『妻を看取る日』は、国立がんセンターの総長をされた垣添忠生氏が、ガンで亡くなった奧さんのことなどを書いた本です。
驚いたのが、奧さんの死を誰にも言わなかったこと。
「くれぐれも私の葬儀はしないでちょうだいね」妻は生前、ことあるごとにこう言っていた。
なぜなら、夫の社会的立場によって、先に逝った妻の葬儀がやたらと盛大に行われる例をいくつも見てきたからである。
自分とは面識がないのに、夫の仕事上の知人というだけで葬儀に参列してもらうのは申し訳ないと、妻は嫌がった。また何よりも、私に煩わしい思いをさせたくなかったのだろう。それに私たちは、何度も書いているように、とくに決まった宗教を持っていなかった。(略)
私は一人で妻を看取り、一人で送ろうと決心していた。
なぜなら、夫の社会的立場によって、先に逝った妻の葬儀がやたらと盛大に行われる例をいくつも見てきたからである。
自分とは面識がないのに、夫の仕事上の知人というだけで葬儀に参列してもらうのは申し訳ないと、妻は嫌がった。また何よりも、私に煩わしい思いをさせたくなかったのだろう。それに私たちは、何度も書いているように、とくに決まった宗教を持っていなかった。(略)
私は一人で妻を看取り、一人で送ろうと決心していた。
たまたま弟夫婦が聞きつけ、どうしてもといって見送りに加わったので、火葬場で立ち会ったのは3人。
東京では葬儀をしない直葬が3割というし、葬儀をしないのはともかく、妻の死を誰にも知らせないのはおかしいと思います。
それも奧さんの遺志なのかは『妻を看取る日』には書いてありません。
奧さんは社交的な方だったようなので、友人、知人が大勢いたでしょうに。
「この決断は、後に親戚からいろいろと非難されるところとなった」と垣添忠生氏は書いていますが、当然です。
垣添忠生氏は葬儀などの儀式を否定しているわけではないようです。
徐々に回復してきた私にはずみをつけてくれたのが、百ヶ日法要であった。これも先人の知恵なのだろうか、悲しみ抜いて百日たったころというタイミングに、意味があるように思われた。
妻の墓については、何も決めていなかった。妻の両親と兄はすでに他界し、家の近くの法華宗の寺に眠っている。妻もここに納骨するのが自然であろうと考え、住職に相談した。
そして百ヶ日法要をすることに決め、そのときに戒名をいただくことにした。定式に従い、世の中の動きに合わせて生きていくのも大事なことだろうと思ったからだ。
妻の墓については、何も決めていなかった。妻の両親と兄はすでに他界し、家の近くの法華宗の寺に眠っている。妻もここに納骨するのが自然であろうと考え、住職に相談した。
そして百ヶ日法要をすることに決め、そのときに戒名をいただくことにした。定式に従い、世の中の動きに合わせて生きていくのも大事なことだろうと思ったからだ。
ところが、最後にこう書いています。
私も葬儀はしないつもりだ。私の遺骨と妻の遺骨をまとめて散骨してもらう手配も必要だ。
垣添忠生氏には子供がいないということもありますが、残された者は身近な人の死をそんな簡単に割り切れるものではありません。
でも、何もしないことがいいことだ、人に迷惑をかけないから、という悪しき風潮がだんだんと広まっていくように思います。
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