あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

火傷と思ったら実は

2019年10月19日 11時45分32秒 | 健康
9月は増税前の買い物で右往左往してのお買い物月間だった。
10月5日早朝に四国へ里帰り。父の一周忌を挟みつつ、ダンナの親の家で掃除・洗濯・ご飯作り。7日9時半にもよりの小田急相模原駅に着いたら雨が降っていた。雨に濡れたから体調がイマイチなのかな?と、なんとなくな不調はあったんだ。
10月12日台風襲来。スーパーの開店を待ち備えに食料などの買い出しに。
台風は強力だった。風の音が凄くて寝てられんので、パソコン眺めつつ椅子で時間潰してたらいつの間にか寝落ちしてた。寝落ちしたと気づいたのは起きた時。ヤバヤバです。右足痛と腰痛持ちが、椅子で寝落ちしたらイカンのです。案の定、立ち上がった時、左腰がグキン!ときた〜。やっちゃった〜〜。軽いぎっくり腰〜。痛い〜〜。けど外は台風。しかも休日。病院は開いてないんである。大人しく大人しく。
10月8日、予約してる接骨院で先生に怒られつつぎっくり腰の治療。だいぶん改善したけどまだ辛いので、ラブとか点薀膏をツボに貼り付け、ヒートテックの上からホッカイロを貼り付け寝た。この時点で既に変調を感じてはいたけれど、心当たりがありすぎるのでともかく様子見です。
10月10日、再度の接骨院。これでぎっくり腰の辛さは相当緩和しました。けど先生が私の腰をスマフォで撮影して「何か赤くなってるよ?」と。見れば点薀膏の四角い痕と、腰にミミズ腫れみたいな形の赤い模様が出来ていた。「いや〜、腰が痛いからホッカイロを貼って寝たから、低温やけどしたかも?」と。呆れられつつ帰宅。普段なら接骨院の後はそのまま相模原公園に散歩に出かけるのに、この時は行こうという気になれなかったんだよね。もうだいぶんヤバかったんだよ。夜、寝る前に赤い部分(左腰とヘソ下)に火傷の薬を塗りたくる。そして異変が発生。
午前3時に目が醒める。痛い!なんかピリピリチリチリ痛い。なんで?うつ伏せのまま腰に手をやれば、手触りは変だ。ボコボコしてる。しかも熱い。熱があるんだよ?
何で〜〜??起きて初めて手鏡で腰を確認して魂消た!
腰が広い範囲で赤い。いつかにウルシでかぶれた時に似てるわ。
ん?座ったらおへその下辺りもチリチリ痛い。確認したら蚊に複数噛まれてるのに似てる。ぼこぼこしてるんだけど〜??
もしや、火傷の薬でアレルギーとか??アレルギー持ちでもある。心当たりがありすぎる。ともあれ、やばいのは間違いない。webを起動して自宅から近い皮膚科を探す。
と?2006年に受診した皮膚科を見つけた。そうだった。私この病院の患者さんだったわ。開院時間を調べたら、午前10時だった。
で、そこから6時間が辛いのなんの〜〜!!痛みはどんどん強くなり、範囲もどんどん広がっていく。どうなってるのか?背中に近い左腰が見えない〜〜!!手鏡で奮闘してたらダンナが起きてきた。「どうしたの?」と。「痛い〜」「かぶれたみたいになってるよ?」と。やっぱり〜??あ〜開院まで後5時間か〜。大人しく寝てれば?と思うよね。ダメなんだ。痛くてねれないんだ。しかも腰とヘソ下なので、うつ伏せにもなれんし、ねこがれも出きない。もうヤバヤバなんだ。
で。10時、開院時間に合わせ病院に行けば、多くの患者さんが待っていた。ウソやん!ガンバレ私。お忘れかと思いますが、前日までぎっくり腰でもあったんですよ。1時間も座って待つとか〜〜!!しかもヘソ下が痛いし。既に服が皮膚に当たっただけで痛さがやばいんだ。
で、診療時間になったのは11時過ぎてました。
先生に経緯を話しつつ腰を見せた途端「火傷ではありません」と。何ですと!?「これは帯状疱疹です」と。そっから赤い部分にクリームアクアチム軟膏1%を塗られた。で、お会計の時に薬をいただきまして、その場でお薬を2錠ファムビル錠250mg・メチコバール錠500・0.5mgを飲む。この時、痛み止めのお薬も出してもらったのですが、この時は我慢した(夜には痛みがひどくなり我慢できなくなった)
で、帰りに薬局でガーゼを30センチ×1メートル分購入。
帰宅後、やたらと寒気を感じる。発熱したっぽい。ふしぶしが痛いから。どないもならんので寝転がるが、寝れん〜。
午後4時、2回目のお薬を飲む。
夜、帰宅したダンナに報告。「「火傷じゃなかったわ。帯状疱疹とかいう奴で、結構大事なった。で、悪いんだけど、背中側の腰が見えないんだよね。ガーゼを貼ってほしいんだ」とお願いしたところ「任せとけ」と。ごめ〜ん。
ともかくお風呂に入り、病院で貼ってもらったガーゼを剥ぐ。この時気付くべきでした。赤いのがガーゼからはみ出てることに。
患部を見せたら「朝見た時より広がってるし。水ぶくれがいくつか」
そうなのよね。病院で「帯状疱疹と言われたらという冊子をもらってあるんだけどさ、症状の経過1→5のうち既に3段階に入りつつあるみたいなんだ。展開が早すぎる〜。
クリームは細菌を殺す作用によって皮膚の感染症を治療するお薬です。で、飲み薬は3つ。ファムビル錠250mgはウイルスによる感染症に使うお薬。
メチコバール錠500・0.5mgはビタミンB1です。手足のしびれなどに用いられます。
ロキソニン錠60mgは痛みや炎症をやわらげるお薬です。また、熱を下げる作用もあります。高血圧と脳梗塞発症歴のある私の場合、他に併用してるお薬があるので、だいぶん不安もあるのでロキソニンは極力飲みたくないのですが、痛みが酷い。飲まないという選択は出来ない。ので、夜は降圧剤の服用を見送りました。もうね。本当は自分で判断しちゃダメよ〜。
一旦は寝た。寝れたんだ。けどもまたもや夜中に目がさめた。痛い〜。お腹と足のジョイント部分が一番痛い〜???
確認したら、赤いのがガーゼからはみ出たる。しかも、ダンナや先生がガーゼを貼った時は私が立ってたので気づかなかったけど、人間の体は立体なんだ。動くんだ。ガーゼに余裕が必要だったんだ。で、ガーゼの下の部分からはみ出た赤い部分がガーゼを止めるために皮膚に貼り付けたテープにくっついてたんだよ。わかる?で、引っ張ったら切れた。私の皮膚が。ぼこぼこしてる赤い部分が。はい、この時点で帯状疱疹を患ったことにある人はヤバさがお分かりですね。
そもそも帯状疱疹とは、幼少期に水疱瘡を患い、治ったものの水疱瘡のウィルスは体の中に潜んでいたんだね。神経節とかに。で、9月下旬から10月初旬にかけてのあれこれは病気持ちの私の体では処理しきれてなかったようなのだ。過労・病気・体力低下・老化が重なると、今まで押さえ込んでいた水疱瘡のウイルスが暴れ、皮膚と神経を攻撃する。で、私の状態は、現在水疱瘡ウィルスが勝ってるの。ち、ちくしょう〜〜!!でもさ、私、幼少期に水疱瘡にかかった記憶ないんだけど〜?と「これこれこれで今帯状疱疹で闘病中なんだけど、私子供の時に水疱瘡にかかったの?」と母にメールしたら折り返し電話がかかってきた。母曰く「保育園だか幼稚園だかの時にかかってる」と。そ、そうなんだ〜。麻疹にかかったのは覚えてたんだけどな。ちっ!母の話には続きがあった「ヨシコもトミコも(母の妹たち)帯状疱疹やってる。私はないけど」と。くっ!触れてなかったけどね。帯状疱疹にかかるのは60歳以降が多いんだそうな。つまり、私の年齢で帯状疱疹にかかること自体マズいんだな。あ〜、またかよ〜。私の体はひ弱過ぎ〜〜。ちっ!明日は昭和記念公園が無料開放デーだから見に行きたかったのに。10月22日も祝日であちこち無料開放になるから、行こうと思ってたのに。ムリ〜〜!!体力的にも無理っぽいけども、でこぼこしてる赤いのが一部水ぶくれにまで進化してしまい、さらにテープを剥がす時に破いたら。そこから水疱瘡ウィルスが出ちゃうじゃん!水疱瘡にかかったことのない小さい子や妊婦さんに近づきたくない!移しちゃう。あ。ダンナにも一応確認しておかないと!帯状疱疹に触っても他の人に移ることはないけども、水疱瘡にかかったことのない人には、帯状疱疹としてではなく、水疱瘡として移ることがあるようなので。あと、洗濯物とか分けんとイカンなあ〜。思いつくけど、体がついて来てない〜。もう何日もまともに寝れてない〜。辛い〜。という訳で、しばらく更新が途絶えるやしれません。動けるようになったら、旅漫画をアップしようかな?インド旅行のはどうだろか?

トップ画像は昨夜、ダンナにガーゼを貼り付けてもらう時に撮影したもの。この時は赤い表面は蚊に刺された時のように表面がぼこっとしてますが、まだ水ぶくれにはほとんどなってません。現在は進行中で、もう服が触るとか姿勢を変えただけでも痛い。辛い。
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相模原公園で綺麗なきのこ発見2019/10/10

2019年10月18日 03時31分47秒 | 相模原公園と麻溝公園
秋の花を見ながら散策。秋晴れが続き大気に湿り気がないせいか、いつものきのこ観察ポイントにはまったく出てなかった。半ば諦めつつ歩いてると?梅の木にたくさん見つけました。
え〜と?綺麗なオレンジ色のきのこですね。けども、乾燥してカピカピになっちゃってるなあ??「しっかり見分け観察を楽しむきのこ図鑑(ナツメ社)」を開く。今度の図鑑はきのこブログを書いてる方に教えていただいたオススメ図鑑です。
む〜ん??表面のオレンジ色はマスタケなんだけどなあ。けど、乾燥してカピカピになってて、マスタケの特徴的な傘の縁がチリチリしてないんだよなあ?傘の裏が白いところもマスタケと同じなんだけども?まあマスタケ(仮)ということにしておこう。ちなみに、マスタケならば、若いうちは食べれるきのこです。
雑木林のウッドチップの散策路をゆく。雑草がいっぱいで、散策路のそばしかきのこを探せません。昨年の台風で折れた枝があちこちに積み上げてあり、何の気なしに表面を見れば、ありました!
何これ??ショボすぎて撮影したもののボツにするつもりの画像でしたが。
白いのはともかく、丸くて黒いのもきのこじゃないの?見たことないんだけども??図鑑図鑑。
み、見つからない。こいつさ、たぶん出たばかりなんだよ。で、おそらく数日すれば一気に姿が変わるんじゃないかな?推理が正しいかどうか、再訪して確認するか。地味すぎてもう一度ここへ来れるかどうか分からんな。目印もな〜。ないしな〜。
足元のウッドチップの散策路にもしょぼいのがちょっと出てました。まあ記録で撮影だ。
さて、フランス庭園のメタセコイア並木を見渡せる場所に久々にきてみた。
あれ?噴水に水が入ってない!公園のホームページで確認したら、「噴水は清掃の関係で10月18日(金曜)に再開します」と出てました。
おそらくこの場所は公園になる前に射撃場だった場所じゃないのかな?周りより少し窪んでるんだよね。
噴水を見下ろして撮影した場所は一段高くなってます。端っこにススキとセイタカアワダチソウを見つけた。
東側のメタセコイア並木を歩いてみた。きのこを探したけどまったく出てない。タイミングが合うとチャナメツムタケなんかあるんだけどな〜。がっかりしつつ途中でメタセコイア並木を外れた。
あ!発見。
 
西側のメタセコイア並木に、切り株から1本だけにゅっと出てます。
何だろうなあ?「きのこ図鑑」を開く。
たぶんこれかなあ?マツオウジ。成熟すると傘が平らになり反り返るのが特徴らしい。マツヤニのような匂いが特徴的だそうですが、そんな香りはないなあ。まだ早いのかも?画像の状態ではなんとも。
花壇前もデザインが変わっていた。もうじきハロウィンだからね。去年もここにお化けかぼちゃデザインの花壇が出来ていた。
いつものサカタのタネグリーンハウス2階の展望室へ。ハロウィン仕様になってます。画像右端に、無料貸し出しのハロウィン衣装がある。

実は温室では10月12日〜14日の日程でトルコギキョウ展が開催されるので、準備の進み具合を確認にきた。うまくいえば、サカタのタネの新作がみれるかも?と思ったのですが、訪問は10月10日なので、まだトルコギキョウは搬入されてなかったよ。
こんな感じ。毎年見物に行ってて、今年もいくつもりだったけど、10月12日は台風襲来で中止となり、13日は強風が残り私の交通手段な自転車では無理があり諦め、14日は雨でした。結局見に行けなかった〜残念すぎる〜。
帰ろ!自転車はお隣の麻溝公園の駐輪場に預けてある。ショートカットコースで行こう。
おなじみのカワラタケ。一応の記録画像を抑える。
ん!?何か見つけたゾ!!
ハイコレ〜〜!!綺麗です。アースカラーな黒と煉瓦色。
あれ?この黒いのはさっききのこの品種名の特定を見送ったやつではなかろうか?やっぱり時間が経てば姿が変わるやつだったんだ。
え〜と?で。コイツは何?初見のきのこです。きのこ図鑑を開く。
わ、分からん。なぜにきのこのを同定するのはこないに難しいのか?けども図鑑を眺めたところおそらくマンネンタケではなかろうか?別名「鹿角霊芝」。状態によれば傘が広がらず鹿の角のような形になるらしい。出たばかりなのでどこまで大きな株になれるかわかりませんが、フォトジェニックないいきのこなので継続観察するつもり。
ところで、今日以前にきのこのブログに使用した「きのこ図鑑」と今回使用した「しっかり見分け観察を楽しむきのこ図鑑」は発行年が大分違います。
画像右が「しっかり見分け観察を楽しむきのこ図鑑」です。
「しっかり見分け〜」は2017年10月発行でして、既出のきのこを眺めていたら、気づいたことがある。オマエ食べれるきのこだったよね??と。何かね。可食と不食と毒とがね変化してるきのこがあるんだよ。中には注意と書いてあるきのこもありまして、きのこ初心愛好家は困っちゃってるんだよ〜。え〜と?既出のきのこ記事を見直す必要ってある?そもそも私は撮影と観察を楽しんでるだけで、収穫して食べる人じゃないので、個人判断でお願いします。きのこは中には一発で死ねる猛毒なものあるから。そこのところを踏まえてきのこを楽しんでくださいね。お願いね。
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相模原公園2019/10/10

2019年10月17日 05時17分07秒 | 相模原公園と麻溝公園
相模原公園に着いた。いつもきのこを観察しているコナラ林をチェック。けど、きのこは全く見つからず。凄く乾燥してるからねえ。残念。
前回の台風で折れた枝が木に引っかかって、まだ立ち入り禁止のテープが残っている。トップ画像です。次は雑木林の散策路できのこ探しコースなんだけど、この分だとロクにでてないだろう。とはいえチェックはしたいなあ。
案の定、きのこはなかった。雑木林の散策路を諦めて芝生広場へ向かう。
見えてきたのは桜だった。四季咲き桜か冬桜か?それとも十月桜か?数本咲いている。
アメリカセージが見頃になっている。ところで芝生を切り裂くように、いや分けるように植栽されているアメリカセージには重要な役目がある。
アメリカセージの東側はドッグランになっていて、ワンコを散歩させつつリードを離すことができるのだ。で、西側はワンコの進入禁止ゾーンだ。
む?もしかしてまだ咲いてるのか?半信半疑で森の展望台そばのアーチへ向かった。
まさかの!まだ見頃が続いてたわ。朝顔が綺麗だ。真夏だとすでに萎れてる頃合いなのに。ってか、なぜにまだ花がついてるんだろう?我が家のベランダのあさがおはすでに花の時期を終え、茶色の種が出来て収穫の頃合いになっている。

そばのコスモス畑をチェック。咲き始めだ。台風19号を無事やり過ごせたらいいなあ。
こちらは台風15号で倒れてしまったコスモス畑。倒れても花は咲くらしい。
前回見つけたソメイヨシノの老木の、高い枝に出てるきのこ。相変わらず遠目からの観察になり、品種名の特定はできそうにない。前回訪れた時より、きのこが大きくなってるみたいだ。
雑木林を散策。
歩いてると何かが飛んできた。探せばオンブバッタだった。確か背中に乗ってる小さい方がオスじゃなかったっけ?
雑木林の中で野草観察。ノアザミが固まって咲いてる場所があった。
あと、林の中を転々と咲く小さな白い花。なんて種類だっけ?(続く)
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台風前の麻溝公園2019/10/10

2019年10月16日 05時56分06秒 | 健康
10月5日〜7日まで、法事で四国に戻ってました。ついでに最近体の弱ってきたダンナの両親宅の掃除・洗濯・ご飯作り。これは普段と変わらなかったのですが、ちょうど栗拾いシーズンが重なって、あちこちから栗がおすそ分けにやってくる。嫁としては剥かねばならん。衰えた義母がやるハズないんである。と、一人栗剥き大会を開催しました。大量の生栗!表皮を剥いて渋皮を剥いてから2つ割する。結果、中がカビてたり腐ってたりする。そのガッカリ度と来たらない!なぜかカビてる栗が多かった。疲労度マシマシになる。で、午後3時からスタートした栗剥きは午後6時に前半戦終了。晩御飯を作って食べて後片付けの後、後半戦がスタート。1時間経ったところで私の身体から「もうやめとけ!」信号が届く。何が辛いって、小柄な義母用に作られている台所は作業台が低いのだ。疲労が腰に直撃する。しかし生栗はまだまだ残ってる。翌朝、早起きしてまずは朝ごはんを作ってから家族が揃う待ち時間を使い栗剥きの延長戦が始まった。結局生栗剥き大会は体力いや、指先負傷につき5時間で終了となった。なんとか一袋は剥き終えたので、それを塩茹でにしたのち小分けして冷凍した。残り2袋はおそらく義母が腐らせて捨てられる運命なんだろうなあ。田舎って何気に贅沢ですよね。都会だと今年はそもそも生栗がスーパーにも八百屋にもあんまり並んでないんだ。天候不良のせいでしょうか?ンなことはどうでもいい。ボロボロになり田舎の最寄り駅を午後4時過ぎの特急で離れた。岡山で新幹線のぞみに乗り替える。寝落ちして新大阪。それから早めのお弁当で京都。さてもうちょっと寝ようとして寝られず。右足痛が再発してた。まじかぁ〜〜!!神奈川発四国行きの時は朝6時過ぎに出発したので新幹線で寝落ちした。寝れた。私の腰も右足も十分回復したんだ!と嬉しかったのに。何つーの?ダンナの実家は田舎の農家の家屋なんですよ。トイレは一旦外に出て別棟の納屋の続きにあるし、洗濯機も外。物干し台も外。私たちの部屋も母屋とは別の作りでして、いちいち部屋に戻ってるダンナを呼ぶために外回りで呼びに行く。何が言いたいか?というと、踏み台昇降運動みたいな上り下りが多かったんだよね。腰痛持ちの右足痛が持病になってる人間が暮らしていい生活空間ではない!と思う。結果の右足痛と腰痛再発ですよ。10月7日午後9時、最寄りの小田急相模原駅に降り立ったら小雨が降っていた。小雨だからと濡れて商店街を歩いてるうちにどしゃぶりに変わった。弱り目にたたり目で、翌日はもう動けず。で、木曜の10月10日に朝一で予約してた接骨院へ。やばすぎて先生が予定してた骨盤矯正は延期になった。それでも少し身体が軽く感じだのでそのまま散歩に行くことにした。心をリセットしないと心まで疲れたままになってしまう。向かった先はいつもの麻溝公園と相模原公園だった。相模原公園で10月12日(土曜)ー14日(月曜)開催のサカタのタネグリーンハウスにてトルコキキョウ展の準備が進んでるハズなので見物したかったんだ。
前振りが長くなってしまいました。ボヤいちゃったよ。また。ごめんね〜。
トップ画像はこのところ麻溝公園を訪れたら変化を定点観測してるコフキサルノコシカケです。この株は雨によりコフキサルノコシカケの特徴の「粉」が洗い流されました。粉って復活しないのですね。サルノコシカケ科の別の種類のきのこに見えるわ。
せっかくなので、あじさい順路をそのまま進む。
あれ?まさか!!

瓔珞タマアジサイがまだ綺麗だ。タマアジサイはアジサイシーズンが終わった頃に見頃を迎えます。けども撮影したのは10月10日ですよ?びっくりです。確か例年彼岸花の季節に咲いてるのは知ってたけども。その後も綺麗だったとは!いつもの散歩コースなのに発見ってあるものですね。
庭木としては瓔珞タマアジサイは優秀なのかも?咲いてる期間が長くて、夏花と秋の花のはざまでも咲いてるって素敵〜。
移動。
うおっ!!こ、これは!!
いつもの場所で姫アジサイが綺麗です。気温が低くなってるからか、晴天でもしおれてません。せっかくなので、ズーム。
可愛い。
さてと、山アジサイが植林されてる樹林広場へ。前回の台風15号で樹林広場の木が倒伏。直近で公園を訪問した時には撤去作業してた。どうなったか確認したいんだ〜。
む?足元に白い塊が横切っていく。正体を確認しようとしゃがんでみれば、甲虫の幼虫がアリに引っ張られてたのだ。アリが黒いから分かりにくいかも?けど1匹で引っ張れるものなのね。甲虫も引きづらてつつ必死に抵抗してます。アリVS幼虫の闘いは見応え十分です。あ〜、面白かった!
あ!幼虫の奥にきのこが見えた。晴れ続きでもきのこは頑張って出現したようです。まあ、見慣れた普通のきのこですが。数も少ないですが。せっかくなので記録画像を残しておこう。
あ!斜面花壇のハヤブサ2の色が綺麗になってるう〜〜!!台風15号襲来直後はショボ過ぎて撮影対象にならなかったのに。でも宇宙空間の紫の花がもうちょい鮮やかになってほしいなあ。
さてと?前回の台風で倒伏した木はどうなってるかな?

何か出てた!いやね、散策路から遠目に観察してたら、根元に白色が見えたんですよ。あれは何だ?とばかりに近づいて撮影です。
きのこの幼株っぽい。出現したばかりなので、きのこ初心愛好家の私に種類の特定はできないなあ。たぶんサルノコシカケだと思うけども。
で、株が大きいからこの木が担っていた日陰はそこそこの大きさ。この木が消えて、そうでなくとも昨年、一昨年と年を追って樹木広場の木が倒れて撤去されてて、今年に至っては樹木広場の山アジサイはほとんどの品種が花をつけられなかったり、乾燥して枯れそうだったりでした。麻溝公園は市の花あじさいの一大植栽地なので、対策をとってほしい。まあ、政令指定都市になろうとして無理矢理市町村合併した弊害で、相模原市は年々億単位の赤字が発生してるので、市の財政が厳しいのは知ってる。でも工夫のしようがあると思うんだ。アスレチック場で大きくなり過ぎた木を間引きしてるみたいだからさ。大変だと思うけども移植ってできないのかな〜?植栽されてる山あじさいの中には稀少な品種もあるみたいだし、枯れてからでは遅いと思う。
もう一面の斜面花壇へ。こちらも前回はまだ花が少なかったけど、星とはさぶさ2部分の花は色づいてます。
さて、相模原公園に移動しよう!
ンン?なんか樹林広場の木の色がおかしいぞ?逆光だから見にくいけども、気のせい??
わかります?つい水道みちの花の谷に見頃始めのホトトギスを見つけてしゃがんで撮影してたんだけどさ。上の画像奥中央の雑木に目を凝らしてほしい。葉っぱが茶色なんだよね。もしや枯死してるんじゃないの?確認に戻る。
え〜、問題の木はまさかの!8月に「森のレストラン」と甲虫や蝶が集ってた木でした。あの時は盛んに樹液を分泌してたのに。樹液がでてた幹の下に、養生のこもを巻いてたんですけど、半分剥がれてたのでペロッとまくってみたら、白いカビが出てました。木の幹にカビがあるんだよね。不吉過ぎる〜。台風19号でこいつも倒れるかも?そうなると、山アジサイは危機的になるんじゃないの?山アジサイはね。日陰がないと生きてけなんだよ〜〜。台風襲来後に確認しなくては!
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東京オリンピックグッズを買う

2019年10月15日 05時28分05秒 | 雑記
2019/9/16(敬老の日)は上野の東京国立博物館の総合文化展(常設展)の観覧無料デーでした。天候イマイチにつき、早めの撤収。帰り道、赤坂見附駅で下車。駅改札を出てすぐのビッグカメラに東京オリンピックオフィシャルショップがお目当て。10月に父の一周忌法事で田舎に戻るので、その手土産にオリンピックタオル&ハンドタオルが欲しかった!WEBでオフィシャルショップのラインナップも確認済み。いそいそと入店したのですが。
ない!欲しかったタオルもハンドタオルもない!!
ありえん〜〜!!
実はですね。東京オリンピックの入場券第一次落選。第二次落選のダブルコンボ組です。2回目の抽選の時は、観戦チケットのカテゴリーをあげて申し込んだのですが、あえなく落選しちゃいました。で、チケット購入予算をつぎ込んでグッズを買おうと思ったのですが。ないだと!?赤坂見附店には、田舎土産のオリンピックタオルもオリンピックハンドタオルも両方ない!1枚もない!なぜだ〜!!
で、切れました!赤坂見附店にないなら、新宿ハルク店に行けばあるかもな!とダンナに言えば歯切れが悪い。行きたくなさそ〜。
で、だね。赤坂見附店では自分らのオリンピック半袖Tシャツを購入することに。Tシャツはデザインも豊富でした。でもwebショップで閲覧し、私のは買いたいのを決めてたのです。トップ画像ね。既に何度か着用済み。ダンナはどうだろか?同じデザインのサイズ違いとオリンピックポロシャツのどっちがいい?と聞こうとしたら、ビッグカメラ店で電化製品なんかを見て回ってた。オイ!せめて近くにいて欲しかったわ。
手に持ってたTシャツを一旦棚に戻し、ダンナを探して店内へ。
で、聞いたらTシャツがいいとの返事だったのでそうすることに。あまりの興味のなさにがっかりだよ。
で「今から私は新宿店に行くけど、自分(アナタ)はどうする?ここでサヨナラする?」と聞けば案の定付いてこなかった。けっ!
赤坂見附で丸ノ内線に乗り換え新宿駅へ移動。
ハルクのオフィシャルショップにはオリンピックハンドタオルはあったがオリンピックタオルはなかった!
何でや〜〜!!
疲れもありこの日は諦めて帰宅する。
帰宅後、東京オリンピックのホームページを閲覧。オフィシャルショップを検索しなおす。と?いつの間にか店数が増えていた。しかもお隣の相模大野のビッグカメラ内にも新たにオフィシャルショップが出来てるではないか!
翌日いそいそと買いにいく。
で、ゲットできたのが東京オリンピックタオルです。
これね。自分用・田舎土産用で3枚購入。けどもだ!今回は法事で帰省するので、妹と従姉妹用にハンドタオルが欲しい。で、前回新宿店で購入したのと同じハンドタオルを探したのですがないっ!!何でや〜〜〜!!在庫を絞るにもほどがある。
まあこないに欲しい品が手に入らない訳には心当たりがあるけどね。実は東京オリンピックグッズは価格設定が高いんだ。私が欲しいハンドタオルは800円超。タオルは1200円超。購入したのが9月だったので、現在は微妙に価格が違ってるハズだな。
なもんだから、東京オリンピックグッズは欲しいけども、妥協できる価格のものだけ購入したい。で、なんか集中してる気がする。どこの店だかで入荷予定をたずねたけど「わかりません。工場次第」とか回答があった。しかもその店員さんは中国人の若いお兄さんだった。他の店のおばさん店員には、在庫のある東京パラリンピックタオルを勧められたわ。いつの間に日本は店員の質がこんなに落ちたんだろか?もう愚痴しか出てこない。
この時は帰省日時が差し迫ってたので、代替のハンドタオルを購入して妹と従姉妹にプレゼントしたのですが、値段に差のある2種類のハンドタオルは評判が悪かった。東京オリンピックグッズは高評価だったのな。

さて、とはいえ、私の東京オリンピック観戦チケット購入予算はまだ残ってる。ということで、もうちょい東京オリンピックグッズを買い足すことに。
東京オリンピック記念100円硬貨と東京パラリンピック記念100円硬貨です。これさ、投稿済みの破れた5000円札を交換のため銀行に行った時まだ残ってたんだよね。2種類だけ。あ。画像が4種類に見えるのは表と裏の2種類のコインです。左がパラリンピックで右がオリンピック。もともとは何種類かあったようですが、確か8月末に買ったので、2種類しか残存してなかったんだよ。
で、撮影のために並べてたらなくした。いや、部屋のどこかにはあると思うんだけど、法事で妹と従姉妹と自分と母で4枚を分けようと思ったら、ウエストポーチに入ってなかったんだ。やっちまったわ。まあ今回は残念だったけど、探したらどこかにあると思うんだ。
で、最後に向かったのは郵便局。


オリンピック切手です。画像ではよく見えないかも?ですが、これ寄付付き切手です。1枚につき10円分の寄付つき。当然売れ残ってた。私も発売直後には買う気がなかった。ってか観戦チケットが抽選で当たってたら買ってなかったよ。せっかくなので使おうと思う。シート買いなので、1シートにつき100円分の寄付になる。この寄付、どこでどう使われるのかなあ?
ということで、自分の観戦チケット予算は使い切ったので、オリンピック本番はテレビ観戦になります。先日ドーハっけ?世界陸上で夜に競技してて、途中棄権者続出してましたね。ドーハって砂漠に近いから、気温は高くとも湿度は日本より低いと思うんだ。7月末から8月初旬の一年で一番日本が暑い時期に、競技観戦しなくてよかったわ!とか負け犬の遠吠えしておこ。
最後に言わせて?聞けば妹もチケット抽選漏れしてましたよ。なんかね。チケットが中国人に組織買いされて、大量に中国本土で高額売買されてるってニュースを見た。おい!オリンピック組織委員会の対策ってどないやねん。抽選漏れ者は怒ってるぞぉ〜〜〜!!
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黒田記念館と上野公園

2019年10月14日 05時36分43秒 | 上野・根津・湯島・神田
2019/9/16訪問。黒田記念館の開館は、東京国立博物館の開館日と同じです。
黒田記念館は、日本近代洋画の父ともいわれる黒田清輝が大正13年(1924)に没する際、遺産の一部を美術の奨励に役立てるように遺言しました。これをうけて昭和3年(1928)に竣工しました。館内には遺族の方々から寄贈された遺作を展示して画家を顕彰するために黒田記念室が設けられました。昭和5年(1930)には同館に美術に関する学術研究と研究資料の収集目的として、現在の東京文化財研究所の前身である美術研究所が設置されました。
設計が岡田信一郎の作品であることから、創建当初の姿へ復元。平成13年(2001)に美術館として開館。重要文化財」
トップ画像入り口を抜けるとすぐ階段で2階へ。映像資料を見学し、展示室へ。
あれ?これだけなの?ショボすぎる〜。ってか、私が見たかった黒田清輝の代表作「湖畔」がない。おかしいなあ?前にここで見たことあるんだけども?学芸員さんに聞いてみた。すると、黒田清輝の代表作の「読書」(1891)「舞妓」(1893)「智・感・情」(1899)「湖畔」(1897)は年に3度各二週間のみ開館する特別室にしまってあるらしい。そうだったのかぁ〜〜!!残念です。ちなみに、次の特別室の開室日は、2019年10月29日(火曜)ー11月10日(日曜)になってます。

展示室にイーゼルが飾ってあった。説明文には「黒田清輝の遺品のイーゼル・椅子・絵の具箱ですって。このタイプのイーゼルは屋内だけでなく屋外でも使用可能な作りになってます」とある。さてと、時刻は14時半。天候もイマイチのままなので駅に向かおう。
あれ?面白い案内板があったわ。地図を兼ねてますね。バーの長いほどここから遠いんだ。
噴水広場では何か水道展をやっていたので、端を歩いてたらこんなのを見つけた。
わかりますかね?江戸時代は上野公園は東叡山寛永寺の境内でした。
説明板発見:寛永寺根本中堂跡
江戸時代、現上野公園の地は東叡山寛永寺境内で、堂塔伽藍が立ち並んでいた。いま噴水池のある一体を、俗に「竹の台」と呼ぶ。そこには廻廊がめぐらされ、勅額門を入ると根本中堂が建っていた。根本中堂は中堂ともいい、寛永寺の中心堂宇で、道内に本尊の薬師如来が奉安してあった。(中略)坂東第一ともいわれたほど、荘厳華麗であった。るりのように美しかったので瑠璃殿とも言われた。中堂前両側には、近江延暦寺中堂から根分けの竹が植えられ「竹の台(うてな)」と呼ばれていた。
慶応4年(1868)5月15日、彰義隊の戦争がこの地で起こり、寛永寺堂宇伽藍はほとんどが焼けた。」
以前、寛永寺の徳川将軍家霊廟見学ツアーに参加した時に、僧侶の解説を聞いたことがあります。てっきり彰義隊と官軍の戦争で寛永寺が焼けたと思ってたのですが、実は1日で戦争が終わった後、官軍により焼かれたのが真実らしい。
移動。上野の森美術館ではこんな展覧会が開催されてました。
いっつもちょっと変わった展覧会をやってるなあ。一瞥して東京メトロの上野駅に向かってると、お墓が見えたので寄ってみた。
説明板発見:天海僧正毛髪塔(都指定旧跡)
天海僧正は、江戸初期の天台宗の高僧で、諡号を慈眼大師という。天文5年(1536)に奥州会津郡高田郷(福島県)で生まれた。11歳で出家。14歳で比叡山に登り実全に師事して天台教観を学び、さらに三井寺や奈良で諸教学を学んだといわれる。のちに江戸崎不動院(茨城県江戸崎町)、川越喜多院(埼玉県川越市)などに在し、徳川家康の知遇を受けた。元和2年(1616)家康が没すると、その神格化にあたり権現号の勅許を計り、合わせて日光廟の基本的構想をたて造営を指導した。その後も将軍秀忠・家光の帰依を受け、江戸城鎮護のため上野忍岡に寺院建立を進言し、寛永2年(1625)に寛永寺を創建した。
寛永20年(1643)に子院の本覚院にて108歳で示寝。遺命により日光山に葬られ、この地(旧本覚院跡)には供養塔が建てられた。のちに本覚院伝来の毛髪を納めた塔も建てられ、毛髪塔と呼ばれるようになった」
時刻は既に15時。楽に下へ降りるべく、エレベーターに向かう。と?

スカイツリーの頭が雲の中に隠れていた。分かります〜?
で。まだ帰るには早いし、小田急メトロ1日券を持ってるので、東京オリンピックオフィシャルショップで買い物したい。父の法事の手土産にタオルとか買いたいんだよね〜。事前に調べてきたのは小田急新宿駅そばのハルク内のショップだったのですが、遠回りになるからとダンナがその場で検索してまずは赤坂見附店に行くことになったのですが〜〜。
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早回りトーハクの見物方法

2019年10月13日 00時26分55秒 | 展覧会&観光施設&能楽
2019/9/16訪問。法隆寺宝物殿を見学後、傘を取りに本館へ戻る。そういえば、と。チラシを取ってなかったわ。 
あれ?奈良大和四寺みほとけ(期間:2019.6.18-9.23)チラシの裏を見たら、観覧料620円とある。ということは、これは総合文化展(常設展)で見れるんじゃん!場所は?本館1階!すぐそこじゃん!ダンナに見ていこう!と誘ったら「お土産コーナー見たいから、行っておいで」と。あ。そう〜?
わからんでもない。この日は年に数度しかないトーハクの総合文化展無料入館デーなんである。すぐそこなだけに観覧客がとても多いのが見えるんだ。
「今13時半過ぎたところだから、お土産コーナーに50分に集合ね」と。いそいそと見物へ。素晴らしい仏像でした。画像をお見せしたいのですが、奈良大和四寺みほとけ展は全て撮影禁止だったのです。観覧者が心に刻むみ仏の姿なんである。ってなことでお見せ出来ない〜。次の部屋へ移動。漆工の部屋。あれっ?5月の国際博物館デーにはこんなんなかったよね?
黒漆に螺鈿で輝くIHSの文字。これはたぶんラテン語で救いの人イエス(Iesus  Hominum Salvator)の略称じゃないかな?んでもっておそらく聖書を乗せる台じゃないかと?説明文を撮影してないのでおそらくですが。
IHSの隣がこれ。花樹鳥獣蒔絵螺鈿聖龕 礼拝の対象となる聖画を収めた箱です。重要文化財。なんとこれ、日本製。鎖国する前の安土桃山時代にヨーロッパ向けに作られた品とあった。期間限定公開品。
隣の金工の部屋へ。あれ?5月の国際博物館デーの時は複数の自在置物が並んでいたのに。一個もない!!うわ〜まじか〜。お気に入りだったのに。
隣の刀剣部屋へ。ここはいつも観覧客が多い。刀剣萌え女子と外国人が楽しそうに見入っている。そういや、VR刀剣 岡田切吉房 三日月宗近のチラシもあったなあ。(トップ画像)。で、刀剣部屋に岡田切吉房と三日月宗近の本物を展示してある。
岡田切吉房は鎌倉時代(13世紀)の太刀で、正式には福岡一文字吉房(号 岡田切)といい、三日月宗近は平安時代10-12世紀の京都の刀工宗近が打った太刀で、三日月状に見える刃文から「名物 三日月宗近」の名がつけられています。正式には三条宗近とかいうらしい。で、この2本を大勢が熱心に見入っているのはVR刀剣が答えです。トーハクの東洋館にはミュージアムシアターがありまして、訪問した2019年9月16日(敬老の日)はVR刀剣を上映してました。国宝の二振りの刀剣を比較しながら専門的に紹介する35分番組(有料:高校生以上500円)で鑑賞する趣向。知識を先にVRで見て、後で本館の刀剣部屋で楽しむ趣向です。
隣の陶磁部屋へ。続きの特集部屋も使い、やちむんー沖縄のやきもの展(9/16まで)があった。ちなみに「やちむん」は沖縄でやきものを意味する言葉です。トーハクが明治18年(1885)に沖縄県から購入した作品群。お気に入りの作品がこれ。
最近YouTubeで釣りのユーチューバー番組を主に見てるからか「カニ」に惹かれてしまいました。台湾ガザミっぽいと思ったのだ。ちなみにチューカー。wikiによりますと、チューカーとは沖縄で茶器を含めた土瓶全般の名前です。
隣の部屋へ。焼失前の芝増上寺の徳川将軍家の霊廟の古写真に色をつけたものが複数展示してあったと記憶。
隣のアイヌ部屋へ。
既に時間がヤバイ。旦那との約束時間が迫る。アイヌ民族のあれこれが並んでいる。アニメゴールデンカムイを視聴してたので、もっと時間をかけて見たいんだけどな〜。せめてとピックアップしたのはゴールデンカムイのヒロイン、アシリパちゃんに似合う首飾りだったから。けど今はムリ!次回はここを時間かけて見物しよう。
次の近代の美術部屋へ。
どれか一品と思い撮影したのが高秋霽月(こうしゅうせいげつ)。
母が好きそう〜がチョイスポイント。長野草風筆 大正15年(1926) 「高い天に輝く満月と、雨上がりの直後にあらわれたのか、無数のちぎれ雲がその姿を変えながら浮かんでいます。」とある。
隣の部屋へ。何か展示品のレプリカを作ってみよう!コーナーがあった。そして顔出し看板も。
俵屋宗達の風神雷神チョイス。なぜにこんなところに看板を置いてあるのだろうか?あ!天候が悪いからかもな。
隣の部屋へ。あ!お土産コーナーだった。ダンナは?あ!いた!時刻はうん!13時50分ちょい前。さあ、次は黒田記念館だ。
移動してたら、白萩と表慶館のコラボが素敵だった。あ〜、白い空じゃなければ完璧だったのに〜。
さて、ここでこのブログのタイトル回収です。
トーハクこと東京国立博物館は、本館・平成館・東洋館・法隆寺宝物館・表慶館・黒田記念館・庭園・茶室・資料館がある。じっくり見回ると時間も気力もたっぷり必要です。観光客ならンなに時間使えない!となるでしょう。で、効率よく見て回るためにまず手に入れるのをお勧めしたいのが東京国立博物館ニュースです。
画像右。2ヶ月に一度の発行で、展示と催し物案内で期間限定の展示物がPick up!してあったり、お勧めの展示物が掲載してあります。
こんな感じ。この日トーハクに到着してすぐ、総合文化展は四季折々に合わせて一部展示物を変えてるのに気付いきました。だから訪問済みであっても何度も常設展を楽しめるんですよ。けど時間がない場合もある。そういう時にオススメなのが東京国立博物館ニュースです。私は帰る段になってこれをゲットしたので、見た分もあれば見てない分もありました。さて、時刻は早くも14時過ぎ。移動です。
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法隆寺宝物殿がなぜトーハクに??

2019年10月12日 10時05分10秒 | 展覧会&観光施設&能楽
2019/9/16(敬老の日)見学。
wikiによりますと、法隆寺って607年(伝)に創建されたお寺です。開基が推古天皇・聖徳太子で、現存する世界最古の木造建築がある。ンな由緒正しいお寺の宝物が、なぜにトーハクにあるのか?すっごく不思議。答えもまたwikiに載っていた。
明治維新以後、廃仏毀釈により人々にあれこれ壊され、また幕府の庇護がなくなって全国のお寺は収入も途絶え困窮した。数年前、姫路城の屋根の葺き替えが終わりましたね。日本の建物は、石造りが基本の西洋の建物と違い継続的なお手入れが必要です。放置すると歪んだり屋根が自重で落ちたりしちゃいます。法隆寺も例外でなく、危機を迎えてました。で!1878年(明治11)、法隆寺は貴重な寺宝300件余りを皇室に献納し、皇室の援助を受けることが出来たのです。この時献納された宝物が、トーハクの法隆寺宝物殿に展示されてる訳だ。皆さんはトーハクの法隆寺宝物殿を見学したことありますか?私はたまげた!だって、展示物のほとんどが重要文化財なんですよ!
それにしても、宝物館の外観がな、現代的過ぎ〜。当日は朝から雨でした。宝物殿に着いた時はかろうじで雨粒は落ちてなかったけどね。トップ画像の池が鏡面反転してるようで、なんつーかアニメのような演出になってました。
トーハクのWEBページによりますと、「法隆寺宝物殿は、当館所管の法隆寺献納宝物の全てをまとめて保存・展示する建物として、昭和39年(1964)に開館しました。この旧宝物殿では作品の保存上、公開は週1日に限られていました。そこで保存機能を更に高めながらも作品を広く一般に公開することを目的とし、平成11年(1999)に谷口吉生設計による新宝物館が開館しました。現在は、ほかの展示館と同様、週6日公開されるようになりました」とあります。
では入館。第1室へ。

国宝灌頂幡と重要文化財金銅小幡。
ちなみに、WEB見て文章を書いてるんですけど、撮影した動機は金属で綺麗なお姉さん(天女?)を7世紀の日本でよく作れたなあ。でした。だって飛鳥時代なんですよ?聖徳太子が生きてた時代なんですよ?当時の日本の手仕事ってどの程度の技術があったんだろか?って思うじゃん。
第2室へ。金剛仏 光背 押出仏コーナー
飛鳥時代の観音菩薩がズラリと並んでます。たぶん全てが重要文化財。
館内が薄暗く、撮影を失敗しました。
押出仏。
こっちの方がわかりやすい押出仏。教科書に載ってた摩耶夫人と天人像もあったけど、撮影に失敗しました。
2階へ。金工。見覚えあるなあ??コレ?
当然でした。有名な国宝竜首水瓶。銅鋳製鍍金(メッキ)銀。全高49、9センチ。胴径18、9センチ。飛鳥時代(7世紀)。たぶん本で見たことあったんだね。こんなに大きい作品だと思わなかったけど。
見物後1階に降りようとしたら、建物に目がいった。

あれ?いい匂いが階下からしてきたわ。降りたら椅子が並べてあって、待ってる人が。見てたら奥にトイレマークを見つけた。ついでなのでトイレによる。と?いい匂いはレストランのものだった。はぁ!?国宝や重要文化財盛りだくさんの法隆寺宝物殿の中にレストランだと??見れば、ホテルオークラのレストランじゃん!!法隆寺の宝物の感動がびっくりしてどこかへ行っちゃったよ〜〜。
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国立博物館の表慶館

2019年10月11日 15時32分33秒 | レトロ建築
2019/9/16訪問。上野の国立博物館本館2階を見学後、お昼ご飯は平成館の1階ロビーでいただく。冷房あるし、ふかふかな椅子もある。私は持参したお茶を飲んだけど、無料の飲用水も配布してた。
さて、次は法隆寺宝物館へ。小雨がうっすら降っていたけども、傘を預けた本館まで戻るのが面倒臭いのでそのまま移動することに。
ふと、目に入ったのは、今ではほとんど使用されていない表慶館。神奈川では日曜お昼にBS朝日で「百年名家」という番組があってですね。私が訪問したのは今年の敬老の日(9月16日)でしたが、9月1日にトーハクの表慶館が紹介されました。たまに展覧会がありその時は入れますが、基本中に入れません。以前ダイヤモンド展とかで入ったのを思い出す。
で、番組内で紹介されていたのが正面建物のレリーフです。
わかりますか?ズーム。
よく見れば、大工道具みたいなデザイン。般若の面もありますが。
しかしですね。裏に周るとこう。
レリーフがない!
サイドにもレリーフはない。
中途半端な仕上がりの建物だなあ?予算不足か?
表慶館の位置はこう。上の画面右奥が本館です。
正面左右には狛犬ならぬ狛ライオンが鎮座。
口を開けてるのと閉めてるの。つまりまさしく「狛犬」の程で作られた玄関を守る置きの物です。
あ。説明板発見:表慶館
皇太子殿下嘉仁親王(大正天皇)のご成婚記念に、国民から奉献された美術館である。宮内省の片山東熊に設計が委嘱され、明治34年8月に着工し、明治41年10月に竣工した。ネオ・バロック様式と鉄骨、石材などの材料には、同じく片山が設計した東宮御所(現迎賓館)と類似の点が多く見られる。石張りレンガ造り2階建てで、中央部に大ドーム。両翼に小ドームをもち、左右相称となっている。内部は、中央ドーム下のホールが1・2階吹抜けとなり、ドーム天井周り、2階ギャラリーを回るイオニア式列柱や手すりなどは、ゆるぎない整然とした比例構成など、雅致深い建築である。昭和53年5月、重要文化財に指定。」
見覚えあるのは迎賓館に似てるからか。
歴史補完:迎賓館の竣工は1909年(明治42)。表慶館はその前年に竣工。
ついでに迎賓館には戦意昂揚をモチーフとしたデザインが多用されている。日露戦争の期間は1904年2月8日ー1905年9月5日。ご存知のようにポーツマス条約では賠償金が取れなかったので、予算不足になったのやも?確か明治天皇が「迎賓館を華美に過ぎる」と評したせいで、大正天皇の東宮御所として造ったのに使用されなかったし。
せっかくなので、赤坂迎賓館参観のブログ記事をリンクします。
法隆寺宝物殿へ向かう。
途中にこれを見つけました。
説明板発見:黒田家の江戸屋敷鬼瓦
德川幕府の参覲交代の制度により、江戸には諸大名の屋敷が設けられた。この鬼瓦は、筑前福岡藩主黒田家の屋敷(現在の千代田区霞ヶ関、外務省の地)の建物の棟飾りとして用いられたものである。鬼瓦といっても鬼面にはなっていない。複雑な雲文の鰭までを一体に造った大振りなものとなっており、屋根を重厚にする江戸趣味をよくあらわしている。」
そして並びに旧因州(現鳥取県)池田家江戸上屋敷表門<重要文化財>がある。明治になり、東宮御所の正門としてうつされたのち、高松宮邸に引き継がれ、さらに昭和29年(1954)にトーハクに移築されました。
本来ならば土・日曜・祝日の10時−16時に開門されるハズ。あれ〜??しまってるゾ??天候不良だからかしら?チッ!いっつも外から見物して、門をくぐってみたいな〜とか思ってたのに。残念です。では、法隆寺宝物殿へ。時刻は既に12時半。日本の宝を見物しながら考え事しすぎで早くもヘロヘロな私。
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東京国立博物館無料デー

2019年10月10日 20時49分54秒 | 展覧会&観光施設&能楽
2019/9/16(敬老の日)訪問。増税前の買い物に忙しくて、時間がかかりそうな博物館展示物の記事を後回しにしてました。
さて、実は今年5月の国際博物館デーに無料で常設展(トーハクではそれを総合文化展と表現します)が見れる!とあり見学しました。けども久々のトーハクだった。途中で挫折して見れなかった場所がある。それが本館2階法隆寺宝物館黒田記念館でした。補完しよう!と次の無料公開デーを調べたら、敬老の日。雨が降ろうが行くしかないわ!とゲームのコンプリート気分で出かけました。
間違いだったよ。トーハクの常設展(総合文化展)には、展示替えというのがあってだな。展示物の一部が時折入れ替わるんだ。しかも四季折々の自然を愛する日本人は、四季折々に合わせた逸品というのがあってだな。
という訳で、今回は前回の訪問時に比べ。心に残る作品だけ撮影した。でないと、またしても長編連載ブログになってしまう。踏まえてまずは時間のかかりそうな本館2階へ。
階段を上がったら親と子のギャラリー日本のよろい!(2019.7.16-9.23)をやっていた。失敗した。本来ならば、見学順路に従い、1−1室の日本のあけぼの(縄文〜弥生〜古墳)室から見学すべきだったのに。鎧がなぁ〜。トップ画像をご覧ください。兜のレプリカがかぶれるコーナーがあったんだもん。かぶるでしょ!ちなみに、ガラパゴス携帯のシャッターを押してくれたのはダンナではありません。トーハクの学芸員のお姉さんです。
ちなみに、満面の笑みで撮影してしまった私。それまで誰も兜をかぶって試してなかったのに、すぐに行列が出来てた。兜のそばに、鎧の胴も置いてあり、持ち上げて重さを体験できるコーナーがあったよ。で、ダンナを見失ってしまったので、しばらく一人で見学してたら、突然黒人さんに声かけられた。
黒人さんが熱心に見てたのがこれ。兜です。
お兄さんは(黒人さんという言い方は、日本人には『外国人』と同じくくりなんですが、国によると差別表現になるそうなので、以後お兄さんと言い換えます)、私の顔を見てすぐに「しまった!」という顔になる。ンなもん「ノープロブレム」ですわ。と言ったら、お兄さんはどうも一緒に来た友人に話しかけたつもりだったらしい。サムライアートな日本のよろいかぶとに互いに感激して、はぐれてしまったとか。ンなもん「ノープロブレムなノットアットオール」ですわ。ホッとしたのか、顔つきが和らいだお兄さんは「このヘルメットの正面デザインはフェニックスが似合う」と語る。「これはドラゴンです」と私が答えると、お兄さんは納得いかなそうな顔になる。え〜とそれはだな。あ〜〜!!私の貧弱な語学力でどう答えればいいのか?お兄さんが引っかかったのは、西洋のドラゴンと日本の龍の違いだと思う。日本では龍は龍神なんだよな。決して西洋の悪いドラゴンと同じ存在じゃないんだ。ハリウッド映画で勇者に討伐されるアレと同じにして欲しくない。そもそも日本の武士のよろいは、1対1で戦い生き残るために特化して発展したから、あれこれ縁起のいいものを詰め込んでたりするし。このギャラリーは戦い方の変化や武器の変化に伴うよろいの発展に焦点を当ててるみたいだし〜〜〜!!
ばぶっ。語彙が欲しい。つまり英語力〜。結局「ドラゴンは日本では神様です」的なことしか言えませんでした〜。ああ。この1週間前に東京駅そばのJPタワーでも外国人さんとテーブルをシェアしまして、お話しようとして挫折したんだったよ。情けない〜。
まあ、「ハブアナイストリップ」でお兄さんとはバイバイだ。
フロアの壁によろいの部分名称が貼り出してあった。同じパーツでもよろいの種類や時代によって大きさが違うらしい。日本人の体格がよくなった訳じゃないのね。
ついでなので、展示物は4種類のよろいが紹介してあった。上のよろいの部分名称の画像を使って解説すると、左の大鎧は馬に乗って戦うのを前提とした騎馬武者用のよろいで、平安時代後期(11世紀)に登場したもの。総重量が20〜30キロもある。
中央の胴丸は、動きやすい上級武士用。同じく平安後期(11世紀)に登場したもの。大鎧に比べると軽くて動きやすい。総重量は10〜20キロ。
右の当世具足は、しxrつかり守って軽く作ってある。安土桃山時代(16世紀)に登場する。全身を隙間なく守るよろい。総重量が10〜15キロ。
ちなみに、よろいの部分名称に入ってない腹巻という胴丸に似てるけどどうの作りが違う鎌倉時代(13世紀)の歩いて戦う武士が来たよろい、総重量10〜15キロが紹介されていた。
撮影。ピンボケ画像を量産しちゃったので、雰囲気だけわかれば。
7月の公民館であった歴史講座で、賑やかしに自作の鎧兜を着込んだ人と制作者さんが「あなたも鎧兜を作ってみませんか?」講座のチラシを配布してたのですが、講座で作ってたのは中央の胴丸タイプでした。
さて、隣室10番浮世絵と衣装の部屋へ。
お気に入りをピックアップ。これは百物語よりさらやしき・葛飾北斎筆。蛇っぽい女性が井戸から長く首を伸ばしてますが、首がお皿なのでこれは怪談の『番町皿屋敷のお菊さん』ですね。
ピンボケ画像なので、どうかと思ったのですが、通常の浮世絵の大きさの紙を3枚綴りで一つの絵になってます。上の画像は確か左端で横笛を吹いてるのが義経に扮した女性で、後は遊女だったような?
奉納相撲。描かれてる人物は全て男性。
孔雀船で演奏する女性たち。綺麗です。
隣室の9番(能と歌舞伎)の部屋。
能の衣装も展示してありました。なんと!今使わてるお衣装と差がない。凄い。伝統文化は変化しないのか?あえて変化しないのか?
8番の部屋は書画です。もうね。自分が字がヘタだからでょうか?書の良し悪しが全くわからない自分がいた。1枚だけ鑑賞に耐える程度のピンボケ画像があったけど、何を書いてあるか読めないという〜〜。
次!書はダメでも画ならば。こんなん写してました。
なぜ撮影したか?たぶん「秋」いや「お月見」の絵だからです。季節に合わせわざわざ収蔵庫から出して模様替えしたんじゃないかな?ダンナの母が元気だった頃、床の間に飾る軸を季節季節に変えてたのを思い出した。日本ってかつてはそれが普通だったのかもな。
で、これ見て考える。誰だっけ?法然さんの修行を描いた巻物が長く伸べてあった。その1場面なぜかこれ、四国香川の善通寺さんの場面なんだよね。私、出身が香川県なので知ってるんですが、善通寺さんは平地です。崖はない。オイっ!!と突っ込んだのを覚えてる。
次の武士の装い部屋へ。
む〜ん??見物したのは既に1月近く前。詳細はおぼろげ。けどこの具足は確か、黒田官兵衛のじゃなかったっけ?驚いて撮影したような気がする。
武士といえば日本刀。重要文化財脇差相州貞宗(号 石田貞宗) 貞宗は鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての相模国(神奈川県)の刀工です。硬軟の鉄を組み合わせた複雑な模様の地鉄(じがね)と沸(にえ)の輝きを強調した刃文は師の正宗に続くものです。石田貞宗の号はこの脇差が石田三成の指料であったことに由来します。」
なぜか説明文も撮影してて、ピンボケしてなかったよ。
歴史補完:指料とは? 自分が腰に差すための刀。つまりだな。この脇差はあの関ヶ原の戦いで西軍の石田三成が腰に差したということだ。wikiによりますと、『石田三成襲撃事件後、三成が佐和山城への護送役を務めた結城秀康に「無銘正宗」を贈る、と秀康はこれを喜び「石田正宗」と名付けて終生大事にした』と書かれてます。その脇差がこれだ!歴史ファン必見の品です。
隣接の4番茶の美術の部屋へ。
織部扇形向付 私は最初イチョウの湯のみだと思ったわ。織部焼きな色合いです。
竹茶杓 古田織部(1543-1615)作 。説明文のは利休没後天下の茶匠として慶長期(1596−1615)における茶の湯に大きな影響を与えた人物。氷割れのある竹を使い、節が強く屈曲する蟻腰の形で、櫂先はくっきりと曲がる折だめとなっています」
古田織部が茶道の世界で大人物なのはなんとなく知ってますが、テレビアニメ『へうげもの』の主人公だよな。今時良作も1シーズンで放送が終わる作品ばかりのアニメ業界なのに、天下のNHKが放送したから3シーズン分プラスαな全39話も放送された幸運な作品だった。ちなみに登場人物はほぼおじさん達。エロい女性が出ないのに39話。放送局がNHKでないと有りえんかったわ。
隣の部屋仏教の美術へ。
これ、誰〜だ?教科書を思い出せ。私の日本史の教科書には載っていた。答えは一休和尚像。室町時代の高僧ですが、「とんちの一休さん」テレビアニメで知った人も多いハズ。足利義満も出てましたね。けど絵はアニメの小坊主ではなく、晩年の一休和尚。これさ、こういうおじさんをリアルで見たことある気がする。え〜と?本当にこれ室町時代の絵なの??手配写真にしても使えそうなんだけども。
隣の部屋へ。国宝室。たった2つの軸のみ展示してある部屋。
そして2階最後の部屋は日本美術のあけぼのー縄文・弥生・古墳です。
一応縄文といえばコレ!という火焔土器は画像を押さえてあったわ。
そして猿の埴輪。これさ〜、埴輪だからさ6世紀の古墳時代の作品なんだ。でもさ、妙に現代の芸術品として売ってても有り得そうなデザインだと思いませんか?
最後に、本館2階には皇族用の部屋もある。入れないけども。(続きます)
やはり文章作成に時間がかかった。ってかかかり過ぎ。もう夜じゃん!何時間書いてたのか?
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江戸東京博物館 明治〜現代ゾーン

2019年10月09日 05時39分26秒 | 展覧会&観光施設&能楽
2019/10/1訪問。都民の日につき入館料600円が無料でした。
昨日の記事は江戸の人々の暮らしを紹介しました。今日は明治から現代まで。ミニチュア展示が一押しです。文明開化ということで、明治10年のレンガ街のミニチュアがトップ画像です。明治5年に大火事が発生し、江戸のあれこれが焼失してしまい、時の政府が燃えない建物=レンガ造りということで、西洋を模した新しい街造りを計画したそうで。まあ、その後関東大震災で、レンガ造りの建物は壊滅的被害を出し、今度は西洋レンガ街も瓦礫になったんですが。
ミニチュアの解説もついてる。牛乳売り・鉄道馬車など江戸にはなかった、時代を反映したお仕事も再現してあります。ここ、時間を費やして悔いなし!の場所です。
大きなミニチュアなので、もう一場面。
一つ面白い人形を見つけました!交差点がありますね。左奥に伸びる道の入り口に、ガス灯があります。その側で石を投げようとする男を警官が止めてるところが再現されてます。ちなみに、通りの建物は始めは買取でしたが、その後賃貸契約になったものの、家賃は高額。空き家が多かったんだって。けど通りにウインドディスプレイが登場。新聞社や雑誌社がレンガ街に集まったとか。そういや朝日新聞が銀座の歌舞伎座の近くに現在もあるのもこの時にできたからかも?面白いな。あちこち街歩きした時に見たものが歴史に裏打ちされていく。
これは別のミニチュアで、御茶ノ水にあるニコライ堂です。背後に、ニコライ堂が出来た当時のまだ瓦屋根の甍が並んでますね。幕末に撮影された古い写真を見たことあるんですが、あれを表現してるっぽい。ここで注目なのはニコライ堂の屋根。実はニコライ堂も関東大震災で被災。屋根が落ちたんだ。更に鐘楼も再建した時は低くなったとか。ミニチュアはオリジナルです。
ちなみに、こちらが現在のニコライ堂を紹介したブログ。
オリジナルの建物と見比べてみてね。他には鹿鳴館のミニチュアもある。地下に。上から見下ろせる仕組みなのですが、薄暗かったので撮影に失敗しました。教科書で明治の外交の要を担った鹿鳴館に写真や絵を見たことありますよね?でも鹿鳴館の前庭がどうなってたかは知らないでしょう?ミニチュアで確認出来ました。けど鹿鳴館は知名度に反し実際使われていた期間はとても短い。wikiによりますと、1883(明治16)年7月に完成。1887年には鹿鳴館時代が終わり、1890年には早くも華族会館として使用。1941年(昭和16)に取り壊されてます。ミニチュアは華やかな時代を再現。ちなみに、鹿鳴館の跡地には現在日比谷U-1ビル(旧大和生命ビル)が建ってます。
次のゾーンは庶民の娯楽。浅草六区の全盛期の建物。猥雑で楽しそうな街並みです。映画やアニメに出てきそう。
けどもそのあとは関東大震災と東京大空襲なので、仕上がった街が潰れてる。人々の心から余裕が消え、生きるためだけに全力を尽くす。あんまり見たくないなあ。お勉強資料としてはいいんだけどね。まあここは「東京」の歴史を勉強する博物館ですから、震災に遭ってない戦争中に空襲にも遭わなかった地方とは違う歴史紹介なんでしょうが。逆に今、台風や地震で被災してる方々も「東京の人に私たちの苦しみはわからない」というつぶやきが聞こえた気もしますが。
時代に合わせた長屋の暮らしの再現。床に直接座ってた時代なので、お茶の間にはちゃぶ台がある。長屋の大半が木製だ。現在のマンションで使われている木材はこの何十分の一だろうか?
こちらは確か和洋折衷の別荘の再現。何つーの?レトロ建築を再現して建てられた山小屋風に見える。そこで赤色を選択するところにレトロ感あるけどさ。この建物をチョイスして再現展示してる意味がなあ。ぶっちゃけいる?もうちょいやりようがあるように思うな。まあ貧富の差を示すならありだろうけど。そこを意図して展示してないよね?リニューアルするならこの建物ではなかろうか?ってか、これは武蔵小金井のたてもの園に移設するのがふさわしいと思う。
で、マンションの出来始めた頃の暮らし。いや、時代風に言うなら「団地」ですね。長屋から団地へ。流れに矛盾はない。椅子・ミキサー・炊飯器・アルマイト製のやかんに鍋。時代を反映させてて興味ふかいです。
で、展示途中に時代の流れ順になってない場所があり、上の画像は戦後の混乱期に戦闘機の機体の材料だったジュラルミンで日用品を作ってましたのコーナー。なぜにそこですり鉢をチョイスしたんだろか?おろし金に至ってはジュラルミンで作っていくらで売られていたのか気になるわ。それほどまで戦争直後には金属が不足してたという証明作でしょうか?子供の学習成果を上げるには、もうちょいフリップに工夫が欲しいなあ。これは博物館全般に言えるんですがね。もう誰が読むんだ!といいたい。読みそうな年代から言わせてもらうと、せめて文字の大きさを倍にしろ!と。
あ。ついでに俗物の私は、フィリップの内容をもうちょい深く、興味を引くものに変えて欲しいです。物には値段というものがあってですね。そこは一切触れてない展示はどうかと思う。俗物な私はそこが知りたいんだ。あと主婦的にはジュラルミン製の台所用品の使い勝手もね。だってジェラルミンて戦闘機の機体に使われてたんだよね?熱伝導率悪そうだもの。
で、これは来年に東京オリンピックが控えてる時ですから抑えておかねば!な1964年の東京オリンピックです。昭和39年ですね。今回のオリンピックと熱の入れようが違ってたんだろうなあ。もっともオリンピック萌えしたいと思ってたけどさ。私は2度ともチケット抽選漏れ組なので、来年はお家で観戦する人に決定しちゃってるんだけども。オリンピックを会場で観戦するのを諦めて、もうオリンピック観戦予算をつぎ込んでオリンピックタオルやら東京オリンピックエンブレムマークハンドタオルやら東京オリンピック半袖Tシャツを増税前に爆買してしまったよ。
1958年発売のスバル360。wikiによりますと、大人4人が乗れる初めての軽自動車なんですって。特徴ある高度経済成長時代の憧れの車です。
なんかさ、私が中学生の頃担任の先生が「スバルを数えて50台になると願いが叶います。ただし、黄色のスバルを見たらそれまでの数はリセットされる」という、どこのゲームじゃ!というリアルゲームを教えられまして。数えましたよ。スバルタイプの車を!さすがにスバル360じゃなかったけどね。そしてなぜかこの車を黄色で発注するオーナーさんが多く、何度もリセットになりましたよ。50台も連続で会えませんでしたよ。ほろ苦い思い出だわ。
で、このあとは現代の日本ゾーンです。時代の流れを学校給食で紹介。発想はいいんだけどさ〜。ま。メニューをみてよ。

1960年代の給食。メニューはともかく食器に目がいく。私の田舎は香川でして、小学校は全て金属の食器だったんじゃないかな?もちろん60年代じゃないよ?70年、下手したら80年代も一部金属食器だった気がする。
1970年代の学校給食。な。東京の学校給食の食器は既に70年代には金属じゃないんだぜ?ま、先割れスプーン1本は香川の学校給食と同じなんだけどね。ガラスの牛乳瓶も香川では70年代末まではこれだったのを覚えてる。
説明文には洋食化が進むとありますが、オキアミの食用化とか既に漁業資源の枯渇が懸念されてるとある。なんかさ、説明文の注目すべき点が間違ってる気がするのは私だけ?そっちに注目するのもいいけどさ。飾るなよ!と言いたい。そういや香川では学校給食でメロンが出たことないよ?冷凍みかんはしょっ中出てたけどな。献立はともかく、予算はいくらだったんだろうな?確か小学校では給食代を一月1回集めてたよな。
そして学校給食の展示の間に展示してあるのが時代を反映するものだと今更気づく。奥に見えるはiMacか?ボディコンといって、今を生きる若者はわかります?さすがにボディコンは着ませんでしたが、ミニスカートは履いてた私の女子大時代。で、聞きたいのはボディコン衣装はいくらだと思いますか?もうね。あの頃の洋服代は狂ってました。洋服メーカー乱立してましたし。女性達はおシャレに大金を注ぎ込んでた。あ〜もったいないことをしたわ。あの頃の自分を殴りに行きたい。
1980年代の学校給食。む〜ん??なんかさ、白ご飯があるのが不思議。そしてお箸に変化してる。あの頃先割れスプーンがなぜかデスられてたなあ。今思えば先割れスプーンって便利だったのに。
私の学校時代は小中とほぼパン食でした。高校からはお弁当持参に変わった。で、白いご飯を食べよう!やかましい人々がいて、と生徒は小学校へ月に何度か自宅からお米を持っていったんだよね。それに味噌汁??土地柄かな?そして許せない白ご飯と牛乳のコラボ!味覚的にこの取り合わせはないわ〜。私の時代は「給食は残さず食べましょう」でした。おかげさまで、この時の牛乳と白ご飯コラボのマズさのせいで、牛乳のままでは飲めないというトラウマが残ったよ。ええ。今でも牛乳のまま飲めん。
さて時代の象徴にコギャル。ポケベルにルーズソックス。何も言うまい。私は既に学生ではなかった。ポケベルも持ってなかったし。思い出がない。ルーズソックスは洗濯が大変そう〜とか思いましたけど。乾かんだろソレとか。何日ごとに洗ってんの?とか。既におばさん思考になってたし。
1990年代の学校給食。豪華すぎる。羨ましい。そりゃあ子供が学校で日々こんなメニューばかり食べてたら、日本人はお米を食べなくなるよな。
で、2000年代の学校給食。これもう学校給食で出していいの?というのが感想。あと、カロリーが気になるわ。食べ過ぎ。チャーハンと春巻きか。女子生徒の敵なメニューだね。
撮影してませんが、展示物の最後の時代を象徴する衣装は薄い青色のフリフリエプロンなメイド服だった。何やってんの江戸東京博物館!もうこのコーナー作った学芸員の趣味としか思えん。ツッコミどころ満載でしたよ。ええ。疲れた。帰ろう。
時刻は14時30分。中途半端な。都営まるごと1日券を持ってるので、まだ浜離宮には行けそうだ。萩のトンネルがある向島百花園は間に合うかどうか?押上駅から百花園に向かう都バスがな。本数少ないんだ。それに朝の小田急が人身事故発生で大分遅れたのが痛い。足がもう限界っぽいのでもう帰ろかな?となると、1階に移動だ。
墨田区文化観光コーナーと大ホール側で観光やこれからの展覧会の資料をゲットだ。帰りの車内で熟読。早めに帰宅したので、帰りは座れました。新宿が始発だし。
が。帰宅してもうぐったりだった。パコソンを起動して検索「小田急 人身事故」
〜〜〜〜〜!!!!バカがぁ〜〜〜!!!もうね。電車に飛び込んで自殺する奴の気がしれない。死ぬのに電車を使うな!といいたい。嫌がらせかぁ!迷惑だっ!!
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江戸東京博物館 江戸の暮らし

2019年10月08日 11時49分11秒 | 展覧会&観光施設&能楽
スンマセン。一昨日と昨日、田舎の旦那ン家で述べ5時間生クリ向いたら指先がボロボロになってしまい、パソコンに打ち込みがもう大変。指が腫れとる〜。5時間包丁とクリと格闘したら、なぜか薬指の腹が剥けた。どこで自分の指を削ったんだろか?しかも爪に栗皮めり込んでるし。売り物の栗と自分ちで収穫したものを配った栗の違いは、腐ってる栗が混じってる。皮をむき、渋皮をむき、中が痛んでないか確認した末カビてるのを見た時のガッカリ度ときたら〜〜。というわけで、キレギレに文章打ち込みしてます。

2019/10/1訪問。都営大江戸線両国駅A4出口から徒歩1分。目指すは6階常設展入口です。10月1日の都民の日は大人600円の常設展入場無料なのだ。
エスカレーターを降りて流れで進むと、大勢の人が橋の周辺に集っていた。何かしら|??覗いたら、5階の歌舞伎小屋の前で、木遣りが披露されていた。ラッキー!!上から木遣りを見下ろせるなんて有りえない。しかも背景が江戸の歌舞伎小屋だなんて〜〜!!
悲報。木遣り画像は全て撮影に失敗しました。どんだけ興奮してたんだろか?手ぶれ画像ばっかりやん。ともかく室内なので、光量が足りてない。ブレブレ画像の中、ちょっとは雰囲気がわからんとブログなんだから。とチョイスした画像には、橋の欄干前から見下ろし撮影してる方々のスマフォが写り込んでました。いや〜、着いた時には木遣りが始まってたので、二重ほど先着の方がいて写せなかったので、携帯を頭上に差し上げて撮影してたから。
さて、江戸東京博物館とは?いただいたパンフレットによりますと「江戸東京の歴史と文化を振り返り、未来の東京を考える博物館として平成5年(1993)3月28日に開館しました。高床式の蔵をイメージしたユニークな建物で、常設展では江戸時代から現代までの約400年間を中心に歴史や生活文化を、復元された模型や豊富な実物資料を使って展示しています」らしい。
具体的には江戸と維新以降の人々の生活を子供が楽しく学べる場所です。ということで、今回は「江戸」部分を紹介。とはいえ、先ほど興奮しすぎてピンボケ画像を増産した私。要所を押さえて撮影したのですが、これまたピンボケ画像ばかりでして。
江戸城の松の廊下
江戸城本丸大広間
再現模型展示。日本のミニチュア技術を注ぎ込み、素晴らしい再現度です。何しろすでに現存してないからね。遺された設計図面や絵画から再現したみたいです。
これが江戸城。いつの時代のものだろうか?なにしろ江戸初期に火災で焼失し、以後再建されなかった本丸が造らててますからね。
かつてはこんな感じで。今は本丸の石組みしか残ってない。画像中央にあるお堀が白鳥濠です。大きな建物上部にかつては大奥。下部に政務の場所。で、右手に御殿。今は芝生広場だったり雑木林だったりでかつての姿を脳内再現すら難しい。それを可能にするミニチュア再現。一見の価値ありです。
で、こちらは徳川家康の征夷大将軍任命書。どっちかはレプリカ。でももう一つは本物。どこの誰が任命したんだろうか?書いてあるけど読めない不思議。
刀 銘備前国住長船彦兵衛尉忠光(室町時代)長船忠光作
私でも知ってる名刀。隣接して大名の鎧兜に具足も展示されてて、サムライ好きの外国人に大人気。
さて、6階はザクっとサムライゾーンです。「江戸城と町割り」と名付けてありますが、ぶっちゃけ教科書で習う硬い歴史になります。
5階に降りる。メインです。江戸の庶民の暮らしの再現に遊びが分かるようになってます。
例えば、江戸の長屋を再現し、画像は指物師。隣接して産婆さん。今では日本が世界に誇る浮世絵の販売店など。
何つーの?浮世絵はご大層な芸術ではない。庶民の娯楽。人気歌舞伎役者や評判の美人や相撲取りのブロマイドを売ってたのだ。
私が反応したのはこれ。
龍吐水 1882年(明治15)6月・官業商 摂州岡町 澤田利八作
「消火の際に使用する道具の一つで、町では自身番屋に備えられていた。名前は龍が水を吐く姿に似ることから命名されたといわれる。
しかし、水圧が低く放水量も少なかったため、燃え広がった火災を消火できるようなものではなく、実際は纏や刺子袢纏に水をかけて濡らすような用途に用いられた」
ずいぶん残念な機能しかなかったのね。けどなぜかロマンを感じるんだよなあ。江戸時代の火消しは破壊消防がメインなので、水をかけて消火したりしな〜い。詳しく知りたければ新宿の消防博物館へ行きましょう。
せっかくなので、消防博物館を見物したブログのリンクを貼っておきますね。
二八蕎麦屋。確か名前の由来は2×8=16文で、そば1杯の値段から来てたと思う。江戸のファストフード。けども関心したのは屋台が一人で持ち運べるように作られてること。江戸の工夫が詰め込まれてます。
体験型のあれこれには、千両箱を持ってみよう!コーナーもある。
テレビの時代劇に出てくる千両箱より見た目にちっさい。あ。奥にボテ振りも展示してあるね。竿の両側に魚や食べ物を入れて売り歩いた江戸の移動販売。これも実際自分で担いで試せます。
そんな中今回私が反応したのが玉川上水。散歩してて玉川上水に出会うことがある。え〜と?東村山・東小金井・新座・新宿御苑前。江戸の時代にどんな難工事を経て?と思ってましたので。
上水の流れとか。
現在玉川上水を使ってるところを目で確認できるのは東村山の一部のみと説明されてた。頑張って残してるんですね。
桜並木の間に玉川上水がある。
ど〜ん!と神田祭りの神田須田町の山車が置いてある。画像は神田明神行列を再現したミニチュア。ついつい衣装のも目がいってしまう。一体何人で担いでるんだ。
そしてど〜ん!江戸の両国橋のミニチュア。これさ、テレビ時代劇でオープニングに使ってたやつだ。あれは何だったっけ?火盗改の奴だよな?
で、あちこち神社仏閣めぐりで散策する機会が増えたからこそついつい見入ってしまったのがこちら。

庶民の娯楽の巡礼めぐり。
そして、遠出してまで行楽を兼ねた巡礼に行けなかった人向けの富士塚詣り。
富士塚はついつい「現存」してるかどうかに注目してしまう。もう自分が行く気で見てしまう。
江戸の庶民は世界でも稀な自由があった。庶民が自分が暮らしてる場所を離れ、娯楽で旅行出来たなんて!世界でも稀な文化ではないかな?ってか他に例があるのかな?
田中久重は、上野の科学博物館でも発明品が複数展示してある。ここでも現存する発明品が並んです。エジソンに勝てる天才だったと思う。TBSの日曜ドラマ「JIN-仁ー」でも登場してましたね。
そして日本が鎖国中に貿易してたオランダ。これさ、まだ記事にしてないんだけども9月の敬老の日に上野の国立博物館に展示してたVOCマークのあれこれ。世界史にも登場するオランダ東インド会社のマーク。つい反応してしまった。
歌舞伎舞台の再現もある。
助六。手前は歌舞伎小屋のミニチュア。展示物の外には実物大(トップ画像です)の歌舞伎小屋の正面入り口が再現されてます。
画像は撮影したけど手ぶれしたので雰囲気だけ楽しんでください。
なぜか菊人形。これは歌舞伎の「暫」鎌倉権五郎かな?ん?確か浅草寺でこの銅像見たな。あと、鎌倉の長谷で同じ名前の和菓子やさんがあったよね。人気の番組みたいです。(明日は維新以後の東京を紹介)
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松平定信の墓と江戸六地蔵

2019年10月07日 06時04分58秒 | 墓所巡り
石のテーマパーク清澄庭園を訪問後、大江戸線清澄白河駅に向かってると何か見つけた。トップ画像です。見れば駅の裏に霊厳寺があった。実はだいぶん前に参拝済みだけど、その時見落とした歴史物件があった。それは江戸六地蔵。せっかくなのでよってくことに。
この通りはすぐそこに深川江戸資料館があり、通りはなんとなく江戸情緒の感じられる店も並んでます。けど、なぜか訪問した2019/10/1は通りに案山子が並んでます。
あ。見つけた。霊厳寺。
説明板発見:霊厳寺(松平定信墓)
由来:松平定信は、江戸中期の陸奥白河(福島県)藩主であり、天明7年(1787)老中となりました。
定信が行った政策は、寛政の改革といわれ、天明の打ちこわし後の江戸の秩序回復に努めました。とくに七分積金の制度は、町方入用を節約させ、不時の備蓄にあてたものです。
明治には、東京府の公共事業に役立ちました。
この霊厳寺にある墓は、昭和8年に国の史跡に指定されています。」
WIKIによりますと「霊厳寺 山号:道本山 院号:東海院 宗派:浄土宗 本尊:阿弥陀如来 創建年:寛永元年(1624) 開基:雄誉霊厳」
門を抜けると右手に幼稚園。
そこに法然上人幼少時の勢至丸さまの像。
門の寺紋。
ご本堂。
本堂左手前に目的の江戸六地蔵があった。
説明板発見:東京都指定有形文化財(彫刻)
銅造地蔵菩薩坐像(江戸六地蔵の一つ)指定:大正10年3月
江戸六地蔵の由来は、その一つ大宗寺の像内にあぅった刊本「江戸六地蔵建立之略縁起」によれば、江戸深川の地蔵坊正元が不治の病にかかり、病気平癒を両親とともに地蔵菩薩に祈願したところ無事治癒したことから、京都の六地蔵に倣って、宝永3年(1706)造立の願を発し、人々の浄財を集め、江戸市中6カ所に地蔵菩薩をそれそれ1体ずつ造立したと伝えられています。各像の全身及び蓮台には、勧進者、その造立年代などが陰刻されており、神田鍋町鋳物師太田駿河守正義によって鋳造されたことがわかります。六地蔵のうち、深川にあった永代寺の地蔵菩薩(第6番)は、廃仏毀釈で取り壊され、5体が残っています。
六地蔵のうち、霊厳寺の地蔵は第5番目で、享保2年(1717)に造立されました。他の六地蔵に比べ、手の爪が長く、宝珠を持つ左手の指のうち、4本の指が密着した形になっています。像高は、273センチあり、かつては鍍金が施されており、所々に金箔が残っています。
江戸時代中期の鋳造像としては大作であり、かつ遺例の少ないものであることから文化財に指定されました」
歴史補完:江戸六地蔵は1番:品川寺真言宗醍醐派1708年造立。現存旧東海道
2番:東禅寺曹洞宗1710年造立。現存奥州街道
3番:太宗寺浄土宗1712年造立。現存甲州街道
https://blog.goo.ne.jp/arare_002/e/80f8f500ef1b4d8339a5c50e3f254db4 甲州街道を守るお地蔵さん(2019/4/6)の記事 新宿御苑側にあるので立ち寄りました。
4番:真性寺真言宗豊山派1714年造立。現存旧中山道
5番:霊厳寺浄土宗1717年造立。現存水戸街道
6番:永代寺高野山真言宗1720年造立。現存せず千葉街道
横から地蔵を見学。
ん?何か衣に模様がある。
写るかなあ?
もしかしたら浄財した人の名前を刻んであるのかも?
次に松平定信公のお墓へ。
入れん!ってか、どれがそうなんだろか?
門前の柵の隙間から撮影。奥の宝篋印塔かと思ったけど、ブログを書くにあたり調べたら、正面のが定信公のお墓だったわ。
撮影しそびってました。門の奥にある墓石です。
説明板発見:史跡 松平定信墓 指定:昭和3年1月18日
松平定信(1758−1829)は8代将軍徳川吉宗の孫、田安宗武の子として生まれ、陸奥白河藩主となり、白河楽翁を号していた。
天明7年(1787)6月に老中となり寛政の改革を断行。寛政5年(1793)老中を辞している。定信は老中になると直ちに札差統制(旗本。御家人などの借金救済)・七分積立金(江戸市民の救済)などの新法を行い、幕府体制の立て直しを計った。
また朱子学者でもあり、花月草紙『字下の人言』『国本論』『終身録』などの著書もある」
時刻は13時21分。大江戸線で両国に移動。訪問日は2019年10月1日で、都民の日は複数の公共施設の入館料が無料になる。目当ては江戸東京博物館です。
https://blog.goo.ne.jp/arare_002/e/1eb69bed3ef024db3947fdff431cf3c0  江戸地蔵1番品川寺(2014.1.31)の記事のブログ記事です。
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亀と日本庭園はよく合う

2019年10月06日 05時29分59秒 | 展覧会&観光施設&能楽
2019/10/1は複数の施設入園料が無料になる都民の日です。石好き垂涎の清澄庭園を訪問。記事投稿3本目。池の周りに配置された名石の数々を見物。
トップ画像は池に突き出すように建てられた数寄屋造の涼亭です。パンフレットによりますと「涼亭は明治42年(1909)に国賓として来日した英国のキッチナー元帥を迎えるために岩崎家が建てたものです。震災と戦火の被害から免れ、平成17年(2005)には東京都選定歴史的建造物となりました」
この辺りにも素敵な名石が置いてある。
27)相州加冶屋石

26)伊豆式根島石
名石を使った磯渡り。パンフレットによりますと「池の端に石を点々と置いて、そこを歩けるようにしたもの。広々とした池の眺めが楽しめるだけでなく、歩を進める度に景観が変化するように配慮されています」とある。楽しそう〜〜。いざ。
どう撮影しても絵になるわ。設計した庭師がすげえわ。
あれ?亀発見!亀の甲羅と石が馴染んでますね。水墨画のていで撮影してみた。
今度は水中をのんびり進む亀を発見。これまた風情あるう〜。
次はスッポンです。実際大きい個体だったので、大きさがわかる感じに近づいて画面構成してみる。
ヤバっ。近づき過ぎたっ。スッポンが上陸してきちゃったよ。
渡ってる石も素敵ですが、ここは池の岸に近いから配置してある名石を池側からも楽しめます。紀州青石の名石札が見えてます。通し番号は判読できず。
あれ?涼亭の手前の松にコサギが止まってるね。あれ、撮れないかなあ?日本庭園といい感じでコラボしてるし〜?
ダメでしたぁ〜。私のガラパゴス携帯ではあんまり望遠撮影できなかったよ。
ちなみにコサギが留まってるのは大泉水と名付けられた池に浮いてる2つの島のひとつ、松島です。
名石札発見。18)備中御影石。
完全に上陸してるスッポンがいた。先ほどの奴とは別個体。よく見ると池にも亀が浮いてますね。
この石、高そう〜。おいくら万円?いや、今ではウン千万円するかも?
そして安定の亀!けどこの子病気か?甲羅がはげてる。亀は脱皮しないハズ。首の両脇に赤耳が見えてるので、今池の水を抜く的な番組でしばしば駆除されてる外来種のアカミミガメですね。
こいつはどうかな?赤い色は見えないけど、レモン色の首のラインがあるからこいつもアカミミガメな模様。
またいた。磯渡りは楽しいわ。時計は早くも13時7分を指している。次行ってみよう!

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清澄庭園の名石と秋の花

2019年10月05日 05時35分47秒 | 展覧会&観光施設&能楽
2019/10/1訪問。清澄庭園は石のテーマパークのよう。明治の政商岩崎弥太郎が明治11年(1878)に庭園を含む一帯約3万坪を取得。造園しました。名石が大泉水の周囲に置いてある。パンフレットによりますと「名石は伊豆石・伊予青石・紀州青石、生駒石、佐渡赤玉石、備中御影石、讃岐御影石。これらは庭園に据えられた庭石の代表的なものです。このほか敷石や橋、磯渡り、枯滝の石をふくめ、園内には無数の石が配置され、さながら「石庭」の観を呈しています。これらの石は、岩崎家が自社の汽船を用いて全国の石を産地から集めたものです」とある。江戸時代はお殿様が石を運び、明治になると政商が石を運ぶ。日本人は石が好きだなあ。やはり「石」がステータスの象徴だったんだろか?
トップ画像は池の周囲の散策路から中の島へ続く橋です。
橋の上から撮影。画面左下に橋が少し写ってますね。けどここは石橋ではない!なぜだろうか?
あ!萩の花!秋の代表的な花です。
そして中の島から築山の富士山を望む。
池の周りの散策路に戻りかけて、名石の立て札を見つけた。え〜と?47)秩父青石。
続いては九重塔と名石。46)伊豆石。
ん?奥に何かあるみたいだ。
分かります?説明文をよく見て欲しい。石質:安山岩(小松石)とある。てっきり信仰か、庭園の飾りで集めた石彫かと思いきや、これも名石コレクションだったんです。WIKIによりますと、「小松石じゃ古くから上質の石材とされる。真鶴半島でしか採取されない石として本小松石がある。」と出てます。香川県の庵治石、岡山県の万成石と並んで最高級品なんだって。あ〜何か思い出した。一昨年だったか、横須賀の米軍基地を歴史散歩したのですが、基地内にあるドッグが小松石で作ってあったわ。帝国海軍が作った古いドッグです。
43)伊豆石。ちなみに、池の奥に見えるのは鶴島です。池には周辺散策路からいけない小さい島が2つあります。
築山の富士山の裾野の枯滝。これまた凄い名石ですね。
手前が40)紀州青石。奥が伊豆磯石。画像では大きさがわからないと思いますが。
タイミングよく逍遥してる人が来た。これでサイズがわかるかな?あ。手前にも名石の札がある。これは伊豆磯石
真鶴石。

ここで池の周囲の散策路を外れ自由広場へ移動。赤い彼岸花の色が目に飛び込んできたのだ。
む〜ん?実は朝小田急に乗っていたら人身事故が発生し、電車が止まりました。新宿到着が遅れ、予定の散策コースは無理だった。都営大江戸線の中で訪問先を取捨選択。なぜに清澄庭園を選んだかといえば、ホームページのツイッターにここの彼岸花と萩の花のコラボ画像が上がっていたのです。それが素敵だったのだ。けどもね。もう見ごろを過ぎてしまってました。む〜ん?何とか絵になる場所はないか?


こんな感じに撮影してみた。上の画像の左に見える丸い島は、花菖蒲です。あと、もひとつ上の画像奥にキッチンカーが写ってます。
広場の奥に芭蕉句碑があります。逆光だったので読みずらいかな?「古池や〜」の句が彫られてます。説明板発見:清澄庭園より北北西に400メートルほどのところに深川芭蕉庵跡があります。
松尾芭蕉は、延宝8年(1680)から元禄7年(1694)まで、門人の杉山杉風の生簀の番屋を改築して、芭蕉庵として住んでいました。
かの有名な「古池や〜」の句は、この芭蕉庵で貞享3年(1685)の春、読まれています」
池の周囲の散策路に戻ってきました。奥に築山の富士山と枯滝が写ってます。(続きます)
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