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三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

「酒害の体験談」

2007年12月19日 | 日記
アルコール依存症の自助グループのメンバーのお話「酒害の体験談」です。

アルコール依存症は否認する病気なんだそうだ。
自分はアル中ではない、酒をやめようと思えばいつでもやめられるとか、自分はほんとはこんな飲んだくれではないんだとか。
そして、人との違い探しをする。
あの人たちとは違う、自分はまだ若い、精神病院に何十回と入ったわけではない、自分には家族がいるし家もあるなど。
あるいは自己憐憫、被害者意識。
そんなふうに考えている間は酒はとまらないそうだ。
自分の力では生きていくことがどうにもならなくなったことを認めるのが第一歩。
そして仲間の存在。
一人では酒はとまらない。
真宗的だと思う。
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25 コメント

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二人でお茶けを♪ (万次)
2007-12-28 21:58:47
 釜ヶ崎で活動するキリスト教の団体の名前をあげると。
「希望の家」「出会いの家」「ふるさとの家」「旅路の里」「こどもの里」、、、

 やっぱり、「存在の家郷」ということが意識されてるわけですね。で、3ヶ月ほど前の、私たちの集まりで取り上げたテーマ「ギャンブル依存」。

 酒やギャンブルで家族にこれ以上迷惑かけてはいけない。しかし、釜ヶ崎はすでに家族も故郷も捨てた人たち。これほど強い者はない(笑)。

 どうせわしらは、、、と自暴自棄におちいりやすいんですね。また、生保受給でせっかく安定した生活を取り戻したのに、金の貸し借りでまた人間関係が悪化する、、、

 では、酒は適量に。ギャンブルは適当に。パチンコは数分で2~3万円が消える。なら、やりたければ競馬や宝くじにしといたらという結論に大笑いしました。

 予算の無い自治体でこういう事業があります。

 http://www.h6.dion.ne.jp/~gakuhoku/jihyou05.3.html#309

 面白いですね。また、クリスマスにNEWS23でこんな番組がやっていました。

 http://d.hatena.ne.jp/matsuiism/20071226

 北九州市の「八幡生活と健康を守る会」の試みも、お寺の逮夜まいりのようですね。お坊さんはウカウカしていられないというか。逮夜まいりの意義がもう少し見直されてもいいのじゃないでしょうか。
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つながりと場 ()
2007-12-29 13:47:38
うちが会場のAAのミーティングにはたいてい6,7人は来られます。
時には遠方の方がインターネットで調べて来られることもあります。
そういうつながりがあるというのはすごいなと、いつも感心しています。
普段のつき合いがあるのか、AAだけなのかは知りませんが、週に1回でもそういう場があるというのはいいですね。
「ちらくれん」というのがあって、そこはピアズという介護支援センターをしていて、ここには障害者などの当事者、その家族らがいつも集まっているそうです。
http://www17.ocn.ne.jp/~raku.hp/peers/peer.html
寺も昔は門徒さんがグチを聞いてもらう場所だったんでしょうけど。
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否認と差別、救い考 (万次)
2007-12-30 00:32:32
 酒害の体験談のところで、「アル中とは道端で寝ている浮浪者のようなもの」というお話しが出てきます。

 自分はああいうのじゃないから、アル中じゃない、と。これは、差別意識ですね。私は、ホームレスの人が自分を乞食だと言われるのを何度か耳にして「ドキッ」としたことがありますが。

 否定的な表現をするときに「まるで○○のようだ」というのが、典型的な差別表現だと言われます。
浄土教の根本聖典のひとつ、観経の中にも大臣が「そんなことをするのは、チャンダーラの所業だ」とアジャセ王を諌めるシーンがありますね。

 私も、ホームレスの人々に対して市民が差別意識をむき出しにされるのを見て「まるで犯罪者扱いやな」なんてことを思ったりしますが。

 犯罪者にも(あるいは暴力団員にも)基本的人権がある、、、という意識はなかなか持ちにくいということがあります。そんな奴らを何故擁護する必要があるのか。何故支援するのか。

 親鸞という人は、いし・かわら・つぶてのごとくなるわれらなりという言葉を残していますね。また瓦礫変成金ということ。いし・かわら・つぶてをよく黄金に成したもうと。自分をいし・かわら・つぶてだなんて思う人はしかしほとんどいないんじゃないか。

 まあ昨今のニュースを見ていてしかしこの社会の一員であることは、そんなに道徳的で倫理的であるのだろうかと思いますね。公務員さんの不祥事を見てて、盗っ人を公務員として雇ってるんかいなと。

 さて話しを戻して。ホームレスの人々の話しを聞いていると、幼いときに両親が亡くなっていたり、離婚していたり、精神障害があったり、知的障害があったりと、人生の初めの方でハンディを背負っていることをいくつも知りました。

 あー、この世に神も仏もないものか、、、とため息が出ます。人は「なまけもの」だからホームレスになり、「自業自得」でホームレスになり、好きでやってるのだからほっといたらよいと言い、迷惑だからどっかよそへ行って欲しいと願い、子どもたちは石を投げ、ゴミだからと言ってときに殺したりするんですね。踏んだり蹴ったり。

 うーん。現在、この地区は地区だから燃やしてしまえと言って放火する人っているんでしょうか。障がい者だからといって、街を車椅子で移動している人が刺されることってあるんでしょうか。チマチョゴリを着ているからといって、カミソリで切られるという報道がなされることは、ときにありますが。

 在日の人々は、総連や民団というグループがあったり、被差別の人々は解放同盟があったりと団結し抗議する団体があるんですが。反撃してこないから、ホームレスを襲ったと少年たちは言いますね。

 当事者運動がないというのが、ホームレスです。
この人々は、市民社会に再参加することによって人権を回復するのか。しかし、支えがないことには再参加しえないのではないか、、、
 
 ホームレスの人が例えば「わしは死んでも生活保護はもらわない」というのはどういうことでしょうか。彼は国民としての権利うんぬんよりも、自分の信念を優先させてるように思います。

 「わしはわしで生きてるんや。お上の世話になんかなるものか」というのは、変成市民という論理を拒否しているように思えます。そんな社会なら仲間に入れてもらわなくてケッコウだ、と。

 ま、確かにここは回帰したくなるような社会ではないように思えます。
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しわよせ、しあわし ()
2007-12-30 16:26:41
>自分はああいうのじゃないから、アル中じゃない、と。これは、差別意識ですね。

たしかに差別意識ですね。
ただ、AAの人の場合はそこにとどまってはいないと思います。
「同じ見つけ」してますから。
AAの人の中には野宿していた人、刑務所に入っていた人もいますし。

>反撃してこないから、ホームレスを襲ったと少年たちは言いますね。当事者運動がないというのが、ホームレスです。

犯罪加害者の家族も反撃する人はあまりいないだろうし、当事者運動もたぶんないでしょうね。
東野圭吾の「加害者の家族を差別しろ」という暴言が載った「中央公論」は回収されていないと思います。
反撃してこない人を攻撃するのは一種の弱い者いじめで、おまけに問題にもされません。
しわよせが最後に来るのが反撃しない人たちになんでしょう。
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ホームレス大学生 (万次)
2007-12-30 21:08:55
 アカンやないか、、、

 唯信抄文意の

 >「屠」はよろずの生きたるものを殺しほふるもの、これは猟師というものなり。「沽」はよろずのものを売り買うものなり、これは商人なり。是等を「下類」というなり。かようのあしき人・猟師・さまざまの者は、みな石・瓦・礫の如くなる我等なり。

 を読んで、今、猟師(漁師)さんやお商売をやっている人に対してストレートに「下類」というような言葉をイメージする人ってそうそういないと思います。同様にお商売人さんが、自分を下類だなんて思ってないでしょう。

 まあ、私は猟師でもないのに散弾銃(あるいは拳銃)を持っている人に対しては「殺生を趣味(あるいは生業)にする人」と偏見を抱いてますが。現在、ある人々(職業人)に対して偏見を持つのは、人それぞれの感覚によりけりだと思います。

 またかつて仏教における女性差別ということで、いろんな本を読み考えましたが。

 http://www.ne.jp/asahi/sindaijou/ohta/gendaijinnozen/fl-kokorojidai/8gatu2.htm

 そもそも「仏に成りたい」と思ってない一般の人にとって、お経にそういうことが書かれていたってまったくどうでもいいことではないでしょうか。仏教教団内部では大問題であっても。

 まあ、私が聞いた話しでは、大谷派教団には「変成寺族」という言葉もあって(笑)。在家出身者は、お寺の人と婚姻関係を結んで、寺族にならなけりゃ一人前の教団人として扱われないと。
 
 ま、でもそんなの関係ねぇ~~そんなの関係ねぇ~
そんなの、、、
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先はどうなる ()
2007-12-31 15:52:07
「石・瓦・礫の如くなる我等なり」の「我等なり」があるかないかがポイントですよね。
それと、「下類」とされる職業があげられていますが、こうした職業が「下類」だというよりも、「下類」とされている人たちがいるという指摘のほうが重要だと思います。
これらの人たちは見えない存在ですから。
見えない存在が見えてくる、そこからたとえば女性が仏になるには、という問題提起がなされてくるわけでしょう。

>そもそも「仏に成りたい」と思ってない一般の人にとって、お経にそういうことが書かれていたってまったくどうでもいいことではないでしょうか。

「仏になりたい」とか「救われたい」と思わない人にとって宗教全般は必要とされません。
だけど、今は病気ではないから医学はどうでもいいことだ、とは言えないでしょう。
宗教も同じだと思います。
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今年もお世話になりました (万次)
2007-12-31 22:38:23
 キリスト教では、聖書の読み直しが盛んです。
そのひとつ。

 http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4816604065.html

 この本には、感銘を受けました。女性差別表現があるから、それを単に取り除けばいいという発想ではなく、逆に聖書には女性差別思想なんかないんだという護教論でもない真摯な取り組み。

 こういうのを仏教でもやって欲しいと思います。
通史として植木雅俊さんという人が仏教における男女論を書かれていますが。

 http://www.amazon.co.jp/%E4%BB%8F%E6%95%99%E3%81%AE%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%AE%E7%94%B7%E5%A5%B3%E8%A6%B3%E2%80%95%E5%8E%9F%E5%A7%8B%E4%BB%8F%E6%95%99%E3%81%8B%E3%82%89%E6%B3%95%E8%8F%AF%E7%B5%8C%E3%81%AB%E8%87%B3%E3%82%8B%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E5%B9%B3%E7%AD%89%E3%81%AE%E6%80%9D%E6%83%B3-%E6%A4%8D%E6%9C%A8-%E9%9B%85%E4%BF%8A/dp/customer-reviews/4000246224/ref=cm_cr_dp_all_helpful?ie=UTF8&customer-reviews.sort%5Fby=-SubmissionDate&coliid=&showViewpoints=1&customer-reviews.start=1&colid=#customerReviews

 この著者、最後は法華経が男女平等思想の白眉という、いささか我田引水気味な結論を展開してがっくり。またこの本をレヴューで絶賛している人が他の本を批評していなかったりしてどうも不自然。

 さて、仏教の社会事業の勉強会を始めたのですが。四箇院を調べるために、聖徳太子の書いたとされる『三経義疏』に眼を通す必要があり(これは太子の著書かどうか不明ですが)、さらに勝鬘経、維摩経にも該当箇所を調べるはめ(?)に。

 叡尊さんの『感身学正記』や『文殊師利般涅槃経』もパラパラめくっていまして。きちんと原書に当たるという作業をめんどうなので今までやってなかったので、福祉という視点から、きちっと仏教経典にじかに触れる機会が与えられたことに感謝しております。
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偏見に満ちた私です ()
2008-01-01 19:35:26
こちらこそ昨年中はいろいろありがとうございました。
今年もよろしくお願いします。

私の偏見ですが、ジェンダーという言葉を使われると、何だか一歩引いてしまいます。
ジェンダーという概念は重要なことはわかっていますが、あまり言われると逆差別ではないかと感じる人がいまして。

で、植木氏の本ですが、読んでいないのにあれこれいうのはおかしいですが、プレビューの「あやたすく」という人の
「仏典には「時代の制約」があるのだから、「女性差別」や「身障者差別」の記載があるのは仕方がないのです」
「間違った記載が仏典にあったら、「これは間違い」と言えばいいのです」
という意見に賛成です。
親鸞の和讃に「生盲闡提」という言葉を河田光夫氏を批判されていましたが、その通りであって、解釈改憲みたいなことはすべきではないと思います。

>『感身学正記』や『文殊師利般涅槃経』もパラパラめくっていまして。

勉強されてますね。
三経義疏が聖徳太子の作ではなく、中国で作られたものだとすると、花山信勝氏らの今までの研究はどうなるのでしょうか。
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どんびきぃ~ (万次)
2008-01-01 21:28:30
 ジェンダーという言葉ですね。まあ、人権・社会・格差・貧困・差別・障害とかいう言葉でひかれる人もきっとおられることでしょう。お前の話しはそんなんばっかり、と(笑)。

 さて、人はあやまちを犯す生き物なんでしょうね。んで、そのあやまちをなかなか認める、受け止めることができない。あるいは、そのことを自他ともに「責める」という形で処理する。

 自分にもこの「サディスティックな欲望」が余りあるほど持ってます。しかし、そういう行き方ではない道を探りたいなと常々思います。
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これからの方針 ()
2008-01-02 16:32:42
>まあ、人権・社会・格差・貧困・差別・障害とかいう言葉でひかれる人もきっとおられることでしょう。お前の話しはそんなんばっかり、と

私としてはこれからも人権・社会・格差・貧困・差別・障害とかについてグダグダと同じことを書いていくつもりですので、よろしくお願いします。
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