あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

旧府中町役場

2012年07月31日 05時59分19秒 | レトロ建築
1921年(大正10)に竣工した町役場。
地方自治をうたう大正デモクラシーの息吹を感じさせる洋風建築だが、裏には和風建築が付属。 東京都指定文化財。

あじさいとレトロ建築物のコラボ画像が楽しめます。



役場なのでこんなんあります。

これ見たら、私の田舎の郵便局を思い出したわ~。今も現存するかどうかわからんけど。あそこは入口の戸が重かったんだよね。薄暗かったし。
台所。
奥の台所に隣接して、和室がありました。押し入れもあったから、ここに寝泊まり、もしくは住み込みしていた人がいたのかも?つーか、台所にかまどあるし。

建設当時、財政難にもかかわらず、町民の熱意によって、3年かけて建てられた。
屋根の飾り天窓(ドーマー・ウィンドウ)、正面玄関の屋根の車寄せ意匠。背後に接続する和風の付属舎などが大きな特徴。
こうした洋風と和風が組み合わされた様式の建築は、当時の地方の庁舎には多く見られました。昭和29年(1954)の府中町・多摩村・西府村の合併による府中市誕生後も市役所・図書館・教育研究所などに使われてきましたが、昭和59年(1984)に解体、昭和61年に郷土の森博物館に復元されました。
ちなみに、二階にも上がれます。上がったら、だだっぴろい広間だったので撮影してませんけど。
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旧田中家住宅(府中宿の大店)

2012年07月30日 05時25分13秒 | レトロ建築
府中郷土の森博物館の復元建物の2つめの紹介です。

昨日紹介した旧府中尋常高等小学校の向かいにあります。っと言っても、こっちからだと上の画像のように塀しかありません、入口は反対側。
ここ、奥行きがある建物なのね。
んで正面はトップ画像。

少し斜めから。
右手は蔵です。
蔵は中も公開して入れます。二階にも上がれます。

中央の門から入るとこんな感じ。上の画像の奥正面まで進むとこんな。

なんか、時代劇の撮影出来そうだよね。
ここの建物の奥行きがわかるのがこの画像。
大店には明治天皇が大国魂神社に幣帛料を供した時、田中家で休憩。(明治13年6月16日)
御座所
明治14年2月20日、明治天皇は多摩市でうさぎ狩りを行い、田中家を行左所にして宿泊(1泊2日)
明治14年6月2日明治天皇は関戸川原にて鮎漁をご覧になり、田中家に宿泊(1泊2日)
明治15年2月14日ー17日明治天皇は連光寺(現多摩市)にうさぎ狩りにこられ、田中家に宿泊(3泊4日)
明治17年3月28日ー3月31日明治天皇は連光寺(現多摩市)にうさぎ狩りをされ、田中家に宿泊(3泊4日)
………。どんだけ明治天皇うさぎ狩りが好きなんだ。つーか、「御座所」ってたまに旅館などで見かけますが、田中家に5回も宿泊に来てるとは…。………。田中家の居心地が良いからか?それとも府中宿にマシな旅籠がなかったからか…。う~む。突っ込みどころ満載の説明板だった…。

現在、田中家の一部は来場者の休憩所として利用されています。ぜひ休憩したいところだが、今日のお天気が許してくれない。雨が振る前に観光を終えたい…。

 あ。田中家は甲州街道府中や戸を代表する商家でした。

おまけの画像のこちらは、梅欅庵なる茶室です。私が訪問した7月3日は、あじさい祭の最中。茶室ではあじさいまんじゅうとお茶(¥300)が供されてました。
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落選のお知らせが来た。
何に落ちたのか?というと、8月26日に開催される富士総合火力演習にです。
う~む。陸上自衛隊の演習って見た事ないんだよねえ。ってゆーか、ぶっちゃけ戦車って見た事ないのだ。
かつては近所の厚木基地で米軍の戦闘機とか公開展示があったから、戦闘機は見た事あるし、横須賀の自衛隊の一般公開は行った事あるんだけど、戦車って見たことないからと申し込んでたのですが…。残念無念。
申し込み済みで結果待ちは10月の観艦式か…。当たるとよいなあ…。
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府中市郷土の森博物館

2012年07月29日 05時40分16秒 | レトロ建築
府中市郷土の森公園の道向こうに、府中市郷土の森博物館はある。ちょっと混乱しそうな名前です。
入場料200円。
紫陽花とレトロ建築のコラボ画像を写すことが目的です。
園内には復元建物と本館では府中の歴史と文化と自然を紹介しています。
早速一つ目の復元建物へ。
旧府中尋常高等小学校です。

1935年(昭和10)に建設された。北多摩随一の規模を誇った木造校舎の一部を復元。教室には昔の教科書が展示されています。

これって小学校の教科書だよね?読めないんですけどっ!!
うそ~んマジ~~
やや。東洋史学を専攻していたプライドをかけて読みますと、「桃は春咲く木なり。その花は…」
よ・読めん…
萼…は右の図解から察するに「ガク」ですよね。
んで…。次だよっ。次っ!!
辯…って何コレっ!!え~と。字体が問題か?これを簡単な字に変換せねばっ。え~~~~~ーーー。弁?
あ!わかった「べん」だっ。
「その花は、ガク・ベン及びおしべ・めしべより成れり」で、出来たっ。
私、うっかり小学生の教科書に全力を出してしまいました…マジか~昔の小学生が賢かったのか?現代に生きる人間が阿呆になったのか??
いけません。これはいけません。
でもここで時間をかけちゃなおいけませんっ!!
平静を装って次行ってみよう!

うおおおおおっ~~~っ!!またか~~っ!!!!
大体さ、今どきの人間に「歴代天皇の名前を十人上げなさい」という問題があったとして、回答率はどんくらい?50%以下だよね。
なのにっ!!
明治時代の小学生は「敏達天皇(びたつ)」「用明天皇(ようめい)」って習ってたんですよ。
けっ!!
ゆとり教育ってなんでやったんだろうなあ…。アホな子を増産しただけじゃ…。
や。批判はしません。呆れはしますけど。
さて次は…。

これってペリー来航?のことだよね。んでも紀元2513年って…。あ、あり得ん。これっていつ頃からこう記載されるようになったんだろうね?やや。嘉永6年の方がこの時代は通りが良いのでしょうが…。つーか、実際にペリーの黒船の姿を見た人も生きてるのだろうが。つーか、明治の小学生の教科書で、ペリー来航が載ってるのに驚きじゃ。今でこそペリー来航が歴史の教科書に載っててもそれは当たり前なのでしょうが、この時代のこの事件の扱いはどんな教科で学習していたのだろうか?つーか、ちょっと前まで士農工商の身分制度に縛られて生きていたのに、農民の子はある日突然、ペリー来航を教科書で習うのか?そうなのか?それが明治という時代なのか!?
ああ…。具体的に想像出来る。このページを開いて置いた人、やるなあ~。
んで、次は??
すっかりうきうき気分で尋常小学校の教科書を見てまわってましたれば。

う~む避けて通れぬとはいえ…。
初等科図画の教科書がこれか…。
いけませんっ!これはいかんね。
こっからどんどこ洗脳教育に入るんですね。日本は…。
大正デモクラシーまではよかったのに。今更なぜに戦争に日本は突き進んでいったのか?

でもこんなん…。尋常小学3年生に「戦争 軍旗 大砲」なんて書かしちゃいけないよ。ああ、いけねえな。
画像撮影してませんが、この並びには「乃木将軍旅順開城」とありました。もう終わってる…。
こういうのを見ると、後世に保存して伝え残すことは大切だと思います。
ここに展示してあるのは、「島田和子」ちゃんという子どもの作品です。でもこれ一つ見たら、その時代があれこれ分かるのです。思想も分かります。なんでもかんでも残せばいいとは思いませんが、残してないと後々の史料になりません。残すことの大切さは百年後に分かるのかも…。
とか思考にふけっているとーーーー。
ゆ、揺れてるっ!!
場所は木造建築の二階です。
ガタガタ具合がしゃれになりません。
帰宅後に府中市は震度2だったことが判明。普段の地震はマンションの4階の自宅で遭遇してますが、木造建築での地震は騒音が酷いな。あ。しゃれにならんな。





明治の小学生の学び舎の1階は、詩人村野四郎記念館として使用されています。
村野四郎は「ぶんぶんぶん」「巣立ちの歌」などを作詞した人ですが…。もう「ぶんぶんぶん」ののどかさは全くない。展示してる作品は、もう時代を反映して暗い。昏い。冥い~~~~っ!!
何コレ…。
さ。次行ってみようっ!!   幕末・明治(日本史) ブログランキングへ
コンデジ購入~
やや。最近ほやきが増えてたコンパクトデジタルカメラ。サクっと購入しました。
もうね。面倒くさいの嫌なんじゃ~~っ!!
私が重視したのはズームと撮影可能枚数です。
一応絞り込んで電気屋3軒回ってみた。ヨドマシカメラの表示タグには35ミリフィルム換算のズーム表示。電池寿命もあったんだけど、コジマには書いてなかった~。これが書いてないと比べようがないんだよね。
んで、肝心の欲しいと思う機種は、3つとも電気屋に置いてなかった~~。
ちっ!!後発機があったので、使い方を試してみたり~。んで結局、最終的に面倒くさくなってポチっと注文。無事到着。使い始めのテストは…。赤坂迎賓館の一般公開で試してみた。
やや。最初がこれってどないなの?
それが昨日です。
あれこれ迎賓館の庭でテスト撮影したのですけど。もう暑過ぎて、頭が回らん~。撮影した画像の確認ってどうやるの?ズームってどのダイヤル~~っ!!
テストは大切です。反省~。
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府中市郷土の森、修景池の蓮

2012年07月28日 05時10分11秒 | 蓮と睡蓮
大国魂神社を回った後、ついでに国分寺跡を見学。これについても既出なので詳しくはこちらの記事を見て下さい。
武蔵国分寺跡(2011年4月22日)の記事こちらを見れば、この辺りがかつて武蔵の国の中心地だったとわかります。
満足して、次に目指すは府中郷土の森博物館。
実は武蔵国分寺跡から府中郷土の森博物館までは2キロ弱あります。徒歩だと30分程の距離。出来ればバスで移動したい。と、ここであてにするのは府中市を走るコミュニティバス「ちゅうバス」です。一回100円の運賃なので、出来ればこれを…。バス停は市役所。めざして歩いてたのですが、どうも…。間一髪間に合いませんっ!
や~、府中郷土の森博物館の最寄りバス停を通るちゅうバスは、30分に1本ペースで運行しています。大国魂神社で既にバスの出発時刻になったということは、市役所に到着したら待ち時間が25分位。……。現在地から府中郷土の森博物館は約2キロ。……歩くか…。
ということで地味~に歩きました。途中、サントリーのビール工場とか、卸売り市場とか面白げなところがありましたが、今日はスルーで。一瞬心が惑ったのは、三千人塚。ここは分倍河原の戦いの死者を葬った場所とされています。
や~、心惑ったのだけどね。天候が寄り道を許さない~。
って?アレレ??お日様が顔を出しています。おかしいな?今日はどこの天気予報も午後から雨って言ってたのに…。
もしかして…。さっきの大国魂神社の参拝のお願いが効いてるのかも?「今日の天気は現状維持でお願いします。晴れなくていい。現状維持で!」
うっかりあっこさんと目を合わせてしまった。尋ねると、あっこさんも「雨降らないで」とお願いしたらしい。
ん~?もしや…大国魂神社の神様が大張り切り?
も一度「晴れなくていいの。現状維持で!!」とお願いする。やや。最早若くないので、出来るだけ日焼けは勘弁。すいません、ヘタレなのです。
とかなんとか言ってるうちに、府中郷土の森公園に到着しました。
ここは交通遊園・体育館・総合プール・修景池・つり池があるのです。
交通遊園にはバス・路面電車・消防車などが止まってました。んで、奥には…。ここにもあったか!!
D51です。
なんかコレってあちこちに展示してあるのな。…生田緑地だろ?町田だろ?他に…。上野の科学博物館にもあったよな。なぜにそないに残されまくってるのか…。
ともあれ、府中郷土の森公園の蒸気機関車はD51-296
です。

説明板発見:この車両は昭和11年から昭和20年までに1115車両も製造された日本の代表的な蒸気機関車「デゴイチ」です。
新潟・長野・東京・仙台・秋田に配属され、奥羽本線を最後に引退。この間約30年M242万キロメートル(地球60周)を走行しましたが、昭和47年3月に引退。現在は教材として国鉄から貸与をうけここに展示。
交通遊園もさっと抜けて見えて来ました!修景池
わ~い

まさかの見頃です。
今日の目的は紫陽花であって、蓮はオマケだったのですが、綺麗なら嬉しいよ。
あ。説明板発見:府中はハスのメッカなり(大賀一郎博士)
明治16年(1883)4月28日岡山県吉備町で生まれた大賀一郎博士は、東京帝国大学(現:東京大学)の入り明治42年(1908)に卒業。
昭和20年(1945)5月に中野の自宅を戦災で失い、同年6月から府中に住まわれ、昭和40年(1965)に病死するまで、蓮・まんだら・布目瓦(武蔵国分寺瓦)などの研究を行いました。
昭和26年(1951)に千葉県検見川で古代の丸木舟が発見された泥炭地を発掘し、青泥層から出土した2000年以上前のハスの種子を府中で発芽させ、翌7月に開花させました。このことは報道各社が取り上げ、国外では11月17日付けアメリカのライフ誌に掲載され「二千年蓮」「大賀蓮」として世界に知られることとなりました。
へえ~へえ~へえ~っ!!!
大賀蓮のことは知ってましたが、府中で発芽したとは知りませんでした。
修景池には大賀蓮をはじめ30種類の花蓮が植えられています。開花は6月下旬から8月下旬ですが、見頃は7月中旬から9月中旬の朝8時頃までです。
朝8時まで!!やはり蓮の花見は早起きが必須!!

30種類もあるそうですが、大賀蓮はまだ咲き始めたばかり。上の画像の蓮は大賀蓮とは違います。
でも他の蓮も既に花芽は伸びていて、今日あたりいけば見頃かも?
さて、目的地は…。
ん??あのバスなんか変?あれ?

や。今日のお散歩運はなかなか良いみたい
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大国魂神社の茅の輪

2012年07月27日 05時22分53秒 | 神社・仏閣
そろそろ紫陽花の季節も終わり。最後にどこかいい所は…。
ふと思い出したのは府中郷土の森博物館。ここ、去年の秋に訪問するつもりだったのに、大国魂神社のご神木のイチョウがポッキリ折れてるお姿に衝撃を受けて訪問せずに帰宅した場所です。確か府中郷土の森博物館は梅が有名だけどあじさいの名所でもあったハズ。ついでにあそこから近い高幡不動尊も紫陽花の名所だしセットで訪問するのどうかな?
と閃いてあっこさんにお誘いのメールを送信。
心良くOK!のお返事をいただきお出かけしたのが7月3日です。生憎天気予報は午後3時頃から雨。この時期仕方ないんだけど、今日は郷土の森の行き帰りで徒歩になるやもしれんのでなんとか降り出すのが遅いといいな。
待ち合わせはいつものJR南武線登戸駅に9時30分。府中本町駅に到着してまずは大国魂神社へ。
その前に、あっこさんは府中初訪問なので、軽く観光案内を。
最初に案内したのが府中高札場です。ここは既出記事なのでこちらを参照してね。
府中高札場と称名寺(2011年4月17日)の記事かつて甲州街道と府中街道が交差した場所にあります。向かいに残る酒屋も風情あっていいですよ。
その後案内したのはけやきの参道です。
やはり初訪問の神社仏閣は、正式な参道から参拝に訪れるのが良い。
なぜならば、現存する神社・仏閣は、明治維新の廃仏毀釈や戦後法律改正などを乗り切るために、かつての境内を切り売りした。
鎮守の森を切り開いて宅地販売した。
現金収入を得る為、幼稚園を経営している。
かつては大きな檀家があったので、そちらからの収入で経営が成り立っていたので、一般の墓地はなかったが、現在は募集してる。(既に新たに墓地として販売する土地がないので、無縁になった墓は撤去し、新たに墓地として再販売している。
といった理由などで、隆盛を誇ったときの神社・仏閣の規模を想像も出来ない所は多いんです。でもかろうじて、総門・山門、参道は残ってる場所も多く、脳内補完して、訪問した神社仏閣が隆盛していた往時を想像して楽しむ!
これが歴史ファンの基本ってゆーか醍醐味なのね。特に、関東は火災に遭った神社仏閣が多く、敷地は既に鉄筋コンクリートで作ったお社しか残ってない。なんてのもザラなのです。
でも大国魂神社はよく往時の姿が残っています。そして、けやきの参道の途中にある源義家の立像を見上げる。
こちらの記事でハンサムな源義家の像の画像を確認出来ます。>源義家と大国魂神社(2011年4月18日)の記事
ところで源義家って誰ぞや?
前回この像を見上げた時は、前九年の役をおさめた人としか認識がなかったのですが、今NHKの大河ドラマで『平清盛』を放映してますよね。これのおかげで源義朝くんの生涯などを検索してみた。
源義家には沢山の子どもがいます。その中に源為義がいます。彼が源義朝の父親です。つまり、源義家は源義朝のおじいちゃんにあたるのね。
先月の放送、保元の乱で崇徳上皇方について敗北。後白河天皇方についた長男の義朝くんの手で斬首されてしまいました。
ちなみに、先週の放送は平治の乱で敗北した義朝くん。あの時、常盤御前と永久の別れとなりますが、その時お腹にいたのが牛若丸。後の源義経です。
なので、半年ぶりに見上げた源義家像は前回とはひと味違う感慨がありました。
あ。ちなみに、源義家の別名が八幡太郎です。
そんなこんなでいよいよ大国魂神社。
こちらも私は既に訪問済みだったのでそんなに萌えが発動する訳ないや!と高をくくっていましたれば…。

何かある…
ええ~~っ!!あれはもしやせんでもっいや~~ん萌えるう~

説明板発見:茅の輪神事
夏越しの大祓え(6月30日)に茅の輪をくぐることにより疫病や罪穢れが祓われ、心身共に清らかになって後の半年を新たな気持ちで迎えます。

茅の輪神事の由来…釈日本記より「備後風土記逸文」 和銅6年(713年)の蘇民将来の故事から起こったものといわれている。蘇民将来がスサノオの尊の教えに従って腰に茅の輪を下げたところ、子孫代々に至まで災いなく栄えたということから、今では夏越しの大祓えに茅の輪をくぐり半年の罪穢れを祓い、夏以降の疫病や罪穢れ除けを祈願します。

もちろんぐるぐるしました
拝殿で参拝。ついでに去年ぼっきり折れてしまったご神木の様子を見に行く。

う~む。痛々しいお姿ですが、さすがにこれくらいでイチョウは枯れません。今年も無事芽吹いてました。
や~、木はね、気づいた時には枯死してることあるからね。見れる時に見ておかないと!(今年も安国論寺の有名な海棠が枯死してしまいました…4月の桜散歩の時、わざわざ安国論寺に立ち寄ったのに、海棠が咲いてないな?と思ったんだよね。まさか、今年枯死認定が出るとは…。せめて木が元気な時に見ておきたかった)
ちなみに、在りし日のご神木のお姿はこちらの記事で参照下さい。
大国魂神社でお宝散策(2011年4月21日)の記事
ついでに本殿を除いてみた。

なんか…いる?あれは何だっ!!
説明板発見:
律令時代国府にいた国司が国内における大社六社を一所に勧請祭祀したのが始まりで、当時は武蔵総社、六所社と称していました。
源頼朝以降、歴代将軍家等武家の尊信が厚かったといいます。
現存する本殿は、正保3年(1646)の火事のよる全焼の後、徳川四代将軍家綱の命によつて、寛文7年(1667)3月に完成したものです。
構造は、一間社流造の社殿三棟を横に連結した三間社流造の相殿造です。
流造とは前面の屋根が長く伸びて庇(向拝)となったものです。流造自体は神社の建築様式としては最も一般的な形ですが、三棟合わさった構造様式は、遺例が少なく珍しいものです。三棟の社殿は一つ屋根の下にありますが、それぞれ別々の神を祀っています。
うん!素晴らしい。でも本殿には通常近づけません。直人は、木の柵の間から遠く望むのみ!

最後に鼓楼を見上げて終了…。石燈籠がある。いつの時代のものだろう?と何気なく見たら、天保年間の文字がっ!!う~ん。やはり神社散歩は奥が深いです。
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昨日、相模原市では光化学スモッグが発生しました。
光化学スモッグって久々な響き。つーか、今でも発生してるものなのですね。ちょっと驚きました。

JAXA相模原キャンパス特別公開 2012年7月27日(金曜)ー28日(土曜)10:00-16:30
今日からJAXA相模原キャンパスで公開が始まります。
●JAXA相模原キャンパス(施設公開・工作・実験・JAXAプロジェクトの最新情報・スタンプラリー・銀河連邦物産展ほか
●相模原市立博物館(宇宙学校スペシャル・プラネタリウム・企画展「宇宙科学の先駆者達ー糸川英夫と小田稔」
●東京国立近代美術館フィルムセンター相模原分館「宇宙科学セミナー、フィルム上映&施設ツアー」
●相模原市立共和小学校校庭「水ロケット教室(整理券配布)…7月28日(土曜)のみ開催

無料バス運行 乗降場所:JR淵野辺駅南口・相模原キャンパス
運行予定 淵野辺駅南口相模原キャンパス9:50-15:15(満員に成り次第発車)
相模原キャンパス淵野辺駅南口11:00-17:50(満員になり次第発車)

別に有料バスもあります。 淵野辺駅南口2番乗り場『淵36または淵37青葉循環淵野辺駅南口行き』バスを利用。「市立博物館」下車徒歩3分。
*キャンパス内に売店はありますが、時節柄、訪問時にはのみものを持参して下さい。
一昨年、「はやぶさ」が帰還した時は凄い行列が出来ましたが、去年はそれほどでもありませんでした。
JAXA相模原キャンパス一般公開(2011年8月13日)の記事去年の8月13日から9月6日まで、一般公開の記事を連載しています。よかったらJAXAに行く前に見て下さい。雰囲気がわかります。
小惑星探査機「はやぶさ」の記事
はやぶさの他、オーロラの謎に挑む「れいめい」 はやぶさのイオンエンジン 金星探査機「あかつき」などの記事があります。

記事をアップした直後JAXAへ行って来ました。
忘れてましたが、今年は「宇宙兄弟」の映画化&アニメ化のためが、小学生の見学が多い多い。まさかの1時間半待ちとか、整理券配布が早々っと終わってしまったり。
とりあえず、半分程見てすごすご帰って来ました。明日行かれる方は、回る順番を考える。優先順位をつけることをおススメします。
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大巧寺・本覚寺・妙本寺夏の花

2012年07月26日 05時22分22秒 | 鎌倉
若宮大路で楽しみにしていたKIBIYAさんのパン…。まだ開店してなかった~。今日は朝5時出発で観光してるので、11時の開店までまた30分もあったのだ!仕方がない~。
次なる訪問地へ移動です。
トップ画像は、JR鎌倉駅から若宮大路に出ると向かいに見える大巧寺さんです。
地元民はほとんど小町大路と若宮大路の抜け道として利用しています。
青いのはこの時期よく見かけるアガパンサスです。ピンクはアマギノクサキ。
大巧寺さん到着は、10時33分。一旦小町大路へ抜けて、本覚寺さんへ。
到着時刻は10時41分。
本覚寺さんでは蓮を目当てに行ったんですけど、咲いているのは1輪のみ。本覚寺さんでは瓶に蓮が作られています。
そして妙本寺さん。
到着時刻は10時49分。
まだアジサイが綺麗でした。鎌倉で最後までアジサイが楽しめるのは妙本寺さんじゃないかしら?なのでいくつか紹介。正真正銘、私の今年最後のアジサイ~。





でも妙本寺さんを訪れたのはこの時期オレンジのつる花ノウゼンカズラ見物だったのですが…。
あれ~~??

え~と…。上の画像の左側の植物、これがノウゼンカズラなのですが…。まだ咲いてない…。
マジでぇ~~??

本来ならば、上の画像の中央のつるの先にオレンジのノウゼンカズラが咲いてるハスでした。これ、撮影したのが7月16日ですがら、丁度10日前なのですね。今頃見頃じゃないかな~?
最後に何度も妙本寺を訪れてるのに紹介漏れしていたものを。
源頼家の長男一幡の墓
源頼家は源頼朝と北条政子の嫡男です。寿永元年(1182)8月12日に、現在は妙本寺。かつては比企能員の屋敷で生まれました。
ちなみに、若宮大路にある段葛は、源頼家が北条政子のお腹にいた時、安産祈願で頼朝が作ったものです。
頼家の乳母に選ばれたのは、比企氏の一族。これは源頼朝の乳母であった比企尼の養子が比企能員であったことから。かかわりは深い一族でした。
ところが頼朝なき後(1199年1月13日)、2代将軍となった頼家君(1201年7月22日)でしたが、治世は全くうまくいかず…。反乱が相次ぎもう大変。比企一族も建仁3年(1203)9月に滅亡しちゃいます。この時、頼家の乳母の父で長男一幡(母は比企能員の娘・若狭の局)の外祖父である比企能員も死亡。この時、頼家の長男一幡は、母若狭の局と共に焼死しました。以後、比企一族の屋敷跡は妙本寺が建ちました。画像の一幡の墓の他、比企一族の墓・若狭の局の蛇苦止堂が境内には残っています。
これらは以前記事にしてるので省略ね。
日蓮宗の妙本寺(2010年4月6日)の記事こちらの記事に蛇苦止堂の画像があります。
さて、時刻は11時8分。
「ここで選択です。
A)今から2キロ先の光明寺へ行って蓮見をする。その後材木座海岸で遠く富士山を望みつつお昼ご飯。
B)帰宅する。
さあどっち!」と言いましたらば、ダンナは「帰りたい~」と言うので「それがいい」と。
まだ11時だというのき帰宅すべくJR鎌倉駅へ戻りましたらば、すんごい人波でした!!
な・ななななな何でこんなに人がいるの~~?
体感気温は軽く30度を超えてます。君達は元気過ぎる…。ほうほうのていで改札を抜けたのですけど、今鎌倉へ到着したばかりの人並みに、ホームへ行けない~~。え・駅員さん~~。た~す~け~て~~っ!!
人波に逆行するのは大変と学びました。ってなことで鎌倉蓮見散歩は終了です。
あ。ちなみに、海蔵寺にも小さな蓮池がありました。 大巧寺は瓶の蓮。 妙本寺も瓶の蓮が置かれてました。海蔵寺さん・大巧寺さんのは7月16日訪問時に既につぼみが伸びていたので、今日7月26日には既に咲いてるかもしれません。
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海蔵寺のノウゼンカズラ

2012年07月25日 05時46分43秒 | 鎌倉
鶴岡八幡宮出発が9時8分。

途中英勝寺さん前通過したのが9時31分。名残のアジサイの花が見えます。んでも、夏の太陽の下のアジサイは色がもう…つーかアジサイに夏のお日様は似合わない~~。
とかなんとか9時42分に海蔵寺さんに到着です。
画像中央奥、階段が見えますか?階段両脇に萩の花がただ今成長中です。9月になると、両側から滝のように落ちる萩の花が綺麗なんだよね。って確か画像があったハズ。検索検索。ハギの花と鎌倉の寺はよく合う(2009年10月16日)の記事この頃、まだ携帯を使ってなかったので、画像が少ないんだよね~。

海蔵寺さんは7月はオレンジのノウゼンカズラの花が見頃。でも今年はまだ少し早いかな~?今年の花は例年に比べ1週間から10日ほど遅めなのですが、7月に至っても遅れが解消してないのだね。
海蔵寺さんの裏庭
画像をよく見ると、左手前にハンゲショウ。奥の池に黄色の睡蓮の花が咲いてます。う~ん。見えるかしら~?
ついでに紫の桔梗の花も綺麗。

なごりのアジサイもまだ残ってました。

さて、次へ。
帰り道は行きと道を違え、JR横須賀線の高架をくぐり岩船地蔵堂に立ち寄りました。ここでもNHKの大河ドラマ『平清盛』関連で一言。
「この岩船地蔵堂はな、源頼朝と北条政子の長女、大姫を祀ってるのよ。実はこの大姫というお嬢さんは、小さい時にもうダンナさんが決まっててね。それが木曾義仲の長男・義高くん。この子は半分くらい人質として鎌倉にやって来たのね。
ところが木曾義仲は頼朝の父ちゃん、義朝君と同じで、京都の政事に失敗して失脚。つーか、源頼朝の命令で義経に攻められて討ち死にするんだね。これはヤバいっ!と北条政子は義高君を逃がそうとしたんだけど、所沢の向こうの川原で捕まって斬首となりました。時に義高君はわずか12歳。
それを知った大姫は病気になってしまいます。が、頼朝は大姫の婿がいなくなったからと、大姫を天皇の妻にすべく入内を画策する訳だ。が!!ここで怒ったのは北条政子さん。なんと!義高くんの首を刎ねた頼朝の家臣を攻めてなんと!晒し首にしてしまいます。かばわない頼朝はヘタレなのか?政子の勘気が酷かったのか?
でもそんな事をしても大姫の心は癒えず、結局大姫は20歳で儚くなってしまいます。そんで、この辺りはかつて野辺送りをした場所。岩船地蔵は大姫の守り地蔵を祀っているのだね。
ちなみに、木曾義高くんのお墓は大船の常楽寺にあります。そのうちに行こうね。」
って立て板に水のごとく解説出来るのは、岩船地蔵堂が、建長寺から亀が坂切り通しを抜けた下って来た場所にあるからです。ここを右手へ行くと、化粧坂切り通し&海蔵寺が。左手へ行くと寿福寺&JR鎌倉駅へ行ける要に位置するので、よく通るのだ。んでよく解説してるのだ。
さて、JR横須賀線を右手に進むと、扇川に平行して進むことに。
扇川は細い小川ですが、谷戸の奥から水が流れ下るので水が綺麗なのです。
画像では分かりにくいんだけど、水の中の藻に白い花が咲いています。これ、カナダ藻かな?アメンボとか小さな魚も泳いでます。鎌倉は小さな川が一杯あるんだよね。気づいたら覗いてみて。以前、青とオレンジの小さな鳥が遊んでいたことも。
さて、次は…。つーか、若宮大路をあえて選択。実は、おいしいパン屋があるのです。ここでパンを買って、お昼に材木座海岸で富士山みながらいただきたい~。って、あれ??し・閉まってるう~~~。
何でやっ!!
……あ。開店時間は朝11時より。え~と?まだ30分くらいあるなあ…。
待つのは嫌じゃ!次行ってみよう~。

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鶴岡八幡宮で蓮見

2012年07月24日 05時53分55秒 | 蓮と睡蓮
大船のフラワーセンターを出発したのが7時50分。JR大船駅に移動して、JR鎌倉駅で下車。せっかくなので、若宮大路の観光客の殆どいない段葛を通って鶴岡八幡宮へ到着したのが8時43分!
いか~んっ!!移動に1時間もかかっとるがな…。
蓮の花見は朝早い程いいのである、8時ともなると、開花1日目の蓮の花は閉じてしまうのだ
あ。ちなみに、今日のお散歩目的は蓮見なので、その辺り詳しく説明しますとね。
蓮の花は早朝に開きます。
開花1日目の花は午前5時頃から開き始め、8時頃には閉じる。
開花2日目の花は午前7時から9時頃までにおわん型値に開き、昼頃には閉じます。
開花3日目の花は早朝におわん型からさら型まで開き、午後には少し閉じますがm半開きの状態で終わります。
開花4日目の花は早朝に完全開花した後散り始め、午後には花托だけが残ります。
一番美しい時は、2日目の早朝の花といわれています。
という訳で、現時刻午前8時43分というのは結構なピンチです。それもこれも今朝始発便に乗り遅れたせいだ…。
ってな事で、まずは平家池から。

平家池は白い蓮。ってあれ?平家ならば、ここは赤もしくはピンクの蓮を植えておくべきじゃ…。
やや。今日は蓮見なのです。画像優先です。
既に散り始めている花
なにげに綺麗な画像ですよね~。ってコレ、携帯電話で撮影してるのです。ええ。あのショボい望遠しかついてない携帯電話。だから、トップ画像のような画像を写すには、近づかねばなりません。そこはもう運次第なのです。どんだけ池の側で咲く綺麗な花があるかないかが重要なんですよ。
ということで、次は源氏池



こちらは周囲に生け垣があって、なかなか池の淵に近づけません。中央にある旗上弁財天社のある島だけ源氏池の池の側まで近づけます。

そこで撮影しました。半分閉じてるのは開花1日目の花かしら~?もう少し早かったら、これ綺麗だったハズ。
わたなべさんは午前8時に鶴岡八幡宮に到着したとのことですから、もしかしてこの花の綺麗な姿をご覧になってるかも?いかがです?
さて。源氏池の周囲を藤棚のある辺りへ。あそこも池の端から見えるハズ。

池の端ではあったけど、蓮は少し遠かった~。隙間にいたのは水鳥とカメです。しかもこれ…。スッポン??
期待ハズレ。つーか、鶴岡八幡宮の蓮はまだ咲き始めたばかりのようで。これから見頃を迎えるのかしら?
せっかくなので、源頼朝が御祭神の白旗神社の参拝。や~、NHKの大河ドラマ『平清盛』では先週遂に平治の乱の後始末が終わり、頼朝も伊豆に配流になってしまった~。これでしばらく源氏の出番はない模様…。
ここまで来たのでついでにご神木の今の状態を見ていこう。

あれ?ひこばえが…。以前訪れた時は、たくさんのひこばえが出ていたのに、1本しかない。つーか、これがエースなのか?これだけ残したのか?う~む。何はともあれ、無事に成長するといいなあ。
ちなみに幹の方は…。
こちらも一杯出ていた新芽を整理したようです。つーか、よくわからんのだが、これ、新芽を残してあるのか?まあ。有名なご神木だから、樹木医か園芸家の人が世話してくれてると信じて次来る時も定点観測を続けよう。
さて、時刻は既に9時8分。暑くなる前に観光を済ませないと!
次の目的は谷戸の奥にある海蔵寺さんのノウゼンカズラです。
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や・やっちまった~。
昨日、一番使用頻度の高い包丁を磨ぎに出したのです。や、もう、トマトもまともに切れなくなったのでそれはもう綺麗になって戻って来ました。
明けて今日の朝、サラダを作ろうと、トマトときゅうりを出してカットし始めました。
と~こ~ろ~が~っ!!
ストンと、勢いよく切り落としたのは、きゅうりじゃなく私の指先。左の人差し指の先っぽでした。
マ・マママママジでぇ~~~~~っ!!
脳裏を駆け巡る鼻血事件。
やや。これは私の『脳梗塞闘病記』を読んでる人はご存知ですね。鼻血を吹いたら止まらず、病院に駆け込んだあげく、先生に「入院していく?」とすすめられた件です。脳梗塞の後ケアで、毎日飲んでる薬の中に、バイアスピリンというのがあるのですが、これが血栓防止。血液サラサラ効果のあるお薬なのです。これの反動として、出血したら、なかなか血が止まらないという…。
慌てて、ほとんど切り落としてしまった患部を押さえつけ。患部を固めるべく「サカムケア」を塗り…塗り…。出血の勢いがサカムケアを役立たずにする。
仕方ないので、カットバンをきつく巻き付けてあります。数枚駆使して血止め中。これで血止め出来るのを希望~。

え~。gooのメンテナンスが入って、上の記事を更新出来ない間に血は無事止まりました。(よ・良かった~)
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大船フラワーセンター今咲いてるのは…

2012年07月23日 05時20分05秒 | 蓮と睡蓮
蓮池は通勤電車のような混雑なので、撮影を諦めて園内をそぞろ歩きました。
や。本当は今が見頃のユリを探しつつ歩いていたのですが、見つかったユリはこれだけ~。
ベニスジヤマユリ
さて。次は~。…お腹がすいた…
園内に散在するベンチもほぼ埋まってましたが、運よく一つあいていたのは…。
 バラ園。うっかりアンパン越しの画像を撮影し忘れましたが、この中央にアンパンが写っていると思って下さい。この景色を見ながらの朝ご飯は、たとえアンパンとスポーツ飲料でもごちそうさ。

バラ園では2番花が満開です。中輪咲きが綺麗でした。夏の太陽の下のバラは、なんだか南国の花のよう…。
玉縄桜
玉縄桜は大船フラワーセンターで、生まれました。名前の由来は近所にある中世のお城「玉縄城」から。
玉縄桜は染井吉野より先に咲く、早咲きの桜です。品種登録されたのは平成2年。生まれたのは比較的最近なので、小さな木がほとんど。でも生まれた場所ならば、大きな木があるんじゃないか?と園内を探して見つけたのが上の画像。7月の撮影なので、桜の花はついてません。でもこれ、昭和44年とか書いていたような…。すみません。札の撮影をし忘れました。
カンナの花壇

アガパンサスの花壇
以下は温室の花。
 

 
大船フラワーセンターは園芸種の花を展示してるので、こんな花壇がありました。

目に気持ちいい風景。出来るならここで寝転がりたい…。
といっても、蓮と睡蓮の池の周りは人で一杯なんだけどね。下の画像奥で左右に行列が確認出来ます?行列の向こうが蓮池なのです。みんなお行儀良くならんています。ちなみに右端でカメラを構えてる年かさの女性。この方の狙っているのは睡蓮です。白い柵の向こうは睡蓮池なのです。
今日のトップ画像は睡蓮池で撮影しました。私が使用してる撮影機材はご存知のように携帯電話なので、拡大はほとんど出来ない。綺麗に撮影するには、自分が花に近づくしかないのです。
白い柵で前屈。腹筋と脇の筋肉が吊りそうになった…。マジにぼちぼちコンデジの購入時期やもしれん…。
や。一応マイフェィバリットコンパクトカメラは持参していたのですが…。カバンに突っ込んでたら、同じくカバンの中にあった凍ったアンパンと氷入りの水筒のせいで、コンパクトカメラのレンズが~~~~曇った!!んでもって、フェイバリットなコンパクトカメラは今どきフィルムカメラなのです。これ2000年に購入した奴でして…。いいかげん酷使し過ぎたようで、最近写した写真が~~、まるで20年もの?みたいな変な写真を増産してるんだよね…。それも面白いと思って使ってたんだけど。手持ちのコダックのフィルムの在庫がなくなってしまった!
コダック…。確か倒産したよな。フィルムまだ売ってるんだろうか…。
マジにデジタルカメラに買い替え時期かもしれん…。
倍率が200ミリは最低でも欲しい。(や。一応一眼レフのペンタックスMZ-3は持ってるのですが。重くて散歩には不向きなのです。それの望遠が200ミリなのだ。)

50周年記念日なので、こういう演出もあります。
さて、先を急がないと!時刻は既に7時50分です。蓮は8時頃には花が閉じてしまうのだっ!!
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今日、「鎌倉で蓮見」のフォトチャンネルに画像追加しました。
追加したのは全部東京都町田市の薬師池公園の蓮です。
全て携帯電話で撮影してます。またもや脇腹の筋肉と足の指の筋肉が吊りそうになりました。マジでコンデジが欲しいです。
鎌倉で蓮見

よかったら見て下さい。よろしく
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鎌倉へ蓮見に

2012年07月22日 05時35分26秒 | 蓮と睡蓮
先週の3連休の2日目。厚かったんです。氷麦茶が美味かったんです。ガバガバ飲んだら…、夜中に腹が壊れました
何度か起きてはトイレへ…。あれは2時…や。3時だったかな?翌日の降圧剤を早めに飲んで就寝。なぜならば、翌日は早朝から観光を予定していたのです。
なので、服用後3~4時間後まで副作用がある降圧剤は、逆算して歩き始める時間までに服用を終えておかねばなりません。

起床時間は4時半!寝過ごした~~っ!!
慌てて水筒に氷とスポーツ飲料を詰め込んで、凍らせたアンパンをカバンに詰め込んで飛び出しました。
ああ、始発に間に合わない~…
何を凹んでいるかと言うと、7月16日のお散歩の目的は蓮見なのです。蓮は早朝に鑑賞するのが常識なのです。
そんなこんなで始発を逃したため、大船駅到着は6時20分!
イカンです。大船フラワーセンターの観蓮会は朝6時からなのです。
そんなこんなで到着した大船フラワーセンターは…。

すんごい人!!でした。ちなみに、上の画像の撮影時刻は、6時46分です。これね~、蓮池の見物行列です。
なぜにこんなに人が多いのか?
それは7月16日の観蓮会が大船フラワーセンターの創立50周年の記念日と重なったから。
16日は記念日につき、入園料が無料だったのです。そんで朝の6時半だというのにこの大行列なのだ…。
観蓮会は早朝6時から。通常の開園時間は午前9時からなのですが、観蓮会は朝6時から。
ちなみに大船フラワーセンターの観蓮会は7月14・15・16日まででした。
私達も行列に並んでいたのですが、「裏からでも蓮はご覧いただけます~」と案内があったので、表から見るのを諦めて裏へ廻りました。

裏と表の違いはお日様の光の方向の違いだというのに気づいたのは、蓮池に到着してから。せっかくの早朝蓮見なのに、逆光撮影かよ~。凹む~。といっても蓮は綺麗でした。

いくつか画像を紹介。



以下、2枚の画像は蓮池ではなく、瓶に咲いた蓮です。…蓮は綺麗なんだよ。蓮は…。これで人の足が写ってなければ……



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昨夜の「アド街ック天国」は鎌倉の若宮大路の紹介でした。30位から始まって、ベスト10の発表が始まる頃には眠さとの戦いに…。番組終了時間はなんも覚えてない~。悲しい~。楽しみだったのに…。やっぱ私の就寝時間は、9時なのね…。MAX9時半らしい。

明けて朝、NHKを流し見していたら、「ラジオ体操」が始まったので、久々にやってみた。
惨憺たる結果でした。
あれって、左右対称の動きが多いじゃない。以前はちゃんと出来てたのに、出来なくなってました~。
やや。少しは脳梗塞の左半身麻痺の後遺症だと思うけど、大半は老化!とダンナは言う。
ちっ!!
やっぽそうかよっ!!
NHKでググって、「ラジオ体操」の録画予約をしました。録画に合わせて1日1回は「ラジオ体操」をしよう!
3日坊主にはなりませんように。

コメント (2)
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柴又・山本亭外観

2012年07月21日 05時00分14秒 | レトロ建築
トップ画像は山本亭の長屋門です。瓦葺きの木造平屋の伝統的な形態を踏襲しながら外観・内部共意匠を洋風化しています。
袖部屋の窓はステンドグラス。広さは3畳ほど。当時は門番が常駐し、客人のお付きの人、人力車の車夫が控えていた。
袖部屋の床はモザイク。
応接室の窓の外側

防空壕跡
画像撮影し忘れましたが。防空壕の右手に茶室がありました。
玄関。撮影画像の背後約10メートルに長屋門があります。かつてはこちらが玄関です。
現在の入口兼受付はこっち。
二階は現在非公開。
さて、ダッシュで京成金町線の柴又駅へ戻ります。
向かいには両さんのラッピング車両が!んでもやって来た京成高砂行きはさっきと同じ寅さんラッピングでした。
時刻は既に16時30分。ヤバヤバで電車に飛び乗ります。さて、帰路は…。京成高砂から押上駅経由ーーー。
ん?押上駅っ?それってスカイツリーっ!!
わくわくと近づくスカイツリーの姿。でも~~、出来るだけ近づいてから撮影しようと構えていたら、突然視界がブラックアウト!!
そうなのです。京成線は地下へ潜ってしまったのです。
ああ、こんな画像を撮らなきゃスカイツリーの撮影出来てたかも?

や。実は彫刻ギャラリーと本土寺のあじさいの撮影を大量にした結果、携帯電話の電池残量がほとんど残ってないんです。もう上2つは空。いつ電源落ちるかとヒヤヒヤでスカイツリーの撮影をぎりぎりまで待ってて失敗してしまいました。マ・マジか~最後の最後でやっちゃった~…。

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柴又・山本亭内観

2012年07月20日 04時48分12秒 | レトロ建築
柴又帝釈天から徒歩約3分。山本亭に到着です。

説明板発見:この建物は、地元ゆかりの山本工場(カメラ部品製造)の創立者である山本栄之助翁の自宅でした。
関東大震災後、当地に移り住み、以後4代にわたって使われていたものを、昭和63年に葛飾区が取得し、平成3年4月から一般に公開しました。
建物は、一400平方メートル、二階50平方mの木造瓦葺き二階建てで、地下室、土蔵、長屋門なども備え、大正5年から昭和5年の間に数回にわたる増改築を重ね、現在の姿となりました。
伝統的な書院造りと洋風建築を複合した和洋折衷の建物と、純和風の庭園とが見事な調和を保っており、その文化的価値は、国内はもとより海外においても高く評価されています。
開館時間:AM9:00-PM:5:00
休館日:毎月第三火曜日(12月の第三週のみ火~木曜が連休)
入館料:100円

ということでまずは内観をご紹介。

並んでる机は、実は喫茶もやってるから。和の飲み物が注文出来ます。
主庭
池と背後に築山があり滝を落とす。典型的な書院庭園。面積は約890平方メートル。約400本の樹木が植えられている。
ちなみに、都内では昭和初期の資産家の庭園が残っているのは他に、旧安田邸(墨田区)徳富邸(世田谷区)があります。
お庭を愛でつつお茶をいただくのは風流。心が動きましたが、時間があまりないのでパスしちゃいました。残念。

豪邸の名残が廊下の高い天井にも。左手の桟の上部に見える箱のようなものは柱時計です。しかも3つもあります。これ、東京時間の他、外国の時間にあわされています。どこだったかな?忘れちゃいました。
電話室

  床の間

玄関入った所。
今の季節にぴったりの花菖蒲の作品。でもこれは1991年に葛飾区の以来で描かれているので、山本ご一家が暮らしてた当時はなかったものです。
鳳凰の間
邸内で唯一の洋間。昭和初期のデザイン。白漆喰仕上げの高い天井や、寄せ木を用いたモザイク模様の床。大理石のマントルピース。ステンドグラスも見えます。(画像では白い光で飛んでしまってますが、窓のガラスはステンドガラスなのです。

上の画像の左外。ここから庭の池を眺めるのも楽しいです。

最後にピックアップしたのは床の間つきの部屋にあったくじゃくの木彫。なぜにここにくじゃくを誰が彫ろうと思ったのか…。

そう言えば、こんなんもあったよ。
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なんで午後一から雨なんだよっ!1
え~、関東では昨日までの狂った様な猛暑日から一転、寒くて寒い日となりました。まさかっ。昨日の暑さでキャミソール&Tシャツ&長袖ブラウスを来て、翌日外出するとは思わなんだ。
今日のおでかけは、町田市の薬師池公園のハス見見学と町田ダリア園だったのですが、ハスは時刻が大切だからこっちを先に訪問したのです。
これがイカンかったのか、5分時間短縮しようとして、40分近く七国山を彷徨ってしまいました~~。
反対のコースは何度かあったんですけど、逆回りしようとしてハイキングコースで道を見失ってしまいました…。
んで、予定より30分押したら30分戻りが遅れてしまい、結果…町田駅周辺でまさかの雨!!しかも本降りっ!!
天気予報はどうしたっ!!メッシュ予報もいいが、ともかく雨の降り出し時刻は当ててくれっ!!
ちなみに、朝9時頃、小田急相模原駅で電車待ちしていたら、見慣れない電車が通過したっ!!
見慣れないのもそのハズ。通過していった急行電車は、去年ほんの2-3カ月で姿を消したドラえもん電車の新型だったのです。神奈川新聞のWEBページで、ドラえもん電車のニュータイプが出来たのは知ってたのですけど、早々に遭遇してびっくり~。画像撮影出来なかったのが残念無念。
去年の初号車両に比べ、新型のペイントは控えめです。後ろ側の顔が大きなドラえもんの顔でした。中はどうなってるのだろうか?
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柴又帝釈天祖師堂

2012年07月19日 04時45分57秒 | 神社・仏閣
や。トップ画像は祖師堂ではなく、帝釈堂です。画像の右手前に写っている水盤舎には見事な彫り物があります。
んでもね、なぜか彫り物は針金のネットで保護ざれていて、鑑賞気分はだだ下がり。

それでもこの龍の木彫だけは写してみた。
さて、お庭の鑑賞も終わり、ざっと境内を散策。

こちらが祖師堂です。
はい!中央の木彫をアップ!
龍です。帝釈天様は龍が好きなのでしょうか?あちこちに龍の彫刻を見かけました。


南大門
さて、すっかり時間が経ってしまい慌て気味。これでは矢切の渡しには乗れません。や。さすがに柴又から相模原へ戻るとなると、最低でも1時間半はかかるのです。せめて新宿辺りで17時前には帰りたい。帰宅ラッシュに巻き込まれたくはないのです。
ということで、矢切の渡しは諦めて、寅さん記念館も諦めて、それでも見てみたい山本亭さんめがけレッツ・ゴー(行くんかいっ)というツッコミは無しに願います。(少しは懲りろ)
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柴又帝釈堂の木彫5

2012年07月18日 05時56分30秒 | 神社・仏閣
スピードアップして記事をお届けといいつつ、帝釈天の木彫が素晴らしく、連続投稿が続いてます。すみません。今日で木彫の記事は終了しますので、おつきあい下さい。









博物館や美術館に納められている木彫は、収納ケースに納まってて距離が遠いのが普通ですけど、ここは満足いくまで足を止めて一つ一つを見られるのが嬉しいです。
って、私のペースにつき合わされた同行者はどうだったのかな?
反省しつつ入口に戻りました。
彫刻ギャラリーのような帝釈堂の壁面は、見学前に入口で見学料を支払いました。そこで販売されていたギャラリーの本を購入。パラパラとめくってお気に入りの彫刻を見つけて受付のおじさんに彫刻の所在を尋ねて再び見学に戻る。しかも「見本誌お借りしていいですか?」などと非道なマネをしてしまう程私はここを気に入ったのですよ。(反省はどうした)
さて、お次は帝釈天のお庭の見学です。ここも楽しみだったのよね。

瑞々しい木々が素敵です。腰掛けて、お茶を飲みつつ休憩。静かなお庭でくつろぐのはいいですね。

こちらはお庭の周りを回廊でまわれるようになっています。進む毎にお庭の景色は変わってゆき、かつては富士塚だったのかしら?と思わせる一角もあります。

ゆったりと流れる時間で和みたい所ですが、先を急がねばっ。だってもう15時半なんだもの。
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夏です!
一年で一番お散歩に不向きな季節です。歩けば歩く程、ダメージが…。いつから30度超えは当たり前。ちょっと気を抜くと35度超えてたりするのだろうか…。
このところ、お散歩につき合ってくれていたあっこさんが今年の夏は仕事が忙しいとかでお散歩出来んらしい。ここは一つ、漫画でも描こうか?と思いまして。
昨日、ネタを書き出そうとしたんですよ。
5月のイベントで本を売りながら、いくつかエピソードを思いついてたんだけど、その時ネタを書き留めてなかったんだよね~。
お・思い出せん…。
マジか~ぁ…。あ~れ~??
やや。最近とみに記憶力が落ちてるのを感じてます。ちょっと前までは全部覚えてられたのに…。
こぼれたミルクは戻らない。
忘れたネタも戻らない。なんか、もったいないことしたなあ…。
とりあえず、次回イベント申し込みは9月2日のCOMITIA東京です。COMITIA実行委員会からは「今回は全てのサークルのスペース確保しました!」とメールがやってきたので、参加は確実!さ~て…。消えたネタは諦めて、何描こうかな~?一からのスタートですっ!!
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柴又帝釈天の木彫4

2012年07月17日 05時53分22秒 | 神社・仏閣
まだまだ続きですみません。今日は柴又帝釈天の帝釈堂の彫刻。一昨日までは10枚のふすま大の胴羽目木彫を紹介しましたが、あれは帝釈堂の壁面の高い部分にあるんです。見学しやすいように足場と彫刻が痛まない様に覆いがなされてます。足場の上部の見学を終え、今度は下部の見学です。
トップ画像は沢山の木彫画像からお気に入りを選んでみました。かわええでしょ?
や。一つ一つ紹介してたらば、いつ木彫の記事が終わるかわからんので画像増量で紹介しますね。



もうね、彫れる所は全部彫る!ってな具合で、隙間なく彫ってあります。これって、彫ってから組み立てたんですかね?それとも、建物が出来上がった後、彫ったんだろうか?

木彫の一杯具合を紹介しようとよくばって引きの画面で撮影しています。堪能するにはやはりご自分の目でご覧いただくのが一番かと…。







階下にあるのは「花鳥図」最下段に「亀図」。千葉県鴨川市出身の名人高石仙蔵(四代伊八郎信明)師の彫によるもの。
高石仙蔵は胴羽目木彫も彫った加藤勘蔵に呼ばれて作品を作りました。
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本日、関東地方が梅雨明けしました。
や~、昨日鎌倉へ蓮見に出かけたら、やたら空が透き通ってました。そろそろ梅雨明けか?と思ってましたらば、先ほど宣言出ました。
う~む。梅雨明けはともかく、既に灼熱なのがどうにもこうにも。
私、すぎ花粉患者なのですけどね。この時期杉花粉患者はお天気に敏感です。
なぜならば、来年の杉の花粉量は、7月の気温と雨量に密接に関係してるのです。
気温が高ければ高いほど。晴れてれば晴れるほど。杉は花粉をじゃんじゃん作ってしまうのです。
今の時期に仕込みが終わって、あとは来年3月を待つだけとなるので、杉の飛散予報にハズレはありません。予報基準は、いつ飛散開始して、いつ飛散終了するか?それのみ!!です。なので、今日みたいに30度超えの猛暑日で晴れてると憂鬱になるんだ!でなくとも、今年の杉花粉は少なかった!杉の木は花粉生成のエネルギーが有り余ってる気配。なので、条件が整うと気持ちが凹む~落ちる~。お願い~。雨っ!!気温は諦めても雨さえ降ればっ!!
切実な杉花粉患者の叫びです。

昨日、鎌倉に行って来ました。
大船フラワーセンターでは早朝6時から蓮見会がありました。私が到着したのは6時46分!綺麗だったので、蓮のフォトチャンネルを作りました。よかったら見てやって下さい。
鎌倉で蓮見

驚きポイントは、これが携帯電話での撮影ってこと。1枚。睡蓮の画像を貼付けてあるのですが、柵越しだったので、腕を伸ばしての撮影は、脇腹がつりそうになりました。もう若くないんだから、無茶はいけません!と一瞬だけ反省しました。
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