三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

中川智正「当事者が初めて明かすサリン事件の一つの真相」

2016年12月16日 | 問題のある考え

某氏より中川智正「当事者が初めて明かすサリン事件の一つの真相」(「現代化学」2016年11月号)をいただく。
オウム真理教の事件で死刑判決を受けた中川智正死刑囚が書いた手記です。
前半はオウム真理教がサリンを作成した経緯について、後半は毒性学のAnthony T.Tu博士(コロラド州立名誉教授)の質問に答える形で執筆したものです。

「現代化学」に掲載されているわけですから専門的ですが、〈質問5 どうして高学歴の科学者がオウム真理教のような宗教に入り、事件を起こしたのか?〉は興味深い内容でした。

 私個人でなく、教団の科学者一般の話を書きます。
 第一に、そもそも科学と宗教はまったく別のものです。化学は検証可能な仮説を証明しようとします。一方、宗教は原理的に証明不可能な命題に対してある種の判断を与えるものです。たとえば宇宙の起源とされるビッグバンがどのように(How?)起こったかは科学の対象です。なぜ(Why?)起こったかは科学の対象ではありません。そこに神がいるとしても、いないとしても、科学とは矛盾しないと思います。
 第二に、重大事件にかかわった者が入信したのは、ごく一部の例外を除き1988年以前で、当時の教団は殺人やサリン製造などとは無縁の宗教団体でした。教祖の麻原氏は、そのような宗教団体を犯罪組織にしたという点で、宗教家以前に犯罪者ですが、ヨガや瞑想の指導者としての能力はきわめて高かったのです。また、麻原氏は、教団の外部に対してだけでなく、内部の大部分の者に対しても、「実際に殺人を行う(行っている)」とは言いませんでした。私を含めて、教団が殺人を犯すなどと思って入信した者は皆無でした。少し考えていただければわかりますが、このような事情がなければ、いくら1990年代前半でも、日本とロシアで数万人の信者が教団に入信するはずがありません。ヨガや瞑想の部分で麻原氏に対して絶対的な信頼をおいてしまった者が、私を含め、事件に関与したのです。逆にいうと、麻原氏は自分を深く信頼している者を選んで、殺人や化学兵器の製造などを命じたのです。具体的には本稿で実名を出した者たちに大してです。率直にいって、麻原氏を単なる詐欺師であると書くことは簡単で世間の受けもよいのですが、事実は事実として述べないと質問にお答えする意味がないので、あえてこのような内容を書きました。
いかなる理由があろうとテロは許されない、とはしばしばいわれます。これはそのとおりです。しかし、ある人物が、危険な宗教やテロ組織に入ってしまう背景と後にテロを実行する背景は、多くの場合、違っているように思われ、両者は区別すべきではないでしょうか。この辺りから考えていただくことが、今まであまり実施されていないテロ対策につながるのではないかと思います。
最後に、事件の被害者の方々、ご家族の方々には重ねてお詫び申し上げます。

「本稿で実名を出した者たち」とは、サリン製造に関わった村井秀夫、上祐史浩、土谷正実、遠藤誠一といった人たちです。

手記には、「教団が殺人を犯すなどと思って入信した者」はいないのに、どうして「事件に関与したのか、その説明はありません。
中川智正さんが個人的な手記を書いて、そこらを説明してくれることを期待しましょう。

誰もが「危険な宗教やテロ組織に入ってしまう」可能性はあるわけで、まともな宗教と、そうではない教団をどのようにして見分けたらいいのか。
佐々木閑『「律」に学ぶ生き方の智慧』に、一生を支えてくれる「良い生き甲斐組織」と、不幸をもたらす「悪い生き甲斐組織」の違いを区別する判断基準が律だと書かれています。

人は死ぬまでずっと変わらない本当の生き甲斐を探し求める。
生き甲斐の代表が宗教であるし、宗教以外にも生き甲斐はさまざまある。
同じ生き甲斐を共有する組織を作るようになると、中身に善し悪しがでてくる。
中には表看板と内実がまったく違っていて、とんでもないニセモノだったということがある。
充実した人生を手に入れるつもりで入った組織が、その人自身やまわりの人に不幸をもたらすケースがいくらでもある。
さらには、ニセモノだと気づかないうちに洗脳されてしまって、ニセモノの世界でニセモノの幸福に身を任せることがある。
たとえば、ヒトラーを崇拝してナチス党員になった人、大東亜共栄圏の理想を信じて軍事政権に従った人、革命を夢見た連合赤軍のメンバーなど。

生き甲斐を求める人たちを不幸に突き落とす恐ろしい罠はいたるところにある。
だから、惹かれて入った教団の裏側に隠された内実を的確に見抜く目が必要となる。

律(ヴィナヤ)の意味は「正しく導くもの」「指導」。
律という仏教世界の法律集、組織運営のためのマニュアルは、この判断基準を明確に示してくれる。
たとえばオウム真理教と仏教の教えはほとんど同じだが、律のあるなしが大きく差を生じさせる。

ということで、佐々木閑『「律」に学ぶ生き方の智慧』に説明されている判断の仕方は次回のお楽しみに。

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