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1965年のポップス ⑩ ゲイリー・ルイスとプレイボーイズ ① 「恋のダイアモンドリング」 「なかなか見つからない」

 ゲイリー・ルイス(Gary Lewis)は4人の友達と18才の時にバンドを結成、グループ名をゲイリー・ルイスとプレイボーイズ'(Gary Lewis & Playboys)にしました。ゲイリー・ルイスの父親が人気喜劇俳優のジェリー・ルイス(Jerry Lewis)だったので、ディズニー・ランドでのコンサートはいつも満員になりました。

 スウィング時代からの名バンド・リーダー、レス・ブラウン(Les Brown)が彼らに目を付け、レコード・プロデューサーのスナッフ・ギャレット(Snuff Garret)tに紹介、ゲイリー・ルイスとプレイボーイズ は,リバティーレコード(Liberty Record)から、"恋のダイアモンドリング(This Diamond Ring)”でレコード・デビューしました。

 

 

 

 "恋のダイアモンドリングThis Diamond Ring)”は、米国では1965年の1月にリリースされ、1位を記録しました。

 日本では"恋のダイアモンドリング/B面 なかなか見つからない(Hard to Find 米国と同じ)”(東芝LR-1223)は1965年3月に発売されました。リリカルなメロディと、ゲイリー・ルイスとプレイボーイズの持ち味である爽やかなヴォーカルとサウンドで、日本でもヒットしました。

 文化放送「9500万人のポピュラー・リクエスト」では4月1日に20位で初登場、5月13日、20位に最高位5位にランク、6月17日に16位までランクされました。TBS「東芝ヒットパレード」では3月12日に20位で初登場、4月9日、16日に6位ランクされました。「洋楽ヒットチャート大事典」八木誠著では年間93位に選ばれています。

 

 

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 ゲイリー・ルイスとプレイボーイズ の"恋のダイアモンドリングのB面 ”なかなか見つからない(Hard to Find "です。哀愁のインストゥルメンタル・サウンズです。     (Kann Dorao)

 

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