ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

夢の続き

2009年08月07日 | ノンジャンル
「よくもこれだけ傷めつけて、もっていますね。」
「これほど頑丈な内臓も例がありません。」

と、ふっと安堵の思いが頭をよぎった次の瞬間、その冷静な
一言に背中から冷水を浴びせられたような気がした。

「まあ、だからこいつもこれだけあちこち転移できたわけだ。」

レントゲン写真をつつきながら医師が言う。

『あの、それって。。。』

「非常に残念ですが、あと一年と思ってください。」

『一年ですか。なるほど。ちょっと短いな。』

隣で、家内は声も出せず、息をのんでいる。

「ちょっ、ちょっと待ってください先生。」

ようやく口にできたのはそんな言葉だったが、
それを遮るように、

「だから、待てないんだって。」と笑う私。

茫然自失とか、ショックとか、絶望とか、そういうのとは
まるで違う、不思議な感覚に包まれていた。

「やっぱりな。 でもちょっと短いな、一年は。」
「さて、いろいろと考えながら、動けるうちに動かないと。」

先の見えない不安に煩わされることはもうない。
先は見えている。
見えないからこそもてる未来への希望は失った。
ならば、未来も希望もある、遺される者達に出来る限りの
応援をしようではないか。
それが自らの未来とも、希望ともなる。

そう心に決めた時、目が覚めた。
自分の体がどこにあるのかもわからないほど、
肉体は疲れ切っていたが、頭だけは冴えていた。
指先からつま先まで、各部が確かに存在し、
機能するかを確認する。

「大丈夫そうだな。」

起き上がると、肉体はまだ冴えた頭の指令に
追随できないらしく、ふらふらとよろける。

座って煙草を一服する。「旨いもんだな、こいつは。」

動けることがわかれば、動くだけである。

「さあ、今日も動けるだけ動いてみるか。」

先は一年だろうが何十年だろうが、今日を動くことに
変わりはない。
疲れ果てて眠りにつけば、また目覚めるかどうかなど
わからない。
目覚めたなら、また動けばいいのである。