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アフリカと欧州-3(映画『チャイルド・マリッジ』と実在のエチオピアの女性活動家たち)

2024年07月16日 | 人物

先日書いた記事

アフリカと欧州-1(エチオピアとユダヤ教徒) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

アフリカと欧州-2(国連のトップのアフリカ人) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

に、エチオピアに少し触れました。

私は若いころに数か月アフリカにもかかわったときがありましたが、「エチオピア」に関係したことはなく、「エチオピア」の名を耳にしたのは、イタリア人の当時30前半の女性が「将来エチオピアの孤児を養子にしたい」と言っていたので聞いたくらい。

そんなわけで、昨日unextにエチオピアの映画があることに気が付き、視聴しました。

pictures dept.

抜粋:

Story

舞台となるのは、エチオピア。首都アディスアババから郊外へ3時間。14歳の聡明な女子中学生ヒルトが下校途中、男たちに拐われた。彼女はライフルを手に軟禁生活からの逃亡を図るが、誤って強引に結婚させられそうになった男を射殺してしまう。彼女の村には、結婚のために娘を“誘拐”するという、伝統的な<しきたり>が、いまだに残っていたのだ…。
この事件を聞きつけ、若き女性弁護士、メアッツァ・アシェナフィがヒルトを正当防衛として弁護するために首都から派遣されてきた。メアッツァは村の権威者や現行法と真っ向から衝突し、ヒルトを救うために自らのキャリアすらリスクに晒すことを厭わない。

エチオピアで現実に起こった実話をベースに、社会の建前と、エチオピアの実生活に根強く残る、女性の権利や立場が圧倒的に制限される「家父長制度」との現実的なせめぎ合いをあぶり出し、エチアオピアが国を挙げて男女平等へと転進していく姿をまざまざと描いている。

国家が国家として成長していく物語の本当の主人公は、世界最貧国のひとつであるエチオピアの未来を担う、勇気ある世代の考え方や感受性なのだ。

『チャイルド・マリッジ 掠奪された花嫁』予告編 ビデックスJPで配信中! (youtube.com)

 

子供の結婚だけでなく、誘拐婚・・・。

誘拐婚 - Wikipedia

 

この映画に描かれる女性弁護士は、メアザ・アシェナフィさん。

2018年の記事:

エチオピア最高裁長官に初の女性、要職への女性起用続く 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News

【11月2日 AFP】エチオピア議会は1日、同国史上初めて女性を最高裁判所長官に任命した。政府高官が明らかにした。エチオピアでは先月、閣僚の半数を女性が占める内閣が発足したのに続き同国史上初の女性大統領も誕生しており、女性が要職に就く流れが続いている。

 政府系ニュースメディア、ファナ放送会社(FBC)によると、最高裁長官に任命されたメアザ・アシェナフィ(Meaza Ashenafi)氏は元高裁判事。エチオピア憲法の起草にもアドバイザーとして関与したほか、エチオピア女性弁護士協会(EWLA)も創設した。

 アシェナフィ氏はEWLAの事務局長として、自身をレイプした男を殺害した罪で起訴された14歳の少女を弁護し、勝訴を勝ち取った。この話は2014年、『チャイルド・マリッジ 掠奪された花嫁(Difret)』として映画化された。

アシェナフィ氏と共同で弁護士協会を開いたのは3人。

Meaza Ashenafi - Wikipedia

Atsedeweine Tekle - Wikipedia

Maria Yusuf - Wikipedia

 

この3人がどうして教育を受けられたのかーそれは最後のユセフさんのWikipediaにあるように、「ハラリ一族(=セム族)」が関係していたのではないかと思うのです。

マリア・ユセフさんのWikipediaの抜粋Google翻訳:

マリア・ムニール・ユスフは、エチオピア女性保護・開発協会の創設者兼理事です。[1][2] また、エチオピア女性弁護士協会の共同創設者でもあります。[3] 幼少期 マリアはエチオピアのアディスアベバでハラリ家の両親のもとに生まれました。高校在学中に慈善活動に携わり、YWCA と協力してウォロ飢餓の救援金を集めることができました。[4][5]

経歴

マリアはエチオピア高等裁判所の裁判官としてキャリアをスタートし、弁護士になった後、1995 年にエチオピア女性弁護士協会 (EWLA) を共同設立し、メアザ・アシェナフィやアツェデウェイン・テクレを含む他のエチオピア女性とともに理事を務めました。[6] 2003年、マリアはエチオピアで「ジェンダーに基づく暴力に反対する組織」を設立した。この組織は2009年に女性の保護と開発のための協会(AWSAD)に改名され、エチオピアで初めて弱い立場にある女性専用の避難所を提供した。[7][8]

Harari people - Wikipedia

セム族 (民族集団) - Wikipedia

 

誘拐婚や、女性が虐げられる風習が今もなお続く国で、戦い続けている、彼女たちのような存在は頼もしいのですが、同じ女性に生まれても、一方は大学や留学もできて、ほとんどが1世紀前からも変わっていないような生活を送るということを考えると、複雑な気持ちになります。

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