三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

カール・ポパー

2006年05月27日 | 日記

 

カール・ポパー(1902~1984)という科学哲学者は精神分析やマルクス主義の批判をもしている。
ポパーは「貧困を終わらせること以上に重要なものはありえない」と感じ、十代のころは自分を共産主義者と見なすようになった。
そのポパーがどうしてマルクス主義の批判者となったのか。

ポパーが17歳の時、共産主義者のデモ行進に警官が発砲して数人が殺される事件が起こった。
普通なら、デモ隊に発砲する権力に対して怒りを感じ、ますます闘争をエスカレートしていくのだが、ポパーはそうではない。
この時、ポパーは警察に対して恐怖を感じただけではなく、共産主義者である自分自身に対しても同じことを感じたという。

なぜなら、マルクス主義理論は社会主義の到来を早めるために、階級闘争を激化させることを要求する。
革命はある程度の犠牲を必要とし、人の生命を危険にさらすことを義務づけている。
このことは恐るべきことである。

目的達成のために多くの人の死を当然視することはマルクス主義だけの問題ではない。
ポパーは、人々を幸福にする理想社会を革命的な方法で一挙に実現しようとする全体論(ユートピア主義)を批判し、それに代わって、避けられる不幸を一つ一つ取り除いていこうとする地道な漸次的社会工学を提唱したそうだ。

屍を積み上げて理想社会を作ろうとした連合赤軍やオウム真理教がポパーを知っていたらと、関雅美「ポパーの科学論と社会論」を読んで思った。

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2 コメント

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ポパーといえば・・・ (tenjin95)
2006-05-27 16:20:12
> 管理人様



やはり、反証主義の影響は、未だに科学論の領域で大きいものですが、その実態が「正しさを証明しようとするのは間違っている」という、普通であれば固有の理論の正しさを求めていくのと完全に逆の発想だというところに、もしかして今回管理人様のご紹介いただいたエピソードがあるのか?なんて思いました。



ちょうど、毎週聞きに行っている河本英夫先生の授業でポパーをやったばかりだったのでコメントしてみました。
返信する
いつもの知ったかぶりでした ()
2006-05-27 19:55:44
素人の戯言にいつもおつき合いくださって、ありがたく思います。



旧週刊日記はHPから削除したんですが、ネット上にまだありました。

そこにポパーについて書いていました。

http://ww4.tiki.ne.jp/~enkoji/nikki.html



ポパーは、究極的な真理を人間が知ることはできない、と言う。

そして、必要なことは自分の信じている理論を正当化することではなく、それを批判し改善することであり、そのための目標は真理を発見することだ、と言う。



こう書くと、それがどうした、ということになりますな。

では、もう一つ。



ポパーは、真理の判定基準はないが、誤りを判定する基準はある、と言う。

そして、真理を目指して誤りを排除していくことはできる、と言う。



こちらは、なるほどねえ、という感じがするでしょ。

じゃ、これはどうだ。



真理を求めて批判はするが、批判に耐えたものが真理かどうかは分からない。



なんのこっちゃ、となりますか。



ポパーは科学論から出発した哲学者だが、社会論でも同じことを主張する。

すなわち、「究極的真理を発見できない」ということを社会論に適用すると、「究極的な理想社会はない」ということになる。

つまり、ユートピアの否定である。



ポパーの宗教論を知りたいものです。
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