Various Topics 2

海外、日本、10代から90代までの友人・知人との会話から見えてきたもの
※旧Various Topics(OCN)

インド人夫妻と鎌倉で・英語が通じない国でのおもてなし

2015年09月14日 | 友人・知人

昨日は、妹のペンフレンドのインド人アニールさん、ニッキ―さんご夫妻と夫とで鎌倉に行ってきました。

彼らとこの鎌倉散策の話は、
『中学時代のインド人少年達との文通、38年を経て』
http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/08ee3c05f8c32c7a9184f1fab2f264fe
に書きましたが、この日の鎌倉散策に一緒に来るはずだった妹は、英語ができる友人がお付き合いしてくれることになったこともあり予定を変更。妹たちで前日にご夫妻を東京案内、この日の鎌倉は、夫と私だけのお付き合いになりました。 

鎌倉のお天気は曇りで雨も心配しましたが、降られることもなく、暑すぎず寒すぎず、天候はまずまず。 

しかし、今回は残念ながらニッキ―さんが疲れてしまったことがあって(前日も朝の8時から夜まで割とハードだった。初めての日本滞在、気疲れもあるのでスケジュールは緩くしておいた方が無難か。)、鎌倉滞在時間も短縮(私はキャンセルを申し出たのですが、ご夫妻は鎌倉と私に会うのを楽しみにしてくれていて決行。)、おまけにショッピングの時間をあまりとれないという、陶器や小物が大好きなニッキ―さんが「今回は観光名所を訪れるのにたくさん歩くより、小町通りでお店を見て回りたい」とのことだったので、お寺は一カ所、あとはショッピング、そして食事や休憩ということになりました。 

(コースは、北鎌倉で待ち合わせて円覚寺見学→北鎌倉駅近くの趣がある喫茶店でコーヒー→電車で『鎌倉駅』に移動し小町通りでショッピング→食事→帰途でしたが、円覚寺ではたくさん費やし、彼らはたくさん写真を撮っていました。) 

「寺院はもう良い」と鎌倉観光の外国人に言われることなど想定していなかった私ですが、実は、中学の修学旅行での寺院巡りに飽きて、「疲れたのでバスで休んでいる」と寺院訪問を途中から放棄したクラスメート達の一人であり、20代のとき友人達と5名で香港のツアーに参加したときも、ついていた1日観光(昼食・夕食付)を友人の一人と昼食後にパスしてしまったことがある私は嫌な感じはせず、それどころか、彼らとのおしゃべりをたくさんできたし、小町通りも久々にゆっくり見れて、むしろ今回はそれでよかったと思ったくらいでした。 

この、妻を優先して寺院巡りを諦めたアニールさんも、ショッピングは嫌いではないようで残念なそぶりはなかったのですが、「この界隈は女性が買うものしか売っていないのかい!?」と ぼやきながら、妻が買い込んだ陶器を持たされていたのは、笑いました。
そんな彼も、この小町通りではニッキ―さんの買い物戦商品以上のものを得たようです。

たとえば、彼らと昼食をとったのは、小町通りを少し脇に入った日本食レストランだったのですが、フォークとナイフをほしがったアニールさんに、店員さんはナイフだけではなく、平たい角皿を持ってきてくれたり(つまり、まな板がわり)、セットメニューについてきた梅干しの紫蘇にたいへん感激しているのを知ると、わざわざ梅干し入れから集めてきてくれただろう紫蘇を小皿に持ってきてくれたり(無料)しました。 

この対応をしてくれた60前後くらいの店員さん(もしかしたら、お店のオーナーの奥様?)は、英語もまったくできないし、客商売をする人としては怖そう、つまり愛想がない人だったのですが、このアニールさんたちが非常にお料理に感激して食べているのを脇で観ていて本当にうれしかったのか、チラチラ私たちがいるテーブルを気にしてくれていました。 

この「梅干しの紫蘇」を店員さんが持ってきてくれたのは、アニールさんが私に「この梅の紫蘇は何処で売っているのだ?」という質問をした時に丁度テーブルの前を彼女が通りがかったことからでした。
立ち止まって好奇心で私に問いかけるようなまなざしをした店員さんに私が、「彼ら、インドから来ているのですが、この梅干しの紫蘇がとても気に入ってしまって・・・どこかで買えますか?」と苦笑しながら質問したところ、少し考えて紫蘇の食品が買えそうなお店を考えてくれようとしました。

しかしこの梅干しの紫蘇となるとそれだけ買うこともできないので考えあぐねて、「ちょっと待ってね」と、紫蘇が入った小皿をアニールさんに。

この様子をカウンター越しに見える調理場の人達や他の店員さんも好意的に見守っているのに気が付いたアニールさんは、この60前後の店員さんだけでなく、他の人達にも手を挙げてお礼をしていました。

アニールさんたちは、梅干しだけでなく、お料理自体(天丼、茶わん蒸し、小鉢二品、梅干しのセット+あんみつ)も満足していましたが、それ以上に印象に残ったのは、このレストランの人々の温かいおもてなしだったのではないでしょうか。 

先日から「英語が通じない日本」について日本人の友人達にも意見も聞かせてもらったのですが、そのうち一人が、「英語が通じないから異国情緒を感じられる面もある」と言っていました。 

このメリットは、サポートしてくれる現地の友人がいたり通訳が付いている旅行者、もしくは世界を放浪しなれている逞しいバッグパッカーでないと、受けられないメリットなのかもしれないにしても、「なるほど」と感心しました。 

そして今回、「英語が通じないからこそ得られるのは「異国情緒」だけではなく、「(言葉がないから受けられる)気遣い」というのもあるのだな」と、もう一つの「メリット」について気が付きました。

とはいえ、もちろん私のなかで日本の英語後進国批判は残ったままです。

今回私たちが覗いた小町通りのお店で英語が通じたところは、なんと一軒もありませんでした。これはやはり、残念だと私は思います。 

長い追記: 

こんな私でも正直言うと、英語圏の人間が「日本は英語の表示がないし、英語が通じなくて、いったいどうなっているんだ!?」と言ったとしたら、「うん、そうだけど日本語くらい少し勉強してきたらどう?まあ、日本人は英語が苦手でも、外国人に何か質問されたらできるだけのことをしてくれる人もいるから、困ったことがあったら、誰かを捕まえて、ゆっくりと、短い言葉で質問してみて」とちょっとだけ意地悪く言うかも知れません。 

しかし、「英語の表示がなくて困る」「英語が通じなくて困る」と非英語圏の人から言われるときは、恥じ、申し訳なく思い、「本当に日本はなんとかして!」と一緒に憤ります。 

偶々今朝、日本で研修中のスペイン人のI君から、「日本に住んでいて困ること」の回答が届きました。 

彼は、
「日本にいて困ることはやはりコミュニケーションです。僕の日本語は初級で、意思の疎通を取るのに不十分。区役所での手続きやアパートの契約の時と同じように、同僚の日本人の手助けなしには何もできないことが少なくないんです。」
と言っていました。 

I君は20代半ばですが、本国スペイン語はもちろん、英語、フランス語、アラビア語ができ、日本語も習得中。礼後正しくておっとりした彼も、心のなかでこの件に関しては毒づくことがあるかもしれません。

コメント
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