ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

マイナスからゼロへ

2007年06月25日 | ノンジャンル
前回の記事に関連して、考えていた内容と、頂いたコメントの
内容が、符合していた部分があったのだが、
それは、マイナスからゼロへという事である。

飲んでいた頃は明らかにマイナスで、自身ばかりでなく、
家族も周りもマイナスへと引きずり込んでいたのである。

それが、断酒によって回復への道を歩み始め、自身も周りも
回復へと進んでいく事になるのだが、ここで大きなギャップが
出てくる。

自分本位な考え方が抜け切らないうちは、本人はすぐに
回復してきた健康と、体調を、プラスと捉えてしまう。
そして、そのプラスに居る自分という前提で、頑張っている
自分を褒めてくれ、認めてくれとなってしまう。

最も滑稽なのは、人よりも苦労して頑張っている分、人よりも
偉いと勘違いしてしまう事であろう。
人によって差はあるであろうが、少なくとも、断酒何年という
時間を掛けて、ようやくマイナスからゼロに戻った、つまり、
普通の人並みに戻ったというだけなのである。

「偉く」なったのではなく、やっとこさ「まとも」になった
というべきか。

素面で物事に向き合う事を重ねて、まともになってから、
更に自身の向上を目指していくところに、初めてプラス要因が
出てくるだけであって、飲んでいないだけでは、プラスでも
なんでもない。
むしろ、ゼロに近づきつつあるといった段階なのである。

ゼロというのは、もちろんマイナスにもプラスにも繋がる、
フラットな位置であり、驕りはマイナスへ、謙虚はプラスへと
その人を誘う。

考えれば、初期の頃は、例会での聞きっ放しというのが
苦痛であった。
それは違う、おかしいと、反論したい気持ちが強かった
ように思う。
逆に、言いっ放しでは、賛同してくれているのか、反感を
もたれているのかもわからない状況に物足りなさを感じていた。

今は、とにかくも、人の話を、内容に関わらず聞けるように
なってきた。
しっかりと聞いた上で、自分の中で咀嚼し、消化して、
吸収するものは留め、必要ないものはさらっと排泄する事が
できるようになった。
それと共に、言いっ放しということにも、さほど抵抗が
なくなってきたように思える。

これは、明らかに自身の精神面での変化ではあるが、
かといって、ゼロを越えたプラスではあり得ない。
少しずつではあるが、「まとも」に近づいてきただけの
話である。

家族や周りのものが、明らかにプラスとみなされる日々の
生活をしている事を見た上で、初めて、自分がようやくゼロを
越えるところまで来たのかと考える方が間違いなさそうである。