三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

戦争で儲ける人たち

2012年07月27日 | 戦争

戦争に必要なものはたくさんある。
武器、弾薬、食糧、兵士など、とにかくお金がかかる。
ということは、戦争によってお金が動き、もうける人がいるということである。
国内が戦場になると、国土は疲弊し、国民は巻き添えを食う。
多くの人が殺傷され、財産を失い、窮乏する。
では、戦争でもうける人はどういう人か。
戦場にいない人。
戦闘は自国の中ではしない、自分の国の外で戦争するんだったらOK。

臼井勝美『日中戦争』にこんなことが書かれてある。
新民会の小山貞知「運送界における粮棧のごとき、庶民金融における質屋のごとき種類のものまでも日本人の企業下におかんとし、いたずらに民業を奪うがごとき感をいだかしむる」
「日本人が勝手に軍の威をかり、石鹸、ペンキ、麦粉工場等々、現在動きあるものを手当たり次第合弁もしくは買収を強要する」
日本は領土的野心はないといいながら、権益を独り占めし、中国を属国扱いしたわけである。

1940年3月、汪兆銘政府の成立。

4月、支那派遣軍総司令部は布告を発表する。
その中で、「中国人に対して略奪暴行したり、理由なき餞別、饗宴を受けたり、洋車に乗って金を払わなかったり、あるいは討伐にかこつけて敵意のない民家を焼き、良民を殺傷し、財物をかすめるようなことがあっては聖戦をまっとうすることはできない」と将兵を戒めた。

1942年11月、青木一男大東亜大臣は「支那人からみれば大企業、例えば鉄山とか炭鉱とかが取られたというのならばまだよいが、小売商まで全部が日本人に奪われたと考えている。しかもこれらの日本人がみな軍に泣きついては、自分に都合のよいように事を運ぶのに腐心している」と言っている。(臼井勝美『新版 日中戦争』)
日本の占領地経営はこういう状態だったのだから、抗日運動が起こるのもやむを得ない。

保阪正康氏は『昭和史の深層』でこんなことを書いている。

「私はこれまでこの作戦に参加した将校の何人かに話を聞いている。名前はあげないが、「南京での虐殺、放火、強姦などがあったのは事実だ」と認めている」と大体が認めている。ある将校は今から二十年ほど前になるが、「この証言は決して私の名前をださないこと。そして君がその事実にふれるときも部隊名は決して書かないこと。なぜならこれから話すことが一部は私の命令で行われたと家族が知ったら、あるいは子孫が知ったら大変なことになるからだ」と言い、具体的にどのような形で虐殺が行われたかを明かしている」

ある大隊長は「そういう軍紀の乱れは将校は大体が知っていた。だが私とて皇軍の将校としてそんな恥知らずのことを認めるわけにはいかないので、そんな虐殺はなかったということにしている」と証言している。

そして、保阪正康氏は「南京戦参加の将校のオフレコを条件に語る事実があまりにもひどかったことだけは記しておきたい」と言う。

南京攻略戦に参加した大隊長の言「私の陸士時代の集まりでもこの話はしないことになっている。論争になるからね。なぜ論争になるかといえば、皇軍はそういう不法行為は決して犯さなかったというグループがいてね。彼らは大体が現場を知らないで東京にいた省部の連中だね。つまりは認めるという勇気がなく建て前でしか歴史を語れない連中だと思う」

もちろん日本だけの話ではない。
アンソニー・コステロ特技下士官 第3陸軍師団「俺たちはむしろ、こういう決定をしている大将たちに怒っている。あの人たちは地上に降りてこないし、撃たれることもない。血だらけの死体や焼かれた死体、死んだ赤ちゃん、そういうもの全部見なくてもいいんだ」(ダグラス・ラミス『要石』)

コメント (25)
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