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いつのまにか少女は(老婆に)

2011-07-06 23:29:30 | マンガ
◆大波小波─萩尾望都に震撼!
3・11から百日が過ぎ、ようやく様々なジャンルで表現が形になってきた。詩歌に比べて散文では、評論とエッセイばかりが目立つ。
文芸誌の7月号でも『すばる』の中沢新一「日本の大転換」が、文字通りエネルギー&経済システム大転換の提言。『群像』の平野啓一郎「被災地までの距離」が、直截(ちょくせつ)な被災地視察の記録。『新潮』の古川日出男「馬たちよ、それでも光は無垢で」は、被災地を巡りながら自作『聖家族』との対話を彼一流の詩的饒舌(じょうぜつ)体で繰りひろげているが、いくぶん駄弁の垂れ流しっぽい。一様に「作品」になどできない、というより、してはならない、という一種の禁忌のような戒めが感じられる。
そんな中で震撼(しんかん)させられたのは、萩尾望都の短編マンガ「なのはな」(『フラワーズ』8月号)だ。大好きな祖母を津波にさらわれたフクシマの少女が、夢の中でなぜかチェルノブイリにいる祖母と、お下げ髪の白人少女に会う。悪夢だと思っていたその夢の意味が、最後に明らかとなる。このラストシーンの詩的な感動は、2007年の傑作短編「柳の木」にも匹敵する。あらゆる表現者が3・11と格闘し続けている中、かくも純度の高い傑作を発表した萩尾に敬意を表したい。 ─(ひまわり、東京新聞7月4日夕刊)

》》》反響《《《
●「とんねるずのみなさんのおかげでした」(6月30日・フジ) 「食わず嫌い」のコーナーで、ゲストの男性タレントが対戦相手の若手女優に酒のお酌をさせ、2杯目は、ほぼ一気飲みしていたのにはあきれた。彼は「この後、他局での仕事がある」と言っており、それならば飲酒は控えた方がよかったのでは? ─(板橋区・関沢友見・33、東京新聞7月6日)

◆少女漫画って男がSなの多いよなー逆のが読みたいなー (sakurawaEX 桜和、ツイッター7月5日)



一気飲みか、有吉。その部分、見てなかった。深夜の酒の肴にでもするかと録画したものの、あまりのつまらなさに、ほとんどサーチで飛ばして、すぐに消去。同じフジテレビで、今週も有吉をフィーチャーしたキカナイトなる30分番組を録画したが、悲惨な内容だった。
これまでフジテレビが培ってきたお笑い番組のノウハウが、もはや使い古されてなんの役にも立たなくなっていることもあろうし、有吉弘行の芸が荒れて雑になっていることもあろう。
前にも記したが、マスコミ・芸能界のカスどもが得意とする「持ち上げておいて落とす」いじめを体験し、耐え忍んで新たな立ち位置をつかんで再浮上したことは立派であれ、それもまたマスコミ・芸能界の枠内の出来事に過ぎず、希少な経験値を積んだ毒舌芸人として、生産性を失って久しいテレビ界と相互依存の状態におちいっているような按配だ。
この相互依存は、たとえば東京都や大阪府の知事が、極端な言動を逐一マスコミで報じられることによって衆目を集め、話題の主として人気を維持するやり方とも相通じている。有吉の飲酒も、石原・橋下のバカ発言も、マスコミが放映しなかったり無視すれば済むことなのだが、そうしないのは、お互いおいしいからである。
そして、そんな状況が続いているのには、われわれの責任も大きい。
フジテレビの番組を見ること自体、オラ久しぶりだったのだが、毎週のように漫然と見ている視聴者も何百万とかの単位でいて、彼らの悪徳を助長してきたのだろう。
「いいともの客」って、バカ日本代表のような感じなので、毎日そんな人たちを目の当たりにしていれば、賢明なタモリですらサラ金のCMに出演するようになる。
─で、きょうの本題、少女マンガね。
マスコミのカスどもと違って、旧世代がコツコツ積んできた利権構造から疎外されがちな若者が多いツイッターの言葉は生きている。桜和くんなる大学生の少女マンガ評に、目ウロコ。



男がSで、暴れたり泣き叫んだり、ノウガキ垂れたり徒党を組んだり、マグロ状態の女たちに対し一方的にサービスするわけか。みな目鼻立ちの整った、韓流ドラマみたいな登場人物が。
なるほど、まったく興味が湧かないわけだ。
オラ子どもで熱心なマンガ読者だったころは、本当に面白いマンガは少年マンガより少女マンガの中から探したほうが早かったものだが。もし当時も、やはり男がSで女はマグロだったとしても、その底流には、なにが男をそうさせるのか、女をそうさせるのか─という問題意識が潜んでいた。
「関白宣言」を受け入れて、大企業正社員と結婚して家庭に入り主婦になる、第二の性たらざるをえない女たち、萩尾望都(はぎおもと)や大島弓子や山岸凉子や竹宮惠子の心からの叫びが、そうした体制になんとなく居心地の悪いオラのような男の心もとらえて離さなかったのかも。今にして思えば、『エースをねらえ!』や『伊賀野カバ丸』のような保守的な作品にしても、おおいに示唆的なんだけどね。
時代は移った。原発が国策なら、テレビ局も国策だ。フジテレビが利権まみれで時代遅れのハコモノなら、小学館や講談社のマンガ雑誌も。かつて自身の心の奥底にも矛先を向け、そのグリップ力が時空を超えてあらゆる社会問題にまで達していたような少女マンガ家たちも、年老いて円くなった。
「なのはな」も「柳の木」も、安定した技量で、それなりに見せるが、ほんとうの意味で心をザワつかせるようなものではない。地方経済が原発に依存せざるをえない現状は、家庭の幸福と子孫繁栄を願う女の保守主義とも無縁ではないが、いまや多数のオバハン読者を引き連れて大御所となった彼女たちに、それを裏切るというのは無理な話でしょうか。
往年の山岸凉子が核戦争テーマで描いた短編「ストロベリー・ナイト・ナイト」など、完成度の低さを補って余りある、今もって不穏な─。

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