新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

真夏の関西旅行記(その6)[大阪編の5]

2010-08-10 06:33:30 | 旅行記

真夏の関西旅行記(その5)[大阪編の4]のつづきです。


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大阪城公園の中は、この暑い中、結構な数の観光客で賑わっていました。そして、外国人観光客が多い。耳に入ってくる話し声を聞く限り、圧倒的に中国人観光客が多そうです。裕福な中国人観光客の皆さんには、たぁ~っぷりと日本にお金を落としていっていただきたいものです。

そういえば、奈良では、去年の暮れに行った時も、今回の旅行でもそうでしたが、もっと韓国人観光客の比率が高かった気がしています。さすがに、伊藤博文と共に韓国人に最も嫌われている日本人の双璧をなすといわれる豊臣秀吉ゆかりの城ですから、仕方のないことかもしれません。


   


さて、桜門をくぐると、天守閣のある大阪城本丸です。


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桜門から天守閣に向かう途中、っつうか、桜門を入ってすぐのところに、大阪城の名物があります。


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表面積およそ36畳敷(59.43㎡)、重量が約108tと推測される巨石「蛸石(たこいし)」です。
蛸石の前に設置された案内板(写真の右側に映っています)によれば、


この枡形は、徳川幕府による大坂城再築工事の第2期工事が始まった寛永元年(1624)、備前岡山藩主池田忠雄【いけだただお】の担当によって築かれ、石材は備前産の花崗岩が用いられている。


とあります。備前藩主のお名前が殿様っぽくない(その辺のおじさんみたい…)のはさておいて、私が言いたいのは、現在の大阪城は、江戸時代に入ってから徳川幕府が整備した大坂城がベースになっているということ。

天守閣の場所さえも、大坂夏の陣以前と江戸時代に入ってからとでは違うのだそうな。

1月30日の記事「星空のライヴV、ネタバレを封印」で、


個人的には「黒い城」の方が好みですので、今度、大阪城を大修理する際には、創建当時の「黒い城」を再現していただきたいものです。


と書きましたが、「黒い城」にするならば、天守閣の場所を「秀吉Ver.」に変えなければならないことになりますナ。これはかなり難しいことでしょう。

で、ようやく天守閣です。


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もう一枚、至近から


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おぉぉぉ~、かっこいい


さっそくエレベーターで5階まで上がり、そこから階段で最上階8階の展望台へ(最上階まで上がれるエレベーターもあるらしい)。

まず北東(鬼門ってやつ)を眺めましょう。


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大阪城ホールの屋根って、大坂城天守閣と同じ緑青(ろくしょう)の色でコーディネートしていたんですね。

続いて、南を眺めると、はるか彼方に通天閣が見えました。


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上の写真ではよく判りませんので、オリジナルを拡大して見ると、あることに気づきました。これだけ離れた所から通天閣を見ると、シルエットが現時点での東京スカイツリーと似ている


ほら


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通天閣の高さは100mで、東京スカイツリーは上の写真を撮った8月7日時点で公称408mと、高さはずいぶん違いますなぁ。

そういえば、最後に通天閣に昇ったのはこれまた約20年前…。今度、機会があったら昇ってみますか


   


大坂城天守閣の中はかなりしっかりした展示施設になっていて、豊臣秀吉の生涯の紹介や歴史資料(「大坂夏の陣図屏風」がレプリカだったのは残念)が展示されています。
ホントはじっくりと見物したかったのですが、時刻は既に3時を回っていて、ドタバタでした。
それでも、最上層の壁面を飾っているの実物大レプリカはしげしげと見物いたしました。


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この後、大坂城天守閣から降り、ホテルに向かうべく、森ノ宮駅まで歩きました
この道順がよく判らず(おおざっぱな矢印表示しかなかった)、不安でしたが、それでも最短距離に近い経路で歩けたのではないかと思っています。


そして、地下鉄を乗り継いでホテルにチェックイン。シャワーを浴びて、着替え、ふ~ぅとしばし疲れを癒して、MISIA 星空のライヴVI ENCORE 2010 International Year of Biodiversityファイナル公演への出撃に備えたのでありました。


つづき:2010/08/11 真夏の関西旅行記(その7)[大阪編の〆]

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