コルシカの話はここからでした。
『ミュンヘン』から『ボルサリーノ』そしてアルジェリアとコルシカ-1 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)
『ミュンヘン』から『ボルサリーノ』そしてアルジェリアとコルシカー2 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)
コルシカマフィアとなると、コルシカに残るより、コルシカを出て、マルセイユなどに出て行ったので、「コルシカ独立派」の名った人は少なかったでしょう。
20世紀、ジョセフ・ポッツォ・デ・ボルゴや、フランソワ・コティ(香水、化粧品の「コティ」創業者)が、反共産主義、反ユダヤ、反フリーメイソンとなり、アルザスの反共産主義達-(ロレアル社の創業者)と一緒にフランス本土で活躍するようになりましたが、彼らはナポレオンと同じく、コルシカの独立には興味がなかったと思います。
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ロレアル社創業者と娘婿とファシストグループ - Various Topics 2 (goo.ne.jp)
コルシカからマルセイユの渡った、マフィアのフランシス・スピリトは、なんとジャン・シアッペ(イタリア語読み:チアッペ)の友人でした。
Carbone and Spirito were also active in Paris, where the Prefect of Police, Jean Chiappe, was a friend of Carbone.
シアッペは、『ボルサリーノ』に出演したジャン・ポール・ベルモンドの映画『薔薇のスタビスキー』の主人公、スタヴィスキーを
スタヴィスキー事件-4(「国際決済銀行」とフランス、マルト・アノー) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)
と、怪しい関係にありました。
ジョセフ・ディ・ボルゴの祖先の代から、ボルゴ家には国際ネットワークがあったので、ジョセフはそれを利用したことでしょう。
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