Various Topics 2

海外、日本、10代から90代までの友人・知人との会話から見えてきたもの
※旧Various Topics(OCN)

「縁」と「偶然」-2

2023年03月24日 | 友人・知人

⑥息子が小学生になり、市の外郭団体で働くようになりました。
そこに入って、毎朝そこの団体のトップGさんにお茶をもっていきましたが、このGさんの奥様は私の夫の母親(つまり、義母)の旅行仲間。
パートの採用にトップが関与することもなく。コネ採用ではありません。
確か私たちが結婚した時に、義母の友人が結婚お祝いの品を送ってくれましたが、それが、この奥様、G夫人だったと思います。

⑦その職場では私が担当したのはボランティアコーディネート。ボランティアさんとして活躍している人で、やはり義母とGさんの奥様と一緒に旅行をしたりしていたHさんがいました。彼女は息子さん二人がともに国際結婚。彼女の妹さんがこれまた国際結婚。おまけに彼女の幼少時に満州にいたとのことで、いろいろお話を聞かせてくれる私のとっての、「年の離れた友人」になりました。

大きい事実と小さい事実 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

 

⑧この団体には、半官半民の企業から働きに来る定年間際の人がいました。私が働いていた時、2名の人とご一緒させてもらいました。私がここを退職してだいぶたってから、このうちあとに来た男性が、私の若いころの職場の同僚(東京から私が住む神奈川の隣の市に嫁いできました)今でもずっと頼りにしているIさんの、ご主人のお姉様のご主人(つまり、Iさんの「義兄」)ということを知りました。

正直に言うと、この男性は前任者の男性と違って「癖がある人」だったので、Iさんの義兄と知らず、彼女にこぼしたりしたこともありました。

私の愚痴を聞いて同情してくれていたIさんは、その頃はまさかそれが自分の義兄であることは知らなかったのです。義兄の勤め先を知ったのは、私が団体を退職して少したってから。

このIさんの義兄は私が退職してしばらくそこで働き、病気で亡くなったそうです。

「知らない人」だと思っても、人の愚痴、悪口は言うものではない、と気を付けるようになりました。

 

⑨夫の会社の人で、夫と公私とも仲が良い男性(私が夫と初めて会ったテニスでも一緒にいました。)のお仲人をしたJさん。彼と奥様はたまたま私たちと同じ市内に住んでいて、Jさんの奥様が、フラダンスが趣味。老人施設などで演芸ボランティアをしてくれるグループのリーダーでした。これも確か、私が団体を退職してから知った縁。

 

そのほか、後今思いつくだけでも、若いころから今に至る「偶然」は5つくらいは出てきますが、それは端折って、若いころから現在に続く「偶然」を。

私の従姉Kちゃんは、私の夫と大変気が合います。

この二人は「趣味が似ている」「脳天気なところが似ている」「「縁」を引き寄せている」ように見えるところが同じ、です。

①~⑨のうち、④、⑥、⑦、⑨の縁は、夫(義父母)がらみです。

従姉のKちゃんと一緒にいるとき、「若いころの職場にかかわる、確率がものすごく低い偶然」を経験しました。

従姉Kちゃん - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

80年代の冬ヒースロー空港で - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

 

上記記事に書かなかったことがあります。

それが10番目の偶然。

⑩私が高校3年の冬休み、彼女が大学生のころ、急遽実家に帰る必要が出きて、アルバイトの代理を私に頼んだことがありました。彼女の当時にアルバイトは、労務管理事務所の簡単な庶務。私はあと数週間で就職、という状態でしたが、「ピンチヒッター」として引き受けました。

短期のピンチヒッターなので履歴書を出したかどうかは覚えていないのですが、おそらく出していなかったのでしょう。所長が留守の時私の就職先を私に質問。私が就職先の名を言うと、
「あら、うちの主人がそこに勤めている人の結婚式に出たわ。なんて人だったかしら・・」

就職しても、この時のことは忘れていました。しかし、ある時から、「あの労務管理事務所に近い駅が実家である職場の先輩男性Lさんが、実はあの所長夫人の言っていたひとなのではないか?」と思うように。

そのLさんは、私が就職して最初に配属された課にいました。私が就職する少し前に結婚をしていて、労務管理事務所からそう遠くないところの出身者でした。

彼は、私が就職したあと数か月で留学。その後、出向したり、私の部署とは関係のない所属に配属されたため、あまり縁がありませんでした。なので、彼に質問することもありませんでした。

しかし、2005年以降、私が元上司、同僚たちの数人と交流を始めましたが、たまたまその一人がLさんと同期で、その関係でLさんとも連絡を取るようになりました。

それだけでも、30年以上前(現在は40年以上前)の先輩男性と交流が始まることさえ珍しいのですが、さらに驚くことが起こります。

私の母が、2020年冬に脳卒中で意識が戻らず、昏睡状態のまま入院。2つの病院から転院して、死ぬまで入院した病院の脳神経外科に入院していました。

私はLさんと同じ耳の病気をしていたことから健康に関する話をしていたので、彼の息子さんが脳外科医であることは知っていましたし、彼が勤めている病院も知っていました。
コロナの話をしていた時、Lさんが息子さんが、病院を変わった話を書いてきて、着任した病院目を見て驚きました。

それは母が入院している病院でした。Lさんの息子さんは母の担当医ではなかったものの、同じ病院、そして脳神経外科。

この偶然で、私が高校3年のころに所長の奥さんから聞いたことを話し、Lさんに確認したところ、やはりそれはLさんのことだったようでした。(親の関係で呼んだ人が所長。)

 

「偶然」「縁」・・・「事実は小説より奇なり」。

 

追記:

息子の偶然として:

若いころの職場の同僚のクラシックコンサート(程度の高いアマチュア)に息子も加えて行ったとき、コンサートをが終わって会場を出ると、どこからが息子を呼ぶ声が。呼んだのは息子の大学の(一種に旅行をしたりした)友人。お互いで、「なんで君がいるの!?」。

その友人はこのコンサートに来たのは彼の友人がこの楽団の若きバイオリン奏者として演奏していたからでした。私の元同僚もバイオリン奏者ですので、この友人の友人の先輩奏者(つまり、顔見知り)。

この友人とはかんけいないですが、この友人に会った時と違うコンサートで見かけた「のだめカンタービレ」のトマ・シモン役の俳優さん、

ヒンデミット「画家マティス」-追記&リアル「のだめカンタービレ」? - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

この時もまた見かけました。

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