人が生きる世の中(サランサヌンセサン)
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A・C・Jobim ㉛ "Se E Por Falta de Adeus" ディック・ファルネイ、ドロレス・デュラン
アントニオ・カルロス・ジョビン(Antonio Carlos Jobim)が1955年に作曲、作詞は女性歌手ドロレス・デュラン(Dolores Duran)で、"Se E Por Falta de Adeus"です。最初の録音は女性歌手ドリス・モンテイロ (Doris Monteiro)で、1955年にSP録音されました。ジョビンはドロレス・デュランとのコンビで、1950年代に何曲か作品を創っています。
1940年代から1960年代までブラジルを代表する歌手として人気のあった ディック・ファルネイ(Dick Farney)のアルバム「Dick Farney E Você」(1974年)から"Se E Por Falta de Adeus"です。ディック・ファルネイは1959年にもこの曲を録音しています。
作詞の女性歌手ドロレス・デュランの歌で"Se E Por Falta de Adeus"です。
A・C・Jobim ㉚ "Sucedeu Assim" "So Saudade" "E Squesendo Voce"
アントニオ・カルロス・ジョビン(Antonio Carlos Jobim)が1950年代後半に作曲したナンバーから、"Sucedeu Assim"(作詞はマリオ・ピント mario Pinto) "So Saudade"(作詞はニュートン・メンドーサ Newton Mendornca), "E Squesendo Voce "(作詞はジョビン)を紹介します。ジョビンの曲の中では知名度も低く、歌手や演奏家のカヴァーも少ないので、1曲1アーティストでUPします。
アントニオ・カルロス・ジョビンのアルバム「In Edito」(1987年録音、一般にリリースされたのは1994年)から、でジョビンのピアノ弾き語りで、"Sucedeu Assim"です。
この曲はシルヴィア・テリス(Sylvia Telles)のデビュー・アルバム「Caricia」(1957年)、本業は映画女優(セクシー系)のノルマ・ベンゲル(Norma Bengell)が、ブラジルのジュリー・ロンドンを狙ってオデオン・レコードからリリースした「Ooooooh! Norma」(1959年)に収録されています。
その後録音されることがほとんどありませんでしたが、ジョビンが「In Edito」で取り上げたのは、この曲に自身愛着をもっていたのかもしれません。ジョビンのピアノ弾き語りで、地味ですがこの曲の良さがしみじみと伝わってきます。
ブラジルの女性歌手クラウディナ・モレナ(Claudia Morena)で "So Saudade"です。この歌手についてはディスコグラフィのブログ「Discogs」にも載っていないのでよく分かりませんが、1957年以前の録音だと思います。
この曲は他に女性歌手クラウデッチ・ソアレス(Claudette Soares)が1962年に、ボサ・トレス(Bossa Tres)が単独ではファーストアルバムにあたる「The Bossa Tres」(1963年)で録音しています。
シルヴィア・テリスのアルバム「アントニオ・カルロス・ジョビン集」(1959年)から "E Squesendo Voce ”(あなたを忘れて)です。
この曲はブラジルの女性歌手アライジ・コスタ(Alaide Costa)、アナ・ルシア(Ana Lucia)、ガル・コスタ(Gal Costa)、エリアーヌ・エリアス(Eliane Elias)などが録音しています。男性歌手ではペリー・リベイロ(Pery Ribeiro)が、アルバム「Pery Ribeiro E Seu Mundo De Canções Românticas」(1962年)で、ルイス・ボンファ のギター をバックに歌っています。
韓国ドラマ「秘密」OST シン・スンフン”君だけのための愛”
韓国ドラマ「秘密」(MBC 2000年)のOST”君だけのための愛”はシン・スンフンが歌っています。2000年頃の韓国ドラマの雰囲気が伝わってきます。「秘密」のOST”IF"には悲しい悪役を演じたハ・ジウォンのテーマがあります。探せませんでした。
1970~73年の洋楽 ② ジョニー・リヴァース” "シークルーズ” ”ロッキン・ブギー・ウギー”
ジョニー・リヴァース(Johnny Rivers)はロックンロール、黒人音楽やC&Wを彼流にアレンジして歌うというスタイルから、1968年のアルバム「Realization」から突如ヒッピー風の出で立ちになり、曲の内容も社会性を帯びたり、内省的なシンガーソングライターのようになってしまいました。
アルバム「Sim Slow Slider」(1970年)「Home Grown」(1971年)、1970年のシングルもジェームス・テイラー(James Taylor)の"Fire and Rain"、ヴァン・モリソン(Van Morrison)の”Into the Myst(神秘の中で)"と、その路線で制作されています。
ところがヒッピー・ムーブメントのインチキなことに気づいたのか、セールスが振るわなかったためか、本来の姿に戻り、1971年にシングル、”シー・クルーズ(Sea Crues)"(オリジナルはニューオリンズ出身のリズムアンドブルース・ピアニスト、ヒューイ・ピアノ・スミスの作曲)をリリースします。
”シー・クルーズ"は1971年にリリースされ、全米84位にランクされました。ジョニー・リヴァースのヴァージョンは、大滝詠一のナイアガラ・サウンドを連想させる分厚いホーンアレンジが最高で、数あるカヴァーの中で最高だと思います。
ジョニー・リヴァースはライブ・アルバム「Last Boogie in Paris」(1974年)でもこの曲を演奏していますが、ホーンがテナー・サックスとトランペットだけなのでやや物足りなさを感じます。
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ジョニー・リヴァースは1972年に「ロッキン・ブギー・ウギー(Rockin' Pneumonia and Boogie Woogie Flu)」(オリジナルは”シー・クルーズ”と同じ、ヒューイ・ピアノ・スミス)をリリースし、全米6位の久々のヒットになりました。個人的には好きな曲なのですが、日本ではヒットに至りませんでした。
1969年のポップス ⑧ ジョニー・リヴァース "マディー・リヴァー" フィフス・ディメンション "ウェディング・ベル・ブルース"
ジョニー・リヴァース(Johnny Rivers)は音楽活動の傍ら、自身のレコード会社「Soul City ecords」を1966年に設立しました。フィフス・ディメンション(The 5th Dimension)、アル・ウィルソン(Al Wilson)が中心アーティストで、特にフィフス・ディメンション" は、”ビートでジャンプ(Up Up And Away)"が1968年のグラミー賞で「The Record of the Year」などを受賞。1968年に”ストーン・ソウル・ピクニック(Stoned Soul Picnic)”が3位、1969年に ”アクェリアス'Aquarius/Let the Sunshine In)”が1位、ウェディング・ベル・ブルース(Wedding Bell Blues)"が1位にランクされ、ゴールド・ディスクに輝きました。”ストーン・ソウル・ピクニック” ”ウェディング・ベル・ブルース”は1967年1月にデビユー・アルバムをリリースしたばかりのローラ・ニーロ(Laura Nyro)の作品です。
ジョニー・リヴァースはプロデューサーとしての才能も発揮し、ローラ・ニーロだけでなく、作曲家のジミーウェブ(Jimmy Webb)を起用し、”ビートでジャンプ”、 ”恋はフェニックス(By the Time I Get to Phoenix)"(オリジナルは1965年のジョニー・リヴァース)などの名曲が生まれました。
"マディー・リヴァー" は「Soul City Records」からソロ・アルバムをリリースしているジェームス・ヘンドリックス(James Hendricks)の作曲で、全米41位にランクされました。「洋楽ヒットチャート大事典」八木誠著では1969年年間チャート68位に選ばれています。
ジョニー・リヴァースが設立したレコード会社「Soul City ecords」のアーティスト、黒人男女5人組のコーラス・グループ「フィフス・ディメンション」が1969年にリリースした”ウェディングベルブルース(Wedding Bell Blues)”です。全米1位、ゴールド・ディスクに輝きました。
「洋楽ヒットチャート大事典」八木誠著では、1969年年間チャート79位に選ばれています。
1968年のポップス 11 ジョニー・リヴァース ”おい兄弟” ”サマー・レイン””
ジョニー・リヴァース(Johnny Rivers) は1964年の”マウンテン・オブ・ラブ”のヒットの後、1965年には5枚のシングルをリリースしました。
”ミッドナイト・スペシャル(Midnight Specja)l” (原曲は米国のトラディショナル・フォーク) 全米20位
”キューピッド(Cupid"(オリジナルはサム・クック)全米76位
”セブンス・サン(Seventh Son“ (オリジナルは1955年、リズム・アンド・ブルース歌手 Willi Dixon) 全米7位
”花はどこへ行った(Where Have All the Flowers Gone)” (フォーク歌手ピート・シーガー1955年の作品) 全米7位
"Under Your Spell Again (オリジナルは1959年、C&W歌手バック・オウエンス)" 全米35位
日本ではビクター・レコードから「キューピッド/ミッドナイト・スペシャル」のカップリング、「セブンス・サン」、「花はどこへ行った」のシングルがリリースされました。
1966年には”秘密諜報員(Secret Agent Man )" (作曲 P,F,Sloan/Steve Barri) がヒットし、全米3位を記録、この曲まで日本ではビクター・レコードから発売されました。
"マディー・ウォーター(I Washed My Hands in Muddy Water)"(オリジナルはC&W歌手のStonewall Jackson)
"マディー・ウォーター"から、日本での発売は東芝に移りました。
"僕らの街 (Poor Side of Town)" (作曲 ジョニー・リヴァース) 全米1位
1967年には3枚のシングルがリリースされました。
"恋を求めて(Baby I Need Your Lovin) (オリジナルはFour Topsの1964年のヒット曲) 全米3位
”ひとすじの涙(The Tracksof My Tears)" (オリジナルはThe Miraclesの1965年のヒット曲) 全米10位
”サマー・レイン(Summer Rain)" (作曲 James Hendricks) 全米14位
日本では”サマー・レイン(Summer Rain)"が1968年初頭にリリースされ、「TBS 今週のベスト10」で、2月4日に19位にランクされました。「TBS東芝ヒット・パレード」では1月12日に18位で 初登場、2月16位に最高位3位、3月22日まで18位にランクされました。
”おい兄弟 (Brother Where Are You)" (作曲Oscar Brown Jr,)は、1968年のアルバム「Realization」収録のナンバーで、米国ではシングル・カットされず、日本のみのシングル発売です
文化放送「オールジャパン・ポップ20」では10月13日に20位で初登場、11月3日には15位にランクされました。「TBS 今週のベスト10」では9月8日に19位で 初登場、10月6日には10位にランクされました。「TBS東芝ヒットパレード」では9月20日に18位で 初登場、11月15位に最高位2位、1969年1月24日まで18位にランク・インしました。「洋楽ヒットチャート大事典(八木誠著)」では年間46位に選ばれています。
1964年のポップス ㉑ ジョニー・リヴァース” ”メンフィス”、”マウンテン・オブ・ラブ
1957年の初レコーディングから1964年始めのシンウル、”ドリーム・ドール(Dream Doll)"まで12期全てがチャートにランク・インすることのなかった ジョニー・リヴァース にチャンスが訪れます。
1963年にハリウッドのクラブ「Gazzams」に出演し、多くの観客を集めたのです。1964年にはウェスト・ハリウッドに開店した「Wisky A Go Go」と1年契約を結び、ライブ・ステージが大きな人気を呼びました。有名プロデューサーのルー・アドラー(Lou Adler)の目に止まり、ビートルズ旋風のなか、アルバム「 At the Wisky a Go Go」が制作され、全米最高位12位にランクされるヒットになりました。
アルバム「 At the Wisky a Go Go」で、最もリクエストが多かったナンバーが”メンフィス(”Menphis")(オリジナルは1959年のチャック・ベリー)で、シングルカットされ、全米2位にランク、ミリオン・セラーになりました。
1964年には"Maybeliene"(オリジナルは1955年のチャック・ベリー)が、最高位2位にランクされ 続いてセカンド・アルバム「in Action」からの”マウンテン・オブ・ラブ(Mountain of Love)”は全米9位にランクされました。
2曲とも日本ではビクター・レコードからリリースされましたが、ヒット・チャートにランクインするヒットにはなりませんでした。
1964年のポップス ⑳ ジョニー・リヴァース ”ドリームドール“ ”ベイビーカムバック”
ジョニー・リヴァース(Johnny Rivers)(1942生~)は、米国の歌手・作曲家・プロデューサーで、1964年から1968年に多くのヒット曲を放ち、1972年には”Rockin' Pneumonia and the Boogie Woogie Flu”が全米6位にランクされました。
日本ではロック・ファンには全くと言っていいほど人気がなく、1960年代半ばから1970年代前半位にポップス・ファンになった人たちが、”ジョニーリヴァース、イイ曲あったよね、懐かしいね”などといった存在なのではないでしょうか。今回日本ではロック・ファンには無視されている、ジョニー・リヴァースを紹介していきます。
ジョニー・リヴァースは1957年に”Little Girl"でレコード・デヴュー、歌い方がエルヴィスそっくりさんです。以下シングルを紹介していきます。
(2)”Baby Comeback/Long Long Walk)"(1958年) 当時日本でも「ベイビーカムバック/ロング・ロング・ウォーク」のタイトルでリリースされました。メロディーも歌い方もエルヴィスそっくりさんです。
(3)"You're the One”(1958年) エルヴィスそっくりさん。
(4)"Your Fast and Last Love" (1959年) エルヴィスそっくりさんのポップ・バラード。
(5)"Everyday"(1959年)ジョーダネアーズをバックにしたエルヴィス。
(6) " The Customary Thing (1960年) ワイルドなヴォーカルで、エルヴィスから黒人風Doo Wapへ。ただこの曲からエルヴィスそっくりさんから脱却し、ジョニー・リヴァース本来のヴォーカル・スタイルの片鱗をみせる。
(7)"Knock Three Times"(1961年) R&B調バラード。エルヴィスからジョニー・リヴァースの歌い方になる。
(8)"Bue Slies"(1961年)スタンダードを軽快なポップス調で。
(’9)"Long Back Mail"(1962年) カントリー調のR&R.。ジョニー・リヴァース本来のヴォーカル・スタイルが確立される。
(10) " If You Wan't It,I've Got It" "(1963年) カントリー調のトーキング・バラード。
(11)"Dream Doll""(1964年)軽快な明るいアメリカンポップス。日本でも、「ドリーム・ドール/君に愛されたい」のタイトルで発売されました。
ジョニー・リヴァースの”ドリーム・ドール(Dream Doll)”です。1964年といえばビートルズ旋風が巻き起ころうという時で、よい曲ですが少し遅かったのかなと思います。
ジョニー・リヴァースの”ベイビーカムバック”です。1958年の曲で、エルヴィスそっくりさんぶりが微笑ましいくらいです
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