『異空間の俳句たち 死刑囚いのちの三行詩』には死刑執行前に作られた俳句も紹介されている。
和之(31歳)
執行当日
布団たたみ
雑巾しぼり
別れとす
綱
よごすまじく首拭く
寒の水
「解説によれば、執行当日に「綱 よごすまじく……」と書かれた色紙を手渡された係官は、「もうこれは人間ワザではない。神様に近い存在だ」と感じ、「手の震えが止まらなかった」という。執行の瞬間、立ち会った全員が夢中で「南無阿弥陀仏」を唱和していたとも伝えられている」
弓石(27歳)
執行の朝
寒の水 もて
今朝の畳を
拭きに拭く
菊生(43歳)
つばくろよ
鳩よ雀よ
さようなら
菊生という朝鮮人の死刑囚は執行される5ヵ月前から俳句の指導を受けたそうだ。
「それまで日本語を話すこともたどたどしく、書くことはもちろんできなかったし、読むことすらあいまいだった」
菊生の「俳句は私の友だちです。」という文章が『夜露死苦現代詩』に載っているので、一部引用。
「私わ今年の一月から山河先生に俳句おおしえてもらっています。先生わだれでもしぬまでにええのおひとつ作ったらよいと一しょめんめにおしえてくれますが、私がことばや字をしらんのがだんねんです。私わいまかいているこの字もここえきてから皆んなからならったのです。
私わことばや字をならいながら俳句お自分の友だちとおもいべんきょしています。俳句はさびしい私のきもちを一ばんよくしってくれる友だちです。俳句をならったおかげで蝿ともたのしくあそぶことができます。火取虫がぶんぶんと電とうのまわりをとんでいるのも私をなぐさめてくれるとおもうとうれしいです。運動じょの青葉にとまってちゅうちゅうないている雀もやねでくうくうないている鳩もみんな私の友だちです。(略)夏になったので友だちがたくさんいるのでうれしいです。先生わのみもしらみも俳句になるといいましたが、ここにわいません。また蚊もときどき一匹ぐらいならいるが、どこにいるかわかりません。夏でもここわえいせいですから蚊やをつることわいりません。夜わ窓をあけて火取虫をよんでやります。私の友だちは皆かわいらしいです」
白水(47歳)が刑場で係官に伝えた句。
抱かれると
思う仏の
膝寒し
「句の師からは、最後の瞬間まで句を作れ。それを係官に伝えれば、必ず後に書きとめるからと伝えられていたという」
この師とは北山河(1893~1958)という俳人である。
1949年から亡くなるまで、毎月二回、大阪拘置所で句会を開いて指導した。
死刑囚は俳句を作ることによって自分を見直し、生き直そうとしたんだと思う。
死刑囚は句会でのんきに俳句をひねっているという誤解を持つ人がいるかもしれない。
しかし、現在の死刑囚は隔離された状態にあり、俳句の指導なんてことはされていない。
死を目の前にして生きる死刑囚の中には一種の悟りの境地にあるという見方を向井孝氏は否定する。
「死を前にして「悟り」の心境にあった死刑囚がいるとか、いたとか。そんな「宗教的」な見地からの解釈には納得しかねる」
「死刑囚の辞世の句がどのようなものであれ「悟って」きっぱりと死を受け入れた、という見方を強調することだけは承服しかねる「悟った」かのごとき詩(うた)を詠んだ、その一瞬の後に、なんとしても生きてやるぞ、という、まったく別の詩を詠むこともする。それが人間じゃないか」
向井孝氏はこうも言う。
「ここにある句は、形がちがい表現がちがっても、みんないのちをうたっている。死を正面につきつけられた者として、周囲のできごと、自然の風景、そのうつろい。それらを一瞬も逃がさずに捉えている。俳句という形にそれを移すことによって、時間、いのちをいつくしんでいる」
備洲という死刑囚はこう書いていると、稲尾節氏が語っている。
「「人間はとても死にやすく出来ている。少し高い所から落ちても、少しの間、水の中に入っていても人は死ぬ。」だからこそ、「死をさけること―生きることがなによりも尊いことだという絶対的ともいえる価値観を持つ」に至った」
「いのち」ということだが、阿弥陀のいのちがどうのこうのという話より、向井孝氏や備洲死刑囚のほうが説得力があると思う。
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ご紹介ありがとうございます。
これも”異空間の俳句たち”からですが・・
福岡事件の被冤罪者
叫びたし 寒満月の 割れるほど 武雄
絶句
冬晴れの
天よ
つかまるものがない 尚道
そのころはどの拘置所でも死刑囚の処遇が今よりは人間的だったんでしょうね。
どこぞの馬鹿は、「加害者の更正の希望を掛けて死刑反対」とか言ってましたが、そんな「アンタの勝手」
で 被害者の復活を阻害されてもたまらんわな。この偽善者め。
やることやって反省無いなら死をもって償うのが誠実であると言えるだろう。 私が加害者であっても
それを願う。 当たり前である。
たとえば宅間守。
こういう人たちを死刑にすることは死をもって償うことにはならないように思いますが