Various Topics 2

海外、日本、10代から90代までの友人・知人との会話から見えてきたもの
※旧Various Topics(OCN)

「ブランド」と「芸術品」と「職人技」-3(アディダス、プーマとナイキ)

2023年05月10日 | ベルナール・アルノー~ベルンハイム~ドレフュス

ラグジュアリーブランドではなく、スポーツブランド。

「アディダス」と「プーマ」。

これはドイツ人の革職人の息子たちが作ったブランド。

アディダス - Wikipedia

プーマ - Wikipedia

アディダスは、ドルフュス家に経営権を移し、

アントワーヌ・ベルンハイムとドレフュス家・ドレフュス事件の背景 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

プーマは2007年~2018年までグッチを買収したケリングが筆頭株主でした。

1930年から2014年までW杯公式ボールを振り返ってみた | ギズモード・ジャパン (gizmodo.jp)

 

さて、スポーツブランドと言えば「ナイキ」。ナイキのウィキペディアを開いてみてびっくり。

ナイキ - Wikipedia

抜粋:

1968年にオニツカタイガー(現アシックス)のアメリカにおける輸入総代理店・販売代理店「BRS(ブルー・リボン・スポーツ)」として鬼塚喜八郎と50ドルで契約したフィル・ナイトとビル・バウワーマンによって設立された。オニツカタイガーからスニーカーづくりのノウハウを学び、1971年にオニツカタイガーから代理店契約終了とアメリカの銀行から融資継続拒否を告げられ、資金切れを起こしたところを日商岩井(現:双日)の支援を受けた。自社ブランドとしてナイキを創設し、オニツカタイガーの技術者を引き抜き、福岡のアサヒコーポレーションでトレーニングシューズを生産、社名もナイキと改名した。1981年に日商岩井と「NIKE international」を創設し、世界40カ国以上で海外販売も開始した。その後も不渡りを理由にメインバンクから取引停止される事態を起こした際にも日商岩井ポートランド支店経理担当の独断による肩代わりで倒産を免れている[1][2][3]。後にニューヨーク証券取引所に上場。社名の由来は、同社社員のジェフ・ジョンソンが夢で見たギリシャ神話の勝利の女神「ニーケー (Nike)」から。日本法人は、株式会社ナイキジャパンである。

「ナイキの父」のようなものが、日本の鬼塚喜八郎。(この「喜八郎」は大倉財閥の大倉喜八郎にあやかったらしいです。)

鬼塚喜八郎 - Wikipedia

 

これ、アメリカ人も、日本人も、知っている人は少ないのではないでしょうか。

ナイキは創業者のフィル・ナイトが筆頭株主のまま。(ここの経営状態では当然でしょうが)買収される側でなく、する側で、「コンバース」の株100%保有しているようです。

コンバース - Wikipedia

 

ナイキの名が、ニケに引っ掛けてあるのも初耳でした。

ルーブル美術館でニケの像で写真を撮る人が多いのは、案外ナイキのことを知ってでしょうか。

サモトラケのニケ | ルーブル彫刻美術館 (louvre-m.com)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« イタリア一帯一路離脱? | トップ | 「リビング・クローゼットは... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

ベルナール・アルノー~ベルンハイム~ドレフュス」カテゴリの最新記事