ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

まだ死ねない

2019年07月03日 | ノンジャンル
小学生の頃だった。4年生に上がるか、上がったかの
頃だから、10歳にもなっていなかったろう。

若い夫婦とはいえ、4人の子供を抱えて、生活は
苦しかったろう。
父親は病気がちで、収入はゼロ。
母親が働きに出て、わずかな収入でギリギリの
生活だったに違いない。

それを肌で感じていたのは私だけだった。
妹や弟達は、まだ幼い。

切羽詰まって、もう駄目だとなった時、
最後に子供たちに幸せな思いをさせてやろうと
考えたのか。

近くの大きな公園のヘルスセンターで、好きな
ものを好きなだけ食べ、遊具などで好きなだけ
遊ばせていた。

弟妹達は大喜びだったが、私には何か違和感が
あった。両親の笑顔の裏にある影を感じていた。

楽しい一日を過ごしたその夜、弟妹達はぐっすり
眠っていた。
私は、その違和感で寝付けなかった。

もちろん、両親は起きていて、二人で何か話して
いるが、よく聞こえない。

意を決して、両親のところへ行った。
驚いた顔をしていたが、私は両親に
「まだ死にたくない」とはっきり言ったことを
憶えている。

それだけ言うと、また寝床に戻った。
なんだか変な話だが、それですっきりして、
まあ、みんな一緒ならいいかという感じで、
他愛もなく寝てしまった。

朝目覚めた時、ああ、生きてるなと思った。
ということは、両親もまた、生きることを
決めたという事だ。

もう随分長い事、忘れていた。
テレビのドラマを観ていて、ふと思い出した。

自分が親の立場になって、その時を思い出した時、
よほどの事だったんだろうと思うと、自然に涙が
あふれた。

最後に子供達に幸せな思いをさせてやろうと
いうのも親心であり、死にたくないという
子供の言葉に、もう一度生きようと立ち上がった
のも、親心である。

そして私自身、もう一度立ち上がって生きようと
決めたのは、幼い子供たちを遺して
「まだ死ねない」という一心だけであった。

思い返せば、まだ死にたくないと言った夜と、
まだ死ねないと思った夜とが、記憶の中で
重なっているような気がするのである。