三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

橘木俊詔『日本の構造』(2)

2023年10月21日 | 

橘木俊詔『日本の構造』を読み、日本は福祉、教育にお金をかけず、社会保障が不備だと教えられました。

①福祉
日本人は福祉の恩恵を受ける人を好まない。
なぜなら、そういう人は怠けていて、福祉にタダ乗りしているとみなす人が多いから。

老後の経済支援、病気や要介護になった人への看護・介護は家族の役割だったが、家族の絆が弱体化している。
家族の変容は福祉の提供方法に大きな変化を与えた。
福祉は自分で担うという自立意識の確保か、それとも年金、医療・介護といった保険制度の充実という社会保障制度の確保か、という選択を日本国民に迫る。

②教育
教育の利益は私人が享受するものなので、公的負担は少なくてよいという社会的信念があるため、子ども手当が充分に支給されない。

日本の公的教育支出の対GNP比率は2.9%と、OECD35か国中、2018年は最下位で、2020年は下から2番目。
先生や教授の教育負担・事務負担が大きく、よい研究・教育ができない。

1970年ごろの国立大学の授業料は年額1万2000円だったが、国庫が国立大学への支出額を増やさなかったため、53万5800円と、45倍近くも高騰している。

日本の学歴社会は機会の平等がなかった。
本人や家族が教育費を負担しなければいけないことは、収入が多い家庭の子どもしか大学に進学できないことになる。
それは能力の高い人、勉学意欲の強い人でも大学進学をあきらめねばならないことにつながるので、社会のロスを生む。
政府の教育費支出が少ないと、多人数教育になるから、学ぶ生徒の学力向上にとってもマイナスである。

③社会保障
社会保障とは、政府が国民から徴収した社会保険料と税金を財源にして、福祉分野での支出を国民に対して行う活動のこと。

日本の社会保障は高齢者への所得保障が最大の目的となっている。
中年・若年・子どもへの対策が遅れていて、保育施設や子ども手当なども不充分。
子育ては親の責任でなされるべきで、社会の義務ではないという伝統が生きている。

日本は国民皆保険と思われているが、実態は違う。
一定期間、保険料を支払っていなければ給付を受ける資格がない。
国民保険の収納率は約90%。
国保の保険料納付率は年齢によって差があり、25~29歳は55%前後、55~59歳が77%前後である。
国民年金の未納率は3割弱。
厚生年金も5%の人は保険料を払えていないので、年金も皆保険とは言いがたい。

母子家庭の約半数が生活保護世帯。
生活保護受給者は高齢者を比率が高く(54.1%)、高齢単身女性の比率がとても高い。
年金支給額が充分であれば、高齢単身女性は貧困にならない。

生活保護基準以下の所得しかない人のうち、10~20%しか支給を受けていない。
フランスでは92%、アメリカ60%、ドイツでも37%である。

なぜ日本は低いのかというと、申請手続きが複雑であるし、資格審査が厳しい。
そして、政府から支援を受けるのは恥だという意識がある。
さらに、親族に経済支援の能力があれば、それに頼る雰囲気が社会にある。

では、どういう貧困対策がいいのか。
橘木俊詔さんの説く貧困対策は、社会保険制度や最低賃金制度の充実。

所得税は累進構造なので、再分配効果がある。
ところが、日本の所得税の最高所得者への税率は1986年が70%だったが、2015年以降は45%。
税率が高いという高所得者の声に、政府が応じたため。
新自由主義の国は所得の再分配政策をさほど実行しない。

国民がどれだけ経済効率を重視するのか、あるいは平等志向を尊重するのか、その比率の大小によってその国の賃金・所得格差、あるいは地域間格差、ひいては教育格差などの程度が決定するのである。
日本は自由主義、資本主義を是とする人が多数派なので、今後も種々の格差は縮小せずむしろ拡大する可能性があることを予想できる。その典型なのがアメリカであり、経済効率は高いが格差も大きい。逆の立場は北欧諸国などである。国民は平等主義を好むので社会民主主義の国であり、格差は小さいし福祉国家になっている。


選択肢は3つある。
①誰にも頼らずに自分で福祉のことを考えよ、といういわばアメリカ型の自立主義である。
②過去の日本は家族の絆に頼るという美徳の国だったので、今進行中の絆の崩壊を元の姿に戻す案。
③ヨーロッパのように福祉の担い手は政府という福祉国家にする案。

社会保障支出、公教育支出ともに多額でないという事実からして、大きな政府になることはないであろう。

公共投資抑制の声が強まり、現在はそれが削減されている。社会保障、公的教育支出、公共投資が多額でなければ、政府支出は大きくならないのであり、今後の日本は小さな政府でありつづけよう。

橘木俊詔さんは格差の是正には悲観的なようです。

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