友人のFさんが亡くなりました。
彼は、私の若いころの先輩ですが、その職場では一度も同じ部署で働いたことはありませんでした。
後に先輩女性に誘われる形で入部したヨット部でお世話になりますが、彼はそれ以前から何故か親しみを覚える存在。
始まりは帰宅しようと地下鉄の通路を歩いていた時に反対側から、職場に戻る彼と遭遇したことから。Fさんは取引先からもらったJALの『ワールドビューティ』のカレンダーを抱えていたので、「お先に失礼します。ワールドビューティですか?すてきですよね。」と言った私に、「君、好きなの?じゃひとつあげましょう。」
「えっ?○○部(Fさんのその時の所属部)に貰ったものなのに、いいんですか?悪いからいいです。」と断る私に、「うちの部は大丈夫でしょう。」とカレンダーをくれたことからだったと思います。
ヨット部に入部してからは、「穏やかなFさんも、ヨットになると厳しいわよ」と先輩女性に脅かされていましたが、そんなこともなく。(もちろん、ヨットも命に係わる事態もあるので、Fさんも時に厳しくなったとは思います。)
Fさんと仲間で乗ったヨット、ヨットを終えた後の皆での食事など、普段職場ではわからない仲間たちの素顔が見えて楽しかったです。
(「映画&芸術鑑賞」にこだわりがあった二人の男性 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)。
に書いた話の先輩男性はFさん。
これ以外で特に印象にのこったのは、遅い昼食になってしまい、葉山マリーナ至近のチャヤで4名で食事をしたこと。
LA MARÉE (chaya.co.jp)
その時、他に客がいなかったこともあり、お店の店長がバックギャモンを持ってきて教えてくれました。今だと絶対にそういうことはなかっただろう昭和のひと時-、海風が通る薄暗いレストランでの時間。)
Fさんは、”ほとんど泳げないのに海好き”の私を海外の海に目を向けさせてくれた人であり、東南アジアの貧困にも目を向けるきっかけを作ってくれた人でした。
このFさんとのつながりは、私が職場を退職してからは切れてしまっていましたが、ひょんなことからまたつながりました。
それは、私が意見交換をしている友人から彼の名前を聞いたことがきっかけでしたが、20年のブランクを経て、物理的にも精神的にも私のサポートをしてきてくれたFさんでした。(海外の友人たちも、ドーアさんはじめ、アメリカ人、イタリア人、スペイン人の友人もお世話になりました。)
鯨肉について熱くなれないもう一つの理由 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)
ティムさんとの夕食会 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)
Welcome to Japan, Alien!(ようこそ、外国人(!?)) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)
そのFさんのつながりは切れることなど思いつかなかった私に、先々週末の夜遅く、彼から突然のメールが届きました。
内容は、数か月前に発見された病気のこと、そして多分もう数日しか生きられないということ、今までのお礼(私は仲間に配信メールを今も時々送っています。)です。
3年前に脳出血になって退院したとき、「君の家までお見舞いに行く」と言ってくださったFさん。コロナのこともあるし、遠方からの見舞いは断っていましたが、今年の初春から少しずつ遊びに来てもらいようにしているので、最近も仲間に「Fさんと一緒に遊びに来てください」と言っていたところでした。
Fさんが、どうして私に最後のメールをくれたのかー
それは、「配信メール」を続けた私への律義さもあると思いますが、
Fさんが、私が11年前に突然K教授の死を知って酷く傷ついたことを知っているから(苦手な人も少なくなかったK教授を、Fさんは尊敬していました。)ということと、
ある日どこかで・・・ - Various Topics 2 (goo.ne.jp)
そして、ちょうど彼の病気が発見された時のタイミングで私が書いた
「縁」と「偶然」-1 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)
「縁」と「偶然」-2 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)
「縁」と「偶然」-番外編 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)
を読んでくれていたから、と言うこともあると思います。
Fさんのメールを受け取ってからは私の精神が落ち着かず、奇跡が起こることを願う反面、もし苦しむのなら、それから解放してほしいと願ってきました。
Fさんは旅立ちました。
Fさん、あなたを忘れません。
また逢う日まで、さようなら。