ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

必要十分

2013年01月08日 | ノンジャンル
年明け早々、暗い記事は書きたくなかったが、
このブログは基本的にALQUIT、つまり断酒の
ブログであるので、年頭に気持ちを引き締める意味で、
あえて書く事にした。

正月早々、知人と、娘とその交際相手とで新年会を
していた父親が、酔って交際相手を一升瓶で殴り、
重傷を負わせ、仲裁に入った知人にも包丁で切り付け、
これまた重傷を負わせ、娘をも殴り、
その娘の110番通報で逃走。

後に出頭して逮捕となった父親は、酒に酔っていて
何も覚えていないと供述。

事件の内容を抽出すると、酔って、娘の交際相手を殴る
まではわからないでもない。
ただ一升瓶で殴るのは度を越している。

酔って何も覚えていないというのもよくある話だが、
酒癖が悪いで済まされる程度でもない。

知人を包丁で切りつけるというのも異常である。

世間の人から見れば、とんでもない異常事態であり、
酒癖の悪い父親の度を越した暴走を、頭がおかしい
としか見ないであろう。

そこに、どんな過去の事情があり、どんな話があったのか、
詳しい経緯やその場の状況などが分からなければ何とも
言いようがないのだが、事件のみを見ればまったく
狂った凄惨な修羅場である。

だが、このアル中業界では何ら珍しくもない
事件なのである。

問題飲酒を抱えるものは、泥酔すれば何をするか
わからないし、その「何をするか」はその人それぞれ
違うけれども、殺人に至るケースなど珍しくもない。

厄介なことに、何をしたかを本人はまるで覚えていない
ケースも多い。

仮にこの父親が更生するとしたなら、飲み過ぎない
などというレベルではなく、間違いなく断酒がその
必要最低条件となるであろう。

この父親の償いは、断酒を条件として、初めて
緒に就くのである。

そして、断酒は必要条件ではあっても、
決して十分条件とはならない。

あくまでも数多くある必要条件の一つに過ぎない。
十分という言葉を、幸福という言葉に換えれば
その意味が明らかになる。

断酒を十分条件と勘違いすれば、前進は止まる。
あくまでも一条件とし、自分なりの十分を目指す
ところにその人なりの前進がある。

またこの一年を、前進の年としたいものである。