三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

サム・ウェラー『ブラッドベリ年代記』

2012年07月08日 | 

映画や小説に金額が出てきても、今の日本のお金にしていくらなのかわからなく、いつももどかしい思いをする。

「明治人の棒給」というサイトから。
明治40年、夏目漱石の東京朝日新聞社での月給は200円。

明治42年、石川啄木は東京朝日新聞社の校正係としてもらった月給は25円。
月に25円で母と妻を養えるとしたら、そのころの1円は今の1万円ぐらいか。
もっとも、石川啄木は酒や女などに使って、給料の前借りをしているが。

外国だともっとわからない。
『アメリカン・ビューティー』(1999年)の主人公の家のソファーは、字幕(戸田奈津子)には4万5千ドルとあるが、4500ドルの間違いだそうだ。
1ドル=80円として計算すればいいかというと、そうはいかないと思う。
アメリカでは時給7ドルが最低レベルらしいから、日本だと7~800円ぐらいなので、1ドル=100円ということになる。
アメリカでは45万円のソファーを買う人は中流層なのか。
450万円のソファーを買うのが日本ではお金持ちだからというので、わざわざ誤訳したのだろうか。

本田哲郎神父の新約聖書訳『小さくされた人々のための福音』は、お金を日本円にして翻訳している。

ぶどう園で働く労働者の賃金は一日5千円(新共同訳「一日につき一デナリオン」)。(マタイ20、1)
サマリア人が追いはぎに傷つけられた人を宿屋に連れていき、「5千円の銀貨二枚(新共同訳「デナリオン銀貨二枚」)をとりだし、宿屋の主人にわたして、『この人を介抱してください。もし、費用がかさんだら、帰りにわたしが払います』と言った」(ルカ10、25-37)
「ある婦人が五千円銀貨(新共同訳「ドラクメ銀貨」)を十枚持っていて、そのうち一枚をなくしたら、あかりをつけ、家を掃いて、見つけるまで念入りにさがさないだろうか」((ルカ15、8)
マリアがイエスの足に塗った純度の高い高価な300グラムのナルドの香油は150万円(新共同訳「三百デナリオン」)で売れる。(ヨハネ12、5)
1デナリオンが5千円かどうかはともかくとして、これだと感じがつかめる。

アメリカのお金の価値の変遷について、レイ・ブラッドベリの伝記であるサム・ウェラー『ブラッドベリ年代記』を手がかりとして考えてみましょう。

レイ・ブラッドベリはものをため込むたちだそうで、原稿料をいくらもらったかをちゃんと記録している。
レイ・ブラッドベリ(1920年生まれ)は高校を卒業して、街頭で新聞を売る。
平均して週に10ドルの稼ぎ。
週に10ドルは、親と同居して「自分の服を買い、映画代と本代と雑誌代をまかなうだけの収入」とのことである。
今のお金に換算するといくらぐらいか。

ドルの時代ごとの価値を計算してくれるサイトがある。(日本円でもこんなサイトがあればいいのに)
1938年の10ドルは2010年の153.11ドル。
1ドル=100円として、ブラッドベリ青年は週に約1万5千円を稼いでいた。

1941年、最初の原稿料を手にする。

一語半セントで、27ドル50セントだった。
402.67ドルだから、約4万円。

1945年、パルプ誌からの収入は平均して一篇につき、4~50ドル。

その年、主流文学雑誌に三篇が売れ、合計して千ドルになった。
1947年、「ハーパーズ」に短編が250ドルで売れた。
その年に結婚。

1952年、週に80ドルか90ドルの稼ぎだったが、75ドルのリトグラフを三か月の分割払いで買う。

1952年の80ドルは2010年の649.74ドル。
650ドル×100円×52週=338万円
90ドルだと730.96ドルで、52週で3,796,000円
妻と二人の子どもを抱えてこの収入では生活は楽ではない。

カート・ヴォネガット『バゴンボの嗅ぎタバコ入れ』の解説に、カート・ヴォネガットの処女作「バーンハウス効果に関する報告書」(1950年)が750ドル、50年代半ばには1篇2700ドルになり、年平均4、5篇の短編をスリック雑誌(上質の紙を使って写真が多く使われる雑誌)に売れば、十分生活していけた、とある。
ブラッドベリとは桁違いの原稿料である。

1955年の2700ドルは2010年の21733.55ドル。
2万1千ドル×4篇×1000円=840万円
カート・ヴォネガットは800万円から1千万円の収入だったということになる。
これなら十分生活できる。


で考えたのだが、印税が10%として、千円の本が1万部売れて100万円の印税収入。

小説を年に4冊出版しても400万円の収入にしかならない。
毎年4冊以上の、しかもそこそこ売れる小説を書き続けていくのは楽ではないと思う。
なるほど、小説だけを書いて生活している小説家が少ないのもわかる。

1953年、『白鯨』の映画脚本を書くことになった。

脚本執筆料は1万2500ドル。(2010年では100716.87ドル、約1千万円)
週に600ドルずつ17週もらい、加えて経費として週に200ドルが支払われる。
妻と娘二人、そして娘たちの子守りもアイルランドに同行するのだが、旅費や宿泊費を誰が持ったのかはわからない。
映画の脚本料は制作費の5%だそうだが、『白鯨』の制作費は450万ドルだから、レイ・ブラッドベリは0.3%弱しかもらっていない。
それでも映画の脚本料は小説を書くよりも収入になるのではないかと思う。

1953年の1ドルは2010年の8.06ドルだから、物価は約8倍ほど上昇したことになる。
日本ではどうなのか。
ネットで調べてみると、昭和28年の公務員の初任給は8700円、昭和29年の大工の日当640円、昭和28年は米10キロ680円、新聞の購読料が月280円、ビール107円、銭湯は大人15円、コーヒー50円。
人件費は20倍、物の値段は10倍ぐらいか。
日本のほうが物価上昇率が高いから、2010年のドルに換算し、それを100倍するのでは正確ではないと思う。

1955年、テレビ番組『ヒッチコック劇場』用に脚本を書き、脚本料は2250ドル。
1969年、『刺青の男』の映画化権を8万5000ドルというかなりの高値で売った。
2010年のお金にして499703.90ドル(約5千万円)だから、『白鯨』の脚本料の約5倍。

ベストセラーを一作書き、それを映画会社に売り、さらに自分で脚本を書けば、それだけで一生食べていける気がする。
『コーマン帝国』にピーター・ボグダノヴィッチやジョー・ダンテ、ジョン・セイルズといった、今は映画を作っていない(と思う)監督が出ていたが、何で生計を立ててるか知らないが、それでもいい生活をしているようで、なにやらうらやましくなる。

コメント (34)
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