昨日で、断酒満10年となった。
今日、6月1日は、私自身の再生の節目となる日である。
あの日も暑かったが、まざまざとその記憶を蘇らせる
ような暑い日となった。
その原点の確認は、この10年間一度も欠かさずに
行ってきた。
今日もクリニックへ行って、改めて確認をするとともに、
亡き院長先生に報告をしてくるつもりである。
後悔も多い10年だったが、かろうじて反省と感謝が
それを上回った10年であったかとも思う。
それにも増して、何事も自らの行動に移していくという
点で、苦しみながらも前へ進んだ歳月であったかと思う。
これからもまた、常に一日断酒の日々を重ねていく。
それは、今日から、此処から、私からという
変わらぬ生き方なのである。
とはいうものの、迎えたこの日に院長先生の笑顔が
見たかったと思えば、思わず目頭が熱くなる。
しかしながら、先生の死が、ことお酒については
一切の妥協を許さない私の覚悟の支えとなったのも
事実である。
であるなら、やはりこの10年は感謝の歳月として
心に刻んでおこうと思うのである。
今日、6月1日は、私自身の再生の節目となる日である。
あの日も暑かったが、まざまざとその記憶を蘇らせる
ような暑い日となった。
その原点の確認は、この10年間一度も欠かさずに
行ってきた。
今日もクリニックへ行って、改めて確認をするとともに、
亡き院長先生に報告をしてくるつもりである。
後悔も多い10年だったが、かろうじて反省と感謝が
それを上回った10年であったかとも思う。
それにも増して、何事も自らの行動に移していくという
点で、苦しみながらも前へ進んだ歳月であったかと思う。
これからもまた、常に一日断酒の日々を重ねていく。
それは、今日から、此処から、私からという
変わらぬ生き方なのである。
とはいうものの、迎えたこの日に院長先生の笑顔が
見たかったと思えば、思わず目頭が熱くなる。
しかしながら、先生の死が、ことお酒については
一切の妥協を許さない私の覚悟の支えとなったのも
事実である。
であるなら、やはりこの10年は感謝の歳月として
心に刻んでおこうと思うのである。