真夏の関西旅行記 (その15)[奈良編の5]のつづき、いよいよ完結編です。
東大寺・法華堂(三月堂)の参拝を終えた私は、東塔跡を横目に見ながら南大門の方向へ下りました。
右の図は、東大寺の境内図(PDFはこちら)にこの日のルートを書き込んだもの。
これをご覧のように、今回は大仏殿はパスしました。
その代わりというわけではありませんが、南大門は往復で通過しました。
何度見ても南大門の金剛力士立像2躰のど迫力にはほれぼれします。
そこで阿行像のおみ足をご紹介
足の指の踏ん張り具合がハンパありません
この記事を書くにあたって、今年2月に放送された日曜美術館「夢の運慶 傑作10選」を見直してみました。
この番組の「傑作1選」目が、この仁王様で、ミケランジェロのダヴィデ像との比較なんぞをしているのですが、改めて面白いと思ったのは、仁王像とダヴィデ像とはプロポーションがまるで違うこと(仁王様の場合、至近から見上げるしかない場所にありますから、頭でっかちに造るしかないでしょう)、そして、「仁王様はメタボ腹」の指摘でした。
リアルさと、躍動感と、威厳と、迫力と、そして親近感…。運慶の作品って(鎌倉時代の彫刻全般かも…)、わたしゃぁ、好きです
東大寺をあとにして、休館日の奈良国立博物館の前を通り、登大路園地を斜めに横切って、到着しましたのは、
「満を持して(?)」の興福寺国宝館
今年1月中旬から1か月半をかけた改修工事を終えて初めての訪問でした。
下のフライヤーは、リニューアルオープン前にどこかで手に入れたもの。
これまで入れ替わりでガラスケースの中にお立ちになっていた八部衆像と十大弟子像が、勢揃いで、しかも、ガラスの仕切りなしで立っていらっしゃいます
特に阿修羅像を中心にして、胸から上しか残っていない五部浄像も含めて、八部衆像が一列に並ぶ様子は、荘厳かつ壮麗でありました
わずか1か月半の改修で、ここまで変わるものかと思いました。
そうだ、そうだ。国宝館のど真ん中に千手観音菩薩立像が鎮座ましましているのは、改修前と変わっていません。
今、国宝館が建っている場所には、かつては食堂(じきどう)があり(遺構は国宝館の下に残っているそうな)、そのご本尊が千手観音菩薩立像で、まさしく現在お立ちになっている場所に鎮座されていたのだとか。
巨大な千手観音菩薩立像の展示場所を固定してしまえば、国宝館の展示の自由度はかなり下がると思うのですが、これを「興福寺も義理堅いものだ」と感じるか、はたまた鎌倉時代に再建された食堂を廃仏毀釈の嵐の中で破壊してしまったことへの懺悔ととるか…(私は後者だと思う)
廃仏毀釈と興福寺の関係については、今年1月6日の記事「年末関西旅行記(その12)興福寺の巻」で書きましたので、ご興味がありましたら、ご覧くださいませ。
ところで、興福寺国宝館の所蔵品の中に、拝見するたびにニヤニヤしてしまう仏像(?)があります。
それは、「山田寺仏頭」と呼ばれている銅像仏頭です。
その数奇な運命もさることながら、って軽く流すには面白すぎる話なのでちょっとご紹介
641年:山田寺の整地開始
643年:山田寺金堂の建立開始
678年:丈六仏を鋳造
685年:丈六仏(薬師如来像)開眼
1187年:薬師如来像が興福寺へ引っ越し
(興福寺東金堂本尊にご就任?)
1411年:興福寺東金堂が火災、
ご本尊は頭だけに
1415年:興福寺東金堂が再建
1937年:興福寺東金堂本尊の台座内から
仏頭発見
と、いう次第ですが、の「520年ぶりに日の目を見た」もさることながら、問題となるのはの「お引っ越し」です。
興福寺のHPでは、
像は興福寺の鎌倉再興期の文治3年(1187)に東金堂本尊薬師如来像として迎えられましたが…
と至極あっさりと記述されています。
興福寺は、1180年の「治承の兵火」で東大寺(大仏殿などを消失)と共に手ひどい被害を受けて、1187年初め頃の東金堂は建物こそ完成したものの、中に収める仏さんがいない状況だったようです。
で、興福寺を氏寺としている藤原氏の氏長者だった九条兼実の日記「玉葉」には、「興福寺東金堂の僧や衆徒などが、山田寺講堂の本尊金銅薬師三尊像を奪取して、それを東金堂に安置した」といったことが書かれているようです。
「玉葉」の原典にあたることができないのは残念ですが、Wikipediaだけでなく博物館の学芸員さんも書いている(こちら)ことですし、きっと事実なのでしょう。
おっと、話がずれました。本題に戻して、なぜ、私は山田寺仏頭を見るとニヤニヤするか?
なんのことはありません。私のかつての同僚とお顔立ちが似ているのですよ。
ここまで引っ張って、申し訳ありませんでしたぁ~ m(_ _)m
以上をもちまして、「真夏の関西旅行」の訪問予定スポットはすべて踏破完了
今回も春日大社には行かず、先送りです。
いったい、いつ行くことになるのでしょうかねぇ?
春日大社よりも、高校の修学旅行以来となる秋篠寺にも行ってみたいし、新薬師寺に行って十二神将像、とりわけ、MISIAの「名前のない空を見上げて」のPVを観るたびに連想してしまう伐折羅(バサラ)大将像を観たい
そんなわけで、春日大社はまだまだ後回しです。
興福寺から炎天下をたぁ~らたら歩いて、JR奈良駅までたどり着きました。
ちなみに上の写真は、この日朝に撮影した旧奈良駅の駅舎。現在は旅行案内所として使われています。
このあと、予定よりちょっと早い時間ながら、みやこ路快速に乗って京都に行き、京都駅の駅ビルのトイレを拝借して着替えをして、ちょっと遅い昼食を摂った後、新幹線で帰ってきました。
いやはや、天候に恵まれすぎの「真夏の関西旅行 2010」でありましたよ。
2泊3日の小旅行の間に、何リットルの汗を流したんでしょうかねぇ…。
かなり疲れはしましたが、充実しまくりの旅行でした。
以上をもちまして「真夏の関西旅行記」は完結であります。
「最初から読んでみよう」という奇特な方 「その1」はこちらですよ。