!まさかの25分待ちとか…。ないわ〜。(画像が増えたので明日に続きます)
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新型ロマンスカーEXEαじゃないの?

2017年02月11日 06時34分08秒 | 鉄道のりもの
2017.2.7小田急線新松田駅から満開の河津桜と富士山のコラボを見に行きました。海老名駅で急行から普通に乗換です。
ふと、車窓を横切る見慣れない車両を発見!
海老名駅のホームに急行が停まるのを待ちかねてホームを小田原よりに可能な限り急いで移動する。
見た事ない車両なんですけど〜??何コレ〜〜ふと2月2日の夕暮れに同じ場所で見かけた青いロマンスカーを思い出す。

これね。
あの時青いロマンスカーの奥にも別のロマンスカーが停まってたのに、帰宅後画像を再生して初めて気付いたんだけども〜?ブロンズ色の3000系に似てるけども。でもさ。やっぱりこの車両見た事ない気がする。
横に回ってみる。

ん?車体にアルファベットが見える。
ROMANCECAR EXEαって書いてあるわ。
EXEαって、もしや3月から運行が始まる新型じの名前じゃん!まさかここで会えるとは〜。ラッキーじゃ。
ロマンスカーといえば、東日本大震災や淡路神戸大震災の時に、絶対脱線しない作りの車両として話題になったのを思い出しましたので、ニュースで見た1両目と2両目の継ぎ目に車輪があるから脱線しない!の根拠を思い出し、新型の車輪はどないなってるの?と更に小田原側にホームを移動する。

ンン〜??普通の電車と同じに見えるんですけど〜。これ1両毎に車輪持ってるよね?あれ、赤いロマンスカーだけの特別機能だったのか?残念だなあ…。
ちなみに、ロマンスカーと言えば最前列に運転手気分で座れるという素敵な特徴を持つ車両もあるんですが。EXEαはそれ、なさそう〜。
新型のロマンスカーなんだけども、萌えは下方修正か?まあ、3月になれば見かけるだろうからその時を楽しみに。まあ、思いがけず早めに車両見えたのは嬉しかったわ。もう少し眺めていたかったけど、新宿行きの普通がホームに入って来た。
ああっ!!車両が〜。新宿方面ホームの前側に停まった〜。出来る限り急いで移動します!
ちなみに、明日2017年2月12日(日曜)に新宿9時50分ー唐木田10時50分でロマンスカーEXEαのファミリー試乗会が実施されるようです。早めに新型車両が見たい方は新宿駅に駆けつければいいんじゃなかろうか?なお参加者募集は既に終わってるので、停まってるEXAαは見えても乗車は出来ません。大人しく3月まで待ちましょう。
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松田山の斜度は凄いの

2017年02月10日 07時34分04秒 | マンホールのふた
昨日の松田山ハーブガーデンの河津桜と富士山のコラボの続きです。
まずはトップ画像をご覧下さい。

水平あってますよ。決して右手に写ってる斜面が間違ってる訳ではありません。松田山の河津桜が一番多いこの遊歩道は、急斜面にあるのです。
訪問したら上りは150円支払いシャトルバス。帰りは遊歩道を道なりに降りてしまえば、シャトルバスの乗車バス停は斜面の上なので、もっぺん上る気力がなく小田急線新松田駅まで徒歩で降りてます。

しかし今日は遊歩道奥に見える富士山と河津桜のベストポジションを探しつつ降りてるので急斜面もへっちゃらです。(坂道が急だと上るのも降りるのも辛いよね)

満開を迎えた河津桜の花が多過ぎて、風流を好む日本人には下品の域だと感じる方もいるようで、撮影マニア(マニア言うな。愛好家じゃ)の方々は、花の少なめで綺麗な枝を探し、なおかつ富士山が見えるポジションを探して会場を隅々まで勢力的に動いてます。
凄いわ〜。私より年を問ってる人が多いのに、とても真似出来ません〜。ただ撮影大好きなおじさんたちの会話がちょこちょこ耳に入って来て「露出をちょっとプラスにするといいんだ」「花色は好みだけどね」とか。「それってどんなカメラでも出来るの?」「今どきのカメラは大体出来るよ」うん!今すぐ使えるテクニックが拾えます。
私も桜の花色を美しく撮るには露出をちょいプラスがいいと思う。オジさん達が遊歩道を登って行くのを見送って、私のコンパクトなショボいデジカメの露出をちょいプラス。でもさ〜、私のコンパクトデジカメはショボ過ぎて、一端電源オフにすると設定したあれこれがノーマル設定に戻ってしまうんじゃ!気が短い私は、ノーマル撮影で数打ちゃ当たる!のポリシーで撮影を続けます。一番ストレスないから好きよ〜。ちなみに昨日の記事の2枚目の河津桜のアップ画像だけスーパーマクロ撮影してみました。本日の目的の一つ、青空と河津桜のピンクのコラボはこの1枚で満足〜。(スーパーマクロ機能すげえっ。今まで1回も使った事なかったけど)

しかしベトナム旅行でマイフェイバリットな携帯電話を古都フエの川に落としてさよならして以来、画像を失う万一の場合でカメラ2機体制で撮影してます。ブログに使う画像はガラパゴス携帯で撮影した画像です。昨日写真屋でデジカメと携帯の両方を持ち込みプリントしてみたら、機種により河津桜の色味がだいぶん違う事に気付きました。撮影時間・撮影場所・光量をほぼ同じ条件なのに、花色が違う事実。かつてのフィルムカメラ時代の青い富士フィルム。赤いサクラカラー。黄色のコダック時代を思い出しました!今どきはカメラの機種を取り揃えて皆さん自分好みの色に写せるカメラを探してるんじゃろか?
さて、上の画像が松田山の河津桜の遊歩道終点です。JR松田駅から徒歩でハーブガーデンを目指すとここが遊歩道入口でもあります。素敵な構図で邪魔者なカーブミラーですが、画像奥に自動車道があるのでミラー撤去は諦めましょう。道がさほど広くないので、カーブミラーはど〜してもいるんじゃ!

だいぶん降りて来た。今日の画像セレクトは、富士山が見える同じ場所から望遠・標準で撮影したもの。もしくは同じ場所から縦位置・横位置で撮影したものを意識して2枚ならべてます。ってな訳で、次も上の画像を横位置で望遠かけて撮影してみた。

ちょこちょこ写り込む電線や鉄条網みたいなのが邪魔かも。

高低差高低差とぼやいてますが、先程いた松田山の河津桜の遊歩道は、上の画像のピンクの斜面です。左右に走る白いラインは東名高速道です。
遊歩道を降りて来る途中でどこかのおじさんが「先週東名を走ったんだけど、河津桜咲いてるかな?と窓から探したけど見えなかったわ」とぼやいてた。すかさず連れのおじさんが「それ下り?上り?海側の車線はここの斜面が見えないんだよね」だって。ああ。松田山の坂はどんだけ急坂なのか?道の右左で高低差が違うから車線を独立して作ってるなんて!!
ちなみに、湯歩道の途中で河津桜越しの東名を撮影してました。

画像奥の白くカーブしてるのが東名高速道です。ちなみに松田山の上り下りの車道、バスの車窓から東名高速のバス停が見えた。なんと!東名高速を走る高速バスを利用すると、松田山の河津桜会場の遊歩道入口まで徒歩1分で到着出来ます。これって、最強の公共交通機関じゃなかろうか?まあ使う人はそうそうおるまいが〜。小ネタを挟んでみました。
急坂を降りるので視線は足元に固定されーー。松田町のマンホール発見!
 
日本のマンホールの蓋って個性あるよね?土地土地の特徴があって、観光名所や祭りや市の花なんかがモチーフなんだよね〜。
さてJR松田駅まで戻って来た。今回はぼっち桜散歩(くっ)なので、ダンナにお土産が欲しい。けど正式なさくら祭り開催前につき、上で萌えるお土産に出会えなかった。ので、てけてけ辺りの店を冷やかしつつ出たり入ったり。ンな中で発見し買い求めたのがコレ。
 撮影に失敗したので再度翌日梅サイダーだけ撮影し直しました。酒粕は既に粕汁作成で一部使っちゃったので撮影断念。
曽我梅林の十郎を使った梅サイダーと、隣町大井町のお酒の酒粕(500gで200円)の激安価格です。
朝起きた時は今日は曽我梅林で白梅と青空と白雪をかぶる富士山のコラボ画像と青空と河津桜と富士山のコラボの2つをゲットしたかったのですが、体調が今一。無理すれは曽我梅林にも行けそうですが、ぼっち散歩なので無理はしない〜。ってな事で撤収〜。小田急線新松田駅からやって来た急行新宿駅に乗車。途中海老名駅で普通に乗換…。
あれ?向いに見た事のない車両がいるわ〜。

もしかして新しいロマンスカーじゃなかろうか?
車窓から発見!たまたま急行の前方車両に乗ってたのを後悔する。小田原よりまでホームを可能な限り素早く移動して急いで数枚撮影してたらはや普通がやってきちゃった〜。謎の車両の画像は明日、別だて記事で紹介します。だってカテゴリーも閲覧して下さる方の萌え方向も違うんですもの〜。
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松田山の河津桜2017.2.7現在

2017年02月09日 06時14分39秒 | 桜散歩
2017.2.7午前にまつだ山の早咲き桜、河津桜を見に行きました。小田急新松田駅下車。徒歩でHR御殿場線の北口へ。ここから松田駅と西平畑公園を結ぶシャトルバスが出てるのです。本来は2月11日から始まるまつだ桜まつりに合わせてシャトルバスが運行される予定でしたが、肝心の河津桜が早咲いてしまったので、2月4日から予定を始め運行してます。シャトルバスに到着したのは10時10分頃。車内から見えたバス停の出発時刻は毎00時・30時となってまして、うわっ、出発までまだ20分もあるじゃん!と凹んだのですが、思いの外目端の効く花見客はいるもので、20分過ぎには空席は埋まり、立ち乗りも満員で出発となりました。

バスは松田山の西平畑公園に到着。いつもならば、公園の建物内でひな飾りなどの展示があるのですが、そもそもまつだ桜まつりの開催期間は2月11日から3月12日でしたので、訪問した2月7日は閉館されてた!
今回は私ぼっちな桜見物なので今回の撮影の目的は富士山と河津桜のコラボ画像と青空に映えるピンクの綺麗な河津桜の色コラボに決定!なにしろ最高気温10度&強風の天気予報なので、空の色と視界がクリアーなのですよ。何度も松田山の河津桜を見に来てますけど、富士山が綺麗に見えたのも数年ぶり。ここまで青空の色が綺麗なのって、いつぶりだろうか?記憶にない位です。

バスを下車した場所から坂を上がると自然館やみかん畑。菜の花まつり会場があります。上の画像は自然館の横にあった駐車場から見えた富士山の画像です。本当は河津桜と富士山と菜の花のコラボを一つ画像に納まるように撮影出来る菜の花まつり会場へ行くつもりだったのですが、自然館もみかん畑も菜の花まつり会場のクローズしてました!もうね。商売する気ないよね??河津桜は既に満開なんですよ?これらが散ったら客は来ないよね?

シャトルバスの降車・乗車の停留所まで戻ってきました。そこの隣に小さな広場があり、ここに関東の富士見百景の石碑があります。上の画像をハガキサイズで切り抜かずオリジナルサイズで掲載するとこんな感じ。記念撮影にも大人気。
辺りにベンチもいくつか設置されてるけれど、とても足りないので花壇の石の縁で11時27分、少し早いお昼ごはんです。

同じ小さな広場の端っこから富士山と河津桜のコラボ〜。ここさ、河津桜があんまり大きな木じゃないからさ。桜の花がそこそこ大きく写せるのでいい感じですよ。

ちなみに同じ場所から望遠せずに撮影したらこう。画像右下は一般駐車場ですが、車で松田山に直接来るのはおススメしません。何しろ駐車場が狭いんです。しかも上りの道幅も狭く。そうでなくとも下りの車が少し進むと道幅の広い場所で待ち、上がってくる車とすれ違ったら、再度下りを進める。これを数度繰り返す。そんな具合なので、一般車が狭い道幅で駐車場が空くのを待つ場所がないんですよね。強行するのは自由ですが、花見客全体の迷惑です!客だけでないな。交通整理してる人にも大迷惑。
さて、斜面の河津桜を見物しながら遊歩道を下るかな。

これは〜〜。河津桜は満開になると、芽を出します。そんで目の前に既に芽が出てる木があるんですけど〜??

認めたくないものですね。早くも見頃を過ぎようとしてるという事を!
うわ〜、マジか??

松田山の河津桜が咲く遊歩道は、斜度が急なのですよ。それを利用して足元に菜の花が植えられています。本来ならば、頭の上にピンクの河津桜。足元に黄色の菜の花。それを無理なく1枚の画像に写し込む事が出来るのですよ。それが売りでもあるのですが、今年はあまりに早く河津桜が咲いてしまい、菜の花の開花が間に合ってません!こ・これはこれで綺麗だから〜〜!!
お気に入りの桜の花色と青空を探しながら撮影しつつ遊歩道を下山していると、遊歩道の中に行列を発見!
並びます。撮影時刻は午前11時55分。
何をしてるか?と言えば、脚立に登って富士山と桜を撮影してるのだ!

大体10分位の待ち時間だったかな?待つ間、桜の枝を渡って行く小鳥を見てました。ちょくちょく野鳥がやってきて、目を楽しませてくれます。でもさ、二つ折りガラパゴス携帯の望遠機能はしれてまして、桜と野鳥のコラボ画像の撮影は諦めざるを得ない〜。いいんだ。今日の撮影の目的は青空と河津桜と富士山のコラボだもの〜。
ちなみに、脚立から見える画像を標準レンズサイズにするとこんな感じ。

ヘタレな私は脚立のトップまで上がれませんでした〜。せめてもう一段脚立を登れば、富士山の白い部分より下も撮影出来たのだけどもな。長くなったので記事を分けます。明日に続きます。
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日本屈指のパワースポットです

2017年02月08日 06時10分00秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2017.2.2熱海梅園を15:03に出発。JR来宮駅を通り過ぎ、来宮神社さんに15;22に到着しました。花見散歩の連れが来宮さんは初めてとのことで案内しました。なにしろ来宮神社さんは日本屈指のパワ^スポットなのです。特に樹齢2000年以上という天然記念物の『大楠』は必見!なのだ。

来宮さんには大楠が2本あり、上の画像はご神木の第一大楠です。樹齢二千年超えの大楠は、とても植物に見えません。あまりに多きすぎて圧倒されます。日本人って大きな岩や大きな木など大きな物に神様が宿るのでお祀りします。早々信心深くない私でも、ここの大楠には畏敬の気持ちを抱いてしまいます。今回で3度目の訪問なのですがね。脳梗塞発症患者な私。脳梗塞って再発し易いんだよね〜。となると、真剣に祈願しちゃいましたよ。
2000年超えの樹齢にあやかり、古くからこの大楠を一回りすると1年寿命が延びると伝えられてるとか。また、願い事のある人は思う事を誰にも言わず一回りすると願い毎がまとまるとも伝えられてるんだって。
●健康長寿・心願成就(来宮神社さんのホームページ参照)にもご利益あるそうだ。
ちなみにトップ画像は上の画像から参拝していらっしゃる方に、タバコのハイライトという体で画像を切り出しました。樹の大きさが分かり易いでしょ?ちなみに、WIKIには大楠の樹高を約20メートル(一部枯れてます)。幹周り約24メートルと記載されてます。
これだけ樹が巨大だと、周りを1周といっても階段を登ったり下ったりして参拝者は周ります。

上の画像右ナナメに竹柵が続いてますね。大楠の奥右手にも竹柵が写り込んでます。これが周回路です。

ちなみに周回路から大楠の裏側を見上げて撮影しました。もうね。ボロボロなのな。この状態なのに、頭上には葉っぱが一杯なのですよ。ちなみに、裏に回ると直接大楠の幹?いや、根っこかもしれんな。に触れる場所があるんだよ。人間の手って暖かいから植物にはダメージになるかも?と思いつつも、本日は最高気温9度!なのでそお〜っと撫でて「今年1年健康維持」を祈願してきた。なんだか1年なら頑張れる気がする。ちなみに大楠の触り心地はまるで石。自分が触ってるものが木肌には思えなかったよ。

ちなみにこちらは本殿と境内。訪問したのが2月2日だったので、翌日の節分祭の舞台が設置してありました。参拝して振り返ったら、

舞台向こうに見える楠達がピカピカ輝いてて綺麗でした。
あ。そうだ。来宮さんの入口の鳥居をくぐった右手に第二大楠があります。

これね。そもそもはご神木の第一大楠のスペア。万一あっちが枯れても樹齢1300年超えのこの樹があります。という感じで遺されたと思われますがね。
裏に回って腰が抜けそうになりましたよ。

この状態でなぜに緑の葉を茂らせられるんだろうか??
これさ、今から300年位昔に落雷にあって幹の中味がほとんどなくなってしまったんだって。つまりだね。落雷後300年間この樹は幹の外側の表皮に近い部分だけで水を吸い上げてきたんだね。生命力が凄いわ〜。尊い。
大楠に手を合わせたら社務所へ。ここのお守りって毎回私の萌えを刺激してくれるのだ。前回は義母に長寿守りを購入したんだけども。ふと目に入ったのがこれ。明日の節分祭でまく福豆です。いいんではなかろうか?お尋ねしたら前日でも売ってるとのことなので一袋買い求めました。やっぱさ、期間限定ってついついね〜。ってな事で、15時34分来宮さんを後に。
「ここで質問です。今から糸川のあたみ桜を見に行くことも出来ますが、既に散り初めに入ってるとか。更には足が笑ってるのでパスしたいです」とギブアップを連れに宣言。彼女も同意してくれたので、来宮発15時42分に乗車。熱海経由東海道線で帰宅の途に。
あ。私は小田急沿線に住んでるからして、JR使いの彼女とは小田原でお別れ。
JR小田原駅の改札に向いますと?

こんなんありました!

小田原城は東京からのアクセスがいいからね。外国人にも人気の日本の城です。だからかな〜?天守下の広場でお姫様や忍者の衣装を着て小田原城バックに撮影しませんか?ってな事をやってます。ちなみに、風魔忍者のイベントもやっている。外国人、忍者好き過ぎです。

ちなみに、こちらば小田急線の小田原駅。訪問が2月2日という事は、春節休みの最中なので、箱根の温泉目当ての中国系の客用かな?だってスーツケースだし。こんな飾りをしてました。この時点で16時10分。急行新宿駅に乗車。海老名駅で各停に乗換ます。

17時05分ホームの向いの車両基地に青いロマンスカーがいました。ガラパゴス携帯で夕空とロマンスカーを両方撮影しようとして失敗した〜〜。こういうの、二兎を追って一兎も得ずって言うんじゃろか?ともあれ、帰宅ごすぐにお風呂に漬かったんだけども、翌日・翌々日まで太ももの前の筋肉とふくらはぎが痛かったです。歩き始めに運動するんだった…。

ちなみに、こちら来宮神社さんの福豆です。福豆を購入したら、素敵なパンプレットとPOST CARDがついてきた。あ。ビニール袋も来宮神社さん特製だった。ここさ〜。いっつも思うんだけどもやり手のプランナーがいるよな。
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