三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

秦郁彦『慰安婦と戦場の性』

2007年11月22日 | 戦争

秦郁彦は保守派ということになっているが、『慰安婦と戦場の性』
「陥落直後の南京市内は日本軍の暴行―捕虜と市民の虐殺、略奪、放火、強姦など―が荒れ狂っていた」
とか、
「(満州国は)生みの親である関東軍の軍人と日系文官官僚が実権を握るカイライ国家であった」
と書いているし、慰安婦についても、
「慰安婦が戦地の慰安所で営業するためには、軍による関与が不可欠なのは当然である」
「日本軍の駐屯した地域のほぼ全域に、慰安所ないし類似の施設があったと言って過言ではない」
とはっきり言っている人である。
だから、
「「慰安婦」または「従軍慰安婦」のシステムは、戦前記の日本に定着していた公娼制の戦地版として位置づけるのが適切かと思われる」
という秦郁彦の結論に対して、なるほど、そういうものかと思ってしまった。

しかし、林博史は秦郁彦について
「まともな仕事もするのですが、しばしば人が変わったように、ずさんな仕事、あるいは人を誹謗中傷するような、因縁をつけるようなこともやります」
と書き、そして『慰安婦と戦場の性』は「資料の書換え・誤読・引用ミス、資料の混同、意味を捻じ曲げる恣意的な引用・抜粋など」が多いと批判している。

どういうところがかと言うと、たとえば宋神道さんの発言の引用の仕方である。
秦郁彦は、宋神道さんが朝日新聞の取材に応じて語った話として、こう引用している。
「取材した記者は、この女性(宋神道さん)から「朝鮮人はまだ北と南で戦争してる。だから大っ嫌い」とか「おれ、裁判なんて面白半分にやってんだ」と浴びせられ、戸惑いをかくさない」

これを読み、ええっと思った。
ところが、実は「恣意的な引用」なのである。

「乱暴で陽気な口ぶりの奥に、世間への不信感と、それをぬぐい去るためのカラ元気がある」
「耳が遠い。十三日夕、イスラエルとPLOの和解を報じるテレビを大音響にしながら言った。「いくさは嫌だあ。朝鮮人は、まだ北と南で戦争してる。だから大っ嫌いなんだ」二十四日は、宋さん本人が法廷に立つ。「生活保護を受けているくせに、裁判なんて」という地元の人の声を聞いて、泣くこともある。が、人前だと、また軽口が出る。
「おれ、裁判なんて面白半分にやってんだ。どうせ政府は動かねえんだろ。もうやめるか。でも行くんだ。おれの話、うそだと思われっといけねえから。補償が出たら、ばらまいてやっからな。あてにしないで待ってろや」」

二つを比べるとニュアンスがまるっきり違っている。
大したものである。

秦郁彦は宋神道さんの引用に続けて、
「昔から「女郎の身の上話」という諺言がある。私も若い頃、ホステスの身の上話を聞かされ信じこんで先輩から笑われた経験がある」
と書いているが、「女郎の身の上話」を秦自身が創作しているのだからどうしようもない。

『慰安婦と戦場の性』の資料の書換え、歪曲は他にもあれこれとあるそうだ。
『慰安婦と戦場の性』を「慰安婦問題についての基本的文献」と評価するのは、どうも間違いのようである。

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彝に於ける覈 (.)
2007-12-01 21:32:54
彝に於ける覈

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