あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

大磯明治の歴史散歩はブラタモリで

2015年02月28日 00時01分53秒 | 歴史散歩
かつて存在した旧三井家別荘地区&旧吉田茂邸のある城山公園を後にする。次なるは大磯の旧別荘群跡を散策します。
大磯は明治ー大正ー昭和初期にかけ、数多くの著名人が別荘を構えました。著名人、華族・旧公家に大名、明治政府官僚に財界人。更には歌舞伎役者や作家などです。
ことの起こりは明治18年(1885)に松本順の人脈から大磯で別荘所有が広まった事。
明治20年(1887)に大磯駅が開業されたこと。
なにしろ大磯には8人もの首相が別荘もしくは邸宅を持ってました。8人とは、伊藤博文・山縣有朋・大隈重信・西園寺公望・寺内正毅・原敬・加藤高明・吉田茂です。錚々たるメンバーです。
とはいえ、現存してる当時の建物はほんのわずかです。原因は大正12年に発生した関東大震災。海辺ですから、地盤も弱かったのかな?豪華な別荘はほとんど全壊もしくは大破したようです。その後別荘群は復旧することなく、名義移動や個人・企業に売却されていきました。更には日本が戦争に突き進んでゆき、戦後の財閥解体です。大磯の別荘群の全盛期に戻る事はなかったようです。
とはいえ、NHKの娯楽歴史散歩番組『ブラタモリ』で、タモリさんが再三口にする痕跡が街に残ってるハズなんだよね。
ま。こういうのは地元の歴史に詳しい人に案内してもらうのが一番なのですが、つてがないので凡その推理と妄想で補って散歩開始です。
午後12時32分、梨本宮跡地に到着です。

とはいえ一体は最近個人の家に分割されたようです。一角に新しい住まいが建ってます。
痕跡?あえていえば、道と区画ですかね?
梨本宮邸(大正2年・宮家陸軍大将梨本宮守正氏)は旧吉田茂邸と小川を挟み東側にありました。一旦整地して土地を小分けにして販売したのかな?梨本宮邸の頃の名残りを探してうろいていみましたが、見つかりませんでした。
画像奥、道を進むと道が途切れ、道の先に空だけ写ってますね。実はこの場所に石段があります。降りた所は西湘バイパスです。

道に沿う様に伸びる細い路は、太平洋岸自転車道です。
ここを駆け抜ける自転車とランナー。気持ちいいんだろうなあ~。
海と松林を眺めつつ東へと進みます。松林に見慣れない野鳥が追いかけっこしてました。冬は野鳥観察には最適ですよね?すぐ見つかるし。種類も豊富。こんな時、望遠機能のあるカメラが欲しいよな。
って…。え~と??おそらくぼちぼち旧伊達宗陳邸&旧清水萬之助邸跡のハズなのですが…。左側は松林!しかも高低差があって、松の向こうの様子はわからないっ。しかも手持ちの大磯旧別荘群地図は簡略地図で、邸宅跡の区画がどこからどこまでだか分からない。あまつさえ、左折出来る場所もないっ!!
ええ~~~!???どうなってるんだぁ~~~~っ!!
と・とととと、ともかく次に左へ行けそうな階段を見つけたら上がろう!
そうなのね。なんちゃって簡略地図には道があるけど、肝心の道がないの~~~。
軽くパニクりました。ンで、左折出来る道は、普通に狭い石段でした!まかさ~~~??と及び腰で石段を上がります。何しろ、吾妻山の上り下りのダメージがまだあって、出来る限り上り下りしたくないのだよ。
ってな事で石段を上がった先、東側にあったのは、こゆるぎ緑地でした。

なんつーか??ここ変わってる!
なんかね。西湘バイパスに沿った狭い公園。海の防風林?の松林なのです。最近植えたばかりの小さな松が多いようです。でもベンチがあって人もほとんどないからのんびりとちょっと休憩しました。なんかいきなり非日常空間です。
さて?
地図によりますと…。こゆるぎ緑地の北側が旧池田成彬(大正6年。大蔵大臣。三井銀行常務)と西園寺公望(第12・14代内閣総理大臣。明治32年。伊藤博文の滄浪閣の隣に建築されたことにより『隣荘』と呼ばれた。)の別荘跡なハズ。名残りはあるのかな?

こゆるぎ緑地の端っこは細い路が旧東海道と海を繋いでました。ちなみに、上の画像右は駐車場。つーか??この道であってるのか?こんなショボい道。そうそう街中に残ってるハズがない!
いや。目の前にあるんですけどね?
だって地図があってたら、この右手はあの伊藤博文の別荘地なのですよ?んで左側が西園寺公望邸。なぜに道がこないにショボいのか???
不信感たっぷりで奥(旧東海道側)へと進む。と?
さきほどの古いコンクリート塀の腰回りが、丸積みの石垣に変化した。

あ・会ってるのかな~~??
道の区画は痕跡が残り易いとタモリさんもブラタモリで再三言ってます。
あ?
廃墟発見!!

表札も外されてて誰のお宅か分からない?ンでもこれ、もしかしたらば池田成彬さんちじゃないのかな?なんちゃって別荘群地図に出てる分かりにくいありし日の建物画像に似てるんだけど~??
こうね。ブラタモリはタモリさんと女性アナウンサーだけのぶらぶら散歩でなく、必ず詳しいその道の人が同行してるのですよ。あれがあるから楽しさ倍増なのね
おのれの知識の足りなさにがっくり視線を足元へ落とすと?足元が土の道じゃない!これって石畳じゃないの~?

足元の細い土の道の様子が変わってました。上の画像左側の石垣が、旧東海道から廃墟へ至るのです。あ。さっきの土の道の旧東海道側の出口です。
石垣スキーの萌えが降りてきちゃった!!
ヨーロッパにおいて、かつてローマ軍が遠征しつつ建設しまくった石の構造物は、今でも結構残ってるものです。
日本においても、石の構造物ってそのまま残ってあったりするよな?
この石の組み方って、結構手間ひまかけてるし、お金もかかる組み方だよな??
たぶんこれ、左側は旧池田邸だが旧西園寺邸だかで会ってるわ。
だって、右側で証拠が見つかってしまいました~~!!

はい。今日のトップ画像の石碑です。読みます。
伊藤公滄浪閣之旧蹟です!
や~、合ってたよ~。つーか、あのショボい道こそ明治の痕跡だったのな。
さて。かつての伊藤博文邸もまた現存してません。それが当たり前って思ってたんだけどね?

こんな形で残ってました!

並びの同じ敷地に立つ既に使われてなさそう~な建物です。
ところで、伊藤博文の滄浪閣って、小田原と横浜市金沢八景で見たことあるんだけど~??え~と??
伊藤博文別邸跡(2011年11月7日)の記事こちらは小田原の。
旧伊藤博文別荘(2013年1月4日)の記事 こちらは野島公園にある伊藤博文の復元した別荘です。


目の前は旧東海道。しかも松並木が現存してます…。
大磯町。結構謎だらけ!
明日もブラタモリで大磯旧別荘跡散策です。


2018年10月31日追加情報:今年は明治維新150年です。記念して大磯庭園周遊イベントが開催されてます。

期間:2018年10月23日〜12月24日
会場:明治記念大磯庭園(大磯町西小磯85)
開園時間:9:00−16:30
休園日:水曜日
入園料:無料
主催:国土交通省
ブラタモリリターンズともいうべき「湘南」が10月半ばに放映されました。番組内でタモリさんが訪れた大隈重信邸も公開されてます。WEBページに申し込めば、邸宅内ガイドツアーがありますので、この機会にぜひ訪れてください。私は10月27日にこのガイドツアーに参加。大隈重信邸と陸奥宗光邸は屋内見学、伊藤博文邸は外観見学です。90分でガイドさんが案内。合わせて庭園自由見学のチケットと大隈重信と伊藤博文が大磯で撮影した絵葉書をいただきました。いまだけの特別な体験です。ぜひ参加してみては?
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旧吉田茂邸

2015年02月27日 00時16分11秒 | レトロ建築
や。吉田茂さんの建物はちょっと前に焼けてしまい現存してないんだけどね。
ブログカテゴリーに『レトロ建築』を立ててるだけに、建物を見るのは好きです。ンでも古い建物はどこかの誰かが頑張って【保存】してくれないと、未来に残せないんだよ。まあな。【食べログ】なんかで紹介されてるお店が閉店する方が早かったりするし、【期間限定】【特別公開】だったりすると、あっちゅー間に消えてしまうので、それに比べたら【レトロ建築】巡りは恵まれてると思うけど、比べるもんじゃないよな~。

さて。旧東海道&国道1号線&箱根駅伝コースの二宮町の『押切坂上』バス停から約20分で『城山公園前』に到着です。時刻は午前11時45分。
県立大磯城山(じょうやま)公園は、里山が2つ。真ん中を国道1号線が東西に走ってます。北側が旧三井別邸地区。南側が旧吉田茂邸地区です。
明治の頃、三井財閥が別荘を構えました。以後、庭園として整備されました。敷地内には古寺社の古材を用いて作られた「城山荘」や、織田信長の実弟で、茶人として高名な織田有楽斎が建てた国宝の茶室「如庵」がありました。
第二次世界大戦後、財閥解体が行われ三井家の手を離れます。三井家所縁のあれこれは全て解体され現存してません。今は紅葉の綺麗な公園。展望台から富士山が見える公園として有名かも?
って事で、今回は旧三井別邸地区には行きません。なぜならば、展望台の標高が42メートルだから!!(昨今の情勢を鑑み、公園内の各所には「海抜表示」があります。)ここってね。海のすぐ側なんですよ~。今、坂道の上り下りは出来んのですよっ!!脆弱な身体能力なのよ~~満開の菜の花を楽しんだ吾妻山の階段の上り下りの結果、私の体力の残存は既にあまりないのだ。
ま。今思い返すに、旧三井別邸地区をパスしたのはナイス判断でした!だって、仮によってたら25000歩超え確実でした!
という訳で、旧吉田茂邸へ向います。
つーか、予想通り、同じバスに乗り合わせたグループ客も目的地が同じみたいです。
つーか、同じようなグループが、旧吉田茂邸のバラ園でガイドさんつきで説明されてるんだけど~?・
つーか、門の向こうにも同じようなグループが、複数ガイドさんつきで庭園を右往左往してるんだけど~??

あ。ガイドさんの声が聞こえてきた。「かつてバラ園はもっと広かったです。駐車場を作った時に縮小しました。」

説明板発見:内門(兜門)
サンフランシスコ講和条約を記念し建てられた門で、別名「講和条約門」とも言われています。
また、軒先に曲線状の切り欠きがあり、兜の形に似てる事から「兜門(かぶともん)」とも呼ばれます。
屋根には「桧皮葺き」という薄いヒノキの皮を重ねた伝統的技法が用いられています。
昭和29年に完成しましたが、老朽化が著しかったため、公園整備にあわせ屋根の葺き替えのあどの修復工事をしました。

内門裏側です。屋根に半円に桧皮葺きが欠けてますね。
画像からわかる通り、旧吉田茂邸には梅が多く植栽されています。
いくつ目かのガイドさんが、「このしだれ梅が吉田茂が愛した梅の木です」後ろにあるのは温室ね。これは焼失を免れたのね。

ところで歴史の教科書に必ず出てくる『サンフランシスコ講和条約』ですが、覚えてます?WIKIによりますと…「1951(昭和26)年9月8日にサンフランシスコにおいて締結された第二次世界大戦における連合国と日本の間の平和条約です。同日、日米安全保障条約も署名されました。この条約により日本と多くの連合国の間の「戦争状態」が終結しました。」だそうで。
え~とね。
WIKIのサンフランシスコ講和条約の記事を詳しく読みますと、竹島のことにも触れてました。
竹島問題って、サンフランシスコ講和条約の記事の『領土』の項を読むとすんごく興味深い事書いてました!私っては知りませんでしたっ!これ読むと、韓国が竹島を自分の国の領土と主張してるけど、国際的には否定されてるのな。まあWIKIは誰でも記事立て出来るそうだから、正確かどうかの考証の甘い記事もあるけどな。なぜに言い訳がましく書いてるか?というと、主張が正義の国だから、どんなイチャモンが来るか怖いからです。
ちなみに、韓国はサンフランシスコ講和条約に批准してません。条約に参加する権利も資格もないとみなされたようです。
それでも主張するのが韓国クオリティ。しかもアメリカにたしなめられても主張するのが韓国が韓国たるところだよね。

さて。燃えてしまった旧吉田邸ですが、なんと!!再建するみたいですっ!
ええ~~~ッ!!
誰が~~!?
もしかして、太郎ちゃんが??
 
麻生太郎ちゃん(太郎ちゃんのお祖父さんが吉田茂氏です)がお金出すんじゃないみたい。大磯町が「再建資金の寄付受け付けてます~」みたいです。

解説板発見:旧吉田茂邸の再建
旧吉田茂邸は、吉田茂の養父、吉田健三が明治17年に別荘として建築したことが始まりです。
その後、増改築を重ね、吉田茂がその生涯を閉じる昭和42年、89才までを過ごした邸宅でした。
平成21年3月、旧吉田茂邸は焼失してしまいましただ、大磯町が「町有施設」として再建することになり、平成24~25年度に設計を、平成26年以降に建物の再建工事を行う予定です。
へえ~へえ~へえ~~。
つーか、増改築を重ねたんだよね?どの段階の建物を再現するんだろうか?
ガイドさん「ありし日の吉田邸の内部の写真が残ってます。世界各国から贈られた品がありました」
そうだよな~。サンフランシスコ講和条約は、吉田茂が全権で出たんだよ。今の政治家とは器が違う。
燃えちゃってほとんど在りし日の建造物は残存してないんだけどね。唯一のこってるのがコレ!

七賢堂です。
説明板発見:七賢堂
七賢堂は、明治36年、伊藤博文の自邸、大磯の「滄浪閣(そうろうかく)」にあったものです。
はじめ、明治維新の元勲のうち、岩倉具視・大久保利通・三条実美・木戸孝允の4人が祀られた「四賢堂」でした。
その後、伊藤博文が祀られ、昭和35年には吉田茂がこの地に移設し、西園寺公望を合祀し、吉田本人も死後に合祀され、現在の「七賢堂」となりました。
この地の歴史を感じさせる貴重な建物のため、公園の一部として残すこととしました」だそうで。
こういうのって生きてる人が作るんだよね。思惑が乱れてるわ~。
や~、歴史だよね~。歴史、生きてるわ!(何言ってんだ、私。花粉症のお薬のせいかも?)

吉田茂像の前でも別のグループのガイドさんが熱弁してました。
これもね。吉田茂本人が建てた訳じゃないみたい。
ガイドさん「像はサンフランシスコの方角を見ています」
さて。時刻はもう12時を過ぎてしまいました。目の前には太平洋!これを眺めて本日のお昼ごはんです。

かつては吉田邸の庭園からちょくで太平洋が見えていたのでしょうが、現在は西湘バイパスが通ってます。車の走行音を差し引いても、眺めはいいな。例え、お昼のメニューがあんパンと熱いお茶だとしても目の前の景色がごちそうさ。

心字池に(池には亀の形をした蓬莱島まで造ってあります)戻ると、さっきは一杯いたグループがいなくなってた!

吉田さんちのフェニックスは大きいなあ~。いつ植えたんだろうか?この大きさのは植物園にもないよっ!
ここで休憩棟のトイレに寄りました。だって、今から大磯明治の街歩きですから!

旧吉田邸のイラストもありました。さて。時刻は12時半が近い。出発です。

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ひなの吊るし飾り展

2015年02月26日 00時57分58秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
神奈川県二宮町にある川匂神社さんで、2015年2月20日(金曜)~22日(日曜)の開催されました。私は先週土曜日に吾妻山の菜の花を見たついでに訪問しました。
何はともあれ、つるし雛の画像紹介です。















一つ一つのモチーフに個性があります。
会場の壁沿いにモチーフを使った展示がありました。





床に説明文が貼り出してありました。
雛のつるし飾りの謂れ
ひな人形が裕福な庶民に広がって行ったのは、明治以降とされています。
現在のようにhな飾りが一般の庶民にまで広がったのは昭和の時代で、特に終戦後の高度成長期に各家庭に広がったようです。
さて、<吊るし雛>は、伊豆の稲取地方、九州の柳川地区、山縣の坂田地区が有名で、端切れで作ったぬいぐるみを吊るす風習で、江戸時代から伝えられてきたとされています。
へえ~へえ~へえ~~。
会場の広さに比べ、吊るし雛の数が多過ぎじゃないかな~?じっくり撮影は出来ません。
さて。川匂神社さんには10時半から11時まで滞在。次のバスの時刻は…。11時22分発。さて、最寄りのバス停「押切坂上」まではチラシによりますと徒歩10分。楽勝~~っ!!
先を急ぐ必要がないので、途中の西光寺さんに寄り道します。

西光寺さんには、樹齢500年の天然記念物、かやの木があるのです。

かやの木
天然記念物 昭和52年1月14日指定
樹高実測 18、25メートル
胸高周囲実測 3、25メートル(直径1、04メートル)
樹齢は推定500年であり、高さ15、5メートルで分枝し、直径15-30センチの太さの幹40数本も四方に張り出し、見事な樹冠を形成している。
室町期文明年間(1470)年代に当たる古樹で、しかも郷土固有の樹種である。 平成23年12月 二宮町教育委員会」
ん。時刻は11時6分。「押切坂上」のバス出発が11時22分です。先を急ぎましょう。

旧東海道に、雛の吊る飾り展の看板が設置してありました。
バス停に5分前に到着。そしてバスは時刻表通りに到着です。30分に1本しか走ってないんだけどね。
バス停には結構多くの乗車客が待ってまして、私たちが乗り込んだ所で空きシートはほとんど埋まりました。二宮駅では立ち乗り客も出始めてしまいました。
これ、いくらなんでも客が多過ぎるだろ??
おかしいな~???と思ってましたら、客の会話から彼らはグループ客で、ついでに目的地が判明した。
「城山(じょうやま)公園前」で降りるそうな。
あれ?それって私らと同じじゃん!もしかして、その先も同じ場所へ行くのかな??
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相模二の宮川匂神社

2015年02月25日 00時46分39秒 | 神社・仏閣
神奈川県二宮町に川匂神社はあります。
JR二宮駅から吾妻山の満開の45000株の菜の花を観賞して吾妻神社を参拝。つづれ折りの参拝の階段を一気に降りたら、次の目的地川匂神社を目指す。
ダンナは川匂神社に桜の咲く季節に参拝した事があるらしい。彼いわく「童話みたいな絵に描いたみたいなのどかな田舎の風景」とオススメされたけど、あいにく2月では雑草も生えてないし、田んぼも土色だ。
のんびり歩いて約30分。午前10時半、川匂神社さんに到着です。鳥居前の駐車場は車で一杯。その手前の臨時駐車場も満杯。そうだよな~。田舎の人って基本車で移動するものな~。うちの田舎の親なんか、近くのスーパーへ行くのさえ車を使うし、義母なんか部落内のご近所へ行くのも車なんだわ。

そもそも川匂神社さんを参拝したいと思ったのは、初詣する寒川神社さんが相模一の宮だからです。
一の宮が寒川神社ならば、二の宮はどこ??と思っちゃったのね。ああ。なぜ、気になると確かめたくなるのか?右京さんに自分がなる必要はないというのに。と。自重して今まで相模二の宮の訪問は見合わせていたのに、うっかり雛の吊るし飾り展(2015年2月20日(金曜)ー22日(日曜) 会場:川匂神社 午前10時~午後3時半。入場無料というイベントを見つけてしまいました~~。
ああ~~。そうね。大磯の明治の歴史散歩はいつか歩こう!とかねてから資料集めてたし、それに二宮の吾妻山の菜の花と富士の絶景をからめて散歩っていうコースも設定出来るじゃないっ!ならついでに川匂神社の雛の吊るし飾りを見てもかまうまい~~。と。散歩に組み込んでしまいましたっ。この際、歩行距離が伸びてもかまいません。歩く距離が伸びた分は、二宮から徒歩で大磯へ移動するのではなく、旧東海道を途中の城山公園と旧吉田茂邸までバスで移動すればいいのよっ!運賃はバス代が余計にかかるけど、大したことないし~~。と。強行しましたっ!!
ここで、坂の多さにも気付くべきだったよ私…。
先に述べると、この日の万歩計は22000歩超えだったんだけどね。吾妻山の上り下りに加えて、坂道がこれでもか~~っと出てきたのだよ…。散歩翌日早くというか早朝に、左の太ももうらがビキっとつってしまいまして、午前2時には起きた!足の指がビキッとなったり、ふくらはぎがビキキっとなったことはありましたが、太ももは始めて。指ならつかんで伸ばせば納まるけど、太ももってどうすれが痛みが納まるの~~~っ!!と、
酷い目にあってしまい、すんごく早起きすることになったのよ…。あまりの出来事で眠りが吹き飛んでしまったわ!
まあ、愚痴だけどね。上り下りは苦手という方にはおススメ出来ないコースです。

標石を過ぎて見えて来たのは鳥居と石段でした

階段登りたくない病に石段の下で足が止まります。と?
鳥居のそばに何やら意味深な扁額が置いてある。何々~~??

説明文発見:「伊達時は、嘉永2年(1849)、父・豫(よ)と母・てるの長男として二宮村塩梅で生まれた。
伊達氏は遠く藤原氏の出身で、敬神崇仏の念厚く、川匂神社の山門から本殿に至る敷石を敷くなど修繕に力を尽くした。
伊藤博文筆「川匂神社」の書を献納。
明治30年に伊藤博文を訪ね、「川匂神社」の文字を揮毫(毛筆で言葉や文章を書くこと)していただく。
伊藤博文は、明治29年に大磯に別荘を建て、翌30年には本籍を大磯に移して住んでおり、揮毫してもらう前から交流があった。
医師・教育者・政治家としての実績とともに、郷土の発展、二宮駅開設、秦野往還(県道)の整備にも尽力し、明治39年湘南馬車鉄道を設立。
川匂神社に扁額を奉納することで、伊達時は、父の望みを叶えられたものであり、安堵した気持ちがこの扁額裏書きから伝わって来る。
うん。伊達時さんは郷土の誇りだったのだね。
さて、石段を登るか。へっ!このくらいの石段なら楽勝さ~。

雛の吊るしかざり展のために、神社に氏子さんの出店があります。
とりあえず手を清めないと~~。
ん??何やら写真が貼り出してあるぞ?「ここから富士山が望めます」
へえ~~~っ!って!!

今日は富士の雄姿は望めない。写真通りならば、杉の間の奥の山の右手に富士が見えたんだよ…。
気を取り直し、まずはともあれ参拝じゃ!

本殿の右脇の紅梅が見頃を迎えてます。

川匂神社さんの絵馬は、竜なのですね。

あ。神社の説明文発見!
川匂神社
ご祭神:大名貴命(国土開拓の神さま)
大物忌命(殖産興業の神さま)
しな津彦命&しな津姫命(相模国が昔相武と磯長に分かれていた頃、磯長の国を開拓された神さま)
衣通姫命(安産の神さま)
創建:伝、垂仁天皇の御代(垂仁天皇は第11代天皇。在位期間の詳細は不明。日本武尊のお祖父さんです)
由緒:川匂神社は相模国の二の宮です。古くから二の宮大明神又は、二宮明神社とも称し『延喜式』所載の相模13社の各社です。
日本武尊が東征する時、源義家が東下りの時に祈願。
建久年、源頼朝夫人安産の為奉幣神馬を奉納。
小田原北条氏、小田原大久保氏などの造営奉幣あり。(後略)」詳し過ぎです。
さて。雛の吊るし飾り展を開催中の参集殿へ。

かかわええ~~
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菜の花咲く吾妻山

2015年02月24日 08時50分47秒 | 花見散歩
先週土曜日2015年2月21日は二宮町・吾妻山の菜の花と富士。川匂神社のつるし雛祭り。 大磯・旧吉田茂邸の梅見・大磯、明治の歴史散歩をしてきました。

朝7時40分過ぎ。JR相模線海老名駅で乗り換え。待ち時間がありましたので、すっかり変貌したホームからの景色を眺めてみた。
こっち側は田んぼしかなかったのに、いつの間にかららぽーとが工事中。一大開発区が展開されてます。
JR相模線の終点は茅ヶ崎駅。東海道線に乗換えて、二宮駅に午前8時46分到着です。
そこから吾妻山のぼりがスタート!!
実は冬の菜の花と富士山のコラボポイントの吾妻山の訪問は二度目です。
吾妻山の菜の花と富士(2011年2月4日)の記事
前回だいぶん辛かったのは覚えてたんだけどね。でもさすがに脳梗塞直後の体力と今とじゃあ比べられんでしょう~~っ。と高をくくってたのがイカンかったのか、300段の急な石段登りで都合3回休憩いれちゃいました~~…。

石段を上がり切ってゴールじゃないのも知ってた!
いい匂いの水仙に心慰められつつ、土の坂を引き続き上がります。まあ、石段よりなだらかになってたのは良かったんだけどもね。
暫く登ってたらば、覚えのある謎の液体が胃からせり上がってきちゃった~~~~。
イカ~~~ンっ!!は・吐くぅうううううう~~~~~っ!!
こんな、観光地の上り坂でゲロをぶちまける訳にはイカンのですっ!!
もうなけなしの根性かき集めて頂上近くのトイレまでガマンガマンガマンガ~マ~ン~~~~っ!!
ダンナに一言断る余裕もなくっ!つーか、口の中は謎の液体でこぼれそうなので、しゃべれないっ!!
そんなこんなで便器にリバースっ!!
うっ!!
我慢しすぎた…。
謎の液体は吐けたけど、我慢しすぎてゲロが吐けない…。
つ・疲れた…。
半分白く燃え尽きてしまいそう…。まだお散歩は始まったばかりなのに…。
そんなこんなでトイレ前の休憩室でしばらく座ってた。
ようやく黄色の満開の菜の花が見えた時はほっとしたわ。

吾妻山に登り始めてまさかの30分もかかってた…。ぜ、前回より時間かかってる!こ~れ~は~~。あの頃より今のが朝服用しなきゃならんお薬が増えてるからかも!!去年の秋から増えた2つの薬が怪しいっ。しょっちゅうゲロゲロやりたくない~~~~っ!次回の診察時にお薬の変更を先生に頼もうと固く決心しました。
んで、こんなに大変な思いをして登った吾妻山ですがね。
富士山が見えない~~~~ッ!!
天気予報は夕方から曇るけど、日中は晴れて穏やかな行楽日和って言ってたのにぃ~~~~~ッ!!だ・騙された…。
がっくりと肩を落とす。
まあ、冬の満開の菜の花と見晴らしのいい景色(これでも)にダンナが満足してくれたので、ゆ、許してやる…。ゆ、許せない~~~。なんで、天気予報外しますか??私のお散歩三昧出来る体調のいい日って早々ないのよ~~~。

海の見える東屋で、おやつ休憩です。今日のおやつは、キットカットです。
さて。愚痴ったらスッキリ~~。
下りは登りとは別の道を選択です。
次の目的地は神奈川県の二の宮、川匂神社さんなので、上がって来た道を降りると遠回りになるんだよね。
東屋の側にあるゆるい坂を降りるとすぐに吾妻神社さんに到着です。

参道の両側にチラホラ咲き始めてるのは、河津桜です。

まだ数輪しか咲いてません。え~と??確か桜の開花を宣言出来るのって一株に10輪咲いた時だったっけ?ならば、まだ咲いてないっ!や。0、5部咲きって所ですかね?
説明板発見:吾妻神社由緒記
吾妻神社は梅沢の氏神で、その創建は第12代景行天皇の頃。
弟橘姫命を祭神とし、日本武尊を配祀する。
日本武尊は景行天皇の第三皇子である、天皇にそむく部族を征伐するため東北のおももく途中、三浦半島走水から海路上総に渡る時、暴風にはばまれます。海神の怒りを鎮めるため、夫の武運を祈り、妻の弟橘媛命は海に身を投じました。するとたちまち海は穏やかになったという。その7日後に媛の櫛が海辺に流れ着き、埋めて御陵を造り、この地を埋沢といい神社下一帯を梅沢という。この海岸に媛命の小袖が磯辺に漂いこれを山頂に祀った事から、袖ヶ浦海岸と呼んでいる、
また日本武尊は東北征伐からの帰路、相模の国から足柄を通り甲斐に出る途中、峠ではるか東方の海をながめ、「ああ吾が妻」と嘆かれたという。
吾妻神社は「縁結びの神」として知られる。」
え~~。去年の秋に馬堀海岸ー観音崎ー浦賀散歩をしたばかりです。だからして、走水神社も弟橘媛命が海へ身を投げた故事はすんごく馴染みあるんだけどね。観音崎から二の宮って距離ありすぎなような…。まあ、弟橘媛が荒れた海に飛び込んだ時、媛と共に侍女らも身を投じたそうなので、流れ着いた櫛というのも複数あった可能性もあるしな。イワシの頭の信心からっていうからな。信じたもの勝ちって事で!
パワースポット走水神社(2014年12月23日)の記事 こちらの記事に走水神社の画像があります。ちなみに、弟橘媛の櫛は、旗山崎に流れ着いたとされてます。
馬堀海岸を西へ(2014年12月23日)の記事 こちらの記事に、日本武尊が軍旗を立て臨時の御所を向けた旗山崎の画像があります。
参拝後、吾妻神社さんの参道のつづれ折りの土と木で固められた階段を下ります。
もうね。普段早々階段の上り下りしてないから、太ももの裏の筋肉がプルプルしはじめちゃった!!おまけに必要以上に足の親指に力を入れて降りてたようで、なんか軽く豆が出来た気がする…。
まあ、辛いばかりではないっ!冬は野鳥観察のオンシーズンなのです。普段は見られない珍しい山鳥がエサを探して降りてきます。こう~~。三毛猫柄の野鳥が恐れるふうもなくそばまで近づいてきたのだっ。うわ~~~~、嬉し過ぎる~~~~。足がプルプルしてなかったら、絶対携帯構えてた!
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アイスチューリップ咲く相模原公園

2015年02月23日 00時46分37秒 | 相模原公園と麻溝公園
いつものように神奈川県公園協会のWEBサイトをチェックしてたら、なんと!よく行く相模原公園でアイスチューリップが見頃にの画像を見つけてしまった!こ~れ~は~、行くしかあるまい?
ってな事で自転車を飛ばして行ってみた。あ。公園を訪問したのは2月16日午前11時半頃です。ええ。1週間前ですね。すぐに記事を立てて掲載しようかと思ったのですが、熱海の記事の連載中だったので後回しになってしまいました!でも大丈夫!!アイスチューリップの見頃は一月くらいあるから!!4月に咲くチューリップはパッと咲いてパッと散るイメージですが、1月に咲くアイスチューリップが寒いから開花期間が長いんだよね。江の島のサムエルコッキング苑では毎年1月に1万本のアイスチューリップを売りにしてるもの~。

自転車をいつもの麻溝公園の駐輪場に預け、いそいそと移動です。
ところがっ!!
ツルッと行ってぬかるみで転けてしまいました~~…。
ああ。植え込みの向こうから知らないオジさんの「大丈夫か~?」という声が!!
あ!見てた~?もうね。ズボンとコートに泥がべったりでございます。ここはスゴスゴ引き返し、急いで洗濯する場面だが、どうせもうべちゃべちゃなのです。アイスチューリップ見て傷ついた心を癒してからでも構うまい~~。
と。初志貫徹でチューリップを目指します。

公園は、すっかり葉を落とした木が、枝を青い空に突き刺さるように伸びてます。冬空はなんでもない木々なのに空が澄んでて綺麗な画像になってお得だなあ。

やがて、色が少ない公園で、とっても目立ってる一角に到着です。

うわ~~。本当にチューリップが満開だわ。ここだけ冬じゃないみたいよ?あんまり知る人が少ないのかな?結構いい記念写真ポイントですよ。おススメです。

せっかく駐車場側まで来たので、ついでに菖蒲田を突っ切って水道みちから麻溝公園へ戻ろうか。

途中でもうすぐ咲きそうな梅を見つけました。もうちょっとで咲くタイミングのつぼみの膨らみ方。

菖蒲田は覆いをかけて養生中です。5月ー6月の賑やかな菖蒲の花を今年も期待しましょう!今年こそ一杯咲くと嬉しいんだけどな~?どうだろうな~??

菖蒲田は3つあります。あっちも覆いかけてるのかな?と確認に行けば、ピンクの梅が咲いてました。梅の下には、紅白コンビの椿も咲いてました。



上の画像の菖蒲田の周囲には赤い藪椿の株がありました。そっちは椿が高い場所で咲いててうまく写せなかったんだけどね。
水道みちを抜けて麻溝公園へ。

銀葉ミモザだっけ?これももうすぐ咲きそうです。今年も一杯つぼみがついてるなあ~。期待出来そうです。

いつもの斜面花壇。

花壇に絵が浮き上がってます。

白い椿と。

赤椿?や。赤くないな…。あれ??パンジーって赤色のってなかったっけ??そういや…。赤いパンジーって見た事なかったような…。
本当は麻溝公園でこの時期咲くクリスマスローズの開花状況も確かめたかったんだけどね。一番咲くポイントのこども動物広場が休園日だったのね。ああ。そういやここ月曜がお休みだったのね。忘れてた。

自転車を預けてた駐輪場の脇のクリスマスローズはまだ花芽が出てませんでしたが、管理棟のそばのクリスマスローズは数輪の株が花を咲かせ始めてました。
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熱海港周辺散策

2015年02月22日 00時19分04秒 | ぶらぶら散歩
糸川を桜をおいかけてったら海に出た。熱海港はなんだか海岸沿いがおしゃれです。ヨットハーバーと、ヨーロッパのお城の手すりみたいな岸壁の造りはさすが観光地です。ベンチもそこそこあるので、空いてるベンチでまずは遅めのお昼ごはんです。

あんパンと熱いお茶。2月11日は3月半ばの陽気でした。海風も冷たくな~いっ!!
「ねえ、あそこにお城あるよ?」とダンナが指さす。
ああ。あれはね。観光施設なの。なっちゃってお城なの。テーマパークみたいに思って正解なの~~っ!
って事で、今回は訪問しないっ!
つーか、さっきからとっても気になるモニュメントが見えてるんだが…。

アレは何だろか?
あ。トップ画像中庸左寄り。高い棒の先の奴ね。
「あれって魚?それとも鳥??」
分からないなら確認しましょう!
すると、ど~みても鳥でも魚でもなくよくわからない現代アートです。あ。何か説明板らしきものがあるわ。
確認しておくか?

と。それは説明板ではありませんでした!
訳わからん。観光地にありがちな奴ですね。

こういうの、江の島でもあったなあ。鐘をつくタイプのが。

突き出たデッキの端っこに、も一つなんかあったので確認したらば…。
ボロッボロでしたっ!
これも観光地にありがちな地図ですが、観光地ならばこそ「見て綺麗」な事は必須です。
これはアウトッ!!!
振り返る。
桜が見えた。

あたみ桜だろう。もちろん確認に行くんだが、空が不穏です。

なんつーか、トンビの群れです。集ってます~~~っ!!
うわ~~~~っ。ないわぁ~~~っ!!
私、過去に二度トンビに襲撃されてるんですよ。ええ。観音崎と鎌倉の稲村ケ崎でね。
自分の襲撃でなく、トンビが襲撃してる所を目撃した事もあります。確か、鎌倉の源氏山と江の島の海岸で。
1匹だけでもやっかいなのに、集ってるって~~~~~~。
もうね。ドキドキものです。

トンビの動向に注意しつつ、あたみ桜は見に行くんだけどね。

あたみ桜の下に像がありました。説明文もあったので、画像だけ押えてそそくさと移動です。だって、トンビの姿が嫌だもの。
帰宅後説明文をパソコンに落として読んでみた。
釜鳴屋平七:安政の頃、熱海の浜に漁民一揆が起こりました。
まぐろ網の権利をめぐり漁民と網元との争いが日を追って激しくなり、こうした事態の中で網元の一人平右衛門の長男釜鳴屋平七は、他の網元のたちのひどいやり方に反対し、漁民側に同情、網元側から脱退、漁民に味方して解決をはかったが、争いは収まりませんでした。
このため、平七らは漁民250余人と共にムシロ旗を立て韮山代官所に押し掛け、平七は役人の制止を振り切って代官江川兵左衛門に訴状を差し出しました。
代表者平七等7人は捕らえられ、首謀者とみられた平七は島流しの刑を受け、文久3年10月(1863)江戸から八丈島送りとなりました。しかし、船中での虐待で衰弱した平七は大島に降ろされ、11月4日35才で亡くなりました。
漁民たちは平七の遺志をつぎ、長い間苦難の戦いを続け、ようやく勝訴を勝ち取ることが出来ました。」だそうで。
どこにでも似た様な話ってあるなあ。ダンナの実家のそばに地域の集会所があるんですが、そこの前の道を拡幅することになった時、集会場に隣接して昔お殿様に直訴した人を祀ってあるちいさな祠がありましてね。それを移動しなきゃいけないと大騒ぎしたんですよ。その時に直訴して人の詳細を教えてもらったのですが、似た様な感じでした。今年のNHK大河ドラマでペリーの船に特攻して失敗した吉田松陰と弟子も身分差で対応が別れてしまい、弟子は早々と獄死してしまいます。身分差は今とは違いとってもシビアな時代でした。

桜ごしの青い海画像。どこでもありそうでなかなか撮影出来ません。なぜならば、ソメイヨシノの咲く関東の4月初めの空は、春霞でもやってる事が多くてね。青空の下の満開の桜というのはタイミングが合うかどうかは運次第なのだ。

海沿いを東へ移動します。本日最後の目的地は、貫一お宮の像です。
 
金色夜叉の一場面です。金色夜叉を知らない人が大半ですよね?って事で説明板の文章を参照して下さい。
「明治の文豪尾崎紅葉の代表作「金色夜叉」は、明治20年1月1日から5年半に渡り読売新聞に連載され、たちまち単行本になり、劇化されるなど当時空前の反響を呼び起こしました。
ストーリーはヒロインのs鴫沢宮がカルタ会の席で、銀行家の息子、富山に見初められることに始まります。宮には第一高等中学校の生徒であった婚約者間貫一がいたにもかかわらす、それを承知で両親が富山の求婚を受け入れたことから繰り広げられる悲恋物語であり、作中のクライマックスの場に熱海の海岸が選ばれたことと、金色夜叉の歌
「熱海の海岸を散歩する 貫一お宮の二人連れ 共に歩むも今日限り 共に語るるも今日限り」
が広く人々に愛唱されたことから、熱海は一躍脚光を浴びるようになりました。(中略)
作者の紅葉は35才で胃ガンのため死去。「金色夜叉」は未完で終わりました。
貫一お宮のブロンズ像は、昭和61年1月17日に熱海ロータリー倶楽部が寄贈したものです。』
へえ~へえ~へえ~~。
金色夜叉って未完の小説だったのか!!そりゃ知らなんだわ。
紅葉の死後、彼の残した「腹案覚書」をもとに、弟子の小栗風葉が完成したそうで。一応の物語の完結はなされてます。
それもへえへえへえ~~っ!!
貫一お宮の像の前でもガイドさんが説明してました。途中から聞いてました。面白かったのは、像のお宮の指の指輪です。
「この指輪は富山に贈られたダイヤモンドの婚約指輪です。それを見て貫一は激怒します。『俺というものがありながら、金でなびきやがって!指輪なんかしたことなかったくせに」とかなんとか。
貫一はお宮がなぜ富山と結婚したのか?知らなかったんですかねえ。
ちなみに、金色夜叉では後に貫一はお宮を蹴り飛ばした後、復讐のために高利貸しになります。
なんだかな~。破滅する人生しか思いつかない。

お宮の松の側に、初代貫一お宮の松の一部が展示してありました。

さて。こっから熱海駅へはどう行こうかな?
私「ここで問題です。熱海駅へ大きく迂回して緩やかな坂道で行くか?最短コースの激急な石段で行くか?さあどっち!?」
ダンナ「どっちでもいい」
ならば!と。最短コース行ってみました~。
石段を一気に登るのは無理でした~。途中で2回休憩しちゃいました~~。
は・半端ないわ~。熱海の坂!!
ヘロヘロで熱海駅に到着です。

JR東海道線で小田原駅。小田原駅の小田急の構内。春節かざりがありました。
そういや、曽我梅林も早咲きの梅がぼちぼち見頃かな~?
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あたみ桜糸川さくら祭

2015年02月21日 00時55分17秒 | 桜散歩
起雲閣さんを午前12時34分に出発。熱海市役所前にもあたみ桜がありました。さくらを眺めて桜まつりの会場の糸川へ。御成橋に到着したのは12時48分です。

期待通り、あたみ桜は既に見頃になってました。

ほそい糸川の両岸に遊歩道があって、眺めつつ川を下ります。

あたみ桜は、明治4年ごろ、イタリア人によってレモン、ナツメヤシとともに熱海にもたらされ、その後増やされ市内の多くの場所に植栽されてます。
あたみ桜は毎年1月上旬から2月に咲くインド原産の寒桜の一種。
ルーツは台湾・沖縄産の「カンヒザクラ」と日本の暖地に咲く「ヤマザクラ」が親だとか。それがなぜにインドにもたらされ、イタリア人によって日本へ戻って来たのか?浪漫ですね。
糸川沿いには平成27年1月現在57本があります。

訪問したのは2月11日(祝)ですが、既に散り始めてるのかな~??
ん~??でも桜の花ごと散る事はないよね??
あ!わかった!!
犯人はオマエらだっ!!

あたみ桜のあちこちで吸蜜するメジロがいます。

みんなメジロとあたみ桜のコラボ画像を納めるべくカメラを上に向って構えてます。
私ももちろん参戦したんだけどね。古いガラケーを使ってるのであんまり望遠撮影出来ません。

撮影してからiPhotoでトリミングしてみた。画像右上に緑色の鳥がいるのだけは確認出来た。メジロ…。もう少し大きいといいのに…。

あたみ桜は下向きに咲くので、下から見上げるぶんには花が綺麗に見えます。

糸川を桜を追いかけて海に到着。

時刻は13時8分になってます。おなかがすいた…。
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起雲閣にはもう一部屋

2015年02月20日 03時12分48秒 | レトロ建築
起雲閣には、昨日紹介した豪華な洋館玉姫・玉渓・サンルームの間の他に、もう一つ豪華な洋館があります。
トップ画像がもう一つの豪華な洋館、金剛の間です。
この建物は根津嘉一郎により、1928年(昭和3)に着工。翌1929(昭和4)に完成しました。
その後、何度か改築されてます。1989年の改築で、ローマ風風呂の向き90度変えられてます。建築当時は独立した建物で、部屋の入口あたり、石張りの廊下部分が玄関でした。

このローマ風浴室を私はすんごく楽しみに起雲閣に来たのですが…。
ローマ風浴室は、平成27年2月1日から3月末日まで改修工事を実施中で、見学出来ません。
ちなみに、トップ画像中央奥に細い縦型のローマ風浴室へ続く扉が写ってます。現在ローマ風浴室を見ることも出来ません。
ガガ~~ンっ!!何てこった~~ぁ…
よって上の画像は入口に貼ってあった説明板のもの。ううっ。この壁の向こうにローマ風呂があるのに…。
諦めきれず、外から見えないのか?と庭に回ってみたけど、こんな感じでした。
そりゃそうですね。仮にもお風呂ですから、外から見えちゃいかんよな。

金剛の間にもサンルームぽい小部屋がついてます。サンルームというには小部屋の向きが狭い面しか庭に接してないんですが、造りはサンルームっぽい。あ。金剛の間にはガイドさんがいなかったので、私の感想ですが。

サンルームの床です。タイル張りです。建築当時は金剛の間のすべての床がサンルームと同じタイル張りでした。
現在の金剛の間は、部屋の雰囲気にあったじゅうたんが敷かれてます。
蝶番がドアノブなどの建具家具は建築当時のもの。素敵だと思ったのに、廊下側はちと暗かったので撮影を見送ってしました。

これは…。なんちゃってステンドグラス??光が通ってないよ?

金剛の間の暖炉です。草花の模様かな?何気にハートや菱形にも見えるな。
さて。
昨日紹介した玉姫・玉渓の間と、金剛の間の間には、旅館時代は客室だった3つの部屋を使い、旅館時代に宿泊した文豪の資料展示がありました。

尾崎紅葉部屋です。熱海が舞台の金色夜叉の作者です。
山本有三・志賀直哉・谷崎潤一郎・武田泰淳などの文豪も宿泊客だったとか。
 
こちら谷崎潤一郎作の来宮神社を詠んだ詩。
旅館時代の大浴室。
こちらの湯船からは普通に庭が見えますね。

大浴場の湯船はこれ、よく見たら大谷石製じゃないのかな?…大谷石、保温性よかったんだろうか?
最後に公開されているのは和館「孔雀」の間です。

この建物は、1918(大正7)年に着工し、翌1919(大正8)に完成した内田信也の別荘の一部です。
当時は現在の喫茶室をはさんで和館「麒麟」の隣に建ってましたが、1953(昭和28)年、旅館として客室と宴会場を増設するにあたって、敷地内で移築され、現在の場所に変わりました。

回廊と和館「孔雀」を繋ぐ通路は、細い細い小川が造られてます。石大好きの根津さんの好みかしら?
孔雀の間の玄関から見た畳廊下です。やはり幅が広いです。床の間と付け書院のある座敷の周りを取り囲むように畳み廊下が配されてます。



和館「麒麟」と同様、窓ガラスや障子など建具のほとんどは建築当時の物。
和館「孔雀」の外観はこんな感じ。

移築した時に建物の向きが変わった模様です。だってさ、昼間なのに窓の外が暗いからさ~。

ちょっと昔の人って部屋の日当りにすんごくこだわるよね?この部屋の向きはないわあ~…。窓の景色がわくわくしないもの。

でも孔雀から庭へ降りれるように2つ大きな石が置いてあるんだけど、この石が凄いんだ。画像では分からないかもしれないけど、赤色がちらほら見えててとっても地味派手!この石は他で見た事ないや。石が濡れるとどんな感じになるのかな?
最後に庭を見学。

池が配されてます。池のそばに切り出してから搬入に2ヶ月かけた根津の大石と呼ばれる大きな石がありました。これも撮影したのですが、当日の太陽の日差しがくっきりはっきりでして、石は真っ黒にしか写らなかった!撮影失敗です。

起雲閣さんに約1時間。12時34分まで滞在。
訪問した2015年2月11日は、梅の花の無料プレゼントがありました。

香りのいい白梅は、しばらくの間我が家の食卓で春を演出してくれました。

次の目的は、糸川さくら祭です。
え~と?
…駐車場から入って来たから道が分からん。もっぺん起雲閣さんに戻って受付で行き方を尋ねたら、地図をいただきました。え~と??
もっぺん坂を上がるのか…。
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起雲閣の洋館

2015年02月19日 00時36分29秒 | レトロ建築
熱海の名邸起雲閣の中の洋館です。
この建物は、2代目の持ち主根津嘉一郎により1931年(昭和6)に着工。1932年(昭和7)に完成しました。根津嘉一郎氏は、青山の根津美術館を造ったのと同じ人。

現在玉姫と呼ばれているこの部屋は、正面に暖炉があるヨーロッパのデザインを基本としていますが、折上格天井など日本の神社仏閣に見られる建築様式が用いられています。

また、「喜」の文字をデザインした中国風の彫刻や、シルクロード沿いで見られる唐草模様の彫刻で飾られています。
サンルーム

「玉姫」の部屋に隣接してあります。大きな窓とステンドグラスの天井。
色鮮やかなタイルの床。

アールデコのデザインを基調に作られてます。

サンルームは日光が部屋に多く入るように屋根もガラスで葺いてあります。
玉渓の間

ちょうどガイドさんが部屋の解説をしてました。
玉渓は中世英国のチューダー様式に名栗仕上げを取り入れたヨーロッパの山荘風の造りになっています。

名栗仕上げは、宮大工が木の表面を手斧(ちょうな)で仕上げる方法。削ってあるのでゴツゴツしてます。
暖炉の覆いはサンスクリット語の飾り。



暖炉には、火除けのサラマンダーが彫刻されています。

ガイドさんの説明を聞く人々。
サンルームのステンドグラス。

サンルームの外観。

起雲閣が斜面に建ってるので、外から見るとこんな感じです。

上の画像の建物右側が玉渓の間。左側がサンルーム。玉姫の間はサンルームの奥にあります。

ちなみに既出のレトロ建築の記事で、折上格天井の部屋はいくつか紹介してます。
その中に一つ。三井財閥の屋敷がなぜ昭島に?(2014年2月4日)の記事こちらに旧三井家拝島別邸の応接室の折上格天井の画像があります。


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大正・昭和浪漫の名邸<起雲閣>

2015年02月18日 00時29分09秒 | レトロ建築
1919年(大正8)に別荘として築かれ、非公開の岩崎別邸、今はなき住友別荘とならび、「熱海の三大別荘」と賞賛された名邸が基となる起雲閣
起雲閣さんの見学料は510円。冒頭の文章は、見学量を支払うといただけるパンフレットからの一文です。
一番有名なのは、ローマ風浴室と迎賓の雰囲気たっぷりの豪華な2つの宿泊室なのですが、その前に2階建ての和館『麒麟・大鳳」を紹介します。

この座敷と玄関を含む建物は、1918年(大正7)年に着工。翌1919年(大正8)に完成しました。
最初の持ち主であった内田信也が実母の静養の場所として建てた別荘で、伝統的な和風建築のたたずまいです。
広い畳廊下は、車椅子生活だった内田氏の母親のためだったとか。

青色の壁は、後年旅館として建物が使われた時に塗り直されたもの。
座敷のとこのまの脇に碁盤が展示してあります。裏をみれば「本因坊」とあり勝負に使われた碁盤のようです。かつて週間少年ジャンプに『ヒカルの碁』という囲碁漫画があったのですが、あれを思い出しました。

2階座敷「大鳳」へ移動。旅館当時太宰治が自殺する3ヶ月前に、共に自殺した女性と2泊この部屋に宿泊したそうです。
「大鳳」の内観。豪華だよね。あの時代の小説家にこんな豪華な部屋に泊れる金があったと思えないんだけども…。やっぱ実家から送金してもらってたのかしら??





畳み廊下をぐるりと巡る窓ガラス。当時の職人が一枚づつ作った浪漫あふれる吹きガラスが現存してます。



起雲閣は中央に庭園を配し、周囲を建物で囲ってあります。画像奥に向って下り坂になってます。
この後他の部屋を順に回りましたが、どの部屋からも庭園が眺められ、しかもどの部屋の窓の風景が全部違ってて素敵でした。

見取図はこんな感じ。見取図の赤色の部屋を見学出来ます。

麒麟・大鳳の間の外観です。

起雲閣の庭は、二代目の持ち主根津嘉一郎がとてもこだわり、立派な石が多く配してあります。庭の様子は後日の記事で。

起雲閣の見学メイン、豪華な部屋は明日紹介しますね。
ちなみに初代内田信也時代1918(大正7)年~1925(大正14)年。
麒麟・大鳳・孔雀の棟を造った。
内田信也は大正・昭和期の政治家。実業家。三井物産を経て内田汽船を設立。第一次世界大戦で財をなし、海運王と呼ばれた。昭和9年には鉄道大臣に就任。

二代目。根津嘉一郎時代1925(大正14)年~1944(昭和19)年
1925(大正14)年、内田信也より土地・建物を所得。根津別荘となる。
1929年(昭和4)、金剛・ローマ風浴室の棟を竣工。
1932年(昭和7)、玉姫・玉渓の棟を竣工。1944(昭和19)根津家が別荘を手放す。
根津嘉一郎は明治・昭和期の政治家。実業家。1905年(めいじ38)に東武鉄道社長。

3代目桜井兵五郎時代1947(昭和22)年~1999年(平成11)。
1947年(昭和22)桜井兵五郎が所得し、旅館起雲閣として開業。
1949(昭和24)年金剛の棟を改築。
1981年(昭和56)現在の音楽サロン(当時は宴会場)を新築。
1999年(平成11)、旅館を廃業。
桜井兵五郎は大正・昭和期の政治家。実業家。

2000年(平成12)熱海市が所得。一般公開へ。
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迷った~熱海の坂道ハンパない

2015年02月17日 00時11分49秒 | ぶらぶら散歩
熱海梅園を11時前に後にした。
次の目的地は坪内逍遥の旧家、双柿舎です。
一旦来宮駅方面へ引き返すように歩いてると、梅園方面の道が混雑してます。梅園の行楽客だけでなく一般の人もこの道を使うのでしょうね。熱海は海に向って急坂になってるから、道も何本も作れないのだね。
さて、来宮駅手前の川の所で、南に向って右折れします。ここから400メートルで坪内逍遥の双柿舎があるハズなのだ。
にしても、この坂ハンパないなあ~。だって、道沿いにあったトップ画像の一般家屋なのですが、これ何階建てだと思います?
よくて2階建て。見ようによっては中二階の2階は物置?という風情なのですが、道を進んだ所で振り返ってみたらば?

まさかの3階建てでしたっ!道沿いにはこんな看板も!

凄過ぎる…。
調度自動車が停まってて後ろのドアに何か積み込んでる途中でした。華やかな気配に何かしら?と視線を取られたら、車にお稲荷さんの小さなのぼりがいくつか見えました。
ン?お稲荷さん…。
あ!今日2月11日は初午だ!お稲荷さんにお詣りする日だった!
来宮神社さんのわきにあったお稲荷さんをスルーしてしまったのを反省した!
さて。双柿舎に到着です。

だったのですが…。
あれ?
閉まってる!
こっちが入口じゃないのかなぁ??
坂道に沿って下る途中に、入口らしき場所を計3つ見つけましたが、どれも閉まってます。
あれ~~??
首を捻ってると、ダンナが一言「開館は毎週日曜日って書いてあった」と。
あれ??今日って日曜じゃ……。
ああっ!!今日2月11日は祝日だった!日曜じゃない~~っ!!
結構思い立って熱海散策を決めたので事前リサーチが甘かったようです。なんつーか、今日のメインは見頃の熱海梅園と見頃のハズの糸川あたみ桜だからね。咲き具合のチェックだけはしたんだけど…
このリサーチ不足はこの後すぐに発覚します。
ま・迷った~~!!ココはドコ~~~っ!!
熱海の道は東西の移動以外は基本坂道なんですよ。そして直線の坂道はほぼないっ!だって坂に直線の道をつけたら斜度が急になり車が上がれないからね。人も上り下り大変だし。次の目的地は大正レトロの起雲閣です。双柿舎からは600メートル南へ一本道の場所のハズなのに…。
なぜに目の前に新かどやさんがありますか!?
いかんっ!あの二叉に別れてた道が敗因だ。どっちが直進の道か迷って、ええいっ!右側を行こう!と進んで来たけど、左が正解だった模様です。今更降りてきたばかりの急坂を引き返して正しい道に戻るのもな~。嫌だしな~。
あ。地元民らしき少年発見!
私「すみませ~~ん。迷ってるんですけど~。起雲閣さんへ行きたいんですが…」
少年「この道をまっすぐ。道に出たら右へ。信号をーーー」
よくわからない。心細そうな顔をしてたようで、少年がもう少し詳しく繰り返してくれた。
少年「まっすぐいくとタクシー会社があります。そこで左折。信号を(右)へ行くと起雲閣です」
私「ありがとうございます。助かりました~」
と。親切な少年と別れてほどなくタクシー会社を発見!左折して信号へ。
んで、道を間違えた。
なぜに目の前に川がありますか?あれ??でっかい金城館って宿があるけど…。間違ってるよね??
そうなの。私、少年の言葉を聞き間違えていたようで、信号を(右)じゃなく、渡ってまっすぐだったようです。
つーか、金城館前の川のたもとに地図が立ってたのね。
つーか、道を直進といってもその道が曲がってますから!!高低差があるから、低い方が海には違いないんだが…。
そんなこんなで双柿舎からたった600メートルしか離れてない起雲閣まで30分もかかったのです。
ちなみに、信号を直進した所でも迷ってしまい、作業中の大工さんに「迷ってるんです~~起雲閣さんどこ~~???」と泣きついたらば「あんたの後ろにあるのがそう!」と。起雲閣さんの裏手の駐車場が目の前にありました!
つ・疲れた…。何かごっそり削られたっ。

到着時刻は既に11時半です。予定では1時間前に着いてた…。まあ、双柿舎を見学出来てたら到着予定通りの時間ではあるんだけど…。
明日は、大正ー昭和レトロ建築の起雲閣さんを紹介します。ここね~、ローマ風呂があるんたた~の~し~み~~
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熱海に韓国庭園?

2015年02月16日 00時25分37秒 | 展覧会&観光施設&能楽
熱海梅園を散策。作曲家、中山晋平氏の住居など見所も点在してます。
更に奥へ進むと、ン?何かあった!

韓国庭園です!
おや~~?なぜに熱海に韓国~??
あ。石碑発見!(画像撮影失敗しました。逆光&フレア
石碑には森喜朗と金大中両氏の名前が刻まれてました。
え~と??
あ。チケット売り場でいただいたチラシによりますと…。「韓国庭園:2000年9月23日に行われた森喜朗内閣総理大臣と金大中大統領による日韓首脳会議の翌日、両首脳が熱海梅園を訪れ、園内を散策しました。
日韓友好の絆を深めたこの会議を記念し、日本国と韓国の友好と世界の平和が永久に続くことを願い、朝鮮時代の伝統様式と手法を取り入れて作られたのが韓国庭園です。
2000年って事は…。
世の中が2002年日韓ワールドカップに盛り上がりつつあった頃か…。あの頃は友好ムードだったんだよな。まさかWEBにアクセスが気軽に出来る国になったら「嫌韓」とか「日本嫌い」とかが両国の人のスタンダード?になるとは思わなかったなあ。韓国ドラマも一時流行った(『冬のソナタ』のNHK放送は2004年でした)し、どこで間違ったんだろ??

画像は庭園内にある「堂」(東屋)です。説明板によりますと:貴族階級(両班)の方が、世俗より隠遁し、山中において詩歌を吟じ、哲学を愛する学者の生活空間として造った建物です。建物の様式は、朝鮮時代初期(16世紀)、特に朝鮮半島南部の特徴ある一文字形様式を保ったスタイルです。マルと呼ばれる四方に壁のない開放的な部屋には自然との一体感が感じられます。また、内部には韓国文化院より寄贈された家具も展示してあります。」だそうで。
庭園の前に朴敬元飛行士記念碑がありました。『韓国併合の頃、日本で飛行技術を取得した韓国の女性が、凱旋飛行で羽田を飛び立ち韓国へ向う途中、天候不良で熱海の山に墜落死した』という説明がついてました。
さて。韓国庭園を後に。梅園奥には和風庭園があるとマップにあったので、その方へ歩いていくと…。
ん~??大勢の人が小さな建物で集ってます。何かしら~??

和風庭園の一角に、足湯を無料で楽しめるようです。そういえば、熱海といえば温泉でしたね。でもあんまり人が多いのでパスしましょ。

この辺りが梅園で一番標高が高い場所。
梅園を縦断する初川を西側へ移動する為一度坂を降りるのね。
もうね。「坂」は本日の観光のつきものと諦めた。
そんで西側にあるのはコレ!熱海市立澤田政廣記念美術館です。内部撮影不可。
中はヨーロッパの神話と仏をモチーフとした木彫が中心で、彫刻のデッサンも展示してあります。
入館料は310円ですが、熱海梅園が有料期間の時は、梅園の入場チケットを見せると記念館は無料になります。ちょっとしたお得です。
中の展示は撮影出来ませんでしたが、館外にも作品展示があります。

私はガラケーで撮影してるので、強制発光が出来なくて手前の彫刻と奥の梅のコラボ撮影に失敗してしまいました。ちなみに上の画像の彫像の頭上を覆うようにある木はもうすぐ見頃のあたみ桜です。この画像では桜の花が殆ど判別つかないですね~~。

澤田氏の好みは細長く引き伸ばしたシルエットなのね。細い人が好みだったのかな??

さて、初川を再び渡り梅園を出口へと散策しつつ戻ります。なぜにこんな回りくどく書いてるか?といえば、澤田記念館から園外へ出れるから。梅園の出入口は3つあるのだ。
冬至梅はまさに見頃。


園内の見所の一つ、貫一お宮の梅を最後に見てから~と思ってたのですが、貫一お宮の梅はまだ咲いてませんでした。

ここは中央広場でして、もうすぐ演芸会が始まります。観客も詰めかけてます。私は梅園の他に見たいものがあったので、10時50分、梅園を後に市内へ向います。

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見頃の熱海梅園

2015年02月15日 00時43分01秒 | 梅散歩
訪問は2015年2月11日(祝日)です。
梅には早咲き・中咲き・遅咲きがあります。熱海梅園の梅は、全体で472本。うち272本が早咲きで、既に見頃を迎えてます。
ちなみに、中咲きは104本。遅咲きは96本。
さて、熱海梅園に9時14分到着。
入場料は300円。ただし、熱海市民および市内宿泊者は割引料金100円で入園できます。
開園時館が8時半ですので、まだ観光客も多くなくゆっくり散策出来ます。つーか、それ狙いで朝早く出てきたのだ!
何はともあれ、園内の梅画像をお届けします。







当日は梅まつり。園内には出店もあります。



着物姿の芸妓さんが、11時に振る舞う甘酒と演芸案内をしてました。

11時か~。さすがにそこまでは滞在してないと思うけど、熱海梅園には見所が多いのだ。
見頃の梅に誘われて、梅園の奥へ。坂を上がって行くと、見えて来たのは古民家です。

何かしら~??

実は中山晋平氏が晩年過ごした住居です。あれだ。中山晋平って小学校や中学の音楽の教科書で見た名前だ。(今の子どもは知らんかも?)

屋内見学可。中には先生が昭和27年12月、熱海で逝去するまで愛用されていたピアノが展示してあります。

説明板発見:明治12年(1879)ニューヨーク・コーラー・アンド・チェイス社製で、大正8年~10年ころ購入されたもの。
このピアノから生まれたのは「船頭小唄」(大正10)「しゃぼん玉」(大正10)「波浮の港」(大正13)「あの町この町」(大正13)「東京行進曲」(昭和4)「東京音頭」(昭和8)など。
内部は新しく修復されてますが、当時の電話や火鉢などもあり、生活感も再現されています。

私的には、2階窓からロマンガラス越しに見下ろす少し歪んだ梅がレトロ気分でおススメです。

さて、記事が長くなるので続きは明日。
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樹齢2000年の大楠

2015年02月14日 00時19分51秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
実は来宮神社参拝は2度目になります。去年の春、真鶴の荒井城趾公園のしだれ桜を見物したついでに、来宮も訪問しました。なので、来宮神社は既出記事です。
詳しくは2014年4月30日の右の記事を参照下さい。パワースポット来宮神社
今回訪問の目的は、熱海花見散策のついでに、ダンナにも巨樹を見て欲しかったから!
さすがというのもおこがましいのですが、来宮さんの大楠はあまりに大き過ぎて、既に一本の木を見てるように思えません。

周りを一周出来ます。途中で、大楠に直接触れるポイントもあります。

触ってみた!
木の皮の感触がない。なんか、鉄板とか触ってる感じです。ここでサンなんとかに敏感な人だったらば、パワーをビンビン感じられると思うけど、私はそうではないようで残念無念。

既出の記事に書いてないポイントを追補です。
上の画像は本殿右側の弁天岩です。古来神々が宿っていたと伝えられている磐座(いわくら)です。
 
弁天岩の手前の斎館には、42才になる男性が厄除を祈願して、毎年7月16日に浜降りする鳳聳神輿が納められています。

ちなみに、参拝は最初に済ませてます。帰るまえに参集殿でお守りを…。
いっぱいある!けどここは…。

親にプレゼントしたい長寿守り(800円)にしました。だって樹齢2000年の大楠があるのだからして、ご利益もさぞあると思うんだよね。
ちなみに、この後熱海の街を散策する途中で知ったのですが、来宮神社さんが一番得意なのは断酒守りみたいです。
幸い私の近くに大酒飲みはいないので、断酒守りのお世話になる事はないので、長寿守りで良かったと思う。
あ。
樹齢2000年の大楠とは別に、境内には大楠が他にも多くあります。中でも鳥居をくぐってすぐ右手にある第二の大楠は樹齢1300年超えだとか。約300年前の落雷禍を乗り越え今でも元気に葉を茂らせてます。同じ境内に樹齢2000年の大楠があるから目立ってないけど充分凄いわ。
ちなみに、熱海の宿泊の折りは、大楠が夕暮れから23時頃までライトアップされるので、そちらもおススメです。
さて。
JR伊東線来宮駅へ戻りました。散策のメイン訪問先、熱海梅園を目指します。
駅前のあたみ桜で記念撮影。

そうなのだ。熱海の桜は今、まさに見頃を迎えてます。熱海は梅と桜が同時の楽しめてお得なのだ。
熱海のイカン点は、散策のカセになる坂道ですね。まあ徒歩で移動しなきゃあ苦にならないのでしょうが…。
そんなこんなで頭の中で愚痴りつつ、来宮駅から徒歩たった10分とうたってる熱海梅園へ向う坂を登ります…。
朝一、降圧剤と坂道のコラボは辛いんだ~~~…。カメの歩みで9時14分、熱海梅園に到着です。

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