「週刊新潮」(2月7日号)に「衛生夫が初めて語った! 東京拘置所「死刑囚」30人それぞれの独居房」という記事が掲載されている。
衛生夫は30代の男性、東拘の死刑囚70人の半数弱がいるフロアで働いていた。
「世間では、死刑囚は独居房の中で膝を抱え、死の恐怖に怯えながら、毎日、改悛の日々を送っている――そんなイメージを持っていると思います。しかし、私が実際に見た死刑囚の姿とはかなりギャップがありました。見ようによっては、わがまま放題、好き勝手に生活しています。未決囚や懲役囚とは異なる様々な特権を与えられ、彼等のために多額の税金が使われている。私は普通の人々が見ることのできない死刑囚の姿を見ることができました。その実態を明らかにすることで、死刑という制度を論じる際の材料にしていただければ、と考えたのです」
これが記事の最初の部分だが、編集者の作文だとしか思えない文章である。
「元衛生夫は現在の死刑囚の処遇のあり方に大きな疑問を感じたという。
「死刑囚の待遇の良さはいったい何なのでしょうか。例えば、懲役で服役している人は朝から午後5時まで作業を課せられるのに、死刑囚は基本的に自由な生活です。何もしなくていい。彼等は自主契約作業といって、希望すれば、一袋3、4円で紙袋を折って収入を得ることもできます。中には月に3万円も稼ぐ人もいて、豪華な美術書を何冊も購入している。ところが、懲役の場合、時給5円から10円で始まる。いくら折っても月に500円から2000円ほどにしかならない。死刑囚は月に書籍を12冊購入できるのに、懲役は6冊。懲役には許されないビデオ鑑賞も死刑囚にはある。死刑囚は精神の安定を図る必要があるという理由で、ありとあらゆる面で厚遇されている。死刑存廃の議論も大切ですが、その前にあまりに世間のイメージと異なる死刑囚の生活を知っていただきたい。その上で受刑者の処遇の様々な矛盾や再審制度のあり方を考えてもらえればと思います」
衛生夫として死刑囚の生活をかいま見て、そう強く感じたという」
これが最後のまとめ。
どこまでが元衛生夫の意見なのかと思う。
紙袋貼りでいくらもらえるか、『死刑囚90人 とどきますか、獄中からの声』によると、自己契約(請願)作業の紙袋貼りは、紙袋を1袋作って3銭50厘だという。
100袋で3円50銭、1万袋で350円ということになる。
仮に1袋3円としても、月に3万円稼ぐには毎日300袋も紙袋を作らないといけない。
それに、刑務所の作業報奨金が安いのに死刑囚の収入がいいのはけしからん、というのはおかしな話である。
生活保護受給者より収入の少ない人がいるから生活保護費を下げるべきだというのと同じ理屈である。
全体のレベルを上げるべきなのに、低いほうに合わせろと言ってるわけだから。
でもまあ「週刊新潮」ですからね。
ある人は「週刊新潮」が「書かない」と約束したことを書かれ、抗議したところ、新潮社は10万円を支払ったという。
その程度なら取材費ですむ。
ウィキペディアに作業報奨金について、次のようにありました。
「日弁連では、最低賃金を下回る作業報奨金しか与えられない刑務作業によって、受刑者の製造した製品が民間企業の利潤に供されているという実態があることが明らかになれば、刑務所における労働は日本が批准している「ILO第29号条約」第1条によって禁止されている「強制労働」に該当することとなる旨の意見表明を繰り返し、刑務作業の実施にあたっては、作業報奨金は最低賃金を下回らないよう計算するとともに、慰問やカウンセリング等の機会を増やすべきであると主張している」
アメリカの死刑囚の生活について、デイヴィッド・ダウ『死刑弁護人』にこんなふうに書かれてある。
「死刑囚の生活は快適だという人もいる。午前中はウエイトトレーニングをして夜はテレビを見て、一日三回ちゃんとした食事が出て、コンピュータの利用も読書もできて、いいことずくめだ、と」
日本と大違いである。
日本の死刑囚は独房からほとんど出ることはないし、面会人がいない死刑囚は刑務官以外の人と話す機会もないし、コンピュータを利用できない。
冷暖房完備だと思っている人がいるようだが、それも間違い。
東京拘置所の場合、廊下に冷房は効いているが、部屋には冷気が入らないので、汗だくだく。
窓はいつも少し空いているので、冬は寒い。
林眞須美死刑囚は「衣類や差し入れ等や、又、自弁品が、ほとんど購入出来ず。外部交通制限で面会人がなく、差し入れもなく、ほとんどが官の貸与品での生活となっている。友人・知人・支援者等の親族、弁護人以外の外部交通を許可としてくれない。DVD、テレビ視聴を許可としてくれない。
10年以上となり運動不足と、日中、同姿勢で正座しているため、腰痛になる。運動時間をふやし、365日毎日、最低1時間は屋外での運動を実施し、うんどうぐつとなわとびを使用しての全身運動、なわとびをしながら走らせてもらいたい」と書いている。(『死刑囚90人 とどきますか、獄中からの声』)
拘置所によって処遇が違うらしく、大阪拘置所と名古屋拘置所は特にひどいらしい。
以前は少しはましだった。
堀川恵子『裁かれた命』によると、長谷川武という死刑囚が小林健治氏へ出した1968年12月27日の手紙(20通目)には、十大ニュースが書かれてある。
そのうち四つは現在の死刑囚の処遇では考えられない
2 今年一年、何と言っても僕を助けてくれたのは文鳥の与太が同居してくれた事です。
5 此処で写真を撮って貰い、母へ送った事。
6 僕が確定し、月三回、野球をやらせて貰える様になった事。
9 僕ら馬鹿者に隔月ではあるが昼食会を開催してくれる。
今は生き物を飼うことは禁じられているし、写真を撮るとか、野球をするとかはできないし、他の死刑囚と接する機会はない。
アメリカの死刑囚の処遇は日本に比べるとましだとは思う。
しかし、デヴィッド・ダウはこう言っている。
「無知なのか皮肉なのか。いずれにせよ、全部間違っている。死刑囚監房はただの狭い檻みたいなもの。(略)心に留めるべきことは、死刑囚は必ず、その残された短い時間のある時点で、心のなかまでも檻に囲まれてしまうということ」
「週刊新潮」の記事を読み、事実を伝えていても、どのように伝えるかによって読者の受け取り方が違ってくるわけで、これも情報操作である。
某新聞記者が「新聞は週刊誌とは違う」と言い、テレビの某報道記者が「バラエティ番組と一緒にしないでほしい」と言っていた。
事実をきちんと伝えている、興味本位じゃない、という自負心があるんだろうが、事件報道のはしゃぎ方を見ると、そう大して変わらないのではないかと思うこともあります。
(追記)
「東京拘置所・衛生夫が語った「死刑囚」それぞれの独居房 第二弾」もごらんください。
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さて、気温の温という字の旧字は、さんずい・と、囚+皿で作られているようです。ここから想像しますと、囚人と向き合う時は、あたたかいスープをお皿に入れて、そっと差し出すような態度で、心を開かせ温和な感情を抱かせる環境作りが、好ましい、というのが温の漢字に含まれている感じ・・・そんな気がします。そういうことが、できる方が多ければ多いほど、罪をつぐなって、社会に出た時、再犯の確率も減少するのではないかと・・・そんな気もします。
心にも鍵をかけてしまい、心まで、檻に入れられた情況は、大変悲しい現実ですね。
心無い報道も、それに拍車を掛けてしまう場合も。
最後の行、尻切れトンボ?事件報道のこの記事のようなはしゃぎ方は、考えものであるってこと?それなら、理解できますが・・・
新聞やテレビのニュースへの批判を書こうと思ったのですが、いい文章が思い浮かばず・・・
聞いた話ですが、少年院を出て、今はまじめに働いている人が「A弁護士のおかげだ」と言っていたそうです。
刑務所に何度も入ったけど更生している人は「B保護司のおかげだ。信頼されているから裏切れない」と。
出会いですね。
みよちゃんの訳
言葉というものは、真意を相手に正しく伝える、それに尽きる。真意をゆがめるような、修飾は必要ないものだ。
信頼されていると、確かに、裏切れないと思います。コメントご覧のみなさんも、そう、思われるでしょ?
そりゃそうでしょうよ、判決の主文は・・・
「被告人を死刑に処する」だけですから。
刑を執行しないのは死刑囚となんの関係もない、執行する側の問題でしょ。
執行されるまで房からは出られないけれど、「房でどうしなさい」という判決はないですから。
死刑反対といいますが、私も含めて、受刑者をどう扱うのかということも考えていないと、言いっぱなしの誹りは免れないですね。
自分の人生が無くなった人の荒れようは凄いそうです。
誰が困るかって、この能天気な元衛生夫など刑務官なんですってね。
この能天気君が能天気で勤められたのは大人しく過ごしている死刑囚のお陰じゃないですか。
「下らぬ記事を週刊誌に売る前に、あんたを能天気に勤めさせてくれた死刑囚に感謝しなさい」と言いたい。
親が子供に「信頼しているぞ」と言っても、子供は信頼されているとは思えないでしょうね。
弁護士さんや保護司さんはどういう言葉で信頼を伝えたのかと思います。
>てるてるぼうずさん
元衛生夫が「週刊新潮」の記者にどういうことを話したかはわかりませんが、記者は「死刑囚の生活が好き勝手だ」と読者に伝えようとしたんでしょう。
これも言葉ですね。
死刑囚の処遇をどうするかは拘置所長に任されているそうです。
「心情の安定」という名目で、死刑囚の心情を不安定にさせているわけです。
これは、有名なので、みなさん、ご存知でしょう。
でも、その前の章句を知ってらっしゃる方は、あまり、いらしてないかも。
。
衆、之を悪むも必ず察し、衆、之を好むも、必ず察せよ。
世の中の人が、悪くとらえてることも、良くとらえてることも、すぐ、それを信じないで、必ず観察してその底まで見通すことが大切。
人能く道を弘む。道、人を弘むに非ず。(ちなみに、これが、弘道館の由来)
道徳とは、人が努力して実質化していくもの。道徳が、あらかじめあって、人を高めてるわけではない。
そして、先の章句に。
これらの章句が、まとめて、同じ場所に書かれてあるのを考えると、信頼をかち得るには、お互いが、言葉のみならず、していることもを見ていって、信頼関係を築いていく。
そして、道徳というと堅苦しいですが・・・
人格を高めあう努力をしていく中で、お互いが、過ちを犯したら改める。そうしていくことが、できたら、信頼関係が、出来上がる。
(この部分だけ取り出すと、なんだか、牽強付会が入っちゃう感じになるわね・・・)
早い話が、弁護士さんや保護司さんは、相手の身になって考えて、言葉がけして、おられるのかも。
しかし、過は、ゆきすぎる・度を越す・あやまち。昔の人って、よくこれを、過ちって読めたものです・・・
親子の場合は、たとえ、子どもがそう思わなくても、言い続けることが、大切だと思います。私は、親から、信頼してるしてる、と言われ続け、幾年月。あ~あ、と、ため息、本音。
明日から、週末の休みを利用して、親孝行してきま~す!!介護度の高い親の面倒は、疲れるぞよ!
信頼はこちらが押しつけるものではなく、生まれてくるものなんでしょうね。
親が「信頼しているぞ」と言う裏には、「裏切るなよ」というメッセージがありますから、「信じていないくせに」としか受け取れない。
そこらはわかってるつもりなんですけどね。
まさに編集者の作文でしょうね。この話を週刊新潮に持ち込んだ元衛生夫にしても動機は怪しいものです。
その理由は次回に書きますので、乞うご期待。
死刑囚と懲役囚ともに、裁判で判決を言い渡されている所までは一緒ですが、刑が執行されているか、いないかの差です。
刑が執行されるまでは、未決囚と同じ処遇になるという事ですよ。
すなわち 死刑囚は死刑が執行される時、死ぬ直前まで未決囚と同じ扱いをされるという事ですよ。
だから 懲役囚とは違う扱いなんですよ。