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A・C・Jobim ㉚ "Sucedeu Assim" "So Saudade" "E Squesendo Voce"

 アントニオ・カルロス・ジョビン(Antonio Carlos Jobim)が1950年代後半に作曲したナンバーから、"Sucedeu Assim"(作詞はマリオ・ピント mario Pinto) "So Saudade"(作詞はニュートン・メンドーサ Newton Mendornca), "E Squesendo Voce "(作詞はジョビン)を紹介します。ジョビンの曲の中では知名度も低く、歌手や演奏家のカヴァーも少ないので、1曲1アーティストでUPします。

 

 

 アントニオ・カルロス・ジョビンのアルバム「In Edito」(1987年録音、一般にリリースされたのは1994年)から、でジョビンのピアノ弾き語りで、"Sucedeu Assim"です。

 この曲はシルヴィア・テリス(Sylvia Telles)のデビュー・アルバム「Caricia」(1957年)、本業は映画女優(セクシー系)のノルマ・ベンゲル(Norma Bengell)が、ブラジルのジュリー・ロンドンを狙ってオデオン・レコードからリリースした「Ooooooh! Norma」(1959年)に収録されています。

 その後録音されることがほとんどありませんでしたが、ジョビンが「In Edito」で取り上げたのは、この曲に自身愛着をもっていたのかもしれません。ジョビンのピアノ弾き語りで、地味ですがこの曲の良さがしみじみと伝わってきます。

 

 

 

 ブラジルの女性歌手クラウディナ・モレナ(Claudia Morena)で "So Saudade"です。この歌手についてはディスコグラフィのブログ「Discogs」にも載っていないのでよく分かりませんが、1957年以前の録音だと思います。

この曲は他に女性歌手クラウデッチ・ソアレス(Claudette Soares)が1962年に、ボサ・トレス(Bossa Tres)が単独ではファーストアルバムにあたる「The Bossa Tres」(1963年)で録音しています。

 

 

 

 シルヴィア・テリスのアルバム「アントニオ・カルロス・ジョビン集」(1959年)から "E Squesendo Voce ”(あなたを忘れて)です。

 この曲はブラジルの女性歌手アライジ・コスタ(Alaide Costa)、アナ・ルシア(Ana Lucia)、ガル・コスタ(Gal Costa)、エリアーヌ・エリアス(Eliane Elias)などが録音しています。男性歌手ではペリー・リベイロ(Pery Ribeiro)が、アルバム「Pery Ribeiro E Seu Mundo De Canções Românticas」(1962年)で、ルイス・ボンファ  のギター をバックに歌っています。                       

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韓国ドラマ「秘密」OST シン・スンフン”君だけのための愛”

 

 

 

 韓国ドラマ「秘密」(MBC 2000年)のOST”君だけのための愛”はシン・スンフンが歌っています。2000年頃の韓国ドラマの雰囲気が伝わってきます。「秘密」のOST”IF"には悲しい悪役を演じたハ・ジウォンのテーマがあります。探せませんでした。

 

 

 

 

 

 

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1970~73年の洋楽 ② ジョニー・リヴァース” "シークルーズ” ”ロッキン・ブギー・ウギー”

 ジョニー・リヴァース(Johnny Rivers)はロックンロール、黒人音楽やC&Wを彼流にアレンジして歌うというスタイルから、1968年のアルバム「Realization」から突如ヒッピー風の出で立ちになり、曲の内容も社会性を帯びたり、内省的なシンガーソングライターのようになってしまいました。

 アルバム「Sim Slow Slider」(1970年)「Home Grown」(1971年)、1970年のシングルもジェームス・テイラー(James Taylor)の"Fire and Rain"、ヴァン・モリソン(Van Morrison)の”Into the Myst(神秘の中で)"と、その路線で制作されています。

 ところがヒッピー・ムーブメントのインチキなことに気づいたのか、セールスが振るわなかったためか、本来の姿に戻り、1971年にシングル、”シー・クルーズ(Sea Crues)"(オリジナルはニューオリンズ出身のリズムアンドブルース・ピアニスト、ヒューイ・ピアノ・スミスの作曲)をリリースします。

 

 

 ”シー・クルーズ"は1971年にリリースされ、全米84位にランクされました。ジョニー・リヴァースのヴァージョンは、大滝詠一のナイアガラ・サウンドを連想させる分厚いホーンアレンジが最高で、数あるカヴァーの中で最高だと思います。

 ジョニー・リヴァースはライブ・アルバム「Last Boogie in Paris」(1974年)でもこの曲を演奏していますが、ホーンがテナー・サックスとトランペットだけなのでやや物足りなさを感じます。

 

 

 

 ジョニー・リヴァースは1972年に「ロッキン・ブギー・ウギー(Rockin' Pneumonia and Boogie Woogie Flu)」(オリジナルは”シー・クルーズ”と同じ、ヒューイ・ピアノ・スミス)をリリースし、全米6位の久々のヒットになりました。個人的には好きな曲なのですが、日本ではヒットに至りませんでした。

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1969年のポップス ⑧ ジョニー・リヴァース "マディー・リヴァー" フィフス・ディメンション "ウェディング・ベル・ブルース"

 ジョニー・リヴァース(Johnny Rivers)は音楽活動の傍ら、自身のレコード会社「Soul City ecords」を1966年に設立しました。フィフス・ディメンション(The 5th Dimension)、アル・ウィルソン(Al Wilson)が中心アーティストで、特にフィフス・ディメンション" は、”ビートでジャンプ(Up Up And Away)"が1968年のグラミー賞で「The Record of the Year」などを受賞。1968年に”ストーン・ソウル・ピクニック(Stoned Soul Picnic)”が3位、1969年に ”アクェリアス'Aquarius/Let the Sunshine In)”が1位、ウェディング・ベル・ブルース(Wedding Bell Blues)"が1位にランクされ、ゴールド・ディスクに輝きました。”ストーン・ソウル・ピクニック” ”ウェディング・ベル・ブルース”は1967年1月にデビユー・アルバムをリリースしたばかりのローラ・ニーロ(Laura Nyro)の作品です。

 ジョニー・リヴァースはプロデューサーとしての才能も発揮し、ローラ・ニーロだけでなく、作曲家のジミーウェブ(Jimmy Webb)を起用し、”ビートでジャンプ”、 ”恋はフェニックス(By the Time I Get to Phoenix)"(オリジナルは1965年のジョニー・リヴァース)などの名曲が生まれました。

 

 

 "マディー・リヴァー" は「Soul City Records」からソロ・アルバムをリリースしているジェームス・ヘンドリックス(James Hendricks)の作曲で、全米41位にランクされました。「洋楽ヒットチャート大事典」八木誠著では1969年年間チャート68位に選ばれています。

 

 

 

 

 ジョニー・リヴァースが設立したレコード会社「Soul City ecords」のアーティスト、黒人男女5人組のコーラス・グループ「フィフス・ディメンション」が1969年にリリースした”ウェディングベルブルース(Wedding Bell Blues)”です。全米1位、ゴールド・ディスクに輝きました。

 「洋楽ヒットチャート大事典」八木誠著では、1969年年間チャート79位に選ばれています。

 

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