「常識を疑え」とよく言われます。
常識を疑うこと、それは、多面的に物事を捉えストレスや理不尽という天敵から自分の身を守り生き抜く術だそうです。
大多数の人がそうしているから、それが正しいと言われているから『常識』。
しかし、その常識が正しいのか、正しくないのかを判断するのは自分自身なのです。
人も物事も十人十色。正解も間違いもそこには存在しないし、常識は時代や社会の変化により変わっていくもののようです。
過去の非常識が今では常識になり、今の常識が未来の非常識にもなり得るということです。
例えば現代の終身雇用と年功序列賃金体制は崩れつつあり「正社員として働き続けるリスク」が逆に生じてきた訳です。
つまり、「正社員であってもスキルが無ければ、いつクビを切られるかわからない」
「大企業に就職してもその企業の経営が傾かないとは限らない」時代となり、「正社員でい続けるリスクも、起業して働くリスクもどっこいどっこい」。
だったら、「社会人としてのスキルを身に着けたらさっさと自活できる仕事を見つける」事の方が長い目で見たら「安定した生活が得られる」そんな時代になった訳です。
スポーツをする際、昔だったら「練習中には水を飲まないこと。水を飲むと横っ腹が痛くなる」でした。
しかし今は「練習中に水分補給しないことは非常識」と言われています。
常識外れだから、周りと違うからと悲観しないで、自分らしさや周りの個性、物事の流れをあるがまま受け入れるべきでしょう。
下記は。自らの人生を他人に委ねてしまおうとした時、騙され洗脳されて自由を失うという「ブッダの言葉」の中に出てくるものです。
①「○○さんが君についてこんなことを言っていたよ」と聞かされても、確かめるまでは信じ込まないこと。
②「この国では昔からこうするものだから」などと伝統を持ち出されても、信じ込まないこと。
③それが流行していて評判がよくても、信じ込まないこと。
④聖典やお経や本に書いてあるからといって、信じ込まないこと。
⑤実際に確かめていない憶測を聞かされても、信じ込まないこと。
⑥いかにも正しそうに、「○○理論」や「○○主義」によるとされていても、信じ込まないこと。
⑦常識に合っていても、信じ込まないこと。
⑧自分の意見に合っていても、「私もそう思っていたんですよ」と安直に信じ込まないこと。
⑨相手の服装が立派だったり職業がすばらしかったり態度がうやうやしくても、それらの見せかけに惑わされて、信じ込まないこと。
⑩相手が自分の先生だからといって、盲目的に信じ込まないこと。
他人に騙され、洗脳されて自由を失わぬ為に昔からこうだからこうする・・・。
じゃあなくて、将来こうなりたいからこうする。
いま一度、自分の常識を疑って、真実を見る努力をしてみましょう。
未来に基準をおいて行動していれば、人生を変えることができるといわれます。
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