昨日一本目のブログ
コンピュータの作品は“芸術品”?・21世紀のフランケンシュタイン博士
http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/ee5be03bf3f4e42174c351e51524f0a5
で、レイ・カーツワイル氏のインタビュー記事を紹介しました。
彼の著書『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータ-が人類の知性を超えるとき』について紹介してくださっている方がいらしたので、リンクを貼り付けさせてもらいます。
ジャスミンソフト日記
ポスト・ヒューマン誕生
http://yoshinorinie.hatenablog.com/entry/2014/10/14/093352
さて、「ポストヒューマン」といえば、先日、「ポストヒューマニズム」について少し触れました。
ポストヒューマニズムとヒューマニズム・フェビアン協会、アメリカ反帝国主義連盟を作った知識人がいた時代
http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/c3705589c796a222247d32bf178474af
『ポストヒューマン誕生(原題は『The Singularity Is Near: When Humans Transcend Biology 』です。なぜ邦題を『トランスヒューマン誕生』にしなかったんでしょう・・・。)』を書くカーツワイル氏は、「人間には100年以上は軽く生きられる寿命があるはず」と信じ、毎日150錠とも250錠とも言われる分量のサプリメントを服用している、というような方。
こういう人の描く世界にもし人類が向かうとしたら、そこは、“ヒューマン”も“ヒューマニズム”もない世界ではないか、と思えます。
「人間はクローン人間を作れるけど作らない」という節度が人間にはあるのに、人工知能研究となると、節度が働かなくなります。
人工知能は“売り物”になり、“武器”にもなるからでしょうか。
(カーズワイル氏について、Googleが彼を雇う前なら「キワモノ」で済んだんでしょうが・・・。)
前にカーツワイル氏やそのお仲間のことを“フランケンシュタイン博士”に例えましたが、私たち自身-特にもう人工知能漬けになっている私たち-は、“ハーメルンの笛吹男についていって溺れてしまう子供たち”になっているのかもしれません。
参考:
ウィキペディア
レイ・カーツワイル
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%84%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%83%AB
東洋経済(2015年3月5日)
AIが人類超え?再注目されるあの"予言書"
レイ・カーツワイルの大胆予測
By 瀧口範子
http://toyokeizai.net/articles/-/62295
(続く)