Various Topics 2

海外、日本、10代から90代までの友人・知人との会話から見えてきたもの
※旧Various Topics(OCN)

20世紀初めの亡命ロシア人-4(イタリアに逃げたロマノフ家)

2024年09月12日 | 芸術・本・映画・TV・音楽

女優ニコレッタ・ロマノフの家系は、

ニコライ1世(第11代ロシア皇帝、ロシア革命で殺されたのは14代ロシア皇帝ニコライ2世)

ニコライ1世 (ロシア皇帝) - Wikipedia

の三男の長男が、

ニコライ・ニコラエヴィチ (1831-1891) - Wikipedia

で、彼の長男

ニコライ・ニコラエヴィチ (1856-1929) - Wikipedia

に子供がいなかったため、次男、

ピョートル・ニコラエヴィチ - Wikipedia

(1864年~1931年)が跡継ぎに。その長男が、

ロマン・ペトロヴィチ - Wikipedia

Prince Roman Petrovich of Russia - Wikipedia

(1896年~1978年)。彼の長男が、

Prince Nicholas Romanov - Wikipedia

(1922年~2014年)。彼は3人の娘を持ち、その一人が、ニコレッタ・ロマノフの母親。

抜粋:

1950年、ニコライ王子とヴァルフレッド・デラ・ゲラルデスカ伯爵とニコレッタ・デ・ピッコレリスの娘であるスヴェヴァ・デラ・ゲラルデスカ伯爵夫人(1930年7月15日生まれ)はローマのパーティで出会った。スヴェヴァはトスカーナ出身のイタリア貴族デラ・ゲラルデスカ家の一員で、ウゴリーノ・デラ・ゲラルデスカ伯爵の直系の子孫である。

彼らは1951年12月31日にフィレンツェで民事婚を行い、続いて1952年1月21日にカンヌのロシア大聖堂で宗教婚を行った。[1] ニコライ王子とその妻には3人の娘がいた。 ナタリア・ニコラエヴナ・ロマノヴァ王女(1952年12月4日生まれ)はジュゼッペ・コンソロ(1948年生まれ)と結婚。彼女の娘はイタリアの女優ニコレッタ・ロマノフ。

このイタリアに移ったロマノフ家と、フランスに移ったロマノフ家が、継承者でもめていましたが、少なくともニコレッタ・ロマノフの母の代で男子が途絶えたので、彼女たちはある意味解放されたのでしょう。

 

ところで前回のブログ記事

20世紀初めの亡命ロシア人-3(シンクロニシティ?ニコレッタ・ロマノフ) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

の、ニコレッタ・ロマノフが出演した映画『離ればなれになっても』のことを書きましたが、この映画ではニコレッタ・ロマノフの娘役の名前が「Svevaースヴェヴァ」という珍しい名前でした。

Gli anni più belli (film 2020) - Wikipedia

これは、ニコレッタ・ロマノフの母親の祖母のファーストネームだったのは面白いです。

 

ライバル:

キリル・ウラジーミロヴィチ - Wikipedia

参考:

ロシア皇帝 - Wikipedia

Romanov Family Association - Wikipedia

コメント
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