入江杏さんは2000年に起きた世田谷一家殺害事件の被害者遺族です。
隣に住む妹一家4人の命が奪われました。
心の変化、様々な活動、多くの人との出会いなどが『わたしからはじまる』で語られています。
周囲や報道の偏見と差別によって被害者遺族は沈黙を強いられています。
事件に遭うことは恥だと考えた入江杏さんの母親は沈黙を強い、6年間、沈黙を守り続けました。
犯罪の被害者となることがなぜ恥なのでしょうか。
それは私たちが被害者という負の烙印(スティグマ)を押して差別しているからです。
「一家4人が殺されるなんて、あの家は呪われているのよ」
「泰子さんとは学生時代のお友だちでしたからお葬式には参列しましたが、もう連絡はしないでください。うちの娘は有名私立校に通っていて、こういう事件に関わるのは迷惑なんです」
「事件が起きた家のそばを通るのも恐ろしいし、見るのも気味が悪い」
入江杏さんは講演会の最後に『ずっとつながっているよ』という絵本を朗読します。
参加者からたくさん感想が寄せられる中に、傷つけられる感想もあるそうです。
橋口亮輔『ぐるりのこと。』に、子供を殺された母親が裁判で証言する場面があります。
母親がセレブだと強調するためか、足首のアンクレットがアップになり、被告人を「あれ」と呼んで見下す発言をします。
これはひどいと思いました。
というのが、モデルとなった事件を容易に思い浮かぶからです。
被害者の母親はこんな人間だったのか、母親にも事件の原因があるのではと観客に思わせる演出でした。
2006年、中谷加代子さんは高専の学生だった娘の歩さんが同級生に殺され、加害者は事件後に自殺しました。
『命のスケッチブック』で、中谷加代子さんは二次的被害について語っています。
「殺されたのは、親の育て方が悪かったせいだろう」
「女の子なのに高専へなど行かせるからだ」
などと書かれた手紙が届いたり、電話がかかってきたりするのです。
また、わたしたちがテレビの取材を受けたことに対して、
「おまえらは有名になりたいのか」
などと、ひどい中傷をされたりね。
黒川創『鶴見俊輔伝』に「風流夢譚」事件について書かれています。
1960年、深沢七郎「風流夢譚」が「中央公論」に載り、右翼が中央公論社に抗議した。
1961年、中央公論社社長嶋中鵬二宅に右翼の少年が押しかけ、社長夫人に重症を負わせ、止めに入ったお手伝いの女性を殺害した。
鶴見俊輔は友人の嶋中鵬二宅を訪れると、事件後に届いたハガキなどの束があった。
右翼の襲撃について、いい気味だとして、さらに憎しみを示しているものが多かった。
嶋中鵬二は、この国に、神社関係者がこれほど多くいるということを初めて知ったと言い、そういう事情を十分考慮に入れずに雑誌を出していたことには、出版社の社長として反省があると述べた。
『風流夢譚』とはまったくの無関係のお手伝いさんが殺されたのに、わざわざ「いい気味だ」といった手紙を書くのはどういう神経なのでしょう。
入江杏さんは「悩まされたことは、フェイクニュースの問題です」と、メディア批判をしています。
情報が寄せられても確証があるものは少なく、興味本位の情報が拡散することも多かった。
「新潮45」に、侵入経路や犯人の特徴、ソウル在住の人物への疑惑、などが記事化された。
また、犯人を突きとめたとする書籍が出版されて話題になった。
世田谷事件の出版物について、警視庁捜査一課長が会見で「ことごとく事実と異なり、誤解を生じさせ今後の捜査にも悪影響を与える懸念がある」コメントしています。
松本サリン事件で警察やメディアから犯人扱いされた河野義行さんは、講演で「週刊新潮」だけは謝罪に来なかったと話されていました。
http://www.bj40.com/kuroiwa/kimochi16.htm
入江杏さんの講演の感想にこんなのもあります。
ほめているわけで、本人としては善意なんでしょうが。
犯罪は自分の住む世界とは全く違う別世界だと、私たちは思いたいのです。
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