Various Topics 2

海外、日本、10代から90代までの友人・知人との会話から見えてきたもの
※旧Various Topics(OCN)

アウシュビッツ生還者の手記は日本にあっても日本軍による被害者の手記は日本にはない?

2012年10月25日 | Nationalism

アメリカのペンフレンドのティムさんが、私に領土問題や日本のナショナリズムについての私の意見を聞きたがっていたのでそれに触れ、最後に、

「これをアメリカ人のあなたの言うのは失礼とは思いますが、今の領土闘争は日本、中国、韓国の政治家が利用しているだけではなくて、米国の政治家も利用しているとも思います。」

と率直な意見を書いたところ、

「気にしないで。確かに米政府は確かに今回のケースを利用していると僕も思う。でも、日本が戦争責任をきちんととっていないのが、問題の根本ではないのかな。」

と返ってきました。

(彼は私が前々から「日本はアジアに対しての反省が足りない」と思っているのを知っていますから、今更ですが。)

「『日本が国粋主義的な国であるから、戦後もずっとアジアに対して戦争の反省をできなかったという見解』を持つ学者は東アジアだけではなく、世界にいます。(だから、現在の日本の状況は領土問題を機に、おおっぴらな態度をとるようになっただけと取る人もいるでしょう。)

しかし、一方、米国が『日本に対して終戦に必要がない上、戦争犯罪ともいえる広島や長崎(特に長崎)へ原爆投下したこと』を謝ってくれたのであれば、日本人が自国の戦争被害にばかり焦点をあて、自分達がしてきたことから結果目を背けることもなかったのではないか、とも思います。」

と返答しました。

子供同士、先輩後輩、かつては多かった嫁姑のいじめ、いびり-これがなくならない一つが、「自分もやられてきて(謝ってもらわなくて)、我慢したのだから」と正当化して、自分をいじめたのではない弱者をいじめる人が案外います。

「自分がやられて嫌だったら、やらない」と考えず、「いじめられた自分は可哀想だった。この穴埋めをしなければ」という意識が働くのか、腹いせに他の相手をいじめ、その被害者に対して反省することもない。

個人と国家レベルでは違うので、唐突に思えるかもしれないですが、日本が嘗て酷い目にあわせたアジアに対し心から反省しないのは(少なくとも日本以外の人々は、この考え方が主流)、こういったことも関係するのではないか、と時々思います。

(イスラエル人がパレスチナ人を隔離したり、迫害をするのができるのも、この論理?)

ドイツに住んでいた友人Tが、統一記念日の夜にドイツの国営TV局で『戦場のピアニスト』を放映したことを、「日本じゃ、まずこういうことは考えられないね」とメールで書いてきたことがありました。

日本の終戦記念日は、原爆や東京大空襲の特集を組んだりしますが(近年は少なくなってきていますが、近隣諸国を気にしてか、単なる風化か)、間違っても日本軍の残虐行為を扱う映像も記録も扱わないでしょう。

先日から、プリーモ・レーヴィの話をしつこくしていますが、また彼の話をしてもらえば、彼のアウシュビッツでの体験を元にした本がドイツに出版されたのは1960年代。

自分の本がドイツで出版されると知って『目的』が果たされると思ったレーヴィですが、彼は翻訳で原作をいじくられることを心配します。

が、彼の本を翻訳することになったのは、戦時中、ナチス政権のドイツを嫌って、本国を出てイタリアに留学していたドイツ人。

そういえば、プリーモ・レーヴィやヴィクトール・フランクル、アンネ・フランクはじめ「第二次世界大戦時のユダヤ人」の翻訳本は日本に数多く翻訳されているものの、731部隊の生存者、南京大虐殺のときの体験者の中国人、従軍慰安婦にされた人たちの手記の翻訳本、こうしたものを私は見たことがないことに気がつきました。

「日本に翻訳されていないだけなのだろうか。あなたの国でそういう本を見たことがある?」・・・と今日ティムさんと、ドイツ人で日本在在住のラインホルトさんに質問しましたが、そうした本が出版されたことがあったとしても、戦後67年もたった今では、そうした本の英語なりドイツ語なりの翻訳本を見つけること自体は難しいでしょうね。

(中国や韓国の原作は今でも見つけるのは容易いことでしょう。)

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