三日坊主日記

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中島岳志『親鸞と日本主義』

2018年02月12日 | 仏教

戦前の日本主義とは、天皇を中心とした国体を信奉する国粋的イデオロギーのこと。
中島岳志『親鸞と日本主義』は、大正から昭和初期の親鸞主義者が、親鸞の思想を国体の正当化する論理としたことが論じられています。

この時代、革命やテロ、軍事的陰謀などによって社会を根本的に改造し、理想社会を自らの手で構築することができるという確信を抱いていた日蓮主義者が多く存在した。
自らの力によって世界をよき方向に改造することができるという超国家主義者の発想は、親鸞思想の中からは出てくるはずがないように思われた。
しかし、三井甲之『親鸞研究』を読み、マルキストやリベラリスト、革新派右翼を徹底的に糾弾し、思想弾圧の先兵となった原理日本社の三井甲之が親鸞主義者であったことを知る。
親鸞思想の核心部分に極めて危険な要素が内在しており、親鸞思想が無原則な現実肯定の論理になるなら、絶対他力の論理は権力者の恣意的な全体主義に取り込まれる。

このように中島岳志氏は『親鸞と日本主義』で問題提起しています。

・三井甲之

三井甲之と『原理日本』の同人たちは、日本の存在そのものを礼拝の対象とし、天皇の絶対化を唱えた。

われらの帰命すべき総体意志はなんであるか、それは日本意志である。それが本願力である。此の本願力としての日本意志に帰命し帰依するといふのは「日本は滅びず」と確信することである。現日本の日本人にとつては反復すべき名号は「祖国日本」である。われらの宗教は祖国礼拝である。「日本は滅びず」と信ずるが故にわれらのはかなき現実生活も悠久生命につながらしめらるるのである。それが摂取不捨である。摂取して捨てざるが故に阿弥陀仏といふ。即ち摂取して捨てざるが故祖国といふ。

三井甲之らの行動の原理は、弥陀の本願という他力にすがることが考えの中心にある。
簡単に言ってしまえば、自力はけしからん、ということである。
ちっぽけな理性で世界を改造しようなどという考えは邪悪以外の何ものでもない。
三井における親鸞の教えは、世界そのものを絶対肯定し、人生や現実を無条件で肯定する哲学として受け止められていた。

しかし、どこかで弥陀の本願が天皇の大御心へとすりかわり、「阿弥陀仏の本願力」が「日本意志」や「天皇の大御心」と読み替えられていく。

天皇という超越者のもと、平等の存在として一般化された国民は、総力を結集することによって、唯一かつ無限の自然に溶け込んでいく。

祖国日本の精神に帰命するためには、明治天皇の和歌を「拝誦」すればいい。
そうすることによって明治天皇の大御心に包まれ、無限の自然の中に没入する。

自力を捨て、天皇のもと、大御心のもとに、今まさに何の不自由も隔てもない理想国家がそのままの形で存在している、

それを三井甲之が「中今」と名づけた。
そして、「中今」が、親鸞の「絶対他力」に基づく「自然法爾」だと言う。

ありのままの状態で国体があらわれていれば、それこそが幸せな状態なのだ。
ところが、現実の日本の社会は格差が広がり、苦しんでいる人々がいる。
天皇の大御心が存在する以上、世界はユートピアであるはずなのに、なぜそんなことが起きているか。
天皇の大御心が人々に届かないように邪魔をしている「君側の奸」が存在するからだ。

マルクス主義者や革新右翼の論理の中に「はからい」を見出し、それらを自力の思想として三井甲之たちは攻撃した。


・マルキストの転向と教誨師

多くのマルクス主義者は転向にあたって、共産主義者から仏教者へと転向し、親鸞の信仰に帰依することで、権力に従順な国民としての道を歩んだ。
本願寺教団の僧侶である教誨師たちは親鸞思想の方向へと教化を進めていった。

思想犯は真面目な人間で、社会の矛盾に目を背けず、世界を改善しようと活動するうちに、共産党へと吸い寄せられた純真な学徒であり、熱心な求道者である。

マルクス主義というのは行きすぎた自力の思想であるから、マルクス主義に代わる絶対真理の探究へと熱情を回路づける必要がある。
共産主義は社会悪ばかり重視するが、問題は人間悪の認識であり、そこから絶対的な真理への道が開かれる。
自力への過信と自らの愚かさを直視した時、目の前には自然法爾の世界が広がる。

親鸞の教えは自己の生活の立脚点となったのと同時に、体制批判を無効化する装置としての役割も果たした。


・亀井勝一郎

亀井勝一郎『親鸞』(1944年)は戦後、大幅な削除がされているそうで、がっかり。

「おのづから」とは、わが国においては皇神のひらき給うた道であつて、「神ながら」といふ。この道に微妙に包摂さるるかぎりにおいて、大乗ははじめてだいじょうでありえた。

『原理日本』と亀井勝一郎の論理構造は、阿弥陀仏を天皇と置き換えることによって、国家への絶対的な随順の論理を導き出し、神ながらユートピアの現前を思考し、そこに自然法爾の実現を夢想する。
さらに、戦争などの個別的な罪を、人間不変の罪悪へと回収してしまう。

倉田百三、吉川英治たちは省略。


・暁烏敏

真宗大谷派の暁烏敏は、阿弥陀仏の本願は天皇の大御心と同一視する。

私共は仏の顕現として天皇陛下を仰ぎまつるのであります。

自分の意見を持つことは自力の道であり、そのような計らいは捨てなければならない。
我々は自力や計らいを捨て、天皇の大御心にすべてを委ねなければならない。
天皇への随順こそが他力本願の教えである。
兵士となって天皇の「仰せ」に従って命を捧げることこそが「弥陀の本願」に適うことである。

純一な雑じ気のない率直な魂で、今の生活に大御心を仰ぎ、大御心に順うて、大御心の御用をつとめさしていただくのであります。その素直な心、そこには悩みはないのであります。

日本は阿弥陀仏の真実報土と一つ世界である。
日本人は浄土に生まれた選ばれた民である。

西方の極楽浄土は日本の国に輝いてをるといふことを教へられたのが、平生業成と云はるる親鸞聖人の教であります。

暁烏敏の夢想するそんな日本=世界は、『素晴らしい新世界』みたいなアンチユートピアを連想させます。

・親鸞を信奉する宗教者・文学者・思想家が日本主義へと傾斜したのはなぜか

多くの親鸞主義者たちが、阿弥陀仏の「本願」を天皇の「大御心」に読み替えることで国体論を受容した背景には、浄土教の構造が国学を介して国体論へと継承されたという思想構造の問題があった。

浄土宗の信者だった本居宣長の大和心という観念は、浄土教の思想と構造的に接続しやすい。

すべて神の御所為(みしわざ)であり、人間の賢しら計らいを排除し、ありのままの神に随順することを本居宣長は説いた。
政治体制の是非を論じることは私意を立てる「漢意(からごころ)」であり、どのような政体であろうと、神意のはからいであるかぎり、批判すべきではない。
宣長における「漢意」は、法然・親鸞における「自力」であり、「やまとこころ」は「他力」に随順する精神である。
「本願」こそ「神の御所為」だとされた論理を、阿満利麿氏はこのように説明しているそうです。

国体論は国学を土台にして確立されたため、国学を通じて法然・親鸞の浄土教の思想構造を継承している。

法然・親鸞の浄土教が国体論に影響を受けているのではない。
国体論が浄土教に影響を受けているのである。
そのため、親鸞の思想を探究し、その思想構造を身につけた人間は、国体論へと接続することが容易になる。
浄土教が生み出した国体論が、逆に浄土教を飲み込んでいく現象が起こった。

日本の全体主義は、親鸞思想の影響のもとに加速していったのです。


私は、国家神道での天皇の役割は本願寺の法主をモデルにしたということも、日本主義に飲み込まれた原因の一つではないかと思います。

葦津珍彦氏は、島地黙雷が国家神道を作ったと論じてますし。
それはともかく、『親鸞と日本主義』ははなはだ興味深い論考でした。

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