なんだか、このところ不思議な感覚を覚える事があって、それを
自分なりに分析しながら、書き記してみたが、かなり長く
なってしまい、それでもまとまらない。
慨すれば、人間の身勝手さと、傲慢さと、馬鹿さ加減に
嫌気がさす反面、その底流を深く辿れば、生命の大きな、大きな
広がりの中で、全てが繋がって関連しあっていて、一つの雄大な
リズムをつくっている。そこには、執着すべき個体も、自我も、
意識も無く、強いて言えば法則的なものがあるに過ぎない。
その底流はもちろんの事、人間だけでなく、ありとあらゆる生命、
万象を包含し、大律動を繰り返していく。
時にその深層の律動が、無意識をさかのぼり、意識と無意識の
境目あたりにまで達する事があるようで、その瞬間に、自分と
いうものを離れた、不思議な感覚に襲われることがある。
もう、自分の一生の終焉にまで目が届く年になってきた。
残り、まともに事を成すことが出来る時間を30年として、
自分が何を成すべきかを真剣に考えながら、行動すべき時期に
来ているのかもしれない。
出来れば、自分はこの為にこそ、今のこの世に生まれて来たのだと
確信できるもの(天命とでも言おうか)を掴みたいと思うのである。
自分なりに分析しながら、書き記してみたが、かなり長く
なってしまい、それでもまとまらない。
慨すれば、人間の身勝手さと、傲慢さと、馬鹿さ加減に
嫌気がさす反面、その底流を深く辿れば、生命の大きな、大きな
広がりの中で、全てが繋がって関連しあっていて、一つの雄大な
リズムをつくっている。そこには、執着すべき個体も、自我も、
意識も無く、強いて言えば法則的なものがあるに過ぎない。
その底流はもちろんの事、人間だけでなく、ありとあらゆる生命、
万象を包含し、大律動を繰り返していく。
時にその深層の律動が、無意識をさかのぼり、意識と無意識の
境目あたりにまで達する事があるようで、その瞬間に、自分と
いうものを離れた、不思議な感覚に襲われることがある。
もう、自分の一生の終焉にまで目が届く年になってきた。
残り、まともに事を成すことが出来る時間を30年として、
自分が何を成すべきかを真剣に考えながら、行動すべき時期に
来ているのかもしれない。
出来れば、自分はこの為にこそ、今のこの世に生まれて来たのだと
確信できるもの(天命とでも言おうか)を掴みたいと思うのである。