三日坊主日記

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小熊英二『日本社会のしくみ』(2)

2023年11月02日 | 

小熊英二さんへのインタビュー「もうもたない!? 社会のしくみを変えるには」と小熊英二『日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学』に、日本社会のしくみについて述べられています。
https://www3.nhk.or.jp/news/special/heisei/interview/interview_08.html

1960年代後半から1970年代のはじめに完成した構造を「社会のしくみ」と呼んでいる。
「社会のしくみ」とは、「終身雇用」「年功序列の賃金システム」「新卒一括採用」などに象徴される日本の雇用慣行と、それに規定されてできた教育や社会保障のあり方、さらには家族や地域のあり方など、日本社会の慣習の束を指している。

戦後の民主化運動の中で、労働組合は「同じ企業の中の労働者はみんな平等であること」を望み、一部のエリートだけに適用されていた「終身雇用」「年功序列の賃金システム」「新卒一括採用」を同じ企業の社員全員に適用されるように拡大した。

平成は国際環境が大きく変わる中で、「社会のしくみ」を無理にもたせてきた時代だった。

1970年代後半から1980年代は、日本は西側陣営の工場という位置にあった。
NHKの世論調査では、「日本人と西洋人の優劣」という質問に対し、1951年に「日本人が優れている」が28%、「劣っている」が47%だった。
1963年にはこれが逆転し、1968年は「日本人が優れている」が47%。

1980年代後半に、GMは約80万人の従業員で年間約500万台の乗用車を生産した。
トヨタは約7万人の従業員で年間約400万台を生産していた。
GMが部品の約70%を自社生産していたのに対し、トヨタは部品の多くを約270社の下請企業グループで生産していた。
もっとも、トヨタのカンバン方式を鎌田慧『自動車絶望工場』は批判していますが。

冷戦が終わると、西側の工場という日本の地位は失われていく。
旧ソ連圏や中国などの社会主義圏が世界市場に参入し、世界の製造業の中心は日本から中国や東南アジアにシフトしていった。

現代日本での生き方を「大企業型」「地元型」「残余型」の3つの類型に分ける。
・大企業型 毎年、賃金が年功序列で上がっていく人たち。大学を出て大企業の正社員や官僚になった人などが代表。
・地元型 地元にとどまっている人たち。地元の学校を卒業して、農業や自営業、地方公務員、建設業などで働いている人が多い。
・残余型 所得が低く、人間関係も希薄という都市部の非正規労働者など。平成に増加してきた。

2017年のデータで推計したところ、大企業型が約26%、地元型が約36%、残余型が約38%。

大企業型の雇用形態や働き方は1970年代初めに完成した。
欧米では、同じ仕事は会社に関係なく同一賃金だが、日本は同じ仕事をしていても会社によって賃金が違う。

2012年の所得上位5%から10%は年収750万円から580万円にあたる。
2015年の給与所得者のうち、年間給与600万円を上回るのは18%で、男性の給与所得者の28%である。

現代日本では、大企業正社員クラスの人と、それ以外の人との格差が開いている。
成果主義は上級職員だけで、下級職員や現場労働者は管理職から与えられた職務をこなしていく。

大企業型もそれほど豊かな暮らしができる世帯収入とはいえない。
年収から税金・保険料などの公租公課と、教育費を除いた場合、どれくらい生活費がのこるか試算すると、地方小都市に住む年収400万円の世帯で公立小中学校の子供が2人いると、生活保護基準を下回ってしまう。
大都市の世帯で子供2人が大学に進学すると、年収600万円でも生活保護基準を下回る可能性がある。

普及率が90%を超えている社会的必需項目(電子レンジ、湯沸器、親戚の冠婚葬祭への出席、歯医者にかかるなど)について、経済的理由で持たない・していない項目の多さを調査した。
年収400万円は、普通の暮らしの必需品が欠けていくラインといえる。

1990年代からの就職氷河期は、20代の非正規社員の増加が正社員の減少と関係すると言われているが、そうではない。
人数が多い世代は競争が激しくなり、職を得られない確率が高くなる。

団塊2世世代は前後の世代より人数が3割ほど多い。
1985年の経済企画庁の報告書は、団塊2世の就職難を予想していた。
この報告書は1990年代の経済成長率を年率4%として試算していたが、現実は1~2%だった。

1985年の新卒就職者は108万人。
団塊2世が就職を始める1992年は132万人が新卒就職することになる。
大卒者が1.5倍に急増したために、大卒就職率が下がった。
大卒者が中小企業に就職口を求めれば、高卒者の就職数が下がるので、大学に進学せざるを得ない。
この状態は1990年代いっぱい続いた。

大企業型の割合は1982年から2017年までほとんど変化がなかった。
正社員の中で年功序列で賃金が上がっていく人たちの比率もほとんど変化がない。
3割の大企業型は比較的安定しているが、下の約7割は自営業主や家族労働者が減って非正規が増え、地域社会の安定が低下して、貧困が増えている。

日本は高校・大学の進学率が伸びたところまでは、西欧諸国と比べても早かった。
しかし、大学院レベルの高学歴化はおきていない。
大学院進学率が低く、修士や博士号を持つ者が少ないため、現在では低学歴な国になりつつある。

1980年代以降、アメリカは大学院で学位を取った人間が高い地位に就くというシステムを作った。
特定の役職に就くには、その役職に対応した専門の修士号や博士号が要求される。
修士号、博士号を持っていれば、他企業からの人でも、勤続年数が少なくても、女性でも黒人でも構わない。

世界各国の新規採用教員は教育学などの修士号を持つようになってきた。
全体の国際平均でも、小学校・中学校の教師の20%以上が修士号を取得している。
ところが、日本の教師で修士号を取得しているのは、2010年の調査によれば、小学校で3.1%、中学校で5.8%にすぎない。

その最大の理由は、日本では「どの大学の入試に通過したか」は重視されても、「大学で何を学んだか」が評価されにくいことである。
日本企業が求めているのは、大学入試突破までの実績であって、大学などで学んだ専門知識ではない。

日本の社会は行政の人手が少なすぎる。
人口千人当たりの公務員の数は、フランスの3分の1、アメリカの2分の1くらい。
自民党が、家族と地域と会社で助け合うのが日本型福祉社会だという本を出したのは1979年。

地域コミュニティーに頼って、公務員が少なくてもやっていけ、公的な社会保障が少なくともよいという安上がりの国家は一時的に偶然成り立っていた現象だった。

この「しくみ」を変えない場合、3割の大企業型と、そのほかの7割の間の格差が、ますます開いていき、下の7割はかなり苦しい状態になる。
具体的には地方の疲弊、都市部の非正規労働者の貧困、高齢者貧困者の増大という形ですでに表れている。

さらに、企業が新卒採用を絞り込んでいくとすれば、大企業型の3割弱も減って、3割が2割になり、1割になっていくかもしれない。
そうなってくると、戦前の秩序にだんだん近づいていく。

戦前の日本の社会は企業の中で階級差や身分差がはっきりある社会だった。
エリートで官立大卒のホワイトカラーの事務系の上級職員、実業学校卒の下級職員、現場の作業員とでは、身分差別ともいえる格差があった。

日立製作所日立工場の1936年の職員給与。
職員は年功給で、勤続20~24年では0~4年の3倍。
各年齢層の職工を基準にすると、賞与と住宅手当を含めた年間所得の平均は、25~29歳の官立大卒の上級職員で3.5倍、40~44歳で6.15倍だった。
実業学校卒の下級職員は25~29歳が同年齢層の職工の1.7倍、40~44歳が4.41倍だった。

安上がりな国家はもうもたなくなっている。
企業の正社員を増やすのが限界だとすれば、即効性があるのは公務員を増やすこと。
これで下の7割の正規雇用を増やすとともに、ケアワーカーなどを増やして、行政サービスが行き届くようにする。
これはスウェーデンなどがとってきた戦略でもある。
そうなると税金を上げざるを得ない。

日本が小さな政府のままだと実現不可能です。
橘木俊詔さんと小熊英二さん、どちらも格差は広がるばかりだという結論のようです。

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