三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

山本博文「日本人の名誉心及び死生観と殉教」

2016年10月18日 | キリスト教

山本博文「日本人の名誉心及び死生観と殉教」(竹内誠監修『外国人が見た近世日本』)に、日本人キリスト教徒の殉教について論じられています。

江戸幕府はキリスト教への弾圧を厳しく行い、信者を拷問し、処刑したと思っていましたが、山本博文氏によると「殉教は積極的な一つの主張、もしくは自己願望の実現」という面があるそうです。

殉教の勧めは、イエズス会士らがキリストの教えとして持ち込んだもので、その特徴を3つあげています。

①迫害は、神の教えが真実であることを示すために神がはかられたものであり、迫害の場で初めてそのものの信仰が真実であるかどうかが試される。
②棄教を迫られた時、口先だけでも神を否定することは、棄教することと同じである。
③殉教者になることは、神の前で高い地位に就くことになる。

日本人のキリスト教信者の特質は、強固な信仰を持つ者は信仰を捨てるよりも命を捨てるほうがよいと信じ込んでいたことである。

ただ口先だけでキリシタンではないと言いさえすれば、助かる可能性があった殉教者は大勢いた。
慶長19年に家康が禁教令を出した時点でも、役人はできるだけ信者を処刑しないようにしていたが、信仰は捨てないし、逃亡したり身を隠したりしなかった。
家康没後、秀忠によって禁教令が強化され、司祭をすべて死罪に処すると命令しても、信者の願望は殉教することにあった。

火刑に象徴される幕府の弾圧は、草の根を分けてもキリシタンを捜し出し、拷問の上で信仰を白状させるといった苛酷なものだったように見えるが、実は殉教を望む少なくない数の信者たちがおり、彼らは進んで信仰を告白し、喜んで火刑に赴いていた。むしろ、幕府の役人の方が、口先だけでも信仰を否定するよう説得することがあった。

役人でさえそう言って、殉教者を増やさないようにしようとしていたにもかかわらず、キリシタンたちは進んで信仰を表明し、殉教しようとした。

宣教師の手紙。

キリストの御教え以外に救いの道がないことを十分知っており、信仰を決して捨てない強い信念で決意しております。(信仰を捨てること)より、むしろ生きたまま焼き殺され寸断されようと、いかなる恐ろしい拷問にも耐えることの方を選ぶでしょう。


宣教師にも殉教願望があり、変装もせずに屋外でミサを行い、斬首された宣教師もいた。

司祭らは、「自分たちはいかなる理由によって死刑に宣告されたのだろうか」と尋ね、「汝らは国主の法令に背いてイエズス・キリストの掟を説くために日本国へ渡来したためであり、また他の者に対しては、国守の命令に背いて同類の人々を日本国へ渡航させたためである」との返答を得て、「彼らは自分たちがイエズス・キリストのために死刑を宣告されたことを知って信じ難いほどの喜悦に浸った」というのである。

遠藤周作『沈黙』に出てくる転びバテレンは特殊な例なのかと思いました。

キリスト教の信仰を禁止する理由は、宣教師の言葉によれば、「キリストの教えが各地方に弘まっていけば、―それがキリスト教の普及ということであるが―、自分の王国が強奪されてしまうことになる」という秀忠の確信だったと、山本博文氏は言うわけですが、死や拷問を恐れないかからこそ、幕府は弾圧したのではないかと思いました。


佐藤吉昭氏の推定によると、日本の信者数は約40万人で、日本では5万人程度だそうです。

ちなみに、古代教会の殉教者数が10万人程度。
日本では棄教者のほうが圧倒的に多く、殉教を望んだ信者ばかりではないことは言うまでもない。
しかし、少なからぬ信者が心から殉教を望み、また宣教師を助けるために命を捨てた者がいたことは事実である。
神を裏切ることを恐れただけではなく、積極的に神の栄光を得るため、殉教を望んだと考えて間違いない。

司祭の説得すら拒んで殉教という名誉を得ようという心性は、キリスト教伝来以前からの日本人の心性が表れたものと感じられる、と山本博文氏は書いています。

日本軍が玉砕をしたり、捕虜になるよりも死を選ぶ心性と共通するのではと思いました。
その心性とは、名を惜しむということであり、それは世間の目を気にすることでもあるのではないでしょうか。

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