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20 Best Caetano Veloso Songs

2023-01-22 17:45:11 | 音楽
1964年、CIAの支援を受けたブラジル軍部は、選挙で選ばれたジョアン・グーラート大統領政権を崩壊させ、代わって陸軍大将のコスタ・エ・シルヴァを擁立。グーラート大統領は富裕層と貧困層の格差を是正し、多国籍企業の利益を国外に流出させないという経済ナショナリズムを掲げて当選したが、富裕層や権力者の怒りを買ってしまった。68年になると軍事政権は、ストライキ、学生運動、そして歌などあらゆる反対意見を検閲し抑え込もうとする。この年12月には国民議会を閉鎖し、メディアに厳しい検閲を課し、人身保護を停止する法案「AI-5」を可決し、究極の弾圧を行った。

ブラジルの音楽家にとって「文化の空白」ともいうべき時代に、詩・映画・演劇・ビジュアルアートなどさまざまな分野を連動させて鮮烈な花を咲かせる「トロピカリア運動」を、身の危険を感じながらも音楽面で存分に追求したのがカエターノ・ヴェローゾ、ジルベルト・ジル、ガル・コスタ、そしてトン・ゼーやムタンチスらであった。ヴェローゾのデビューアルバムTropicáliaが口火を切り、その数ヵ月後にはオムニバス形式のTropicália: ou Panis et Circencisによって、サンバを斬新な曲構成と実験性で表現する音楽宣言を行う。 - Pitchfork: The Story of Tropicália in 20 Albums (2017)



Caetano Veloso & Gal Costa / Coração vagabundo (1967 - Domingo)



Tropicália (1968 - Caetano Veloso)
Alegría, alegría (1967 - Caetano Veloso)
ジルベルト・ジルはテレビ局の内部政治に浸かっていた。局のオーナー、デ・カルヴァーリョはブラジルの音楽家から敬遠されていたフィーノ・ダ・ボッサの視聴者を取り戻そうと策をめぐらし、ジルがカエターノに協力を求める。10月21日、カエターノとジルのブラジル音楽に関する考察の集大成として、テレビの生放送で「トロピカリア」が正式に発足した。 - Observador: Alegria, alegria superbacana: a Tropicália faz 50 anos (2017)

私は運動を組織する
私はカーニバルを導く
記念碑の落成式
国土の中央台地で




Os Mutantes / Panis et circensis (1968 - Tropicália ou panis et circencis)
Gal Costa & Caetano Veloso / Baby (1968 - Tropicália ou panis et circencis)
Caetano Veloso & Os Mutantes / É proibido proibir (1968 - The Definitive Collection)
トロピカリア運動は軍事政権への抵抗に基づく左翼的なものであったが、実験性の強いものを含む芸術上の自由の追求は(ロックンロールがそうであるように)社会主義者や左派学生の反発を招くことになる。この対立は1968年9月、リオのカトリック大学で開催された第3回国際歌謡祭でのヴェローゾの伝説的なパフォーマンスで早くも顕在化する。最初は熱狂的な歓声に迎えられたヴェローゾはやがて左派学生の激しいブーイングに晒され、ことにÉ proibido proibir(禁止することを禁止する)の性的・実験的なステージングにおいてブーイングや物が投げ込まれる混乱がピークに達し、ヴェローゾは「政治も美学も同じならわれわれはおしまいだ」と学生たちに語るとジルやムタンチスの手を取って立ち去った。 - 英ウィキペディア



Chuvas de verão (1969 - Caetano Veloso)
É proibido proibirは発売禁止になり、1969年2月、ヴェローゾとジルは当局により逮捕され、3ヵ月間刑務所に収監され、さらに4か月間自宅軟禁の状態に置かれる。このアルバムはイギリスに亡命するまでの不自由な時期に録音され、彼が声とギターだけでスケッチしたものに、プロデューサーのロジェリオ・デュプラが洗練を施した。酔ったカーニバルのドラム、落ち着いたボサノヴァ、タンゴやファドの狂気の痕跡、サイケデリック・ロックの閃光など、どの曲もヴェローゾの別の一面を覗かせる。あらゆる束縛に抗い、立ち上がる男の音が収められたアルバム。 - Pitchfork: The Story of Tropicália in 20 Albums (2017)



London, London (1971 - Caetano Veloso)



You Don't Know Me (1972 - Transa)
It's a Long Way (1972 - Transa)
69年のアルバムで彼が示した悲しみとエレガントさは、亡命先で制作されたCaetano Veloso (1971), Transa (1972)の2作で増幅されることになる。1枚目は寒くてメランコリックな日にぴったりで、2枚目はブラジルの歌謡曲と英語のオリジナル曲を組合せた、Jards Macaléのディレクションによるもの。Transaは左翼のシンボルとして定番の地位を得たが、偶然そうなったわけではない。インスピレーションを受ける対象=ブラジルのあらゆること=からトラウマのように距離を置かざるを得なかったロンドンでの暮しが、最高の芸術を生み出させたといえるだろう。カエターノはブラジルを離れたときに最高の仕事をするのである。 - Rate Your Music: caetano veloso ranked (by pedrovilela, 2021)



Tu me acostumbraste (1973 - Araçá azul)



Felicidade (Felicidade foi embora) (1974 - Temporada de verão: Ao vivo na Bahia)



O leãozinho (1977 - Bicho)


Terra (1978 - Muito)
Sampa (1978 - Muito)



Sonhos (1982 - Cores, nomes)



Podres Poderes (1984  - Velô)


O estrangeiro (1989 - Estrangeiro)



Livros (1997 - Livros)



Sozinho (1998 - The Definitive Collection)
Transaの項で引用したRYMの投稿者pedrovilela氏はベロオリゾンテに住む21歳のブラジル人で、お気に入りアーティストにヴェローゾのほかはマドンナやカニエ・ウエストといった虚栄タイプを挙げているにもかかわらず、1980年代が象徴するものが嫌いで、ヴェローゾも80~90年代に商業的成功が定着したけれども80年代のアルバムはよくないと言い切る。彼によれば80年代とは、安っぽい髪形や美意識、そしてレジアン・ウルバナやキャピタル・イニシャルといったブラジル版ロックが成功した同じ頃にAIDSが深刻な問題として浮上し、権威主義の政府や保守的な社会規範からの解放をセックス&ドラッグに託した世代を幻滅させたという。

確かにAIDSは発展途上国でより深刻に蔓延したので、現今のコロナ禍とは対照的といえるかもしれない。ヴェローゾはカトリック家庭に育ったが無神論者で、後年にバイセクシャルだとも告白している。「政治的な自由も芸術上の自由も同じように捉えて手放すとすればわれわれはおしまい」、しかし「60年代終りころブラジルの歌手はみな黒いスーツにタイを付けてステージに立っていた。そこへ僕たちが長髪に勝手な服装でバイーアから来たんだ」。大観衆の前で、あるいはメディアを介して自由を見せつけることは、貴族の見せびらかし消費としてやがて大量消費と人間そのものの時間商品化を招いてしまう面もあるといえるのではないか。




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